日本の漁業が崩壊する本当の理由 片野歩

世界中で魚類資源が増えているのに、日本だけが減っている。
この現実を、恥ずかしいと思うべきである。

日本の漁業が崩壊する本当の理由.jpg

すべての漁協組合長、理事、参事、そして、任意の漁業団体の会長以下すべての役員たちは、この本を読むべきだ。
読みたくないならば、「日本の漁師は大バカものだ」を参照すること。
これを認識できないならば、役職に就く資格はない!

2017年08月14日

世界管理の王様

こんにちは。

お盆なので、家にいる。
8月に入ってからの大不漁に出くわし、悪いことは続くもので、ちょっとした修理で造船場に船を上架している。
ついでに、船底塗料も塗ることにした。
男は、あきらめが肝心。

前回、「義務教育とカネによる買収」を書いたが、文中からもわかるとおり、これは、世界をまたぐ大金持ちのやっていることである。
「最高支配層だけが知っている日本の真実」には、「アメリカン・ドリームなんてものは、実は米国には存在しない」と書いてある。
これは、アメリカのニクソン大統領失脚劇に関する論文「ロックフェラーが仕掛けたウォーターゲート事件」によるものだが、その内容は、先日他界したデイヴィッド・ロックフェラーがニクソン大統領を見切り、ヘイグとキッシンジャーと使って、テープ録音を通して追い落とした、というものである。
論文の著者である谷口誠さんは、アメリカン・ドリームの体現者をあげるなら、出自が田舎で貧乏人、低学歴であるニクソン大統領である、としている。

この時期、日本では、ロッキード事件が起こっている。
生贄にされたのは、ご存知、田中角栄元総理大臣。
彼も、低学歴で総理大臣になった人間である。

ロッキード事件の最も重要な部分は、児玉誉士夫の防衛庁ルートであって、田中角栄の関わった全日空ルートではない。
同じ日本の総理大臣に上りつめた中曽根康弘は、児玉誉士夫と関係が深かった。
だから、事件発覚時、最も疑いの目を向けられたのは、中曽根康弘である。
その後、不思議にも彼は総理大臣になった。

田中角栄が政治家として失脚させられた背景には、先のデイヴィッド・ロックフェラーの商売が関わっている。
引用する。

 日本のエネルギーと食糧供給生命線、ロックフェラーがその五割を握っていることも、実はこの1973年時点から今日への日本管理の戦略である。
(「最高支配層だけが知っている日本の真実」p317)


これに対し、田中角栄は、日本独自の資源外交を展開しようとした。
「独自」というのは、アメリカ抜きだったのではないか、と田原総一郎は、中央公論誌上で書いている。
だから、実際に、キッシンジャーは、田中角栄を総理大臣とした日本を、「あらゆる裏切り者の中でも、ジャップが最悪だ」と発言した。
つまり、日本は、アメリカの意のままにならないと気が済まない、ということなのである。
言い換えれば、ロックフェラーの意のままにならないと気が済まない、のだ。

一方、中曽根はどうなのか?
キッシンジャーと中曽根は、かなり以前から仲が良く、ロックフェラーにとって、中曽根は役に立つ政治家だった。
だから、防衛庁ルートがあまり追求されず、田中角栄の全日空ルートだけが追求され、現在でも「ロッキード事件」といえば、田中角栄だけが記憶されている。
大金持ちというのは、国をも操るのである。

デイヴィッド・ロックフェラーは、101歳で他界するまで、影響力があったとされる。
もう歴史上の人物であり、世界管理の歴史を作った。

比較して、その辺の小金持ちには、まるっきり力はない。
せいぜいローカルな自慢話をするだけであろう。

みっともない。

50歳を過ぎてしまった私は思う。
死ぬまでに、今の自分に何ができるのか。
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2017年08月09日

義務教育とカネによる買収

こんにちは。

土方を殺すには刃物はいらぬ。雨の3日も降ればいい。
これを漁師にすれば、「漁師を殺すには刃物はいらぬ。時化が3日も続けばいい」

今回の台風5号、そして、その後の週間予報では、3日どころの話ではなく、とんでもない長期の休みになりそう。
日本は、地震列島と荒天列島になった。

そんなわけで、暇すぎて、一杯やりながら読書。

「最高支配層だけが知っている日本の真実」

これも失った本の買い戻し。
いいと思った本のみ買い戻すようにしている。
失敗したくない。

目次から重要なものを抜粋する。

2.大衆世論を操縦せよ!「郵政洗脳選挙」と「広告プロバガンダ代理店」
3.遅れて来た「拝金主義」― 外国勢力に踊らされ続ける日本人
4.日本銀行はロスチャイルドがつくった
5.世界の歴史をカネで動かす男たち ― 国際エスタブリッシュメントの金融支配

上記の論文2で、ジョン・テイラー・ガットの「バカをつくる学校 ― 義務教育には秘密がある」を端的に表している部分を引用する。

 ガットによると義務教育が誕生したのは1850年頃のマサチューセッツ州で、その目的は、「大衆を厳しく管理すること」だったという。「支配階級」だけに自立と個性が許され、それ以外の大衆は問題にされない教育によって、「大人の世界に無関心になる」「集中力がほとんどなく、あっても長続きしない」「物質主義的になる」「依存的で受け身で、新しい挑戦に臆病になる」ような子供に教育されるというものである。
 義務教育はプロセインの「国家と産業に民衆を奉仕させる」教育システムに源を発しており、それをアメリカがまず輸入し、それが明治日本と中国、ロシアに輸出されたのだという。この背景には、大衆というものは本質的に無知な存在であり、「人間は生まれながらに権利を有する」というアメリカの建国の父の一人であるトマス・ジェファーソンの抱いた古典的な民主主義の考え方を完全に捨て去ったアメリカの一部のエリート層の自己正当化であった。
 「優れた知的エリートが大衆を正しい方向に誘導してやる必要がある」― これは、つまり逆に言えば、「大衆というのはどうしようもないバカで、放っておけば反乱を起こして自分たちエスタブリッシュメントの支配体制をゆるがしかねない」ということである。
(「最高支配層だけが知っている日本の真実」p87)


義務教育は、もちろん、税金という公のカネが使われるが、これも、最後は、金持ちのため、ということになる。
それを見破ってしまったのが、副島隆彦先生である。
国営の事業を民営化する、ということは、国有財産の私物化を意味するのだ。
引用する。

 副島隆彦の主張によれば、私たちは「民営化」という言葉の一見自由な甘い響きにだまされているのだ。「民営化」とはすべての財産を株式の形にして一般に公開するものだ。
 ということは、「完全民営化」とは、力を持っている一部の私人たちが国有財産を個人で所有できるようにするこなのだ。だから、「プライヴェタイゼイション privatization、民営化」と日本で言われているものは、本当は、「私有化」と訳されるべきことなのだ。いや、「私物化」といったほうがいい。力とはお金である。
(前掲書p174)


このように、貧乏な私たちの公有財産は、着々と、金持ちたちの切り売りされている。
そして、私たちは、義務教育により、それが正しいものだと思わされている。
かわいそうなものだ。

バカな大衆を管理するという思想の源流をたどれば、それは、プラトンに行き着くそうだ。
上記の論文5は、クレオン・スクーセンの「世界の歴史をカネで動かす男たち」の紹介であるが、そのスクーセンによれば、プラトンの「国家論」が、世界管理の源流となる。
引用する。

 選ばれた男性と女性とによる子作りが政府主導と実践され、劣った、あるいは障害のある子供は排除される事態も生じる。社会を「支配階級」「軍人階級」「労働者階級」という三層に分割し、各階級に固定化する。プラトンいわく、人々は生まれながらにして、心に金、銀、銅を持っている。支配者は、国民がそれぞれ持つその金属を見定めた上で、その者にふさわしい階級に割り当てるのだという政府が吹き込む嘘を、国民が信じ込むようにお膳立てされている。
 プラトンはこれが真っ赤な嘘であると認めた上で、支配者の統治にとっては好都合である、と述べる。国民に宗教的下足として教えやすいからである。プラトンは全面的に共産主義(共同体主義)とたたえて、支配者階級のためにそれを用意した。私有財産をなくし、家族関係を共有化し、下層大衆に恩恵を与えるために知的エネルギーを使うことを念頭においたのだろう。(『世界の歴史をカネで動かす男たち』六三−六四頁)
(前掲書p186)


地球が丸い、というのがわかって世界史が始まってからは、つまり、各大陸間の貿易が始まってからは、これが現実である。
世界管理とは、義務教育による洗脳からすでに始まっていたのだ。

ショックを受けたかもしれないが、私はこれを読むのが2度目であり、これをタイピングするほど暇である。
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2017年08月06日

天皇の伝説 2

再び。

前回、「天皇の伝説」という本を紹介したが、その中で、南北朝時代までさかのぼる天皇家の諸問題が今でも尾を引いていることに関して、一つ書くことにする。

奈良県川上村。
この地は、南朝最後の御所があったところ。
そこの自天王(尊秀王)は、北朝側が南朝にあった三種の神器の一つを奪うために殺された。
南朝最後の天皇である。
その首は、いったん持ち去られたが、取り戻し、金剛寺の境内に葬られた。

川上村では、その後、500年以上も、自天王を偲ぶ「拝朝式」を毎年行っている。
だから、この村では、南朝が滅ぼされた歴史というものを、村民全員が知っているのだろう。
一般の日本人は、このことを、ほとんど知らない。

平成3年、首を討ち取ったとされる北朝側の武士の子孫と川上村の重鎮たちが、交流を始めた。
引用する。

 北朝、南朝という言葉がごく日常的な感覚で用いられるこの村で、“敵同士”が「和睦」するには、なんと五世紀の時間を要さなければならなかったことになる。敵討ちではお馴染みの、吉良と赤穂よりもさらに長い歳月が必要だったのだ。
 この和睦のきっかけとなったのが、平成三年四月に初めて開かれた「櫻の宴」だった。この仕掛け人のひとり、というよりも発起人となったのが、先に紹介した市毛實。市毛はこした歴史をテーマとした東京在住の写真家。櫻の宴では、地元の民謡同好会の笛や、太鼓、笙などが披露され、今日では村おこしのひとつともなっている。こうしたイベントは、自由な発想と行動が村外の人間のほうが起こしやすかったのだろう。その市毛が語る。「いちばんの供養は楽しいのがいいのではと思い、自天皇様が十八歳で亡くなっていることもあって若手中心で始めました。最初は東京から行った者だけで十人くらいでスタートした。村でもチラシをつくってくれるというので協力をお願いし、去年からは観光協会が主催で村の祭りとして定着してきました」
 自天王という存在があり、伝承がある。朝拝式を欠かすことなく五百四十年続ける村人がいて、その村の祭りでかつての敵味方が五百年を経て初めて手を携え合う。
 真偽や正否、あるいは恩や仇といった歴史のすべてのしがらみを包括して人の世があることを、この村は物語っている。
(「天皇の伝説」p257)


会津と長州と和睦し、お祭りをする時代が来るのは、いつになるのか。
世界的には、イスラム教のムスリムとユダヤ人たちが和睦するのは、いつになるのか。
身近にもある。
彼と彼が仲直りするのは、いつになるのか。

引用した文章は、いろいろなものを示唆している。
人の世は、元を突き詰めれば、各自の性格の違いが渦巻いてできているものであり、争いごとがあるのは、ある意味、しかたがないのかもしれない。
しかし、揉め事があっても仲直りする、ということは、人にしか、できない。
その辺をわきまえて、私たちは生きたほうがいい。


この本では、天皇はどこから来たのか、と問うているのも面白いし、奈良市にある円照寺の住職が、昭和天皇の妹さんであったのではないか、という記事など、少し、やるせなさを感じるものもある。
この住職の話は、現代では、DNA鑑定ですぐにわかるものだが、もし、存命であっても、その鑑定に応じたかどうか。
実の妹であるならば、たぶん拒否しただろう。
記事からは、そういう人柄だったと察する。
妹でなかったら、きっとDNA鑑定に応じた。
本人は、妹説を否定していたから。

面白い読み物であった。
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水産庁の実力

こんにちは。

今度の台風5号は、とんでもない厄介ものである。
今、日本最後の大型いか釣り船である開洋丸が、この台風避難で、先月から八戸港に帰ってきている。
南の海域で、とびいかを釣っていたのだが、台風がのろのろ過ぎて、操業どころではなかったらしい。
その台風が、今度は日本列島で停滞しそうだ。
明日は南東が少し強く吹きそうなので、私は、すでに、台風避難して係船した。
いつまで休むのかわからない。
盆前に何回出られるのか。

7月までは、高値も手伝って、比較的順調な水揚げだったが、今月になって、急にペースダウン。
沖からの新規加入群が少ないのか、ぜんぜんダメ。
毎日、20個から50個ぐらいしか獲れない。
八戸や三沢の平均も、そんなもの。
そんな低資源の中、まき網がするめいかを獲るものだから話にならない。
ここ近年、毎年のことだが、資源が少なくなったら、まき網漁業とトロール漁業は禁漁にすべきである。
彼らは、他に獲る魚があるのだから。

それで、まき網漁船やトロール漁船が経営難に陥るのであるならば、それは、許可した水産庁の失策である。
さまざまな魚種の減少が指摘されている最中、漁船建造の認可や補助をする、ということは、頭がおかしい、としか言いようがない。
数年前、岩手で水産庁を招いて、するめいか意見交換会のようなものを開催したが、漁業者の中から、八戸前沖だけで、するめいかを漁獲するのはおかしい、という指摘がなされた。
羅臼で大漁なら羅臼で獲らせればいいだろうし、稚内で大漁ならば稚内で獲らせればいい。
なぜ、日本全国に割り当てられたTACを、八戸沖、三陸沖だけで消化しようとするのか不思議なのだ。
いか釣り漁業者の一人がこのことを指摘した時、水産庁の職員は、何も答えることができなかった。
官僚からみれば、私たち漁業者は低レベルの頭脳しか持ち合わせていないと思っているのだろうが、しかし、彼らのほうが、現場を知らない分、もっと低レベルなのかもしれない。

次のリンクをみてほしい。
水産官僚の無能さが、露見してしまった例である。

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/10164

こんなことしかできないのでは、みんな、がっかりする。
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2017年07月23日

天皇の伝説

再び、こんにちは。

「天皇の伝説」という本を、Amazon中古市場から購入した。
中古市場から手に入れる、ということは、津波流失で買い戻した、ということ。

これには、明治天皇がすり替えられたのではないか、という衝撃的なことが書かれてあった。
再度読んでみると、明治維新の悪役たちが深く関与していることがわかる。

「天皇の伝説」にある諸問題は、南北朝時代にさかのぼり、この時の分裂で、さまざまな伝説が誕生した。
明治天皇も、南朝系にすげ替えた、という話である。
それも、長州出身であり伊藤博文の生家から近い、というから、穏やかではない。
明治天皇の父、孝明天皇は北朝系であり、すなわち、現在の天皇家は北朝系である。
しかし、どうやら、即位した明治天皇は、それがおもしろくなかったらしい。
引用する。

 明治天皇が有栖川宮に命令してつくらせた明治十年の「纂輯御系図」という皇統表では、北朝天皇家のルーツである貞成親王を「父不詳」としている。明治天皇の父・孝明天皇はあきらかに貞成親王の末裔。明治天皇は北朝の天皇として、自らのアイデンティティを否定している。新国家の最初の大事業でなぜ、そんなことをやっているのか。
 本来なら北朝の天皇と解すべき明治天皇は、伊藤博文暗殺の翌年の明治四十三年、自ら乗り出して南朝正系論を公式に認めた。これでは父・孝明天皇が「偽系の天皇」になってしまう。そのうえ、父の怪死を追及していない。死因が暗殺なら、あきらかに黒幕は岩倉具視や伊藤博文であると知りうる立場にありながら、両者を心底から信じたことなど、あまりにも不可解な矛盾を感じないわけにはいかない。
(「天皇の伝説」p30)


父である孝明天皇の死を追及しないというのは、明らかに、その子の態度ではない。
普通ならば、「なぜ死んでしまったのか」を知りたがるものである。

ここに岩倉具視と伊藤博文が登場するが、彼らが、孝明天皇を暗殺(刺殺)した、という説もあるのだ。
なぜ、暗殺したのか、という理論的支柱は、吉田松陰、もっとさかのぼれば、水戸学にある。
すべて明治維新(「明治維新に騙されるな!」参照)という暴走が、天皇家にも影を落としているのである。

 伊藤博文がさしたる功績もないのに、維新後は並みいる先輩たちを押しのけて、明治天皇の股肱の臣として国政を左右した。その理由は、彼こそが天皇暗殺の首謀者であったからに違いない。
 むろん天皇暗殺などという大事は、ひとりだけでできるものではない。三条実美をはじめとする長州亡命の七卿たちも、長州を朝敵と断じた孝明天皇のもとでは絶対に浮かばれないから、この計画を支持したことは容易に想像されよう。(中略)。また、岩倉具視の義妹で、孝明天皇の愛妾だった堀河紀子が後日、薩摩浪人の手にかかって斬殺されていることを考えれば、岩倉が義妹に伊藤らの手引きを命じていたことが考えられる。この頃、公卿たちが列参というクーデターをしたことはよく知られているが、それから考えてもごく上層部の者以外は、ほとんど天皇暗殺に加担していたことがわかるであろう。
 明治を聖代であったとする人は多いがそれは権力にあざむかれて、歴史を解せざるものの言である。「明治の元勲」とは、天皇を殺しても自分たちの目的を達成しようとした悪逆非道の者たちであった。幕末とは、このような大逆を可能ならしめる動乱の時代であったのだ。
(前掲書p18)


伊藤博文の人柄について、歴史家である鹿島fさんも、次のように語っている。

 そりゃ孝明天皇を殺したことは彼らの世界ではひとつの手柄なんだろう。だけど、それを実績にして総理大臣に成り上がるっていう論理は間違ってると思うよ。伊藤のもの凄い上昇志向は幼児期に原体験がある。彼は最下級武士の中間に仕えた人間だよ。中間の伊藤家にお父さんと一緒に養子になって、それから初めて人間扱いされたわけだ。そういう屈折した人格を吉田松陰に認められて下忍として育てられた山県有朋はもっとひどい。奴だったんだからね。岩倉具視は孝明天皇の同性愛、衆道の相手だろ。忍者、殺し屋、男娼で根性最低、ヒガミだらけのやつらが組んでつくった政権が明治政府だよ。
(前掲書p40)


 伊藤博文は閔妃を子分たちに殺させて輪姦したあげく、ガソリンをぶっかけて焼いてしまった。ところが、これを外国人に見られて、大慌てで三浦梧樓たちを逮捕させるんだけど、すぐに朝鮮に圧力をかけて事件に無関係の朝鮮人を出させて、犯人だといって処刑してしまう。
 伊藤のやるものは無法そのもので、こんなのが日本の初代総理大臣だったなんて恥ずかしいよ。アメリカが先住民族のインディアンを大量虐殺した歴史を認めているように、日本もこういう歴史を認めなればダメだ。
(前掲書p42)


新渡戸稲造が現行5000円札にいるのは、前回のとおり納得できるのだが、旧札にプリントしてあった伊藤博文や岩倉具視らは、とんでもない悪人である。
よくもまあ、あんな人物を、日本の1000円札や500円札に採用したものだ。

武士道とはかけ離れた、本当に恥ずかしい歴史である。
当時のまっとうな武士たちの悔しさが、わかる気がする。
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不吉な姿

こんにちは。

その後、新潟沖合いの長距離航海が嫌になり、翌日には再び秋田沖へ。
瓢箪礁から秋田沖の新礁まで6時間全速で走り、それでたったの67個。
水揚げしてから、そのまま八戸へ。
来てから、すでに2週間以上経っている。
とにかく日本海が嫌になった。
八戸に戻ってからも、漁は決して順調ではないが、ただ平均単価が昨年より高く、そのため、金額的にまあまあの線をいっている。

しかし、今夜から、まき網漁業の天下が始まる。
こんな薄い資源でまき網がするめいかを獲ったなら、小型いか釣り船は、あきらめるしかない。
八戸港は、まき網漁船がすでに集結しており、私たち小型船からは、この光景が不吉にしか見えない。

お先真っ暗。
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2017年07月04日

「武士道」を読もう!

再び。

新渡戸稲造の「武士道」に関して要約し、ここにアップしようとしたが、やめた。
日本人なら、読んでいい本であるからだ。
でも、少しばかり書いておく。

私たち一般の日本人は、ほぼ「武士道」の精神を受け継いでいる。
日常生活や日本人特有の微笑みなど、「こういうことだったのか」ということがわかる。

日本人論なのか、日本文化論なのか詳しく知らないが、ルース・ベネディクトの「菊と刀」が有名らしい。
彼は、日本の文化を、恥の文化としているが、それは、見方が小さい。
日本人をよく観察しなかったと思われる。
だいたいにして、題名に、「菊」という言葉を使うこと自体、間違っている。
日本は、「桜」の国なのだ。

