日本の漁業が崩壊する本当の理由 片野歩

世界中で魚類資源が増えているのに、日本だけが減っている。
この現実を、恥ずかしいと思うべきである。

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すべての漁協組合長、理事、参事、そして、任意の漁業団体の会長以下すべての役員たちは、この本を読むべきだ。
読みたくないならば、「日本の漁師は大バカものだ」を参照すること。
これを認識できないならば、役職に就く資格はない!

2026年04月30日

世界は宗教で不幸になっている

こんばんは。

仏教シリーズ3回目。

世界宗教の原点である物語が存在する。
シュメール人のギルガメッシュの物語であり、実在する人物とは言われるが、何しろ、今から6000年以上も前のことなので、事実かどうかということに関しては、わからないと答えるのが一番正しい。
しかし世界宗教は、すべて昔の物語であって、これらも後に坊主たちによって作り変えられたことから、およその変遷を推定するのには役立つ。
ギルガメッシュの話には、旧約聖書の「ノアの方舟」につながったのではないか、という物語も存在する。
メソポタミアやペルシャ高原からインド地方への侵攻もあっただろうから、ヒンドゥー教への影響も大きかった。(※1)
ギルガメッシュの概略は、これ。

https://www.y-history.net/appendix/wh0101-009_1.html(「世界史の窓」

物語を少し詳しく知りたい人は、これ。

https://ancientcivilization.net/archives/597(「AIと巡る古代文明や神話・宇宙の不思議」)

「経典の民」と言われるユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒の祖といわれるアブラハムは、名前の音から推定して、メソポタミアのバビロン第1王朝ハンムラビ王がモデルではないかとさえ言われる。(※2)
それにしても、「啓典の民」同士が、恨みを買い合い、平気で殺し合いをしている現代を見ると、「経典の民などクソ野郎の集まりだ」と罵りたくもなる。

ブッダは、最初は、普通の妻帯者であったが、出家してヒンドゥー教の修行をやった。(※3)
しかし、カースト制度を否定し、仏教を悟った。(※4)
私は思うのだが、厳しい身分制度社会の中で、一般人がカーストを否定したからといって、誰も見向きもしない。
出家した人が修行を重ねて初めて、先輩修行者と議論できるものだ。
ブッダは、出家したからこそそれができたのであって、一般人ならば、そのまま袋叩きになって終わる。

紀元前に生まれた世界宗教は、救済を売り物にして、人間を幸せにしようとした。
しかし、実際には、科学技術ばかりが進歩して、人間どうしが仲良く幸せに暮らす、というのは、ぜんぜん進歩せず、むしろ後退しているのではないか、という議論がある。(※5)
まさにその通りで、戦争を繰り返してばかりいる。
殺し合いの原因が宗教だったりする。
インドのアウトカーストの人たちのように、「歴史の中には入らない」という態度で、道端にウンコをしているほうが、むしろ殺し合いをしないのではないか。(※6)

日本のその辺の神社は、お祭りになると、神主さんがやってきて詞を言う。
それは日本語であり、坊主たちの唸るアホンダラ経とは違う。
単純でわかりやすい。(※7)
日本人は、何でも、「ありがやた。ありがたや」いう単純な民族であり、神道は日本人そのものを表しているようなものである。
そして、仏教もキリスト教も儒教も入ってきたら、すべて「ありがやた。ありがたや」としたのである。
きっと、他意はない。

世界中の原住民たちも、もともとは、これしかなかったのではないか。
地域の自然崇拝の神みたいなものがあって、うまく食べ物が手に入れた時は神に感謝し、うまく手に入らなかった時には、手に入るように願う。

こうやってみると、宗教が、殺し合いの根源、諸悪の根源になっているのではないか。
原住民どうしが、交易、交流するようになってから、世界宗教が伝わり、それを各地の原住民が信じてしまってから、世界的な争いは活発になった。
特に、欧米の政権転覆、侵略は、宗教の名を語るものが多いような気がする。

世界は、明らかに後退している。



追記の関連リンク

粘土板の解析で、ギルガメッシュの名があった。
伝説の王ギルガメシュ実在の可能性高まる。4000年前の粘土板の楔形文字を解読

「歴史の中には入らない」という態度ではないが、まあ、インド人は、すごい。
インドでは「排泄行為」がとんでもなくカッコいい 日本人のようにコソコソトイレに行かない




(※1)
 確かに6000年〜7000年前まで遡ることができるシュメール人が、この地(今のイラク平原)に住んでいて、ギルガメッシュ神話を作っていた。これがすべての人類の物語、神話の原型である。ユダヤ教の旧約聖書の「創世記(天地創造の記)」や大洪水(ノアの方舟)が、日本の「古事記」の「イザナギ、イザナミの国生みの物語」に影響を与えている。それからギリシャ神話も、インドのヴェーダ聖典も、すべてバクダッド周辺で生まれた神話(myth)が、世界各地に広がったものである。
 だから、インド文明(インダス・ガンジス文明)のヒンドゥーイズム(ヒンドゥー教、インド教)の原型も、どう考えてもペルシャ高原とイラク平原のあたりから始まったものであり、それが東に拡大したものだ。ヒンドゥー教は、1万年ぐらい前からガンジス川のほとりで暮らしていた人々が作った、宗教というよりも習俗(生活習慣)の集大成の思想であろう。仕方なくカーストとい身分制度ができた。そしてゴータマ・ブッダがその廃止を求めて改革運動を始めた。
(「隠された歴史」p245)

(※2)
人類史上一番古い文明の原型と呼ばるのは、やはり、チグリスとユーフラテスの両河沿いに生まれたメソポタミア文明である。首都は今のバクダッドあたりでその郊外に古代バビロンの都がある。ここは紀元前3000年まで確実に遡るので、5000年の歴史をもつ。ユダヤ人の聖典の旧約聖書(モーセ五書。紀元前1250年の産物)は、このメソポタミア文明の宗教文献の亜流であり、剽窃と焼き直しである。このことが近年はっきりしつつある。旧約聖書もモーセという男の言行録である『出エジプト記』以外はすべてメソポタミア(シュメール)文明の真似である。ユダヤ民族の祖アブラハムとは、ハンムラビ王のことである。
(前掲書p39)

(※3)
 ブッダは、当時のヒンドゥー教の修行者として生きている。それは、イエス・キリストがユダヤ人で、彼自身がユダヤ教の教えの中に生きていたこととよく似ている。ただし、イエス・キリストは、ユダヤ教の中の「エッセネ派」と呼ばれる清廉で厳格な宗派(セクト)に属していたとされる。エッセネ派、ユダヤ教のなかでも腐敗の少ない、純粋で清貧を実践する宗派であったらしい。この古代ユダヤ教の一派であるエッセネ派は、出家を奨励しており、「志のある立派な男は35歳になったら家族と家を捨てて、愛欲(現世の諸欲望)を断って出家せよ。岩石砂漠のようなところに洞穴を掘ってそこでもっぱら瞑想にふける厳しい修行生活をせよ」という宗派であったらしい。彼らの姿をアラビア砂漠のベドウィン(隊商の遊牧民)たちが通りすがりに見てやがて尊敬した。ここからイスラム教が生まれた(622年創立)。
 当時は子ども15歳で十分に大人だから、35歳ぐらいになれば、子供も自分の力で生きてゆけるから、家族と離れて出家しても家族は困らない。だからエッセネ派はそのように考えたのだろう。極めて合理的な判断だ。
 仏教とキリスト教の教祖(創始者)は二人とも、普通の世俗(secularism セキュラリズム)の暮らしをして妻子があった。だから初めから現世の物欲(利益、経済活動)と愛欲(性欲)の両方をもっていたわけで、決して頭から否定しているわけではない。「自ら決意して出家した者たちは、物欲と愛欲を捨てよ」と説いたのである。
(前掲書p41)

(※4)
 ヒンドゥー教のカースト制度というのは、よく言われるとおりインド社会に古くからいた各種の先住民族を虐げるために作られたものだろう。バラモン教(ヒンドゥー教)は紀元前15世紀ごろに、北方からやってきたアーリア系(西洋白人と同じ祖先)の部族が、ドラヴィダ系の先住民族を支配する際に作った制度だとされる。その内部は、きっともの凄く複雑であり外国人である私たちには、どうせ分からない。現地人にしか分からない。このカースト制度をお釈迦様(ゴータマ・シッダルタ)が激しく嫌ったはずだ。だからバラモンたちとあんなに激しく論争している。釈迦(彼は王族だからクシャトリヤ階級)は、29歳で出家したヒンドゥー教の修行僧だったのに、ついにヒンドゥー教(バラモン教)を否定して新しい人間愛に満ちた宗教を作り出した偉大な人物だ。
(前掲書p43) 

(※5)
 ブッダとほぼ同時代に、古代ギリシャが生んだ大哲学者のソクラテス(紀元前469〜紀元前399)とプラトン(紀元前427〜紀元前347)がいる。この2人も今から2500年ぐらい前の人だ。それから、中国の道教の祖老子と儒教の祖孔子(紀元前551〜紀元前479)も、同じく2500年前の人だ。老子と孔子は、46歳の齢の違いがあって70歳の老子に24歳の孔子が会ったという説がある。孔子が、「私にも道を教えてください」問うたら、「お前には教えない。自分で考えなさい」と老子が答えたという。
 だから世界の三つの大文明の地で、人類の大きな思想はほとんど同時期に生まれたのである。そしてそのあとの2500年間、人類(人間)は、どうやらたいして発達や進歩など遂げていないのではないか。そういう説が本当にある。私にはこの考えがしっくりゆく。進歩したのは、自動車とか電気製品とか高層ビルのような、「科学(サイエンス=近代学問)」の賜物と呼ばれるものである。これらで、果たして人間が真理に近づき仕合せになったのか、と大きく問いかけてみると、どうもそうではないようだ、と私は強く思う。
(前掲書p37)

(※6)
 カースト制度の4つの階級のさらにその下に、アウトカースト(outcaste 不可触の賤民。アンタッチャブル)がいて、今のインドの現地では「ダリット」と呼ばれている。5000万人ぐらいいるようだ。シュードラ階級(下層の農民たち)は、今もなお一切の産業化を拒絶して、「歴史の中には入らない」。意地でもバラモン階級の支配を受け入れないという決意のようなものがあることを感じた。だから、都市部を離れた農村部(ガンジス河の大平原)では、人々は平気で、道路端にまで出てきて、朝の7時ぐらいにいまも並んで男も女もウンコをする。この「自分たちは歴史の中に入らない」という彼らの決意には、私も心底、恐れ入った。
(前掲書p43)

(※7)
 仏教のお坊様というのは漢文(中国文)が読める人たちでインテリ階級であって、当時の世界規模の思想のひとつであるところの仏教の教理を勉強した優れた人たちということになっていた。インド伝来の仏教の「奥の深い、大変素晴らしい何百もの経典」を理解していると思われていた。だから僧侶は威張っていた。それに対して、土地の氏神を司祭するだけの神官、神主たちは全く頭が上がらなかったということだ。このことが大事なことだ。
 神主たちだって、まあ日本式の易しい漢文ぐらいは読めただろうけど、おそらく本格的な難しい漢文(中国漢文)は読めなかっただろう。神官たちは平仮名でやり取りしたような人たちだ。それが国学(惟神の道)の隆盛をもたらした。
 平仮名さえ書ければ、手紙や生活記録としては困らない。和歌・俳句も詠める。それでこと足りる。これが今の日本の神社で結構式をやるときの祝詞というものに表れている。祝詞の中には何の秘密もない。
 結婚式とか地鎮祭とかの祝詞の文章を読むと、「ナントカ家とナントカ家がこのたび結婚します。神様よろしくね」「このたびこの土地に家を建てるので、この土地の地霊さんよろしくね」というような、ほとんど今の日本語としても理解できる文章を神主が読み上げている。実に易しい文章だ。それが神道だ。何の秘密もない。それに比べて仏教のお経(経典)は、耳で聞いていて全く意味が分からない。仏教の経典は、威張っているだけで、今も日本民族に全く意味不明である。
 私も「般若心経」ぐらいは暗記していて唱和できるし、「色即是空 空即是色」などの意味ぐらいは解説文で読んで知っている。仏典のほとんどは難解なままの中国漢文である。つまり「アホダラ経」である。このことに、日本の民衆は遂に激しく怒ったのだ。それは当然だ。自然なことだ。威張るな、仏教!
 それに較べて神道には奥の深さなどない。本当に何もない。自然な平明さだけだ。それでも神社ではなんとか雅楽とかを加えて無理やり荘厳な雰囲気だけはかもし出すだろうけれど、中心には何もない。神道というのは中味は何もないのだ。日本民族の真心だけである。これを言うと日本の知識階級や伝統重視の人たちに嫌われるかもしれない。だけれども、私がこう書くことが真実だろう。
 神道(国学)の本体は、川の水の流れのように、真っ正直で、素直な平明心である。ただそれだけだ。他には何もない。何もいらない。日本人としての自然な感受性の発露がありさえすればいい。難しいことなど何も言う必要はない。ただ自然に外界と向き合い、周りの人々と仲良く幸せに暮らしなさい、ということだ。これ以上の秘密も何もない。このことがものすごくすばらしいことなのだ。
 そこはかとなくありがたい気持ちとか、自分につながるご先祖様に対する素朴な崇拝の気持ちとか、たったそれだけであって、これ以上のあれこれのむずかしい理屈(理論)や教義問答(カテキズム)や神の啓典(キャノン)や神託(オラクル)など何もない。思想的な深みもない。こういうことを書くと私はまた嫌われるだろう。けれども、本当のことを正直に書いて日本国民に伝えなければいけない。私はいつもそう強く思っている。私のこの構え自体は神道的である。
(「歴史にまなぶ知恵 時代を見通す力」p92)



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