日本の漁業が崩壊する本当の理由 片野歩

世界中で魚類資源が増えているのに、日本だけが減っている。
この現実を、恥ずかしいと思うべきである。

日本の漁業が崩壊する本当の理由.jpg

すべての漁協組合長、理事、参事、そして、任意の漁業団体の会長以下すべての役員たちは、この本を読むべきだ。
読みたくないならば、「日本の漁師は大バカものだ」を参照すること。
これを認識できないならば、役職に就く資格はない!

2018年04月13日

技能資格は若いうちに

さらに、再び。

今回の技能講習会は、宮古でも来月行われる予定である。
私は、すでに日本海へ行く準備がほぼできており、来月初めには、回航するつもりでいる。
したがって、4月に行われる釜石での講習会に応募した。
20名の参加で、一番遠いのは私であり、2番目に高齢であった。
最高齢は73歳であり、ほかは、20代から30代の若者。
実技講習となると、成長の差は歴然とし、若い人たちは飲み込みが早い。
基本は安全第一なのであるが、やはり、それを仕事とするからには、速く作業しなくてはならない。
一人、とんでもなく速い人がいて、正確。
常に百点満点に近い。
大槌の人であり、技能やほかのこともいろいろと教えてもらった。
社会のことにもいろいろと関心があり、仕事の失敗談も話すくらいの人であったから、人間的にも、よく見えた。

何となくではあるが、私は、非常に恵まれたと思っている。
同じグループの若い人たちも、普通によくしてくれたし、指導教官たちも温厚な人たちであった。
特に、私たちのグループを受け持った指導教官は、いろいろと教えてくれた。

彼は72歳であるが、何と!老眼ではないのだそうだ!
現在でも、1.5の視力を持ち、裸眼で新聞も読める。
「何を食べたらそうなるんですか?」と聞いたが、特別なのは食べていないそうだ。
朝食がパンだから、それにブルーベリージャムをつけていて、「もしかしたら、それかも」と答えていた。
私は、メガネを掛けているが、老眼の進行が著しく、新聞や本は、メガネをはずさないと見えない。
老眼にならないためには、ブルベリーを食べるのがいいかもしれない。

この通り老眼のせいで、学科講習では、ひどい目に遭った。
黒板に書かれるのは、メガネを掛けなければならないし、教科書を見るときは、メガネを外す。
非常に忙しい。
面倒なので、頭にメガネを載せたままにし、それを忘れて、メガネを一生懸命探したりした(家でもよくある。父などは、「お前、大丈夫か?」とバカにする。自分の顔の上にあるのだから、そう言われてもしかたがない)。
独学で取れる資格なら、本だけでよいが、そうでない資格は、若いうちに取るべきだ。
技能講習を受けないと取れない資格は、たくさんある。
そのように法律で決められている。
特に、職業訓練校でやるような技能講習は、そういうものらしい。

温厚な指導教官は、訓練校に「3ヶ月コース」というのがあるのを教えてくれた。
もちろん、私にはそんな時間はないから、無理であるが、「3ヶ月コース」だと、パソコンから建設機械に至るまでの主な技能資格を取れるそうだ。
失業保険金を給付されている人には、最高のコースであり、補助も出るらしい。

本当に、若いうちに取れる資格は取ったほうがいい。
年を取ると、技能の呑み込みが悪くて面白くない。
高齢になればなるほど、成績は、年の順番である。
学科では、本の内容も面白くないから、独学などする気にもなれない。
先生の話を必至に聞くのみである(ただし、ほぼ先生の話で合格点はとれる)。
posted by T.Sasaki at 21:44| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

観光ドライブ?

再び。

暇なので、この機会に、資格講習会に参加。
2ヶ月丸々船を休めるのは、漁運丸始まって以来かも?
ということで、釜石に4日間も往復することに。

フォークリフト講習会.JPG

ついでに、観光も。
釜石大観音。

観音様後姿.JPG

水産技術センターには、何と!岩手大学が。

岩手大学?.JPG

近所には、岩手県の船、北上丸がいて、JRC製サテライトコンパスが二つもある。
面倒を見てもらっている無線屋さんに聞いたら、ジャイロコンパスを積んでいないから、予備が必要で、それがないと、船として許可が下りないのだそうだ。
沿岸海域にしかいない船に、そんな予備が必要なのか疑問に思う。
一級小型船舶操縦士でさえ、沿岸海域なら、レーダーがあれば、それだけで帰れるのに、県職員は、アホが揃っているのか、と言いたくなる。
いや、そうではなく、無線機メーカーと船の検査機構が結託して、税金を食い物にしているのではないか。
震災関連や省エネ関連の補助事業は、すべて、その匂いがする。

北上丸マスト.JPG

岩手丸のスタンには、オッターボードがあった。
オッターと使わなければならないほど、三陸沖には魚がいなくなったのか。
4日間、ぜんぜん動いていない。
役に立っているのか役に立っていないのか、わからないような調査船事業である。
耳が痛いかもしれないが、特に、鮭延縄調査に関しては、最悪であった。
また、昼いか調査というのもやっていたが、あまりにお粗末である。
プロの人たちに参考意見を聞いたこともあるのかどうか、私は知らない。聞いたこともない。
現役のプロたちと、もっと積極的な意見交換があっていいと思う。

岩手丸スタン.JPG

最後に、これが、私を捕まえた岩鷲。
その辺を歩いていたら、取調べをしていた恐いお兄さんが出てきた(笑)。

岩鷲.JPG
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玄米の時代

こんばんは。

このブログのどこかで、米、という炭水化物は、良い食品とは言えないようなことを書いてきた。
米農家には悪いが、これは真実だと思う。
私は、一応、肉体労働の端くれに位置する職業についているから、少々、米を食ってもよいのだが、ホワイトカラーの職業の人たちは、意識して、米などの炭水化物を減らすようにしたほうがいいと思っていたが、それは、ほぼ確信に変わっている。

年齢を重ねれば、痩せている人でも、お腹のあたりに肉が付いてくる。
しかし、私は、太らなくなった。
ご飯の量を減らしたからである。
50歳前までは、平気で、ご飯を茶碗で2杯食べていた。
しかし、今では、1杯の8分目くらい、つまり、0.8杯。
その代わり、おかずを余計に作って、それを食べるようにしている。
糖質オフのたんぱく質主義である。
この結果、仕事量が多いと痩せるし、少ないと太る。
実験的にこのことがわかったから、仕事量が多いときは、ご飯以外の糖質(例えば牛乳とか、果物とか、腹が減ったときはお菓子でもいいと思う)を余計に取り、仕事量の少ないときは、もっとご飯を減らし、腹の足しになるような糖質以外のものを食べる。
おかげで、体重は、せいぜい1kg前後の変動のみになった。

夕方、昨年の岩手県産米が、すべて、特A落ちした、というニュースをやっていた。
そこで、他の県では、どんなことをやっているのか、尋ねたりしている、と。

私は、ここで、あえて、岩手県の取り組みに異議を唱える。
美味しい、という米は、体に毒だから。

https://toyokeizai.net/articles/-/215982(「東洋経済オンライン」)

これを読むならば、白米より玄米、ということである。
私のような素人では、美味しい白米=美味しい玄米、であるのかどうかわからないが、美味しい玄米の栽培や売り込みをやったほうが、世のため人のためになると思うのだが。

米農家の人たちは、上記のリンクを読んで、どう思うのか。
posted by T.Sasaki at 20:31| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月06日

鮭を獲らせろ、の裁判について

こんばんは。

先日、「鮭を刺網で獲らせろ!」裁判があり、訴えた側は負けて控訴したようだ。

https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201803/20180324_33045.html
https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201804/20180406_33022.html(「河北新報オンラインニュース」)
(今朝の岩手日報にも記事があったが、Web版にはない)

私は、「海はだれのものか」を読んでからというもの、漁民組合側は負けると思った。
「漁を解禁すると多くの漁業者が参入し、漁獲量の調整が困難になる」という裁判長の判断は正しい。
漁業法で定められている権利が、慣習に基づいているのは、漁業調整が困難になるからである。
誰もが、“平等に”鮭を獲る権利があるのなら、誰がどうやってその資源分配や漁法の設定などをやるのか、非常に難しくなる。
まき網漁業だって、「苦しいから」獲りたい、といい始めるかもしれない。
誰だって苦しくなれば、そういう。
どうやって収拾をつけるのか、逆に質問されたら、漁民組合側は、何と答えるのだろう。
海の利用で、“平等”を盾に権利を主張するには、非常に無理があるから、漁業法では、慣習を大事にするのである。

すでに、小型船漁業では、延縄という漁法で数十年も鮭を獲っているから、これは権利となっている。
許可漁業といえども、それは広義の漁業権である。
もし、10月16日以降に、延縄漁業と刺網漁業が平行して操業することになる場合、刺網漁業者は、少なくとも、実績のあるすべての延縄漁業者からの同意をとる必要がある。
彼らは、脅すことがあっても、延縄漁業者から“了解”をとる努力をしたことがないのではないか。
もちろん、河川捕獲の事業者からも、すべての同意が必要であることは言うまでもない。
10月16日以前の刺網なら、さけ延縄漁業には影響ないから、あとは、河川捕獲の事業者との同意のみである。

しかし、である。
どこにでも昔はいたと思うのだが、鮭の刺網の密漁をやっていた人の話を聞くと、「そんなに甘くない」と言う。
定置網が大漁になるような時期でなければ、刺網にも、たくさんはかからないそうだ。
10月16日以前の許可なら、意味があるのかどうか、という話である。
商売にならないような刺網なら、ただの資源減少の道具でしかない。

岩手日報紙では、「サケの乱」という特集記事を掲載している。

https://www.iwate-np.co.jp/page/sake(「岩手日報」)

第4部「4億匹を問う」というシリーズでは、現在のふ化放流事業のあり方を論じていて、ただ単に、この事業をやっていればいい、というものではないことがわかる。
この舵とりは非常に難しいと思う。

第4部の「がんじがらめ」という記事に、補助金支出で増殖事業を行っているのだから、「鮭を刺網で獲らせろ!」という裁判をやっていることが書かれてある。

https://www.iwate-np.co.jp/page/sake/page-6188(「岩手日報」)

それならば、ふ化放流事業(増殖事業という言葉を使われているが、実際には単なるふ化放流の継続事業にすぎない)に税金を一切使うな、と訴えるべきである。
記事にあるとおり、現在、この事業は曲がりかどに来ている。
もし、本当に税負担と社会的影響を考えてのことならば、そうするべきである。
簡単なことだ。
補助金がなくなったなら、各漁協でふ化場の運営経費と鮭の漁獲収入とを考え、撤退する漁協も出てくるだろう。
このほうが、スッキリしてわかりやすい。

漁民組合の主張で、青森県や宮城県では、鮭を刺網で獲っている、とはいうが、聞いてみると、青森県では、共同漁業権海域のみで、沖合では禁止。
宮城県でも、10トン未満のみの許可であり、近年の不漁で、商売になっているのかどうかわからない状態らしい。
何度も書くが、商売にならないのなら、刺網は、ただの資源減少の道具でしかない。

漁業権について」で取り上げた「海はだれのものか」の同じ引用を引く。

 判決が「慣習に基づく権利」を否定した背景には、司法界に、行政に反する判決を出さない傾向がきわめて強いことに加え、「慣習に基づく権利」を認めようとしない風潮があるように思われる。
 しかし、慣習法は、いいかえれば、司法や行政に依存せずに地域社会を運営するための規範であり、成文法ではカバーし得ないさまざまな事項についての「住民の知恵の結晶」ともいうべきものである。慣習法に基づいて地域社会が運営されるということは、いいかえれば、慣習法によって住民自治が成り立つということである。近年、地方分権が盛んに叫ばれているが、慣習法は、地方分権どころか、住民自治を実現するのである。
 また、慣習法を熟知しているのは地域住民であり、地域に住んでいない裁判官や学者ではない。慣習法の存否が当該慣習法を全く知らない裁判官によって判断され、慣習法を熟知している地域住民がその判断に従わざるを得ないというのは、実はおかしな話なのである。
(前掲書p178)


ここに「行政に反する判決を出さない傾向がきわめて強い」とあるが、行政裁判は、一般にやるだけ無駄である、とされる。
今回の場合、鮭の刺網に、過去の「慣習」も何もないのだから、どうやっても勝ち目はない。

彼らは、担当弁護士に騙されたのではないか、と思う。
担当弁護士は、漁業法がどういう法律なのか、勉強したのであろうか。
まだ裁判長のほうが勉強している、といわざるを得ない。

「鮭を刺網で獲らせろ!」と言い始めたのは、魚類資源が減少し、漁船経営が悪くなったからであり、もし、沿岸漁業が栄えていたなら、誰もこんな裁判を起こさなかっただろう。
もちろん、私には、“裁判で訴える”などという度胸はない。
その点は、「すごいことやるものだなあ」と思ったりしたが、こんな元気があるならば、2そう曳きトロールを、法律違反として告発したほうがずっと正義だし、やりがいがある。

あ〜、その情熱がもったいない。
県や各組合の組合長を敵に回してまでやるような裁判ではなかった。
posted by T.Sasaki at 20:43| Comment(4) | 漁業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月30日

日本語は万能?

再び。

このブログ、というか、私の書く文章、あるいは、日常での私の説明は、わかりやすいのではないか、と思う。
これは、乱読の賜物だと思っている。
わかりやすくする、というのは、ある意味、翻訳的なことである。
例えば、先日の「海はだれのものか」という本を初めて読む人は、理解できない人が多いかもしれない。
それを簡単に説明するのが、私のやったことであり、いわば翻訳的作業。

日本語だから、これができるのだそうだ。

と書いたら、「え?外国語はできないの?}という疑問を持つと思うが、答えは、イエス。
英語などを母語とする場合は問題ないが、この東アジア、東南アジアの国は、非常に困難なのだそうだ。
引用する。

 先ほども申し上げました通り、東アジアの旧辺境国(韓国やベトナム)は彼らのハイブリッド文字を棄てました。フィリピンは二重言語国ですが、知的職業の公用語は英語です。母語は生活言語として残っていますが、それで例えば国際政治や哲学を論じることはできない。そのための語彙が彼らの母語には存在しないからです。ですから、英語のできないフィリピン人は知的職業に就くことができない。他の旧植民地国はどこも同じ事情です。韓国でもベトナムでも母語しかできない人にはしだいに大学のポストがなくなりつつあります。その中で、日本だけが例外的に、土着語だけしか使用できない人間でも大学教授になれ、政治家になれ、官僚になれます。これは世界的にはきわめて例外的なことなのです。
(「日本辺境論」p239)


私たちにとって、日本語は日常であるから何も感じないが、非常に特殊な言語であるらしい。
全部説明するのはあまりに長くなるのでやらないが、日本語には、かな(仮名)とまな(真名)がある。
まなとは漢字のことである。
後から入ってきた漢字が「真名」であり、従来からあった音声言葉であるかなを「仮名」と表現することで、「日本辺境論」の著者である内田樹さんは、言語においても、日本人は、辺境人の受動的性格を示している、という。
ここで再び引用。

 土着の言語=仮名=女性語は当然「本音」を表現します。生な感情や、むき出しの生活実感はこのコロキアルな土着語でしか言い表すことができません。たしかに、漢文で記された外来語=真名=男性語は存在します。けれども、それは生活言語ではない。それを以ってしては身体実感や情動や官能や喜怒哀楽を適切に表すことができない。
 漢詩という文学形式がありますけれど、残念ながら、漢詩は限定的な素材しか扱うことができません。庶人の生活実感や官能は漢詩の管轄外です。
(前掲書p236)


つまり、事務的な学術的な作業は、男性的な真名の役割であり、日常は、女性的な仮名の役割である、というような使い方をされていた。
それを変えたのが、紀貫之。
「をとこ」の作業を、「をんな」言葉で書いてみた。
紀貫之「土佐日記」であり、日本で最初の、翻訳的表現の作業であった。

それが日本語の正しいとは言わないまでも、もっとも効率的な運用法になった。とりあえず、そういう言葉づかいをしないと私たちの社会では言葉はうまく人に届かないということが確かめられた。
 現に、私がいま使っているのは紀貫之伝来の語法です。本書が論じているのは「地政学的辺境性が日本人思考と行動を規定している」という命題ですから、当然さまざまな学術用語や専門用語を駆使しなくては論じられない。けれども、私はそれをできるだけ具体的な生活言語を使って論じようとしています。学術論文の形式ではなく、大学のゼミや居酒屋での同僚とおしゃべりのときのしゃべり方と同じ語法で語ろうとしている。そうしないと「何を言ってるかわからない」からです。
(前掲書237)


実は、私がいろいろと学んだ副島隆彦先生こそ、この作業を一生懸命やってきた人だ。
彼は、難しいことを理解しやすいように本に書いてきた。
たまに癇癪を起こして、日本語を、欠陥言語だとか面倒くさい言語だとか言っていたような気がするが、この翻訳的な作業のことを言っていたのだと今さらながら気付いた。

そんな面倒くさい日本語は、それでも、一つで全部の学問を学ぶことができるのだから、役に立っていると言えるだろう。



ここからは、余談になるが、日本語は、マンガを読むには、非常に効率のよい言語なのだそうだ。
それは、脳の構造と関わりがある。
漢字は表意文字であり、かなは表音文字。
表意文字とは、すなわち、図形であり、視覚的に脳で処理され、表音文字のほうは、音声的に脳で処理される。
脳の中では、日本語を使っている限り、これを同時に処理している。
したがって、マンガを読む場合、視覚的処理と音声的処理が、もっと簡単に行われることになる。
通常でさえ、同時処理をやっている日本人にとって、マンガは非常に慣れたもの。
したがって、マンガ読書では、日本人は世界一である。

この性質は、失読症(ディスレクシア)にも影響している。
失読症は、俳優のトム・クルーズが有名であるが、欧米語圏での失読症は、単に、文字を読めない。
しかし、日本の場合の失読症は、漢字が読めない場合とかなが読めない場合の二種類ある。
日本語は、本当に特殊だったのである。

今日、引いた「日本辺境論」は9年前の著作であるが、中古本で手に入れたにもかかわらず、すでに33刷目である。
日本人論として、ベストセラーであるが、それでも、けっこう難しい。
第3章の「機」の思想は、難しい。
何なのか、さっぱりわからない。
そこを除けば、良い本である。
posted by T.Sasaki at 21:01| Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

貴乃花、のこった

こんばんは。

貴乃花は、クビにならなかった。
しかし、よってたかって、言われたらしい。
まあ、しかたないか。

もし、貴乃花部屋でない力士が、モンゴル横綱連合に暴行を受けたなら、その部屋の親方は、警察に届けないで、相撲協会だけで解決したのだろうか。
そうであったなら、モンゴル横綱連合の問題は、こんなに大きくはならなかっただろう。

モンゴル横綱連合にとって、貴乃花が相撲協会に残ったことは、嫌なことかもしれない。
特に、白鵬はそうだろう。
顔や頭を叩いたり、エルボーなどの攻撃を、審判席からじっくり見られるのだから。
貴乃花を審判部に入れたのは、白鵬の傲慢防止のための、相撲協会の戦略か?

でも、あんないじめ体質を見せられると、そこまで頭の切れる人がいるとは思えない。
相撲協会のいじめ体質は、立川志らくさんが指摘している。

https://www.daily.co.jp/gossip/2018/03/30/0011116125.shtmlデイリースポーツ online
posted by T.Sasaki at 19:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月25日

相撲協会不信

再び。

先ほどの更新から、突然、相撲の話になって申し訳ないが、貴乃花が相撲協会で干されることになるらしい。

http://news.livedoor.com/article/detail/14479368/(「livedoor NEWS」)

そして、相撲界を追い出された貴闘力が、話した内容がこれ。

http://news.livedoor.com/article/detail/14481453/
http://news.livedoor.com/article/detail/14482198/

貴乃花は頭が良さそうだが、実は頑固で不器用であるようだ。
それはそれで、完璧な人間でない、ということから、親近感がもてる。
この中に、「現役時代に貴乃花が対戦相手と口をきいているところなんて一度も見たことないですからね。」とあるあたりから想像すると、八百長というか、相撲では「注射」というらしいが、そういうことをしなかったのだろう。
一方、休場している大横綱の名前を冠した白鵬には、きな臭い話はたくさんある。
私には、いつも顔面を叩く横綱、というイメージしかなく、「叩かなければ勝てないの?」とついつい思うのだ。
今日、優勝した横綱は、「よけなければ勝てないの?」である(今日の高安の横綱に対する張り手は意味があると思う。あれは高安のいろいろな感情がこもっている)。
思えば、横綱で、「受けてから勝つ」という相撲をとっていたのは、貴乃花や武蔵丸が最後のような気がする

ということより、今回の話は、最初のリンクについてである。

貴乃花部屋の貴公俊と日馬富士の暴力を、同列に扱っている点がおかしい。
貴公俊の暴力は、非常にわかりやく単純だ。
私に言わせれば、かわいいとしか言いようがない。
一方、日馬富士のほうは、横綱3人が居て、本当のところ、何が真実なのか、さっぱりわからない。
陰湿な感じがしないでもない。

記事の中には、「複数の親方からは『師匠を剥奪して、部屋を閉鎖すべきだ』との過激な主張も飛び出している。
私は、発言した親方の名前を知りたい。
貴公俊の暴力の全容はわかっているが、日馬富士事件は、わかったのだろうか。
暴力事件の質が違う。
これを同列に扱い、「辞めさせる」というのでは話にならない。
相撲協会は、本当に自浄作用がないのではないか。

本当にみんなが知りたいのは、横綱3人がかかわった事件が何だったのか、ということである。
posted by T.Sasaki at 20:40| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「法令遵守」が日本を滅ぼす

こんばんは。

いさだ漁業が、史上最高の勢いで、水揚げが伸びている。
キロ単価が120円で、1日の水揚げが100万円!
これを10回やれば、簡単に1000万円!
乗組員の欠員を待っていても、この状態だときっと誰も休まない。

一方私は、超ひまな状態なので、読書したり、調べものをしたり。
今日は、「法令遵守」が日本を滅ぼす、という本を読んだ。
元東京地検特捜部、長崎地検次席検事を務めた郷原信郎さんの書いたもの。

題名をみると、「おや?法令を守ることが日本を滅ぼすのかよ」と思ってしまうのだが、読んでみて納得。
法令のほうが、世の中についていってない、というもので、経済活動にその弊害が及んでいる、と。
だから、法令の根っことなっている、基本的なことに目を向けよ、ということ。

 法令の背後には必ず何らかの社会的な要請があり、その要請を実現するために法令が定められているはずです。だからこそ、本来であれば企業や個人が法令を遵守することが、社会的要請に応えることにつながるのです。
 ところが、日本の場合、法令と社会的要請との間でしばしば乖離・ズレが生じます。ズレが生じているのに、企業が法令規則の方ばかり見て、その背後にどんな社会的要請があるかということを考えないで対応すると、法令は遵守しているけれども社会的要請には反しているということが生じるわけです。
(「『法令遵守』が日本を滅ぼす」p100)

大切なことは、細かい条文がどうなっているなどということを考える前に、人間としての常識にしたがって行動することです。そうすれば、社会的要請に応えることができるはずです。
(前掲書p103)


このことは、JR福知山線の脱線事故で、被害者の家族が肉親の安否確認を問い合わせたのに、対応した医療機関側は、個人情報保護法を盾に教えなかった、という例をあげて説明したものである。
医療機関側は個人情報保護法を守った、ということなのだが、実際には但し書きがあり、それまで認識していなかった。
しかし、認識の前に、「これは教えなければ・・・」という普通の人間の考えるところを守っていれば、こんなことは起きない。
そういうことなのだ。

パロマ事件というのがあって、これで最終的に21人が亡くなっている。
法令の穴(著者は隙間と表現している)があったため、経済産業省の商務情報政策局製品安全課、経済産業省の外局のガス安全課、液化石油ガス保安課、という3つの部署があっても、事件の原因が追求できなかった。
一方、パロマ工業製と特定されているにもかかわらず、パロマ側は、不誠実だった。
引用する。

 パロマ側は、民事、刑事の責任回避のための訴訟対応を行なうという「法令遵守的対応」をとり続け、それが、メーカーとして必要不可欠な事故再発防止のための社会的責任を果たすことを妨げてしまいました。監督官庁の側でも、複数の組織や部署に所管が分散していたために、事故情報が一元的に把握されていませんでした。その結果、危険を認識することができず、事故防止のための抜本的な対策はとられませんでした。
 ガス給湯器の一酸化炭素中毒事故という極めて身近な問題に関して、日本の法令は、国民の生命を守るという最低限の機能を果たすことができなかったのです。
(前掲書p93)


この本では、過去の事件を例にして、最初の2つの引用を結論とし、各組織のコンプライアンスの提案を行っている。
一般にコンプライアンスとは、「法令遵守」と訳されているが、著者は、「組織が社会的要請に適応すること」と定義しているから、法令は、社会的要請に応える道具、とでも解釈できる。
逆に考えれば、社会的要請に応えないような法令は、ゴミである。

ここまで書くと、前回の「法律を悪質に解釈している2そう曳きトロール」は、この本を読んでから自信をもって書いたのではないか、と勘ぐられそうだが、偶然の一致である。
書いてから、たまたま読んでしまったから、あえてこの本を紹介しただけである。

この本の書き出しは、少し難しくて、あまりパッとしたものではないが、読んでいるうちに、なかなかの構成であることがわかる。
戻って読みたくなるのだ。
「あとがき」もよい。
スッキリする。



最後に、談合について少し。
リニア談合で、4社が捜査を受けた。

https://www.huffingtonpost.jp/2018/03/23/linear-shinkansen_a_23394110/(「ハフポスト」)

こういう専門的な大型工事案件をできる業者は、限られていると思う。
したがって、過去の談合が普通だった時代、すなわち、高度成長期には、違法な談合システムが公然と行われていた。
それでも、「予定価格上限拘束」という縛りから、それほど極端な建設業界の利益というのはなく、ほぼ適正な形で公共建設事業は行われてきたという。
談合システムは、建設以外の公共調達でも行われてきた。
一方、独占禁止法は、談合を取り締まり、低価格でより品質のよいものを生み出すという自由競争を促す法律である。
しかし、何の制限のない自由競争は、いつも摩擦や問題を起こすものである。

競争は常に万能で、あらゆる場合に善かというと、そうではありません。競争がその機能を発揮するのは、取引の当事者に情報が十分に与えられ、自己の責任で判断できる場合です。つまり、競争だけでは解決できないような問題、競争を機能させることが必ずしも適切ではない状況があるのです。
(前掲書p37)


たとえば、公共事業で造った橋やトンネルなどの安全性は、自由競争で担保されるわけではない。
あまりに低価格で落札して工事を請け負ったはいいが、安全性をおろそかにしたものを造ってもらっては困るのだ。
安全性は確保できても、今度は、その低価格落札の影響が、労働賃金を削る方向へ進むかもしれない。
この辺をすべて、法律で規定できるか、というと、非常に難しくなるだろう。

建物の安全性では、耐震強度偽装事件も起きた。
私がよく行く新潟の港のすぐそばには、有名な姉歯物件がまだある。
事件は、姉歯一級建築士、イーホームズ、ヒューザー、木村建設、総研などが関わった。
建築基準法があるにはあるのだが、複雑な構造計算書などのチェック機能が働かない環境であり、実際には、「会社の信用と技術者の倫理が日本の建築物の安全性を支えてきた(前掲書p80)」のである。
しかし、ここで、談合を全面的に否定する独占禁止法の運用強化が、事件の背景となってしまった。

 最近では、機能しない建築基準法に代わって建物の安全性を支えてきた施工会社の信用と技術者倫理自体にも大きな問題が生じつつあります。1990年代後半の建築不況の中、企業間での価格競争の激化によって極端な安値受注が横行し、その結果、工事の質を落として採算を確保しようとする手抜き工事、粗漏工事が横行していると言われています。設計の段階で耐震基準を充たしていても、施工工事段階で強度不足の建物が建築される危険性が高くなっているのです。
(前掲書p82)


本当のところ、リニア談合はどうなのか?
安全性を捨ててしまうような落札より、少々の談合は認めてもいいような気がする。
独占禁止法の適用範囲を柔軟にするしかない。
再掲するが、最終的に著者の言うとおりにするしかなさそうだ。

大切なことは、細かい条文がどうなっているなどということを考える前に、人間としての常識にしたがって行動することです。そうすれば、社会的要請に応えることができるはずです。
(前掲書p103)
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2018年03月22日

法律を悪質に解釈している2そう曳きトロール

こんばんは。

雨で暇なので、今日も県庁の水産振興課に電話をし、「捕まった漁運丸です」と名乗り、それでもいろいろと教えてもらった。
岩手県のWebサイトには、「漁業取締対象」というページがあり、ここに各漁業の違反行為が列挙されている。
こういうページがあったんだなあ(取締船の電話番号まで書いてある)。

この中に、沖合底びき網漁業もある。
注目してほしいのは、「禁止漁具・漁法」である。
網口開口板の使用を禁止している。
そして、これを記載している法律は、というと、「指定漁業の許可及び取締り等に関する省令」である。
この第17条には、次のようにある。

指定漁業者は、別にこの省令で定める場合のほか、別表第二の上欄に掲げる指定漁業につき、それぞれ同表の下欄に掲げる操業の区域若しくは期間又は特定の区域若しくは期間における特定の漁具若しくは船舶を使用し若しくは特定の漁法によつてする操業若しくは特定の種類の水産動物の採捕に関する制限又は禁止の措置に違反して当該指定漁業を営んではならない。

法律の条文というのは、読むのが疲れる。
この中の別表第二に、各指定漁業の禁止事項が書かれている。
全条文の下にある。

沖合底びき網漁業の欄の、「三」に、網口開口板の使用は、禁止とある。
隣の宮城県は例外であり、北海道にもあるが、オッターライン禁止ラインというのが存在し、かけまわしより操業区域は沖合となっている。
なぜ、網口開口板の使用を禁止したのか?
おそらく、その理由は、資源保護上の観点からだと思う。
それ以外の理由は見当たらない。

岩手県は、「指定漁業の許可及び取締り等に関する省令」第17条から、もちろん網口開口板使用禁止である。
現在の2そう曳きトロールは、網口開口板を使用していない。
しかし、2そうで袖網の両側を曳くのだから、網口は閉じない。
実質は、網口開口板を使用しているのと同じであり、条文中の「網口開口板」という文字を使っていないというだけである。
法律の抜け道を利用しており、悪質と言える。。
さらに、網口開口板1そう曳きトロールよりも網口は広く、2そうで曳く馬力アップ版だから、悪質極まりない。

小型船の「鮭を刺網で獲らせろ」裁判の背景の一つには、大臣許可のトロールが鮭を網で獲っていることにもあると思う。
ここで、先ほどの「指定漁業の許可及び取締り等に関する省令」第93条を載せる。

法第六十五条第一項及び水産資源保護法第四条第一項の規定に基づき、赤道以北の太平洋の海域においては、総トン数十トン以上の動力漁船によりさけ又はますをとることを目的とする漁業(中型さけ・ます流し網漁業及び法第六十六条第一項の規定による小型さけ・ます流し網漁業を除く。)を営んではならないものとする。ただし、漁業権若しくは入漁権に基づいて営む場合又はさけ若しくはますをとることを目的とする漁業についての法第六十五条第一項若しくは第二項又は水産資源保護法第四条第一項若しくは第二項の規定に基づく都道府県規則の規定による都道府県知事の許可を受けて営む場合は、この限りでない。

これは以前、どこかで引用したことがあると思うが、トロールはもちろん10トン以上であり、獲ってはならんのだが、「さけ又はますをとることを目的とする漁業を営んではならない」と条文にあるから、混獲なら認める、ということになる。

しかし、だ。
「指定漁業の許可及び取締り等に関する省令」第17条の別表第二の、大中型まき網漁業の制限事項には、「七」として、次のように書いてある。

さけ又はますの採捕であつて大中型まき網漁業の操業に係るもの(総トン数十五トン以上の船舶を使用して行うものに限る。)は、太平洋の海域においては、禁止する。

同じ指定漁業でも、まき網漁業は禁止できて、なぜ、トロール漁業は禁止できないのであろうか。

かけまわしでは、本当のたまにしか鮭は入らないといわれるが、2そう曳きは、鮭をたくさん獲ってくる。
早期群は、水温の関係上、水面付近へ浮いてくることは少なく、海底を泳いでいるのだろう。
一度網に入れたら、その群れの行動を予測し、次回も鮭を狙って網を使うらしい。
そうやって、2そう曳きは鮭を狙う。
もし、完全に禁止だったら、鮭を狙うことはしないだろう。
その分、各河川へ鮭が帰る確率は高くなる。

法律で禁止するのが無理ならば、岩手県の増殖賦課金を、水揚げの50%以上掛けれるようにすれば、2そう曳きは鮭を狙わない。
いや、80%でもよい。
混獲ならば、こんなカネは要らないはずだ。
このカネをほしいというのならば、それは、「鮭を目的」としているのだから。

仮に間違って鮭が入ったとしても、食べるか、それとも捨てることになるかもしれない。
が、それはそれで、底魚の餌になるのだ。
何より、2そう曳きが鮭を狙わなくなるだけで、河川遡上は、いくぶん増えるのである。

法律から、いろいろぐちゃぐちゃ書いたが、結論はこうだ。

2そう曳きトロールは、法律条文を、悪質に解釈した漁業なのである。

小型船の人たちは、ここを読んで納得したら、それを武器にして論陣をはってほしい。
私たちは、海のために、悪いことをしているのではないのだ。
posted by T.Sasaki at 20:57| Comment(0) | 漁業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月21日

漁業法の目指す未来

再び。

漁業は慣習が重要である、というのが、漁業権に対する理解からわかった。
しかし、目下の問題は、魚類資源の減少である。
漁業調整の基本法である漁業法は、ここで何を目指したらいいのか。

くどいようだが、漁業法第1条には、「漁業生産力を発展させ」という目的が書かれてある。
「漁業生産力を発展させる」とは、どういうことか。

世界有数の漁場である三陸沖をはじめ、日本の海に魚があふれていた時代、「漁業生産力の発展」は、よりよい漁法の開発、よりよい漁具の開発、よりよい探知計器類の開発であり、それにより、漁業効率が良くなり、確かに生産力は発展した。
しかし、生産力だけを向上させ、効率のよい漁業の制限をあまりしなかったために、魚類資源は非常に減少したのだ。

今後の「漁業生産力の発展」とは、何を指すのか。
それは、魚類資源を増大させる取り組みではないだろうか。
魚が多くならなければ、漁業生産力は発展しない。
したがって、効率のよい漁業には、大きな制限が必要になるのは言うまでもない。
「岩手県漁業調整規則」の第1条には、「漁業法」と並んで、制限法律である「水産資源保護法」というのが書かれているが、実際には機能しているとは言えない。

大型まき網漁業は、とんでもなく優秀な探知能力のある高価な魚探類を装備し、手加減しないならば、沿岸域にある魚類は、ほぼ取り尽くしてしまうだろう。
今や、彼らはそれを自覚しているのではないか(と思うが・・・)。
漁法自体、その気になれば、生きたまま放流できるのだから、厳しく資源管理“できる”漁業である。

沖合底曳網(トロール)漁業は、網を引き揚げた時点で、ほぼ網の中の魚は、瀕死の状態である。
小さい魚を放流する、などということはできない。
放流しても、海鳥の餌となるだけである。
したがって、まき網漁業のように、資源管理“できる”漁業ではないから、制限を厳しくすべきである。

岩手沖合を操業している2そう曳きトロールは、史上最悪の漁法である。
開口板トロールの馬力アップ版と理解してよい。
概念図は、全国底曳網漁業連合会のWebサイトでリンクしてある。

http://www.zensokoren.or.jp/trawl/trawl_fisheries.html(「一般社団法人全国底曳網漁業連合」)

トロールの3つの漁法のうち、船頭の腕前がわかるのは、かけまわし、である。
かけまわしは、網を入れる位置の正確性が問われる。
開口板と2そう曳きは、そんなものは要らない。
かけまわしに比べれば、極端に言うと、バカでもできる。
魚のいる場所を経験的に覚え、魚の移動予測と季節変動を加味すれば、きっと優秀な船頭といわれるだろう。
ただそれだけのことだ。

ある船主が言っていたのが、バカでもできる漁業は、小型船では、かご漁業である。
「バカでもできる」と私が聞いたときは、「そうかなあ」と疑ったものだが、なるほど、他の漁業に比べれば、バカでもできる。
これは何を意味するか。

かご漁業は、場所に道具を設置すれば、あとは、ただの餌交換である。
燃油代や餌代を差し引いても、丸々赤字で帰ることはほとんどない。
だから、経営的に簡単な漁業であり、それゆえに、ただやっているだけでよい漁業の一つであろう。
このことから、ある船主は「バカでもできる」と表現したのだと思う。

では、なぜ、私は「商売にならない」と言って切り上げたのか。
それは、普通の賃金を乗組員に支払い、船の償却分や道具の償却分、その他を考えると赤字になるから。
この判断は、その船の大きさにもよるし、家族労賃を考えない船主なら赤字ではない。

震災前後に、ある会合で水産技術センターの人と話したのであるが、彼は、新規着業者には、かご漁業を勧めるのだという。
理由は「やりやすいから」ということだったが、これは「バカでもできる」と証明したようなものである。

「バカでもできる漁業」というのは、すなわち、経営的に楽な漁業である。
2そう曳きトロールも同じ構造であり、かけまわしのように、船頭の腕前をそれほど必要としないから、経営側とすれば、船頭を選ぶ必要もなく、経営は楽である。
したがって、両漁業とも、淘汰されにくいと言えるだろう。

一般的に、政府の補助でもない限り、魚の資源量の増減により、漁船は淘汰される。
腕前のない船頭は、淘汰されるのである。
漁船数が減少していけば、魚の資源量は増加する。
他の条件がなければ、魚の資源量と漁船数は比例し、魚の増減で、倒産と起業が繰り返される。

現在は、冷凍技術や流通の発達により、魚価が上がっているから、資源量が減少しても減額分をカバーしていると言っていいだろう。
これだと、もともと経営的にやりやすい漁業というのは、ますます淘汰されにくい。
2そう曳きトロールにしろ、かご漁業にしろ、倒産したという話は聞いたことがない。
したがって、これらの漁業では、制限を強くしないと、魚を獲り尽くしてしまう。
経営的に楽な漁業が苦しくなったら、いよいよ、本当に海に魚がいなくなった時である。
現状のままでは、未来は非常に暗い。

漁業法第1条に戻るが、目的を「漁業生産力の発展」としているから、魚類資源を増大させる取り組みが、絶対に必要となる。
私は、ブログ冒頭の「日本の漁業が崩壊する本当の理由」を読んでからというもの、「魚類資源減少について」というシリーズを書いてきた。
結論は、ずっと同じ漁業をやっているのではなく、旬の魚を目的として獲る工夫をする、ということだと思う。
漁がなくなっても、それを獲ろうとする努力は、無駄な努力であり、資源を減らすだけである。

「旬の魚を獲る」ということを優先し、効率のよい漁業ほど制限を強くするという漁業調整を行っていくことで、「漁業生産力の発展」が可能になるのである。
posted by T.Sasaki at 21:30| Comment(0) | 漁業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする