日本の漁業が崩壊する本当の理由 片野歩

世界中で魚類資源が増えているのに、日本だけが減っている。
この現実を、恥ずかしいと思うべきである。

日本の漁業が崩壊する本当の理由.jpg

すべての漁協組合長、理事、参事、そして、任意の漁業団体の会長以下すべての役員たちは、この本を読むべきだ。
読みたくないならば、「日本の漁師は大バカものだ」を参照すること。
これを認識できないならば、役職に就く資格はない!

2016年12月27日

一票の格差は、あってもよい

再び、こんばんは。

国政選挙の議員定数について、1票に不平等があるので違憲である、とする判断が各裁判所でなされています。
しかし、私は違うと思う。

もう何回も議員定数の改正が行われてきました。
それでも改善するどころか、あちこちで裁判所が振り回されている状態になっています。
なぜ、改正が行われても、またこういうことが起きてしまうのか?

結局は、過疎と過密が起こっているから。

裁判所は、条文解釈にしたがって、判決を下すからしかたがありませんが、私は、これを訴えるほうがおかしいと思う。
彼らは、そして、彼らの住む地方は、何を求めているのか?
「小さな政府」ならまだしも、福祉国家、それも過剰福祉国家で、バリバリに経済政策を税金使ってやる政府なのだから、彼らが議員定数改正で望むものは、ズバリ、利益誘導ではないのか。

人口が増えて、一票の相対的な価値が下がっている地域は、ある程度仕事があって、田舎から人口が移動して、そこで家庭を築いて子どもたちが育った環境だろうと思います。
田舎から出て行った人たちが人口を増やしたわけだ。
ちょっと乱暴に言えば、「田舎から出て行ったのは、自分の勝手だろう。それで、自分の持つ一票の価値が下がるから、それを変えろ、というのは、身勝手すぎないか」となります。

「違憲だ!」と叫ぶ人々の地方で、議員が増えて、そこへの利益誘導の経済政策が増えれば、その地域は、ますます栄え、人口も増えていくでしょう。
逆に、議員が減った田舎は、限界集落ではなく、限界自治体が増え、予算も減っていく。
結果は、想像しただけでも目に見えてしまう。

もし、日本の議員たちに利益誘導をやろうという気持ちが全くないならば、一票の格差は是正されるべきですが、でも、そういうレベルになったなら、選挙区を全国区にすればいいだけの話。
全国区なら、一票は平等です。

最近、というか、前からだけれども、法曹界の人たち(特に訴える側)の、社会全体を見渡す能力に、疑いを私は持っています。
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2010年11月12日

歴史が繰り返すほど、人間はバカなのであった

みなさん、こんばんは。

今年は、日本海から津軽海峡を経てやってきた異常高温暖水塊が、青森県沖から北海道襟裳沖にかけて停滞し、特に下北から八戸にかけて、秋スルメイカは大不漁に見舞われました。
暖水塊は南下し、今、岩手沖を覆い始めており、その影響なのか、本県のスルメイカは、現在、不漁になっています。
逆に、青森県太平洋側は、少しずつですが、スルメイカが釣れ始めました。
岩手名産の秋鮭も、暖水塊の北側から入っているのか、北部ほど、漁が回復しているように聞きます。
たぶん、鮭とスルメイカが、北側から復活するかも。

定置網の鮭漁もパッとしないので、イカ釣りを切り上げることができないでいる私です。
いつもなら、イカの水揚が3桁を切ったら、つまり、100箱以下になったら、すぐにイカ釣りの艤装を解き、鮭延縄の準備をします。
なぜなら、11月過ぎの昼イカは、天候が悪いため、休みが多く、したがって、岸よりで操業する鮭延縄のほうが、安定収入を得ることができるからです。

私は、一発勝負を、あまり好きじゃない。
人生って、そんなに単純ではなく、簡単でもないですからね。
漁も同じです。



さて、日本国の借金は、ついに900兆円を突破しました。

http://www.asahi.com/politics/update/0811/TKY201008110299.html

やがては、たぶん、1000兆円にもなるでしょう。
たぶん、じゃなく、確実かな。

なぜ、確実なのか?

そりゃ、自力で生きようとする人が、他力で生きようとする人を上回るからですよ。
福祉、自己責任放棄、そして、社会制度濫用、それぞれが全盛の時代ですから、借金がどんどん増えるのは当たり前。
だから、リバータリアニズムという自立主義を、少しは見直してほしいものです。
人間以外の動物は、自力で生きようと必死ですし。

で、このままいけば、財政破綻します。
これも確実。
近い将来か、遠い将来か、それはわかりません。
でも、歴史は繰り返すのです。
人間どもは、バカなのでした。



最近では、戦後すぐに、新円切り換えし、前のお札は、ハイパーインフレで紙くず。
私は知らないのですが、日本史上、各時代、たぶん、財政破綻は繰り返していると思いますよ。
もし、破綻していなかったら、昔の通貨が、そのまま利用されているはずですし。

ということは、日本政府も、少しは思慮のある国民も、それに備えていればいいわけだ。
政府は、財政破綻を否定するでしょうけれど(当然!)。

「財政破綻は繰り返す」という、たぶん学問的真実に学び、すでにそれに備えている国があります。
それは、天下のアメリカ合衆国!
さすがです。

これについては、次回に、ということで。
もちろん、私が考えたのではなく、タネを明かせば、読書の賜物。



今年は、旅先で、あまり読書しませんでした。
ちょっと老眼ぎみになり、小さい字を見るのが億劫。
私は近眼でメガネをかけていて、年を取ったら、相殺されて、普通の眼になりそうですが、そうもいかないんですね。

旅先で読んだ本。
副島先生の「お金で騙される人、騙されない人」、「バーナード・マドフ事件」、「世界権力者人物図鑑」。
その弟子、吉田祐二さんの「日銀円の王権」。
先生に多大な影響を受けた、関岡英之さんの「拒否できない日本」。
藤森かよこさん翻訳、アイン・ランドさんの「利己主義という気概」。
橘玲さんの「マネーロンダリング入門」。

福岡伸一さんの「生物と無生物のあいだ」。(←みんなは面白いというけれど、期待したほどではなかった)
浅川芳裕さんの「日本は世界5位の農業大国」。

苫米地英人さんの「ツキ」を引き寄せる洗脳術(←買って損した!)

日本『バカ犯罪』白書(←バカ笑い!)

そして、

原田武夫さんの「狙われた日華の金塊」。
新潟の本屋さんの店頭に並んでいたのを衝動買い。
買ってよかった。

でも、衝動買いって、損することが多いんですよね〜。

ではでは〜。

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2010年03月22日

政治とは? (高橋さんへの手紙 11)

みなさん、こんばんは。

今日は、三陸縦貫自動車道宮古道路が開通しました。

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20100322_6(「岩手日報 Web News」)

露骨な利益誘導道路である「山田道路」とは、事業評価の点で、雲泥の差です。
これで、私の家の前を通る国道45号は、交通量が減り、余計な排気ガスを吸わなくて、私は幸せ(笑)。



さて、と。

私はやっぱり『小さな政府』よ」で、「現実政治というのは、学問(科学)をほとんど無視したもの」と書きましたが、ちょっと断定しすぎたかなあ、と反省しています(ウソ!)。

政治戦略(あるいは国家戦略)という言葉がありますが、これは、工学です。
戦略という名のつくものは工学です、というより、工作なのかな。
この辺は、「学問って、何? 2」を参照してください。

どんな戦略にしろ、戦略を持つ政治家はまだいいのですが、戦略すら全くない政治家は、ゴミ同然です。
利益誘導主義の代議員は、すべて“政治屋”であり、私は政治家とは呼びたくない。

お〜、そうだ。
そうしよう。
これから、利益誘導主義の人は、みんな“政治屋”と書こう。

ただ今、宮古市では、宮古市議会議員の選挙運動準備真っ最中です。
政治屋と政治家のレッテル貼りでもしようかしら(笑)。

脱線した〜。

閑話休題。

え〜と。
政治のことだったかな?

政治とは、学問的に理由付けされた“ような”意見を聞き、政策反映すること、あるいは、対立する意見や問題がある場合、“上手に”その判断をすることです。
昔、「政治とは?」というページを書きましたが、でも、今は、世捨て気分で、“ような”や“上手に”を扱うのが政治だと思っています。

“上手な”政治判断の最もたるものは、やっぱり先述の利益誘導。
つまり、選挙の票!
第2が、賄賂。
第3に、力の強い人に従うこと。

これが、政治屋になる代表的な3要素。

政治屋は、決して、学問とか工学とか、そんなもので、政治判断をしていません。

本当の政治家は、投票しなかった人も含めた選挙民全体のことを考え、政治判断する人です。

私がエールを送っている高橋さん(高橋博之県議会議員)は、しっかりした政治戦略を持っている人です(http://www.hiro-t.com/index.html参照)。
努力家であり、日々考え、素直に日記で公開し、それを読む人に感銘を与える。
たぶん、いろいろな人と出会い、当選した頃とは、考え方も、かなり違ってきていると思います。
私みたいに、さっさとあきらめる性格でもなさそう。
たぶん、私が書いたものを読んではいないと思うけれど、でも、彼の日記を読む限り、過去の「漁師のつぶやき保存版」の断片が、ちらほら散見されます。
彼は、決して、選挙民に媚と売っているわけではなく、むしろ、だんだん、選挙民に厳しくなってきているような感じもします。

私に似てきたわけか(というわけでもないでしょう、笑)。

彼は、きっと、政治判断というものに、苦しい思いをしていると思います。
これは、なった人でないとわからないと思う(私も同じ。でも、こうやって想像できる分、わかる気がしている)。
大橋巨泉氏は、民主党議員になって、それから、すぐに辞めましたが、彼は、“政治”というものを理解していなかったのではないでしょうか。
自分の理想や「学問的に考えたら、こうなる」ということを主張しても、次から次へと、うようよと、国民のわがままが湧き出てきて、それに応えようとする他の議員たちとの意見が対立し(もちろん、各業界のわがままに応えようとする議員との対立もある)、かなりの譲歩が必要となる。
それが、政治の世界。
“政治屋”たちの板ばさみになりながら、耐えられる人間こそ、立派な政治家になるのでしょう。

民主党や鳩山由紀夫首相がいろいろ書かれたりするけれど、彼らは、国内政治、国際政治のど真ん中にいるわけだ。
力のある人間、そして、力のない人間のあらゆる要求に対し、判断を下さなければなりません。
力のある人間よりも、力のない人間のほうに、味方をしようとするのは、もちろん、普通の日本人なら、みな、そう考えます。
あのような出自の、お坊ちゃんである鳩山首相は、たぶん、純粋にそう思っている。
もちろん、自由の行き過ぎを制限するのが政治であるのなら(再び「政治とは?」参照)、それが、たぶん正しい。
しかし、現実の政治は、この通り。
そうはいきません。
だから、今、鳩山首相が、マスコミにいろいろ書かれようが、「そんなもの、ずっと昔からだよ」としか、私は思っていません。
事業仕分けをして、無駄をなくそう、という取組みをしているだけでも、進歩したいうべきであり、そんなに全部を一気にできるわけではないと思うんです。

そんなことを、わかったにもかかわらず、高橋博文さんは、健気にも頑張っています。
本当に頑張っていると思う。
好青年はいるけれど、政治の世界にしばらくいて、その好青年を持続しているのは、非常に稀だ。
私は、高橋さんを選挙区にもつ選挙民は、幸せだと思う。

高橋さんが、どれくらい頑張るか。
そして、その頑張りで、社会がどれだけ変われるか。

高橋さん、頑張れ!

とエールを送ります。



なぜか「『人間牧場』Vs.『反過剰福祉』」に人気があり、これは、ずっと前に書いたものですが、先月のベスト5入りしています。
私としては、こういう文章を読んでもらうのがうれしい。

この記述の中に、「CFR」、「三極委員会」、「ビルダーバーグ」というのが出てきます。
これらの背後に、秘密結社「フリーメーソン」や「イルミナティ」が存在する、とささやかれています。
そして、陰謀論。

ちょっとここで、身近にある「ロータリークラブ」について、記述しますが、私がたまに参加する「豊かな三陸の海を守る会」の会員に、ロータリークラブに参加している人がいます。
その人の話によると、ロータリークラブの参加者は、各業種の名士たちであり、参加するにあたって、思想、主義、信条、宗教は、問われず、とにかく、世の中のためになるような活動をしよう、という人の集まりなのだそうです。
「ロータリークラブ」のWebサイトを参照すれば、ロータリーの歩み(主な出来事)中に、確かに、そう記してあります。
引きます。



ポールが集めたこの4人はどんな人であったろうか。ポールは、その著『THIS ROTARIAN AGE(ロータリーの理想と友愛)』の中で、この点につき次のようなことを書いている。
 「湖畔(こはん)の一都市を舞台として、一場のドラマが始まった。このドラマがどんな意義をもつものであるか、何人も予測し得たものはいない。登場人物は、世の平凡な道を行く実業家および職業人であって、必ずしも一頭地を抜くほどの特質を備えた人ではなかった。しかし、一般的な意味で、“立派な人”と表現しても差し支えない人々であり、4人とも気が合っていて仲が良く、めいめい業種の異なる立派な事業あるいは職業を持っていた。彼らは、信仰、人種、政治的意見の相違に関係なく集まった人々なのである」
(「ロータリーの誕生」ユニティ・ビル711号室であげた産声)




創始者であるポール P.ハリスは、フリーメーソンの会員であった、いや、そうでない、という議論もあるようですし、また、ロータリークラブの中から分離したライオンズクラブの創始者メルビン・ジョーンズも、フリーメーソンの会員云々という話もあります。
でも、私は、そんなものはどうでもいい、と思います。
なぜなら、フリーメーソン自体も、最初は、「ロータリーの誕生」と同じようなものではなかったのかなあ、と思っているからです。

フリーメーソンは、「『人間牧場』Vs.『反過剰福祉』」に記してあるローマクラブにも関わっているし、本当のところ、彼らも、悪意をもって、活動しているものでもない、と思う。
ただ、その悪意のないものを、悪意でもって利用する輩がいる、というのは、たぶん真実なのでしょう。
特に、地球各地の歴史がつながってからは。
しかし、だからといって、フリーメーソンの全部に、つまり、メンバー全員や創世記にまで、陰謀論の類を適用するのは、ちょっと違うんじゃないかなあ、と私は思っています。

増加する一方の世界人口を憂慮したローマクラブのやり方は、ちょっと異常ですが、しかし、現実は、本当に厳しい。
それを、民主政で解決できるのかどうか。

古今東西、政治のことがいろいろ語られていても、政治学では、どんな政治体制がいいのか、結論に至っていません。
アリストテレスの「政治学」の時代から、ず〜とず〜と同じなのです。
今や、政治は、テレビの時代(まだインターネットの時代ではないと思う)であり、ショー化しているにすぎない。
政治家たちがいくら頑張ったって、その土台となる社会工学者たちがいくら頑張ったって、どんどん生まれ来る人間たちが、相当に頭が良くならないと、いずれ、資源争奪戦争(それが過激に進行するか静かに進行するかはわからない)は起きてしまうのです。

今書いたことをずばり表現した文章を、「WORLD WATCH」誌の「富裕層が迫られている選択『取り分を減らすか、犠牲者を増やすか』」から引用します。



 「新たな技術がもたらしてくれる、痛みを伴なわない富をすべての人々に行き渡らせる」という幻想への執着は、絶望よりも悲惨な運命につながる。乏しい資源をめぐる争いは、それがまるで人類の本性に組み込まれているかのように感じさせるほど、古代から何度も登場する話題である。
(中略)
 この歴史的な傾向と、戦争のコストや結果を大勢の有権者に知らせようとしない政治システムとを結びつけてみると、将来は富のための戦争も起こりそうに思える。もっと正確に言うなら、少なくともアメリカでは、教育を受けておらず、選択肢の少ない、そして大半が貧しい労働者階級の子弟をそそのかし、「志願兵」に仕立て上げ、石油や天然ガスや貴重な鉱物資源の存在する遠く離れた場所へと送り込むだろう。そして、そうした資源を経済に詰め込んで、どうでもいいものやゴミや好き勝手なものに浪費するのだ。
(「WORLD WATCH」2009年9/10月号p43)



悲惨な予測ですが、「WORLD WATCH」誌は、ちゃんと理想的なプログラムも提示しています(買って読んでください)。
しかし、それを実行できるかどうかは、政治の現状から考えると、非常にあやしい。
このことを考え始めると、堂々巡りになってしまい、嫌になってきます。

じゃあ、私たちは、何もできないか?

世界を変えることは、たぶん、できない。

お先、真っ暗。



私たち一般人は、何もそこまで深く考える必要はありません。

これが私の結論。

繰り返しますが、「世界を変えることは、たぶん、できない。」

だから、私たちは、せいぜい、自分の生活を一生懸命やっていけばいいのです。
でも、少し余裕が出たならば、社会で起こっていることを考え、やっぱり、良心にしたがって、自分の考えたことに投資していくべきだと思います。




こんな話は、もう「漁師のつぶやき保存版」のほうで、終わっていたはずなのですが、またやってしまいました。

同じことを繰り返すなんて、何て、おバカさん!

みなさん、おバカさんに付き合ったって、しようがありませんよ。

もう“政治”の話はやめます。

(といいつつ、また書くんだろうなあ。笑)

ではでは〜。
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2010年03月16日

年金は、年金運営職員の雇用のためにある?

みなさん、こんばんは。

今日、ようやく、津波で団子状になった宮古湾の養殖棚が撤去されました。
これで、少しは、楽に航行できるようになります。
しかし、夜光管のついた標識は復活していないので、GPSプロッタとレーダに頼らなければならないのは、変わりがありません。
やっぱり、ライトを使った有視界航行が、最も安全です。

さて、今日は、年金について、です。

私は、小型船で生計を立てていますから、自営業です。
年金は、一番貧乏くさい国民年金。
老後、国民年金だけでご飯を食えないので、自己防衛しなければならず、コツコツとカネを貯めるしか手立てはないようです。
でも、これが基本。
自分の老後も、ちゃんと自分で考えなくちゃ。

大昔は、年金制度なんてものはあるはずもなく、年寄りは、家族みんなで面倒をみるしかなかった。
私のような一人モノは、死ぬまで働くか、働けなければ、ひっそりと死ぬしかなかった。
その後、ちょっと豊かになり、老後を考えて貯えるようになり、人生設計をしながら生きてきました。
年金制度は、人生設計の老後部分を、公が担うようになっただけなのです。
もともとは、一人一人が、自分でやっていた。

今は亡き社会保険庁では、不正が横行し、あるはずの年金もなくなりました。
つまり、年金運営職員の雇用のために、だまされて年金を払ったようなものだ。
私のような、自己責任の塊の人間は、「年金制度なんかやめちまえ!」「人生設計は自己責任で!」と過激に言いたくもなります。

特に、「所得比例分」というのは、そんなもの、自分でやるべきもの。
“公”でやるのは、最低限の国民年金だけでよい。
下手に上乗せ分の年金まで役人に任せたら、また、「よっしゃ!よっしゃ!」と無駄遣いを始めます。

繰り返します。

もともと人間は、自分で生活設計をしてきました。
その老後部分を、“大きな政府”の職員たちが、国民にセールスしたのです。
そして、失敗したのです。
国民は、だまされた。

だから、“大きな政府”の職員たちに、過大な期待をしないで、ほんの最低限の国民年金だけ任せるべきだと私は思います。
足りない分は、自分で老後設計すべし!

と、考えることもできるんですね。

そうすれば、“大きな政府”は、ちょっとだけ“小さな政府”になります。

国民は、役人たちに頼るな!

ではでは〜。

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2009年12月12日

子育て支援の意味

みなさん、こんばんは。

鮭延縄のシーズン到来で、イカ釣りの艤装解除と鮭延縄の準備を、例のごとく、突貫工事で進めました。
その後は、睡眠時間の極端な減少で、パソコンで文書作成する余裕は、ぜんぜんなし。
気になるニュースは、山ほどあったのに、それも忘れました。
でも、一つだけ、思い出しましたので、それ。

その前に、鮭の市場価格について。

鮭漁に着業した頃は、メスの価格がキロ当たり300円台、オスの大が200円台、小ピンが100円台(ピンとは、一番小さいもの)。
それが、豊漁になると、メスは200円台、オスの大が70円台、小ピンが40円台まで下がり、私たち漁師は、落胆しました。
それが、漁がなくなると、何と!メスが最初の価格の倍で、オスは、元通りに。
漁がなくなってから、こんなに高くなっても、どうなるものでもなく、ますます落胆。
ちなみに、先行して終漁した北海道の平均単価は、オスメス平均で、300円台をキープ。

ただでさえ岩手価格は安かったのだから、暴落した時の鮭で、加工屋さんたちは、かなり儲けたろうなあ。
後で、生産者に還元してくださいね。



さて、民主党の目玉政策である「子育て支援」が、いろいろと揺れていますが、支援策が発表されていても、盛り世代の60%は、「子供を持つ必要はない」そうです。

http://mainichi.jp/select/today/news/20091206k0000m040080000c.html(「毎日jp」)

政府が、「カネやるから、いっぱい子どもを作ってね」と言っているにもかかわらず、少子化は、止まりません。
本来、子どもをほしい人は、その子どものために、一生懸命、働き努力するものです。
国がカネをくれようが、くれまいが、そのことは、子どもを欲する本当の動機には、全く関係ありません。

子育て支援って、税金の無駄使いじゃないですか。
税効果、ぜんぜんなし。
これって、事業仕分けの対象だと思いませんか。

面白いのは、この記事を書いた山崎友記子さんの次の記述。



将来の人口推計やそれに基づく年金の給付水準なども見直しを迫られるだろう。
http://mainichi.jp/select/today/news/20091206k0000m040080000c.html



やっぱり、子育て支援は、「カネやるから、いっぱい子どもを作ってね。そうすれば、年金財源が確保できるのよ」ってことか。

いよいよ、子作りや子育ての目的が、「お国のため」、となってきた感じ。
だから、税金を投入する。
育てられた子どもたちは、「君たちには、これぐらいのカネを費やしたんだから、お国のために、働きなさいよ」と教育されるかもしれません。
今後の日本人は、政府のロボットにされる。
考えすぎ?

でも、本当に、「お国のため」、わが日本のためを考えるなら、少子化は正しい方向性なのに、と、いつも思う私であります。

ではでは〜。
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2009年08月19日

許されない民主党のばら撒き政策 2

私の選挙区(岩手2区)の民主党候補者、畑こうじ氏は、自身のブログ(「畑こうじ情熱ブログ」の8月14日付には、自民党の官僚依存のことが書いてあります。
しかし、官僚にのっかっていようが、官僚にのっかっていまいが、ダメな政策はダメなのです。

「10年後のことを書いて逃げたり」との記述に対し、私は、「ばら撒きの結果、10年後にどうなるかわからないの?」と問いたい。



これが、「情熱」の結果かあ。
悲しいなあ。
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許されない民主党のばら撒き政策

私は驚きました!

何に驚いたって?

今日の岩手日報夕刊で、子育て支援策の各党比較を見て。



私は、イカ釣りで旅を歩いていて、ろくに新聞も読まないでいたので、今日まで、2万6000円のことを知りませんでした。
こども1人あたり、1ヵ月2万6000円支給するという民主党案は、どう考えても、絶対おかしい。
つまり、年間31万2000円をくれるって。
単純に計算すると、2人で62万4000円、3人で、93万6000円、5人で156万円。

みんな、恐ろしくないですか?

これでは、夫婦の生活費を賄うために、ジャンジャン子作りに励むようになるバカが出てきてもおかしくない。
最後には、「日本人は、sexしてこどもさえ作っていれば、生きていける」ってなことになってしまうんじゃないの?
そして、そのカネによって育てられた子たちは、ますます勘違いする。
親の子育てというのは、楽にしか見えないから、誰も働かず、ただただsexだけするわけだ。
何も学ぼうとせず、何の努力もしなくなる。
ものづくり民族である日本人は、もう終わり。



民主党は、どういう日本人を育てるつもりだ!



私は、自民党大嫌い人間です。
これは、「漁師のつぶやき保存版」を書いていた頃から一貫していて、今ももちろん、そう。
今度の選挙でも、選挙区では、鈴木俊一(故鈴木善行元首相の息子)に投票する気など全くない人間。
でも、この民主党案は、ひどすぎる。

くそったれ!

sexして、こどもを作るのは、自分たちの意志でするのであり、そこには、自己責任が伴う。
当然、子育てをして、一人前の大人にするまでは、両親の自己責任。
この子育て責任を国家が直接負うなんて、リバータリアン(自立主義)である私が認めるわけにはいきません。

どう考えてもおかしい!
こんな社会制度はなくてもいい!

みなさん、そう思いませんか?
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2009年03月22日

無床化論議の歪み (高橋さんへの手紙 10)

みなさん、こんばんは。

今日は、次の漁の準備運動。
イカ釣りの電気竿から、ソケットを取り外しました。
今年から、集魚灯の最大電力変更となり、10トン未満の船は120kw以下、20トン未満10トン以上が160kw以下となります。
そのために、全部取り外し、竿にペンキを塗ろうと思っています。
今までは、小型船(20トン未満の船を小型船といいます)は、180kw以下だったのですが、近年の燃油高(二酸化炭素排出抑制もあるかもしれない)の影響で、全国的に光力削減に取り組んだものです。
しかし、みんなで決めたことを、守らない人がいるんですよね。
こっそり抜け駆け。
男らしくない!



高橋さんへの前回の手紙では、かなりボロクソに書いてしまいましたが、じゃあ今日は、最初にエールを送ります。
2月16日付日記で、「医療局の抜本改革もやらなければなりません。」と彼が書いているのは、その通りだと思います。
医療局の改革、頑張ってください。

3月19日付岩手日報夕刊の「日報論壇」には、沼崎節郎さんという方の投稿が採用されていて、題名は「知事の土下座に衝撃」。

土下座に是非については、私は関心がありませんが、内容がとにかく良かった。
この投稿には、全国的にみても非常に多くの県立病院を抱えている歴史的理由が書かれていて、その根は、「お互いの健康はお互いで守ろうではないか」という心意気にあったようです。
本来、「自分の健康は自分で守る」が基本であり、それが近隣の人たちと協力することで個人おのおのの利益となるから、「お互いの健康はお互いで守ろうではないか」となるのは自然のなりゆき。
また「お互いの健康はお互いで守ろうではないか」を言い換えれば、「地域住民の健康は、地域で守ろうではないか」となり、地域の自立を表すものです。
岩手の県立病院の根本的な思想は、自立主義であったのです。

それから、「県立病院の職員の給料は、民間病院に比べると高い。医師は県立病院の方が安い。」との指摘もあり、これも医療局改革の重要な要素になると思います。

この投稿が参考にした2冊の本。

「岩手県立病院の三十年の歩み」
「岩手県公立病院改革推進指針」



ここからは、再び辛口で。

今月7日には、次のニュースがありました。

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20090307_9(「岩手日報 Web News」)

しかし、大丈夫。
3月20日付の岩手日報朝刊によると、県が、県立病院勤務医を派遣することになり、無医村は回避されました。

無床化の問題よりも、無医村の問題のほうが、ずっと深刻です。
これ、県議会で話題にされたんでしょうか。

県議会議員は、県全体のことを考え、市議会議員、町議会議員、村議会議員は、当該自治体全体のことを考えることが、本来の役割です。
しかし、まだ、地域から選出した議員は、相変わらず、その地域への利益誘導ばっかり考えているようですね。

2月16日付日記に登場しているボンクラ議員のうち、誰か1人でも、「無床化して、その分の医師を普代村へ派遣しようではないか」という提言をした人がいたのでしょうか。
県全体のことを考えれば、普通の人は、そう考えます。

どうなんでしょう?
ボンクラ議員以外でも、こう提言した人はいたのでしょうか?

県議会議員の方々は、もうちょっと、県全体のことを考えましょうね。

ではでは〜。
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2009年03月18日

もうちょっと、何とかなんないかなあ (高橋さんへの手紙 9)

みなさん、こんばんは。

今日は、3番入港船でした!
また、まぐれ。

ところで、今朝の岩手日報では、次の記事が掲載されており、もうこれは悲鳴ですよね。

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20090318_3(「岩手日報 Web News」」)

新聞記事では、大船渡病院、宮古病院、中央病院、二戸病院、胆沢病院、磐井病院、軽米病院、釜石病院、南光病院の病院長たちの声を紹介しています。
いずれも、県議会の議員たちをボンクラ扱い(と私は表現します)。
すでに何ヶ月も前に、県立宮古病院の同級生から「先生たちは疲れきっている」と聞かされていましたから、何とかしてやったらいいのになあ、と思っていました。
ところが、「高橋さんへの手紙」シリーズや彼の日記「日々是好日」を読めばわかるとおり、県立病院の勤務医に、大きく立ちはだかる人たちが存在します。

どんな仕事も、働いてみないとその実情はわかりません。
しかし、勤務医たちの大変さは、病院に行って、見ているだけでわかります。
その大変さは、県議会議員が2、3日寝ずに仕事をするのとは、意味合いが全くが違います。
もう何年経つのか、産婦人科医が足りないという報道がありましたが、未だにそれは解決されていません。
産婦人科医を医師たちが敬遠する理由の一つは、訴訟が多いこと。
勤務医たちの疲労は、診断ミス、医療ミスを招く危険性が大きくなります。
こんなことは、テレビドラマでもやっている。
新たに訴訟のタネを増やすことになり、これじゃあ、ホント、誰だって休みたくなりますし、辞めるのも当然!

そうだ!
県立病院の勤務医たちは、いっそのこと、辞めて、楽になったほうがいい。
そうでもしないと、このボンクラ議員たちが、今、自分たちが何をやっているのかわかる。

合意形成?

高橋議員は、またまた、3月16日付日記で、「合意形成」という言葉を使って、まだゴネています。
いつまでゴネるんでしょう。
追随しているボンクラ議員たちも、いつまで?
こんなに環境が悪くなっているのに、いつまで?
半年も?

高橋議員は、県立病院の医師不足について、もう何年も前からわかっていたはず。
県の環境福祉委員会にいるんですから、知らないはずはありません。
今頃、「合意形成」などという言葉を持ち出すことには、腹がたちます。

この3月16日付日記を読んで、みなさん、何が書いてあるかわかります?
「資源配分」と「我慢配分」。
「利益配分」と「負担配分」。
何が書いてあるんだか、さっぱりわかりません。
こういうわかりにくい文章は書くものじゃない!

資源を配分する相手は人間であり、例えば、日本では、資源に対し人口が多すぎるから、誰もが我慢しなさい、というその我慢量の配分のことだと思いますけど(実際には加工貿易による利益おかげで資源が余っていますが)、これを県の医療に当てはめれば、医師という人的資源に対し、患者さんが多いため、みんなが我慢しなければならない、というその配分量ということです。
じゃあ、その我慢量の配分をどうやって決めるのか?

それは決めることができません。

はっきり断言します。

彼のように「合意形成」を強調する人間なら、なおさら“できません”。
我慢量の配分を「合意形成」できると思います?みなさん。
我慢量ですよ、我慢量。
他の配分でも、「多い少ない」の争いはあります。
ましてや、我慢量の配分。
必ず、争いが起こり、何も決まりません(良い例が核のゴミ。しかたがないから餌をぶら下げている)。
だから、こういう我慢量の配分は、非難覚悟の上で、対応する組織に委ね、そのルールを作っていかなければならない(核のゴミも、いずれは強制的にやるんでしょうね)。
私はそう考えます。

それから「利益配分」と「負担配分」を、なぜ対に使うのかわかりませんね。
「利益配分」は、そのまま「利益配分」です。
利益追求組織、いわば企業体が行うものです。
ところが「負担配分」というのは、何かしら事業を行う場合、原資が必要ですから、それを配分することだと思うんですけど。

もう一つ。
次の文章について。

「資源配分」の時代から「我慢配分」の時代へ、「利益配分」の時代から「負担配分」の時代へ。

これもおかしい。
昔から、「我慢配分」はありましたよ。
昔から、「負担配分」はありましたよ。
それを、高橋議員や住民が認識していなかっただけです。

でも、そんなものでしょう。

あれ?
そんなことは、本当はどうでもいい。

それよりも、イイカゲンにして、「努力したけれど、やっぱり医師たちは、想像よりひどい環境にあるようだ。ここで折れましょう」と住民たちに説明したら?と提言しておきます。



我慢量かあ。

花粉症の我慢量も大きい。

あ〜あ、この1ヶ月、憂鬱。

ではでは〜。
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2009年03月15日

国民体育大会のあり方を問え! (高橋さんへの手紙 8)

今日の宮古は、西風が強く、そうなると、当然のごとく快晴。
よって、本日の総発電量は、今年最高の22.56kwh!
ただ、瞬間の発電量は、4kwを1度超えたきりでして、その後はなかなか超えません。
春分の日も近いですから、いずれ、超える日がでると思います。



さて、岩手日報夕刊に掲載されている県民の投稿欄「日報論壇」で、面白いことがありました。
2016年に岩手国体が開催される予定です。
その利用施設の改築費用に関して、13日、14日と正反対の投稿が掲載されました。
これは、岩手日報の粋な計らいです。
その内容は、というと、13日投稿のほうは、「もう国体だからといって、巨額の経費をかける必要性はないのではないか。国体そのもののあり方を問うべき」との内容です。
一方、14日投稿のほうは、さまざまな政治的環境を背景にし、「50%の国庫補助を有利に活用し、盛岡の陸上競技場を整備すべし」としています。

この両者を比較すると、14日投稿分は、非常に政治的であり、あまり良い意見とはいえません。
特に、最後の段落では、勝手に「夢」を私たちに押し付けていて、感心しませんね。

この話題は、我らが高橋博之議員が、先月の日記2月23日付けで、わかりやすく書いています。
ぜひ、参照してください。
私は、今回に限り(笑)、高橋さんの意見を支持します。

この日記の最後に、天皇杯、皇后杯のことが書かれていますが、天皇杯に限って言えば、第19回大会(昭和39年)の新潟国体から、第56回大会(平成13年)の宮城国体まで、開催県が獲得しています。

http://www.japan-sports.or.jp/kokutai/archive.html(「財団法人 日本体育協会」)

注目すべきは、宮城国体の後の、第57回大会の高知国体!
天皇杯も皇后杯も獲得していません。

高知県は偉い!

これが、本当の実力であり、それをちゃんと高知県は認めたのです。

「頑張らない宣言いわて」スローライフ首都、岩手も、これに見習うべき。

頑張れ! 高橋議員!
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2009年03月05日

都市部の大病院が立ち行かなくなる日 (高橋さんへの手紙 7)

みなさん、こんばんは。

小沢代議士は、窮地ですね。
もうスパっとやめてもいいと思いますよ。
後で書きますが、彼の夢は、日本に二大政党制を導入することだった。
きっと、そうです。
私もこれには賛成でしたが、今回投票するのは、国民新党の腹づもりでした。
いつも弱小政党に投票するのが、私。

でも、今回の事件で、民主党に投票することにしました。
小沢代議士がたとえ罪人になっても、です。
せっかくの二大政党制になる機会を逸するのは、非常にもったいない。
二大政党になったからといって、少数政党がなくなるわけではありません。
それは、勘違いしないように。
私みたいなのが、この日本にはたくさんいますから。



「うまいもの」更新(超超久しぶり!)

http://www.geocities.jp/eyes_okiniiri/sake-ouka.html

私が推薦する「うまいもの」は、確実です。
本当です。



さて、「高橋さんへの手紙」の医療シリーズは、今回で終わりにします。
医療のことは、もうやめようと考えていたのですが、次の部分がちょっと引っ掛かっていました。
高橋さんの2月19日付日記によれば、コンビニ受診は都市部に多いようで、都市部の住民が「不便や不自由」であるべき、との主張をしています。
仮に、そうであって、都市部の県立病院、中央病院が立ち行かなくなったとすれば、高次医療や先進医療を受けることは、無理になります。
せっかく医療の進歩により、昔なら死んでもおかしくない人が助かっていたのに、助からなくなるのが多くなる。
昔に逆戻りです。

でも、「しかたがないよなあ」「助かれば運が良かっただけだよなあ」と考えれば、何となくスッキリします。

私は、そういう医療の考え方でもいいと思います。

この場合、コンビニ受診をしていない過疎地の住民も、「ギリギリまで我慢して」手遅れになり、地元の病院で対応できない場合、都市部の大病院もダメになっているんですから、転院できません。
これも「しかたがない」。

うん、これなら公平。

とにかく、「医療はどうあるべきか」という思想的な部分をもっと話し合って、それで県の医療行政を進めていくことが、重要だと思います。

大自然が自慢の岩手なら、ちょっとくらいの不便でも「しかたがない」と考えるべき。
そう、タイマグラの山代陽子さん曰く、岩手は、「ちょっと不便がちょうどいい」いいのです。

私は、まだ若いですけれど、もし、病気で、例えば、臓器移植なんかが必要になった場合、死んでもいいと思っています。
それくらい、毎日、一生懸命生きていますから。

みなさんも、悔いのない時間の過ごし方をしてくださいね。
そうすれば、いつ死んでも「しかたがないよなあ」と思うようになるものです。

ではでは〜。

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2009年02月26日

見直しました! (高橋さんへの手紙 6)

みなさん、こんばんは。

今日の宮古は快晴で、我が家のソーラーは、11時28分に3.6kwを記録しました。
昨年6月26日から発電し始めて、最高記録は7月12日の4.5kw。
たぶん、来月には、4kwは出るでしょう。
夏至にかけて、どんどん発電量が大きくなりますから、4.2kwシステムで最高記録がどれくらい出るのか楽しみです。
屋根の傾斜は大体15度くらいですが、新築の場合、20度ぐらいにしたほうがいいと思います。
あと、家の向きは、南向きが必須。
私の家は、正確には測ったことがないのですが、南東向きです。
カネ儲けをしたら、・・・・。
無理か!

今日明日明後日は、イサダ網を作る下準備。
網は、ちょっとした学問がないと作ることができません。
「いせ」というパラメータが、網の命(何割何分という表現です)。
曳き網の場合、「いせ」で網の深さが決まります。
欲張って、「いせ」を入れすぎると、海中から網を引き上げるとき、大変なんですね。
と、書いても、オカの上の人たちは、何もわからないでしょう。
漁業というものは、この道具作りも結構おもしろいものです。
道具を大事にしない人は大漁しません。
釣りをしている人は、ご存知のはず。



無いものねだり (高橋さんへの手紙 4)」で、高橋博之議員を「見損ないました」と書きましたが、今日は見直しました(笑。ごめんなさい)。

昨日2月25日付日記には、ちょっと・・・・。
彼は、やっちゃいましたねえ。
彼の発言です。

「4月実施を凍結し、半年間の猶予を得られるようがんばりたい。その後は、みなさん次第。半年間で、県立病院の医師が休日、夜間いなくてもベットを維持できる体制を、市町村、介護福祉施設、開業医で知恵をしぼって考える。仮に、半年後、その体制ができなければ、無床化します。それでも尚、ベットを維持しろというのは、わがままというもの。私は力を貸せません」。

私が問うたことに、素直に応えてしまいました。
これ、彼が言っちゃうと、ものわかりの悪い住民は支持しなくなります。
彼は住民たちに挑戦状を突きつけたんだなあ、と私は思います。
相当の覚悟!
この辺は、ぜひ、他の地方議会議員たちも見習ってほしいです。

たぶん、彼の日記だけを読んでいても、そんな重大なことだとは誰もわからないと思うので、ここにリンクしてもいいかも?(と宣伝する)。

もう一つ、彼に要求するかな。

医療だけに限らず、地方自治の全政策に関して、自治体のするべきものと住民自らがするべきものとを問題提起してほしい。
前増田政権では、このことをまとめたファイルを、県のWebサイトで公開していました。
ファイル名は「あるべき地方の姿」報告書。
できれば、彼が生贄(?)になって、議会議員全員にカツを入れ、新聞社とともに、今までの住民にかかっていた洗脳を解いてほしい。

自治とは、自ら治めること。
治める範囲の最小単位は、家族。
これ、基礎中の基礎。
家族を自治できない構成員(家族員)は、バラバラになるしかない。
バラバラになれば、“お互いのメリット”を活かし合うことができません。
これを規模を少しずつ大きくしたのが、地区自治会、市町村、県、そして、国。
家族間で利益を供与しあう“お互いのメリット”は、自治組織となれば、それは、カネ。つまり、会費や税金。
そのみんなで出し合ったカネを、公のどういう部分に使うのか、その範囲を明示し、合意形成を得るのが、今後の議会議員の仕事だと私は考えています(というより、ワタシ的には、過去形なんですねえ)。

ちと、難しいかなあ?



実は、「三陸の海を放射能から守る岩手の会」の世話人、永田先生からは、高橋さんを「長い目で見てあげて下さい。」との助言をいただき、短気だった自分を後悔しています。
私も、もうちょっと、大人にならなきゃいけませんね。

私がいろいろと社会のことを書けるようになったのは、30歳を過ぎてからです。
そのころ、あるショッキングな出来事から、乱読を始めました。
漁業の忙しい仕事の合間に、いろいろな本を読みました。
もちろん、無駄だと思う読書もたくさんありました。
しかし、段々と、価値のある本を選んで読むようになります。

小説は、学生時代に卒業しています。
だから、〜賞受賞作品とか、大ベストセラーは、まず読みません。
もっと、学問的なもの。
かつ、わかりやすく書いてあるもの。
乱読時代は、とにかく広範囲のジャンルを読みました。
今は、ちょっと、偏向しているかな?

ある本を読んで、疑問に思ったときは、もっと基礎的な本を読むこと。
これがコツ!
基礎なくして、筋の通った論理なし!

だから、誰かエラソーな人が、筋の通っていない話をすれば、私は簡単にツッこむことができます。
それをやるかやらないかは、その人物を見て判断しますが、何を言っても無駄そうな人には、かかわらない。

私が書いていることは、本当に本当に、全くの基礎。
難しいことも書かない。
いや、書けないだけの話だなあ。

ではでは〜。

posted by T.Sasaki at 21:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会制度 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月23日

社会制度の基礎

みなさん、こんばんは。

今朝、沖に行く予定だったので、朝1時半に目覚まし時計をセットしてたら、1時ごろ、「風が吹いているから、6時ごろにもう一度様子を見て、それから判断する」との電話があり、そのまま眠りました。
そのまま眠ったということは、目覚まし時計が30分後になり、今度は、5時半にセットし、再び眠りました。
5時半に起きて、6時になっても電話が来ないので、また眠りました。
が、すぐに起きて、ご飯を食べ、仕事を始めました。

という按配で、何度も起きては何度も眠り、1日で数日が過ぎた気がします。

さて、前回、議員年金のことをとりあげましたが、今日は、社会保障制度、特に、老後制度について。

老後制度の大黒柱は、何といっても、公的年金制度。
この公的年金制度の歴史の始まりは、対象者が軍人や船員だったんですね。
今の船員保険は、小型船では10トン以上が対象となっていて、私のところは、10トン未満なので、国民年金です。
この国民年金制度が昭和36年に導入され、日本国民全員が年金制度の対象となり、日本人の老後の収入が、最低限保障されることになります。
そして、昭和61年に、国民年金以外の年金が、国民年金に統合されることになり、日本人の基礎年金が国民年金となりました。
国民年金は、もともと保険料や給付金が安く、国民年金以外の高額年金部分は、“二階建て”部分とも呼ばれ、国民年金に上乗せするものです。
位置づけとしては、国民年金基金と同じものです。

この辺は、次のリンクに書いてあります。
参考にしてください。

http://shakaihokenkaisetsu.com/pension/s2.html(「公的年金と個人年金のわかりやすい解説」)

公的年金も、公(「年金積立金管理運用独立行政法人」)によって運用されていて、2007年度は、何と!5兆8000億円も損失を生んだとか。
この分だと、今年度の損失は、どうなるのでしょう?(天下り!?渡り!?無責任!?)

いずれ、公的年金は、税負担方式になるでしょうから、そうなる場合を考慮して、老齢年金の制度自体も変えなければならないと考えます。

厚生年金はサラリーマンが適用される年金です。
その厚生年金は、国民年金に比べ、支払い保険料に対する受給金額が大きいとか。

http://shakaihokenkaisetsu.com/pension/s16.html(「公的年金と個人年金のわかりやすい解説」)

これって、不公平!

公務員は、もっと手厚い!

ぎいんねんき〜ん!

バカヤロー!

どうして、同じ日本国民で、しかも、公的年金制度で、こういうことが起きているのか?


私たちは、資本主義社会という、弱肉強食の社会システムの中で、生きています。
あまりに弱肉強食を許すと、一握りの大富豪と大多数の貧乏人が生まれるために、政治でもって、社会制度を作り、それを修正維持し、税金というものを用いて、所得再分配をしています。

私たちは、オギャーと生まれて以来、この弱肉強食システムの中で、年を重ねながら、いろいろな困難を乗り越え、一生懸命生きてきました。
この一生懸命生きている間は、社会制度を支えるている側なのです。
そして、いよいよ年を取り、体は劣化し、体力はなくなり、頭の回転もだんだん鈍くなり、今度は社会制度に助けられる立場になります。
私は資本主義を否定しませんし、社会主義国に行きたいとも思いません。
むしろ、資本主義(自由主義)の国に生まれてよかったと思っています。
しかし、体の不自由になる老後は、やっぱり社会主義の制度しかない。

資本主義社会の“老後”というのは、その弱肉強食社会を生き残った“ご褒美”であるべきだ、と私は考えています。
“ご褒美”は、みんな公平であるべきであり、また、そのご褒美を、社会の勤労世代から授かっているのですから、決して贅沢など許されません。

したがって、すべての日本国民は、公的な部分に関して、同じ年金を受給すべきであり、また、勤労世代の収入より多い年金を受給すべきではないと思います。



社会制度というものの基礎について、高橋博之県議会議員にメールしたことがあります。
私がいちいちこんなことを指摘しなくても、彼はわかっているのですが、誰しも、ある時、基礎的なことを忘れてしまうものです。
その部分を転載します。



自分のことをできない人間が、社会を助けることなどできません。
運良く、私たちは健康に生まれ、健康に生活しています。
運が良かったのだから、自分の食べる分以上、一生懸命働き、その余った分を、運悪かった人たちへ再分配する。
これが社会制度です。




社会制度というのは、これ以上でも、これ以下でもありません。
何の障害もなく生まれ、事故や病気から免れている人は、非常に運がいい。
この幸運を粗末にしたら、いずれ、神さまが天罰を下す!

神とか天罰とか、そういう言葉は、存在しないとしても、こういう場合に使うのです。
これこそ、人間の知恵だと、私は思います。

なぁ〜んちゃって。

ではでは〜。
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2009年02月21日

議員年金は、本当は、失業保険だった!

みなさん、こんばんは。

年賀状のお年玉が、当たっているかどうか、今日、調べてみました。

http://www.est.co.jp/oatari/200901/index.html

私は、年賀状を書くのが嫌いでして(単に忙しいから)、毎年送ってくれて、しかも市外からのものばかりに返信します。
受け取ってから返信を書くために、次第に来なくなります。
あまりたくさんの年賀状をいただくのは嫌なので、こんなことをして、年賀状を減らしました。
市内なら、会って、「新年おめでとう!」でいいし。

大体20枚くらいかな?
大晦日か、その前の日に、プリンターが稼動し始め、賀状を投函するのは、元旦か大晦日。
だから、私の年賀状が届くのは、3日以降かな?

その20枚中、1枚だけ4等が当たりました。
確率的にはいいですね。
でも、あまり交換したことがないんです。



私の大嫌いな、六ヶ所村にある使用済み核燃料再処理工場(略して、核燃再処理工場、あるいは、再処理工場)では、トラブル続きで試験操業もままならず、一般企業ならば、倒産、あるいは、事業撤退してもおかしくないほどです。

悲惨だなあ!
ちょっと、次のリンクをご覧ください。

http://d.hatena.ne.jp/aresan/20090221/1235180442

これを書いた岩間滋さんは、教員退職後、省エネや太陽光発電など、エネルギーに関することに取り組んでいます。
「豊かな三陸の海を守る会」の頭脳でもあり、私もいろいろ教えられます。
“放射性物質の海洋投棄”というセンセーショナルな告発から、この理科系の先生は、核のことを勉強し始めました。
だから、心強いんですよ。

それにしても、リンク先の文中の「★漏れの原因は初級技術の欠如!」を、みなさん、読みました?
一度使ったガスケットを、そのまま使うなんて!
いくらリサイクル施設だからといって、そこまでやるか?

漁船の燃料配管、海水配管などには、フランジパッキンを多数使っています。
いったんはずせば、必ず新品を使います。
また、エンジン亜鉛交換時にも、パッキンは全部新品。

あ〜、恥ずかし。

核燃再処理工場の職員は、漁師よりも劣る。



さて、昨日のニュースから。

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20090220_16(「岩手日報」)

議員年金!

究極の税金ドロボー!

記事には、国会議員年金の廃止が書いてありますが、これまた「漁師のつぶやき保存版」時代に、河村たかし民主党議員が、議員年金廃止運動をやっていました。
たまに更新するつぶやき−地方」の「地方議会の議員年金」を参照してください。
このときの賛成者には、現岩手県知事も名を連ねています。
昨日のニュースが出たとき、今、県知事に談判している県議会議員は、何を考えていたんでしょうね。
たぶん、達増知事が議員年金廃止の賛成者だとは、知らなかったんじゃないでしょうか。

ところで、議会議員が選挙で落っこちたら、どうなるんでしょう?
当分、ご飯が食えない!
ということで、本当は、議会議員年金とは、失業保険のことだったのです。
この辺は、次のリンクの「目的・立法趣旨」に書いてあります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/議員年金(「Wikipedia」)

こういう目的ならば、まだ理解ができますよね。
したがって、失業したら、つまり落選してから、ある一定期間は所得保障しましょう、という考えで、制度を作ればよかったはず。
そうすれば、それほど掛け金も要らず、税金からの持ち出しもなかったはず。
それを、死ぬまで懐に入れる年金にしてしまったものだから、結局は、一般市民に迷惑をかける始末になった。
ちゃんとした政策思想や目的に則った制度をしっかり作っていないから、こういうことになるのです。

ボンクラ地方議員たちは、今までこのことについて、誰か何か言ったことがある?

聞いたことないなあ?

ではでは〜。

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2009年02月20日

公的病院経営と公的健康保険は互いに相反する (高橋さんへの手紙 5)

みなさん、こんばんは。

今日のNHK「おばんですいわて」、観ました?
岩手県内では南国と呼ばれるくらい暖かい宮古は、何と!どか雪No.2でした。
No.1は、言わずとも知られている湯田です。
しかし、その差は、ほんの数cm。
1日の降雪量としては、意外に他の地域は降らないんですね。

宮古で、どか雪が降るのは、春。
今頃から3月にかけてであり、湿った重い雪。
一方、湯田地区の雪は、サラサラ雪。
同じ降雪量ならば、宮古のほうが水分としては多い、ということで、重量換算ならば、県内どか雪No.1は、宮古。
パンパカパ〜ン。

だから、だから、たまに降るどか雪に、除雪が悪いと市民が苦情を言うのは間違い。
仕方ないんだから。

今朝の雪には、ちょっと畏れをなしましたが、雨に変わって幸せ〜。



さて、今日も高橋さんシリーズですが、こと医療に関して、日記に付き合うのは、もうアホらしくなってきました。

そこで、今度はカネの話。

病院は、病院を利用する人がいて、初めて収入があり、それで経営が成り立ちます。
残念ながら、健康な人やけがをしない人ばっかりでは、病院にとって不幸です。
本当は、健康でやけがをしないことは、幸せなことなのですが。

健康やけがをしないことは、健康保険にとって幸せです。
私は国民健康保険ですから、国保のことで書いていきますが、毎年所得割合で徴収される国保税は、国民が健康ならば、貯まる一方。
このカネどうするのかしら。

と、病院と国保の心配をしてあげましたが、この通り、病院経営と公的健康保険は、相反します。
ということは、患者が少なくて、公立病院が赤字の時は、公的健康保険のほうから、赤字分を補填すれば、すべて万々歳。
逆に、病人やけが人が多い年は、病院は黒字になるけれども、健康保険は赤字。
その時は、病院の黒字分で健康保険の赤字分を補填する。
完璧!

この医療に関する分野の税的枠組みをしっかり構築すれば、地域医療もそれほど悲観することではないと思いますけど。

そして、プラス。

今は、高額納税者番付を発表しなくなりましたが、上位に顔を出すのは、決まって個人開業医です。
個人開業医では、どうにもならない重度の患者や高度医療の必要な患者は、県立病院へと紹介されます。
つまり、個人開業医は、大病院のお世話になっているわけだ。
そこで、開業医の儲け過ぎた分のある一定割合を賦課金として、県立病院に寄付すれば、地域医療の完璧な補完関係となります。
税金をがっぽり取られても、どうせ、ロクなことに使われませんから、それよりも、地域社会みんなが喜ぶように、県立病院に寄付しましょう。

以上で、地域医療のカネの話は、完璧だと思うんですけど。



次、コンビニ受診について。

コンビニ受診という名前は、お気軽受診という感覚でのネーミングなのでしょうね。
でも、私は嫌いです。
コンビニというところは、金銭感覚が麻痺している人が利用するところ。
そして、地域活性化など眼中にない人が利用するところです。
意味がわからない人は、これぐらい自分で考えてくださいよね。

でも、みなさんが、コンビニ受診と言っているので、しかたがないので、コンビニ受診でいきます。
コンビニ受診が多いのは、気軽に利用できる程度の個人負担だからだと思います。
国保だと3割負担です。
社会保険だとどうなのかな?
以前は1割だったと思いますが、今は、2割かな?
これをどの保険組合も5割負担にする。
そうすれば、ばっちりコンビニ受診は減ります。
え?
弱いものいじめだって?
でも、本当に受診したい人は、カネの話はしませんよ。

以前、宮古病院は、老人たちの憩いの場でした。
ところが、老人医療費が改正されてから、憩いの場じゃなくなった。
効果てきめん。
それでも、老人たちが特別に倒れやすくなった話は聞きません。

それから、老人たちが、病院を憩いの場にしなければならない理由は、その家族にあります。
自分の父親、母親の面倒を見る気のない人間が、社会制度を語る資格なし。
社会制度破綻の原因の一つは、本来あるべき親族に対する扶養責任を社会へと転嫁したことにあります。
自分の両親に限らず、自分の子供さえも扶養しない人間が出てきました。
こういう人間は、社会制度を利用する資格さえありません。

厳しい話をしましたが、特に特別職の方たちには、基本的なことをもっとしっかり考えてほしいと思います。

これらは、「漁師のつぶやき」で、かなりの部分書いているものです。
今から5年も前のことです。
たまに更新するつぶやき−医療」の「地域医療について少々」という項目の日付は、2004年4月19日です。
このころから、すでに県立病院産婦人科医の不足は深刻な問題となっています。
高橋さんは、県議会議員になって2期目です。
今まで、何やってたんですか?
今頃になって、“合意形成”ですか?



さて、県民愛読紙「岩手日報」では、「SOS地域医療」シリーズを掲載しています。

SOS地域医療 - 県立病院再編案 -

SOS地域医療 - インタビュー -

そして、第3弾

SOS地域医療 - 各地の挑戦 -

が最近連載されました。

以前は、診療報酬の不正請求が流行っていたこともあって、医師=金儲け主義者という悪いイメージでしたが、今や、医師は、住民たちによって、袋たたきにされている状態です。
みんさんで、お医者さんを大切にしましょう!

ではでは〜。
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2009年02月19日

無いものねだり (高橋さんへの手紙 4)

みなさん、こんばんは。

22日の毛がに祭りにあわせて、毛がにをたくさん獲ろうとしているらしく、珍しく船頭さまが頑張っています。
昨日も途中から風が吹き、今日は、早朝から北西の風がヒューヒュー。
いったん帰港し、7時に出直し。
それでも北西の風がヒューヒュー。
天気図を見ると、大して吹きそうにない天気図なのに。
海上気象は、こんなものです。

今日のうちに売るのはあきらめ、明日の朝売り。
そのために、暗くなるまで頑張ってきました。
明日から時化模様ですね。

面白いニュースが昨日あったようで、ダントツの話題は、酔っ払い記者会見!
あんなヨレヨレになったら、“普通”の大人なら、絶対に記者会見に出ない!
中川昭一代議士(まだ議員辞職しないのかな?もう議員生命は終わりだよ!)が、かなり“普通”ではないか、あるいは、やらせ?

と思いきや、いろいろと裏があるんですね。

中川昭一のヘロヘロ辞任に隠されたもの(「反戦な家づくり」/)



さてと。

高橋さんへの手紙の続き。

困りました。
彼がこれほど、ものわかりの悪い人だったなんて。
続く日記を読んでいると、もう何かにとりつかれているようで。

2月16日付の日記は、もう惨憺たる内容。
要請書?
私なら恥ずかしくて恥ずかしくて、穴に入りたい。
え?
何が恥ずかしいって?
この人たちは、単純な計算もできないの!

まず、それは置いておきます。
最後の段落に次の文章があります。

医療局は「待っている時間はない」の一点張りですが、そもそも4月から計画案を断行したとして、果たして医師の退職に歯止めがかかるのか、甚だ疑問です。

確かにその通りですが、しかし、今の状態を続けて、合意形成にどれくらいの時間をかけるのでしょうか?
前回も書きましたが、スケジュールなしの県議会議員たちの凍結では、医療現場は現状のままであり、計画案を断行するよりも、もっと悪い。
まだ、それらの病院の入院施設を壊すと決まっているわけではないので、条件が良くなれば、再度、有床化に戻すことだってできます。

その後にも、いろいろ書いていますが、「ある医師」の話とは、高橋さんにとって都合のいい話かもしれません。
私の知っている「ある医師」は、病院長の中にも、医師の扱いの悪いのがいることも聞いています。
医師も人間ですから、性格の悪い医師も確実にいます。
医師同士、仲が悪い場合もあるだろうし、わがままな医師もいるでしょう。
病院長の中にも、そんな人がいても、不思議ではありません。
さらに、出身大学の派閥関係についても耳にしたことがあります。
高橋さんが引いている、「ある医師」の話だけが、すべてを言い表す真実というわけではないと思います。

いちいち書いてある内容に文句を書いても何にもならないので、ここで、本題の計算の話に戻します。

病院の一つの診療科、例えば、内科常勤医が、ある病院に2人いたとします。
この場合、病棟患者の夜間対応は、交替でできます。
これが1人辞めて、常勤医が1人になったら、さあ、大変!
例えば平日2人で100人の患者を診ているとすると、医師1人当たり50人の患者を受け持つわけですが、それが1人になったら、医師1人で100人?
素人が考えただけでもゾッとします。
夜間、病棟患者の容態が急変し、寝ているところをたたき起こされたら?
たぶん、その残った医師も、倒れるか、辞めるでしょう。
簡単な計算です。
誰でもわかる、小学生でもわかる、ものすごく単純な計算です。

こういうことをわかっているのか、それともわからないのか、高橋さんは、よくもぬけぬけと、「できるだけ両立できる道がないか探るのが知恵というものではないでしょうか。」と書いたものです。

すべての県立病院の内容を私が知る由もありませんが、先日、県立釜石病院のことが報道されていました。

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20090218_7(「岩手日報」)

さらに、次の報道もありました。

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20090217_3(「岩手日報」)

この記事の新聞版には、各県立病院の各診療科の医師不足数が書いてあります。
わが県立宮古病院には、循環器科の医師はいません。
不足数が4人になっています。
宮古病院の小児科科長は私の同級生であり、彼から、病院内で最も大変な(忙しい)診療科は、どこなのか聞いたら、それは循環器科だそうです。
外来診療、病棟診療だけでも忙しいのに、病院内すべての危篤患者が出ると、すぐに呼び出され、救急の危篤患者も同じく。
とにかく、何にでも呼び出されるのが、循環器科なのです。
今や、循環器科ゼロの宮古病院ですが、それでも存続しています。
このこともすでにご存知でしょうが、今や、宮古市内の開業医は、交代で、宮古病院の休日当直医を務めています。
宮古病院のかなりの外来患者も、市内の開業医へ“転院”させられており、それほど深刻な状況です。

そして、今朝の報道。

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20090219_2(「岩手日報」)

これの新聞版には、熊坂宮古市長の宮古病院時代の話が載っています。
あの時代でさえ、倒れるくらい大変だったと。



高橋さんの日記17日付では、アンケート調査の話が書いてあり、「計画の延期と撤回を合わせると65.3%、計画通り実施は16.3%」となっています。

これは、高橋さんが、“作った”数字である、と私は断言します。
彼が、ヒステリックに「住民との合意形成」という言葉を乱発し、世論を形成した。
その結果、特に、彼のWebサイトを読んでいる人たちは、「無床化=悪」と思い始めたのです。

今日のNHK「おばんですいわて」では、川井村江繋のタイマグラ集落のことを放送していました。
川井診療所まで、結構時間がかかります。
ましてや、田老病院と揶揄される県立宮古病院までは、どれほど時間がかかるのか?
それとも遠野病院のほうが近いのか?
そんな山奥に住んでいる人たちにとって、今回の無床化反対のことなど、眼中にない。
彼らには、最初から無いものは“無い”。
無いものを要求しても、アホらしい。

このタイマグラに住んでいる山代陽子さんという方は、「ダメな日本のトップたち」で紹介した「環境フェア」でパネラーを務めました。
彼女の代名詞は「ちょっと不便がちょうどいい」。
「ちょっと不便がちょうどいい」。
この言葉は、私の頭から離れません。

昨年の石油高騰で、日本人は思い知ったはず。
資源のない国の人間が、無いものねだりをしても、何も始まらないことを。
日本人は、「ちょっと不便がちょうどいい」民族なのです。

医療も同じ。
医師という資源がないのに、「地域を見捨てるのか?」という傲慢な言い分は、とても分別のある人間が言うことではありません。
ただの「無いものねだり」です。

私は、高橋さんを見損ないました。
「足るを知る社会」とは何ぞや?
そして、「県立病院改革における議会意思の尊重を求める要請書」に署名しているボンクラ議員たちも、見損ないました。

ボンクラ議員さんたち、ごめんなさ〜い。
忘れそうなので、名前、保存しておきま〜す。

ではでは〜。
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2009年02月16日

県立医療インフラ税 (高橋さんへの手紙 3)

みなさん、こんばんは。

今朝は、張り切って午前2時出港でしたが、予想とは違って、操業開始したら北西の風がヒューヒュー吹いてきました。
いつもの3分の1しか操業せず、しかたなく帰ってきました。
寒かった。
私は、寒いのと暑いのと、どっちをとるか?と聞かれたら、暑いほうがいい。
温暖化大好き。

ではまず今日は、最初に引用。

都市化は規模の経済性を高め、農村部や小さな市や町に比べて、一人当たりの自然資源の使用量削減につながる。例えば、ニューヨークの住民一人当たりの温室効果ガス排出量は、全米平均のわずか1/3に抑えられている。
(「WORLD WATCH」2008年9/10月号p39)



県立病院から数十キロも離れた、住民が十数人しかいない超過疎地、いわゆる限界集落の人たちが、その集落に公的診療所を要求できるでしょうか?

要求はできるけど、実現はしません。

これに対し、限界集落出身の代議士さんは、「集落を見捨てるのか!」と大声を張り上げ、世論喚起をすれば、・・・・。

県立病院改革の問題は、この延長上にあるのです。

もし、私が、その限界集落に住んでいたならば、「しかたないよなあ」とあきらめます。



世界史にしろ日本史にしろ、地域の隆盛や衰退は繰り返しの連続であり、その原因は、地理的理由にありました。
例えば、近隣に優良な資源があったとか、交通の要所であったとか。
栄える地理的理由がなくなったとき、地域は衰退し、最終的にゴーストタウンとなります。
ところが、現代の福祉主義経済国家の出現で、それは一変し、過疎集落を存続させようという政策が行われ、いかにも「ゴーストタウンは悪」という考えになります。

しかし、これは間違っています。

地球上の資源にはご存知の通り、無限ではありません。
できるだけ効率よく使うことが、私たち人間には義務付けられています(と私は定義していいと考えています)。
最初に示した引用の通り、都市に人間が住むことには、エネルギー的メリットが存在します。
ところが、放っておけばゴーストタウンとなり得る過疎地を“存続させるために施策”は、エネルギーのロスを大きくしているにすぎません。
なぜ、過疎地やゴーストタウンになるのか、ということには、必ず原因があるのであって、その根本を解決できないならば、ゴーストタウンにして良いと私は思います。

「じゃあ、そこの住民を、見捨てればいいのか!」

と叱られそうですが、それこそ、公のカネをもって、都市へ引っ越してもらい、職業訓練を行う。
今や、各自治体で、いろいろな講習や訓練、職業斡旋をやっています。
だから、できないわけではありません。

もちろん、そこに留まりたい人は、個人の自由ですから、それはそれでいいと思います。
ただし、公に対し、何も要求しないこと。
そして、公の側は、施策に関する分の税金は徴収しないこと。
これは、税の徴収と公の施策との関係の基礎です。



これを医療に応用します。
県税の中に、県立医療インフラ税を新設し、インフラ整備の恩恵を受けない過疎地住民は当然にして、免除。
診療所のカヴァー地域は半額免除。

そこで、「過疎地にも病院を!」という要求を議会で通すならば、そりゃ、県立医療インフラ税は大増税。
当然といえば、当然!
さて、いくらの増税になるのかな?
確か、定額給付金に県民数を掛ければ、県医療の赤字分に相当すると思ったけど、どうだったか?
一人2万円も増税すれば、オッケー。
やりましょ!やりましょ!
2万円で県立病院を救えるなら、大賛成!

こういうように、誰でもはっきりわかるように、具体的に提案してくださいよね。
議会議員のみなさん!

これ、基礎中の基礎。
なんで、私がこんなこと書かなくちゃいけないの?
あ〜、本業でクソ忙しいのに!



ちなみに、県立病院は、赤字になるようにできています。
私の同級生にレントゲンの技師がいまして、彼に聞くところによると、CTスキャン、MRIなどの検査機械類は、かなりのカネがかかっていて、しかも導入して終わりではなく、随時、更新していかなければならないのだそうです(何を更新するのかは聞かなかった。ソフトなのか、ハードなのか?)。
CTスキャンはどうか知りませんが、MRIという機械は、開業医にはまずありません。
その他、開業医になくて、県立病院にある設備は、山ほどあるでしょう。
かつ、救急医療も担っていますから、常に、ある程度のベッド数を確保していなくてはならず、自力で治癒の見込める患者は、すぐに退院させられます。
これでは、どう考えても、赤字になるのは当たり前。
地域の基幹病院としての役割を持つ県立病院は、その性格上、赤字になるようにできているのです。
したがって、「赤字だから」という理由で無床化するという主張は間違っています。
じゃあ、その赤字をどうやって補填するのか、という議論をするのが筋であり、この辺は、高橋さんの主張も正しいと思います。

しかし、「医師不足」という理由は、赤字補填とは別次元の話であり、これに対する県議会議員各氏による異議は、私には理解不能です。
いくら、「問答無用」に進める医療局に不満を言っても、現場で悲鳴を上げている医師たちを助けることはできません。
昨日(2月15日付)の高橋さんの日記では、次のように書いています。

「敵ではなく、手を取り合うパートナーに市町村を変えるためには、まず県から歩み寄らなければなりません。その歩み寄りの第一歩は、4月実施の一時凍結以外にありえません。」

4月実施の一時凍結をしても、その後どういうスケジュールで県立病院を改革していくのか、はっきりわかりません。
凍結期間が1ヶ月なのか、半年なのか、それとも1年なのか、3年なのか?
異議を唱えている議員はたくさんいます。
頭数がたくさんいるからには、きっとスケジュールを考えている議員もいるはず。
それとも、ただ異議を唱えるだけのボンクラ議員しかいないのか?
いいですか!
何のスケジュールなしで凍結するということは、“議員特権”の“先延ばし”を行使することなのですよ。

もう一つ。
2月15日付日記にある、高橋さんが会食した女性医師の方に私は聞きたい。
彼女の感じるミスマッチがなく病院勤務を続けたとして、医療局案を凍結したまま、医師たちが過重労働を続けることができるかどうかを。

医療局という組織にメスを入れることは、医療局案を受け入れようが凍結しようが、できることなのです。
一時凍結という手段で、医療局に対する不満を、世論化することは、私は正しいとは考えません。



ではでは〜。

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2009年02月10日

納税者の要求は限りない? (高橋さんへの手紙 2)

みなさん、こんばんは。

今日は、振り込め詐欺の犯人が3人も捕まりました。
うれしい日です。

http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20090210AT1G1001E10022009.html(「日経ネット

「タダでカネをもらおう」なんて考えるから天罰が落ちた。
ちなみに、「タダでカネをあげよう」(定額給付金)なんて考えた人(麻生太郎首相)にも天罰が落ちた。

http://www.iwate-np.co.jp/newspack/cgi-bin/newspack_s.cgi?s_politics_l+CN2009020901000381_2(「岩手日報」)

カネはタダでもらうものなら、誰も何もしませんって。

さて、今日は、高橋さんへのエールを再び書きます。
前回の「高橋さんへの手紙」のことは、すでに本人へメールで知らせてあり、本人からも
「遠慮なく言ってください」と連絡がありましたので、ぼちぼちやっていきます。

それにしても、彼の日記「日々是好日」は、一気に何日分も更新します。
こりゃ、追いつくが大変だ!

と言っても、私のほうも「書こう」と考えていても、別のことが頭に浮かんだり、疲れていて「もう寝る」となったりで、ついつい遅れていきます。
言い訳でした。

1月24日付け(backnumber2009.1)の障害者の話なんですけど、私がその目の不自由な委員だったなら、街灯よりも先に、自動車の走るトンネル内の照明を言いますね。
夜の運転は、ライトを点けて走りますから、本当は、トンネルの照明なんて要らない。
そもそも自動車は、目が悪いと運転できない代物で、あんなもの、環境を汚すだけだ!と。
市道、市役所の駐車場などなど、自動車関連予算は非常に大きい。
街灯なんて目じゃない!



公のすることは、私たち一般人が働いたカネの中から差し出した税金を使います。
税金には限りがあります。
だから、公が何でもできる、する、というのは間違っています。
この日の日記には、多数と少数についてが書かれてありますが、税金を払う側が多数の場合は問題ありません。
しかし、税金を払う側が少数の場合、これでは、とても、公の事業など絶対にできません(でも今にそうなるかも?だって、職の選り好みがありすぎ〜!)。

もちろん、税金を使っての「少数の側への思いやりや配慮」は必要です。
しかし、それも度を越すのはよくない。
行き過ぎれば、社会制度自体が崩壊します。
社会制度が崩壊すれば、結局は、少数の側がひどい目に遭うだけなのです。

いろいろな方面の、多数、少数の人たちが、公に対し、あれこれ要求する。
まったくキリがない。
私は、この際、公ができることとを、しっかり話し合って、規定すべきだと思います。

ここまでは「公がやりますよ」「あとはできません!」と。

そうでないと、医療崩壊と同じように、今度は行政崩壊が起こるかも?

ではでは〜。
posted by T.Sasaki at 22:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会制度 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月31日

高橋さんへの手紙

みなさん、こんばんは。

天候悪くて、今日は家でじっとしています。
疲れましたし。
読書したり、パソコンに通電させたり。
雪が積もったので、一応、雪かきもしました。
宮古にしては珍しい大雪です。
雪がほとんど降らないので、積もっただけで大騒ぎになるのに、大雪となると、さすがに国道を走る車も少ない。
国道沿いにある私の家にとって、交通量の少ないことは喜びでもあるわけです。

今日は、岩手県の人気議員について書きます。
といっても、小沢一郎さんではないですよ。
ローカルな話ですので。

高橋博之岩手県議会議員をご存知でしょうか。
若さと行動力を前面に出しているカッコイイ青年議員です。
高橋さんは、選挙区外であるにもかかわらず、私がたまに顔を出す「豊かな三陸の海を守る会」も支援してくれました。
また、私自身も、一度だけ飲みながら話をしたこともあります。
よって余計に、彼の言動には、非常に興味が湧いてきます。

高橋さん(以前は、高橋君と呼んでいましたが、彼は、選挙区の方々に絶大なる支持を受けてのトップ当選ですので、同格の“君”は失礼ですね)は、自身のサイト「高橋博之公式サイト」で、その行動を書き記しています。
中でも、日記「日々是好日」は、必見の巡回先です。
最近の日記を読むと、彼には、一貫とした考え(思想)というのがあるのかどうか、私にはわからなくなりました(いや、本当は、前から少し疑っていたのですが。でも、地方自治体の特別職のほとんどは、一貫した考えなど持っていませんよ)。

彼は、県立病院改革に関しては、ヒステリックだと思います。
1月20日付けの日記では、赤い字で、山形県置賜方式の失敗した原因を書いています。
そこをちょっと引きます。

住民がサテライトの診療所を信用せずに無視して病院に集中してしまったことが原因。

つまり、住民が診療所の医師を信用しなかったわけです。
これは、住民のほうがおかしい。
住民のほうが、規模を理由に医療施設を差別している!
なぜ、病院の医師は信用して、診療所の医師は信用できないのか。
ちなみに、大病院には、たいてい何人かはダメ医師がいるそうです。
これは岩手県出身の小野寺時夫さんという方が、「新 治る医療、殺される医療」という本で書いています。
大病院にいようが診療所にいようが、医師には変わりがないということを、住民に教えるべきではないですか。

しかし、彼は本当はそんなことなんてわかっているのだと思います。
1月22日付けの日記の最後には、次のような文章が書いてあります。

「自由」と「権利」の裏側にある「責任」と「義務」から逃れ、国に求めてばかりの日本人。モンスターペアレント(理不尽な要求をする親)、モンスターペイシャント(理不尽な要求をする患者)なる怪物の出現など、無責任の極みここに至れりです。今、日本にもっとも欠けていることではないでしょうか。私が政治家として訴えていきたいことのひとつは、まさにこのこと、国民の意識改革です。

素晴らしい!
この一言に尽きます。
でも、1月25日付の日記を読むと、どうもわからなくなります。

リンクの貼ってある朝日新聞の記事を読むと、まず 「県民が平等に医療を受ける権利を奪うのか」という話ですが、診療所があれば、医療を受けることができます。
診療所で治療することが困難な患者は、紹介状を書いて、大病院へと送られます。
こういうシステムがなぜ、「県民が平等に医療を受ける権利を奪うのか」私にはわかりません。
「理不尽な要求」とまでは言わなくても、「要求の強すぎる住民」ですね。

彼も政治家ですから、自分の思想や理想とかけ離れた、基本的知識に乏しい住民と折り合いをつけなければならない。
だから、「合意形成」という言葉を頻繁に日記で使っているのだと思います。
政治家は、それくらいでないと次は当選できませんから、しかたないかな?



でも、高橋さん。
県立病院の医師不足は、今に始まったことではありませんよ。
こうなる前に、そして、県医療局が改革案を出す前に、いろいろと議会内や会派内ですることはあったと思いませんか。

1月25日付け日記には、

「もう待てない」と医療局は言いますが、なぜもう待てないのか、その理由について、納得できる説明はありません。

とありますが、県立病院の医師が次から次へと辞めているではありませんか。
アフガニスタンの中村哲医師のような立派な方も確かにいます。
しかし、医師だって所詮人間です。
嫌になれば、辞めます。
県立病院へ行けば、あのような毎日の混雑。
見舞いなどのちょっとした用事で病院に行くと、医師でなくとも、あの混雑を見るとうんざりします。

私も病院のお世話になりましたし、身内もお世話になっています。
そこで見た病院内の医師の働きぶりは、かわいそうなくらい忙しい。
若い医師たちに、病院外での青春があるのかどうか。
何度も書きますが、医師とて人間です。
感情のある人間なのです。
そこを考えてあげないと、公的医療は本当に崩壊します。

先ほどの朝日新聞記事の最後には次のように書いてあります。

「4月に無床化に踏み切れば、(みんなで支える医療を模索する)今の動きも消えてしまうのではないか。医療局の計画案をたたき台に、時間をかけて検討するべきだ」(高橋博之県議)。

私には、この発言の意味がわかりません。
なぜ無床化に踏み切れば、みんなで医療を考える動きが消えてしまうのか?
「県民が平等に医療を受ける権利」を主張するならば、県民はその権利を行使する制度を常に考えていく必要があるはず。
これで消えてしまうのなら、住民たちのほうの意識が低い、ということです。

やっぱり政治家って、こんなものなんでしょうね。

ではでは〜。。


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