みなさん、こんばんは。
今日で、ペンキ塗りを終わりました。
明日は、休もうかどうか、悩んでいます。
雨天に休みたいのですが、何だか、ずっと晴れそう。
連休にどこかへ遊びに行っても、人ばっかりなので、それも嫌ですから、やっぱ、仕事しようかなあ。
さて、昨日の「
人間は、Hが大好きだ!」続きです。
人間の際限のない、Hしたがり性向は、しかたがないとして、過去、その悲劇は繰り返されました。
現在のような、避妊手段の少なかった時代、そして、過剰福祉のなかった時代には、子どもの間引きが行われました。
私の中学時代の社会科の教科書ですら、東北地方で、子どもの間引きが行われてた、という記述があったほどです。
飢饉で、できた子どもに見合った食べ物がなかったのでしょう。
子どもは、際限なく作ることができても、それに見合った資源がなければ話にならないのです。
この厳しい現実は、いくら人権や福祉を語ったところで、変えようがありません。
そして、この地球上のどこかでは、相も変わらず、同じことが起きています。
余談になりますが、キリスト教の、厳格なカトリックでは、避妊を禁止しています。
つまり、Hをすれば、子どもができてしまう確率が高い。
だから、カトリック信者には、子沢山な家庭が多いのだそうです。
カトリック教派は、Hを大好きな人間の性質を、どう考えているんでしょう?
みなさんは、「新世界秩序」という言葉を聞いたことがあると思います。
学校の教科書にもあったような、なかったような。
「世界人間牧場計画」、「人類家畜化計画」とも呼ばれている、この「新世界秩序」は、いったい、誰の、どの組織の計画なのか、ということを示す文章を、ここで引用します。
CFR(外交問題評議会)への初期の主要な資金提供者は、カーネギーとロックフェラー、この二つの財団である。特に後者の名前はここでしっかり記憶しておいてほしい。CFRはアメリカ政治に大きな影響力を持つようになった。1940年代初頭から大統領候補者は事実、全てその会員であった。
(「次の超大国は中国だとロックフェラーが決めた[技術・諜報]篇」p74)
1973年にズビグニュー・ブレジンスキーとデイヴィッド・ロックフェラーの2人を発起人として設立された「三極委員会」は、今も“金融業者団体のトップ”である。残念ながら、行政府(政権と閣僚)の地位は彼らの下である。この組織については、アントニー・C・サットントパトリック・M・ウッドの著書『ワシントンを支配する三極委員会で見事に描かれている。
(中略)
「三極委員会の陰の支配者はデイヴィド・ロックフェラーである。彼がこの組織の活動から利益を得る立場にあると結論づけても、早計でも偏見でもない」「忘れてならないのは、(中略)国際的な多国籍企業(デイビッド・ロックフェラーの)が、アメリカ政府を支配する権力組織を牛耳っているということだ。1976年に、アメリカ国民はジミー・カーターに投票し選出したと思っている。しかし、本当はデイヴィッド・ロックフェラーを選出したというのが事実である」
(前掲書p77)
このように誰が大統領かは関係なく、延々と同じ種類の人間たちがわたしたちを支配しているのだ。それはウォール街やニューヨークのオフィスにいる国際銀行家たちと巨大多国籍企業の経営者たちである。こうした人間たちは民主党員でも共和党員でもなく、まさしくCFR、三極委員会、ビルダーバーグの会員なのだ。
事実、1974年に開かれたビルダーバーグ会議には、出席した18名のアメリカ人のうち7名、すなわち39パーセントが、ロックフェラー一族かロックフェラー家の代理人たちであった。この手の組織を調べると、あることがわかる。それはCFRの元議長も、三極委員会の共同設立者も、大きな影響力を持つ組織ビルダーバーグでアメリカ人招待客の40パーセント近くを支配している人物も、全てデイヴィッド・ロックフェラーであるというころだ。
(前掲書p79)
現在の世界覇権国であるアメリカ合衆国の“王様”が、デイヴィッド・ロックフェラーであることは、これでわかると思います。
すなわち、世界の“王家”はロックフェラー家なのです(その前は、ロスチャイルド家であった)。
さて、Hを大好きな人間の性質とそれに対する食糧の問題を、最初に理論化し説明したのが、トマス・ロバート・マルサスです。
マルサスの影響を受けたのが、「
人間は、Hが大好きだ!」でも書いたように、チャールズ・ダーウィン。
そして、これがもっと進んで、「優生学」なる危険な学問が誕生します。
字のとおり、「優れたもの」を「生かす」学問。
ダーウィニズムは、飽くまで、「自然淘汰」「自然選択」による「適者生存」が原則ですが、「優生学」となると、これは、人為的に強制的に「適者生存」させかねません。
「遺伝学」はまだ良いのですが、その工学版「遺伝子工学」も、「優生学」と同様、権力によって、利用されると、強制的「適者生存」の道具になります(もしかしたら、遺伝子工学は優生学の下部学問なのかもしれない。優生学は、人種改良学とも呼ばれるくらいですから)。
このことは、「エコロジーという洗脳」という本の、関根和啓氏の論文に書いてあります。
彼は、「ナチコネクション アメリカの優生学とナチ優生思想」という本から、次の文章を引用し、ロックフェラー財団と優生学の関わりを示しています。
アメリカとドイツの緊密な関係を支えていたのは、ドイツの優生学研究を確立させようと企てたアメリカの財団の熱烈な資金援助だった。もっとも重要な後ろ盾は、ニューヨークのロックフェラー財団だった。
(「エコロジーという洗脳」p338)
そして、この考えは、「成長の限界」で有名なローマ・クラブにつながります。
再び引用。
1968年、地球上の人口の増加をいかにして抑制するかに関するローマ・クラブの研究があった。彼らのこの計画を“グローバル2000”と呼んでいた。出席者の中でも著名な人物の1人がアウレリオ・ペッチェイ博士で、ローマ・クラブの創設者だ。彼は人間の免疫システムを攻撃する病原菌を開発すべきだと言った。それだけではく、この病気に対抗するための治療薬も開発するよう提案した。同じ頃、ビルダーバーグ会議は“ヘイグ=キッシンジャー人口減少政策”に着手した。
(「次の超大国は中国だとロックフェラーが決めた[技術・諜報]篇」p223)
この思想が、エイズという生物兵器を生み、「
メモ 12」にあるように、WHOを使って、アフリカでばら撒いたわけです。
ゲイにエイズが蔓延したのも、計画的だった。
アフリカ人、そして、ゲイ。
なぜ、彼らが狙われたのか?
もう、みなさん、わかったと思います。
これが、優生思想です。
マルサスの憂慮した、人口と食糧の問題を解決するために、人口抑制と食糧増産のどちらでも、ロックフェラーは商売しているです。
人口抑制の一端は、戦争商売。
食糧増産は、「緑の革命」や「遺伝子組み換え」。
どう転んでも、儲かるようにできている。
そして、エイズの使い方も、なかなかのもの。
H大好きな人間の性質を利用して、政敵に(つまり「新世界秩序」に反対する者に)、エイズ感染者を近づけるわけだ。
前出、関根和啓氏は、デイヴィッド・ロックフェラーの「回顧録」という本から、次のような文章を引いています。
一族とわたしは、“国際主義者”であり、世界中の仲間たちとともに、より統合的でグローバルな政治経済構造を ― 言うならば、一つの世界 ― 構築しようとたくらんでいるという。もし、それが罪であるならば、わたしは有罪であり、それを誇りに思う。
(「エコロジーという洗脳」p333)
一方、健気なダーウィニズム学問(社会生物学。日本では動物行動学と呼ばれ、この学問自体は危険ではない)は、マルサスの憂慮に対し、何を主張したのか?
私の“先生”の一人と言える、竹内久美子氏は、自身の著書で、R・ドーキンスの次の記述を引用しています。
子をたくさん産みすぎる個体が不利をこうむるのは、個体群全体がそのために絶滅してしまうからではなく端的に彼らの子のうち生き残れるものの数が少ないからなのである。過剰な数の子供を産ませるのにあずかる遺伝子群は、これらをかかえた子供たちがほとんど成熟しえないため、次代に多数伝達されることがないというわけである。しかし、現代の文明人の間では、家族の大きさが、個々の親たちが調達しうる限られた諸資源によってはもはや制限されないという事態が生じている。ある夫婦が自分たちで養い切れる以上の子供を作ったとすると、国家、つまりその個体群のうち当の夫婦以外の部分が断固介入して、過剰な分の子供たちを健康に生存させようとするのである。物質的資源を一切持たぬ夫婦が、多数の子を女性の生理限界まで産み育てようとしても、実際のところこれを阻止する手段はないのだ。しかしそもそも福祉国家というものはきわめて不自然なしろものである。自然状態では、養い切れる数以上の子をかかえた親は孫をたくさん持つことができず、したがって彼らの遺伝子が将来の世代に引き継がれることはない。自然界には福祉国家など存在しないので、産子数に対して利他的な自制を加える必要などないのである。自制を知らぬ放縦をもたらす遺伝子は、すべてただちに罰を受ける。その遺伝子を内臓した子供たちは飢えてしまうからである。われわれ人間は、過剰な人数をかかえた家族の子供らを餓死するにまかせるような昔の利己的な流儀にたち帰りたいとは望まない。だからこそわれわれは、家族を経済的な自給自足単位とすることを廃止して、その代わりに国家を経済単位にしたのである。しかし、子供に対する生活保障の特権は決して濫用されるべきものではないのである」
(「そんなバカな!」p185)
これは、私のWebサイトでも引いている部分です(
http://www13.plala.or.jp/anchor/bangai-6-2.html)。
さて、「新世界秩序」を推進する側も、福祉に異議を唱える側も、人口抑制しようという態度には変わりはありませんが、その方法は、全く違います。
前者は、強制的かつ商売が伴う。
後者は、過剰福祉に異議を唱えるだけ。
私は、過剰人口を商売道具としか見ていない連中に、利用されたくはありません。
そして、大方の日本人も、たぶん、そうだと思います。
騙されないようにしなきゃ!
ではでは〜。