みなさん、こんばんは。
おととい、どこかの子どもたちと岸壁の広場でサッカーをやったら、その影響で、まだ筋肉痛が続いています。
仕事とスポーツの筋肉は、使うところが違うんですよね。
スポーツ的な行事に参加すると、いつもこうなります。
若い証拠!
自己満足でした(笑)。
グローバリストの非道な戦略に対抗する論理展開の続きです(「
人間牧場」Vs.「反過剰福祉」参照のこと)。
リバータリアニズムという政治思想を、日本に紹介した副島先生は、そのままリバータリアンです。
ところが、彼の学生時代は、みなさんと同じかもしれません。
ひとつは、私自身が、高校生時代ぐらいから、新左翼=過激派系の政治運動に魅かれ、長くその影響下にあったことである。
(「日本の秘密」p236)
その後、しばらくして、「現代アメリカ政治思想の大研究」という本を書き上げました。
この瞬間に、私たち凡人は、そして、日本の一般読書人は、世界のことを少しわかるようになりました。
このとき私は、アメリカの現代思想の各派を、日本語でコンパクトにまとめて、全体的に性格描写することで、自分が悩み苦しんで来た20年来の政治イデオロギイ遍歴からも解放されたのである。
(前掲書p239)
冒頭に書いたリバータリアニズムについても、どうせなので、先生の書いたものから引きます。
私自身は、既に、共和党内の一大勢力であるリバータリアニズムという民衆的保守思想に接近しつつある。リバータリアニズムLibertarianismは、「反過剰福祉、反官僚制、反税金、反国家、海外内に駐留している軍隊を国内に撤退させよ」論を唱える強固な、個人主義的、古典自由主義者たちである。リバータリアンは徹底して、経済法則(市場原理)重視である。国家が、個人の生活に要らぬおせっかいや干渉をすることを拒絶する。彼らは、現在のアメリカを支配し、民主党リベラル派を操っているグローバリスト(globalist 世界を管理・支配しつづけようとする人々)たちと闘っている。
(前掲書p246)
この文中にある「反過剰福祉」という言葉に、アレルギーを起こす人がたくさんいると思います。
この言葉を使うのは勇気がいるし、誰もが悩む問題です。
そして、先生も悩んでいる。
なぜ、人は健康であらねばならないのか。なぜ、病者はいつまでも、回復の見込みもないままに生きねばならないのか。なぜ、老人は長いせねばならないのか。なぜ、重度の身障者たちを延命させるのか。なぜ植物人間の生命維持装置をはずしてしまわないのか。なぜ、そんなにしてまで、未熟新生児を生かそうとするのか。
私は、あれこれ配慮して、用意周到にものごとを考える人間ではなくて、かなり率直に語る人間である。社会問題についても、ズケズケと言うしか、他にあまり取り柄のない人間なのだが、それでも、この「人命とはそんなに尊いものなのか」というテーマで、何かを言いきることは、今の今でも相当にためらいを覚える。やはり、人間の命は尊いものなのだろう。
ものごとを率直に語るとは、主題を言語的に抽象化し、ある問題の周辺部分の議論を除去して、中心部分をむきだしにすることである。言い換えれば、主題を極限までつきつめて考えることである。近代ヨーロッパで発達した、論理学や数学における微分(差別化)あるいは積分(思考統合)することである。このように何重にも前置きして、私は自分の言論が、生命軽視の危険な思想ではないのか、と誤解されることに対して予め予防線をはっておくことにする。
(前掲書p187)
「反過剰福祉」の結論は、やっぱり、日々を一生懸命生きろ、ってことになります。
家族(血縁者)の愛情のつづく限り、その病者の命を、我がことのごとくいとおしむ者がそばにつきそっている限り、その病者を延命させるがよい。家族の経済力その他が続くかぎり看護させてやるがよい。しかしそれ以上のことを、医療倫理、人命尊重、人間愛の普遍思想の名を借りて主張してはならない。そのことによる精神的・経済的重圧はすでに、制度としての、あるいは理念としての福祉が強制する限度を超えて十分に国民生活を圧迫しているのだ。今の日本国民は、福祉思想の奴隷になっているのだ。
すべての人は、自分の生活(生命)を思いきり楽しまなければならない。それは生きて在ることの喜びを真に尊ぶことであり、それが死者たちへのつくすべき礼儀である。そして自分の体にガタがきて用がなくなったと思ったら、静かに消滅しなければならない。犬猫鳥は死期をさとると姿を消す。生ける屍となって腐りながら、病床にしばりつけられる必要はない。ひとは、自分が生まれる時を選べないのであるから、せめて死ぬときだけは、仕方なく、かつきちんと、死んでゆかなければならないのである。
(前掲書p201)
みなさん、以上を読んで、どう考えます?
反過剰福祉は、自然選択による適者生存という形になります。
だから、新世界秩序の推進側は、同じ人口抑制の立場にある反過剰福祉には賛成しません。
自然選択による適者生存では、新世界秩序の側からは、商売にならないからです。
過剰福祉がなくなれば、避妊の可能な現在では、自分に養うことのできる分しか子どもを作りません。
自分の養える分以上の子どもを作る親は、バカです!
仮にそれがバカでないというのならば、卑怯とも言えます。
何せ、養える分以上の子どもを作った場合、その資源を、他人に負担させるんですから。
「いや、頭がいいのだ」と彼らが言えば、その通り。
社会制度を上手に利用しているんですね。はい。
発展途上国では、子沢山家庭が多く、それを養う資源がありません。
いや、あるかもしれないけれど、グローバリストの餌食になっています。
それでも、グローバリストが、1冊の本、そう、ここで書いたような人間の基本的な性質から資源問題などのアウトラインを教育する本1冊でいい、そんなものを作って、「あまり子どもを作りすぎても良いことはない」と教育するなら、まだマシというもの。
グローバリストたちの保有する財団は、一応、慈善団体であり、確かに、女性の地位向上という局面から発展途上国の人口抑制に寄与するものもあります。
しかし、彼らの資金と世界中の国々から拠出される資金で飢餓はなくなる、という論文も多々あり、したがって、慈善団体を掲げる財団は、表向きの顔でしかない、というのがわかります(女性の地位向上などや資金のあり方などは、ワールド・ウォッチ研究所刊行物には、たくさんある)。
また、地球上の地域紛争は、たいてい人口が多すぎて、かつ、強烈な優生思想(つまり人種差別)の実行されそうな場所で起きています(グローバリストたちにとっては、どうでもいいような人間が存在して、ましてや、貴重な資源がその地域にあれば、そこは戦場になるということ)。
戦争を吹っかける口実として、他国の「人権尊重がなされていない」とは、よく聞く話。
以前の中国は、それでかなり非難されました。
つい最近の北京オリンピックでも、そうでした。
今もそうだろうけれど、中国が、グローバリストの安定した巨大マーケットになってしまったからには、もう、そんな話はなくなるでしょう。
グローバリストにとって、自分たち以外の人間は、「家畜」扱いであり、商売道具でしかない。
その「家畜」たちが、彼らの作った鉄砲の弾の餌食なろうが、遺伝子組み換え作物の知的所有権の餌食になろうが、生物兵器の餌食になろうが、彼らには関係ない。
人権尊重がなされていようがいまいが、そんなものは、サラサラ関係ない。
「家畜」たちが、生きようが死のうが、巨額の利益が彼らの懐に転がり込めばそれでいいのですから。
どう考えても、「人間牧場」よりは、「反過剰福祉」のほうが、同じ人口抑制策において、穏健であり、人間的です。
副島先生は、その世界の大きなアウトラインを知っていた。
そして、それを本を通じて、日本人に告発した。
日本人は、素直で真面目な国民です。
そういう人間というのは、騙されやすい。
その国民性を利用し、グローバリストは、善人の顔をして、日本人を騙してきた。
彼は、グローバリストの手先になっているような人間を、ことごとく攻撃します。
リバータリアンは、本来、他人に干渉しませんが、攻撃されたら、命をかけて牙をむく。
グローバリストが、攻撃を悟られないように、攻撃してくることは、ここまで書いてもうわかったと思います。
それを見抜いたリバータリアンは、「騙された」と考え、反撃するのです。
ここにたくさん引用した著書「日本の秘密」(1999年5月10日第1刷)は、私が初めて手にした副島先生の本です。
これを読んだとき、あまりの感激で、心臓がドキドキしたほどでした。
人の生き方にまで、強烈に踏み込んでいる。
そして、自分の頭も、スッキリしました。
スッキリ、スッキリ。
副島先生の本を読むと、今まで自分の信じていたものが全否定された感じになり、頭がグラグラする人が多いんだそうです。
私は、何も頭になかった分、スッキリ整理された感じ(笑)。
この後、「世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち」という世界の政治力学構造のわかるバイブル的著書が文庫本で出版され、さらに、弟子を育てるための「
副島隆彦の学問道場」がネット上に登場しました(カネを払っても、もう、私は読まなくなった。でも、頑張ってもらいたいから、カネは払っていこうと思う)。
これで、グローバリストに健気に対抗できる知的環境が整ったのです。
あとは、どれほどの時間を要して、日本人の多くが、これらの事実を把握し、日本人として、自立していくことができるかどうか、です。
特に、若い人たちには、彼の本を読んでほしいと思います。
血の通った本というのは、なかなか珍しい。
今、読んでも、この「日本の秘密」は、すごい、と思う。
最後に強烈なお言葉。
「自分には、どんな政治的な色もついていない」と30歳を越して言う者があるとすれば、そいつはアホである。あるいは、生来、卑怯な人間である。
(前掲書p240)
ここで付け加えますが、どんな思想でもいいから、「グローバリストにだけは、利用されるな」ですね。
もう一つ。
人生は、「仕方がない」の連続だ。
(前掲書p237)
「仕方なく」ではなく、やることがなくて、今夜もお酒を一杯!
ではでは〜。