日本の漁業が崩壊する本当の理由 片野歩

世界中で魚類資源が増えているのに、日本だけが減っている。
この現実を、恥ずかしいと思うべきである。

日本の漁業が崩壊する本当の理由.jpg

すべての漁協組合長、理事、参事、そして、任意の漁業団体の会長以下すべての役員たちは、この本を読むべきだ。
読みたくないならば、「日本の漁師は大バカものだ」を参照すること。
これを認識できないならば、役職に就く資格はない!

2017年04月11日

漁師の試験

みなさん、おはようございます。

「日本の漁業が崩壊する本当の理由」を読んで、昨夜は悔しくて、寝たような寝ないような気分だ。
さっそくこの本を紹介してくれた人から、「獲って獲って獲りまくるのが漁師の仕事」と思っている人が大多数ではないか、と指摘された。
ますます悔しくなって、眠れなくなった。

日本の漁師は大バカものだ」と書いたが、そう感じる人間と感じない人間の両極端な気がする。
感じない人間というのは、自分以外のことを考えることのない人間だ。
社会生活を営むにあたって、周りの人間を無視できるわけもなく、みんなと仲良くやっていこうとするのは、義務である。
「オレには関係ない」というのなら、すべての社会制度を利用するな。
トランプ大統領ならば、「自分のことは、自分で全部やれ。自分の周りのインフラは、自分でペイしろ」と言うだろう。
生まれたときから、社会制度を無意識に利用してきた私たちにとって、自分勝手な行動など許されるものではない。
漁師も、公共の海面を利用しているのだから、自分勝手など許されないし、「獲って獲って獲りまくる」影響というのも、考えなければならない。

漁業先進国ノルウェーでは、漁師に試験を課しているそうだ。
勝川俊雄さんの発言を引用する。

ノルウェーだと漁業者が漁業免許を更新するときに水産資源のテストを受けるんですよ。漁業者たる者、水産資源について勉強して知っておかなくてはいけないよねっていうことなんですね。
(「日本の漁業が崩壊する本当の理由」p106)


これは、いい方法だと思う。
まずは、漁師に、魚の管理は、漁師自らがやるんだよ、という意識を植え付けなければならない。
各漁業許可の更新の際でいいだろう。
ついでに、魚類資源増大を目指すため、どうやっていったらいいのか、ということを書かせて提出させる。

もう資源を管理するなどという生ぬるい感覚ではダメだ。
資源の増大を目指すべきである。
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2017年04月10日

日本の漁師は大バカものだ

こんばんは。

さっそく「日本の漁業が崩壊する本当の理由」を読んでしまった。
読んだ感想は、非常に○。
疑問はあるが、○どころか、三重丸以上!

これほどの本なら、水産庁の役人たちはすでに読んだと思うが、全国の漁協の組合長たちは、まだ読んでいないと思われる。
組合長だけでなく、理事、参事、指導課長、市場のある組合ならば、販売課長も読むべき本である。

 FAOや世界銀行の分析を見ると、日本の海とその魚の状態が、世界からどのように見られているのかよくわかります。2013年〜2015年の水揚げ量平均を元に、FAOが予測した2025年の水揚げ量によると、世界全体では17.4%の増加が予想されていて、各国が均衡もしくは増加となっている中で、日本は13.7%のマイナスと突出して悪く予想されています。次に悪いのが韓国で2.9%のマイナス。ちなみにノルウェーは18.9%の増加です。
 また世界銀行は世界の漁業について、2010年時点の漁獲数量と2030年の予測を海域ごとに比較しています。世界全体の水揚げは平均で23.6%増加していますが、表の中で1ヵ所だけマイナス9%を示している海域があります。それが日本周辺の海域なのです。
(「日本の漁業が崩壊する本当の理由」p43)


私は、これを読んで、少なからずショックを受けた。
魚が獲れなくなったのは、海況の変化によるものが大きいと思っていたが、そうではない。
もし、海況の変化だけならば、世界全体の漁獲も減少するはずだ。
日本は、魚を獲りすぎてしまっているのだ。
獲るのがなくなったから、小さいのを獲るしかない、という悪循環があり、そして、それを改善しようとしない日本人を見越して、世界の諸機関は、このような予測を立てている。

日本の漁業者、関連産業、それらを統括する水産庁をはじめ、研究機関まで、みんなバカなのだ。
こんなことも知らなかったのだから、私もバカの一員である。
そして、魚類資源の減少を感じながら、まだ何でも獲ろうとしている人間は、もっとバカである。

持続可能な漁業を行うことにおいて、日本は超後進国であり、大きな差が開いて、他は先進国である。
先進国の取り組みを簡単に書くと、成熟するまで小さい魚を獲らないこと。
そして、魚の再生産を妨げないこと。
集約すれば、ほぼこの二つに尽きる(ただし、するめいかのような短寿命の魚は、再生産のほうに重点を置かざるを得ない)。

それを達成するために、TACをたくさんの魚種に設定し、その消化率を100%になるように設定する。
つまり、常に低めに設定する。
消化しても、漁期中は増枠しない。
IQを有効に使い、IQの不正消化を防ぐため、小さい魚の投棄禁止。

もちろん、資源管理先進国でも、ダメな取り組みがないわけではないが、日本のそれとは、レベルが違いすぎるのである。
数年の禁漁もいとわないほどであり、日本海で行われたハタハタ禁漁を彷彿させる(しかし、その後、漁を再開した秋田では、漁獲量をごまかすことがあったらしい)。
水産行政トップの政治家のリーダーシップも強く、それ対する漁業者の猛反対は、もちろんどこの国にもある。
本の中の対談で、勝川俊雄さんという東京海洋大学准教授が言ったことを引用する。

いまは成功しているノルウェーやニュージーランドも、最初は大反対だったんです。俺たちの生活を破壊するのかって。でも「量より質」の考え方で規制が入って、5年もしないうちに漁業が儲かるようになると、両国で「え、日本って漁獲枠ないの?それはダメだよね。信じられない!」って言われる。オマエらも最初反対してただろって思うんだけどね。漁獲規制があることで自分たちが儲かるなんて経験をしたことがないわけだから、想像するのが難しいのかなって。
(前掲書p103)


TAC設定は、小型船を最優先に設定する。
これは、本の中で、成功しているノルウェーの事例を持ち出しているが、読んで、なるほどなあと思う。
資源量が減少傾向にあるときは、小型船の漁獲割り当ての減少比率を最小限に抑え、中型、大型の順に、減少比率を大きくする。
確かに、漁獲効率が大きい漁業ほど、減少比率を大きくするのは、資源管理のために理にかなった方法である。
そして、逆に資源量が増加傾向のときは、中型、大型の割り当てを大きくしてやるそうだ。
いか釣りをやってみて思うのだが、小型船は、いくら大漁でも、増枠分、獲った試しがないから、そんなものだろう。

岩手県沿岸漁船漁業いか釣り部会では、TAC設定に関し、まき網やトロールの減少比率を大きくすべきだと提案している。
これは、まさのこの事例に相当する。
その後、どうなったか知らないが。

さきほど、日本の漁業者はバカである、とけなしたが、これには、どうも恵まれすぎていることに理由があるようだ。
対談の中で、前述の勝川さんが言ったことを引用する(言われてみれば、その通り!)。

日本は漁場に恵まれすぎていて、漁場を守ろうという意識が低いですね。魚がいっぱいいる海って、世界を見てもそんなに多くないんです。地中海だってそんなにいない。日本は寒流と暖流がぶつかるなど条件がよくて、極めて豊富な水産資源があります。これはアラブの人たちが自分たちの土地から石油が涌いてくるのが当たり前だよねって言ってるのと同じで、日本人は海に魚がいるのは当たり前だって思ってる。でも実際は違って、世界でもこんなに豊かな海はないってことに、日本人は気づいていないんです。あと、豊かな漁場の漁業者ほど、資源を守ろうという意識が低い。いくら獲っても魚が涌いてくるって思ってる。ただしそれは昔の漁具を使っていたころの話。今の漁具では獲りきれてしまう。その点、昔からやせた漁場の人たちは資源を残す工夫をします。日本は恵まれすぎていて、資源を守る意識が全然育っていないんです。このままでは先がないですよ。
(前掲書p112)


つまり、私たち漁業者が、「いつかまた魚が涌いてくる」と勘違いしているわけだ。
本当にバカだ。

しかし、これくらい恵まれた海ならば、資源増殖の取り組みさえしっかりやれば、世界に向かうところ敵なし、ということである。

これを危惧しているのが、漁業先進国ノルウェーなのである。
再び引用する。

 ノルウェーサバの資源管理方法について漁業関係者に詳しく聞き始めた際、あまり教えたら日本のサバ資源が復活して、ノルウェーからの買い付けが不要になるのではないか?と心配されました。ノルウェーにとっては、それほど日本の魚が消えていく原因とその対策は、明白なものなのです。
(前掲書p143)


ヨーロッパから日本へ輸出するのは簡単であるが、逆は、大きな障害がある。
エコラベルである(これはずっと前からやっている。昔「地球白書」で紹介されていた)。
MSC、ASCなどがあるらしいが、これは、持続可能な漁法で獲った魚のみ流通できるようにしたしくみである。

http://www.wwf.or.jp/activities/nature/cat1136/cat1143/(「WWFジャパン」)

これだと、岩手の2そう曳きは、まるっきり対象外である。

ここで2そう曳きが出てきたから、この問題に触れないわけにいかない。
まず、日本のトロールに関する記述を2点引く。

 200海里漁業専管水域が設定されると、日本のトロール船はアメリカ・ソ連(当時)のEEZ内のスケトウダラ漁場から出ていかねばならなくなります。後に「ドーナツホール」と呼ばれるベーリング公海(公海とはEEZに入らない海域)でスケトウダラの好漁場を発見、年に約100万トンもの量を日本船が韓国、ロシア、ポーランド、中国船とせり合いながら1986年から1990年にかけて漁獲しますが、わずか5、6年で獲り尽くしてしまい、1994年以降、ドーナツホールでのスケトウダラ漁は停止となっています。
(前掲書p17)
 中層トロールの場合は問題ありませんが、網が海底に着底する場合は、海底の環境が荒らされることで砂漠のようになってしまい、資源がそれこそ「根こそぎ」いなくなってしまうことが問題になっています。
 たとえば、九州南部の海域で行われてきた「以西底曳き漁業」の水揚げは、1960年代には30万トンほどあったものの、近年では1万トン弱に激減しています。
(前掲書p84)


三陸沖漁場は、前述のように、私たちが平和ボケして感じなくても、世界屈指の好漁場である。
好漁場であるからこそ、かけまわしを2そう曳きにしても、今までもったのだ。
もし、好漁場でなかったら、今頃、岩手沖合いは、死の海になっていた。
このくらいのことは、自覚すべきである。

アメリカでは、トロールの混獲を、約1%としており、鮭を獲らないシステムもあるそうだ。
「サーモン・エクスクルーダー・デバイス」というものらしい。
2そう曳き業界に心あるならば、ぜひ、導入すべきものである。

その前に、かけまわしに、すべて戻すべきである。



次に疑問点。

p126に「投棄禁止断行でノルウェーのマダラ資源を救った漁業大臣」と題した章があり、小さいマダラを投棄禁止したのまではわかるが、それが、マダラ資源の維持につながるかどうかについての関連がわからない。
自分流に勝手に解釈するが、TACの割り当ての中に、小さいのをちゃんと含めて計算し、TAC消化した時点で、パッと終漁にする、ということだろうか。
小さいマダラの割合が多い場合も容赦なく。
なおかつ、TAC数量を大きくしないことが条件であれば、確かに資源量は上向く。
それとも、小さいマダラが、網を引き上げる前に抜けるよう、漁具の改良をしたというのだろうか。
マダラは、ある程度浮いてくれば、プカンと浮いてしまって、再び潜ることができない魚だ(まれに、産卵の終わったやせた奴は、潜ることがある)。
この点がはっきりわからない文章である。

みんな買って読んだほうがいい。
日本の漁師は、笑いものにされているのだ。
posted by T.Sasaki at 17:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 魚類資源の減少について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月09日

ネットサービスについて

再び。

最近、SNSなるもの、ソーシャルネットワークサービスなるものが、自分に不向きだとわかった。
今、手元にある「日本の漁業が崩壊する本当の理由」という本がある(今から読む。「魚類資源減少について」シリーズが的を得ているのかどうか、楽しみだ)。
これをFaceBookで紹介してくれた方がいて、しばらくFaceBookにアクセスしていなかったら、その投稿が、ず〜っとず〜っと下のほうに行っていた。
あのサービスは、毎日アクセスするのが必須事項のようだ。
もうあきらめて、今はほぼアクセスしない(笑)。
有益な情報ばかり見たいけれど、どうでもいいような投稿が山のように積まれていると、目がおかしくなってくる。

ブログ連携も途中でできなくなり、設定しなおさなければならないから、もうやめた。
あれは、欠陥サービスだ。

LINEというのもやってみたが、どこがいいのか、さっぱりわからない。
あれもやめた。
電話機能を使ったことがないが、通話品質が悪いらしい。
FaceBookのメッセンジャー電話のほうは、一度使ってみたが、通話品質はいいような気がした。
FaceBookメッセンジャーの場合、PCで簡単に打ち込めるが、LINEのほうは、いろいろ制約があるみたいだ。
メッセンジャーソフトの性能なら、LINEよりFaceBookに軍配を上げる。

このブログというサービスも、実のところ、私は不満である。
どこからでも、どのPCからでも、どのスマホやタブレットでも投稿できる点は、確かに便利であるが、ツリー状に編集できないのは、もう致命的欠点である。
カテゴリー分けが一応できるが、それでは、十分ではない。
以前、何を自分が書いたか探すのに、非常に時間がかかるからだ。
最近は、探すのも面倒だから、リンクも貼らない。
重複している文章がたくさんあるだろう。
こうなると、昔のように、HTML言語を使ったソフトを使うほうがいいような気がする。
もう一つ、ブログの欠点をあげるならば、表示が重いこと。
バックグランドで動いているプログラムがたくさんあると思われる。
一方、プロバイダーのレンタルスペースは、非常に軽く、瞬時に表示される。
ただし、この場合、ソフトの入ったPCでないと、アップできない。
これが唯一悪いところ。
だから、ブログの文章を集約したものを、昔の「漁師のつぶやき」形式でアップするほうがいいと思う。
しかし、記事数が600以上にもなるから、この作業をやる気が起きない。

1ヶ月くらい前、GEOに行って、中古のスマホを買ってきた。
税込み2000円くらいの古いやつ。
動くかどうか不安だったが、ちゃんと動いた。
スマホといっても、タブレットのような使い方を試してみたかった。
メモリーが0.8G(たぶん1Gなのだろう)しかないようだが、ちゃんと動いた。
しかし、メモリーを要らないアプリが占領するため、いちいちメモリーを解放してやらないと、速度が遅くなる。
これらの端末は、2Gのメモリーが必要だと思う。
実際、一番最初に買ったソニーの10インチタブレットは、2Gのメモリー実装なので、遅くなったことがあまりない。
だから、安いから、という理由で、メモリーの小さいのを選ぶべきではない。
イライラするだけである。

この「イライラする」のは、PCも同じで、今や、ハードディスク(HDD)実装のPCなど買わないようがよい。
少々高くても、SSDのほうを選んだほうがいい。
起動からシャットダウンまで、全部速い。
SSDを使っていると、HDDのPCは、イライラする。

電話は、ガラケーのほうがいい。
電話は時々落とす。
私の場合、ガラケーをスマホにしたら、すぐに壊れて話にならないだろう。
ガラケーからテザリングでスマホ(タブレット)を動かしたほうが、ベストだと思う。

いい大人が、街中でスマホをいじっているのを、私はみっともないと思う。
私だけの感覚かもしれないが、不健康極まりない。
頭の中の疲労も蓄積するだけだろう。
スマホ中毒は、救われない。
posted by T.Sasaki at 19:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

法事の意味

再び、こんばんは。

法事などの仏事は、寺の坊主のためにあるのであって、やってもやらなくてもいい。
坊主たちは、仏に手を合わせろ、とはいうが、何のご利益もない。

3.11の母の葬式の際、私は、寺の和尚に食ってかかった

「神や仏を毎日拝んで、結果はこれか?」

私の顔つきや言い方が悪かったんだろう。
いつも威張っている和尚も、さすがにたじろいでしまって、「自然の力は偉大だということがわかった。云々」としか言えない。
父は「あんまり言うな」とさえぎったが。

私に子どもがいないから、私が死んだ後、漁運丸一族の仏は、無縁仏となるのだろう。
だから、墓参りには、いつも無縁仏の墓石の前で、手を合わせる。

自分の家の墓を維持するということは、ちゃんと結婚して子どもを作って、その子どもにもいろいろと言って聞かせなければならない、ということだ。
しかし、5代先や10代先に、一族があるのかどうか、を考えると、ない方が多いような気がする。
実際に、墓参りをした跡のない墓もあちこちに散見されるから、数百年先には、現在ある墓地は墓地跡という程度にしかなっていないだろう。
つまるところ、仏事というのは、坊主たちの収入手段でしかない。

こういう結論から、法事などというのはやらなくてもいい、と、一時思ったものだが、今回の法事で、その意味というのを少し考え直した。
法事は、寺の坊主のためにあるのではない。
主催する一族のためにある。
たまにしか会わない親族と飲んだり雑談したりする機会なのだと思う。
だから、そういう機会を設けるために、寺の坊主を利用しているのだ、と考えれば、気分もスッキリする。

しかし、私の一族は、仲がよいから、何かあれば、すぐに集まる。
だから、いつも法事をやっているようなものかもしれない。
坊主の出番は、もうない(笑)。

話題は、いとこや姪や甥の将来に集中する。
みんなやさしいことしか言わないから、私が、「そんなんで大丈夫か?」「頭がちょっといかれていないか」と喝を入れたりする。
一人ぐらい、そんなのがいて、バランスが取れるだろう。
posted by T.Sasaki at 17:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

津波の記憶 15

こんばんは。

私の家の横には、山に重機を上げるための細い道路があった。
内陸の建設業者が違法工事をやり、それがバレて指名停止処分を食らった時のものである。
だから、もちろん行き止まり。

3.11大津波の時、逃げ場がなくて、そこへ車が逃げ込んだらしいが、モロに浸水し、助手席に乗っていた子どもが意識不明になった。
私の地元の先輩が、その親子を病院まで案内したという。
国道を行けるわけもなく、山道である。
高浜は、国道45号のできる前には、山道が生活道だった。
私の小さい頃は、その山道で遊んだものだ。

案内した先輩は、私に、ショッキングなことを教えてくれた。
私の母とおじが、津波に流されていった、と、その親が証言した、ということを。

それを聞いた時、その場の過酷な状況と母とおじの表情を、嫌でも想像してしまったのだ。



3.11大津波から6年目の日、私は、FRPの仕事をしていた。
サンダーをかけていたので、サイレンの音など聞こえもせず、全く別世界。
世の中は、いつになっても、追悼行事や追悼番組ばっかりで、嫌になる。

3.11といえば、母とおじが流されていった、あの時の想像を思い出してしまう。
首を振り払って、目をそむける。

「風化させない」とか、誰か言っているようだが、「風化する」などとよく言えるものだ。
決して忘れるものではないのに。
思い出したくないほどだから、「津波の話はやめよう」と口走るのは、いつものことである。
そんなものを悼むことより、自分が未来に対し何ができるのか、ということを考えるほうがいい。
母もおじも、きっと、そう望んでいる。

「頑張れ!」「でも、あんまり無理すんな!」

私の家の法事では、津波の話など、たった一つも出てこない。
posted by T.Sasaki at 17:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 津波の記憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月08日

魚類資源減少について 12

今夜は4回目の投稿となる。

いさだ漁の景気がいいのに、漁運丸は港に繋がりっぱなしで、こんな文章を書いているのは変じゃないのか?とみんな考えるかもしれないが、これには、しかたがない事情がある。
肝心の乗組員がいないからなのだ。
宮古でいさだ水揚げトップの先輩からは、乗組員を見つけてやったほうがいい、という助言を頂いたりしたが、できなかった。
この原因は、漁船経営者としての資質がない、の一言につきる。
あるいは、漁運丸がいさだを獲る能力がない、ということを、世に知らしめていることを証明しているようなものだろう。
この事実に関しては、甘んじて受け入れるしかない。

しかし、だ。
他の業界から嫌がられることを知っていながら、このような書き物をなぜやっているかという理由を考えるならば、それほど魚類資源の減少を危惧しているからにほかならない。

ここからは、あまりに子どもじみた話になるが、少し付き合っていただきたい。

例の毛がにの特別採捕に関わる件について、特別採捕の許可条件として、従来の許可条件に違反行為があった場合、特別採捕は即刻中止する、というのがある。
私は前述の通り、特別採捕なるものに反対であるから、ここで少し考えた。
私が、違反操業すれば、特別採捕は、中止になるのだ。
私自身、この通り、毛がに資源減少と将来の漁船経営とを考えて、漁を切り上げたから、故意に違反操業して、岩手県漁業取締船に電話して、捕まる手法もあった。
これにより、特別採捕が中止されれば、来年の毛がにはそれなりに漁獲は増える。
資源増殖に関する取り組みの一つである。
この行為で、トロール業界のメリットは、ほぼない。
なぜならば、毛がにを獲る漁法において、トロールはかご漁業に及ばないからである。

しかし、私が同業者の殺生権を握るほど偉くはないし、この行為が独善的であることは否定できない。
だから、考えるだけにして、やめた。
世の中なんて、そんなものだろう、と大人になった自分が勝手にそう思っている。

岩手の2そう曳きの親分は、宮古市の金沢漁業らしい。
その社長は、宮古高校の先輩でもある。
他界した私の叔父の同級生であるという。
同じ同窓生ならば、それも、宮古高校であるから、想うことはいっぱいある。
宮古高校の校歌を、もちろん同窓生ならば、忘れるはずはあるまい。
今は亡きミュージシャンが、CDに遺したほどの校歌である。
あの校歌を誇りに想う卒業生は、私だけではないだろう。
というより、ほぼ100%に近い割合で、想うところはある、と思う。
そんな同窓生だから、本当のところ、分かり合える部分はあるのではないかと、期待を持っている。

私は、金沢漁業の社長と会ったことも話をしたこともない。
もちろん、顔も知らない。
宮古漁協の理事であるからには、私の父と顔を合わせていたのだろう。
こんな文章を書いている私とは、話をしたくないかもしれないが、私は、徹底的に話をしたいと思っている。
何を話すかというと、もちろん、2そう曳きが魚類資源に与える影響と宮古市や岩手県に与える影響についてである。
もし、社長の心に余裕があるならば、私の彼の腹の底まで聞いてみたいと思っている。



岩手県沖合の漁業行政に変化が、このままないならば、きっと、いったん、みんな貧乏になって終わるだろう。
その先は見えたもので、増田前岩手県知事の人口予測より、沿岸地区の人口は減少する。
弱肉強食という学問的真実を、そのまま人間に適用するならば、社会制度など必要ない。
社会保障制度などというのは、その時点でやめたほうがいい。

しかし、そうではないだろう。
周りの人間と仲良く、たとえ一杯やったらその場で喧嘩することもあるだろうが、そういう機会があるのも、楽しいと思わないか?
社会保障制度、社会制度というのは、同じ地区、同じ国で、少々の小競り合いはあっても、仲良くやっていくためにあるのだ。

私は、公務員という職業に就いている人間を、本質的に好きでない。
しかし、若い時分の理想と現実とを比べて、なってしまった公務員たちも社会に対する葛藤はあると思う。
そういう人たちと正直に話をしていると、それを感じてしまうのだ。
むしろ正直でない、同類である漁業者のほうに、人間性、日本人性、という表現が正しいのかどうかわからないが、疑問を感じてしまうのである。
魚類資源減少について」のシリーズに関しては、以上をもって、いったん終わりにする。

私は、今でも自分のことを半分ぐらい大人で、半分ぐらいは子どもだと思っている。
子どもの疑問は、純粋だ。
その純粋な疑問こそ、みんなを仲良くする手段だと、私は考えている。
posted by T.Sasaki at 21:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 魚類資源の減少について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

魚類資源減少について 11

再び。

昨年のロシア海域での漁獲量は、どの海域でも増加しているのだという。
これは、新聞記事だったと思うが、私も以前のようにマメではなくなっているので、記事転載できない。
が、最近の記憶だから事実である。

前述Nさんから聞いた話になるが、彼もただ年をとっているわけではなく、いろいろな経験をしているから、その話は貴重なものだ。
彼はロシアに漁業指導に行ったことがあり、その時のことを教えてくれた。

ロシアでは、日本のように、オカの受け入れ態勢が整っていないのだそうだ。
だから、あまりたくさん魚を獲っても、買ってくれない。
まるで、以前の宮古地区のいさだ漁業と同じだ(笑)。
そのため、たとえ密漁があっても、乱獲になるほど獲っていない。

その話から考えると、漁獲量が増加した、ということは、オカの受け入れ施設が増加したのであり、ロシアも魚をたくさん獲り始めた、ということになるだろう。

ここで思うのだが、三陸沿岸では、震災復興のいろいろな補助金活用で、加工工場の冷蔵庫がたくさん建てられた。
つまり、受け入れ施設が充実し、たくさん魚を獲っても、さばけるようになった。
だから、2そう曳きのトロールが、市場のタンクにたくさん入れるのを喜んでいる。
これをどう考えたらいいのか。

スルメイカは、大陸棚の斜面で産卵することがわかっている(今、事情があって別のPCを使っているので、論文のリンクは後で貼るかも)。
オカ寄りの斜面は、場所にもよるが、水深100mより浅いほうが、斜面の傾きが大きい。
それより沖合いは、170m以深から急に斜面がきつくなる。
だから、スルメイカが岩手沖で産卵する場合、100m以浅か、170m以深だと考えていいのではないか。

昨年、一昨年と、スルメイカが定置網で漁獲されないに等しい。
特に、秋鮭終盤から1月にかけての産卵期に、ぜんぜん入らない。
ということは、トロールの網の入らないオカ寄りで、スルメイカが産卵していないことになる。
その代わり、トロールは、秋から冬にかけて、スルメイカを獲っている。
今年は、2月まで獲った。
つまり、産卵場が沖合いに移動しているのに、それをいいことに、たくさん獲ったことになる。
これでは、三陸のローカル群は、発生しない。
事実として、夏イカが、近年ぜんぜん定置網に入らない。
これは、ローカル群の消滅を意味していると思う。

ここで加工業界に提案である。
1月以降の産卵期のスルメイカを、買わないことにするのだ。
あるいは、成熟割合が大きくなった場合、スルメイカを買わない。
それくらいやらないと、スルメイカのローカル群は増えないだろう。
魚類資源が減少する、ということは、各冷蔵庫が空の状態が続く、ということであり、いずれ、行き詰ることになる。
価格ばかり上昇し、中身は残らない。

魚類資源の減少は、地域経済に影響を及ぼすことにもなり、ますます過疎なる。
魚市場の仲買人たちも、どうやったら、魚類資源を増やすことができるのか、考えるべき時が来ている。
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岩手の2そう曳きは操業日数も多い(魚類資源減少について 10)

再び、こんばんは。

八戸のトロールが全船かけまわしであることは、すでに記述していると思うが、彼らは、悪天候が予想される場合、すぐに休む。
私たちが、八戸にスルメイカの昼釣りに行っている時でも、あの独特の地鳴りのするエンジン音をたてて帰ってきたりする。
そんな中、小型のいか釣り船は、操業することもある。
トロールが出ない日は操業しやすいし、はやり網を使われる場合と使われない場合とでは、釣り針にスルメイカも乗りも違う。
冬は、1週間に1回か2回ぐらいしか出ないそうだ。
北ほど季節風が強いからしかたがない、ということである。

一方、岩手沖は、北上山地が迫っているせいか、八戸沖と比べて季節風は弱いし、南北に長い海岸線を擁するため、季節風が強い時には、県南を操業することができる。
小型船が操業できる日は、間違ってもトロール船が休むことはない。

したがって、八戸沖と岩手沖とを比較すれば、操業日数の点でも、魚類資源に脅威なのは、明らかに岩手沖のトロールである。
その上、全船かけまわしの八戸と違って、岩手は、ほぼ2そう曳きなのだから、資源増加など見込めるはずもない。
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岩手の沖合底曳網漁業の歴史(魚類資源減少について 9)

みなさん、こんばんは。

岩手の沖合底曳網(トロール)漁業の歴史について、少々。
聞いた話で申し訳ないが、これは、ある小型船の船主Nさんが教えてくれたことである。

Nさんのお父さん(故人)が、トロール漁船の船頭を昔やっていたそうだ。
岩手県でも、八戸のように、かけまわししかなかった時代である。
その頃のトロール漁業は、1年の半分、つまり6ヶ月操業で、6ヶ月休漁だった(現在は10ヶ月操業で2ヶ月休漁)。
戦後なのか、高度成長期なのか、よくわからないが、日本の国が、とにかく食糧増産を推し進める政策を採り、そのため、6ヶ月操業を10ヶ月操業にしたのだという。
その後、日本は、貿易などの恩恵により、食糧難ではなくなった。
前出の船頭の話では、食糧難でなくなったその時に、元の6ヶ月操業に戻せば、それほど魚も減らなかっただろう、と述懐していたそうである。

ところがだ。
それを元に戻すどころか、最悪の2そう曳きをやり始めたのである。
2そう曳きのトロールは、宮城県で行われている開口板(オッターボード)使用の1そう曳きトロールより悪い。
これでは、ますます魚類資源が減って当たり前なのだ。

岩手で最初に2そう曳きをやった会社は、現在、辞めてしまって存在しない。
だから、全船かけまわしの時代を知っているのは、引退間近の船頭ぐらい。
今、かけまわしで残っているのは、金勘漁業の25勝運丸のみとなっており、この船頭の腕前は、確かなものなのだろう。
断言する理由は、いさだ漁で、正確に網を入れないと獲れない、というのを、私たち小型船は経験しているからである。
ところが、2そう曳きは、そんな正確さなど必要ないと思う(やったことがないから、こればっかりは「思う」としか書けない)。
だから、2そう曳きの船頭の優劣というのは、漁経験と漁場の選択のみ、と言っていい。
かけまわしの船頭と違って、まず、普通の人ならば、誰でもできる、と考えてよいだろう。

以上、トロール漁業の変遷を粗く記したが、昔、半年操業であったことなど、調べてもなかなか出てこない。
関係機関で出向いて調べるしかないが、ここでは伝聞による記述で許していただきたい。

2そう曳きトロールは、開口板使用の1そう曳きトロールの馬力アップ版と考えてよい。
曳き網は、曳いた瞬間から水圧がかかり、網の目は、皿の形のように潰れ、正方形の目ならば抜けてしまうような魚も入ってしまう。
アバ桁や足桁をつけて、目を広げる方法もあるとは思うが、曳く馬力により、魚が横になって網に付いてしまえば、抜けなくなる。
これは、私たちがかごを海中から挙げるとき、よく見る現象である。
本来、抜けてもいい小さい魚が、横になってしまうと抜けていかないのである。
一時、トロール業界も、小さい魚が抜けるような取り組みをやったことがあるらしい。
これは、私の父からの伝聞であるが、その取り組みは成功しなかったようだ。

2そう曳きトロールは、底魚を獲る漁法としては、非常に効率がいい。
効率がいいということは、それだけ資源減少を促進させる、ということだ。
したがって、特に、2そう曳きトロールの操業には、たくさんの制限を設けるべきである。
歴史を振り返れば、かけまわしのみの時代でさえ半年操業であった時代もあったのだから、それを元に戻し、2そう曳きは、漁獲能力の効率の高さから、その半分でもいいだろう。
あまりに操業期間が短くなるならば、盛漁期のみ稼動して、あとは休漁する、ということもできるはずだ。
そういう複雑な操業方法が嫌ならば、2そう曳きは廃止して、全船かけまわしにしたほうが、魚類資源にはいいと思う。

2そう曳きの船頭なら「まず、普通の人ならば、誰でもできる」と私は書いたが、書かれた当事者は、「このヤロー」と思うだろう。
それくらい元気があって自信があるならば、魚類資源の増大へ向けて、ぜひ、船主に向かって、「かけまわしにしよう」と提案してみてはどうか。
そのような気概のある船頭がいることを、私は期待する。



現在、60歳以上の船頭たちには、その父親から聞いた話というのがあると思う。
伝聞には、もちろん、記憶違いというのもあるが、一致した話は、貴重なものとなる。
その昔は、ブログはおろか、個人が記録を残しておく、という考えなどなかっただろう。
今は、それができる。
私自身、それをやってみたい気持ちもある。

八戸には、高齢から、「やめようかなあ」という小型いか釣り船の船頭たちがいる。
漁協の理事もやったこともあり、まき網漁業やトロール漁業などとの会合にもほぼ出席し、発言してきた人間を私は知っている。
彼は、八戸沖の漁業紛争の生き証人である。
時間があったら、いろいろなことを聞いて、全部記録しようかなあ、と考えたりもしている。
posted by T.Sasaki at 17:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 魚類資源の減少について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月07日

鮭の刺し網裁判について

再び、こんばんは。

かご漁業の話から、忘れないうち記しておく。
例の秋鮭を刺し網で獲らせろ、という裁判で、訴えた側が勝訴したらしい。
かご部会の会員の多数が、この訴えた側のメンバーであるという噂である。
私は、本当のところ、誰と誰が、正式なメンバーなのか、知らない。
負けた県側は、控訴したようだ。

鮭の再生産は、大昔と違って、人の手によるものである。
人工ふ化は、各漁協がやっており、それが、漁協の事業を支えている。
人工ふ化事業の前なのか後なのかわからないが、春鮭鱒の延縄漁は、私の父親の若かりし頃から存在する。
もしかして、秋鮭の人工ふ化を行う前からあるのだろう。
そうでなかったら、水産六法に、鮭延縄の制限する法律があるはずもない。

一方、刺し網で鮭を獲る、というのは、宮城県のみの許可であり(10トン未満のみ)、ごく最近できたものである。
鮭王国である北海道など、他の県では許可していない。
そもそも、ある人たちが、一生懸命育てて放流したものを、その人たちの言い分を無視し、他の漁業者が「獲らせろ」という話が、社会一般で通用するのだろうか。
私は、その時点でおかしいと思う。
例えば、宮古漁協の隣の重茂漁協では、あわび増殖に関して一生懸命であり、単協の重要な戦略の一つである。
それをそんな努力の片鱗もない人間が、「同じ漁師なんだから、獲らせてくださいよ」という人は、まずいない。
恥ずかしくて言えない。
他人が一生懸命やっている事に、「都合良く」参加できるわけがないではないか。

秋鮭の漁獲できる方法は、定置網、鮭延縄、河川捕獲の3つであり、これは以前から変わっていない。
一般の漁船漁業者には、ちゃんと延縄漁業という漁獲機会があって、岩手県沿岸漁船は、当初みんなやった。
それが思うように獲れなくなったから、県の許可制度が悪い、というのは、「都合が良すぎる」。
普通の日本人の感覚を持ち合わせている人間なら、そう思う。

私は今、「裁判の秘密」という本を読んでいるが、法曹界の人間というのは、本当に信用していいいのか悪いのか、ますます考えるようになった。
上記のように、日本人一般の感覚からかけ離れた判決がなされたりするのを目の当たりにすると、げんなりする。
控訴審も県が敗訴するとなると、これは各県に波及するだろうし、他の漁法でも、「獲らせろ」が始まる。
この「獲らせろ」論には、限界がない。
私は、これに関わっている弁護士や裁判官の頭の中を覗いてみたいし、いろいろなことを聞いてみたいと思っている。

大雨で川が増水し、川留めの設備が流失して、上流へどんどん鮭が遡上することがある。
この場合も、その流域の一般住民は獲ってはならず、鮭が産卵して役目が終わっても、獲ることはできない。
その後は、カラスや野鳥の餌になり、最終的に腐ってしまうのだが、私はその鮭を、流域住民が獲ってもいいように法改正したほうがいいと思う。
流域住民は、川をきれいにする努力をしているし、増水で被害を被ることもある。
人間的に考えるなら、川留めが壊れた場合、流域住民に幸運を与えてもいいような気がする。
少なくとも、これを「都合が良すぎる」とは誰もいわないだろう。

私は最近、モノを言う人が、どういう人間か、じっくり観察するようにしている。
心に裏がある人間は、信用できないからだ。

信用というのは、最後の最後は、カネや業績ではない。
基本的な人間性にある。
それが否定されるなら、この日本は終わりだ。

私が小学校卒業の時、先生から送られた言葉がある。
それは「心豊かに誠実に」である。
存命しているかどうかわからないが、それは照井先生という方であった。
50歳にもなって、この言葉を非常に重く感じる。
今まで日本人として生きてきて、この言葉に重みを感じなかった自分を恥じている。
posted by T.Sasaki at 20:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 漁業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする