日本の漁業が崩壊する本当の理由 片野歩

世界中で魚類資源が増えているのに、日本だけが減っている。
この現実を、恥ずかしいと思うべきである。

日本の漁業が崩壊する本当の理由.jpg

すべての漁協組合長、理事、参事、そして、任意の漁業団体の会長以下すべての役員たちは、この本を読むべきだ。
読みたくないならば、「日本の漁師は大バカものだ」を参照すること。
これを認識できないならば、役職に就く資格はない!

2016年11月09日

『ヒラリーを逮捕、投獄せよ』

みなさん、こんばんは。

ついにやりましたね〜。

トランプ氏、クリントン氏に番狂わせの勝利−国民は既成勢力拒否(「ブルーグバーグ」)

無駄話の効用」で取り上げた通り、これは、ホント、異常です(誰も異常と感じなかったのか、「いいね!」が皆無だった)。
「日本がどうなるか?」「世界がどうなるか?」と、そんなことばかりテレビでは流れていますが、トランプ氏勝利の本質は、アメリカのメディアだけでなく、世界中のメディアも敵に回したのに、アメリカ国民が、なぜ、このような投票を行ったのか、ということにあると思います。
言葉では、クリントン夫人をどんな人間か、表現できなくても、肌で感じるものがあった、ということだと思う。

今日、久しぶりに、副島先生の「学問道場」をチラ見しました(近年、1年に数回程度チラ見する程度)。
やっぱり、やってました〜。
本も書いてましたよ。
それも過激な題名!

「ヒラリーを逮捕、投獄せよ Lock Her Up ! ロック ハー アップ」

獰猛な女、ヒラリー・クリントンのメール問題については、こちら「重たい掲示板」の[2036]を読むこと。

「トランプ氏では不安だ」と、ぼけた事を言っている人は、少し考えもの。
戦争好きの女より、アメリカ第一主義(アメリカ・ファースト)のほうがいい。
アメリカ・ファーストは、共和党の伝統的な主張の一つであり、グローバル・コップ(世界の警察官)は、民主党の伝統的な主張なのです。
アメリカ・ファーストについても、検索すれば出てきます。
この辺の所を、最低限学んでほしい。
中華思想とアメリカ・ファーストは、同じではない。

私たち貧乏人たちは、世の中に大きな変化が起こっても、大したことはない。
カネを持っていないから。
ところが、金持ちには、大変なのです。
世界中の金持ちたちは、経済活動に”影響を及ぼさないような範囲で”平和であってほしいから、グローバル・コップが必要であり、したがって、アメリカ民主党と世界を股がる金持ちたちは、繋がっている。
非常に戦略的な話!
わかったでしょ!

身近にもいるんですよね〜。
戦略的な話をして、身内を蹴落とそうとする人が。
私は、副島先生の本を読んでからというもの、そういう話を見抜けるようになりました。
ずる賢い人間に対抗するには、まっすぐ、でいいんです。
下手に頭がいいふりをすると、術中にはまり、言いくるめられる。

素直さが、武器になる。
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2012年10月24日

「巡視船 Vs. 中国漁船」 3

みなさん、こんばんは。

今日まで強風が吹いたので休んでいましたが、明日から昼イカ操業です。

相変わらず、尖閣諸島は、お祭り騒ぎ。
双方とも、燃料の無駄遣いです。
きっと、石油業界は、喜んでいる?

昨日の「巡視船 Vs. 中国漁船」シリーズは、ちょっと乱雑な文面でしたが、素人なので、まあ、お許しください。

この衝突事件があった当時、私は、「私は、海上保安庁の味方」を書いていたんですねえ。
忘れてました。
年をとると忘れっぽい(笑)。

今さらですが、読んでみると、あの事件は、そのまま素直に考えただけでいいと思います。
無理やり、アメリカのせいにしたかったら、「巡視船 Vs. 中国漁船」の最後に書いた、カネをつかませる戦略が、一番簡単です。

ところで、渦中の副島先生を、かなりこき下ろしているブログが存在します。
それは、巡回先に記してある「心に青雲」(いつのまにか、「新」という字が抜けている)です。
題名もズバリ「副島隆彦氏の中国妄想、妄言」。

http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/294390913.html
http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/294543830.html

内容は、まあ、それなりに面白いですが、(2/2)のほうで、「実際は漁船ではなく、工作船であったはずだ。」という確定できない表現もあり、副島先生と似た感じがしないでもない
本人は、怒るでしょうが、何となく、似ています(笑)。

それから、(1/2)に、家の壁の色や浴衣姿が悪い、とか、変なことを書いていますが、こういうところも、どこか、似ている(笑)。
副島先生自身、確か、「属国日本論を超えて」だったかに、「ふんどし一丁で語り合ったほうがいい」とか書いていましたから、有言実行ということですね。
たぶん、「心に青雲」の都築詠一さんは、「属国日本論を超えて」を読んでない。

この(1/2)には、尖閣諸島を中国自身が日本の領土と認めている証拠として、「史実を世界に発信する会」のファイルへのリンクが記されています。

http://hassin.org/01/wp-content/uploads/Senkaku-Incontrovertible.pdf

いろいろと言い分はあるでしょうが、あとは、副島先生の言うとおり、戦争を起こさないように、うまくやっていくしかないですね。

私は、どっちからも、おいしい部分だけを、いただくのです(笑)。

喧嘩しないでね。

ではでは〜。

晴れ
posted by T.Sasaki at 19:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 副島学問 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月23日

「巡視船 Vs. 中国漁船」 2

みなさん、再び、再び、こんばんは。

「尖閣諸島中国漁船衝突事件」で検索すると、いっぱいありますね。
で、次のリンクが、たぶん、たぶんですよ、中立的な感じ。

http://rightaction.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-cf26.html(「父さんの日記」)

『ただはっきりと言えることは、この流出ビデオを見る限りにおいて、「中国漁船が故意に衝突した」とは断言できない、ということです。』という表現は、非常にあいまいで、私は大好きです。

自信のない時、私もやりそうな書き方(笑)。

このブログからわかったんですが、巡視船「みずき」は、小さい船だったんですね。
このくらい小さい船なら、挟み撃ちで拿捕できます(副島先生は、私のことをきっとアホだと思った。笑)。
たぶん、海上保安庁側も、「このやろ〜、捕まえてやる」と乗り移ったか(笑)。

ははは・・・、ビデオ、じっくり見させてもらいました(今ごろ?。笑)



「よなくに」に衝突した中国船のビデオを見てわかったこと。

これは、故意です。
ブログ筆者は、操船ミスではないか、としていますが、衝突前の映像で、船を増速させた時の黒煙が上がっています。
増速しなければ、衝突していません。
他船を前にして、増速する、というミスは、考えられません。
だから、ミスではなく、故意です。



「みずき」に衝突した中国船のビデオを見てわかったこと。

ブログ筆者は、前進と後進の時とは、出る煙は違うというようなことを書いていますが、同じだと思います。
ただ、黒煙は、前進にしろ、後進にしろ、エンジンに対する負荷の状態を意味します。
停止状態で、急前進、急後進すれば、煙だらけ。
もちろん、前進しているとき、後進にクラッチを入れるか、逆に、後進しているときに前進にクラッチを入れれば、この場合も、真っ黒です。
衝突の場面ですが、衝突した瞬間、中国漁船は、アイドリング状態に減速したか、クラッチを切ったか、のどちらかですね。
もし、衝突と同時に後進クラッチを入れたら、もっと早く黒煙を上げるはずです。
減速して、その後、増速した、と私は思います。
「みずき」の黒煙が邪魔していますが、中国船は、ちゃんと走っていますもの。

「みずき」と衝突したのも、中国漁船側の故意です。

これらが、操船ミス?

あ〜、バカくさい。

結論。

中国漁船の故意の衝突です。



それから、挟み撃ちして拿捕した、という副島先生の説ですが、やっぱり、私は違うと思う。
本当に捕まりたくなくて逃げたいなら、いろいろな手を使って、逃げると思うし、最初から故意に衝突するということなどしません。
大体にして、悠々と操業している風景を見れば、日本の海上保安庁をなめてかかっています。

そして、逆に考えるならば、必死で逃げようとする相手を、挟み撃ちなどという生易しい方法で捕まえられるなんてほうが、余程おかしい。
相手は、必死に逃げようなどとはしていない。

そう思いませんか?

故意にぶつけ、あとは、故意に捕まった、と私は思う。

手出しできない日本から帰れば「自分は英雄。懐には大金」。

さすが、アメリカ!

ではでは〜。

曇り
posted by T.Sasaki at 23:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 副島学問 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「巡視船 Vs. 中国漁船」

みなさん、再び、こんばんは。

尖閣諸島と竹島 2」で紹介した「今日のぼやき」1337を読みまた?

http://www.snsi.jp/tops/kouhou

読んでみて、「これ、おかしいんじゃないの?」と思う人もたくさんいるでしょうが、白黒はっきりしない部分が多すぎて、たぶん、誰も判定できないでしょう。
書いた副島先生も、珍しく「〜いたようである」という表現を用いたりしていますし、証拠文献もそれが真実かどうかは、その当時、記した人間に聞くしかない。

歴史なんて、そんなもの。
ただ、「歴史は繰り返す」ということが正しいとすると、次のことが成り立ちます。

「歴史に関する研究や学習には意味はない。全くの時間の無駄である」
したがって、
「人間は、他の動物並みに、バカである」

人間のすることに「〜十年周期である」などという法則を見出すことなど、おもしろくも何ともない、と最初に苦言を書いておきます。

ここからが本題。

この「ぼやき1337」のかなり下のほうに、中国漁船が日本の海上保安庁の船にぶつかってきた事件を、写真付きで取り上げています。
↓は、あらましのわかるリンクです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%96%E9%96%A3%E8%AB%B8%E5%B3%B6%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E6%BC%81%E8%88%B9%E8%A1%9D%E7%AA%81%E4%BA%8B%E4%BB%B6(「ウィキペディア フリー百科事典」)



ここで、ちょっと引用します。



それを、まるで中国漁船のほうから、日本の海上保安庁の巡視船にぶつかってきたように見せかけた映像を(内部から)流出させた。日本の巡視船が2隻で中国漁船を両方から挟(はさ)み撃ちにして、逃げられないようにして、幅を次第に狭(せば)めていった。そして停止させて拿捕したのである。
(「副島隆彦の学問道場」「今日のぼやき」1337)



私は、どうやって、巡視船が漁船を挟み撃ちにして衝突させたのか、知りたい。
すでに、「このことは、私は自分の何冊かの本ですでに書いた。」としているように、本にも記述されているようですし、たぶん、「副島隆彦の学問道場」内にも、たくさん書いていることでしょう。
私は、不良会員ですから、恥ずかしながら、実は、読んでいません(笑)。

船を操船している人なら、誰でもわかるとおり、大型船が、逃げ回る小型船にぶつけるなんてことは、不可能に近い。
例えば、機関砲などの火器を使用したりすれば、それは可能かもしれません。
しかし、そのようなものを使用した話は皆無。
小型船は、大型船に比べれば、加速、減速、小回りに優れます。

しかも、あの映像だと、横ですよ。
後ろからですよ。
挟み撃ちしようとしたら、全速後進し、急旋回すれば、中国漁船は、簡単に逃げることができます。

だから、私は、副島先生に、メールで疑問をぶつけました。

返信はあるのかないのか。
たぶん、ないほうの確率が高いかな。



上記の「ウィキペディア フリー百科事典」のリンクで、下のほうに、「日中両国の報道の相違」がありますが、ここに「日本の報道では、久場島の北北西約27キロの日本の領海から約3キロの排他的経済水域(EEZ)で、巡視船「みずき」の保安官が乗り移って停船させたとしている」とあります。
中国漁船が捕まりたくない一心で逃げるなら、どうして、『巡視船「みずき」の保安官が乗り移って停船させ』ることができたのか、これも不思議。
本気で捕まりたくないなら、「みずき」が近寄ってきて保安官が乗り移ろうとしたところで、また、ぶつけ、、全速後進。
絶対に保安官を乗せません。
私なら、そうしますよ。
燃料が続く限り、逃げます。

報道発表で、どうしてもウソを書きたいなら、「漁船の燃料が切れて、保安官が乗り移った」としたほうが、私たちを信用させることができたでしょう。

へたくそ!

ここで、副島先生みたいに、アメリカの“やらせ”にしたいのなら、非常に簡単。

中国漁船の船頭に、何百万円か、手間賃をやればいい。
「ぶつけたあと、おとなしく拿捕されろ。捕まっても、どうせ、日本は何もしないから」と。

これなら、「みずき」の保安官が簡単に乗り移れるわけです。

複雑なシナリオを作って、日本の政治家や海上保安庁の巡視船を動かすよりも、非常に簡単だと思いませんか?(副島先生は、本に何て書いたんだろう?)

さて、真実は?

ウソは、上手につきましょう。

ではでは〜。

曇り
posted by T.Sasaki at 22:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 副島学問 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月19日

「学問」って、何? 2

みなさん、こんばんは。

昨日のつづき、です。

掛谷英紀さんの書いた「学問とは何か」という本を、私は持っています
これを旅先で読んでいたら、「漁師のくせに、とんでもない本を読んでいるんだなあ}と驚く人がいました。
漁師でなくとも、普通は読まないかも?

この本では、学問を「予測する力を持つ体系的知識、およびその知識を得るための研究方法」(p4)と定義しています。
goo辞書」の「国語辞書」にあったのと同じように感じますが、しかし、「予測する力」という言葉を含んでいます。

そうなのか。
予測に役立たないような研究は、学問として、評価されないわけか。
はい。

ところで、副島先生は、「学者としては落第」(「メモ 18」コメント参照)なんだそうで、たぶん、先生特有の直感のことを指しているんだと思います。
直感ですから、それが当たれば、「お〜、さすが!」。
はずれれば、「ありゃ、落第だ」となるわけです。
でも、直感っていうのは、研究者としては、必要なものなのです。
引用します。

科学や工学においても、研究レベルにおいてどのような仮説を立てるかという点では、現在も研究者の直感を頼りにした研究が行われています。
(「学問とは何か」p20)

私は、一応、理系出身です。
理系の研究は、ある程度の成果が見込めるものを、教授たちが経験的に選択し、学生たちにやらせているのです。
この「成果が見込めるもの」は、仮説の段階ですから、当然、直感的なものになります。
ましてや、文科系となると、直感が、非常に大事。

社会科学や人文科学の場合は、既に述べたように、実験と観察をするのはそんなに容易なことではありません。ですから、仮説を検証するのにかなり長い時間を要することになります。しかし、実用的に考えると、それだけ長い時間待つことはできないわけです。そこで、仮説の段階でも、それを学問の記述の中に組み入れざるをえないという事情が発生します。
(前掲書p22)

だから、副島先生の直感も、たぶん、ある程度の経験的裏づけから出てくるものなのでしょう。
そして、調査したデータが、それと一致すれば、それが学問の成果となります。



ところで、「ウィキペディアフリー百科事典」で「学問」を調べてみると、次のような文章が見当たります。

「なお、科学、技術、工学などの言葉は、定義が無数にあり、統一的な定義は存在しないため、科学と技術をベースとした学問の分類とその範囲を厳密に決めることは困難である。」
(「http://ja.wikipedia.org/wiki/学問」)

これを「学問とは何か」という本では、上手に使い分けしています。
発見するのは、「科学」であり、発明するのは、「工学」(もちろん、こういうように明確には書いていませんが)。
だから、文系にも「社会工学」というものがあるわけですね。
この使い分け、わかりやすいと思いますし、必要なことだと思いますよ。

法則や真実を「発見する」のが、「科学(science)」。
発明するのが、「工学(engineering)」。

ここで、また、副島先生のぼやきに戻ります。

 だいたい、「文学(部)」などというものは,サイエンス(学問)ではない。近代学問の枠のなかには入らない。強いて言えば、「下級学問」「下等学問」である。
 文学というのは、世界基準の理解では、「人文(じんぶん)」と言うのだ。 これは、humanities(ヒューマニティーズ)の訳語である。「人間が過去の書いた碑文や、古文書や、文章などを、調べる事」 を意味する下級学問のことなのだ。だから、歴史学(history)は、明らかに、文学の一種である。誰がどんな風に解釈してもいい性格からして、いかにも,下級学問である。
(「今日のぼやき」001)

学問にも等級があるらしく、ははは・・・、歴史学は、下級。
歴史は、文書の発見や文書公開で、簡単に変わってしまいますから、下級でもしかたないかな。

ところで、「数学」って、自然学問でしょうか、それとも、社会学問でしょうか?
経済学でも、微積分や計算式がたくさんありますよね。
どっちなんでしょう?

数学(Mathematics, マセマティクス) これも、もともと神学の側であって、サイエンスの側ではない。
(「今日のぼやき」001)

これで、納得!
数学こそ、神学から“流れ出たもの”だったのです。



ちなみに、初期の「ぼやき」は、『副島隆彦のぼやき漫才』というWebサイトでした。
今日のぼやき」の200番ぐらいまでは、本当に基礎的なものがたくさんありました。
勉強になりますよ。

それから、「学問とは何か」を読んだのだから、今度は、「科学とは何か」という本を検索して買ってしまいました。
森田邦久さんの著作です。
でも、これは、バリバリの専門論文で、おもしろくなく、読む気力がありません。。
「DN説明」、「IS説明」とか、お手上げ!

いつ読むことやら。



それでは、何日か、お休みします。

ではでは〜。
posted by T.Sasaki at 22:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 副島学問 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月18日

「学問」って、何?

みなさん、再び、こんばんは。


心に青雲」主宰者さんが、「学問」に触れられていたので、せっかくですから、これ、やります。

「学問」という単語、わかっているようで、わかっていないような、知られているようで、知られていないような、そんな感じの言葉です。
試しに、「goo辞書」の「国語辞書」で、「学問」を調べてみると、「一定の原理によって説明し体系化した知識と、理論的に構成された研究方法などの全体をいう語」とあります。
イマイチ、パッとした説明ではないですね。

じゃあ、英語では何て言うんでしょう?

goo辞書」の「和英辞書」で、「学問」を調べてみたら、「learning; study」とあります。
ありゃりゃ、学習?勉強?
これは、あんまりだなあ。



「学問」について、副島先生が、何も書いていないはずがありませんよね。
ちゃんと書いています。
何と、「学問道場」の「今日のぼやき」001に、つまり、一番最初に、「神学(セオロジー)と学問(サイエンス)の 大きな闘い 2000/02/11」というのを書いています。
要約すれば、「学問」は、「science」であると。

「science」といえば、「科学」。

しかし、副島先生のまな板に載せられると、粉々に切り刻まれて、何も残りません。
日本語訳に欠陥があるのだと。

「科学」という言葉は、「今日のぼやき」001によると、1930年代ぐらいから、流行りだしたらしい。
そして、この「科学」という言葉は何なのだ!、と怒っているのです。
怒りを引用。

 それでは、いったい、この、「科学(かがく)」なる言葉の、「科」の「学」というのは、なにを意味するのか。誰か、答えてみろ。「科」の「学」というのは、なんなのだ?
 「だから、それは、サイエンスの、日本語の訳語なんだから、それで、いいではないか」では、すまない! 馬鹿どもが! なーにが、「自然科学」で、「社会科学」もあります!だ。
(「今日のぼやき」001)

なるほど、「科」の「学」とは、何を意味するのでしょう。
「科」を「学ぶ」のかな?

一方、「学問」は、学び問う、学んでは問い、それからまた、学ぶ、そして、問う、の繰り返し。
これにより、いろんな法則や真実を発見するわけだ。
「問う」ことなしに、「学ぶ」だけだったら、うん、真実を発見できるかどうかは、確かにあやしいなあ。
だから、副島先生によると、「science」=「学問」≒「科学」であると。



興味深いのは、「science」という文字。

自然(nature,ネイチャー)の、natu(ナツ)と、本質(essence,エッセンス)のess(エス)と、サイエンス(science,スシアンス、「知るということ」すなわち、学問)のsci(スシ)の、この、3つともが、実は、すべて、『 神(god)から流れ出たもの』と言う意味なのである。これを、流出論という。私は、このことを、14世紀のイスラム神学を、調べていて分かった 。
(前掲)

本当かどうかは別として、神がすべての創造主なのだから、「science」も神が創ったもの一つ。
だから、神学の側から見れば、神から流出したものになります。

ここで、再び、引用。

サイエンス(近代学問) と、対決して、サイエンスと、大きく並び立つ人類の知恵の大柱がある。、それは、 神学(theology,テオロジー) である。日本人には、世界基準での「神」が、分からない。じつは、私も分からない。だから、神学と言われても、何の事だか分からない。 それでも、この神学なるものが、中世ヨーロッパ以来の、この500年間の人類の知恵の、巨大な構造物である。
(前掲)

つまり、神学と「science」は、全くの別物。
そして、この二つは、人間の知識の源である、ということ。

私たちの頭の中にあるものは、このどちらかから生まれたものだったんですね。

まあ、どっちでもあまり関係ないし、それがわかったからといって、何も変わりませんけど。

ではでは〜。

posted by T.Sasaki at 21:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 副島学問 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月06日

メモ 18

副島先生の態度」をアップロードしてから、巡回してビックリ!

http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/dcbec347918074da0fc7482002c76120(「心に青雲」)

福祉制度の過剰ではなかった時代(大昔)なら、介護認定などなく、当事者は、みんな死んでいた。
もし、こういった局面に自分が陥ったら、与えられた運命だと思って、あきらめて死ぬしかない。
周囲に迷惑を掛け、迷惑を掛けられた人が自分よりも早く死んでしまったら、これほどの苦痛はない。

私も、難治性骨折をしたとき、100年前なら、たぶん、その辺に捨てられて死んでいた。
一度死んだと思えば、何も恐くはない。
だから、一生懸命生きる。

コメントには、記事に対する反論があるけれど、私は、この方の肩を持ちたい。

副島先生の態度」で、次の記述の引用を控えたが、あえて付け足す。

昔の日本人は、母屋のわきの隠居小屋で、死んでいった。あるいは、作家・深沢一郎が描いた『楢山節考』の姥捨山の慣行や、親族一同が集まって、上からぬれ雑巾をかぶせたり、「枕落とし」をやったのだ。私たちは、人命尊重思想に脅迫されて、生ける屍となって、床ズレを起こして腐りながら病床に何年も縛りつけられる必要などはない。人類がヒューマニズムや人権を履きちがえるのも、ここらあたりを潮時にすべきであろう。
(「日本の秘密」p234)
posted by T.Sasaki at 20:18| Comment(4) | TrackBack(0) | 副島学問 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

副島先生の態度

みなさん、こんばんは。

おととい、どこかの子どもたちと岸壁の広場でサッカーをやったら、その影響で、まだ筋肉痛が続いています。
仕事とスポーツの筋肉は、使うところが違うんですよね。
スポーツ的な行事に参加すると、いつもこうなります。

若い証拠!

自己満足でした(笑)。



グローバリストの非道な戦略に対抗する論理展開の続きです(「人間牧場」Vs.「反過剰福祉」参照のこと)。

リバータリアニズムという政治思想を、日本に紹介した副島先生は、そのままリバータリアンです。
ところが、彼の学生時代は、みなさんと同じかもしれません。

 ひとつは、私自身が、高校生時代ぐらいから、新左翼=過激派系の政治運動に魅かれ、長くその影響下にあったことである。
(「日本の秘密」p236)

その後、しばらくして、「現代アメリカ政治思想の大研究」という本を書き上げました。
この瞬間に、私たち凡人は、そして、日本の一般読書人は、世界のことを少しわかるようになりました。

 このとき私は、アメリカの現代思想の各派を、日本語でコンパクトにまとめて、全体的に性格描写することで、自分が悩み苦しんで来た20年来の政治イデオロギイ遍歴からも解放されたのである。
(前掲書p239)

冒頭に書いたリバータリアニズムについても、どうせなので、先生の書いたものから引きます。

 私自身は、既に、共和党内の一大勢力であるリバータリアニズムという民衆的保守思想に接近しつつある。リバータリアニズムLibertarianismは、「反過剰福祉、反官僚制、反税金、反国家、海外内に駐留している軍隊を国内に撤退させよ」論を唱える強固な、個人主義的、古典自由主義者たちである。リバータリアンは徹底して、経済法則(市場原理)重視である。国家が、個人の生活に要らぬおせっかいや干渉をすることを拒絶する。彼らは、現在のアメリカを支配し、民主党リベラル派を操っているグローバリスト(globalist 世界を管理・支配しつづけようとする人々)たちと闘っている。
(前掲書p246)

この文中にある「反過剰福祉」という言葉に、アレルギーを起こす人がたくさんいると思います。
この言葉を使うのは勇気がいるし、誰もが悩む問題です。
そして、先生も悩んでいる。

 なぜ、人は健康であらねばならないのか。なぜ、病者はいつまでも、回復の見込みもないままに生きねばならないのか。なぜ、老人は長いせねばならないのか。なぜ、重度の身障者たちを延命させるのか。なぜ植物人間の生命維持装置をはずしてしまわないのか。なぜ、そんなにしてまで、未熟新生児を生かそうとするのか。
 私は、あれこれ配慮して、用意周到にものごとを考える人間ではなくて、かなり率直に語る人間である。社会問題についても、ズケズケと言うしか、他にあまり取り柄のない人間なのだが、それでも、この「人命とはそんなに尊いものなのか」というテーマで、何かを言いきることは、今の今でも相当にためらいを覚える。やはり、人間の命は尊いものなのだろう。
 ものごとを率直に語るとは、主題を言語的に抽象化し、ある問題の周辺部分の議論を除去して、中心部分をむきだしにすることである。言い換えれば、主題を極限までつきつめて考えることである。近代ヨーロッパで発達した、論理学や数学における微分(差別化)あるいは積分(思考統合)することである。このように何重にも前置きして、私は自分の言論が、生命軽視の危険な思想ではないのか、と誤解されることに対して予め予防線をはっておくことにする。
(前掲書p187)

「反過剰福祉」の結論は、やっぱり、日々を一生懸命生きろ、ってことになります。

 家族(血縁者)の愛情のつづく限り、その病者の命を、我がことのごとくいとおしむ者がそばにつきそっている限り、その病者を延命させるがよい。家族の経済力その他が続くかぎり看護させてやるがよい。しかしそれ以上のことを、医療倫理、人命尊重、人間愛の普遍思想の名を借りて主張してはならない。そのことによる精神的・経済的重圧はすでに、制度としての、あるいは理念としての福祉が強制する限度を超えて十分に国民生活を圧迫しているのだ。今の日本国民は、福祉思想の奴隷になっているのだ。
 すべての人は、自分の生活(生命)を思いきり楽しまなければならない。それは生きて在ることの喜びを真に尊ぶことであり、それが死者たちへのつくすべき礼儀である。そして自分の体にガタがきて用がなくなったと思ったら、静かに消滅しなければならない。犬猫鳥は死期をさとると姿を消す。生ける屍となって腐りながら、病床にしばりつけられる必要はない。ひとは、自分が生まれる時を選べないのであるから、せめて死ぬときだけは、仕方なく、かつきちんと、死んでゆかなければならないのである。
(前掲書p201)

みなさん、以上を読んで、どう考えます?

反過剰福祉は、自然選択による適者生存という形になります。
だから、新世界秩序の推進側は、同じ人口抑制の立場にある反過剰福祉には賛成しません。
自然選択による適者生存では、新世界秩序の側からは、商売にならないからです。

過剰福祉がなくなれば、避妊の可能な現在では、自分に養うことのできる分しか子どもを作りません。
自分の養える分以上の子どもを作る親は、バカです!
仮にそれがバカでないというのならば、卑怯とも言えます。
何せ、養える分以上の子どもを作った場合、その資源を、他人に負担させるんですから。

「いや、頭がいいのだ」と彼らが言えば、その通り。
社会制度を上手に利用しているんですね。はい。

発展途上国では、子沢山家庭が多く、それを養う資源がありません。
いや、あるかもしれないけれど、グローバリストの餌食になっています。
それでも、グローバリストが、1冊の本、そう、ここで書いたような人間の基本的な性質から資源問題などのアウトラインを教育する本1冊でいい、そんなものを作って、「あまり子どもを作りすぎても良いことはない」と教育するなら、まだマシというもの。

グローバリストたちの保有する財団は、一応、慈善団体であり、確かに、女性の地位向上という局面から発展途上国の人口抑制に寄与するものもあります。
しかし、彼らの資金と世界中の国々から拠出される資金で飢餓はなくなる、という論文も多々あり、したがって、慈善団体を掲げる財団は、表向きの顔でしかない、というのがわかります(女性の地位向上などや資金のあり方などは、ワールド・ウォッチ研究所刊行物には、たくさんある)。

また、地球上の地域紛争は、たいてい人口が多すぎて、かつ、強烈な優生思想(つまり人種差別)の実行されそうな場所で起きています(グローバリストたちにとっては、どうでもいいような人間が存在して、ましてや、貴重な資源がその地域にあれば、そこは戦場になるということ)。
戦争を吹っかける口実として、他国の「人権尊重がなされていない」とは、よく聞く話。
以前の中国は、それでかなり非難されました。
つい最近の北京オリンピックでも、そうでした。
今もそうだろうけれど、中国が、グローバリストの安定した巨大マーケットになってしまったからには、もう、そんな話はなくなるでしょう。

グローバリストにとって、自分たち以外の人間は、「家畜」扱いであり、商売道具でしかない。
その「家畜」たちが、彼らの作った鉄砲の弾の餌食なろうが、遺伝子組み換え作物の知的所有権の餌食になろうが、生物兵器の餌食になろうが、彼らには関係ない。
人権尊重がなされていようがいまいが、そんなものは、サラサラ関係ない。
「家畜」たちが、生きようが死のうが、巨額の利益が彼らの懐に転がり込めばそれでいいのですから。

どう考えても、「人間牧場」よりは、「反過剰福祉」のほうが、同じ人口抑制策において、穏健であり、人間的です。
副島先生は、その世界の大きなアウトラインを知っていた。
そして、それを本を通じて、日本人に告発した。

日本人は、素直で真面目な国民です。
そういう人間というのは、騙されやすい。
その国民性を利用し、グローバリストは、善人の顔をして、日本人を騙してきた。

彼は、グローバリストの手先になっているような人間を、ことごとく攻撃します。
リバータリアンは、本来、他人に干渉しませんが、攻撃されたら、命をかけて牙をむく。
グローバリストが、攻撃を悟られないように、攻撃してくることは、ここまで書いてもうわかったと思います。
それを見抜いたリバータリアンは、「騙された」と考え、反撃するのです。



ここにたくさん引用した著書「日本の秘密」(1999年5月10日第1刷)は、私が初めて手にした副島先生の本です。
これを読んだとき、あまりの感激で、心臓がドキドキしたほどでした。
人の生き方にまで、強烈に踏み込んでいる。
そして、自分の頭も、スッキリしました。
スッキリ、スッキリ。
副島先生の本を読むと、今まで自分の信じていたものが全否定された感じになり、頭がグラグラする人が多いんだそうです。
私は、何も頭になかった分、スッキリ整理された感じ(笑)。

この後、「世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち」という世界の政治力学構造のわかるバイブル的著書が文庫本で出版され、さらに、弟子を育てるための「副島隆彦の学問道場」がネット上に登場しました(カネを払っても、もう、私は読まなくなった。でも、頑張ってもらいたいから、カネは払っていこうと思う)。
これで、グローバリストに健気に対抗できる知的環境が整ったのです。
あとは、どれほどの時間を要して、日本人の多くが、これらの事実を把握し、日本人として、自立していくことができるかどうか、です。

特に、若い人たちには、彼の本を読んでほしいと思います。
血の通った本というのは、なかなか珍しい。
今、読んでも、この「日本の秘密」は、すごい、と思う。



最後に強烈なお言葉。



「自分には、どんな政治的な色もついていない」と30歳を越して言う者があるとすれば、そいつはアホである。あるいは、生来、卑怯な人間である。
(前掲書p240)



ここで付け加えますが、どんな思想でもいいから、「グローバリストにだけは、利用されるな」ですね。

もう一つ。



人生は、「仕方がない」の連続だ。
(前掲書p237)



「仕方なく」ではなく、やることがなくて、今夜もお酒を一杯!

ではでは〜。
posted by T.Sasaki at 19:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 副島学問 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月05日

核爆弾の人体実験場

みなさん、こんばんは。

最近、マメに更新している「うまいもの食べたい人」です。
今だけなんですよ。
こんなことができるのは。

今日は午前中だけ仕事をして、休みをもらいました。
ずっと晴天予想なので、ここで一発、年に一度あるかないかの連休をします。
家にいると、つい、仕事をしちゃうんですよ。
それで、みんなに「どっか行ってこい」と言われたので、ただ今、大好きな温泉に来ています。
盛岡近郊の、何と!ネット環境が充実しているところです。
ということで、今日は、リッチに、温泉からのアップロードです。



今日は、第2次世界大戦の謀略から始めます。
まずは、引用。

 さらに追い討ちをかけるように、FDRの国防長官で外交問題評議会(CFR)の大物メンバーであったヘンリー・スチムソン(スカル・アンド・ボーンズに1888年入会)は、1941年秋にルーズベルトと会談したあと、日記にこう書いている。「われわれはいま非常に微妙な問題に直面している。確実に日本のせいになるよう、また、向こうに先に手出しさせ、しかも明らかな攻撃行動を仕掛けてくるように、外交でうまく持っていかなければならない」
 再度FDRと会談したあと、スチムソンは1941年11月25日に、このとき真珠湾攻撃までにはまだ二週間あったのだがこう記している。「重要なのは、こちらの危険を最小限にしながら、日本に先に撃たせるにはどうしたらいいかであった。侵略した側はどちらかという点で疑念をまったく残さないように確実に日本に先に手出しをさせることが望ましい」
(「次の超大国は中国だとロックフェラーが決めた[技術・諜報編]」p278)

ロバート・B・スティネット著「真珠湾の真実」を読んでいる私には、別に驚くことではありませんが、CFRのメンバーの日記に、あからさまに書いてあるのを読むと、日本って、相手の策略に乗るのが上手なんだなあ、と思ってしまいます。

騙され上手?

ですね。

しかし、次に記述には、かなり驚きました。
ちょっと長文ですが、我慢してください。
長文引用は、著者に失礼ですが、この記述で、「本を買って読む」をいう人が生まれることを期待します。

 FDRの行動を見れば、彼が舞台裏のある人物たちの指図を受けていたことは容易にわかる。この裏の人間たちが抱く陰の動機は、アメリカを乗り物(ヴィークル)として利用し自分たちの目的を推進するというアジェンダを反映したものだった。たとえばFDRはヤルタに発つ二日前、すなわち日本がついに白旗を揚げる。この中で日本は非公式に講和(停戦)を申し出ている。その提示条件は、のちに終戦時にアメリカが受け入れたのとまったく同じ内容だった。(中略)
 日米の戦いがすでに終わりかけていることは誰もが知っていた。だが、《支配者たち》は次の段階に踏み出し、原子の力を世に示すことによってさらに上のレベルに移行しなければならなかった。この視点で見ると、チャーチルはFDRの決断を最も正しく評価出来ていたようだ。「ルーズヴェルトは、国際的な黒幕たちの手で操られる無力な操り人形だと自分で自覚している」とチャーチルは言ったのである。チャーチルのこの言葉は、ほんの僅かながら支配者たちの煙幕を看破している。
 アメリカは1943年にはすでに、日本との戦争を終えられたはずだった。にも拘わらず、さらにもう1年半引き延ばしたのである。1945年3月、つまり広島と長崎の名が世界に知れ渡る5ヵ月前に、日本の大本営はアメリカに無条件降伏を申し入れた。これをアメリカは拒絶している。
 アメリカがこの申し出を払い除けたのはなぜだろう。信じてもらえないと思うが、アメリカ情報機関はこの理由を、「日本からの文書を解釈出来なかったため」としている。アメリカは日本軍の最も複雑な暗号を解読し、その計画も微細にわたって把握していた。それなのに非暗号文は読めなかったというのだ。
(「次の超大国は中国だとロックフェラーが決めた[技術・諜報編]」p286)

そして、FDRは、こう言っています。

「政治では、偶然に起きることなど一つもない。何かが起これば、それは間違いなくそうなるように予め計画されたからなのだ」
(「次の超大国は中国だとロックフェラーが決めた[謀略・金融編]」p10)

みなさん、唖然としませんか。
核爆弾の人体実験場に、日本が選ばれていたのです。

そして、「日本の古都はなぜ空襲を免れたか」という本には、その古都が、本当は、原爆投下地候補だった、ということが記されています。
こんなことを、計画的にやる連中が、世の中にはいるんですよ。

http://fish-archives.hp.infoseek.co.jp/tubuyaki-hanbei11.html

さて、引用した「次の超大国は中国だとロックフェラーが決めた」には、上巻と下巻があり、上巻が[技術・諜報編]、下巻が[謀略・金融編]となっています。
大元の著者は、ヴィクター・ソーンで、原題は「The New World Order Exposed」。
翻訳者は、副島隆彦先生。

副島先生は、若い頃、外資系の銀行マンを経験しており、「欠陥英和辞典の研究」という本でも有名です。
だから、英文で書かれたものは何の障害もなく、したがって、“輸入”学問には、めっきり強い。
銀行マンであるからには、金融工学の分野でも、その力を発揮しています。

この「欠陥英和辞典」とは、どこのメーカーのものか?

たぶん、受験校にかなりのシェアを持っているメーカーで、わが宮古高校では、私がいた頃の標準辞書でした(今でも持っています)。

戻って、「次の超大国は中国だとロックフェラーが決めた」のことですが、この本は、もう3年も前のものです。
これには、“見せかけだけの”自由の国アメリカが描写されていて、驚くことしきり。
今からでも、読むには遅くない本だと思いますよ。

みなさん、買って読んでも、絶対に損しないと思いますよ。

ではでは〜。
posted by T.Sasaki at 20:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 副島学問 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月17日

副島隆彦先生について

みなさん、こんばんは。

今日は、何とか、水揚できました。
たったの90カゴ。
明日で切り上げるのか、月曜日までやるのか、ちょっとわかりませんが、仕方がないので、先輩たちに付き合います。



今日は、私の先生の1人、副島隆彦さんについて、ちょっと書きたいと思います。

その前に、「先生」という言葉について。
字の通り、「先を生きている」から、先生なのですが、もうちょっと付け足すならば、私たちの頭の中になかったものを与えてくれた人、それが、「先生」だと私は思っています。
だから、学校の先生も同様。
当然、親も先生、ということになります。
ダメな部分もありますが、まあ、そこは見ないことにしましょう。



副島先生というと、何となく、威張った人、という感じですが、それでも、すごい人です。
私自身、威張った人やすぐに怒る人は、大嫌い!
でも、それを上回る知識や考え方を教えてくれる人です。
今や、彼の著作は、弟子のものを含めると、本棚の一角を占め、26冊にもなります。

このことは、前にも書いたのですが、最近、「アメリカの言いなり」ということを、一般の人たちが口にするようになったのは、副島先生の「属国・日本論」という著書が、大元のきっかけです。
「ジャパン・ハンドラーズ」は、彼の弟子、中田安彦さんが書いたもので、名前の通り、日本を操る人々。
そういう人たちが、実際に存在するのです。
このことは、日本人として、知っておきたい事実ですね。

私の蔵書の中で、最も新しい彼の著書は、「副島隆彦の今こそ金を買う」です。
金(きん)の価値や買い方などを書いている本ですが、彼の著書では、あまり推薦できるものではありません。
でも、興味を引くところが、数ページだけあります。

金は、当然、各国政府も保有しています。
アメリカが8,134トン。
ドイツが3,417トン。
フランスが2,587トン。
イタリアが2,452トン。
スイスが1,134トン。
以上がベスト5。

日本は、第6位で、保有量は極端の落ちて、たったの765トン。
政府以外ではIMFが3,217トン。
ちなみに成長著しい中国は、600トン。
たぶん、このままでは、中国に抜かれるでしょう。
それは、次の記述から簡単に予測できます。

 どうやらアメリカの忠実な属国である日本は、政府が金を買い増すことを禁止されているようなのである。その代わり米国債を買うように脅され、命じられている。このことは容易に想像がつく。
 ところが、こんな情けない政府とは逆に、日本の民間部門(企業と個人)は、すでに5000トンぐらいは保有しているものと推測できる。ちなみにアメリカ国内には、民間の保有量と合わせて3万トンから4万トンあるようだ。
 日本の経済力からいえば、1万5000トンを保有してもいいはずだ。日本人はもっと金を買うべきなのである。
(「副島隆彦の今こそ金を買う」p84)

政府がこのように情けないのですから、私たち個人が先読みして、しっかり資産防衛しなければいけませんね。

私は、副島先生の著書に出会う前から、田中貴金属工業に定額口座を持っています。
ちまちま小額で買い増しし、ちょっとした量になりました。
当時の金価格は、グラム1000円前後でしたが、今は、その3倍。

え?今売れって?

いや、資産防衛のために買っているのだから、こんなもので金儲けなどしません。
先生は、われわれ日本人のために、「資産防衛せよ」と言っているのです。
仮に、金に価値がなくなった場合、日本紙幣に価値がある、ということですから、日銭を稼いでいる分、生活には困らないのです。
そういう考えを持たないと、金融商品には手を出さないほうが、私はいいと思います。

この田中貴金属工業が定額口座をやっているというのは、昔、付き合っていた女が買っていた「エッセ」という家庭雑誌みたいなヤツに載っていたので、それで知りました。
勝手に切り取って(笑)、持って帰って契約しました(だからフラレタ?)。

でも、普通は、そのエッセの広告を読んだからって、買いませんよね。
行動を起こすのは、何事にも、きっかけというのがあるのです。
それは、「どうして郵貯がいけないの」という本に載っています。
引用します。

 軍事用の国債は455億円に上り、地方への貸付金などわずか4.9%を除いて、ほぼ予算のすべてが戦争に充てられている。そしてその源となった預金こそ、「郵便貯金」なのである。収入全体の8割を占め、戦費とほぼ見合う額となっている。そのほか簡易保険・厚生年金・郵便年金を含めて、日本の侵略戦争を支えたのはこうした「預金」だったのである。 
 この預金は、その後、実質的には預金者に返されなかったに等しい。敗戦以降の混乱とインフレ、翌年2月に進められた新旧紙幣の交換と使用制限、これらによってわずか半年の間に預金は5分の1の価値に下がり、前後10年の間には300分の1となってしまった。
(「どうして郵貯がいけないの」p21)

現在、すぐに、こんなインフレになることはないでしょう。
しかし、みなさん、よく考えてください。
政府をはじめ、各都道府県、市町村で、これだけ巨額の債券を出していて、その代わりのカネは、いったいどこにあるのか?
世の中では、不景気でカネがないといいますが、本当は、どこかにあるのです。
大部分は、副島先生が暴いた、海外のグローバリストを操る世界の資産家たちのふところ。
いや、副島先生だけではなく、ノーベル経済学賞を受賞したスティグリッツ教授も、「世界を不幸にしたグローバリズム」で、その手口を暴いています。
弱そうなところから、カネをむしり取る。
むしり取ったカネは、タックスヘイブンへ隠す。
彼らは、売国奴。

そして、あるべきカネの一部は、地道に貯めている日本人のタンスの中にあります。
「タンスの中」というと大げさですが、銀行預金にしろ、どこにしろ、無駄遣いをしない旧来の日本人は、持っていると思います。

この円を持っている人たちが、円の信用を疑うようになって、一気に放出したり使ったりする瞬間が一番恐い。
この瞬間に、ハイパーインフレが起こると、私は思っています。
もちろん、政府が今後、政策を変え、財政健全化に務めるならば、たぶん、円の価値は持ちこたえるでしょう。
他国の、特にアメリカのほうが、よりひどいですから。

ところが、いつまでも、他国に乗せられたて、今の調子でやっていけば、最後は、日本だけが痛い目に遭うかもしれません。
円の価値が無くなったら、誰が一番困るのか?
それは、円を交換手段として使用している、日本に住んでいる日本人です。
だから、副島先生は、

政府をあまり信用するな。
賢い日本人なら、自己防衛せよ。

と言っているいるのです。

ちなみに、「どうして郵貯がいけないの」の代表編著者は、「田中ゆう」となっています。
これは、田中優さんですね。
おかげさまでした。



副島先生は、素直で正直な、昔からの日本人を愛している人です。
そんな日本人を騙そうとしている人(日本人を含め)を、言論でやっつけてやろうという態度なのです。
ちょっと調べてみないとわかりませんが、いつの頃からか、その熱気が本に注入され、読後は、自分の気持ちも熱くなるのを感じます。

と、先生を真面目に語ってしまいましたが、たまには、こんな読み物にも、みなさん、付き合ってください。

自分のためにもなると思いますよ。

ではでは〜。
posted by T.Sasaki at 16:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 副島学問 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする