みなさん、こんばんは。
先週の土曜日、散水ポンプがいかれてしまい、エンジンルームの狭い場所での修理作業となりました。
なんだか、毎週毎週、暇がない。
回転部のベアリングが消耗し、それが引っ掛かり、その結果、ポンプを回しているモーターに負荷がかかってブレーカーが落ちました。
原因がわかるまでは右往左往しましたが、ばらしてみたら、意外にも簡単に直り、夜は安心して眠ることができました。
今日は、時化休み。
私は、旅を歩く時には、本を買い込んで持って行きます。
暇な時間に読むためです。
あまりに強すぎる漁師モードもよいものではなく、いろいろなことを考えながら、冷静に船を動かすほうが、ずっと利益になります。
で、面白くない本であるワールドウォッチ研究所の「WORLD・WATCH」のまだ読んでいなかった号も持って来ていました。
これに、良い論文が載っています。
題名は「パナーキーから見る私たちの未来」。
パナーキーとは、森林の適応循環から導き出したものであり、その部分を引用します。
成長、崩壊、再組織、再生という循環によって、森林は長期間にわたって、絶えず変化を続ける環境に適応できるのである。
(「WORLD・WATCH」2009年3/4月号p27)
森林は、地球レベルの循環(例えば炭素循環)から、小川や土中の生態系の小さな循環で構成されており、これら上位から下位の循環が折り重なっています。
各階層の循環が、すべて、一度に崩壊する、ということはなく、各階層で互い違いに、「成長、崩壊、再組織、再生という循環」を繰り返しているのです。
森林の取り返しのつかない危機とは、まさに、各階層の循環過程が、一致する場合です。
森林が成長し、成熟してくると、生態系の「連結性」が強くなります。
ちょっと難しいかもしれませんが、重要なところです。
バクテリアから、動物、草花、木に至るまで、互いに影響を与え合って、それで、最終的に、その森林生態系が出来上がります。
つまり、生物同士の「連結性」が強くなった、と言えます。
そのどこかに、欠落が生じれば、「連結性」が強い分、その森林生態系にとっては、影響が非常に強くなります。
しかし、成長が未熟で、「連結性」が弱い場合、影響は小さい。
わかったかなあ?
これを私たちの社会生活で例えますが、いろいろな社会制度が発達しても、必ず、欠陥があり、その補完的な制度がまた必要になります。
補完することで、各社会組織、各個人の結びつき、つまり、「連結性」は強くなります。
それでも、まだ飽き足らず、まだまだ国民の要求は、留まることを知らず、社会は、ますます複雑になっていきます。
そして、その複雑さを補い、助長する制度が出来上がれば、社会全体の「連結性」は、非常に強くなります。
ここで、どこかに、欠落が生じれば、どうなるか?
あるいは、一度に、各制度が破綻すれば、どうなるか?(社会保障制度、国家や自治体財政などの破綻目前は、現実!)
「パナーキーから見る私たちの未来」では、オランダという国のエネルギーや食糧問題を例にし、地球規模でその崩壊過程を論じています。
そして、次の一言が、厳しい。
私たちは地球規模の適応循環の成長段階を引き延ばしすぎているといえる。
(前掲書p30)
「成長、崩壊、再組織、再生という循環」では、「成長」の次は、「崩壊」であり、これが、地球上の生態系から、世界中の社会組織までが、一度に崩壊するとなると、これが復元するには、かなりの時間を要します。
この論文では、「複雑さ」と「連結性」が強くなればなるほど、そして、「成長」を無理に引き延ばせば延ばすほど、復元力は小さくなる、としています。
さあ、ここで政治家の出番。
政治というのは、アリストテレスの時代から、ずっと語られてきたものです。
どんな政治が良いのか、まだ、その答えは、出ていません。
正解など、私は出ないと思います。
政治家は、「国民生活をよくする」ための、正解を主張する。
しかし、それは、「複雑さ」と「連結性」と強めるだけであり、地球規模の環境循環に対応していません。
いろいろな複雑な制度を作っても、いずれ、それは、破壊的な崩壊を待ち受ける運命にある。
それをわかっていながらも(たぶん、わかっていない)、政治家は、「国民生活をよくする」、といいながら、あれこれ、テレビや新聞、ネットで、今後もずっと、いろいろ言うでしょう。
結論。
政治とは、国民のため、地球のためにあるのではなく、実は、政治家自身のためにあった。
もう複雑なものを作るのはやめて、制度の単純化を行い、あとは、それに対応できない個人は、自己責任自然淘汰、ということにしましょうよ。
そうでないと、人口増殖は、本当に、取り返しのつかない地球レベルの崩壊を起こし、結局は、自然淘汰されることになるんですから。
なんだか、ダーウィニズムの本の読みすぎ?
ではでは〜。