全部記すのは、非常に骨が折れるので、「武士道」を端的に表している文章を少し引く。

 嘘やごまかしは、ともに卑怯とみなされた。武士は、みずからの社会的地位の高さゆえ、商人や農民よりも高い水準の信を要求されると考えた。「武士の一言」 ― サムライの言葉、あるいはドイツ語でいう「リッターボルト(騎士の言葉)」と全く同じ意味 ― は、その言葉が真実であることの十分な保証であった。
 武士の言葉には重みがあり、その約束は一般に証文なしで結ばれ、かつ履行された。証文などを書くことは、武士の威厳にもとることだと考えられたからだろう。「二言」、つまり二枚舌を死によって償った人びとについて、多くの恐ろしい物語が伝わっている。
(「現代語訳 武士道」p78)


武士は、卑怯なことを嫌い、金銭のために、自分の志を曲げることもしない。
幼い頃からそれは教育され、みだりに刀を抜かない。
水戸黄門などという番組はただの娯楽であり、あんなに刀を抜くことはなかったのである。
以前、明治維新の長州勢力のやったことを書いたが、あれは、日本人として、恥ずべき行為である(「明治維新に騙されるな!」参照)。
「武士道」のかけらもない。

「こんな理不尽なことがあるのか。許せない!」と思う任侠的な心があれば、それは武士道の名残なのである。
そして、その精神は、同時代、つまり、サムライの時代の士農工商の末端まで及んでいたのである。

次にぜひ紹介したいのが、男と女のこと。
今の若い人たちは、自分の奥さんのことを褒めちぎっているかもしれないが、私の親の年代は、奥さんのことを蔑称で呼んだり、けなしたりした。
しかし、これは、武士道に起因することだったのである。
「自分を褒める」という行為を、普通の日本人はしない。
夫婦は一体である、という考えから、細君を褒めることもしないのである。
これを表している文章を、再び引く。

 私は、一知半解の外国人の間に皮相な見解が広まっていることに気づいている。― 日本人は自分の妻を「荊妻」などと呼んでいるから、妻は軽蔑され尊敬されていない、というのである。しかし、「愚父」「豚児」「拙者」などの言葉が日常使われているのを告げれば、それで答えは十分明らかなのではないだろうか。
 日本人の結婚観は、ある意味においてはいわゆるキリスト教徒のそれよりも進んでいると私には思われる。「男と女は一体となるべし」(『創世記』)。だが、アングロ・サクソンの個人主義は、夫と妻とは別々の人格であるという観念を脱することができない。したがって彼らが争う時は、それぞれの権利が認められるし、仲良くなればあらゆる種類の馬鹿馬鹿しい愛称や無意味な甘い言葉を交わす。
 夫や妻が第三者に自分の半身のことを ― 善い半身か悪い半身かは別として ― 美しいとか、聡明だとか、親切だとか何だとか言うのは、日本人の耳にはたいへん不合理に響く。自分自身のことを、「聡明な私」とか「私のすてきな性質」だとか言うのは、趣味のいいことだろうか。
 私たちは、自分の妻をほめるのは自分自身の一部をほめるのだと考える。そして日本人の間では、自賛は控えめに述べた場合でも悪趣味だとみなされている。― そしてキリスト教国民の間でもそうなってほしいと願っている!自分の妻をけなして呼ぶことは礼儀にかなっており、武士の間では通常よく行われた習慣だった。
(前掲書p163)

そして、本当は、日本人の夫婦は、仲良しなのだ(笑)。

 父親が息子を抱くと威厳を損なうとされ、夫は妻にキスをしない習慣だった。― 家の中ではしたかもしれないが、人前ではしなかった。ウィットのある青年が言った、「アメリカ人の夫は妻と他人の前でキスをし、私室では殴る。日本人の夫は妻を人前で殴り、私室ではキスをする」という言葉には、いくぶんかの真理があるだろう。
(前掲書p117)


新渡戸稲造の「BUSHIDO The soul of japan」は、明治32年にアメリカで出版され、日本では翌年出版された。これは世界的なベストセラーとなったようだ。
できれば、これくらいの本は、みんな読むべきだ。
私たちの心にあるものが、説明されている。

5000円札に新渡戸稲造が印刷されている理由が、ここにあるのかもしれない。
造幣局のデザイナーは、粋な計らいをしていると思う。
posted by T.Sasaki at 16:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

鷲崎で良い空気を満喫

こんにちは。

秋田から出港し、一応針を下ろしたが、2時間操業で、たったの5尾。
これはダメだ、ということで、ゆっくりと佐渡島の鷲崎へ。
そこで、一杯やって一晩ぐっすりと眠り、凪待ち。
何もないところと聞いてはいたが、港にあるのは、ジュースの自動販売機のみ。
非常に静かでいいところ。
こういうところで本を読むのは幸せ。

朝起きて、Google mapを開き、旅館を探し、電話で風呂を注文。
「シャワーだけなら、OKです」というありがたい返事をもらい、さっそく行ってきた。
坂を上がって少し弾埼のほうへ歩くと、寂れた旅館があり、シャワーだけのはずが、ちゃんと浴槽にもお湯を入れてあった。
お金を払おうとしたら、「要りませんよ」というが、「タダというのは良くないですよ」と1000円置いてきた。

鷲崎.JPG

これが、旅館の前で撮った鷲崎の風景である。
半農半漁の生活なのだろうか。
「GDP4%の日本農業は自動車産業を超える」では、農家の規模について記述があったが、このような超過疎地では、半農という生活は、しかたがないと思う。
いくら日本農業のためといっても、全否定は良くない、と思い知らされた。

お昼ごろ、風も凪ぎたので、それから出港。
なかなか、いかの反応を見つけられず、それでも4時ごろから上がり始め、夜の集魚灯点灯操業は、今年初めて100個超え。

良かった。安心した。

今年の電気いかは、やってみても20個か30個しか獲れず、電気設備が悪いのか、といつも首を傾げていた。
しかし、ちゃんと獲れたのをみると、自分の位置取りが悪かっただけだったのだ。
とにかく安心した。
再び、新潟へ入港。
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2017年06月30日

医者を選べ!

再び。

新潟にいた時、「新 治る医療、殺される医療」「がん治療のウソ」の2冊を読んだ。
前者は、小野寺時夫さん単独の著作であり、後者は、近藤誠さんと小野寺時夫さんの共著である。

小野寺時夫さんは岩手出身であり、すでにかなり高齢な方だ。
昭和5年生まれというから、80代ということになる。
「新 治る医療、殺される医療」は2001年に出版されていて、「がん治療のウソ」は、比較的最近の2014年である。
この間、変わったのは、診療報酬の改定のみかもしれない。
友だちの医療関係者に聞いたら、昔の出来高払い制度が、少し良くなったらしい。
出来高払い制度というのは、患者を薬漬けにし、検査をたくさんやれば、医者がたくさん儲かる仕組みのことをいう。

「新 治る医療、殺される医療」では、医者をすべて善人と思うな、と警告している。
普通の一般人と同じように、ちゃんとした医者もいれば、ダメ医者もいる。
私が思うに、その中間がいないのではないか。
良い医者、良い病院ほど、儲からない。
それは、患者に対する無駄な投薬や検査、手術をしないからである。
一方、ダメ医者というのは、まず、腕は悪いか、勉強不足で知識がないか、カネ儲けのために上記の行為を過剰にするか、どれかである。
なぜ、そんなことになったのか、という最大の原因は、無能な厚生労働省と圧力団体と化した日本医師会、それにぶら下がる製薬業界、献金を受ける政治団体、これらすべてである。

もう一つ、重要な原因がある。
「お医者さま」と言って、すべての医者を信じすぎる私たち日本人である。
私たちは、大事な自分の体を診てもらうのだから、医者や病院を選ぶのは当たり前の話なのだ。
しかし、実際の日本人は違う。
医者や病院を選ぶ判断は、せいぜい口コミ程度の評判だろう。
欧米、特にアメリカでは、患者が医者を選ぶための、過去の情報、というのが、開示されているのだという。
だから、欧米では、ダメ医者は、淘汰されるらしい。
日本の場合、そういう情報が記録開示されないから、患者が医者を選ぶこともできず、ダメ医者は淘汰されない。
しかたがないといえばしかたがないが、良い医者とダメ医者と見分けるスキルを、私たちが身につけなければならない。

米倉涼子主演の「トクターX」を以前取り上げたが、あれは、媚を売る人間を嫌っているドラマである(「ドクターXの人気の理由 (私の嫌いな人 4)」参照)。
みんな、あのような外科医は存在しない、と認識しているとは思うが、一応、現実を引用しておく。

 特に外科領域では、治療法の進歩につれて専門知識に加えて特殊技術と慣れを必要とすることが多くなり、今日では、大病院の外科の部・科長であろうと大学教授であろうと、消化器、肺、乳腺、甲状腺、血管などの全ての手術技能が優れているなどということはあり得ない時代である。それどころか、消化器の外科に限っても、食道がん、肝臓がん、膵臓がん、直腸がんの全ての手術が一流だという外科医は一人もいないと言ってよい。これは、消化器外科に限ったことではなく、たとえば整形外科医でも、膝の関節の内視鏡手術も脊椎関連の手術も人工関節の置換手術も皆一流などという人はいないのである。名医の評判の高い眼科医でも、白内障の手術も斜視も糖尿病網膜症の手術も皆上手だなどということはない時代になったのである。
(「新 治る医療、殺される医療」p103)


「がん治療のウソ」という本によると、各臓器のがんは、それぞれに合った治療というのが存在し、手術や抗がん剤、放射線治療などが選択される。
手術がすべてのがんに効くとか、抗がん剤がすべてのがんに効く、というのは間違いである。
効かない抗がん剤をいつまでも使い、患者を副作用で苦しめる医者は、金儲けしか頭のないダメ医者である。

粒子線治療(陽子線、重粒子線)という新しいがん治療は無駄であり、その設備には、数十億円から百億円もかかるという。
これには、電気をいっぱい使ってもらいたい電力会社の思惑もあるそうだ。
患者はこの治療に数百万円を支払うことになり、したがって、そんな治療を受けることのできる患者は限られている。
この設備はすでに日本全国に7ヶ所もあり、その他、建設中計画中の設備が4ヵ所もあるそうだ。
これを認可するお役所は、「頭おかしいんじゃないの?」を言われてもしかたがないだろう。

粒子線治療より絶対的に安価な放射線治療は技術革新された。
この部分を少し引用する。

 従来のX線治療も飛躍的に向上している。放射線治療装置・リニアックの技術革新により、「IMRT(強度変調放射線療法)」が登場する。コンピュータで制御しながら、がんの大きさや形状に合わせて放射線の強度を調節できるようになった。また、複数の方向からがん病巣に放射線を集中する技術「定位放射線照射」も開発され、周辺の臓器など正常組織への影響も少なくなった。
 このためX線に比してメリットとされた粒子線の特性が著しく減退したのである。
(「がん治療のウソ」p156)


この本には、高濃度ビタミンC点滴療法を題材にした記事がある。
結論は、効果がわからない、というもの。
これを書いた石川れい子さんは、断糖療法との組み合わせに関しても、調べてほしかった。
高濃度ビタミンC点滴療法は、断糖しなければ、意味がないのである。

http://platinum-room.seesaa.net/article/415389574.html

この2冊の発行には、10年以上のタイムラグがある。
しかし、ダメ医者の存在比率は、本を読む限り、変わっていないのではないだろうか。
posted by T.Sasaki at 17:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

秋田に入る

こんにちは。

数日前から秋田にいる。
新潟で1日皆無の日があり、さらに、その翌日の朝、気分悪いことがあり、新潟を去ることを決意。
秋田沖に来てみたはいいが、船だけはたくさんいるが漁はパッとしない。
漁がパッとしないから、船も解散状態。
休み明けに、どうなることやら。
これは、飛島を北側から写したもの。

飛島.JPG

もし、ダメなら、また移動することになる。
選択肢として、3つある。
北海道積丹半島に向けるか、八戸に向けるか、新潟に戻るか。
このうち、積丹半島案は、船がたくさんいるとのことで却下。
八戸沖は一昨日あたりから気配を見せてきている。
今日でトロールが切り上げだから、漁は上向くと予想される。
漁が出たら、すぐに行くことになるが、それがいつになるか。
新潟沖は、船も少なくなり操業しやすく、漁も復活したようだ。
しかし、漁場が遠くて嫌になる。

今日は休日。
バカは高いところが好きだから、さっそく、港にあるポートタワー展望室へ。
新潟のホテル日航展望室(140m)よりは低く、100mだそうだ。

ポートタワー.JPG

海岸線に沿って風力発電設備がある。

秋田港.JPG

このでかい船は、昼夜クレーンが稼動している。
交代勤務の操業だろう。
30年前に入港した時には、風力発電はなかった。
ポートタワーもあったかどうか、記憶にない。

http://www.selion-akita.com/
posted by T.Sasaki at 17:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする