日本の漁業が崩壊する本当の理由 片野歩

世界中で魚類資源が増えているのに、日本だけが減っている。
この現実を、恥ずかしいと思うべきである。

日本の漁業が崩壊する本当の理由.jpg

すべての漁協組合長、理事、参事、そして、任意の漁業団体の会長以下すべての役員たちは、この本を読むべきだ。
読みたくないならば、「日本の漁師は大バカものだ」を参照すること。
これを認識できないならば、役職に就く資格はない!

2018年04月06日

鮭を獲らせろ、の裁判について

こんばんは。

先日、「鮭を刺網で獲らせろ!」裁判があり、訴えた側は負けて控訴したようだ。

https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201803/20180324_33045.html
https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201804/20180406_33022.html(「河北新報オンラインニュース」)
(今朝の岩手日報にも記事があったが、Web版にはない)

私は、「海はだれのものか」を読んでからというもの、漁民組合側は負けると思った。
「漁を解禁すると多くの漁業者が参入し、漁獲量の調整が困難になる」という裁判長の判断は正しい。
漁業法で定められている権利が、慣習に基づいているのは、漁業調整が困難になるからである。
誰もが、“平等に”鮭を獲る権利があるのなら、誰がどうやってその資源分配や漁法の設定などをやるのか、非常に難しくなる。
まき網漁業だって、「苦しいから」獲りたい、といい始めるかもしれない。
誰だって苦しくなれば、そういう。
どうやって収拾をつけるのか、逆に質問されたら、漁民組合側は、何と答えるのだろう。
海の利用で、“平等”を盾に権利を主張するには、非常に無理があるから、漁業法では、慣習を大事にするのである。

すでに、小型船漁業では、延縄という漁法で数十年も鮭を獲っているから、これは権利となっている。
許可漁業といえども、それは広義の漁業権である。
もし、10月16日以降に、延縄漁業と刺網漁業が平行して操業することになる場合、刺網漁業者は、少なくとも、実績のあるすべての延縄漁業者からの同意をとる必要がある。
彼らは、脅すことがあっても、延縄漁業者から“了解”をとる努力をしたことがないのではないか。
もちろん、河川捕獲の事業者からも、すべての同意が必要であることは言うまでもない。
10月16日以前の刺網なら、さけ延縄漁業には影響ないから、あとは、河川捕獲の事業者との同意のみである。

しかし、である。
どこにでも昔はいたと思うのだが、鮭の刺網の密漁をやっていた人の話を聞くと、「そんなに甘くない」と言う。
定置網が大漁になるような時期でなければ、刺網にも、たくさんはかからないそうだ。
10月16日以前の許可なら、意味があるのかどうか、という話である。
商売にならないような刺網なら、ただの資源減少の道具でしかない。

岩手日報紙では、「サケの乱」という特集記事を掲載している。

https://www.iwate-np.co.jp/page/sake(「岩手日報」)

第4部「4億匹を問う」というシリーズでは、現在のふ化放流事業のあり方を論じていて、ただ単に、この事業をやっていればいい、というものではないことがわかる。
この舵とりは非常に難しいと思う。

第4部の「がんじがらめ」という記事に、補助金支出で増殖事業を行っているのだから、「鮭を刺網で獲らせろ!」という裁判をやっていることが書かれてある。

https://www.iwate-np.co.jp/page/sake/page-6188(「岩手日報」)

それならば、ふ化放流事業(増殖事業という言葉を使われているが、実際には単なるふ化放流の継続事業にすぎない)に税金を一切使うな、と訴えるべきである。
記事にあるとおり、現在、この事業は曲がりかどに来ている。
もし、本当に税負担と社会的影響を考えてのことならば、そうするべきである。
簡単なことだ。
補助金がなくなったなら、各漁協でふ化場の運営経費と鮭の漁獲収入とを考え、撤退する漁協も出てくるだろう。
このほうが、スッキリしてわかりやすい。

漁民組合の主張で、青森県や宮城県では、鮭を刺網で獲っている、とはいうが、聞いてみると、青森県では、共同漁業権海域のみで、沖合では禁止。
宮城県でも、10トン未満のみの許可であり、近年の不漁で、商売になっているのかどうかわからない状態らしい。
何度も書くが、商売にならないのなら、刺網は、ただの資源減少の道具でしかない。

漁業権について」で取り上げた「海はだれのものか」の同じ引用を引く。

 判決が「慣習に基づく権利」を否定した背景には、司法界に、行政に反する判決を出さない傾向がきわめて強いことに加え、「慣習に基づく権利」を認めようとしない風潮があるように思われる。
 しかし、慣習法は、いいかえれば、司法や行政に依存せずに地域社会を運営するための規範であり、成文法ではカバーし得ないさまざまな事項についての「住民の知恵の結晶」ともいうべきものである。慣習法に基づいて地域社会が運営されるということは、いいかえれば、慣習法によって住民自治が成り立つということである。近年、地方分権が盛んに叫ばれているが、慣習法は、地方分権どころか、住民自治を実現するのである。
 また、慣習法を熟知しているのは地域住民であり、地域に住んでいない裁判官や学者ではない。慣習法の存否が当該慣習法を全く知らない裁判官によって判断され、慣習法を熟知している地域住民がその判断に従わざるを得ないというのは、実はおかしな話なのである。
(前掲書p178)


ここに「行政に反する判決を出さない傾向がきわめて強い」とあるが、行政裁判は、一般にやるだけ無駄である、とされる。
今回の場合、鮭の刺網に、過去の「慣習」も何もないのだから、どうやっても勝ち目はない。

彼らは、担当弁護士に騙されたのではないか、と思う。
担当弁護士は、漁業法がどういう法律なのか、勉強したのであろうか。
まだ裁判長のほうが勉強している、といわざるを得ない。

「鮭を刺網で獲らせろ!」と言い始めたのは、魚類資源が減少し、漁船経営が悪くなったからであり、もし、沿岸漁業が栄えていたなら、誰もこんな裁判を起こさなかっただろう。
もちろん、私には、“裁判で訴える”などという度胸はない。
その点は、「すごいことやるものだなあ」と思ったりしたが、こんな元気があるならば、2そう曳きトロールを、法律違反として告発したほうがずっと正義だし、やりがいがある。

あ〜、その情熱がもったいない。
県や各組合の組合長を敵に回してまでやるような裁判ではなかった。
posted by T.Sasaki at 20:43| Comment(4) | 漁業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月22日

法律を悪質に解釈している2そう曳きトロール

こんばんは。

雨で暇なので、今日も県庁の水産振興課に電話をし、「捕まった漁運丸です」と名乗り、それでもいろいろと教えてもらった。
岩手県のWebサイトには、「漁業取締対象」というページがあり、ここに各漁業の違反行為が列挙されている。
こういうページがあったんだなあ(取締船の電話番号まで書いてある)。

この中に、沖合底びき網漁業もある。
注目してほしいのは、「禁止漁具・漁法」である。
網口開口板の使用を禁止している。
そして、これを記載している法律は、というと、「指定漁業の許可及び取締り等に関する省令」である。
この第17条には、次のようにある。

指定漁業者は、別にこの省令で定める場合のほか、別表第二の上欄に掲げる指定漁業につき、それぞれ同表の下欄に掲げる操業の区域若しくは期間又は特定の区域若しくは期間における特定の漁具若しくは船舶を使用し若しくは特定の漁法によつてする操業若しくは特定の種類の水産動物の採捕に関する制限又は禁止の措置に違反して当該指定漁業を営んではならない。

法律の条文というのは、読むのが疲れる。
この中の別表第二に、各指定漁業の禁止事項が書かれている。
全条文の下にある。

沖合底びき網漁業の欄の、「三」に、網口開口板の使用は、禁止とある。
隣の宮城県は例外であり、北海道にもあるが、オッターライン禁止ラインというのが存在し、かけまわしより操業区域は沖合となっている。
なぜ、網口開口板の使用を禁止したのか?
おそらく、その理由は、資源保護上の観点からだと思う。
それ以外の理由は見当たらない。

岩手県は、「指定漁業の許可及び取締り等に関する省令」第17条から、もちろん網口開口板使用禁止である。
現在の2そう曳きトロールは、網口開口板を使用していない。
しかし、2そうで袖網の両側を曳くのだから、網口は閉じない。
実質は、網口開口板を使用しているのと同じであり、条文中の「網口開口板」という文字を使っていないというだけである。
法律の抜け道を利用しており、悪質と言える。。
さらに、網口開口板1そう曳きトロールよりも網口は広く、2そうで曳く馬力アップ版だから、悪質極まりない。

小型船の「鮭を刺網で獲らせろ」裁判の背景の一つには、大臣許可のトロールが鮭を網で獲っていることにもあると思う。
ここで、先ほどの「指定漁業の許可及び取締り等に関する省令」第93条を載せる。

法第六十五条第一項及び水産資源保護法第四条第一項の規定に基づき、赤道以北の太平洋の海域においては、総トン数十トン以上の動力漁船によりさけ又はますをとることを目的とする漁業(中型さけ・ます流し網漁業及び法第六十六条第一項の規定による小型さけ・ます流し網漁業を除く。)を営んではならないものとする。ただし、漁業権若しくは入漁権に基づいて営む場合又はさけ若しくはますをとることを目的とする漁業についての法第六十五条第一項若しくは第二項又は水産資源保護法第四条第一項若しくは第二項の規定に基づく都道府県規則の規定による都道府県知事の許可を受けて営む場合は、この限りでない。

これは以前、どこかで引用したことがあると思うが、トロールはもちろん10トン以上であり、獲ってはならんのだが、「さけ又はますをとることを目的とする漁業を営んではならない」と条文にあるから、混獲なら認める、ということになる。

しかし、だ。
「指定漁業の許可及び取締り等に関する省令」第17条の別表第二の、大中型まき網漁業の制限事項には、「七」として、次のように書いてある。

さけ又はますの採捕であつて大中型まき網漁業の操業に係るもの(総トン数十五トン以上の船舶を使用して行うものに限る。)は、太平洋の海域においては、禁止する。

同じ指定漁業でも、まき網漁業は禁止できて、なぜ、トロール漁業は禁止できないのであろうか。

かけまわしでは、本当のたまにしか鮭は入らないといわれるが、2そう曳きは、鮭をたくさん獲ってくる。
早期群は、水温の関係上、水面付近へ浮いてくることは少なく、海底を泳いでいるのだろう。
一度網に入れたら、その群れの行動を予測し、次回も鮭を狙って網を使うらしい。
そうやって、2そう曳きは鮭を狙う。
もし、完全に禁止だったら、鮭を狙うことはしないだろう。
その分、各河川へ鮭が帰る確率は高くなる。

法律で禁止するのが無理ならば、岩手県の増殖賦課金を、水揚げの50%以上掛けれるようにすれば、2そう曳きは鮭を狙わない。
いや、80%でもよい。
混獲ならば、こんなカネは要らないはずだ。
このカネをほしいというのならば、それは、「鮭を目的」としているのだから。

仮に間違って鮭が入ったとしても、食べるか、それとも捨てることになるかもしれない。
が、それはそれで、底魚の餌になるのだ。
何より、2そう曳きが鮭を狙わなくなるだけで、河川遡上は、いくぶん増えるのである。

法律から、いろいろぐちゃぐちゃ書いたが、結論はこうだ。

2そう曳きトロールは、法律条文を、悪質に解釈した漁業なのである。

小型船の人たちは、ここを読んで納得したら、それを武器にして論陣をはってほしい。
私たちは、海のために、悪いことをしているのではないのだ。
posted by T.Sasaki at 20:57| Comment(0) | 漁業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月21日

漁業法の目指す未来

再び。

漁業は慣習が重要である、というのが、漁業権に対する理解からわかった。
しかし、目下の問題は、魚類資源の減少である。
漁業調整の基本法である漁業法は、ここで何を目指したらいいのか。

くどいようだが、漁業法第1条には、「漁業生産力を発展させ」という目的が書かれてある。
「漁業生産力を発展させる」とは、どういうことか。

世界有数の漁場である三陸沖をはじめ、日本の海に魚があふれていた時代、「漁業生産力の発展」は、よりよい漁法の開発、よりよい漁具の開発、よりよい探知計器類の開発であり、それにより、漁業効率が良くなり、確かに生産力は発展した。
しかし、生産力だけを向上させ、効率のよい漁業の制限をあまりしなかったために、魚類資源は非常に減少したのだ。

今後の「漁業生産力の発展」とは、何を指すのか。
それは、魚類資源を増大させる取り組みではないだろうか。
魚が多くならなければ、漁業生産力は発展しない。
したがって、効率のよい漁業には、大きな制限が必要になるのは言うまでもない。
「岩手県漁業調整規則」の第1条には、「漁業法」と並んで、制限法律である「水産資源保護法」というのが書かれているが、実際には機能しているとは言えない。

大型まき網漁業は、とんでもなく優秀な探知能力のある高価な魚探類を装備し、手加減しないならば、沿岸域にある魚類は、ほぼ取り尽くしてしまうだろう。
今や、彼らはそれを自覚しているのではないか(と思うが・・・)。
漁法自体、その気になれば、生きたまま放流できるのだから、厳しく資源管理“できる”漁業である。

沖合底曳網(トロール)漁業は、網を引き揚げた時点で、ほぼ網の中の魚は、瀕死の状態である。
小さい魚を放流する、などということはできない。
放流しても、海鳥の餌となるだけである。
したがって、まき網漁業のように、資源管理“できる”漁業ではないから、制限を厳しくすべきである。

岩手沖合を操業している2そう曳きトロールは、史上最悪の漁法である。
開口板トロールの馬力アップ版と理解してよい。
概念図は、全国底曳網漁業連合会のWebサイトでリンクしてある。

http://www.zensokoren.or.jp/trawl/trawl_fisheries.html(「一般社団法人全国底曳網漁業連合」)

トロールの3つの漁法のうち、船頭の腕前がわかるのは、かけまわし、である。
かけまわしは、網を入れる位置の正確性が問われる。
開口板と2そう曳きは、そんなものは要らない。
かけまわしに比べれば、極端に言うと、バカでもできる。
魚のいる場所を経験的に覚え、魚の移動予測と季節変動を加味すれば、きっと優秀な船頭といわれるだろう。
ただそれだけのことだ。

ある船主が言っていたのが、バカでもできる漁業は、小型船では、かご漁業である。
「バカでもできる」と私が聞いたときは、「そうかなあ」と疑ったものだが、なるほど、他の漁業に比べれば、バカでもできる。
これは何を意味するか。

かご漁業は、場所に道具を設置すれば、あとは、ただの餌交換である。
燃油代や餌代を差し引いても、丸々赤字で帰ることはほとんどない。
だから、経営的に簡単な漁業であり、それゆえに、ただやっているだけでよい漁業の一つであろう。
このことから、ある船主は「バカでもできる」と表現したのだと思う。

では、なぜ、私は「商売にならない」と言って切り上げたのか。
それは、普通の賃金を乗組員に支払い、船の償却分や道具の償却分、その他を考えると赤字になるから。
この判断は、その船の大きさにもよるし、家族労賃を考えない船主なら赤字ではない。

震災前後に、ある会合で水産技術センターの人と話したのであるが、彼は、新規着業者には、かご漁業を勧めるのだという。
理由は「やりやすいから」ということだったが、これは「バカでもできる」と証明したようなものである。

「バカでもできる漁業」というのは、すなわち、経営的に楽な漁業である。
2そう曳きトロールも同じ構造であり、かけまわしのように、船頭の腕前をそれほど必要としないから、経営側とすれば、船頭を選ぶ必要もなく、経営は楽である。
したがって、両漁業とも、淘汰されにくいと言えるだろう。

一般的に、政府の補助でもない限り、魚の資源量の増減により、漁船は淘汰される。
腕前のない船頭は、淘汰されるのである。
漁船数が減少していけば、魚の資源量は増加する。
他の条件がなければ、魚の資源量と漁船数は比例し、魚の増減で、倒産と起業が繰り返される。

現在は、冷凍技術や流通の発達により、魚価が上がっているから、資源量が減少しても減額分をカバーしていると言っていいだろう。
これだと、もともと経営的にやりやすい漁業というのは、ますます淘汰されにくい。
2そう曳きトロールにしろ、かご漁業にしろ、倒産したという話は聞いたことがない。
したがって、これらの漁業では、制限を強くしないと、魚を獲り尽くしてしまう。
経営的に楽な漁業が苦しくなったら、いよいよ、本当に海に魚がいなくなった時である。
現状のままでは、未来は非常に暗い。

漁業法第1条に戻るが、目的を「漁業生産力の発展」としているから、魚類資源を増大させる取り組みが、絶対に必要となる。
私は、ブログ冒頭の「日本の漁業が崩壊する本当の理由」を読んでからというもの、「魚類資源減少について」というシリーズを書いてきた。
結論は、ずっと同じ漁業をやっているのではなく、旬の魚を目的として獲る工夫をする、ということだと思う。
漁がなくなっても、それを獲ろうとする努力は、無駄な努力であり、資源を減らすだけである。

「旬の魚を獲る」ということを優先し、効率のよい漁業ほど制限を強くするという漁業調整を行っていくことで、「漁業生産力の発展」が可能になるのである。
posted by T.Sasaki at 21:30| Comment(0) | 漁業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月19日

毛がにを獲っていい漁業

こんばんは。

昔の新造船進水式」で昔を思い出したが、良かった時の思い出ある分、私は、まだ幸せなのかもしれない。
魚類資源が復活して、また良い時代が来ればいいと本当に思う。。
それが私でなくて、後の、やる気のある若い人たちであっても。

私は落ち込んでも、ほとんど一晩寝れば回復タイプなので、すでに日本海へ行くための準備をやっている。
来月初めからは、本格的に艤装しようと考えている。
その前にいろいろ用足しがあり、今日は、そのついでに漁協へ行って、参事に「とんでもない出来事」のお詫びを兼ねた報告をし、さらに、いろいろと言ってきた。

フェリー定期航路に関すること。
外国人労働者に関すること。
そして特に、毛がにの採捕についての不満(これに関しては、下のほうに記したものを主に言ってきた)。
こうなった事件の背景には、私が「2そう曳きトロールをかけまわしに転換せよ」と言っていることにあるかもしれない、ということ(「2そう曳きトロールをかけまわしに転換せよ」というのは、私が沿岸組合いか釣り部会での会合で提案したのが始まりである)。
取り締まり船に通報していたのは、トロール漁船ではないか、という噂もあること。

この通報に関しては、取締り事務所は、尋ねても教えてくれない。
「通常の夜間パトロール」とは言うものの、宮古湾から追跡してきた写真を見せられると、どう考えても、「通常の夜間パトロール」ではない。

自営業者がこのようになったら、もう恐いものはない。
行き着くところまで行く。

ここで、毛がにに関して、一般に言われていることを書く。
毛がにを獲っていい漁業は、かご漁業、そして、固定式刺網漁業である。
ほかに、大臣許可の沖合底曳網漁業があるが、あの道具では毛がには入らない。
ただ、毛がにの甲羅をつぶすだけである。
近年、甲羅に傷が多く、また、足が片側しかないものが多く見られるようになった。
これは、2そう曳きトロールの影響ではないか、という人もいる。

毛がには、早い時期ほど深い水深にいて、春の脱皮する時期にかけて、岸よりの浅い水深へと上がってくる。
私の経験上、大きい毛がにほど、深いところに多い。

かご漁業には、沖出し禁止ラインというのが存在する。
トドが埼以南は、問題なく200mという深い水深を操業することができる。
しかし、宮古市明神埼以北は、ほぼ水深160mという浅い水深に規制ラインがあり、それより沖合で操業してはならないことになっている。
今回の私の違反行為は、このことによる。
だから、違反行為の理由は、浅い水深に毛がにがいないから、というもので、ちゃんと供述調書にも記載された。

もう一つ、小型船で毛がにを獲っていい漁業がある。
それは固定式刺網漁業であるが、毛がにを目的として操業してはならない、というような条件が付いている。
だから、毛がにの採捕を目的として操業していい漁業は、かご漁業のみである。
固定式刺網漁業には、沖出し制限があるのかないのかわからないが、とにかく、深い水深を操業できるから、大きな毛がにを獲ってくる。
昔々、私が高校生の頃、漁運丸も固定式刺網漁業をやっていて、マダラを獲っていた(マダラは300m以深)。
許可条件が変わっていないなら、沖出し制限がないのかもしれない。

明神埼160m付近の規制ライン沖のやや北側には、固定式刺網漁業の人たちも操業している。
規制ラインより1マイル以上も離れているから、その間には、何の道具も入っていない。
「誰の邪魔にもならないから、ちょっとぐらい」というのが、まあ、私のやったことだ。

でも、よくよく考えてみると、岩手県の許可の出し方がおかしい。
「正式に毛がにを獲っていいよ」というかご漁業が、正式に獲ってはならない固定式刺網漁業より、不利な操業条件になっているのだから。
しかも、南は堂々と獲っているのに、北は獲ってはならん、と言っているようなものではないか。

「県の水産部は、何も知らないのかも?」

というのは、気の使いすぎ。考えすぎ。
県は、水深160mでは、毛がにが獲れないのを知っている!
獲れたとしても、ぎりぎり7cmの小さい毛がに。
事実、北ほど、一番小さい規格の毛がにがほとんどである。
だから、毛がにを獲っていいかご漁業の許可は、県南のための許可なのである。
同じ許可で、これほど条件が不平等なものも珍しい。

県は、県北の人たちに意地悪なのか?

そうではなく、大臣許可の沖合底曳網漁業との漁業調整がうまくいっていないことに、こんな不平等な許可の原因がある。
何か、昔に定めた申し合わせみたいなものがあるようだが、県もはっきりと示さない。
何十年もこんなことを続けているのだから、県のほうにも落ち度がある。

宮古市では、市民の税金で、毛がに祭りを開催している。
このため、宮古魚市場の毛がにの相場は、県内一である。
喜んで、釜石以南の毛がに漁業者も、宮古へ搬入する。
これではまるで、宮古市の税金を、県南の漁業者のために使っているようなものだ。
宮古市の毛がに漁業者は、あまりにもかわいそうだ。

腹が立つ。
posted by T.Sasaki at 20:49| Comment(0) | 漁業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月11日

許可とは

再び。
それでは、「海はだれのものか」の続き。

正直にいうと、私は今まで「許可」というものを理解していなかった。
漁業権について」で少し触れているが、許可とは、禁止していることを解除する、という意味であるそうだ。

 漁業は、本来、免許や許可を受けずに誰もが自由に営める「自由漁業」であるが、一般公衆の共同使用を妨げてしまうような漁業は、「漁業調整」の観点から一般的に禁止されている。しかし、そのような漁業といえども全面的に禁止して一切認めないことは同じく「漁業調整」の観点から好ましくないので、特定の者に禁止を解除して認めることがある。それが「許可漁業」である。
(「海はだれのものか」p81)

法律というのは、非常にまわりくどい。
しかし、許可が禁止の解除という役割を担っているのがわかると、なるほど、謎が解けた。
例えば、あわびやかぜ(うに)である。
それらは、一般的には、採捕禁止なのだ。
しかし、各漁協の正組合員という特定の者に許可して、初めて採捕できるわけだ。
したがって、それ以外の人たちは、どうやっても採ることはできない。

ところが、わからないことがたくさんありすぎる。
いか釣り漁業で旅すると、各県ごとの許可が必要であり、もちろん、自県の許可も必要である。
5トン未満のいか釣り船は、自由漁業扱いなので、もともと、5トン以上の漁船はいかを獲ってはならない、という法律があるのかもしれない。
そのため、各県で、それを解除するために、許可を出している、という解釈なのだと思う。

こうなると、何を獲ってよくて、何を獲ってはならない、というのは、漁業法以下、すべての法律や漁業調整規則を調べなければならない。
私たち漁業者には、とんでもない話だ。

岩手県漁業調整規則は、Webのどこにあるのだろう?
探せない。
自分の足で探すしかないのか。
posted by T.Sasaki at 21:05| Comment(0) | 漁業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月08日

浜本幸生さんについて

こんばんは。

漁業権までは書き、次は、漁業法のことに触れようと思ったが、漁業権のことで、浜本幸生さんを無視するわけにはいかない。

昨日の引用に、「共同漁業権論」、正確には、「共同漁業権論−平成元年七月十三日最高裁判決批判」があったが、これは、浜本幸生さんの遺作であり、出版されてから、すぐに亡くなったらしい。

「海はだれのものか」に巻末のほうに、「付論 浜本幸生さんのこと」がある。
これを読めば、著者の熊本一規さんの先生が浜本幸生さんであることがわかり、また、浜本幸生さんがどういう人だったのか、というのもわかる。
その一端を表現した文章を載せる。

 浜本幸生さんが、99年11月4日、逝去された。水産庁に50年に入庁されて以来、ほぼ一貫して漁業法の解釈にあたってこられ、また、大分の風成裁判をはじめ、漁業法の解釈をめぐる多くの裁判でも証人として立たれた元水産庁漁業調整官である。「漁業法の神様」と呼ばれ、漁業界や中央・地方の官庁の漁業調整担当者には知らぬ人がいないぐらいの存在であった。退職後もしばしば水産庁から問い合わせを受け、氏の見解がそのまま水産庁の回答になることが続いた。漁業法に関して、最後は、水産庁も裁判所も含め誰もがこの人の判断を仰ぐ、文字どおりの「漁業法の神様」だった。
(中略)
 茶目っ気旺盛で自由奔放な浜本さんは、お世辞にも行儀のいい方ではなかった。管理されるのが嫌いで、「学校嫌い」「病院嫌い」といわれていた。中学では、教師がよってたかって放校処分にしたそうだから、また水産庁でも、入庁してまもなく、「生意気だ」と言って上司に殴って有名になったそうだから、奔放さも並み大抵ではない。訪ねていくと、よく足を机に上げて、思索に耽ったり、本を読んだりされていた。私の訪問に気付くと、ちょっと照れたような表情で足をおもむろに下ろされ、相手をしてくださった。あんな格好が許されていたのも、水産庁で別格(神様)扱いされていたからだろう。
(「海はだれのものか」p188)


1999年とは、平成11年であり、その後、平成13年に漁業法が改正されたのだから、本当のところ、水産庁は、ちゃんとした人間のいるところなのかもしれない。
熊本一規さんも、「海はだれのものか」のあとがきで、次のように書いている。

 他方、共同漁業権の総有の権利であることを守ってきたのは、明治時代以来、一貫して水産庁である。水産庁は、開発利権とは無縁であり、漁民の立場に立って行政を行っているからである。
(前掲書p196)


ところが、現実の水産行政は、「全国の小型漁船漁業」vs.「まき網漁業及び沖合底曳漁業」の構図の中にあり、各県の許可漁業と国の指定漁業と対立しているように見える。
しかも、魚類資源が減少している中、どう考えても、指定漁業側には、分がないように思う。

「海はだれのものか」に書いてあるとおり、明治時代から水産庁の漁業調整に関する部署は、ずっと漁業法を守ってきたのであろう。
水産庁の組織は、漁政部、資源管理部、増殖推進部、漁港漁場整備部に分かれていて、漁業調整課は資源管理部にある。
そして、資源管理部は、もちろんのこと、TACを受け持っている。

ここからは、私の推測になるが、きっと、資源管理部の内部は、対立しているのではないか。
なぜなら、漁業法第1条に、「漁業生産力を発展させ」る、と書いてあり、現在の指定漁業は、逆に漁業生産力を衰退させているからだ。

この事態を、浜本幸生さんは、どう考えているだろうか。
posted by T.Sasaki at 20:16| Comment(0) | 漁業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月07日

漁業権について 2

こんばんは。

昨日のつづき。

漁業権は、だいたいわかったとして、今日は、漁業権は誰のものか、について。
これには、社員権説と総有説がある、と昨日書いた。

簡単に言えば、社員権説というのは、漁民は漁業協同組合に所属しているのだから、漁業権は、漁協にある、とする立場であり、一方、総有説は、関係漁民全員に漁業権はあるのであって、漁協にあるのではない、という立場である。
これは、埋め立てなどで漁業権の扱いが問題になる場合、埋め立てしたい側が、誰の同意を取り付け誰に補償するのか、という点で重要になってくる。

漁業法の法律改正などを行う水産庁側は、総有説をとる。

漁業法の前身は明治漁業法であり、これは日本独自の法律である。
一般的な法律などのように、外国の法律の継受ではない。
このことは、「漁業法の神様」と呼ばれた浜本幸生さんの「海の『守り人』論」に書いてあった。
私は、この本を最初の数十ページのみ読んで、その後、津波で流失した。
いろいろな本を買い置きしておくと、途中で別の面白そうなのを読んでしまうので、完読しなかったことを後悔している。

明治時代には、漁協を規定する水協法という法律はなく、しがたって、漁業権を行使していたのが、各地区の関係漁民であるのは、明白である。
現在ある漁協は、小さな漁協が合併したものが多いはず。
したがって、細部にわたる漁業権の海域は、一つの漁協の中に、いくつも存在する。
今でも、地区の関係漁民にしか、その海域の漁業権は与えられていないのである(少なくとも宮古漁協はそうである)。
合併したからといっても、他の海区のあわびやうにを採ることはできない。
この事実からもわかるとおり、漁業権は、漁協にあるのではなく、関係漁民集団にあるのである。

しかし、社員権説を主張する人もいた。
昨日の少し触れたある収用委員会で国土交通省側についた山畠正男氏と佐藤隆夫氏である。
そして、何を考えたのか、平成元年に、最高裁が、社員権説に軍配をあげた。

「昭和37年の漁業法改正に伴い、組合員の共同漁業を営む権利は入会権的権利から社員権的権利に変わった」
「漁業補償を受ける者は漁協である」
(「海はだれものものか」p20)


この昭和37年の法改正がくせ者であり、これには、批判が渦巻いている。
「海はだれのものか」の注釈にある浜本幸生さんの「共同漁業権論」に、次のように記してあるという。

「実は、昭和37年の漁業法改正をしたグループは、水産庁生え抜きの技術屋を除いては、岩本道夫企画室長以下、はじめて水産庁に来た連中で構成されていました。それに、『新漁業法の解説』の執筆者には、内閣法制局での法案審議を終わった後の人事異動でやった来た者も、加わっています。この『新漁業法の解説』には、ほかにも間違いが多く、また、まやかしの記述も多いのです。それで、昭和40年頃の水産庁長官が、「集めて焼いてしまえ」と言ったほどの代物です(それに対して、現行漁業法の立法関係者が書いた水産庁経済課編『漁業制度の改革』は、水産庁では「バイブル」と呼んでいます。)」
(前掲書p18)


「集めて焼いてしまえ」とは。穏やかでない。
そして、平成13年の漁業法改正で、水産庁は逆襲し、最高裁の判断に再考を求めたのである。
ここで再び注釈から引くが、最高裁も、自らの判決を快く思っていないらしい。

 2000年6月、中村敦夫参議院議員に対する最高裁事務局の回答によれば、「共同漁業権の補償を受ける者」が争点になった下級審まで含めた過去の判例のうち、約8割が「補償を受ける者が漁民である」と判示しているという。筆者の把握しているものとしては、大阪地裁昭和52年6月3日判決、大分地裁昭和57年9月6日判決、大阪地裁昭和58年5月30日判決、名古屋地裁昭和58年10月17日判決、福岡高裁昭和60年3月20日判決などがある。
 ちなみに、筆者は、中村議員をつうじて、平成元年最高裁判決をめぐり最高裁事務総局との討論を申し入れ、いったは承諾を得たものの、最高裁事務総局から依頼されて予め筆者の見解をまとめた小論を送ったところ、出席を断られ、討論は実現しなかった。その際、最高裁事務総局が「出席しない代わりに教えます」と言って教えてくれたのが、この点、および平成元年最高裁判決が小法廷判決であり、大法廷判決ではないので、将来覆される可能性はあるという点の2点であった。
(前掲書p141)


結論は明白であり、漁業権は、漁協ではなく、関係漁民にあるのだ。

慣れていない人には、難しいかもしれない。
結論だけ覚えていればよいと思う。
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2018年03月06日

漁業権について

こんばんは。

漁業権を理解することは難しいし、説明するもの難しい。
理解が難しいのだから、説明が簡単なわけがない。

各漁協には、必ず、「水協法・漁業法の解説」という本が置いてあるはずだ。
水色の本である。
漁協の理事たちは、読んでいるはずの本であるが、理解しているかどうかはわからない。

http://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784874090503(「版元ドットコム」)

ここで、少し、漁運丸の先代のことについて書く。

先代の船主、すなわち、私の父親のことだが、私の父は、家にカネがなかったから、同級生たちが、宮古水産高校(当時、宮古では優秀だったらしい)に進学しても、仕事をするしかなかった。
中卒で、しかも、卒業とは名ばかりで、幼少の頃から、ほとんど仕事ばっかりしていた。
あまりにかわいそうなので、小学校の先生が迎えに来ることもあったそうだ。
これには、私の祖父が戦争に引っ張って行かれた、というしかたがない事情がある。
当時、高浜で、最もボロな服を着ていて、その証拠写真が、最近出てきた(八戸のおばが、あるアルバムを持っていた)。
それほど、貧乏であった。
戦後は食べるものがなく、木の根っこを食べたりして生きながらえたそうだ。
「おしん」の大根飯のほうが、「まだマシだった」と父は回想する。
その父は、現在、デブである。

その後、いろいろなことがあって、宮古漁業協同組合の理事になる。
理事になる前は、高浜地区の総代であったから、いろいろな文書が漁協から配布される。
ろくに学校に行っていなかったから、ちょっと難しい漢字が読めず、片手にはいつも、辞書を持っていた。
それで、しばしば、私に意味や用法を聞くことがあった。

漁協の理事になって、もっと大きな難関があった。
「漁業法」や「水協法」という法律を理解しなければならない。
組合から、一度だけだったらしいが、「水協法・漁業法の解説」という水色の本が配布され、それを勉強していた。
私が読んでも、非常に難解な本で、5回ぐらい読んで、何となく、全体的なイメージがわく、というくらいの本である。
それを、私の父は、理事になった、という使命感から、一生懸命読んでいた。
その後、何度も「漁業法」は改正されているから、そのつど、私の父は、自分で「水協法・漁業法の解説」を注文して買って読んでいた。
だから、津波前には、私の家には、何冊も「水協法・漁業法の解説」があった。

今、漁協の理事になっている人たちには、これくらい努力している人がいるのだろうか。

岩手県にも、いろいろな水産団体があって、震災1年前に代替わりしたこともあり、それらの会合に私が出席することになるが、たまに、「お前の父は、こうだった」とか、批判的なことを言われたりした。
しかし、今思うに、漁協経営や漁業法のことに関し、各団体の役員は、私の父に比べ、勉強不足である。

私も、自分の思ったことをはっきり発言するタイプなので、会議に出席すれば、いろいろな局面で集中砲火を浴びる。
もう慣れっこになり、少々のことでは動じなくなった。
ある団体の長ですら、「この人は、ちゃんと勉強しているの?」と思わざるを得ないことを発言したりする。
ホント、こんなものか、と、がっかりさせられるのである。

「水協法」は、まだ勉強する気がないが、「漁業法」については、だいたいの大きな理解にたどり着いた。
漁業法の第一条には、次のように書かれてある。

この法律は、漁業生産に関する基本的制度を定め、漁業者及び漁業従事者を主体とする漁業調整機構の運用によつて水面を総合的に利用し、もつて漁業生産力を発展させ、あわせて漁業の民主化を図ることを目的とする。

つまり、漁業法は、漁業調整の基本的な法律であり、その目的が、「漁業生産力の発展」と「漁業の民主化」である、ということ。
こうやって読むと、普通のことのように思われるが、「民主化」というのが、どうも胡散臭い。
何をもって、「民主化」なのか、考えざるをえない。
民主化というと聞こえがいいが、完全な民主化などありえないのである。

漁業する権利を漁業権というのが、狭義の漁業権は、岸寄りの海面漁業に設定される。
埋め立てなどで、漁業権をめぐって、漁業補償がなされる、あれである。
しかし、広義の漁業権は、許可漁業、自由漁業にまでも及ぶ。
これには、私もびっくりした。
このことを説明している本が、前にも少し触れた熊本一規さんの著した「海はだれのものか」である。

彼は、ある収用委員会(それも日本で初めての漁業権収用決裁申請である)で、次のことを提起している。

「正しい法解釈ならば、法律のあらゆる条文を説明できるはずである」こと。
「一つの条文でも説明できない法解釈は正しい法解釈とはいえない」こと。


つまり、法解釈をねじまげるな、ということである。
副島隆彦先生の「法律学の正体」によると、法解釈というのは、とんでもない数に上るようだ。
だから、「こじつけじゃないの?」という類の法解釈も存在するらしい。
それを防ぐための提起である。

この収用委員会で、国土交通省側は、山畠正男氏と佐藤隆夫氏に依頼したが、最終的に、熊本一規さんに論破され、あとで書くが、漁業権の社員権説と総有説の論争は、総有説に軍配があがっている。
この本を読むと、なるほど、総有説が正しいのが、わかる。
再度書くが、漁業権について、理解したいのならば、「水協法・漁業法の解説」を読むよりも、「海はだれのものか」が近道であると断言してよい。

さて、漁業権の本質は何か、というと、それは、「慣習上の権利」である。
これを簡単にいえば、ず〜と何十年もその漁業を正式にやっていれば、それは、成熟した慣習上の権利となり、広義の漁業権となるのである。

ここで、「許可漁業は、漁業権ではないのか」と言われそうだが、そうではない。
実績が重要なのである。
引用する。

 注目すべきは、許可漁業は許可によって権利になるのではないことである。許可によっては、一般的禁止が解除され、営むことが可能になるだけである。その段階では、許可漁業は単なる利益にすぎない。しかし、許可漁業が継続して行われ続けると、それは利益から権利へと成熟していき、慣習に基づいて権利になるのである。
 要綱2条5項の解説に示されるように、許可漁業のみならず、自由漁業も継続して行われ続けると利益から権利に成熟していき、「慣習上の権利」になる。
 要綱2条5項の解説からわかるように、「慣習」とは「古くからのしきたり」ではなく、「実態の積み重ね」のことである。許可漁業や自由漁業は、慣習=「実態の積み重ね」によって権利になるのである。
(「海はだれのものか」p82)


この中で、「要綱」という言葉が出てくるが、これは、「公共用地の取得に伴う損失補償基準要綱」のことであり、もちろん、ここで問題になっているのは、埋め立ての話である。
そして、要綱2条5項というのは、

この要綱において、『権利』とは、社会通念上権利と認められる程度にまで成熟した慣習上の利益を含むものとする
(前掲書p82)

としており、さらに、国土交通省監修の「公共用地の取得に伴う損失補償基準要綱の解説」では、

適例としては、入会権、慣行水利権、許可漁業あるいは自由漁業を営む実態が漁業権と同程度の地位を有する権利と認められるもの等がある
(前掲書p82)


との解説がある。
この場面で、関係漁民の同意なくして、埋め立てることはできない。
埋め立てれば、権利侵害となり、損害賠償となる。
その場合の賠償額も、同意が必要である。

この慣習上の権利は、何も難しいことはないと思う。
先人たち、つまり、明文化した法律のない時代に、何が社会生活を規定していたか、というと、その地域社会の慣習である。
他所から突然やってきて、海を埋めたら、その地域住民は、当然怒る。
だから、話し合いも持たず、慣習を打ち破るような行動は、慎むべきものなのである。

裁判により判決の結果などから、熊本一規さんも、次ように慣習法の重要性を訴えている。

 判決が「慣習に基づく権利」を否定した背景には、司法界に、行政に反する判決を出さない傾向がきわめて強いことに加え、「慣習に基づく権利」を認めようとしない風潮があるように思われる。
 しかし、慣習法は、いいかえれば、司法や行政に依存せずに地域社会を運営するための規範であり、成文法ではカバーし得ないさまざまな事項についての「住民の知恵の結晶」ともいうべきものである。慣習法に基づいて地域社会が運営されるということは、いいかえれば、慣習法によって住民自治が成り立つということである。近年、地方分権が盛んに叫ばれているが、慣習法は、地方分権どころか、住民自治を実現するのである。
 また、慣習法を熟知しているのは地域住民であり、地域に住んでいない裁判官や学者ではない。慣習法の存否が当該慣習法を全く知らない裁判官によって判断され、慣習法を熟知している地域住民がその判断に従わざるを得ないというのは、実はおかしな話なのである。
(前掲書p178)


以上のことから、従来から何十年と行われてきた鮭延縄漁業を妨害する宮古室蘭フェリーは、地域の慣習を乱すものである、と判断できる。
拡大解釈とはなるが、今回、私が説明会を求めた理由は、まさに、ここにある。
しかし、この拡大解釈は、実際に行われている。
例えば、青森県三沢地区では、いか釣り漁業者は、水揚げ実績にある割合を掛け算して、米軍基地の漁業補償金を受け取っている。
これは、岸寄りの漁業権海域の話ではなく、沖合い許可漁業のいか釣り漁業の話である。
青森県には、核燃がらみや原発がらみで、こんな類の似た話はよくあることである。

よく考えてみてほしい。

海はみんなものだ。
だから、誰にでも同じように、平等に使用できる権利がある、と、みんな主張したとしよう。
この場合、お互い「平等」を言い合って、何も決定できない。
「民主化というと聞こえがいいが、完全な民主化などありえないのである」と書いたのは、こういう意味からである。

ここで、昔々から住んでいた人たちの慣習の登場である。
海面利用は、太古の昔からあった。
それは、海幸彦、山幸彦の時代からである。
何十世代と慣習法は、繰り返されてきた。
繰り返されてくる間に、もちろん、少しずつ洗練されたり、変化したりするが、それでも、ずっと漁業をやってきているのである。
だから、その慣習法は強く、他所からきた人間が、勝手な振る舞いをすることはできない(この慣習法は海だけでなく、社会一般に通じるものだと思う)。

そういうことなのだ。

長くなったが、漁業の権利は、慣習上の権利である、と結論づけてよい。
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2018年03月02日

ミズダコはかわいそう

こんばんは。

事件以外のことを書くのは構わないだろうから、暇なので、少しずつ。

1月21日に行われた、資源管理型漁業かご漁業者協議会で、勉強になったこと。
それは、ミズダコの悲劇である。
毛がにと違って、ミズダコは、1回の生殖行動(交接という)で、オスはそのまま死ぬそうだ。
メスは産卵し、それが孵化すれば、死ぬ。
だから、不幸にも、一発やれば死ぬということ。
何となくかわいそうな気がするが、スルメイカも同じだそうだ。

ということは、でかくなってからミズダコを獲っても、獲ってしまったら、子は増えないことになる。
これをどう考えたらいいのか。

今から、宮古魚市場のたこの規格を記す。
まずは、ミズダコから。

大々  12kg以上
大   12〜5kg
小    5〜3kg
ピン   3〜2kg
ピンピン 2kg未満

ヤナギダコ
小    3.5kg以上
ピンピン 3.5kg未満

マダコ
大  1.5kg以上
小  1.5〜0.8kg
ピン 0.8kg未満

ミズダコの大々の規格になるまで放っておいても、獲ってしまえば、ミズダコは増えない。
しかし、獲らないわけにはいかない。
ここで、産卵機会を多くする、という考え方が必要になる。
つまり、産卵させる確率を大きくしながら、水揚げを伸ばすということである。
いったい、どうやって?

今、岩手県のかご部会では、ミズダコの水揚げに関し、変なねじれ現象がある。
九戸地区では、2kg未満のミズダコを放流しているのに、下閉伊地区以南は、1kg未満放流と甘い漁獲制限をしている。
私は、2kg未満放流を全県でやるべきだ、と発言してきたが、どうなるか、わからない(昨年の会議で言い忘れたこと)。
放流する規格を大きくすればするほど、ミズダコが生き残って、産卵する機会は大きくなる。
もちろん、漁業者の側も、大きくなってから獲ったほうが、収入も大きくなる。
私は、3kg未満放流にしたほうがいいと考えている。
ケチケチするな。
魚類資源が大きくなるということは、結果的に地域全体が潤うのだから。

中には、「ピンピン」が一番高いから反対、という人もいるだろうが、掛け算してみてほしい。
ミズダコの成長は早く、1年で6倍にも7倍にもなるのだし、先ほどの産卵機会も大きくなり、一石二鳥の効果がある。

私が船頭やるようになってからは、みずだこのピンピンなど、ほとんど水揚げしない。
伝票をみてみるがよい(たまに間違って揚げることもあるが)。
ある船主に、「君もやったら?」と言ったら、「ほかの人に獲られてしまうから、獲るよ」と返答された。
そこで、私は、「それでいいじゃないの。大きくなったのを後から獲った人は、幸せになるんだから」と返したら、「それはそうだけど・・・」と。

この意識が、資源の増えない理由の一つである。

ヤナギダコに至っては、そういう制限がないから、かわいそうなくらい小さいのも水揚げされている。
「漁運さんも獲ってくればいいじゃないですか」と市場の職員には言われるが、私は、ヤナギダコもピンピン規格は、漁獲制限である(ただ3kgくらいのは揚げたりする)。

マダコに限っては、暖水や冷水の分布のしかたによって、資源変動が非常に大きく、放流効果があるのかないのか、はっきりしないらしい。
珍しく、回答の歯切れが悪かった。
しかし、おでんになるたこのような小さいのは、放流すべきだと私は思う。
あんなもの。

ちなみに、三陸沖にいるたこ類は、すべて、一発やれば、死ぬことになるのだそうだ。
だから、産卵機会を増やすような取り組みは、必要なのである。

一方、毛がには、孵化後2歳で生殖できるようになるが、交尾も毎年ではなく、成長も非常に遅い。
8cmの毛がにに成長するまで、7年もかかるそうだ。
だから、ミズダコより、資源増殖が難しい。
したがって、この3月から実施される、甲長8cm以上の漁獲制限は、正しいと言わざるをえない。

もともと今回の事件を起こす前から、私は、3月初めだけ見て、切り上げるつもりでいた。
8cm以上の毛がにとなると、水揚げは、6割減となるからだ。
これでは、事業として成り立たない。
そういう時は、道具をすべてあげて、海を休ませたほうがいい。
魚類資源を増やすために。
同じ理由で、4月の特別採捕も申し込まなかった。
あんなもの、資源が減っているのだから、やらなくてもいい。

一昨年のこの会議では、「やらなくてもいい」と発言したが、今回は、会議が行われた時期に、ほとんど毛がにの水揚げがなく、なんとなくかわいそうだったのもあって、何も言わなかった。
でも、やっぱり、特別採捕は、やらなくていい。
ちなみに、昨年は、かご漁業の周年操業はやめるべきだ、と言ってきたが、どうせ耳を貸さないだろうから、その点は何も言わなかった。
彼らは、資源増殖に興味がないのかもしれない。

ここで、北海道日高地区の記事を貼り付ける。

 日高東部(冬島地区を除くえりも漁協管内)の毛ガニかご漁は10日に低調な水揚げのまま終漁した。漁期は22日までだが、資源保護で早期切り上げ。漁獲量は不漁年だった昨季をさらに4割ほど下回った。一方、浜値の高騰に支えられ、金額は昨年を若干上回った。
(2018年2月26日付「週刊水産新聞」5面)


岩手県の漁師は、頭の程度が低いと言われても、しかたがないだろう。

と、県の水産職員たちは、心の中で思っている(笑)、きっと。

せっかくだから、水産技術センターで作ってきた、毛がにの生態とミズダコの生態の図を、スキャンして載せる。
こういうのは、漁業者全員が共有し、勉強し、いろいろ意見を言い合ったほうがいい。

毛がにとみずだこの生態.jpg
posted by T.Sasaki at 20:47| Comment(0) | 漁業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月11日

君が若いなら、社会保険!

こんばんは。

毎年、いか釣りで新潟へ行っているが、何年も行っていると、自然に友だちができるものだ。
その中の一人は、同じ9.7トン型で、小型底曳きをやっている。
近年、新潟沖でも、変わった魚が獲れたりするそうだ。
どこでも同じ現象なのだが、漁船数も減っている。
しかし、その分、資源が増加傾向にあるのかな、とも言っていた。

彼は、10トン未満でも、最近になって社会保険に加入し、船を動かしている、という。
つまり、法人組織にしたわけだ。
尊敬する。

10トン未満は、船員保険の対象外だから、非常に不利である。
元々、10トン未満の船は、制度上、家族経営が基本とされる階層の船であるらしい。
だから、健康保険は国保であり、飽くまで、家族以外の人間を雇用するようにはなっていない。
労災保険も、強制ではなく、任意加入となっているのは、そのためだと思う。
社会保険になれば、国民年金ではなく、厚生年金だから、老後の手当ては雲泥の差である。
小型漁船には、少しハードルは高いかもしれない。

私は、もう、50歳も過ぎても細君ももてず、私のことを性的障害者とレッテルを貼る人もいる。
飲むと、平気でバカにする人がいるくらいだ。
スルーしないと喧嘩になるだろう。
そんな私の環境では、今さら、社会保険を掛けても、遅すぎる。
逆に考えれば、若い人が小型漁船で起業し、乗組員に歩合金を払えるくらいの水揚げがあるならば、会社組織にして、社会保険に加入すべきである。
そのほうが、乗組員のためにもなるし、自分のためにもなる。

なぜ、こんなに、社会保険制度が複雑なのだろう。
いっそのこと、これらの保険に加入できないくらいの経営能力しかない人なら、自分で事業をすべきでない、と判定するような価値基準を、みんなが持ったほうがいいと思う。
そうすれば、いちいち複雑な制度は必要なくなるし、老後、微々たる国民年金で暮らさなければならない、という不安もなくなる。

そうでなかったら、逆に、すべて、厚生年金などをすべて国民年金にし、老後は自分で考えよ、と。
なおかつ、すべて国民健康保険にし、3割負担。
労災も、すべて3割負担。

そうだ。
労災は、負担ゼロだから、ずるい人間は、治らないふりをして、いつまでも病院にいるのかもしれない。
特に、綺麗な看護婦さんがいる場合はそうかも(笑)。

バカな話になったが、若くして起業したら、社会保険に入ったほうがいい。
posted by T.Sasaki at 19:52| Comment(0) | 漁業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月23日

時化のもやいのとり方

再び。

今日の宮古湾は、北寄りの台風風もあって、波高し。
港へ何度か行って、もやい綱の効き具合を見てきたが、一応、役に立っていた。
今回の台風は、超大型、というから、マジメにこしらえておいた台風用のもやいセットを使った。

大きなうねりがある場合、単純に、太いロープを使うとか、ロープの本数を増やすとか、そんなことでは、良くはない。
船自身に「ガツンガツン」と堪えるから。
この表現は、わかる人にはわかると思う。
つまり、クッションが必要だということ。

ロープに加わる衝撃が強いと、それ自身が、切れる可能性もある。
だから、もやいの元に、古タイヤを使う。
岸壁や船でタイヤが使われているのは、そのためである。

もし、タイヤがない場合、どうしたら良いのか?

太いロープと細いロープ、つまり、丈夫なロープと伸縮性のあるロープの両方を使う。
丈夫なロープは最後の砦だが、伸縮性のあるロープは、クッションの役目である。
クッション役のロープが伸びていった時に、丈夫なロープが張るように設計して、係船するのである。
下撚りの強いものほど、ロープに伸縮性があるが、さつま加工(スプライス?って言ったけかなあ。あちら語で)がやりにくい。
しかし、下撚りの強いロープは、弱いものより、ロープの強度も強い(漁師以外の人は、何書いているかわからないかも)。

これは、昔から伝えられている、時化の時の係船もやいの知恵である。
そして、この「強弱」の利用は、沖合で操業する時の道具にも応用される。
posted by T.Sasaki at 21:49| Comment(0) | 漁業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月10日

格差社会が正常なのである

三度、こんにちは。

再度、「日本のタブー」に触れるが、これには、いろいろなものが、ぐちゃぐちゃに詰め込まれている。
「優生思想」「正規分布」「人口」という言葉の意味が説明されているが、特に、これらの関連は、ぐちゃぐちゃである。
人間は、ねずみより生殖能力は劣るが、過剰福祉が人口の増加を招いている。
だから、ねずみの増加より人間の増加のほうが、著しい。
本当に過剰福祉に制限をかけなければ、人間は貧弱になるし、いろいろな資源を等分に分け合わなければ、みんな食えなくなることになる。
だから、ある程度の「優生思想」は必要だし、「人口」抑制策は必要なのだ。
これらの論文を読めば、何となく、「優生思想」や「人口」抑制策は、悪である、という印象を受けるが、そうではない。
「おのおのが自分で考えてみよ」ということだと思う。
次の引用から、それがうかがえる。

歴史をふりかえれば、格差があるほうが当たり前だったことがわかる。格差の少なかった二十世紀が特殊な時期だったのだ。格差があるのが正常(ノーマル)であり、格差がないのが異常(アブノーマル)なのである。
 日本の経済を支えているのは、三十年の住宅ローンを組んで、その返済のために会社の奴隷となって働いているサラリーマンたちである。それが可能だったのも、「一億総中流」といわれたほど富が中間層に集まったからだ。泣いていたのは、平社員とそれほど変わらない給料で働いていた社長である。どうして責任も仕事も違う平社員と社長が、社員食堂で同じ定食を食べなければならないのか。格差が嫌な人は、キューバか北朝鮮に行けばいい。今後、この支え手たちが日本経済を支えきれなくなったときが、日本が地獄に堕ちるときであり、日本が変わるときであろう。それまでは、政治も経済も今のだらだらとした状態が続く。
(「日本のタブー」p251)


これは、戦後経済の、特に日本の正規分布型社会が例外であった、ということを書いているものだが、最近の小型いか釣り業界を見ると、なるほど、決して正規分布などというのは当てはまらない。
1日の平均水揚げ(総水揚げを水揚げ隻数で割った値)を下回る船のほうが多いのは、突出して大漁する船があるからだ。
水揚げは、上位の船に偏っている。
しかし、それを「悪い」という船頭はいない。
「自分に能力がない」「運がない」と考え、それは「しかたない」のである。
漁船漁業は、格差社会なのである。

だから、ある漁業が景気のよい時期には、漁船は増加し、景気が悪くなれば淘汰され、減少する。
いわし、さば類の資源減少の局面で、本来、まき網漁業が獲ってはならないするめいかを、TAC配分した。
水産庁のこの行為は、明らかに間違っていた。
トロール漁業の2そう曳きの認可も間違ってた。
資源減少で本来淘汰されるべき漁船を、水産庁が助けたら、ますます魚類資源は減少したのである。
posted by T.Sasaki at 13:08| Comment(0) | 漁業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月02日

魚体組成を考えた資源管理

こんにちは。
本日は暇なので、4回目。

今年も、いわしが大漁だそうだ。
八戸から行ったまき網漁船は、一網500トン獲ったらしい。
しかし、昨年と違って、型は小さくなり、これは資源減少傾向ではないか、と私は疑っている。

ある人は、いわしは獲れば獲るほど、資源が増えるそうだ、とか言っていたが、それなら、まき網はずっといわしばかり獲っていればいいことになる。
全くアホらしい話。
昨年までのような大きないわしと今年のような小さいいわしで、同じ水揚げ量ならば、漁獲尾数では、圧倒的に今年のほうが多い。
この説明をしただけで、その人は少し考えを改めたようだ。

水揚げ量と魚体組成を考えて、漁獲量を調整していかないと、資源は減少するのである。
これは、震災後のマダラの水揚げに学ぶことができる。

福島や宮城では、セシウム騒動で、マダラは何年か禁漁となった。
そのため、その時の小さい魚が大きくなり、全体の水揚げ量が多くなった。
これは、同じ尾数でも、魚体が大きくなったから、水揚げ量が大きくなっただけの話である。
その親魚たちが子を産み、現在は小さいマダラが多くなっている。
すでに、マダラは資源減少傾向にあるそうだ。
この小さいマダラも、周年で獲っていれば、いずれ、いなくなるだろう。
小さいうちに獲ってしまえば、大きいマダラは、ますます少なくなるのは自明である。

魚類資源を維持するには、単なる量規制ではダメである。
まぐろ資源維持の取り組みがいい例で、魚体組成を考えながら、できるだけ小さい魚を獲らない工夫をし、その上で量規制をすべきである。
すでに各県では、ある特定の魚種で取り組んではいるが、もっと魚種を増やし、これを日本全国でやったほうがいい。

「頑張る漁業」や「儲かる漁業」には、上記のような資源管理を踏まえて、慎重に補助すべきである。
2そう曳きトロール漁業に対しては、間違っても補助すべきでない。
まき網漁業も、資源に対して、船が多すぎる。
あらゆる魚探機器の性能が向上しすぎて、探知能力が高くなっている。
この費用も高くなっているのだから、それを回収するために、ますます「頑張って」獲らなければならない。

大体にして、「頑張る」や「儲かる」という言葉には、資源管理の意味は全く含まれない。
こういう事業は、やめたほうがいい。
日本の海のためにならない。
posted by T.Sasaki at 10:16| Comment(0) | 漁業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

岩手にもインドネシア人労働者を

再び、再び。

そんなわけで、水産庁が無策なら、捨てられる運命の小型船だから、私もあまり悩まなくなっている。
今後、日本の国に、岩手県に、宮古市に、「小型船漁業者も必要だ」などと言われることもないだろうから、自分の船を、以前のように維持する努力をしなくてもいい。
乗組員の心配もしなくてもいい。

あ〜、すっきりした。
あとは、その辺の仕事に就けばいい。

「就職は、そんな簡単じゃないよ」と忠告されそうだが、そうだろうか。

私以外にも、若い乗組員にドロンされた、という話は、よく聞く。
それが、船でなくても、オカの仕事でも、少なからずあるそうだ。
そんな人たちに比べれば、不断の努力をしてきた小型船の漁師は、はるかに使いモノになるのである。
我慢強さが違う。
ここまで書いたら、若い人たちはいい気分がしないだろう。

何が悪いか、といえば、私の同年代の親たちの教育も悪い。
自虐的に言うならば、私の同年代が、日本を滅ぼすかもしれない。

そういう若者たちは、社会のことなど「どうでもいい」と考えているのだろうか。
それならば、年配の人たちの気持ちがキレてしまってもしかたがない。

「勝手にしやがれ!」

私のような年代で、私のような独身者が、「勝手にしやがれ!」と言っても害はない。
害があるのは、自分のことしか考えず、社会のことなど「どうでもいい」と考える若者と育てた親たちだ。



今、日本の漁船漁業の乗組員は、インドネシア人が多くなっている。
やる気が違うらしい。
八戸では、インドネシア人をたくさん見かける。
目が合えば、知らなくても頭を下げる。
こっちのほうがビックリしたりする。
インドネシア人は自転車に乗っているが、自転車に乗っている私のような日本人が珍しいのもしれない(笑)。
小型船の業界でも、インドネシア人をあちこちで見かけるし、宮城県の定置網でもインドネシア人を雇っているらしい。
岩手県でも、各漁業に、インドネシア人を割り振るよう考えてもらいたいと思う。

私は、日本人の若者を育てる意味合いも兼ね、外国人労働者をあまりよく思っていなかったが、これほどドロンされると、もう日本人の若者の味方をしなくてもいいと思うようになった。
若い人より年をとった人のほうが、体力もあるし、根性もある(情けねー話!)。
今の私の乗組員は、10歳も年上で、短気だが根性がある。
そういう人たちは、やがて引退するから、今から、インドネシア労働者を大事にするほうが、岩手の漁業にとって、いいように思う。
漁業でいいのだから、向き不向きもあるだろうが、オカの仕事も大丈夫だろう。

普通の日本人は、初めて仕事をする場合、仕事をできるかどうかをまず心配する。
どこでも聞く話なのだが、今の若者たち、先に、給料と休みを心配するそうだ。
私と同年代の八戸の乗組員(ほかの船)は、「仕事をする前に、カネの話ができるのか。仕事をできるようになってから、カネの話をしろ」と。
カネの話ばっかりする渡り鳥乗組員は、インドネシア人労働者によって淘汰される。
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魚類資源減少で、小型船は淘汰される

再び。

日本近海の魚の減少傾向は、何を引き起こすか。
船の大型化、すなわち、大会社の漁業組織が生き残る時代になり、小さい船ほど淘汰される。
いか釣り漁業をやっていて、最近、ふと思うのである。

以前、するめいか資源が潤沢であった頃、1箱あたりの単価が安く、平均単価が1000円の時代があった
700円とか、ひどい時は500円とか、そういう時もあった。
こうなると、大漁貧乏もいいところで、大きい船も小さい船も、利益は大して変わらなかった。
いくら獲ってきても、経費を引くと、残りが少ない。
むしろ小回りが利いて、経費の少ない10トン未満船や5トン未満船が、悠長に構えていた。

ところが、これほどの不漁になると、大きい船ほど利益が大きくなる。
それも、桁違い。

これは昨年の話だが、日本最後の大型いか釣り船では、乗組員の家庭送金のほか、歩合金の残金の振込みが4桁くらいになった、という噂を聞いたりした。
中型船でも、今までないくらいの歩合金の振込みがあったそうだ。
そして、小型船でも、19トンは景気がいい。
少々の悪天候でも操業でき、日本海などでは、一晩100万円の水揚げは、普通にあるらしい。
もちろん、太平洋の昼いかでも、大きい船ほど水揚げが大きく、9.7トンと19トンでは、倍以上の違いが出る。
平均単価が2500円から3000円すれば、獲った船はホクホクである。

話は変わって、岩手沖の2そう曳きトロール。
彼らも、単価の高いするめいかばかり狙っている。
単価が高いからこそ、狙うのである。
これは、どの漁業にも言えることだが、資源が少なくなればなるほど単価が上がり、単価が高いから、そればかり狙う。
これでは、資源が減るのは当たり前である。
何度も書くが、太平洋前沖にいるローカル群を枯渇されるのは、こういう事情が大きく左右している。
このことを、水産庁をはじめとした各行政機関は認識し、漁法を改めさせるべきである。

するめいかが余っていた時代、トロール漁業は、するめいかを獲り放題獲った時もある。
単価は暴落し、10円とか、数円まで下がった時もあった。
そういう単価のするめいかは、もちろん、ミール工場行きである。

最後にまき網漁業。
八戸沖では、やはり単価の高いするめいかを狙う。
キロ当たり600円だから、10トン獲れば600万。
20トン獲れば1200万円、100トン獲れば6000万円である。
とにかくするめいかを獲りたい。
ところが、沖合いから新規加入群が入ってこなくなったのか、ぜんぜん獲れなくなった。
いた魚を獲りつくしてしまった。
そこで、八戸にいたまき網漁船の半分は、いわしを獲るため、北海道へと渡った。

いわしを獲れるなら、そっちを獲れよな、と、いか釣り漁船は、みな思っている。

効率のいい漁業ばかり残す、という方針を、日本の国が持っているのなら、それはそれでしかたがない。
それならば、同じ魚種を獲っている小型船は、「もうあなたたちは、漁業をしなくても結構ですよ」と言うべきである。
そうすれば、各個人やそれを構成員とする各漁協も、方針を変えるのである。
しかし、日本の国は、水産庁は、はっきりしない。
名ばかりの下手くそな資源管理をやり、魚類資源を減らし、海外の水産会社へ儲けさせることばかりしているのだ。
水産庁は、大きな水産会社や海外の水産会社へ、利益誘導しているのである。
これが、本当に、日本のために、そして、日本人のためになるのだろうか。

魚類資源減少は、大きな船に有利であり、小さい船ほど、そのとばっちりを受けるのである。
posted by T.Sasaki at 07:58| Comment(2) | 漁業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月14日

漁船漁業の近未来

再び、こんばんは。

スルメイカの大不漁で、イカ類の輸入を増やすようである。

 経産省は、日本近海でのスルメイカの不漁で加工業者の原料不足が深刻化している状況を受け、今年度輸入割当を3万8千トン追加する方針を決め、7月29日に追加案を公表、意見募集を始めた。追加枠は昨年度の2倍。当初の割当7万4950トンと合わせて今年度輸入枠は11万2950トンと過去最大となる。
 イカの輸入枠は平成19年、毎年度7万4950トンに設定。加えて過去3年間は不漁のため、追加輸入を認め、昨年度の追加枠は1万9千トン。輸入元は中国やタイなどが多い。
 輸入枠の増枠は、函館市、松前町や福島町の水産関係者が国に求めていた。
 追加枠の内訳は、輸入実績のある商社1万5250トン、水産庁が承認した団体(需要者)2万1650トン、海外漁場で操業する漁業者など1100トン。
 意見の受け付け期間は8月27日まで。追加枠の申請受け付け期間は商社割当=10月4日と同5日、需要者割当=9月28日から12月27日、漁業者割当=9月28日から30年4月16日。
(平成29年8月7日付「週刊水産新聞」9面)


この記事を読んだ時、少し考えた。

原料不足に悩む加工業界は、結局のところ、釣りとは違って、確実に一網打尽できるまき網漁業やトロール漁業の水揚げに頼ることになる。
しかし、いか釣り漁業者の総意は、資源回復するまでは、まき網漁業とトロール漁業は禁漁なのであり、これは筋の通った話である。
原料確保に悩む加工業界にとって、これらの漁業がするめいかを獲らないならば、あとは、輸入に頼るしかない。
そうだ。
加工業界をつぶさないために、この際、日本近海のするめいか資源が回復するまで、いかの輸入をどんどんやったほうがいい。

と考えたが、水産庁自体に、魚類資源を増やそう、という態度(つまり、まき網、トロール漁業に対する大幅な制限)が見られないし、「日本が獲らなくても外国船が獲る」という話から、「外国船に獲られるくらいなら、日本が獲ってしまえ」という話になる。
こうなると、外国の側(中国や韓国など)は、「日本は今まで獲ってきたじゃないか。我々に獲らせないなんて、卑怯だ」と言うだろう。
例の二酸化炭素排出削減の話と一緒だ。
これでは、この東アジアでの資源回復は、ますます望めない。
日本の漁師は大バカものだ」で引用したFAOや世界銀行の予測は、確実に当たる。

さんま業界も同じかもしれない。
外国船がさんまを公海で獲っているから、日本も獲り始め、それが資源減少の原因である、という人もいる。
本当のところ、どうなのかわからないが、「外国船が獲ってはならん」という法律は、どこにもない。
相手も、大して変わらない頭脳を持っている同じ人間なのだ。
今までたくさん獲っていた日本が、今さら、「資源管理しよう」と言っても、マグロ資源管理の会合で口裏あわせをやっている水産庁の態度を見せられると、説得力に乏しいのである。

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/10164

身近な岩手沖合を見ても、最悪の2そう曳きトロールの勢いは衰えそうにもなく、また、同業の小型船にも「獲りすぎ」という認識がない。

こんな有り様を見せられると、日本で漁船漁業はやるべきでない、と本当に思うようになる。

いったん、みんな瀕死になり、やめるところはやめて、漁船が減り、それが、資源回復の道筋となる。

これが、日本の近海漁業の近未来だろう。
posted by T.Sasaki at 22:05| Comment(0) | 漁業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月06日

漁船漁業と養殖漁業は兼業すべきでない

こんにちは。

「GDP4%の日本農業は自動車産業を超える」を読んで、いつも私が思っていたことを、吐き出すことにする。
この本には、日本農業の潜在能力の高さが書かれてあり、今まで、農林水産省とその族議員、そして、農協であるJAが、日本農業の進歩を妨げてきた、としている。
農家の数が多ければ、日本の狭い耕作地を分け合うのだから、一人あたりの耕作面積は少なくなる。
本来、そこに税金を使った保護策がなければ、中途半端な兼業農家は消滅し、やる気のある専業農家が伸びるはずだった。
したがって、規模の農業が、日本でもできるはずだったのである。

兼業農家にも専業農家と同じ、偏らない補助金を配られたために、いずれ消えるはずの兼業農家は、今まで生き残ってきた。
その結果、一人当たりの農家の取り分が、多くなるわけがない。
農家が減れば、誰が困るか?
その既得権益を離したくない、農林水産層と族議員、JAが、困るのである。
だから、このように、税金が使われてきた。

それが、ここ数年のうちに、農家の高齢化で、一気に耕作放棄地が多くなるのだという。
これにより、その農地を引き受け、大規模化と効率化を兼ねた、世界の農家と渡り合えるような農家が誕生することになるそうだ。
日本の米でさえ、国内価格が下落したため、経費節減などの努力により、すでに輸出できるほどになっている(何と!韓国産の米より日本米のほうが安く、食味はもちろん日本米が良い)。
だから、もう、TPPでも何でもオッケー。
従来の日本人の気質、武士道気質がある限り、農業だって、ちゃんと国際競争力をつけることができるだろう。

さて、この話が、私のやっている小型漁船漁業と、どんな関わりがあるか、というと、漁船の数と魚類資源の数についてである。
以前、地区の先輩から、岩手沖合い海面の漁業許可について、「1隻あたりの持つことのできる許可数を制限すべきだ」と言われたことがある。
たぶん、以前の漁運丸みたいに、たくさんの許可を持って、いろいろなことをやっていることに不満もあったのかもしれないし、純粋に魚類資源に関することを考えていたかもしれない。
魚類資源や漁船経営に関して言えば、彼の言うことは正しい。
漁船の数が多くなり、そのすべてが操業すればするほど、魚類資源は少なくなり、1隻あたりの収入も減るだろう。
だから、1隻あたりの持つ漁業許可数を減らせば、それなりに、資源も増え、1隻あたりの収入も増える。
確かに論理である。
これは、先程の農家の数と耕作面積の話と同じ話である。
しかし、私は、「その前にやることがある」と反発した。

現在、漁船漁業と養殖漁業は、平行してできる。
つまり、これも、漁業許可をたくさん持っているのに等しい。
1隻あたりの許可数を制限する前に、まず、漁船漁業と養殖漁業の兼業をやめるべきだと思う。

漁船漁業は、この通り、魚類資源減少から、経営が厳しくなっている。
すでに、中途半端な兼業で船を動かしている人たちは、その事業単体では、漁船漁業の経費を払えない事態になっているであろう。
彼らは、養殖漁業で儲けたカネで、その経費を賄っている。
漁船の経費というのは、単年度で言っているのではない。
消耗するエンジンなどの、いずれ交換しなければならないようなすべてを考えての経費である。

漁船漁業と養殖漁業の兼業をやめただけでも、漁場の窮屈性などが少なくなり、1隻あたりの収入は増えるだろう。
また、魚類資源も少しは改善される。
1隻あたりの持てる許可数の制限は、それからやるべき案件である。
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2017年05月23日

昨年とは違う「大不漁」

久しぶりに、こんにちは。

前沖の資源管理に絶望感を感じたので、いつもより早く日本海へいか釣りに来ている。
日本海長期予報では、大不漁の昨年並みとされているが、いかのサイズがまだ小さいので、昨年とは違うのではないかと思っている。
私のいる新潟は、まだ漁が少ないが、先行する石川県では、何日か1万箱超えを記録している。
これは、昨年ではなかったことだ。
以前、大漁だった頃は、小さいいかから、大きくいかへと漁獲が変化していったものだ。
昨年の場合、最初から30入れ主体であり、心配していたら、案の定、すぐに漁が切れ、私は6月中旬過ぎには、逃げるように誰もいない八戸へ回航した。
結果的に、それは悪くはなかったが。

今年の場合、新潟沖ではまだバラいか主体だから、7月までここにいそうな気がする。
どっちみち、太平洋の漁は期待薄だし、少々漁がなくても、我慢する覚悟でいる。
八戸沖のトロールが獲るバラいかは、昨年より極端に少ないらしく、太平洋ローカル群は危機的である。
あとは、太平洋各地の定置網に入るバラいかの全体量がどれほどになるのか、それ次第だと思う。


以前の太平洋するめいかは、秋から冬にかけて、定置網に入網していたから、成熟群は、オカ寄りで産卵していただろう。
それが、近年、秋から冬にかけて、太平洋のするめいかは沖寄りに分布し、そこで産卵しているものと考えられる。
前述の通り、それを根こそぎ、2そう曳きが獲るものだから、ローカル群の再生産など期待できない。
私の父の時代の小型するめいか漁業は、ローカル群だけでも、十分に飯が食えていたのだ。
ローカル群の再生を期待したいが、それを阻む人たちがいるから無理かもしれない。
絶望の資源管理である。

私は、昨年に続き、太平洋のするめいかは、大不漁ではないかと思っている。
もっと大不漁かもしれない。
ローカル群の再生産はこの通りのありさまだし、東シナ海や九州西部の冬季発生群の少なさから、すでに太平洋回りのするめいかは苦戦するのではないか、と予測もある。

しかし、大不漁の予測が外れる可能性もないわけではない。
日本海回りの秋季発生群も少なかったから、大不漁予測がなされたが、もし、このままで、大漁群が成長しながら北上すれば、日本海はそれほど悪いわけではないだろう。
北上したするめいかが津軽海峡を通過し、太平洋へたくさん抜ければ、少しは好転するかもしれない。
また、前述、ある水産会社の重役さんだった人の説、日本大回遊説をとれば、日本海からオホーツクに入り、羅臼に入らないで、そのまま太平洋へ抜ければ、これは、秋季から冬季にかけて、太平洋を南下するかもしれない。
もう一つ、冬季発生群の少なさから、太平洋するめいかは、悪かった昨年並みの予想も、はずれるかもしれない。
なぜなら、現在の日本海するめいかは、今のところ、昨年よりは悪くはないからだ。
したがって、太平洋の予測も外れる可能性もある。
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2017年04月07日

鮭の刺し網裁判について

再び、こんばんは。

かご漁業の話から、忘れないうち記しておく。
例の秋鮭を刺し網で獲らせろ、という裁判で、訴えた側が勝訴したらしい。
かご部会の会員の多数が、この訴えた側のメンバーであるという噂である。
私は、本当のところ、誰と誰が、正式なメンバーなのか、知らない。
負けた県側は、控訴したようだ。

鮭の再生産は、大昔と違って、人の手によるものである。
人工ふ化は、各漁協がやっており、それが、漁協の事業を支えている。
人工ふ化事業の前なのか後なのかわからないが、春鮭鱒の延縄漁は、私の父親の若かりし頃から存在する。
もしかして、秋鮭の人工ふ化を行う前からあるのだろう。
そうでなかったら、水産六法に、鮭延縄の制限する法律があるはずもない。

一方、刺し網で鮭を獲る、というのは、宮城県のみの許可であり(10トン未満のみ)、ごく最近できたものである。
鮭王国である北海道など、他の県では許可していない。
そもそも、ある人たちが、一生懸命育てて放流したものを、その人たちの言い分を無視し、他の漁業者が「獲らせろ」という話が、社会一般で通用するのだろうか。
私は、その時点でおかしいと思う。
例えば、宮古漁協の隣の重茂漁協では、あわび増殖に関して一生懸命であり、単協の重要な戦略の一つである。
それをそんな努力の片鱗もない人間が、「同じ漁師なんだから、獲らせてくださいよ」という人は、まずいない。
恥ずかしくて言えない。
他人が一生懸命やっている事に、「都合良く」参加できるわけがないではないか。

秋鮭の漁獲できる方法は、定置網、鮭延縄、河川捕獲の3つであり、これは以前から変わっていない。
一般の漁船漁業者には、ちゃんと延縄漁業という漁獲機会があって、岩手県沿岸漁船は、当初みんなやった。
それが思うように獲れなくなったから、県の許可制度が悪い、というのは、「都合が良すぎる」。
普通の日本人の感覚を持ち合わせている人間なら、そう思う。

私は今、「裁判の秘密」という本を読んでいるが、法曹界の人間というのは、本当に信用していいいのか悪いのか、ますます考えるようになった。
上記のように、日本人一般の感覚からかけ離れた判決がなされたりするのを目の当たりにすると、げんなりする。
控訴審も県が敗訴するとなると、これは各県に波及するだろうし、他の漁法でも、「獲らせろ」が始まる。
この「獲らせろ」論には、限界がない。
私は、これに関わっている弁護士や裁判官の頭の中を覗いてみたいし、いろいろなことを聞いてみたいと思っている。

大雨で川が増水し、川留めの設備が流失して、上流へどんどん鮭が遡上することがある。
この場合も、その流域の一般住民は獲ってはならず、鮭が産卵して役目が終わっても、獲ることはできない。
その後は、カラスや野鳥の餌になり、最終的に腐ってしまうのだが、私はその鮭を、流域住民が獲ってもいいように法改正したほうがいいと思う。
流域住民は、川をきれいにする努力をしているし、増水で被害を被ることもある。
人間的に考えるなら、川留めが壊れた場合、流域住民に幸運を与えてもいいような気がする。
少なくとも、これを「都合が良すぎる」とは誰もいわないだろう。

私は最近、モノを言う人が、どういう人間か、じっくり観察するようにしている。
心に裏がある人間は、信用できないからだ。

信用というのは、最後の最後は、カネや業績ではない。
基本的な人間性にある。
それが否定されるなら、この日本は終わりだ。

私が小学校卒業の時、先生から送られた言葉がある。
それは「心豊かに誠実に」である。
存命しているかどうかわからないが、それは照井先生という方であった。
50歳にもなって、この言葉を非常に重く感じる。
今まで日本人として生きてきて、この言葉に重みを感じなかった自分を恥じている。
posted by T.Sasaki at 20:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 漁業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月28日

漁師は、愛国心の塊

再び、こんばんは。

日本ハムが優勝しましたが、この写真、見てください!(関係ありませんけど)

ヤンマー亜鉛.jpg

日本の漁船は、常に、made in japan なのです。
こんなゴムパッキンまで。

考えてみると、船体からエンジン、航海計器、魚探類、イカ釣り機械、餌、網など道具まで、全部、made in japan。
全部、高価です。

漁業者は、日本を愛しているのです(笑)。
右翼でも、漁業者には、一目おくほどです(笑)。
posted by T.Sasaki at 21:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 漁業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする