日本の漁業が崩壊する本当の理由 片野歩

世界中で魚類資源が増えているのに、日本だけが減っている。
この現実を、恥ずかしいと思うべきである。

日本の漁業が崩壊する本当の理由.jpg

すべての漁協組合長、理事、参事、そして、任意の漁業団体の会長以下すべての役員たちは、この本を読むべきだ。
読みたくないならば、「日本の漁師は大バカものだ」を参照すること。
これを認識できないならば、役職に就く資格はない!

2026年05月03日

ブッダの教えから、葬式仏教へ

こんばんは。
仏教シリーズ4回目。

ブッダ=お釈迦様は、「悟りを開いた」とは言うが、つまり、何かを悟った、何かを分かった、ということである。
普通に日本語で言えば、そうなる。
彼は、何を悟ったか?
苦行などせずに、普通に生きないさい、ということがわかった。(※1)
そして、それを弟子たちに、鹿のいる場所で説教した。
その名残の場所が、日本では奈良公園の鹿なのだそうだ。(※2)

したがって、彼の死後に、「私は、ゴータマ・ブッダ様がそのように言うのを聞いた」というほとんどの経典は、ウソであり、捏造である。(※3)
「そのように言うのを聞いた」としないで、「私は、こう考える」とすれば、捏造とは言われないのに。
何が価値があるかと問えば、仏教の場合、お釈迦様の本当に言ったことのみに価値がある。
それが、厳しい修行をしたブッダの結論だからだ。
正直に言ったまでだ。

ブッダの言行そのものを記したものが、中村元さんの著書にあるのは、「人類は宗教で救済されない」に示してあるが、彼の正直に言ったことと、捻じ曲げて解釈した後の僧侶たちが「聞いた」こととどちらを信用すると問われたら、本人が正直に言ったことのほうを信用するに決まっている。
そのことを副島先生が書いたまでであり、誠実な日本人ならば判断できるはずだ。

これは、ブッダ最後の言葉である。

すべてはうつろう。うつろうものに執着すれば苦しみが生じる。されば執着してさらしめよ。すべてはうつろう。ゆえに私(ブッダ)を頼りにすることなかれ。みずから(自分だけ)を頼りにして生きよ。他者に依存することなから。自己の身(のみ)を支えとして生きよ(※4)

人が死ぬ間際の美談として、よく「幸せだった」と言ったりするのを聞く。
しかし、ブッダのような言葉は、ほとんど言う人はいないだろう。
偉人というのは、こういうことを言うのだと思う。

ブッダが、輪廻転生を言った、言わない、という話もあるようだが、死に際に、上記のような言葉を残したからには、たぶん、輪廻転生はない、と悟ったと思っていいだろう。
日本には、法相宗という宗派があるそうだ。
私は聞いたことがない。
しかし、小室直樹さんという碩学が、三島由紀夫の小説を例にあげて、法相宗こそ、ブッダの教えを守っている宗派だとしている。(※5)
奈良の興福寺は法相宗であり、これに、琵琶湖畔にある三井寺は、隠れ法相宗と言われる。(※6)
平家物語には、興福寺と三井寺が組んで延暦寺と争った、という記述もある。

https://www.koten.net/heike/yaku/066/(「日本古典文学摘集」)

坊主どうしの争いの結果、武士が生まれた、というのは、すでに「海軍軍人が裁かれなかった謎」に紹介したとおりである。
所詮、宗教というのは穏やかではないんだなあ、と再び思ってしまった。

法相宗と対極をなすのが、浄土宗や真言宗、日蓮宗。
これらは、「人類は宗教で救済されない」に書いたように、「世界宗教というのは、困った人民の救済のためにある。救済という目的がなかったら、誰もそれにすがることもなく、流行らない。」という性質を利用した宗派である。(※7)
南無阿弥陀仏」「オン・アミダラ・フーム」、「南無妙法蓮華経」「オム・マニ・パドメ・フーム」とひたすら唱えることで、民衆は救済される、という考えである。

私がお世話になっている寺、住職引退勧告をやった寺は、曹洞宗である。
曹洞宗は、禅宗の一派である。
浄土宗や天台宗は民衆救済宗教であるが、禅宗はそんなことは言わない。
自力による自己救済という考えを大事にしている。
そして、何と!お経もない!
したがって、葬式ができないので、しかたなく、他宗のお経を借りてやっている。(※8)
何だかわからない坊主たちなのだ。

坊主たちの飯を食う手段というのは、昔からいろいろあった。
禅宗の一派である臨済宗の坊主たちは、頭が良かったから、中国との貿易で飯を食っていた。
貿易文書の事務屋だ。
そして、何と!仏教坊主のくせに、朱子学(儒教)を一生懸命勉強した。(※9)

禅宗の中国の総本山は、映画にもなっている少林寺である。
この寺は、毛沢東の文化大革命で、ひどい目に遭っている。(※10)

追記の関連リンク

親分は、最後は腐るんだか、何なんだか。
中国少林寺元住職に懲役24年 横領や収賄の罪 60億円超取得か



(※1)
「悟りを開いた」というのを一言で言うとどういうことか。私は、仏教各派の難しい教理問答の類を、すべて疑っている。すべて検証し直すべきだと考えている。それらは本当にブッダ本人の教え(思想)であるのか。ブッダが「悟った」とは何か。どこにもその内容は書かれていない。「悟り」の中身を書けるはずがない。それでもその時のブッダの悟りとは「いくら厳しい苦行などをやってみてもだめだよ」ということだった。そのようにあちこちに書いてある。ヒンドゥー教の教えに従って、魂(霊魂)の不滅を信じて、それで、自分の肉体を過度に痛めつける無益な苦行を行うのは無駄なことだ、とお釈迦さまは気づいたらしい。悟りとは、そういう無駄なことをしてはいけないという思想だ。
(「隠された歴史」p78)

(※2)
 20年前の私は、「千日回峰業」を達成するような立派なお坊さまは偉いものだ、と素直に思っていた。
おやがて、そうは思わなくなった。普通の人ができないような苦しい思いをすることで、名僧と呼ばれる者たちが出来上がるが、お釈迦さま(ゴータマ・ブッダ)本人は、「無駄な苦行をするものではない」と言った。そして、そのことを前述したサールナート(鹿野園)で再開した4人の修行仲間にとくとくと説いた。このとき、仏教は創始されたのである(紀元前528年)。ブッダが35歳のときである。鹿野園というのは、だから、これは「鹿の園」である。私が行った今のサールナートにはもう鹿はいなかった。この鹿が奈良公園の鹿である。あるいは北山鹿苑寺といって金閣寺の名に伝わっている。
(前掲書p79)

(※3)
 釈迦の十大弟子のひとりにアーナンダ(阿難、Ananda)というのがいた。アーナンダは25歳で出家をした。釈迦が55歳のときであった。ブッダが涅槃に入る(死ぬ)までの25年間、常につき従い身の回りの世話もした。そのため、釈迦の言葉をもっともよく聞き、記憶していた。釈迦がなくなったとき、アーナンダは泣き叫んで悲しんだ。第1回仏典結集(First Buddhist)は、アーナンダの記憶に基づいて釈迦の教え、すなわち経典が編纂された。
 釈迦の入滅の前後の頃を記したお経が「大般涅槃経」である。この仏典が中国経由で日本に伝わっている。この経典にも明らかにキリスト教が混ざっている。ここでマグダラのマリアのマリア像が変形して中に入ったからだ。
 多くの仏典は、バーリ語という当時のインドの民衆の言葉で伝承している。それを全巻アルファベットの表音文字に直したり(19世紀のイギリス人の仏教学者たちの業績である)、のちに「仏典結集」でサンスクリット語とチベット語と漢語(中国語)になって広まっていった。「如是我聞」すなわち、「私は、ゴータマ・ブッダ様がそのように言うのを聞いた」と日本にまで中国から伝わった多くの仏典には書いてある。が、ほとんどは嘘である。のちの時代の高僧たちが勝手に書いた文章である。
(「前掲書p40)

(※4)
ブッダの最後の言葉はこうだ。「すべてはうつろう。うつろうものに執着すれば苦しみが生じる。されば執着してさらしめよ。すべてはうつろう。ゆえに私(ブッダ)を頼りにすることなかれ。みずから(自分だけ)を頼りにして生きよ。他者に依存することなから。自己の身(のみ)を支えとして生きよ」とブッダは言い放った。これが本当のブッダの最後の言葉である。やはり、これぐらいブッダの思想はすばらいい。
(前掲書p85)

(※5)
 小室直樹先生は、この法相宗という、ブッダその人の思いを最も正しく強固に保存している宗派について、次のように鋭く解説した。それはまさしく「輪廻転生」の否定である。
 前掲書『日本人のための宗教言論』のp208〜210から引用する。

『豊饒の海』の真意
 日本人にとって、この難解無比な仏教哲学についての最も手頃な解説書は何か?と問われれば、筆者は三島由紀夫(1925〜70)の最後の小説『豊饒の海』四部作を挙げる。仏教の唯識の哲学を補助線にしたこの作品は、三島が日本人に対して遺した最も適切な仏教入門ともいえよう。
 仏教には多くの宗派がある。その中にあって、教義だけがあって、特別の信者集団もお墓もないという宗派がある。それが唯識の法相宗である。欧米の常識から見ればありえないこの宗派が、いわば仏教の根本的な教義を説く宗派なのだ。
(中略)
 唯識の思想は大変難解だが、一言でいえば、「万物流転」、すべてのものは移り変わる、ということである。
 仏教の「空」という論理は、すべてが仮説であり、すべては関係であって、実在するものは何もない、というものである。
 結論からいえば、魂の輪廻転生を否定した三島は、それでは生まれ変わって復活するのは何かという宿題を読者に残した。
 魂の輪廻転生を否定すると、直ちに難問が出てくる。輪廻転生というのは仏教の根本思想となっている(しかし、輪廻転生はヒンドゥー教の思想である)。ヒンドゥー教が輪廻転生(の思想)は、人間には魂(アートマン)というものがあって、人間が生まれ変わりして、前のとき(前世)にいいことをした人はより高いところに、悪いことをした人はより下にいく、とする。だから上は天上から、人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄まであるわけだ。
 しかし、(ヒンドゥー教と違って)仏教では魂の実在を否定する。魂がなければ何が輪廻転生するのか。何が因果律の支配を受けるのか。

 ここまでが、小室直樹による法相宗=「唯識」、すなわち、魂(=霊魂)が輪廻転生することの否定の説明である。霊魂の輪廻転生はヒンドゥー教のものだからである。私は、この法相宗の立場を支持し、三島由紀夫(1970年11月25日、45歳で自刃)の偉大な才能を愛惜し追慕する。
(前掲書p145)

(※6)
 なぜ興福寺がそれほどに格式のある立派なお寺かというと、興福寺の本当の仏教の宗派(宗旨)は法相宗である。この法相宗は、実は輪廻転生(生物は生まれ変わる、転生するという、本当はヒンドゥー教の思想)を認めません。三島由紀夫の『暁の寺』のテーマです。
 輪廻転生を認めないのが、実は、本物のお釈迦様の仏教の思想です。人間は死んだらそのままで一切が無に帰るというのが一番正確な仏陀(お釈迦様)の思想だ。私はこのように断言する。日本の仏教学の権威だった、中村元氏がこの真実を明らかにした。中村元は東大教授を辞めて「やれやれ、ようやく今から本当のことが書ける」として1978年と1984年に、改訂版をつくって岩波文庫で出版した。今もじわじわと読まれ続けている。『ブッダの真理のことば感興のことば』と『ブッダのことば(スッタニパータ)』の2冊である。これだけがお釈迦様が本当にしゃべった言葉です。本当の仏陀の言葉だ。本物の仏典です。他の仏典(お経)は、お釈迦様(ゴータマ・シッダールタ)の本当の言葉ではない。勝手に弟子たちが、500年の間にどんどん次々に作ったお経だ。あるいはのちに中国で作られた仏典も多い。ですから、大蔵経のほとんどすべての経典は、お釈迦様の教えではない。
(中略)
 興福寺は中心の教義が法相宗ですから、輪廻転生を認めない。そういう恐ろしい根本的な教義を持っている。これと琵琶湖に面した坂本の宿に今もある三井寺が同じような。こっちも密かに法相宗を信じている。三井寺は園城寺とも言います。三井寺は「寺門派」とも言う。これに対して、ここから登って行った比叡山の山中にある延暦寺の方を「山門派」といいます。このふたつの大寺院は、元々は兄弟寺院なのでしょう。
 その内側の激しい兄弟げんかに似た、教義問答(カテキズム)については、私は詳しくは知りません。また、調べても教えてはくれないでしょう。門外不出の奥義のようになっている。彼ら僧侶は自分たちの正体、本当の教義(根本の戒律)を隠しています。
 比叡山延暦寺が山門派で、山の中にあり、その山から琵琶湖の方へ下りたところが坂本の町で、そこに園城寺、別名三井寺という大きなお寺が今もある。園城寺は、西暦672年に建立され、高僧円珍が入山して866年に建てた延暦寺の別院だった。しかし、天台座主の円仁と教義をめぐって争って993年に分裂して天台宗寺門派になった。この三井寺と比叡山延暦寺もきっと寺の格式は同格です。そしてなんとこれに興福寺を加えた三つの大寺の若い僧侶たちが、600年間にわたって連綿と、激しい教理問答(思想闘争、イデオロギー闘争)をやり続けたようだ。実に600年にわたって、激しい殴り合いの喧嘩をやったのです。
(「歴史の学ぶ知恵 時代を見通す力」p101)

(※7)
観音と弥勒は、ブッダのまわりにいた2人の美しい女の弟子である。この観音(観世音菩薩)は、サンスクリット語でアヴァローキテーシュヴアラと言う。「アヴァ」は遍く、「ローキテー」は見る、「シュヴァラ」は自在者という意味である。観音は「光明の神」とも呼ばれる。一方、阿弥陀の方は無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経の浄土三部経として日本にまで伝わってきて、これが日本の浄土宗(本願寺)の聖典となった。観世音菩薩の方も同じく民衆を救済する仏典である観音経として中国、日本に伝わった。「観音経」と一般的に呼ばれるお経は、実は、法華経の一部である。妙法蓮華経の第25章のことを観音経というのである。法華経は天台宗(比叡山延暦寺)や日蓮宗の聖典である。だからこれらも民衆救済のための仏教である。
(「隠された歴史」p63)

(※8)
 他者を救ける(福祉事業、福祉のための国家論)と称したり、口で言ったりすることを偽善(ヒポクリシー)である。と決然と言い放った、このときに禅宗が6世紀に中国で敢然と湧き起こったのである。これは東アジアにおける大きな政治思想の始まりだった。このように考えるしかない。日本に伝わった二大禅宗である臨済宗と曹洞宗(道元〈1200〜1253〉が日本に輸入した)は、この思想を根底に置いている。この「他者を救けることはできない」という生き方の態度において嘘はない。同じ仏教、仏教と言ってもこれぐらい大きく違うのである。この大きな真実を今の私たち日本人に、仏教学者も仏僧も誰も教えようとしない。だから私が解明した。いや。もしかしたら今の禅宗の坊主(和尚)たち自身が、この自分たちの根本教理(思想)である「救済などない」「自力だけだ」と意味を忘れてしまったのではないか。困ったことだ。
 禅宗はだからこそ"本当の大人の思想”、"保守の思想”として、新しい思想流派として、日本にも根付き大きく栄え、そして今も日本全国に禅寺がある。そこでだ。だから、実は今も「禅宗にはお経がない」。このことも本当である。禅宗は「ただひたすら祈ること」を拒絶したのだから、お経がない。インド伝来の古い宗派(それは本当は、西域=中央アジアでのキリスト教への融合であった)のような多くの経典(仏典)がない。経典(お経)がないので、本当に困ってしまった。それでは葬式仏教をやって金儲け(僧侶の生活費の獲得)ができない。信者たちを騙す手口がない。それで禅宗は、やっぱり仕方がないので「般若心経」と「観音経」を他宗から借りてきて自分たちも唱えることにした。ちっとも信じていないのに。そうしないと本当に葬式仏教ができないのだ。多くの信者たちに有難味のある説教のようなものを説くことができないのだ。この点では、あれだけ「自分たちだけ深い境地に至りついた」気になっている曹洞宗ほど、この傾向が強い。道元の曹洞宗は貴族や武士たちのための宗派である。本来の保守の思想だから当然だ。そうであるものだから、この宗派が葬式代が一番高い、と今も人々に言われている。
(前掲書p123)

(※9)
 それでは、日本の臨済宗の僧侶たちは、一体、何でゴハンを食べていたのか。彼ら高級インテリたちは民衆がキラいなのだ。だから、浄土宗(本願寺)や日蓮宗のように民衆煽動をしたくなかった。人が集まらないから当然に金が集まらない。だから、本当の本当は中国との貿易船の文書作成でゴハンを食べていたのだ。「渡唐船の公帳を扱った」のである。日本の各地(各藩)の海のそばに残る武家屋敷なるものの中に必ず臨済宗の寺がある。臨済宗では僧侶が中国式の朱塗りの赤い椅子に座っている。禅寺である臨済宗は、全て中国式の建物である。
 13世紀からの鎌倉、室町、戦国期、そして江戸時代の臨済宗の僧たちの本当の職業は、だから中国との貿易文書として高級で立派な漢文(中国語の書式)を書くことのできる、文書作成係であった。中世において漢文(中国文)が読めて、しかも書けるということはものすごく秀才で偉いことだった。武士という人種は元々、荒らくれ者だから、文が読めない。字も書けない。戦国期の覇者(天下人)の信長、秀吉、家康でも下手くそなひらがな文しか書けなかった。それらは証拠の古文書として残っている。お坊様(及び祐筆職と呼ばれる侍たち)が側にいてきれいな漢文を書いた。
 そして、何と、この日本の禅僧たちが信じたのは朱子学である。彼らは前述した理由の通り、仏僧のくせにブッダの思想を(仏典)を信じていない。彼らは仏典よりも朱子学(儒教)という外国の文献を必死で読んだ。今で言えばラテン語やフランス語の本を読むことだ。朱子学の文を読むことで、「五山文学」という高級な輸入学問を日本で実践したのである。
(前掲書p124)

(※10)
 日本に伝わった禅宗の発祥の寺は、洛陽にある少林寺(嵩山少林寺)である。えっ?少林寺が禅宗の大本山なのかと驚くだろう。そうなのである。少林寺と聞くと日本人はすぐに少林寺拳法を思いつく。この少林寺拳法が、後に台湾・沖縄経由で日本に伝わり古武道や拳法そして空手(=唐手)となったのである。この事実も案外、軽視されている。
(中略)
この少林寺にダルマさまがインドからやって来たのである。インド人の達磨大師は、「菩提薩多(ボーディサットバ)・ダルマ」である。肌は浅黒く髭を生やしていた。
 達磨大師は西暦527年にインドからこの少林寺にやって来た。そして、裏山の洞窟の石の壁に向かって(面壁)9年間座禅(=止観とも言う)をした。そして悟りを開いた。これを禅宗では「開眼」と言う。きっと深い眠りかあ醒めて目を開いたのだろう。このときが、禅宗という中国で生まれた仏教の始まり(発祥)である。だから禅宗の創始は536年ということになる。そして禅宗にはインド伝来の経典とかはない。ないものはない。だから、どの仏典(お経)を拝んだらいいのか、で禅宗の坊主たちは長く困ったようである。
(中略)
 この少林寺の少林拳は、唐帝国をつくった太宗李世民(599〜649)の天下統一を支援した宗教ネットワークである。李世民の帝国建設=諸国の王たちの平定と従属を、ここの武僧(武装した僧侶)たちが助けたことから有名になった。このように禅宗は生まれたときは、武術、体術と縁が深いのである。残忍な"赤い皇帝”であった毛沢東が1966年から始めた文化大革命では、何百人もの少林寺の僧が、襲撃してきた人民解放軍に拳法で立ち向かって、機関銃で皆殺しにされたという。
(前掲書p114)



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