ふたたび。
「
仏像の顔を眺めてみよう」で、自分の家の仏壇にいる木製の像を、テキトーにゼウスだと書いた。
ネットで、大日如来や釈迦如来の画像を見てみたが、違っていた。
冠をかぶっているのが大日如来で、パンチパーマのみが釈迦如来のようだ。
如来とは、悟りを開いた者のみに与えられる。
一方、悟りを開けなかった熱心な修行者は、菩薩戎で止まる。
(※)一般人が他界した時につけられる戒名などというのは、所詮、カネの積みかたによる。
位の高い戒名をほしい時は、100万円ぐらい坊主に渡せば、それなりに付けてくれる。
でも、バカくさいから、普通の人はやらない。
坊主丸儲けになるだけなのを、みな知っている。
仏教シリーズは、本日で終わり。
なぜ、私が、こんなことを記したか、というと、葬式に見栄をはる人や他人の目を気にする人が多いからである。
「
歴史に学ぶ知恵 時代を見通す力」「
隠された歴史」の2冊を読む前は、私も仏事に疎くて、どうしたら良いのか、さっぱりわからない人間であった。
副島先生の解説本を読んだら、「あ〜、バカくさい」となった。
みんな、何を言っているのかわからない坊主のお経に振り回されてきたのだ。
日本人の誠実さが、お経に振り回された、と言っても過言ではない。
富永仲基の「
誠の道」、これが、戦後日本の躍進を成立させた。
バブルが来て、アメリカにいいように搾取され、日本人から誠実さがなくなりつつある。
特殊詐欺の横行が目に余り、補助金の隠れ詐欺も多い。
ここで日本人が腐ってしまっては、日本人らしさがなくなる。
今一度、誠実さを取り戻し、良くないと思ったことは改めていくしかないと思う。
坊主たちも、仏教の歴史を振り返り、改心したほうがいいだろう。
(※)
普通の人でも仏教を真剣に信仰し続ける人は、修行者としての「菩薩戒」まではもらえるのである。だから菩薩は仏教の修行者の意味である。それに対して仏僧は「沙門」と言われる。日本語でも出家した僧侶(ボンゾー)たちは、「具足戎」を受けて坊主(沙門)になる。
(「隠された歴史」p15)
前述したが「菩薩(ボダイサッタ bodhisattva)とは、悟りを開こうとして修行している者」で、悟り(ボーディ bodhi)を開いたら如来になる。しかし如来になんかなれるわけがない。
(前掲書p28)
posted by T.Sasaki at 20:26|
Comment(0)
|
TrackBack(0)
|
本の紹介
|

|