日本の漁業が崩壊する本当の理由 片野歩

世界中で魚類資源が増えているのに、日本だけが減っている。
この現実を、恥ずかしいと思うべきである。

日本の漁業が崩壊する本当の理由.jpg

すべての漁協組合長、理事、参事、そして、任意の漁業団体の会長以下すべての役員たちは、この本を読むべきだ。
読みたくないならば、「日本の漁師は大バカものだ」を参照すること。
これを認識できないならば、役職に就く資格はない!

2023年07月01日

ギリシア世界は西洋人の憧れだった

ふたたび、こんにちは。

西洋人は他を見下して支配したい」のつづきとなるが、白人優越主義の最もアンティークなものは、古代ギリシアまでさかのぼる。
しかし、ギリシアを徹底的にいじめ、苦しめ、破壊したのはローマ人である。
そのローマ人たちは、ギリシアの文化を横取りした。
結局は、ローマ人も西洋人なのだから、アンティークに基づく白人優越主義など意味はない。
アホらし。
そのことがわかる3つの文章を紹介する。

 それよりも300余年前、ギリシア・ペルシア戦争のあと、50年くらいして、ペリクレスという、ものすごくすばらしい、すぐれた指導者がアテネに出た。この人が15年ぐらい、すばらしい政治をやった。元祖デモクラシー(民主政治)”は、ペリクレスがつくったのだ。これが「アテネの全盛期」だ。そのころにソクラテスもいて賢帝ペリクレスよりも21歳下だ。
 ソクラテスはペリクレス政治を支援して共にデモクラシーのために闘った思想家(フィロソファー)だ。この頃、アテネは驚くほど豊かだった。
 だから、このあとのペロポネソス戦争(BC431年からBC404年。ギリシア人の内輪もめ)で、アテネがスパルタとの戦争で何回か負けた。といっても、豊かさからいうとアテネにかなわない。
 スパルタは軍事国家で、軍人になれる元気な男しか育てないような国だった。スパルタはあまり商業が栄えない山の中の、ペロポネソス半島の谷間にあった。アテネより先に奴隷の反乱で滅んだ(BC146年)。
賢帝”ペリクレス(BC495-BC429)の民主政治は、寛容の精神と人格者である指導者のすばらしい演説の力である。このペリクレスとソクラテスによる元祖デモクラシー”の正統の嫡子が自分たち欧米人である、と言いたいのだ。
 だから「ギリシア・ローマ文明」(4大文明の次の5番目の文明とする学説あり)を継いだのが、「ヨーロッパ・北アメリカ文明」である、と欧米人は言いたいのだ。
 ところが、ギリシアを叩き潰した(破壊した)のは、なんと後進国(新興国)のローマ人なのである。ここに世界史(学)の、大きなスキャンダルが隠されている。ローマ人こそは野蛮人である。
(「日本人が知らない真実の世界史」p225)

 クレオパトラは、自分のことをギリシア人だと思っていた。彼女はギリシア語を話していた。アレキサンドリアに住む多くの上層市民もギリシア語だ。一般住民は、アラム語(それが現地方言)だったろう。
 そして、BC48年にゼロ代”ローマ皇帝(理由は後述する)のユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)が、政敵ポンペイウスを追いかけて、ここにやって来た。そして彼女にクラクラッとなった。彼女が、あまりにきれいな女で、かつギリシア語をしゃべっていたからだ。二人は本気で愛し合ってしまった。それが権力者にとっては弱点となり、命取りになった。
 私がこの本で強く主張してきたとおり、中東世界全体で、BC333年(アレクサンドロス大王のとき)から、AD400年代まで700年間、ギリシア語が使われていた。地中海世界も中東全体も知識人、役人階級の共通語(リンバ・フランカ)は、ギリシア語だったのだ。コイネーという。
 ローマ人はギリシア(アテネが中心)を、BC168年とBC146年に破壊した。だが、犯人であるローマ帝国の軍人や官僚や貴族たちまでもが、公文書をギリシア語で書いていた。しゃべっているのは、ラテン語(本当はローマ語)だったろう。だが、文章にするときはギリシア語だ。
(前掲書p246)

 私はしつこく書くが、ローマ軍は、ギリシア各都市(アテネを含む)の貴族、官僚たち数千人(彼らがアカイア同盟の幹部たち)をローマに戦争奴隷として連行した。そして一部はローマの貴族の邸宅で、子供たち(子弟)の家庭教師にした。
 ローマ人はギリシア語と、ギリシア文化、文物、思想(フィロソフィー)に憧れ、敬い、劣等感を抱いていた。ローマ人にとって、ギリシア文化は、圧倒的に立派で優等で高品質なものであった。だから、ローマの貴族、高官、僧侶たちは、ギリシア語を話し、ギリシア語で書いた。
 これと全く同じことが、同時代(BC200年-AD400年代)の中東(オリエント世界)で起きていた。だから、『新約聖書』も、『旧約聖書』(モーセ5書)も、最初はギリシア語で書かれていたのだ。ヘブライ語ではない。ヘブライ語ができたのは、ずっとあとだ。
 どこの民族も国家も「私たちは古い。古い。古くからの民族だ」と言わないと、気が済まない。ずっと古くから在ったように見せかけるのだ。これをアンティークantiqueということを第1部のp120、121でベネディクト・アンダーソン著『想像(幻想)の共同体』から引用した。
(前掲書p263)


それから、ユダヤ教およびユダヤ人について。
ユダヤ教の旧約聖書とキリスト教の新約聖書では、字のとおり、先に旧約聖書が生まれたことになっているが、本当は、新約聖書のほうが先で、旧約聖書が先にできたようにユダヤ教の創作者たちが作ったらしい。
キリスト教を真似たイスラム教のように。

あの古いことを自慢するアンティーク主義が、古代ギリシア時代から続き、その後のキリスト教にまで影響する。
したがって、熱狂的な一神教の誕生は、副島先生によると、迷惑なのであり、悪なのである。
まさしく、熱狂を生む新興宗教は、すべて、5大宗教のコピーなのだから、大迷惑もいいところなのだ。
宗教に入り浸っている人は、この本を読んで、自分をアホだと自覚してほしい。
自覚できない人は、救われようもないアホだ。

 エジプト帝国とバビロニア帝国が、どちらも5000年ぐらい(BC3000年ぐらいから)の歴史を持っている。ここから世界史が始まる。これは定説である。そしてこの2つの大きな地域全体は、5000年前からつながっていた。
 この半月形のビーンズ(長い豆)の形をした大きな地帯全体の人々がすべてアラム語(Aramaic アラメイック)を話していた。互いにコトバが通じたのである。
 なぜなら、今も、エジプト人とパレスチナ人、シリア人、イラク人はお互いアラビア語で通じ合っているではないか。ということは、5000年前も通じていたのだ。
 アラム語を、中東の人間たちは、みんな話して通じ合っていた。
 何か奇妙なことを、私が今、書いている、と感じるだろう。まさか、そんな。すべての国でコトバはそれぞれ違うはずで、狐につままれたように感じる人は、このまま放っておいて、私は先に進む。
 P33の図の半月形の地域の人々は、エジプトからバビロニアまで、ずっと同じアラム語を話していたばかりか、宗教もすべて、太陽崇拝(太陽が神で、太陽を拝む)であり、かつ、豊穣神崇拝である。
 太陽神こそは、世界全体の神である。エジプトでラー Ra やセト Seto と呼ばれた。バビロニアではバアル Baar で、すべて太陽神だ。パレスチナ人(ぺリシア人)もバアル神であった。
 豊穣神とは、牛からたくさんお乳が出ますように、とか、作物(穀物と果実)が、豊かに収穫できますように、と祈りを捧げる神である。恵の神だ。エジプトではイシス女神とオリシス(その夫)への信仰である。
 だから、この肥沃な三日月地帯(ファータイル・クレセント ferrtile crescent)の中東全体が、共通にアラム語(古シリア語)を話し、宗教も共通に太陽神と豊穣神であった。そしてそこに、一神教(モノシーイズム)が出現、誕生して、入り込んできた。それ以来、人類は大きな迷惑を受けることになった。この大事実を、まず私はドカーンと指摘する。
 チマチマと国ごとに言語と宗教が分かれていたのではない。
(前掲書p35)


言葉の壁というのが、この地域にはない。
しかし、よそにいるユダヤ人がこの地域に来ると、言葉が通じないらしい。
したがって、副島先生の引用している本である「第13支族」「ユダヤ人の発明」は重要である。
ユダヤ人といっても、いろいろあるようだ。

なんと、今のパレスチナ人(ヨルダン川西岸とガザに押し込まれて住む)と、ユダヤ人は、互いにコトバが自然と通じるようだ。
 一方はアラビア語を話し、一方は現代ヘブライ語を話しているはずなのに。それなのに互いに話しコトバ(スポークン・ランゲッジ)は通じる、というのである。ということは、紀元前2000年からのアラム語=古シリア語を、今でも彼らは話している、ということだ。
 ところが、新たにヨーロッパやロシアから帰還してくるユダヤ人の方が、コトバが通じない。彼らは、現代ヘブライ語の書き言葉を習得することで苦労する。このことの奇妙さを、私たち日本人は世界史の勉強として注目するべきだ。
(「日本人が知らない真実の世界史」p100)


「日本人が知らない真実の世界史」は、副島先生が、他の人たちが歴史の再考を書いているので、自分も歴史について書きたい、ということから編み出された本である。
古い時代の歴史を動かす根拠として、先生は、3つの基本的な考えを提示している。
「食べさせてくれ理論」「ドドド史観」「熱狂史観」。
何のことかわからないだろうから、引用する。

1.食べさせてくれの法則。まず、なぜだか分からないが、50万人ぐらいの人間の群れがいる。この人々は、「私たちを食べさせてくれ。食べさせてくれ」と切望する。
 そこへ「よし。私が食べさせてやる」と、企業経営者のような、暴力団の大親分のような人間が現れる。
 そしてこの人物による厳しい統治と支配が行われる。これが国王である。
 今の大企業(中小企業も)のサラリーマンたちと、経営者の関係もこれだ。「自分と家族が生きてゆく給料さえ、きちんと払ってくれれば、あなたの言うことを聞いて働きますよ」だ。これが私のつくった「食べさせてくれ理論」だ。

2.ドドドっと遊牧民が北方の大草原から攻め下る。そして低地(平地)に住む定住民(農耕民)の国に侵入し、占領支配する。
 50万頭ぐらいの馬や羊を引き連れて、このドドドと攻め下る遊牧民(騎馬隊)が世界史(人類史)をつくったのである。
 中国の歴代の王朝(帝国)は、このようにして「北方(あるいは西方からの)異民族」である遊牧民によってつくられた。これが私がつくった「ドドド史観」である。
 そして、日本はこの2000年間、中国文明(漢字の文明。黄河、長江〈揚子江とは言わない〉文明)の一部である。日本は、中国漢字文明の一部なのである。
 私がこれを書くと、嫌われるのは分かっている。しかし大きく考えると、どうしてもこうなる。
 中央アジアも、中東(アラブ、イスラム教世界)も、そして西洋(ゲルマン諸族という遊牧民の移動もその一つ)も、こうして「ドドドの遊牧民」によってつくたれたのである。
 16世紀(1500年代)から海(船)の時代(大航海時代)が来て、それは終わった。
 西欧に近代が始まった。私たちはこれに支配された。だが圧倒的に強い西洋人のモダーン(近代)と言っても、たかが500年に過ぎない。そして現在に至る。

3.熱狂が人類史をつくる。あるとき、何だか分からないが、ドカーンと激しい熱狂が生まれて、多くの人が幻想に取りつかれて、その熱狂、熱病に罹る。それは地域を越えてワーッとものすごい速さで広がる。それが大宗教である。世界5大宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教、儒教)だ。
 人々は、救済と理想社会の実現(顕現)を求めて、熱狂に取りつかれる。これで、大きな対外戦争までたくさん起きる。そしてそのあと、人間の救済はなくて、大きな幻想が襲って来る。人間は、この大幻滅の中でのたうち回って苦しむ。人間(人種)の救済はないのである。
 人類の20世紀(1900年代)に現れた、共産主義(社会主義)という貧困者救済の大思想も、この熱狂である。人類の5大宗教とまったく同じである。この共産主義(社会主義)に、恐怖、反発して反共思想も生まれた。これも熱狂の亜種である。
 これが私がつくった「熱狂史観」である。
(前掲書p4)


おまけに、戦争の本質について、恐ろしい記述を載せておく。
今の日本は人口減少社会だから、これが当てはまるとは思えないが、しかし、何をやっているのかわからないような若者を見ると、こういう人たちが、きっと狙われるんだろうな、と思った。

 本当の冷酷な人類の歴史の真実を言いと、「余剰な人口」(余っている人間)を消滅させるために戦争をするのである。戦争というものの本質は、都市に寄せ集まってブラブラしている無職の若者を、まとめて狩りたてて、騙してどこか外国に連れて行って、廃棄処分するということだ。国家による人間の余剰、過剰在庫の処分だ。私の「食べさせてくれ史観」の延長に出てくる。
 中国の古代から語られている漢詩に、「古来征戦幾人か回(かえ)る」という有名な1文がある。征戦というのは、外国にまで征伐しに行く侵略戦争だ。大きくは自国を守るためである。
 征戦して、いったい何人の人が、自分のふるさとに帰り着けたか、という詩だ。すなわち、戦争で連れて行かれた若者たちは、ほとんど死んでしまうということだ。
 この若者たちは都市で流民化した浮浪者のような連中だったろう。職がなくて、余剰、過剰になった若者だ。そういう不良たちをうまい具合にかき集めるのが軍隊である。ひどい場合は、人狩り”(マン・ハンティング)で強制徴兵する。
 そうやって、中国の清朝(大清帝国)は、1回の征戦で50万人ぐらいの若者を処分した。北方のオイラート族おtジュンガル部という、モンゴル帝国の残党の遊牧民国を攻め滅ぼした。「古来、征戦、幾人か回る」の漢詩どおりだ。
 都市は、それで何が困ったかというと、別に困らない。都市の犯罪(治安)対策、失業労働対策になって良かったぐらいのものだ。
(中略)
 同じような廃棄処分を近代(1500年代から)のヨーロッパの王様たちもやった。
 国王たちは、治安対策と社会福祉のつもりで、都市流民(食い詰め者、乞食、窃盗犯)を捕らえては、囚人としてアメリカ大陸やオーストラリアや、南アフリカとかに捨てに行ったのだ。殺したりはしない。新大陸(ニュー・コンチネント)に連れて行って「勝手に生きてゆけ」と放った。
 アメリカは「清教徒(ピルグリム・ファーザーズ)がプリマス植民地に上陸した(1620年)という建国神話(物語)をつくった。しかし本当は、ヨーロッパの強国がその100年前から、北アメリカ大陸に、囚人たちの植民をさせていた。
 だから、戦争というのはそういうものであって、兵士たちはほとんど帰ってこない、半分も帰ってくれば大したものだ、という感じで出来ている。
(前掲書p221)

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2023年06月30日

西洋人は他を見下して支配したい

3回目。

副島先生の書いた「日本人が知らない真実の世界史」は、西洋人の卑しい戦略をズバリ指摘した本だ。
歴史の捏造、とまではいかなくても、隠している部分というものを見抜いている。
そこから、白人優越主義の根拠というのが、見えてくる。
世界中で起きている悪の根源である。

その副島先生でさえ、他の著作をたくさん勉強している。
それを包み隠さず引用して、私たちに教えてくれる。
非常にありがたいことだと思う。

この白人優越主義が、まぐろTACの異常な日本への要求へつながっているのではないか、と私は思うようになった。
こんなことに、いちいち日本人が従う必要はない。

それでは、副島先生の引用したベネディクト・アンダーソンという人の本も交えて、まずは、民族とか人種とか、そんなものは、あいまいなものだ、という指摘から。

 真実というのは、太陽が目の前で照っているのと同じように、明瞭なものなのだ。それを皆、見ようとしない。いろいろと騙されているからだ。
 ベネディクト・アンダーソンは、何を言いたかったか。
 それは、民族とか、国民とか、国民国家とか、人種とか言うが、どの民族も人種も、実際には長い歴史の中で混血して、混ざり合っている。大まかに、なんとなくしか民族の違いは区別がつかない。あとは言語と文化の違い程度だ。
 だから、「わが民族は、古い古い歴史のある優秀な民族だ」と、強がりを言う人々のほとんどはバカだということだ。
 本心は劣等感の裏返しだ。その理由は他の大きな国(帝国、覇権国)に支配され、服従させられたことへの恨みと反発から来ている。これがアンダーソンの主張だ。
 だから、「イマジンド・コミュニティ」であり、すべては幻想の共同体だ、ということだ。そして、このあと、ここで大宗教の果たす役割が、重要となる。
 たとえば、イスラム教徒は「クルアーン」という聖典をアラビア語で読むことで、アラブ人となる。
 このとき、アラブ人The Arabsが出来上がる。国の区別はどうでもいい。そして、イスラム教徒として、世界中で団結する。ここに強い「幻想の共同体」が成立する。
 これを「ウンマー・イスラミア(イスラム共同体)」と言う。「イスラム帝国」と言い換えてもいい。西は北アフリカの端のモロッコから、東はインドネシアまで、イスラム教(アラビア語)の幻想(想像)の共同体ができている、ということだ。
 そして、その次に「ユダヤ人は民族でも人種でもない。ユダヤ人とは、ユダヤ人の母親から生まれた者(母系社会だ)、あるいは、イスラエル移民法で認めるユダヤ教徒であることだ」となる。
 だが真実は、ユダヤ人とは、『旧約聖書』(モーセ5書)によって強く団結する民族優越思想(選民思想)を持つ者たちの、幻想の共同体なのである。
 EU(ヨーロッパ連合。本当はヨーロッパ同盟。EU東京代表部はそう主張した)とは、実はキリスト教圏(クリスチャン・ゾーン)である。ヨーロッパ人とはクリスチャンである白人たちの連合体である。
 この真実を、ヨーロッパ人たちは大っぴらには言いたがらない。人種・宗教差別だということがバレてしまうからだ。
(「日本人が知らない真実の世界史」p118)


日本でさえ、とにかく昔話を誇張し、単一民族だの、優秀だの、言う人たちがいる。
そんなものは、国民を洗脳したり、扇動したりするための道具なのである。

 同一民族とか、国民というコトバは、ベネディクト・アンダーソンによると、1820年代になって生まれた。そして、世界中で使われるようになったコトバである。それ以前にはなかったのだ、と彼が次のように説明した。

 またわたしは、このとき、新興国民がいかにして、なぜ、みずからを、ずっとむかしからあるもの(アンティーク)と想像するのか、これについて明快な説明をこれまでしていいことにも気づいた。「そしてこうしてみれば」多くの学問的著作においてマキアヴェリ的ペテン、あるいはブルジョワ的空想、あるいは冷厳な歴史的事実として登場することが、実はもっと奥深く、もっと興味深いものだということもわかってきた。
「むかしむかしからある」と考えることは、歴史のある時点における「新しさ」の必然的結果だったのだ。ナショナリズムという意識のあり方が、私が考えてきた、それまでとは根底的に変わってしまった。そういうあえて新しい意識のかたちを表現したものであるから、過去との断絶の自覚である。そして、自然に起きる古い意識の忘却。これがそれ自体の物語を創出するのだ。こうした角度から、1820年代以降に諸国で見られる国民主義思想に特徴的な、先祖返りの空想はその随伴現象だといえる。つまり、本当に重要なことは、1820年代以降の国民主義の「記憶」を意図的に近代的な伝記・自伝につくり変える構造調整だったのである。(ベネディクト・アンダーソン著『想像の共同体』p14〜15 一部、引用者が改訳)

アンダーソンは、ここで、「アンティーク」という言葉を使って、「自分の国は古い古い歴史のある、優等民族の国なのだ」と、どこの国も言いたいのだ、と解明している。そして、それは案外、新奇さ(ノヴェルティ)の裏返しだ、と。日本もまさしくこれだ。『日本書紀』と『古事記』を使って、今もこのハッタリ劇をやっている。
(前掲書p119)


映画「インディ・ジョーンズ」でさえ、私たち東洋人を見下したものなのだ。
本当は、このシリーズを好きだったし、基本的に、冒険活劇を私は大好きだ。
しかし、一気に嫌いになった(笑)。
徹底的に、副島先生によって論破されている。

 著しい成果を収めた帝国主義時代の学者として、ウイリアム・ジョーンズも挙げられる。ジョーンズは1783年9月にインドにやって来て、ベンガルの最高裁判所判事に就任した。彼はインドの驚くべき事物に目を見張り、すっかり魅了され、到着から半年もしないうちにアジア協会を設立した。この学術組織はアジア、とくにインドにおける文化、歴史、社会の研究に専心した。二年のうちにジョーンズはサンスクリットに関する研究結果を発表し、これが比較言語学という学問の先駆けとなった。(ユヴァル・ノア・ハラリ著『サピエンス全史』下巻 p119)

このウィリアム・ジョーンズ博士こそは、映画『インディ(アナ)・ジョーンズ』Indiana Jones(1981年作。ハリソン・フォード主演)のモデルになったインドのサンスクリット語の研究者だ。
 シリーズ第2作の『魔宮の伝説』(1984年)では魔人の奴隷にされている、かわいそうなインドの子供たちを救い出すために、白人の美女とインド人少年に連れて正義の味方”のインディ・ジョーンズ博士が活躍する物語だ。
 魔宮の魔神(ブラーフマン)に仕える大神官(グランド・マジシャン)が最後のシーンで倒されて、子供たちが救い出される。この大神官が、日本でいえば、日本の天皇(ミカド・スメラギ)である。
 こうやって欧米人は自分たち植民地主義者(のちに帝国主義者になる)であることを露見させ、居直る。そして、厚かましくも、図々しく「迷信と迷妄の中で生きている蛮族・土人に文明の光をあげよう」という考えで動いている。これが今の学者・知識人であっても欧米人はみな同じだ。
 自分たち自身が、ユダヤ教やキリスト教という魔術、魔法を信じて、大神官(ローマ法王や、大祭司)に仕えているのだ、という自覚を今も持たない。白人優越感情(ホワイト・シュープレマシー White supremacy)で今も生きている。
(前掲書p134)


世界史には空白があって、本当はヨーロッパの国々の起源がよくわからない部分がある。
そこをうまく利用しているのが、ヨーロッパ人なのである。

 あの偉そうにしているヨーロッパの白人たちの国家の始まりは、その起源は、チュルク人(トルコ系。アジアの大草原を渡ってきた遊牧民)か、そうでなければ、スカンジナビア半島発祥のノルマン人(ヴァイキング)なのである。
 ドイツとフランスはフランク王国だから別だ。ところがイギリスとロシア、ポーランドもハンガリーも、西暦800年ぐらいに出来た国だ。その前は、ないのである。
 古代ローマ帝国が滅んで、ローマ人たちが、ぞろぞろ引きあげていったAD400年代からあとが、はっきりしない。
 このあと、400年間ぐらい、実はヨーロッパはよく分からないのだ。文献(史料)もあまりない。
(前掲書p86)


白人優越主義の根底は、意外にも、脆弱な論理しかない。

われらが大谷だって、その対象だったのだ。
その力で、白人優越主義を撃破してくれ!

https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/268034(「東スポWEB」)



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2022年10月06日

先生という言葉について

こんにちは。

いか釣りで旅先にいるともちろん休日があり、特に北海道や日本海は、秋になると悪天候で連休も多くなる。
こういう時には、買い置きしておいた本を読む。
家にいれば、休日でもいろいろな仕事があるから、読書の時間を作るほうが大変だ。

今朝4時ごろ起きて、「オイラーの贈り物」という数学書を読み始めた。
朝の読書は、頭に入る。
学校時代は理数系を得意としていたから、今でも読めるだろういう慢心があったが、2ページくらい読んで、やめた。
頭の中の脳みそが、理系脳から社会系脳に変化していて、目が痛くなってきた。
最近は、数字を見るのが嫌になっているから、あんな数字や記号の羅列を見れるわけがない。
預金通帳の残高も、以前のように増えるわけでもないし、ましてや、現金出納帳の記帳など楽しいわけではない。
そういう数字でさえ、見るのが億劫だ。
超がつくほど、やることがない時に、またチャレンジしようと思う。

そこで、読み始めたのが、「他人のカネで生きているアメリカ人に告ぐ」という翻訳本。
副題に、リバータリアン政治宣言、と書いてある。
リバータリアンといったら、もちろん、副島隆彦先生が関わっている。
弟子の佐藤研一朗さんが「ロン・ポール」というアメリカテキサス州の下院議員の書いた本を翻訳したもの。
出版がちょうど津波の時で、ロン・ポール氏が今もまだ議員をしているかどうかはわからない。
副島先生の代表的な著作に、「世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち」という本がある。
勉強にはなるが、面白い本ではない。
しかし、この訳本には例え文がたくさんあり、読書できる人には、比較的読みやすいかもしれない。
政治家を志す人は必読と思われる(政治家に限らず、トップに立つ人間は、本くらい読め)。

北朝鮮が日本上空を通過させて太平洋へミサイルを落とした。
北海道と青森県の間を狙ったということは、着弾距離に自信がなく、間違って近くで落ちても、そこは津軽海峡だということで、このコースに発射したのだろう。
これで、日本のミサイル開発の話が、きっと出てくる。
政治が変わらなければ、東アジアに緊張は永遠に続き、アメリカの属国である日本は、どんどん困窮する。
「政治家や官僚たちって、何やっているの?」と言いたくなるよ、この本を読んでいると。

税金とは国家による泥棒なのである。
(「他人のカネで生きているアメリカ人に告ぐ」p43)


ごく一部分のみの引用で、こういう考え自体、極端すぎるのだが、税金のひどい使われ方をみると、納得せざるをえない。

 官僚たちのように自分が政府からの「合法的な略奪」に遭わないで略奪する側ならば、額に汗してお金を稼ごうとはしない。どんな階層の人間であっても、政府の仕組みをなるべく利用して自分の利益を増やそうとする。
(前掲書p37)
助成金は政府に提出する資金援助申請の書類を作成するのが得意な人々に流れていくのである。
(前掲書p44)


私自身、近年、非常にこれを感じる。
特に、コロナという大げさな騒動でばらまかれるカネなどで、具体的には書かないが、なぜ、あそこの会員が増えたんだ、と言いたくなる事案など。
漁業関係でも、公務員と話をすれば、彼らは積極的でないから、まともな回答は来ない。
保身、組織防衛しか、頭にない。
こうなると、日本人はみな、国や地方自治体から、したたり落ちるわずかなカネにすがるようになり、みじめとしかいいようがない。

アメリカという国の医療制度は、日本から見れば、所得の低い人に対して冷たかったが、オバマケアで少しは改善されたと、報道からそんな感じを受けた。
が、本当は、そうではない。
自由の国であったアメリカは、いつしか、がんじがらめの規制大国になり、医療はその弊害をもろに受けた。
ロン・ポール氏は、医師でもある。
その記述を引用する。

 高齢者向けの医療保険制度や低所得者向けの医療費補助制度が、まだ存在しなかった時代を例に考えてみよう。その時代の高齢者や低所得者は、今とほとんど変わらない負担で、実は病院で治療を受けられた。しかも、現在より質の高い治療を受けていたのである。
 私は医師として一度も、高齢者向けの医療保険や低所得者向け医療費補助の政府からのお金を受け取ったことはない。その代わりに、治療代を払えない患者には費用を割り引いたり、無料で治療してきた。政府による医療制度ができる前は、すべての医者が、自分たちが経済的に恵まれない人々に対して責任を持っていることをちゃんと理解していた。そして低所得者に無料の医療行為をすることは、当たり前のことであった。今ではこのことを理解している医師は残念ながら、ほとんどいない。それどころか政府が、医師と患者を食い物にする民間企業から自分たちを救ってくれるという、おとぎ話を信じている医師ばかりである。
 医療に対する法律や規制が医療費を高騰させた。そして実情に合わないほどの高い賠償責任を医師に課した。医師が困っている人のためにボランティアで治療しても同様の法的責任を問われるので、無料の医療行為はリスクが大き過ぎて行われなくなっていった。しかしアメリカが今ほど官僚的でなかった時代は、無料の医療行為は普通のことであったのだ。
(前掲書p59)


私は津波以前、映画大好き人間で、気に入った映画はVHSビデオにダビングしておいた。
その中に「本日休診」という町医者の物語がある。
戦争に対する風刺映画という評論ではあったが、医者は貧乏だ、というようなセリフを覚えている。
医者といえば、庭にでかい立派な黒い車が最低1台はあり、羽振りがいいのは常識だったので、あのセリフは印象的だった。
貧乏暇なし、とはよく言うが、日本の医師が昔はそうであったように、アメリカの医師も、相互互助精神から、それほど金持ちではなかったことが想像される。
無料の医療行為をするということは、他の患者からカネを少しいただいたとしても、贅沢をできるほどにはならないと思う。

リバータリアニズムは、福祉主義とは対極にある政治思想ではあるが、その良し悪しは別にして、福祉主義しか知らないよりは、知っておいたほうがいい。
恣意型コロナ病の騒ぎも、まだマスク一色であり、そのわりに感染者は世界有数である。
こんな一辺倒の考えを持つ国民も、世界でも珍しい。
たぶん、エラい人がマスコミを使って、「北朝鮮と戦争する」と言えば、みんな従いそうだ。
だから、知らないことを知ろうとすることは、大事なことなのだ。

副島先生はリバータリアンだが、そんなもの、自分の主義であり、他人に押し付けるわけではない。
過去の歴史を検証し、常に思考実験を重ね、「アメリカの悪事をあばき、日本はいいようにアメリカにカネをむしり取られている」と常に言ってきた。
だから、日本は貧乏になった。
日本が貧乏になった最大の原因は、アメリカにある。
そして、結論は、「アジア人同士、戦うな」である。

いつまでも「中国や北朝鮮は悪だ」「ロシアは悪だ」「韓国は嫌いだ」などと、政治家や官僚が言うのは、外交失格である。
外交の一部分の税金は、無駄遣いとしか言いようがない。
そして、その一部分が、各省庁、各自治体にたくさんあるわけで、それを足し算すれば、巨額になる。
「他人のカネで生きているアメリカ人に告ぐ」を読んでいると、北朝鮮のミサイル事件など、アメリカ一辺倒の外交の失敗であるのが、よく見えてくる。

戦争が起きて、一番の犠牲になるのは、政治家や官僚ではない。
私たち一般人だ。
東アジアの国々で、少々の人権侵害や搾取があっても、目くじらを立てるのではなく、うまく付き合っていくべきである。
一般人が、巷間で、「こうすれば日本は良くなる」と言っても、そうはならない。
ましてや、政治体制がまったく違う外国のことを「こうすればよくなる」なんて言っても、それがかなうわけがないじゃないか。
「アジア人同士、戦うな」という先生の言葉は、ずっと以前から言われていたのだが、私は最近、その意味を、ようやく理解するようになった。

副島先生は、「先生と弟子」という言葉にこだわっていた。
彼は、日本語にしろ英語にしろ、言葉の意味を大切にする。
Aがある考えを主張し、Bがそれを学んだ。
この関係で、Aが先生となり、Bは弟子である。
「先生」とは、字のとおり、「先」を「生きている」のである。
副島先生は、本当に、先を生きている。

私は、船を動かせない困難の時、考える時間があった。
これからのこと、過去のこと、カネのことなどを考え、自覚し、少額ながら「学問道場」へ寄付した。
教わった感謝の気持ちが、何より非常に大きい。
どうせハイパーインフレが来るなら、つまり、カネの価値が落ちるなら、その前に使ってしまえ、という乱暴な考え方もあったのも確かであるが(笑)。

副島先生がまだベストセラーを連発する前、20年くらい前の話だが、彼と電話で押し問答をしたことがあるという、懐かしい思い出もある。
彼は、それをちゃんと覚えているし、お礼のメールもいただいた。
びっくりするほど、記憶力のいい方である。
もちろん、感謝の気持ちをこめて返信したのは言うまでもない。

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2022年05月07日

分断して支配せよ

こんばんは。

ウクライナのプチャ虐殺が、ニュースのネタにならなくなった、と思ったら、“自粛”しているらしい。
テレビや新聞の人間たちは、どうなっているのか。
副島先生は非常に怒っている。
下記リンクの〔3394〕を読んでみてほしい。

http://www.snsi.jp/bbs/page/1/(「副島隆彦の学問道場」)

どの報道機関も、ウクライナのプチャ虐殺を、ゼレンスキーがやったとは報じない。
せめて、今までウソの報道をばら撒いたのだから、お詫びとして、事実を報じるべきなのに、ウクライナのダーツが刺さっていることを全く明らかにしない。
報道機関の人たちは、人間であることを捨てて、すべて、アメリカの犬になってしまった。

ここで、少し、副島先生の本から引用する。

 アメリカの外交思想の基本である「パワー・バランス理論」の、その土地ごとの具体化が、「ディバイド・アンド・ルール」divide and rule です。このディバイド・アンド・ルールというのは、「分断して支配せよ」という政策です。東アジア各国を決して互いに仲良くさせず、分断して、相互を反目させてその上からアメリカが統治する、という戦略なのです。属国どうしが仲良くなったら、帝国(覇権国)に刃向ってくる、ということが分かっているからです。このディバイド・アンド・ルールという考えは、ローマ帝国(同時に共和国でもあった)の昔からあります。
(新版「日本の秘密」p206)


私は津波で原版「日本の秘密」をなくし、それで新版を再び買って読んだ。
副島先生を知った最初の本で、記念品みたいなものだ。

「分断して支配せよ」は「分断して統治せよ」ともネットでは出てくる。
ロシア分断の試みをやったのが、アメリカであり、バイデンである(バイデンはオバマ政権の時からウクライナに手を出している)。
ロシア、ウクライナ、ベラルーシは、同じ民族である。
そのことを、以下にまた、副島先生の掲示板投稿から引いておく。
ウクライナのことを考えるなら、こういう貴重なことを、ちゃんと理解しておく必要がある。

ウクライナ人と ロシア人だけに殺し合いをやらせる、という作戦だ。ウクライナ人は、西暦800年代から、北方バイキングが移り住んできた時から、キエフ・ルーシ(赤ルーシ)と言って、モスクワ・ルーシ(黒ルーシ)と、ベラルーシ Belarusi ( 白ロシア、白羅斯、ベロルーシア) と同じく、Rusi であり、大きくはロシア人だ。だから人種も民族も同じだ。その キエフ・ルーシとモスクワ・ルーシを戦わせて殺し合いをさせている。アメリカの兵隊と、NATOの兵隊は誰も死なない。
 「同じスラブ Slav 人(劣等民族 )どうしで殺し合いをさせればいいんだ。私たちは高みの見物だ」という、残酷な思想で動いている。
(「重たい掲示板」[3368])


私たちも、同じモンゴリアン同士、戦争させられないよう、注意していなければならない。
他山の石ではない。
posted by T.Sasaki at 20:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 副島学問 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月20日

強欲と愛との闘い

みたび、こんにちは。

最近、ある人が、若くして(70過ぎ)内臓疾患で、もう船に乗れなくなった、と聞いた。
彼が、暴飲暴食したのをあまり聞いたことはないが、とにかく、働きすぎだったように思う。
最低限度の少人数で、常に船を動かしていた。
相当に体格がいいか、相当にじょうぶであるか、そうでないと、無理すれば、年をとってから体のどこかにガタが来る。

他人の人生を想像すると、自分の人生は、どうだったか、ということを、誰しも自問するだろう。
私は、今がそういう時期のように思う。

過去、40歳後半までは、頑張った。
少々天候が悪くても頑張った。
でも、今の魚類資源の減少を見ると、頑張って魚を獲ることが、いいことなのかどうか、という問題に突き当たってしまう。
大臣許可漁業のまき網やトロールだけの問題ではない。
だから、ちょっと時化予報が出れば、休むようにしている。
最近は、頑張らない。
(といいつつ、頑張る時もある。笑)

頭の回転は、年を取るとともに鈍くなり、若い人には、まず、かなわない。
しかも、私の場合、いか釣りの船頭をやり始めてから、30年近くなってしまった。
こうなると、やる気は、若い時の半分もない。

広範囲にするめいか資源があるわけでもなく、狭い範囲に船が何十隻もいて、するめいかを獲っている。
運悪く、魚群を見つけることができなければ、もちろん、獲れない。
それほど、魚探反応が多いわけではない。
するめいか漁が楽しくできたのは、あちこち調査して、それが身になった時だった。
それほど、魚探反応がたくさんあった時代である。
今や、するめいかの漁が、楽しいとは思えない。

そして、前沖の漁業が、壊滅的であり、ますます、自分のやる気をなくしている。
鮭はえ縄も、調査して魚群を探し、縄を入れる。
昨年など、そういう話ではなくなっている。
かごにしても、獲り尽くした感がある。
常に、「もう潮時かも」と思っている。
とにかく意欲がなくなった(これをモチベーションがなくなったというらしいが、あえて私は日本語を使う)。

「悪魔の用語辞典」という本を読んだ。
こんな題名で堂々と出版するのは、副島先生くらいのものである。
これは、必読に値するが、いろいろな本を読んでいないと、たぶん、理解できないかもしれない。
結局のところ、世界で起こっているのは、強欲と愛との闘いということであり、宗教全般にそれは及んでいる、ということらしい。
次に引くのはその中の一文であるが、これは考えようによっては、私にも当てはまるし、みんなにも当てはまると思う。
昔、初期の頃の井上陽水さんが、「限りない欲望」という歌を作ったが、それを思い出してしまう。

お金儲けや利益を追求する行動そのものは正しい。否定するべきではない。人間が努力して自分にできる限りの良い暮らしをしたいとして金銭欲や財産を求めることは正しい。がしかし、これがある段階になると、どうもそれは周りの人々に迷惑をかけてしまう。特定の人間たちの強欲の行動はどうしても多くの人々の幸福に危害を加え、害悪をもたらす。だから否定されなければならなくなる。
(「悪魔の用語辞典」p34)


私の父親の時代、鮭はえ縄の全盛期であり、それでも、鮭を獲れない人もいた。
それほど、魚群は固まっていて、そこに縄を入れた人が大漁した。
長年、鮭を大漁した人は、それほど多くない。
上記引用文のとおり、大漁した人は、強欲だったかもしれない。

するめいかもそうだ。
たくさん資源があった頃でさえ、うまく次々と魚探反応を見つけた人は大漁したし、そうでない人は、かわいそうだった。
どうなのだろう。
大漁した人は、強欲なのか?
私の場合は、たまに、反応をゆずったりしたから、強欲ではないと思う。

近年、私は、実験的なことをやっている。
花咲から一度八戸へ戻り、レーダーを修理し、再び、北海道へ来た。
これはもう実利というより、実験である。
どうなるか知らない。
が、少なくとも、強欲ではないと思う。
いろいろやってみて、知りたいことがある。
知識を得たいという欲は、強欲とは言わないだろう。
副島先生は、その欲がすごい。
尊敬に値する。

私は、欲が深いからこの世界の全体像を知りたいのだ。枝葉のことよりも大きな全体を知りたい。そのために生きている。そして死んでゆく。あれこれのウソの知識や部分真実に騙されて終わるわけにはゆかないのだ。人類の思想史(宗教史)の全体像(全体の姿)がわからなければ、偏った部分真実すなわち、個々の宗教や思想に騙されてしまう。
(前掲書p48)


人生は一度しかない。
そして、私は偶然、生き残っている。

ただ強欲だけに走るのは、もったいない、と考えるようになっている。
posted by T.Sasaki at 18:18| Comment(0) | 副島学問 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月03日

社会福祉を建前とする鬼たち

ふたたび、こんにちは。

毎度紹介する「世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち」を読むと、日本の安倍政権のやっていること、そして、国家官僚のやっていることが極めて低レベルであることがわかると思う。
震災でこの文庫本を流失したのを買い戻し、通読したら、再度感動した。
前回の「黒人差別について」の中身の理解も(例えばアメリカファーストなど)、「世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち」を読んでいれば、理解は簡単だ。
どんな小さな自治体の議会議員であろうと読むべき本であり、この1冊で、世界で起こっている政治ニュースをだいだい理解できると思う。
最近は、「日本はアメリカの言いなり」と誰もが言うようになったが、これは、副島先生の功績である。

アメリカの属国である日本は、アメリカに逆らえば必ず嫌がらせを受ける、ということを前提にした覚悟が必要である。
それを、日本国民に政治家が伝えることが先決なのだ。
しかし、日本政治家は、正直に、そういうことを言わない。
変なプライドがあるのだろう。
どうせ、大したことはできないくせに。

ここで、人権とは何か、という問題を少々。
政治で、人権を無視することは、許されない。
しかし、この人権は、歴史的には、最近発明されたものなのである。

「自然権」natural rights を人類史上はじめて主張したのは、イギリスの近代政治哲学者・大思想家ジョン・ロック(1631−1704)である。ジョン・ロックも「自然法」=「自然のおきて」そのものは認めている。しかし、彼はそれよりも「自然権」(ナチュラル・ライツ)を強調した。「人間はひとりひとりの個人に、生まれながらの固有の権利として、“天”Heaven あるいは、“神の摂理”Divine Providence から“ナチュラル・ライツ”を与えれているのであり、これは何人も奪うことのできない生得(natural)の諸権利(rights=正義)である」として、この「自然権」の方を「自然法」より重視した。
(「世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち」p195)


この中に、自然法という言葉が出てくるが、これを説明するのは難しい。
自然法は、アリストテレスに端を発すると言われているが、ジョン・ロックの自然権に、エドマンド・バークという人が、異議を唱えた。
そのことを以下に引く二つの文章を読んで、自然法とは何か、ということを感覚でとらえてほしい。

フランス革命を実行に移した過激派政治家たちがロックやルソーの「自然権」を鵜呑みにして、それを自分たちの行動の原理としてかつぎ上げ、「人間は生まれながらに自由かつ平等だ」と高らかに宣言したこと、それ自体をたいへん嫌った。
 なぜなら、この地上でこれまで人間が、そして社会が自由かつ平等であることなどなかったし、大昔も過去も現在も、それからおそらくは未来においてもない。政治宣言として「そうあるべきだ」と主張する以外には、そんなことはないからである。かつ、そんなことは誰にも証明できないからである。実際の人間世界では、「人間は、なるべく個人の努力により、自由かつ平等であるべきだ」としか本当は言えないのである。
 近代以降の人類が犯した戦乱や民族皆殺しや政治的大量殺人など数々の悲劇と大間違いは、この自然権思想の立場に立って、現実の世界を無視して楽天的に、「人間は自由で平等だ」などと簡単に宣言してしまったことにある、と考える根本保守の思想は、実質的にこのバークによって始まった。
(前掲書p198)


私も、その通りだと思う。
「永遠の相の下で」という言葉が、ナチュラル・ロー(自然法)では重要であり、ナチュラル・ローとは、「永遠の相の下における」「自然の秩序そのもの」である。

これらは決して目に見えず、人間という愚かな生き物の、その人智を越えて、永遠のものであり、とらえ難いものである。
 しかし、そのような「社会のおきて」は、たしかにこの人間世界に「在る」のだ。このエドマンド・バークの思想は『フランス革命の省察」の中にちりばめられている。バークは、1989年にフランスで起きた大革命を激しく非難した。それは人間の自由の解放でも何でもなく、ただの民衆暴動であり、国王や貴族たちを何千人も断頭台に送り、合計三万人ほどの人々を殺害し、挙句の果てダイトンやマラー、ロベスピエールらの革命家を気取る野心家たち自身が、お互いの血なまぐさい殺し合いによって幕を閉じていったにすぎない。フランス革命というのは、巨大な秩序破壊、文明破壊にすぎなかった、と断じた。
(前掲書p204)


しかし、世界中で大躍進を遂げたのは自然権(ナチュラル・ライツ)であり、それをもっと進めて、人権派(ヒューマン・ライツ)は、さまざまな人権を作った。
それは、各国の憲法典にある通り。
もっと極端にしたのが、アニマル・ライツ派であり、「クジラを食べるな!」「イルカを食べるな!」「サメを食べるな!」となった。
そのアニマル・ライツ派は、牛や豚を、かわいそうではないというのだ。
さっぱり意味がわからない。

自然法から人権開発までの流れの後、ベンサムの功利主義が登場し、やがて、先述、リバータリアニズムが登場するのである。
そう、過剰福祉を嫌い、税金の無駄遣いを厳しく追及する政治勢力である。

しかし、である。
忖度政治を除けば、前回書いた「安倍首相のやったこと」の財政赤字と過剰福祉の話は、どこの国も悩んでいる。

「もうこれ以上、福祉のためにかける公的なお金はないんだ。みんな自分のことは自分でやってほしい。国や社会に頼って生きようとするのはもうやめてくれ」と、いくら言いたくても、彼らは言えないのである。「政治家・官僚として政権を担当している以上、私たち国民大衆に満足に食べさせ、医療を与えるのがオマエたちの義務だ」と国民大多数派は、無言で要求するからである。保守的な考えの持ち主である中小企業の経営者やお金持ち層の人々の最大の弱点も、同時に、ここにある。「貧しい人たちのことなど考える必要はない」とは、彼らといえども絶対に言えないのだ。口にしたら、政治家として失脚する。
 だからアメリカで、民主党(リベラル派)が「福祉をばらまき、犯罪者を甘やかし過ぎている」ことのために共和党系からどんなに非難されようとも、だからといって、共和党(保守派)が民主党を決定的に追い詰めて圧勝するということもまた、ないのである。次の2000年の大統領選で共和党が勝ったら、きっと「均衡財政」「赤字財政の建て直し」「公務員の数の削減」「ばらまき福祉の見直し」等を実施するだろう。しかし、それにも限度がある。福祉を要求する国民多数派を敵に回してまで「福祉削減」を実行することはどうせできない。
(「世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち」p163)


アメリカでさえ、政治は、こんなものであり、やはり福祉政策には背けない。

そこで政治家は何をやっているか、というと、政治屋として、政治をやっているフリをしているのである。
このように説明すれば、日本の安倍首相がやっていたことに納得がいくと思う。
つまり、何の方針もなく、「ただやっている」だけ。

個人個人の生活では、普通ならば、人間も動物であるから、自分の食い扶持は自分で稼がなければならない。
が、ここからは人間になり、かわいそうな人は助けよう、という考えに落ち着くだろう。
そういう考えのない人は、「鬼」である。
この「鬼」という言葉は、ある親しい人から、しばらくぶりに聞いたことだ。
しかし、なるほど、彼の言い分もわかる気がしないでもない。
「助ける」とか「手伝う」とか、そういうことが基本的に欠けているように思ったから。

亡くなった財務省職員の赤木俊夫さんを、助けようともしなかった財務官僚たちは、「鬼」である。
鬼ばっかりいる官僚機構など、小さいほうがよい。
改ざん、隠蔽が横行して、まともな仕事をしていないなら、そんなもの、やめてしまえ!
アメリカのリバータリアンたちなら、そう叫ぶ。
このように厳しく言う、筋の通った政治勢力が、日本でも出現してほしいものである。

(本当は、小沢自由党が、これを目指したのだろうと思うが、周りについて来れる人が少なかった。世界を知らない人が政治家になると、こうなるのではないか。しかたがなく、自民党に対抗するために民主党を作ったが、失敗に終わる。あ〜、もったいない。副島先生の出現が、あと20年早かったら、この日本は変わっていたかもしれない。)
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2020年04月24日

複雑な数式の経済学は、破綻している

ふたたび、こんばんは。

アメリカの経済学は、破綻したらしい。
ノーベル経済学賞を受賞したアメリカのポール・クルーグマンが、昨年10月10日、ブルーグバーグ紙で、アメリカ経済学者たちは間違った、と白状した。

「私たちアメリカ経済学者は、自分たちが書いてきた美しく着飾った高等数学の、難解な数式を多用した論文を、(人間世界を貫く)真理である、と考えてきた。それは間違いであった」
(「経済学という人類を不幸にした学問」p21)


引用した本には、原文の英文まで書かれている。
この本には、ニューズ・ウィーク誌に転載されたマイケル・ハーシュという人の評論文も、英文と訳文で紹介し、それを、副島先生が解説している。
なぜ、ポール・クルーグマンが槍玉にあげられたのか?
それは、彼がアメリカ経済学会で威張っていて、反論意見を徹底的に叩いてきたからである。
アメリカの属国である日本にも、もちろん影響している。

ポール・クルーグマンは、ニューケイジアンであり、一応、ケインズの弟子ということになっているが、ケインズは、かなり逸脱したニューケイジアンを無視した。
副島先生は、ニューケイジアンたちがケインズの理論を悪用した、としている。
その対極にあったマネタリストたち(超規制緩和派)も、結局、役に立たず、むしろ、彼らは、ずるいことをやってきた。
その代表格が、ロバート・ルーカスであり、日本の子分が、竹中平蔵である。
マネタリストといえば、ミルトン・フリードマンであるが、その先生が、フリードリヒ・ハイエクである。
ハイエクは、ケインズのライバル的存在であった。
しかし、ハイエクは、フリードマンの悪意を見抜き、経済学から撤退している。
フリードマンは、正論を吐くふりをして、実は、強欲金融資本主義者だった。
そして、先述のルーカスである。
この部分を引用する。
世界の重要な情報というのは、一握りの強欲主義者に握られているのである。

 ロバート・ルーカスを首領(主唱者)とする合理的期待(=予測)派は、「すべての人は、すべての情報が利用できて、完全に正しい予測、間違わない完全な予測(偏りのない予測、外れない予測、歪んでいない予測)ができる。全ての優れた経済理論も利用できる」と考える。
 このような全能の神に近い、「完全なる経済人間」というモデルを大前提にした理論が合理的予測派だ。まるでカルト集団だ。このように、日本人の小室直樹先生がズバリと解明した。
 誰がいったい、この完全なる「正しい予測、不偏な予測」のできる「完璧なる経済人間」だろうか。それは、まさしく、初めから、競馬の勝ち馬やサッカーの試合の勝敗を知っていること(インチキ、八百長トバク)である。
 これを別名で、「情報の非対称性(アンシンメトリー・オブ・インフォメイション)という。普通は情報弱者は劣勢になる、という理論だ。しかし本当はそういうことではない。情報の非対称性とは、初めから情報は権力者、支配者たちに握られているのである。権力者たちは、初めから答(結果)を知っているのだ。
 マネタリストのミルトン・フリードマンも、合理的予測(はできる)派のロバート・ルーカスも、ロックフェラー家に操られていたのである。フリードマンもルーカスも「シカゴ学派」である。名門シカゴ大学は私立大学であり、創立資金はジョン・D・ロックフェラー1世が出したことは前述した。
(前掲書p272)


「統計学を知らない人の株取引は、カモにされる」で、株取引の危うさを書いたが、その上、こんな有り様である。
金融バクチに手を出すのはやめたほうがいい、とあらためて思う。

いろいろと外国人の名前が出て、嫌になったと思うが、もう少し、お付き合い願いたい。
ここからは、余談。

ポール・クルーグマンたちが、数学や統計学で見誤った原因の一つに、「スウェット・ショップ・エコノミー」というのがある(前掲書p182)。
これは、奴隷工場的な低賃金、長時間労働を行なって、モノを生産し、それで商売していること。
グローバル企業は、スウェット・ショップ・エコノミーの商品をアメリカへ輸入し、ついに、アメリカ労働者の失業を増やした。
結局、アメリカ上層部には富をもたらすが、下層労働者には、いい迷惑である。
このことで、いろいろな部分で目覚めた国が、中国である。
もう、工業経済では、アメリカは中国にかなわなくなっている理由が、ここにある。
そして、中国は、形を変え、今でも、スウェット・ショップ・エコノミーのようなものをやっている。

 本当のことを書くと、これらの世界各地での鉄道建設には、中国の「生産兵団」という準軍隊が使われる。私は、この「生産兵団」の実態を2008年に、新彊ウイグルの炎天下の岩石砂漠地帯で目撃した。中国は、刑務所の受刑者(囚人)たちを大量に連れて来て、これらの荒れ地やジャングルの開発工事をやらせている。世界中でやっている。数百万人が動因されているだろう。それが「生産兵団」の実態だ。
(「今の巨大中国は日本が作った」p229)


こうなると、中国は強い。
仮に、「SARS corona virus 2」で、1億人の中国人が亡くなっても、残り十何億人だか知らないが、彼らが突破する。

引用した著書の題名にビックリした人がいるかもしれないが、中国にアメリカ経済学の必要な部分を教えたのが、日本人であった。
森嶋通夫と青木昌彦という一般に知られていない人なのだそうだ。
これにより、中国は、巨大な経済成長を成し遂げる。
青木昌彦においては、亡くなった時、北京の清華大学で慰霊祭が行なわれた。
日本ではまったく報道されなかった。
森嶋通夫に関しては、マルクスの資本論を、ケインズ流に翻訳した。
それを中国人の秀才たちが学んだ、ということである。
森嶋と、もう一人、置塩信雄という共作者がいる。

「経済学という人類を不幸にした学問」という本には、経済学の基礎をなす数式が出てくるが、私はあまりわからない。
というより、理系人間のくせに、数式を見るのが嫌になった。
あとで、ちゃんと読もうと思う。
この本の中で、外せない文章があるから、ここに紹介する。

 この青木昌彦と森嶋通夫の業績はものすごく重要だ。きっと、このことを中国人は日本人に知られたくないだろう。でも私は、このことを日本人に知らせる。特殊な能力を持った日本人学者たちが、今の巨大な中国を作ったのである。このことを、この本で知らせなければいけない大きな事実だと考える。
 今のマイクロソフト(ビル・ゲイツが作ったコンピューター会社)やグーグル、アップルなどが開発した、たとえばiTunesは、元はiモードもそうだが、ソニーの日本人技術屋たちが作ったものなのだ。ウィンドウズとうアイデアだって、名古屋の若い学者たちが考えたものだ。そういうひらめきのある日本人が、東洋と西洋白人世界をつなぐ重要な役割を果たしているのである。
 ところが、この生来きわめて優秀な日本人たちは、日本国内で正当に評価されることもなく、陽の当たらないところで静かにしょんぼりと死んでいく。
(「今の巨大中国は日本が作った」p156)


この愛国心豊かな文章に、産経新聞系列のメディアのたわ言は、かなわない。
彼は、産経系列を大嫌いである。

私は、経済関係の数式が出てくると、そこを飛ばして読む。
副島先生は、私より一回り近く上なのに、よくこんなことがわかるなあ、と感心する。
彼は、社会科学出身であり、法学部出だ。
私は、工学部出身だから、本当は、数式に強いはずなのだが、もう微分積分の式を見ただけで、思考が停止するようになった。
漁師は、文系なのだと思う(笑)。

たぶん、最近、このブログを訪れた人は、何を書いてあるかわからないと思う。
そこで、理解するために読んでほしいものがある。
副島隆彦先生の書いた「世界覇権国アメリカを動かす政治家とその知識人たち」。
アマゾンの書評によれば、間違いの記述もあるそうだが、それでも、政治の大枠は理解できる、と思う。
50代からもっと上の世代だと、「日本の秘密」を読めば、ショックを受け、「世界覇権国アメリカを動かす政治家とその知識人たち」へと読み進めると思う。
日本がアメリカの属国である、と日本人にはっきりと知らしめたのは、副島先生である。

ここまできて、意外な記述が、「経済学という人類を不幸にした学問」にある。
アメリカのトランプ大統領は、若い頃、民主党員だったというのだ。
「スーパー301条」というアメリカが日本に対して、発動した法律を知っている人もいると思う。
特にこの頃、日本の自動車産業の勢いが強く、それを拒否するために、課徴金(制裁関税)を25%かけたというもの。
これに影響され、今、トランプ大統領が、中国にやっている。

トランプは、若い頃(1987年、41歳まで)は民主党員でゲッパート主義者であった。
(「経済学という人類を不幸にした学問」p177)


日本を目の敵にした「スーパー301条」は、ゲッパート民主党議員の提出した法案が元になっている。

最後に、MMT理論。
これは、みんな批判されている。
失業者を減らすために、財政出動を積極的にやるべし、ということであり、カネをどんどん政府が使え、ということ。
ケインズの考えを、もっと進めたもの。

 このMMTというのは、貧乏人(最低限度の低所得者層)であるすべての国民に、毎月10万円(アメリカなら、月1000ドル、ヨーロッパなら月800ユーロ)を、政府が現金で配れ、という政策提言だ。
 政府と中央銀行が、どこまでも、どれだけでも、お札(紙幣)を印刷して国民を救え、である。大借金(即ち、更なる財政赤字の積み上げ。更なる日銀引き受け)をやりなさい。それが正義だ、という漫画じみた経済政策が、公然と主張されているのである。
(中略)
 AOCという略称で通用するアレクサンダー・オカシオコルテス(30歳)が旗を振っている。彼女は、今、アメリカで人気のある若い下院議員(ニューヨーク州第14区ブロンクス区選出)だ。両親はプエルトリコ出身。貧困層の味方で、なつかしい映画『ウエストサイド物語』を思い出させる。あの映画はNYに住むプエルトリコ人たちを描いた。
 それと、二ユーヨーク州立大学のステファニー・ケルトン教授(50歳)がそうだ。貧困層の味方で、古生代(パレオ、paleo- ペイリオウ)ケイジアンだ。ケインズ思想に、本当は最も忠実な祖形、原型のような学者たちだ。
(前掲書p254)


「MMT理論」で検索すると、いろいろ出てくるが、まあ代表的なもの。

https://vicryptopix.com/mmt/(「クリプトピックス」)

みんな右往左往している感じ。
この新型ウイルスで、もう経済は、ますます底なし沼。
だから、「東京オリンピックは、きっと中止」で書いたように、「際限なくカネを配れば、財政破綻するが、どうせ破綻するなら、毎月、生活費として、みんなに10万ずつ配る。どうなるかやってみればいい。もう先がわからないのだから。」なのだ。

ここで、「だから」という接続詞を使ったが、実のところ、MMT理論については、今日、本を読んだばっかりなので、「だから」ではない。
思いつきである。
国民に、ただ「休め」と言えば、みんな生活に苦しむだけである。
それよりは、「休め」の代償として、毎月10万円ずつ配って、そして、「外交の安倍」という評価を勝ち取りたいならば、世界同時デフォルト、と各国に提案し、新通貨に切り替えればいい。
通貨は、所詮、人間の作ったものだ。
だから、みんなが生活できるように運用できればいいだけの話である。
金持ちのためだけに、通貨はあるのではない。

「経済学という人類を不幸にした学問」を読んで、私もケインズ主義者、それも、MMTに傾倒しそうだ。
ただし、純粋なケインズ主義やMMT主義なら許せるが、これを利用するずるい人間は許せない。
ずるい人間は、いっぱいいる。
新型ウイルスが解決したら、このMMTの話は、なかったことにする。

(追記)
書いてから気がついたことだが、日本の野党が10万円支給の話を言い出したのは、このMMT理論のことなのか。
いい始めた人は、ちゃんと白状すべきだ。
それが、学者への礼儀だと思う。

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2016年11月09日

『ヒラリーを逮捕、投獄せよ』

みなさん、こんばんは。

ついにやりましたね〜。

トランプ氏、クリントン氏に番狂わせの勝利−国民は既成勢力拒否(「ブルーグバーグ」)

無駄話の効用」で取り上げた通り、これは、ホント、異常です(誰も異常と感じなかったのか、「いいね!」が皆無だった)。
「日本がどうなるか?」「世界がどうなるか?」と、そんなことばかりテレビでは流れていますが、トランプ氏勝利の本質は、アメリカのメディアだけでなく、世界中のメディアも敵に回したのに、アメリカ国民が、なぜ、このような投票を行ったのか、ということにあると思います。
言葉では、クリントン夫人をどんな人間か、表現できなくても、肌で感じるものがあった、ということだと思う。

今日、久しぶりに、副島先生の「学問道場」をチラ見しました(近年、1年に数回程度チラ見する程度)。
やっぱり、やってました〜。
本も書いてましたよ。
それも過激な題名!

「ヒラリーを逮捕、投獄せよ Lock Her Up ! ロック ハー アップ」

獰猛な女、ヒラリー・クリントンのメール問題については、こちら「重たい掲示板」の[2036]を読むこと。

「トランプ氏では不安だ」と、ぼけた事を言っている人は、少し考えもの。
戦争好きの女より、アメリカ第一主義(アメリカ・ファースト)のほうがいい。
アメリカ・ファーストは、共和党の伝統的な主張の一つであり、グローバル・コップ(世界の警察官)は、民主党の伝統的な主張なのです。
アメリカ・ファーストについても、検索すれば出てきます。
この辺の所を、最低限学んでほしい。
中華思想とアメリカ・ファーストは、同じではない。

私たち貧乏人たちは、世の中に大きな変化が起こっても、大したことはない。
カネを持っていないから。
ところが、金持ちには、大変なのです。
世界中の金持ちたちは、経済活動に”影響を及ぼさないような範囲で”平和であってほしいから、グローバル・コップが必要であり、したがって、アメリカ民主党と世界を股がる金持ちたちは、繋がっている。
非常に戦略的な話!
わかったでしょ!

身近にもいるんですよね〜。
戦略的な話をして、身内を蹴落とそうとする人が。
私は、副島先生の本を読んでからというもの、そういう話を見抜けるようになりました。
ずる賢い人間に対抗するには、まっすぐ、でいいんです。
下手に頭がいいふりをすると、術中にはまり、言いくるめられる。

素直さが、武器になる。
posted by T.Sasaki at 21:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 副島学問 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月24日

「巡視船 Vs. 中国漁船」 3

みなさん、こんばんは。

今日まで強風が吹いたので休んでいましたが、明日から昼イカ操業です。

相変わらず、尖閣諸島は、お祭り騒ぎ。
双方とも、燃料の無駄遣いです。
きっと、石油業界は、喜んでいる?

昨日の「巡視船 Vs. 中国漁船」シリーズは、ちょっと乱雑な文面でしたが、素人なので、まあ、お許しください。

この衝突事件があった当時、私は、「私は、海上保安庁の味方」を書いていたんですねえ。
忘れてました。
年をとると忘れっぽい(笑)。

今さらですが、読んでみると、あの事件は、そのまま素直に考えただけでいいと思います。
無理やり、アメリカのせいにしたかったら、「巡視船 Vs. 中国漁船」の最後に書いた、カネをつかませる戦略が、一番簡単です。

ところで、渦中の副島先生を、かなりこき下ろしているブログが存在します。
それは、巡回先に記してある「心に青雲」(いつのまにか、「新」という字が抜けている)です。
題名もズバリ「副島隆彦氏の中国妄想、妄言」。

http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/294390913.html
http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/294543830.html

内容は、まあ、それなりに面白いですが、(2/2)のほうで、「実際は漁船ではなく、工作船であったはずだ。」という確定できない表現もあり、副島先生と似た感じがしないでもない
本人は、怒るでしょうが、何となく、似ています(笑)。

それから、(1/2)に、家の壁の色や浴衣姿が悪い、とか、変なことを書いていますが、こういうところも、どこか、似ている(笑)。
副島先生自身、確か、「属国日本論を超えて」だったかに、「ふんどし一丁で語り合ったほうがいい」とか書いていましたから、有言実行ということですね。
たぶん、「心に青雲」の都築詠一さんは、「属国日本論を超えて」を読んでない。

この(1/2)には、尖閣諸島を中国自身が日本の領土と認めている証拠として、「史実を世界に発信する会」のファイルへのリンクが記されています。

http://hassin.org/01/wp-content/uploads/Senkaku-Incontrovertible.pdf

いろいろと言い分はあるでしょうが、あとは、副島先生の言うとおり、戦争を起こさないように、うまくやっていくしかないですね。

私は、どっちからも、おいしい部分だけを、いただくのです(笑)。

喧嘩しないでね。

ではでは〜。

晴れ
posted by T.Sasaki at 19:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 副島学問 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月23日

「巡視船 Vs. 中国漁船」 2

みなさん、再び、再び、こんばんは。

「尖閣諸島中国漁船衝突事件」で検索すると、いっぱいありますね。
で、次のリンクが、たぶん、たぶんですよ、中立的な感じ。

http://rightaction.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-cf26.html(「父さんの日記」)

『ただはっきりと言えることは、この流出ビデオを見る限りにおいて、「中国漁船が故意に衝突した」とは断言できない、ということです。』という表現は、非常にあいまいで、私は大好きです。

自信のない時、私もやりそうな書き方(笑)。

このブログからわかったんですが、巡視船「みずき」は、小さい船だったんですね。
このくらい小さい船なら、挟み撃ちで拿捕できます(副島先生は、私のことをきっとアホだと思った。笑)。
たぶん、海上保安庁側も、「このやろ〜、捕まえてやる」と乗り移ったか(笑)。

ははは・・・、ビデオ、じっくり見させてもらいました(今ごろ?。笑)



「よなくに」に衝突した中国船のビデオを見てわかったこと。

これは、故意です。
ブログ筆者は、操船ミスではないか、としていますが、衝突前の映像で、船を増速させた時の黒煙が上がっています。
増速しなければ、衝突していません。
他船を前にして、増速する、というミスは、考えられません。
だから、ミスではなく、故意です。



「みずき」に衝突した中国船のビデオを見てわかったこと。

ブログ筆者は、前進と後進の時とは、出る煙は違うというようなことを書いていますが、同じだと思います。
ただ、黒煙は、前進にしろ、後進にしろ、エンジンに対する負荷の状態を意味します。
停止状態で、急前進、急後進すれば、煙だらけ。
もちろん、前進しているとき、後進にクラッチを入れるか、逆に、後進しているときに前進にクラッチを入れれば、この場合も、真っ黒です。
衝突の場面ですが、衝突した瞬間、中国漁船は、アイドリング状態に減速したか、クラッチを切ったか、のどちらかですね。
もし、衝突と同時に後進クラッチを入れたら、もっと早く黒煙を上げるはずです。
減速して、その後、増速した、と私は思います。
「みずき」の黒煙が邪魔していますが、中国船は、ちゃんと走っていますもの。

「みずき」と衝突したのも、中国漁船側の故意です。

これらが、操船ミス?

あ〜、バカくさい。

結論。

中国漁船の故意の衝突です。



それから、挟み撃ちして拿捕した、という副島先生の説ですが、やっぱり、私は違うと思う。
本当に捕まりたくなくて逃げたいなら、いろいろな手を使って、逃げると思うし、最初から故意に衝突するということなどしません。
大体にして、悠々と操業している風景を見れば、日本の海上保安庁をなめてかかっています。

そして、逆に考えるならば、必死で逃げようとする相手を、挟み撃ちなどという生易しい方法で捕まえられるなんてほうが、余程おかしい。
相手は、必死に逃げようなどとはしていない。

そう思いませんか?

故意にぶつけ、あとは、故意に捕まった、と私は思う。

手出しできない日本から帰れば「自分は英雄。懐には大金」。

さすが、アメリカ!

ではでは〜。

曇り
posted by T.Sasaki at 23:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 副島学問 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「巡視船 Vs. 中国漁船」

みなさん、再び、こんばんは。

尖閣諸島と竹島 2」で紹介した「今日のぼやき」1337を読みまた?

http://www.snsi.jp/tops/kouhou

読んでみて、「これ、おかしいんじゃないの?」と思う人もたくさんいるでしょうが、白黒はっきりしない部分が多すぎて、たぶん、誰も判定できないでしょう。
書いた副島先生も、珍しく「〜いたようである」という表現を用いたりしていますし、証拠文献もそれが真実かどうかは、その当時、記した人間に聞くしかない。

歴史なんて、そんなもの。
ただ、「歴史は繰り返す」ということが正しいとすると、次のことが成り立ちます。

「歴史に関する研究や学習には意味はない。全くの時間の無駄である」
したがって、
「人間は、他の動物並みに、バカである」

人間のすることに「〜十年周期である」などという法則を見出すことなど、おもしろくも何ともない、と最初に苦言を書いておきます。

ここからが本題。

この「ぼやき1337」のかなり下のほうに、中国漁船が日本の海上保安庁の船にぶつかってきた事件を、写真付きで取り上げています。
↓は、あらましのわかるリンクです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%96%E9%96%A3%E8%AB%B8%E5%B3%B6%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E6%BC%81%E8%88%B9%E8%A1%9D%E7%AA%81%E4%BA%8B%E4%BB%B6(「ウィキペディア フリー百科事典」)



ここで、ちょっと引用します。



それを、まるで中国漁船のほうから、日本の海上保安庁の巡視船にぶつかってきたように見せかけた映像を(内部から)流出させた。日本の巡視船が2隻で中国漁船を両方から挟(はさ)み撃ちにして、逃げられないようにして、幅を次第に狭(せば)めていった。そして停止させて拿捕したのである。
(「副島隆彦の学問道場」「今日のぼやき」1337)



私は、どうやって、巡視船が漁船を挟み撃ちにして衝突させたのか、知りたい。
すでに、「このことは、私は自分の何冊かの本ですでに書いた。」としているように、本にも記述されているようですし、たぶん、「副島隆彦の学問道場」内にも、たくさん書いていることでしょう。
私は、不良会員ですから、恥ずかしながら、実は、読んでいません(笑)。

船を操船している人なら、誰でもわかるとおり、大型船が、逃げ回る小型船にぶつけるなんてことは、不可能に近い。
例えば、機関砲などの火器を使用したりすれば、それは可能かもしれません。
しかし、そのようなものを使用した話は皆無。
小型船は、大型船に比べれば、加速、減速、小回りに優れます。

しかも、あの映像だと、横ですよ。
後ろからですよ。
挟み撃ちしようとしたら、全速後進し、急旋回すれば、中国漁船は、簡単に逃げることができます。

だから、私は、副島先生に、メールで疑問をぶつけました。

返信はあるのかないのか。
たぶん、ないほうの確率が高いかな。



上記の「ウィキペディア フリー百科事典」のリンクで、下のほうに、「日中両国の報道の相違」がありますが、ここに「日本の報道では、久場島の北北西約27キロの日本の領海から約3キロの排他的経済水域(EEZ)で、巡視船「みずき」の保安官が乗り移って停船させたとしている」とあります。
中国漁船が捕まりたくない一心で逃げるなら、どうして、『巡視船「みずき」の保安官が乗り移って停船させ』ることができたのか、これも不思議。
本気で捕まりたくないなら、「みずき」が近寄ってきて保安官が乗り移ろうとしたところで、また、ぶつけ、、全速後進。
絶対に保安官を乗せません。
私なら、そうしますよ。
燃料が続く限り、逃げます。

報道発表で、どうしてもウソを書きたいなら、「漁船の燃料が切れて、保安官が乗り移った」としたほうが、私たちを信用させることができたでしょう。

へたくそ!

ここで、副島先生みたいに、アメリカの“やらせ”にしたいのなら、非常に簡単。

中国漁船の船頭に、何百万円か、手間賃をやればいい。
「ぶつけたあと、おとなしく拿捕されろ。捕まっても、どうせ、日本は何もしないから」と。

これなら、「みずき」の保安官が簡単に乗り移れるわけです。

複雑なシナリオを作って、日本の政治家や海上保安庁の巡視船を動かすよりも、非常に簡単だと思いませんか?(副島先生は、本に何て書いたんだろう?)

さて、真実は?

ウソは、上手につきましょう。

ではでは〜。

曇り
posted by T.Sasaki at 22:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 副島学問 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月18日

デモクラシーと世論

みなさん、こんばんは。

日本海のスルメイカ漁が、突然、大漁になり、昨日ようやく電気竿を船に取り付けました。
のんびりペース。
だって、1年中、仕事しっぱなしなので、今の時期ぐらい、ゆっくりしたい。
でも、大漁の話を聞くと、ワクワクしてくるのも事実。
だんだん、準備のピッチが上がっています。
運良く、好天続きで、来週には、たぶん行けるかも。



時の人、小沢一郎さんは、非常にお茶の間をお騒がせしていますが、というより、メディアに踊らされて、騒ぎすぎの感があります。
話題性バツグンですね。
その小沢さんは、自分の自由思想を棄ててまでも、二大政党制を実現させようとしました。
本来、彼が、民主党肌ではない、ということは、再三、ここでは書いているので、それは理解できると思います。
さて、その彼の目指した政権交代の意味を、はっきり記した文章があります。
それをちょっと紹介します。



 そもそも、デモクラシー(デモス・クラティア)とは何か。まず「デモクラシー」を「民主主義」と訳すのがおかしい。「民主政治」と訳さなければいけない。デモクラシーはイデオロギーではない。民主政治体制です。より正確には「代議制民主政体」とするべきだと思います。
「デモクラシー」(democracy)とは、「デーモス demos」すなわちピープル people、一般大衆による政治のことです。国民大衆に選挙権を与えて、選挙で代表(representatives レプレゼンタティブス)を選ぶ。レプレゼンタティブスが国民議会(立法府)の議員です。その議員(国民の代表)たちの中から選ばれて「キャビネット cabinet」、内閣を作る。これがガヴァメント government、政府です。国家の権力、power パワーを、この国民の代表たちであるレプレゼンタティブスたちに与える。これがデモクラシー、民主政治体制です。
 そして、もしこのデーモス(ピープル)の代表たちが間違った政治(行政)をしたり、国民の生活を危機に陥れるときにはもう一度、選挙をやって、その代表者たちおよび政府を取りかえる。すなわち政権交代です。この政権交代があって初めてデモクラシーである。この基本理解が、日本国民の知識層にすらない。選挙で政府を取りかえるというところに、デモクラシーのいちばん重要な意味がある。
(「売国者たちの末路p196)



だから、政権交代を実現した小沢一郎さんを、副島先生は、非常に評価しているのです。
デモクラシーの意味、みなさん、知っていました?
私は、この本を読んで、初めて知りました。
こんな基本的なこと、知っているようで、実は、知らないんですよね。

副島先生は、各著書に、例えば、今回の「デモクラシーとは?」という基本的なものを、ちょいちょい載せます。
これが、非常に勉強になる。
彼は、この点、本当に重要なことを、教えてくれます。

ところで、政権交代に必要なのは、それを形作る世論。
そして、メディアで発表される世論調査というのは、案外、いいかげんなものなのです。
次の二つの文章が、それを物語っています。



 しばしば見られるのは、非常に複雑な問題や重要な問題について、世論調査で「あなたは賛成か、反対か」と二者択一の質問をすることです。この○か×かの結果だけを、国会での意思決定の材料にしようとすることが多い。
 しかし実は、世論調査で聞いている内容そのものが、かなり難しい場合があるわけですね。専門的な基礎知識を求められたり、複雑な背景を考えなければ簡単には答えを出せない場合がたくさんある。そういう問題を一般国民全員に、単純に賛成か反対か聞いても正しい判断材料になるとは限りません。ですから、われわれは代表者を選び、その代表者がそれぞれの専門分野を持って、専門的な討議をしたうえで、重要な意思決定をしてもらう。
(前掲書p198)

たとえばメディアがよく行う方式に、電話による世論調査があります。このとき回答者は家にいて、時間を割いて電話に出られる人でなければならない。すると、世論調査の母集団に偏りが出てくるわけです。その母集団の調整をするのかしないのか。調整次第で回答結果も変わってきます。
(前掲書p204)



つまり、電話世論調査は、主に、暇人を調査しているわけだ。
間違っても、健全な勤労青年が、電話に出ることはありません。
真面目な勤労青年は、休日もいろいろな活動をしていますし。
そんなわけで、副島先生は、次のように怒っています。



今のメディアの連中が行っている世論調査は、ものすごくおかしい。偏向報道のために、作為的に偽造された世論調査の結果発表です。
(前掲書p199)



田中真紀子元外務大臣がリチャード・アーミテージ国務副長官に面会拒否した時、彼女を袋叩きにしたのは、大手新聞5社。
各新聞社は、テレビ局ともつながっていますから、もちろん、テレビも袋叩き。
つまり、大手メディアは、日本人政治家よりも、アメリカ人政治家の肩を持っているわけだ。
今は亡き、中川昭一財務相の酩酊事件も、その裏側には、何か謀略めいたものがある、と勘ぐっています。
この辺は、「売国者たちの末路」を参照してください。

あ〜あ、新聞・テレビって、あまり信用できなくなっているんですね。
そのためかなあ。
岩手日報も、じきに夕刊廃止するんだそうです。
朝刊も廃止になったりして。

ではでは〜。


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2009年05月19日

「学問」って、何? 2

みなさん、こんばんは。

昨日のつづき、です。

掛谷英紀さんの書いた「学問とは何か」という本を、私は持っています
これを旅先で読んでいたら、「漁師のくせに、とんでもない本を読んでいるんだなあ}と驚く人がいました。
漁師でなくとも、普通は読まないかも?

この本では、学問を「予測する力を持つ体系的知識、およびその知識を得るための研究方法」(p4)と定義しています。
goo辞書」の「国語辞書」にあったのと同じように感じますが、しかし、「予測する力」という言葉を含んでいます。

そうなのか。
予測に役立たないような研究は、学問として、評価されないわけか。
はい。

ところで、副島先生は、「学者としては落第」(「メモ 18」コメント参照)なんだそうで、たぶん、先生特有の直感のことを指しているんだと思います。
直感ですから、それが当たれば、「お〜、さすが!」。
はずれれば、「ありゃ、落第だ」となるわけです。
でも、直感っていうのは、研究者としては、必要なものなのです。
引用します。

科学や工学においても、研究レベルにおいてどのような仮説を立てるかという点では、現在も研究者の直感を頼りにした研究が行われています。
(「学問とは何か」p20)

私は、一応、理系出身です。
理系の研究は、ある程度の成果が見込めるものを、教授たちが経験的に選択し、学生たちにやらせているのです。
この「成果が見込めるもの」は、仮説の段階ですから、当然、直感的なものになります。
ましてや、文科系となると、直感が、非常に大事。

社会科学や人文科学の場合は、既に述べたように、実験と観察をするのはそんなに容易なことではありません。ですから、仮説を検証するのにかなり長い時間を要することになります。しかし、実用的に考えると、それだけ長い時間待つことはできないわけです。そこで、仮説の段階でも、それを学問の記述の中に組み入れざるをえないという事情が発生します。
(前掲書p22)

だから、副島先生の直感も、たぶん、ある程度の経験的裏づけから出てくるものなのでしょう。
そして、調査したデータが、それと一致すれば、それが学問の成果となります。



ところで、「ウィキペディアフリー百科事典」で「学問」を調べてみると、次のような文章が見当たります。

「なお、科学、技術、工学などの言葉は、定義が無数にあり、統一的な定義は存在しないため、科学と技術をベースとした学問の分類とその範囲を厳密に決めることは困難である。」
(「http://ja.wikipedia.org/wiki/学問」)

これを「学問とは何か」という本では、上手に使い分けしています。
発見するのは、「科学」であり、発明するのは、「工学」(もちろん、こういうように明確には書いていませんが)。
だから、文系にも「社会工学」というものがあるわけですね。
この使い分け、わかりやすいと思いますし、必要なことだと思いますよ。

法則や真実を「発見する」のが、「科学(science)」。
発明するのが、「工学(engineering)」。

ここで、また、副島先生のぼやきに戻ります。

 だいたい、「文学(部)」などというものは,サイエンス(学問)ではない。近代学問の枠のなかには入らない。強いて言えば、「下級学問」「下等学問」である。
 文学というのは、世界基準の理解では、「人文(じんぶん)」と言うのだ。 これは、humanities(ヒューマニティーズ)の訳語である。「人間が過去の書いた碑文や、古文書や、文章などを、調べる事」 を意味する下級学問のことなのだ。だから、歴史学(history)は、明らかに、文学の一種である。誰がどんな風に解釈してもいい性格からして、いかにも,下級学問である。
(「今日のぼやき」001)

学問にも等級があるらしく、ははは・・・、歴史学は、下級。
歴史は、文書の発見や文書公開で、簡単に変わってしまいますから、下級でもしかたないかな。

ところで、「数学」って、自然学問でしょうか、それとも、社会学問でしょうか?
経済学でも、微積分や計算式がたくさんありますよね。
どっちなんでしょう?

数学(Mathematics, マセマティクス) これも、もともと神学の側であって、サイエンスの側ではない。
(「今日のぼやき」001)

これで、納得!
数学こそ、神学から“流れ出たもの”だったのです。



ちなみに、初期の「ぼやき」は、『副島隆彦のぼやき漫才』というWebサイトでした。
今日のぼやき」の200番ぐらいまでは、本当に基礎的なものがたくさんありました。
勉強になりますよ。

それから、「学問とは何か」を読んだのだから、今度は、「科学とは何か」という本を検索して買ってしまいました。
森田邦久さんの著作です。
でも、これは、バリバリの専門論文で、おもしろくなく、読む気力がありません。。
「DN説明」、「IS説明」とか、お手上げ!

いつ読むことやら。



それでは、何日か、お休みします。

ではでは〜。
posted by T.Sasaki at 22:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 副島学問 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月18日

「学問」って、何?

みなさん、再び、こんばんは。


心に青雲」主宰者さんが、「学問」に触れられていたので、せっかくですから、これ、やります。

「学問」という単語、わかっているようで、わかっていないような、知られているようで、知られていないような、そんな感じの言葉です。
試しに、「goo辞書」の「国語辞書」で、「学問」を調べてみると、「一定の原理によって説明し体系化した知識と、理論的に構成された研究方法などの全体をいう語」とあります。
イマイチ、パッとした説明ではないですね。

じゃあ、英語では何て言うんでしょう?

goo辞書」の「和英辞書」で、「学問」を調べてみたら、「learning; study」とあります。
ありゃりゃ、学習?勉強?
これは、あんまりだなあ。



「学問」について、副島先生が、何も書いていないはずがありませんよね。
ちゃんと書いています。
何と、「学問道場」の「今日のぼやき」001に、つまり、一番最初に、「神学(セオロジー)と学問(サイエンス)の 大きな闘い 2000/02/11」というのを書いています。
要約すれば、「学問」は、「science」であると。

「science」といえば、「科学」。

しかし、副島先生のまな板に載せられると、粉々に切り刻まれて、何も残りません。
日本語訳に欠陥があるのだと。

「科学」という言葉は、「今日のぼやき」001によると、1930年代ぐらいから、流行りだしたらしい。
そして、この「科学」という言葉は何なのだ!、と怒っているのです。
怒りを引用。

 それでは、いったい、この、「科学(かがく)」なる言葉の、「科」の「学」というのは、なにを意味するのか。誰か、答えてみろ。「科」の「学」というのは、なんなのだ?
 「だから、それは、サイエンスの、日本語の訳語なんだから、それで、いいではないか」では、すまない! 馬鹿どもが! なーにが、「自然科学」で、「社会科学」もあります!だ。
(「今日のぼやき」001)

なるほど、「科」の「学」とは、何を意味するのでしょう。
「科」を「学ぶ」のかな?

一方、「学問」は、学び問う、学んでは問い、それからまた、学ぶ、そして、問う、の繰り返し。
これにより、いろんな法則や真実を発見するわけだ。
「問う」ことなしに、「学ぶ」だけだったら、うん、真実を発見できるかどうかは、確かにあやしいなあ。
だから、副島先生によると、「science」=「学問」≒「科学」であると。



興味深いのは、「science」という文字。

自然(nature,ネイチャー)の、natu(ナツ)と、本質(essence,エッセンス)のess(エス)と、サイエンス(science,スシアンス、「知るということ」すなわち、学問)のsci(スシ)の、この、3つともが、実は、すべて、『 神(god)から流れ出たもの』と言う意味なのである。これを、流出論という。私は、このことを、14世紀のイスラム神学を、調べていて分かった 。
(前掲)

本当かどうかは別として、神がすべての創造主なのだから、「science」も神が創ったもの一つ。
だから、神学の側から見れば、神から流出したものになります。

ここで、再び、引用。

サイエンス(近代学問) と、対決して、サイエンスと、大きく並び立つ人類の知恵の大柱がある。、それは、 神学(theology,テオロジー) である。日本人には、世界基準での「神」が、分からない。じつは、私も分からない。だから、神学と言われても、何の事だか分からない。 それでも、この神学なるものが、中世ヨーロッパ以来の、この500年間の人類の知恵の、巨大な構造物である。
(前掲)

つまり、神学と「science」は、全くの別物。
そして、この二つは、人間の知識の源である、ということ。

私たちの頭の中にあるものは、このどちらかから生まれたものだったんですね。

まあ、どっちでもあまり関係ないし、それがわかったからといって、何も変わりませんけど。

ではでは〜。

posted by T.Sasaki at 21:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 副島学問 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月06日

メモ 18

副島先生の態度」をアップロードしてから、巡回してビックリ!

http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/dcbec347918074da0fc7482002c76120(「心に青雲」)

福祉制度の過剰ではなかった時代(大昔)なら、介護認定などなく、当事者は、みんな死んでいた。
もし、こういった局面に自分が陥ったら、与えられた運命だと思って、あきらめて死ぬしかない。
周囲に迷惑を掛け、迷惑を掛けられた人が自分よりも早く死んでしまったら、これほどの苦痛はない。

私も、難治性骨折をしたとき、100年前なら、たぶん、その辺に捨てられて死んでいた。
一度死んだと思えば、何も恐くはない。
だから、一生懸命生きる。

コメントには、記事に対する反論があるけれど、私は、この方の肩を持ちたい。

副島先生の態度」で、次の記述の引用を控えたが、あえて付け足す。

昔の日本人は、母屋のわきの隠居小屋で、死んでいった。あるいは、作家・深沢一郎が描いた『楢山節考』の姥捨山の慣行や、親族一同が集まって、上からぬれ雑巾をかぶせたり、「枕落とし」をやったのだ。私たちは、人命尊重思想に脅迫されて、生ける屍となって、床ズレを起こして腐りながら病床に何年も縛りつけられる必要などはない。人類がヒューマニズムや人権を履きちがえるのも、ここらあたりを潮時にすべきであろう。
(「日本の秘密」p234)
posted by T.Sasaki at 20:18| Comment(4) | TrackBack(0) | 副島学問 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

副島先生の態度

みなさん、こんばんは。

おととい、どこかの子どもたちと岸壁の広場でサッカーをやったら、その影響で、まだ筋肉痛が続いています。
仕事とスポーツの筋肉は、使うところが違うんですよね。
スポーツ的な行事に参加すると、いつもこうなります。

若い証拠!

自己満足でした(笑)。



グローバリストの非道な戦略に対抗する論理展開の続きです(「人間牧場」Vs.「反過剰福祉」参照のこと)。

リバータリアニズムという政治思想を、日本に紹介した副島先生は、そのままリバータリアンです。
ところが、彼の学生時代は、みなさんと同じかもしれません。

 ひとつは、私自身が、高校生時代ぐらいから、新左翼=過激派系の政治運動に魅かれ、長くその影響下にあったことである。
(「日本の秘密」p236)

その後、しばらくして、「現代アメリカ政治思想の大研究」という本を書き上げました。
この瞬間に、私たち凡人は、そして、日本の一般読書人は、世界のことを少しわかるようになりました。

 このとき私は、アメリカの現代思想の各派を、日本語でコンパクトにまとめて、全体的に性格描写することで、自分が悩み苦しんで来た20年来の政治イデオロギイ遍歴からも解放されたのである。
(前掲書p239)

冒頭に書いたリバータリアニズムについても、どうせなので、先生の書いたものから引きます。

 私自身は、既に、共和党内の一大勢力であるリバータリアニズムという民衆的保守思想に接近しつつある。リバータリアニズムLibertarianismは、「反過剰福祉、反官僚制、反税金、反国家、海外内に駐留している軍隊を国内に撤退させよ」論を唱える強固な、個人主義的、古典自由主義者たちである。リバータリアンは徹底して、経済法則(市場原理)重視である。国家が、個人の生活に要らぬおせっかいや干渉をすることを拒絶する。彼らは、現在のアメリカを支配し、民主党リベラル派を操っているグローバリスト(globalist 世界を管理・支配しつづけようとする人々)たちと闘っている。
(前掲書p246)

この文中にある「反過剰福祉」という言葉に、アレルギーを起こす人がたくさんいると思います。
この言葉を使うのは勇気がいるし、誰もが悩む問題です。
そして、先生も悩んでいる。

 なぜ、人は健康であらねばならないのか。なぜ、病者はいつまでも、回復の見込みもないままに生きねばならないのか。なぜ、老人は長いせねばならないのか。なぜ、重度の身障者たちを延命させるのか。なぜ植物人間の生命維持装置をはずしてしまわないのか。なぜ、そんなにしてまで、未熟新生児を生かそうとするのか。
 私は、あれこれ配慮して、用意周到にものごとを考える人間ではなくて、かなり率直に語る人間である。社会問題についても、ズケズケと言うしか、他にあまり取り柄のない人間なのだが、それでも、この「人命とはそんなに尊いものなのか」というテーマで、何かを言いきることは、今の今でも相当にためらいを覚える。やはり、人間の命は尊いものなのだろう。
 ものごとを率直に語るとは、主題を言語的に抽象化し、ある問題の周辺部分の議論を除去して、中心部分をむきだしにすることである。言い換えれば、主題を極限までつきつめて考えることである。近代ヨーロッパで発達した、論理学や数学における微分(差別化)あるいは積分(思考統合)することである。このように何重にも前置きして、私は自分の言論が、生命軽視の危険な思想ではないのか、と誤解されることに対して予め予防線をはっておくことにする。
(前掲書p187)

「反過剰福祉」の結論は、やっぱり、日々を一生懸命生きろ、ってことになります。

 家族(血縁者)の愛情のつづく限り、その病者の命を、我がことのごとくいとおしむ者がそばにつきそっている限り、その病者を延命させるがよい。家族の経済力その他が続くかぎり看護させてやるがよい。しかしそれ以上のことを、医療倫理、人命尊重、人間愛の普遍思想の名を借りて主張してはならない。そのことによる精神的・経済的重圧はすでに、制度としての、あるいは理念としての福祉が強制する限度を超えて十分に国民生活を圧迫しているのだ。今の日本国民は、福祉思想の奴隷になっているのだ。
 すべての人は、自分の生活(生命)を思いきり楽しまなければならない。それは生きて在ることの喜びを真に尊ぶことであり、それが死者たちへのつくすべき礼儀である。そして自分の体にガタがきて用がなくなったと思ったら、静かに消滅しなければならない。犬猫鳥は死期をさとると姿を消す。生ける屍となって腐りながら、病床にしばりつけられる必要はない。ひとは、自分が生まれる時を選べないのであるから、せめて死ぬときだけは、仕方なく、かつきちんと、死んでゆかなければならないのである。
(前掲書p201)

みなさん、以上を読んで、どう考えます?

反過剰福祉は、自然選択による適者生存という形になります。
だから、新世界秩序の推進側は、同じ人口抑制の立場にある反過剰福祉には賛成しません。
自然選択による適者生存では、新世界秩序の側からは、商売にならないからです。

過剰福祉がなくなれば、避妊の可能な現在では、自分に養うことのできる分しか子どもを作りません。
自分の養える分以上の子どもを作る親は、バカです!
仮にそれがバカでないというのならば、卑怯とも言えます。
何せ、養える分以上の子どもを作った場合、その資源を、他人に負担させるんですから。

「いや、頭がいいのだ」と彼らが言えば、その通り。
社会制度を上手に利用しているんですね。はい。

発展途上国では、子沢山家庭が多く、それを養う資源がありません。
いや、あるかもしれないけれど、グローバリストの餌食になっています。
それでも、グローバリストが、1冊の本、そう、ここで書いたような人間の基本的な性質から資源問題などのアウトラインを教育する本1冊でいい、そんなものを作って、「あまり子どもを作りすぎても良いことはない」と教育するなら、まだマシというもの。

グローバリストたちの保有する財団は、一応、慈善団体であり、確かに、女性の地位向上という局面から発展途上国の人口抑制に寄与するものもあります。
しかし、彼らの資金と世界中の国々から拠出される資金で飢餓はなくなる、という論文も多々あり、したがって、慈善団体を掲げる財団は、表向きの顔でしかない、というのがわかります(女性の地位向上などや資金のあり方などは、ワールド・ウォッチ研究所刊行物には、たくさんある)。

また、地球上の地域紛争は、たいてい人口が多すぎて、かつ、強烈な優生思想(つまり人種差別)の実行されそうな場所で起きています(グローバリストたちにとっては、どうでもいいような人間が存在して、ましてや、貴重な資源がその地域にあれば、そこは戦場になるということ)。
戦争を吹っかける口実として、他国の「人権尊重がなされていない」とは、よく聞く話。
以前の中国は、それでかなり非難されました。
つい最近の北京オリンピックでも、そうでした。
今もそうだろうけれど、中国が、グローバリストの安定した巨大マーケットになってしまったからには、もう、そんな話はなくなるでしょう。

グローバリストにとって、自分たち以外の人間は、「家畜」扱いであり、商売道具でしかない。
その「家畜」たちが、彼らの作った鉄砲の弾の餌食なろうが、遺伝子組み換え作物の知的所有権の餌食になろうが、生物兵器の餌食になろうが、彼らには関係ない。
人権尊重がなされていようがいまいが、そんなものは、サラサラ関係ない。
「家畜」たちが、生きようが死のうが、巨額の利益が彼らの懐に転がり込めばそれでいいのですから。

どう考えても、「人間牧場」よりは、「反過剰福祉」のほうが、同じ人口抑制策において、穏健であり、人間的です。
副島先生は、その世界の大きなアウトラインを知っていた。
そして、それを本を通じて、日本人に告発した。

日本人は、素直で真面目な国民です。
そういう人間というのは、騙されやすい。
その国民性を利用し、グローバリストは、善人の顔をして、日本人を騙してきた。

彼は、グローバリストの手先になっているような人間を、ことごとく攻撃します。
リバータリアンは、本来、他人に干渉しませんが、攻撃されたら、命をかけて牙をむく。
グローバリストが、攻撃を悟られないように、攻撃してくることは、ここまで書いてもうわかったと思います。
それを見抜いたリバータリアンは、「騙された」と考え、反撃するのです。



ここにたくさん引用した著書「日本の秘密」(1999年5月10日第1刷)は、私が初めて手にした副島先生の本です。
これを読んだとき、あまりの感激で、心臓がドキドキしたほどでした。
人の生き方にまで、強烈に踏み込んでいる。
そして、自分の頭も、スッキリしました。
スッキリ、スッキリ。
副島先生の本を読むと、今まで自分の信じていたものが全否定された感じになり、頭がグラグラする人が多いんだそうです。
私は、何も頭になかった分、スッキリ整理された感じ(笑)。

この後、「世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち」という世界の政治力学構造のわかるバイブル的著書が文庫本で出版され、さらに、弟子を育てるための「副島隆彦の学問道場」がネット上に登場しました(カネを払っても、もう、私は読まなくなった。でも、頑張ってもらいたいから、カネは払っていこうと思う)。
これで、グローバリストに健気に対抗できる知的環境が整ったのです。
あとは、どれほどの時間を要して、日本人の多くが、これらの事実を把握し、日本人として、自立していくことができるかどうか、です。

特に、若い人たちには、彼の本を読んでほしいと思います。
血の通った本というのは、なかなか珍しい。
今、読んでも、この「日本の秘密」は、すごい、と思う。



最後に強烈なお言葉。



「自分には、どんな政治的な色もついていない」と30歳を越して言う者があるとすれば、そいつはアホである。あるいは、生来、卑怯な人間である。
(前掲書p240)



ここで付け加えますが、どんな思想でもいいから、「グローバリストにだけは、利用されるな」ですね。

もう一つ。



人生は、「仕方がない」の連続だ。
(前掲書p237)



「仕方なく」ではなく、やることがなくて、今夜もお酒を一杯!

ではでは〜。
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2009年05月05日

核爆弾の人体実験場

みなさん、こんばんは。

最近、マメに更新している「うまいもの食べたい人」です。
今だけなんですよ。
こんなことができるのは。

今日は午前中だけ仕事をして、休みをもらいました。
ずっと晴天予想なので、ここで一発、年に一度あるかないかの連休をします。
家にいると、つい、仕事をしちゃうんですよ。
それで、みんなに「どっか行ってこい」と言われたので、ただ今、大好きな温泉に来ています。
盛岡近郊の、何と!ネット環境が充実しているところです。
ということで、今日は、リッチに、温泉からのアップロードです。



今日は、第2次世界大戦の謀略から始めます。
まずは、引用。

 さらに追い討ちをかけるように、FDRの国防長官で外交問題評議会(CFR)の大物メンバーであったヘンリー・スチムソン(スカル・アンド・ボーンズに1888年入会)は、1941年秋にルーズベルトと会談したあと、日記にこう書いている。「われわれはいま非常に微妙な問題に直面している。確実に日本のせいになるよう、また、向こうに先に手出しさせ、しかも明らかな攻撃行動を仕掛けてくるように、外交でうまく持っていかなければならない」
 再度FDRと会談したあと、スチムソンは1941年11月25日に、このとき真珠湾攻撃までにはまだ二週間あったのだがこう記している。「重要なのは、こちらの危険を最小限にしながら、日本に先に撃たせるにはどうしたらいいかであった。侵略した側はどちらかという点で疑念をまったく残さないように確実に日本に先に手出しをさせることが望ましい」
(「次の超大国は中国だとロックフェラーが決めた[技術・諜報編]」p278)

ロバート・B・スティネット著「真珠湾の真実」を読んでいる私には、別に驚くことではありませんが、CFRのメンバーの日記に、あからさまに書いてあるのを読むと、日本って、相手の策略に乗るのが上手なんだなあ、と思ってしまいます。

騙され上手?

ですね。

しかし、次に記述には、かなり驚きました。
ちょっと長文ですが、我慢してください。
長文引用は、著者に失礼ですが、この記述で、「本を買って読む」をいう人が生まれることを期待します。

 FDRの行動を見れば、彼が舞台裏のある人物たちの指図を受けていたことは容易にわかる。この裏の人間たちが抱く陰の動機は、アメリカを乗り物(ヴィークル)として利用し自分たちの目的を推進するというアジェンダを反映したものだった。たとえばFDRはヤルタに発つ二日前、すなわち日本がついに白旗を揚げる。この中で日本は非公式に講和(停戦)を申し出ている。その提示条件は、のちに終戦時にアメリカが受け入れたのとまったく同じ内容だった。(中略)
 日米の戦いがすでに終わりかけていることは誰もが知っていた。だが、《支配者たち》は次の段階に踏み出し、原子の力を世に示すことによってさらに上のレベルに移行しなければならなかった。この視点で見ると、チャーチルはFDRの決断を最も正しく評価出来ていたようだ。「ルーズヴェルトは、国際的な黒幕たちの手で操られる無力な操り人形だと自分で自覚している」とチャーチルは言ったのである。チャーチルのこの言葉は、ほんの僅かながら支配者たちの煙幕を看破している。
 アメリカは1943年にはすでに、日本との戦争を終えられたはずだった。にも拘わらず、さらにもう1年半引き延ばしたのである。1945年3月、つまり広島と長崎の名が世界に知れ渡る5ヵ月前に、日本の大本営はアメリカに無条件降伏を申し入れた。これをアメリカは拒絶している。
 アメリカがこの申し出を払い除けたのはなぜだろう。信じてもらえないと思うが、アメリカ情報機関はこの理由を、「日本からの文書を解釈出来なかったため」としている。アメリカは日本軍の最も複雑な暗号を解読し、その計画も微細にわたって把握していた。それなのに非暗号文は読めなかったというのだ。
(「次の超大国は中国だとロックフェラーが決めた[技術・諜報編]」p286)

そして、FDRは、こう言っています。

「政治では、偶然に起きることなど一つもない。何かが起これば、それは間違いなくそうなるように予め計画されたからなのだ」
(「次の超大国は中国だとロックフェラーが決めた[謀略・金融編]」p10)

みなさん、唖然としませんか。
核爆弾の人体実験場に、日本が選ばれていたのです。

そして、「日本の古都はなぜ空襲を免れたか」という本には、その古都が、本当は、原爆投下地候補だった、ということが記されています。
こんなことを、計画的にやる連中が、世の中にはいるんですよ。

http://fish-archives.hp.infoseek.co.jp/tubuyaki-hanbei11.html

さて、引用した「次の超大国は中国だとロックフェラーが決めた」には、上巻と下巻があり、上巻が[技術・諜報編]、下巻が[謀略・金融編]となっています。
大元の著者は、ヴィクター・ソーンで、原題は「The New World Order Exposed」。
翻訳者は、副島隆彦先生。

副島先生は、若い頃、外資系の銀行マンを経験しており、「欠陥英和辞典の研究」という本でも有名です。
だから、英文で書かれたものは何の障害もなく、したがって、“輸入”学問には、めっきり強い。
銀行マンであるからには、金融工学の分野でも、その力を発揮しています。

この「欠陥英和辞典」とは、どこのメーカーのものか?

たぶん、受験校にかなりのシェアを持っているメーカーで、わが宮古高校では、私がいた頃の標準辞書でした(今でも持っています)。

戻って、「次の超大国は中国だとロックフェラーが決めた」のことですが、この本は、もう3年も前のものです。
これには、“見せかけだけの”自由の国アメリカが描写されていて、驚くことしきり。
今からでも、読むには遅くない本だと思いますよ。

みなさん、買って読んでも、絶対に損しないと思いますよ。

ではでは〜。
posted by T.Sasaki at 20:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 副島学問 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月17日

副島隆彦先生について

みなさん、こんばんは。

今日は、何とか、水揚できました。
たったの90カゴ。
明日で切り上げるのか、月曜日までやるのか、ちょっとわかりませんが、仕方がないので、先輩たちに付き合います。



今日は、私の先生の1人、副島隆彦さんについて、ちょっと書きたいと思います。

その前に、「先生」という言葉について。
字の通り、「先を生きている」から、先生なのですが、もうちょっと付け足すならば、私たちの頭の中になかったものを与えてくれた人、それが、「先生」だと私は思っています。
だから、学校の先生も同様。
当然、親も先生、ということになります。
ダメな部分もありますが、まあ、そこは見ないことにしましょう。



副島先生というと、何となく、威張った人、という感じですが、それでも、すごい人です。
私自身、威張った人やすぐに怒る人は、大嫌い!
でも、それを上回る知識や考え方を教えてくれる人です。
今や、彼の著作は、弟子のものを含めると、本棚の一角を占め、26冊にもなります。

このことは、前にも書いたのですが、最近、「アメリカの言いなり」ということを、一般の人たちが口にするようになったのは、副島先生の「属国・日本論」という著書が、大元のきっかけです。
「ジャパン・ハンドラーズ」は、彼の弟子、中田安彦さんが書いたもので、名前の通り、日本を操る人々。
そういう人たちが、実際に存在するのです。
このことは、日本人として、知っておきたい事実ですね。

私の蔵書の中で、最も新しい彼の著書は、「副島隆彦の今こそ金を買う」です。
金(きん)の価値や買い方などを書いている本ですが、彼の著書では、あまり推薦できるものではありません。
でも、興味を引くところが、数ページだけあります。

金は、当然、各国政府も保有しています。
アメリカが8,134トン。
ドイツが3,417トン。
フランスが2,587トン。
イタリアが2,452トン。
スイスが1,134トン。
以上がベスト5。

日本は、第6位で、保有量は極端の落ちて、たったの765トン。
政府以外ではIMFが3,217トン。
ちなみに成長著しい中国は、600トン。
たぶん、このままでは、中国に抜かれるでしょう。
それは、次の記述から簡単に予測できます。

 どうやらアメリカの忠実な属国である日本は、政府が金を買い増すことを禁止されているようなのである。その代わり米国債を買うように脅され、命じられている。このことは容易に想像がつく。
 ところが、こんな情けない政府とは逆に、日本の民間部門(企業と個人)は、すでに5000トンぐらいは保有しているものと推測できる。ちなみにアメリカ国内には、民間の保有量と合わせて3万トンから4万トンあるようだ。
 日本の経済力からいえば、1万5000トンを保有してもいいはずだ。日本人はもっと金を買うべきなのである。
(「副島隆彦の今こそ金を買う」p84)

政府がこのように情けないのですから、私たち個人が先読みして、しっかり資産防衛しなければいけませんね。

私は、副島先生の著書に出会う前から、田中貴金属工業に定額口座を持っています。
ちまちま小額で買い増しし、ちょっとした量になりました。
当時の金価格は、グラム1000円前後でしたが、今は、その3倍。

え?今売れって?

いや、資産防衛のために買っているのだから、こんなもので金儲けなどしません。
先生は、われわれ日本人のために、「資産防衛せよ」と言っているのです。
仮に、金に価値がなくなった場合、日本紙幣に価値がある、ということですから、日銭を稼いでいる分、生活には困らないのです。
そういう考えを持たないと、金融商品には手を出さないほうが、私はいいと思います。

この田中貴金属工業が定額口座をやっているというのは、昔、付き合っていた女が買っていた「エッセ」という家庭雑誌みたいなヤツに載っていたので、それで知りました。
勝手に切り取って(笑)、持って帰って契約しました(だからフラレタ?)。

でも、普通は、そのエッセの広告を読んだからって、買いませんよね。
行動を起こすのは、何事にも、きっかけというのがあるのです。
それは、「どうして郵貯がいけないの」という本に載っています。
引用します。

 軍事用の国債は455億円に上り、地方への貸付金などわずか4.9%を除いて、ほぼ予算のすべてが戦争に充てられている。そしてその源となった預金こそ、「郵便貯金」なのである。収入全体の8割を占め、戦費とほぼ見合う額となっている。そのほか簡易保険・厚生年金・郵便年金を含めて、日本の侵略戦争を支えたのはこうした「預金」だったのである。 
 この預金は、その後、実質的には預金者に返されなかったに等しい。敗戦以降の混乱とインフレ、翌年2月に進められた新旧紙幣の交換と使用制限、これらによってわずか半年の間に預金は5分の1の価値に下がり、前後10年の間には300分の1となってしまった。
(「どうして郵貯がいけないの」p21)

現在、すぐに、こんなインフレになることはないでしょう。
しかし、みなさん、よく考えてください。
政府をはじめ、各都道府県、市町村で、これだけ巨額の債券を出していて、その代わりのカネは、いったいどこにあるのか?
世の中では、不景気でカネがないといいますが、本当は、どこかにあるのです。
大部分は、副島先生が暴いた、海外のグローバリストを操る世界の資産家たちのふところ。
いや、副島先生だけではなく、ノーベル経済学賞を受賞したスティグリッツ教授も、「世界を不幸にしたグローバリズム」で、その手口を暴いています。
弱そうなところから、カネをむしり取る。
むしり取ったカネは、タックスヘイブンへ隠す。
彼らは、売国奴。

そして、あるべきカネの一部は、地道に貯めている日本人のタンスの中にあります。
「タンスの中」というと大げさですが、銀行預金にしろ、どこにしろ、無駄遣いをしない旧来の日本人は、持っていると思います。

この円を持っている人たちが、円の信用を疑うようになって、一気に放出したり使ったりする瞬間が一番恐い。
この瞬間に、ハイパーインフレが起こると、私は思っています。
もちろん、政府が今後、政策を変え、財政健全化に務めるならば、たぶん、円の価値は持ちこたえるでしょう。
他国の、特にアメリカのほうが、よりひどいですから。

ところが、いつまでも、他国に乗せられたて、今の調子でやっていけば、最後は、日本だけが痛い目に遭うかもしれません。
円の価値が無くなったら、誰が一番困るのか?
それは、円を交換手段として使用している、日本に住んでいる日本人です。
だから、副島先生は、

政府をあまり信用するな。
賢い日本人なら、自己防衛せよ。

と言っているいるのです。

ちなみに、「どうして郵貯がいけないの」の代表編著者は、「田中ゆう」となっています。
これは、田中優さんですね。
おかげさまでした。



副島先生は、素直で正直な、昔からの日本人を愛している人です。
そんな日本人を騙そうとしている人(日本人を含め)を、言論でやっつけてやろうという態度なのです。
ちょっと調べてみないとわかりませんが、いつの頃からか、その熱気が本に注入され、読後は、自分の気持ちも熱くなるのを感じます。

と、先生を真面目に語ってしまいましたが、たまには、こんな読み物にも、みなさん、付き合ってください。

自分のためにもなると思いますよ。

ではでは〜。
posted by T.Sasaki at 16:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 副島学問 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする