日本の漁業が崩壊する本当の理由 片野歩

世界中で魚類資源が増えているのに、日本だけが減っている。
この現実を、恥ずかしいと思うべきである。

日本の漁業が崩壊する本当の理由.jpg

すべての漁協組合長、理事、参事、そして、任意の漁業団体の会長以下すべての役員たちは、この本を読むべきだ。
読みたくないならば、「日本の漁師は大バカものだ」を参照すること。
これを認識できないならば、役職に就く資格はない!

2017年09月18日

柳田國男と遠野物語 4

こんばんは。
今夜で今日は4回目。

明日が沖に出られるかもしれない、というので、準備していたら、ある悲劇が・・・。
でも、これは、私の健康を考えての自然からの贈り物だという人もいる(笑)。

昼に書き忘れたことなのだが、「遠野物語」に柳田國男が残した謎は、遠野物語の献辞と序文にあるようだ。
献辞には、

この書を外国に在る人々に呈す

とあり、序文は、次のようになっている。

 この話はすべて遠野の人佐々木鏡月君より聞きたり。昨明治四十二年の二月ごろより始めて夜分折々訪ね来たりこの話をせられしを筆記せしなり。鏡月君は話上手にはあらざれども誠実なる人なり。自分もまた一字一句をも加減せず感じたるままを書きたり。思うに遠野郷にはこの類の物語なお数百件あるならん。我々はより多くを聞かんことを切望す。国内の山村にして遠野よりさらに物深き所にはまた無数の山神山人の伝説あるべし。願はくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ。この書のごときは陳勝呉広のみ。

ここにある「陳勝呉広」とは、中国秦末期の
紀元前209年に、中国史上初の農民反乱を起こした陳勝と呉広のこと。これを陳勝呉広の乱と呼ぶ。
その他の文章は、次の引用が十分に説明していると思う。

 序に遠野の説話が「目前の出来事」「現実の事実」であることを繰り返すのは、日露戦争の勝利に沸き、列強に伍して海外の植民地を支配していこうとするときに、いまだ国内の現在、目前で起きている出来事にすら喫驚を禁じ得ない知識人の、何と脆弱なことか、また政府中枢にあってそれらを掌握できていない中央官僚としての自らの、非力の慨嘆であろうと考えられる。加えて、前へ前へ、早く早くと脱亜入欧を急ぐ同僚への警鐘ではなかったか。
 戦慄せしめる平地人とはすなわち、心が外国に向いている日本の知識人だとすれば、柳田が発したメッセージは明快である。
 心が外国にある日本人よ、本書を読んでまずは驚かれよ。そして、今いちど、日本とは何か、日本人とは何なのかを、まずは足下である国内辺境に目をむけることで考えてみようではないか。
(「柳田國男と遠野物語」p60)


明治というのは、例のごとく、平気で人を殺すような人が総理大臣になった時代であり、明治に生まれた柳田は、いろいろな活動を通して、それを実感していたのかもしれない。
彼は、農商務省に勤務した高級官僚であり、その後、新渡戸稲造の推薦を受け、国際連盟のある委員会の委員になるが、英語で議論するとなれば、かなり厳しい。

 柳田は新渡戸を誘い、言語がもたらす不公平を避けるため作業言語のひとつにこの人工言語を加えてはどうか、と提案してみるのだが、英仏の代表者の反対にあい、一蹴されている。
(前掲書p70)


ここある人工言語とは、エスペラント語であり、かの宮沢賢治もエスペラント語に関わっている。
この言語は、ポーランド生まれのユダヤ人眼科医が考案したものであり、動機は、柳田らと同じく、「言葉の違いが人々に対立をもたらし、憎しみを育てる」ということを実感したことにある。
こういう背景の下に、彼は「遠野物語」の献辞および序文で、明治の知識人たちに訴えたのだ。

外国の華麗な薔薇ばかりに目を向けず、日本の桜に目を向けよ。

新渡戸流に言うならば、そういうことなのだろう。

柳田國男は、維新を始めとした明治という時代を、きっと、鋭く見抜いていた。
献辞や序文を読む限り、遠野物語には、その批判の意味を含めたのかもしれない(と深読みしておく)。
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柳田國男と遠野物語 3

再び、柳田國男の遠野物語。

柳田國男は、日本民族学の父といわれているが、「民俗学という学問とは何なんだろう?」と考えても、パッと答えることが、私はできなかった。
しかし、だいたいこの本を読んで、おぼろげに理解できたような気がする。
伝承や風習などを理解し、起源など体系化し、今後、私たちが、どういう生活をしていったらいいのか、ということを問う学問なのだろう。
これは、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」に通じるものである。
宮沢賢治も飢えとの闘いで、柳田國男を同様、農業に関わったものだが、彼の結論は、「雨ニモマケズ」なのだと思う。

柳田國男は、民俗学の父とはいわれているが、民俗学を完成させたわけではない。
しかし、いろいろなことにチャレンジした彼に一貫していたことは、「日本人の生活は、どうやっていくべきだろう」ということを考えていた。

彼は、兄の不幸が、日本人の生活を考える原点であったとしている。

 國男は生家を「家の小ささは日本一、それもきっちした形の小ささ」といった。小さな家に大勢が住むことから兄の結婚生活は破綻する。「兄の不幸を思うとき、私は日本の家が悪いこと、家が小さくなったこと、それに前後の影響も考慮せずに制度を改めたこと、そして漢学者が中国の忠孝の孝の字を、文字通りに使ってしまったことなどが、間違いのもとだと考えている。兄の不幸は、日本の家の組織が無意識に存在し、どう変えるべきかということがなおざりにされていたからだと思うのである」「じつは、この家の小ささ、という運命から私の民俗学への志も源を発したといってもよいのである」(『故郷七十年』)と述べている。
(「柳田國男と遠野物語」p64)


小さい家で一緒に寝るだから、新婚の奥さんにとって、それは大変だ。
「秘め事は畑でしなさい」と言われかねない(笑)。
これを柳田は改善したかった。
柳田に限らず、その当時の人たちは、たぶん、そう思っただろう。
昔の新婚夫婦は、本当に大変だったと思う。
今の夫婦は、満足しすぎて、すぐに飽きるのかもしれない。

彼は、子どもの頃、ショックを受けた間引きの絵馬から、飢饉を忌み嫌い、それをなくそうと、農政学を学ぶ。
「時代ト農政」が出版され、農業の規模拡大と産業化を訴えたが、この時代の地主たち農業関係者に肯定されなかった。
それから、「近代日本に登場したインディ・ジョーンズ」(前掲書p6)として紹介されているように、あちこちを旅をするようになる。
これには、朝日新聞社の社員になったことが利点となったようだ。
柳田國男の業績の原点は、多くのフィールドワークにある。

そして、遠野。

人間の長寿は、今や、厄介者となる場合が多くなっている。
健常な老人ならいいが、医療の発達によって長生きできるようになった老人は、医療の実験台になったりしている。
人間の末期は、社会的に微妙な段階になっている。
静かに死ねない。
そこで、姥捨ての話である「遠野物語」第111話に登場してもらう。
遠野での姥捨て山は、「デンデラ野」である。

 この遠野に出てくる姥捨て=棄老伝説は、『楢山節考』などからイメージするものとは、少し趣が異なる。村の貧しさから口減らしとして老人を山深い山中に捨てに行くというのが姥捨ての一般的理解だが、ここでは捨てられた老人たちは、無駄に死んでもいけないので、日中は里へ下りて農作業などをして暮らしをたてていたとも書かれている。それをこの土淵のあたりでは、朝に農作業へ出ることを「ハカダチ」、夕方仕事を終えて帰ることを「ハカアガリ」と呼んでいるというのだから、なんとも牧歌的。
 親を捨てるというきわめて酷薄で背徳的な風習というふうにも言いきれない、何かがある。
 凶作や飢餓を逃れて老人たちが、死に場所をもとめてデンデラ野に入ったとも言われている。
(前掲書p34)

このことに関し、赤坂憲雄学習院大学教授は、デンデラ野が、老人が捨てられる場所しては近すぎる、としている。
遠野という土地には、「生・老・死」が、ちゃんとデザインされている、と。

これをどう捉えるのか。

ある人は、「死ぬまでみんなの役に立つのがいいのかな」と考えるかもしれない。
しかし、「死ぬまで働け、ということか」と怒る人もいるかもしれない。
君は、どう考える?

これが、柳田國男の作った「遠野物語」である。
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柳田國男と遠野物語 2

再び、「遠野物語」の話。

遠野物語第8話に、神隠しにあった女が突然30年も経て帰ってきた、というのがある。
その考察として、次のように深読みされている。

 神隠しは、ある日突然、日常から忽然と失踪し消えてしまった娘、死んだものとしていた子や娘に対するその家の者たちが納得するための結論ではなかったかとも考えられる。柳田は「かりにただ一人の愛娘などを失った淋しさは忍びがたくとも、同時にこれによって家の貴さ、血の清さを証明しえたのみならず、さらにまた眷族郷党の信仰を、統一することができたのではないかと思う」(『山の人生』)と、家制度のなかでの、一族がかかえた何らかの秘密を守る必要から出たものとも受け取れるのだ。
(「柳田國男を遠野物語」p31)


そして、遠野物語第56話に子を捨てる話があり、「遠野物語拾遺」第247話の話を持ち出し、その解説がいい。

 年廻りの悪い子、つまり占星術などによって運気が悪いとされた子を、捨て子にして仮親になる人に拾ってもらう、そんな儀式をすることで、運気、年廻りを良くしようということだろうか。それならば、子供のための親心というもの。少し安心するエピソードではある。
(前掲書p37)


これらをもっと深く読むならば、神隠しは、捨て子をした家の、口実なのかもしれない。

捨て子とは、物騒な話だが、遠野物語の伝承された時代は、度重なる飢饉で、日本人が飢えていた頃の話である。
「遠野物語」は、柳田國男の人生と大いに関わっている。

柳田國男は、13歳から15歳まで、茨城県布川で生活している。
そこで徳満寺の間引き絵馬を見てショックを受けた。

「約二年間を過ごした利根川べりの生活を想起する時、私の印象に強く残っているのは、あの河畔に地蔵堂があり、誰が奉納したものか堂の正面右手に一枚の色彩された絵馬が掛けてあったことである。その図柄が、産褥の女が鉢巻を締めて生まれたばかりの嬰児を抑えつけているという悲惨なものであった。障子にその女の影絵が映り、それに角が生えている。その傍らに地蔵様が立って泣いているというその意味を、私は子ども心に理解し、寒いような心になったことを今も憶えている。」(『故郷七十年』)
(前掲書p66)


「布川の町に行ってもう一つ驚いたことはどの家もツワイ・キンダー・システム(二児制)で一軒の家には男児と女児の二人ずつしかいないということであった。私が『兄弟八人だ』というと『どうするつもりだ』と町の人々が目を丸くするほどで、このシステムを採らざるをえなかった事情は子供心ながら私にも理解できたのである」(『故郷七十年』)。地蔵堂の絵馬と重なった。はげしい飢饉におそわれた記憶、しかも人々の貧しさは途切れることはなかったのだ。
(前掲書p65)


ちなみに「間引き絵馬」のリンクはこちら。

http://www.rekishikan.museum.ibk.ed.jp/06_jiten/rekisi/untitled.htmkogaesiema.htm(「茨城県立歴史館」)

ビッグダディとか、テレビでもてはやされているのがいるが、あんなもの、くだらない視聴率稼ぎの道具でしかない。
彼は、この本を読むべきである。
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柳田國男と遠野物語

こんにちは。

「遠野物語」といえば、あんべ光俊であるが、本ならば、柳田國男である。
昨年だったか、松川温泉へ行った時、その宿に「柳田國男と遠野物語」という本が置いてあった。
津波後の翌年、2012年発行で、その年が柳田國男没後50年であり、記念出版であるという。

「遠野物語」は、佐々木喜善という遠野人の話が元になっている。
それを柳田國男が聞き、脚色してできたのが、「遠野物語」である。
私は読んだことがないが、ある程度のことは知っている。
しかし、単純な物語ではなく、奥が深い。

偶然にも、没後50年の前の年に津波が来たものだから、「遠野物語」第99話が取り上げられている。
明治29年の大津波の時の話である。

ある男が、田の浜(岩手県山田町船越)へ婿へ行った。
そこへ津波が来て、妻と子どもを失う。
彼は元の屋敷に小屋を作り住んでいると、そこへ男女の幽霊が来て、女のほうが彼の妻だった。
一緒にいた男の幽霊は、妻の婚前に深く心を通わせていたという男だった。
婿は、それを見て、しばらく悩み苦しんだという。

「柳田國男と遠野物語」では、次にような悲しい解説を加えている。

 幽霊となって、かつての夫に姿をひと目見せ、あの世では、もともと寄り添いたいと願っていた男と夫婦になったことを知らせにやってきたのであろうか。あの世では、幸せになっているから安心して、あなたは子供と生きていってほしいと伝えにきたのだろうか。
 自分の妻が、死んだ後とはいえ自分とは違う男と夫婦になっているというのは、男としては悲しく情けない複雑な心境であるが、それも死んだ人なら仕方ない。思い煩う日々は続くだろう。
(「柳田國男と遠野物語」p57)


しかし、私なら、そうは思わない。

「私はもう死んでしまったのよ。どうやっても生き返れない。この事実は重いのよ。だから、幽霊同士、幸せになっている。あなたも、私のことなど早く忘れて、次の奥さんをもらいなさい」

この物語を、今風に前向きの捉えるならば、こうなると思う。

明治大津波の時、3.11ほど手厚い被災者保護があっただろうか。
そのことを、「遠野物語」から読み取るべきである。

地球温暖化が進み、気象災害が多くなっている。
台風が来るたびに、どこかで義捐金が必要なほど、災害が大きくなっている。
東日本大震災は、もう過去の出来事なのであり、東北の被災者は、他の被災者を助ける番になったのだ。

八戸は、今、台風が通過しただろうが、通過後のほうが風が強い。
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2017年09月10日

石油の無機起源説

こんにちは。

この世の中では、カネの力で、秘密を作り、大金持ちの利益になるようなことをやっている。
それを暴く人たちがいるのは、唯一の救いである。

「日本のタブー」という本は、副島隆彦先生が弟子を育てた、その彼らの論文集である。

石油生成には、有機起源説と無機起源説があるのを、ご存知であろうか?
私は有機起源説しか知らなかった。
有機起源説とは、石油類を化石燃料と呼ぶことからもわかるように、昔々、動物や植物などが堆積し、それが年月を経て石油になった、ということである。
しかし、どうも真実は違うらしい。
無機起源説のほうが、非常に有力だ。
だから、石油の推定埋蔵量は、いつも増えていく。

なぜ、無機起源説が、表舞台に出てこないのか。
それは、大金持ちやアメリカにとって、不都合だからである。
石油の埋蔵量が膨大にある、とわかれば、石油製品は下落するのだ。
だから、それを隠す、とまでは言わないが、率先して公表することはしない。

 Petroleum(石油)の利権を掌握している人たちからすれば、「petroleum(石油)は有機物質が由来で、資源として限りがありますよ」というようにしておかないと、都合が悪いという見方が自然ではなかろうか。その一つが、金本位制崩壊後のドル・石油体制で、「petroleum(石油)の代金は、かならずアメリカのドル紙幣で決済しなければならない」という決め事がある。
(「日本のタブー」p294)


ドルの信用は、石油によって、担保されているといっても過言ではない。
もし、無機起源説が、世界中の人たちの常識となったなら、今度は、石油産出量の抑制を行うようになるだろう。
石油がずっと高価なままならば、私たち貧乏人は、あまり報われない。
だから、反アメリカ勢力などが、必要なのかもしれない。

「石油 無機起源説」で検索すればいいが、まとめサイトなどと論文のリンクを貼っておく。

http://column.cx.minkabu.jp/12007
https://matome.naver.jp/odai/2136848864625154601
https://www.jstage.jst.go.jp/article/japt/80/4/80_275/_pdf



ここからは、余談。
私は、大津波前、新型インフルエンザに罹った。
流行に乗りすぎた。
リレンザという吸入薬で一発で治った。
「新型は死ぬ人が多くでる」という噂から、私の家には、親戚ですら近づかなかった。
ご馳走をいただいても、ケータイで「外に置いておいたからね」という避けられかた(笑)。

その新型インフルエンザは、豚インフルエンザだったらしい。

世間一般に流布されている「新型」インフルエンザという言葉は、世界最大の工業的豚肉製造業者であるスミス・フーズなどが米国政府を通じてWHO(世界保健機構)に圧力をかけ、純粋な豚インフルエンザの名称変更をさせたものである。正しくは豚インフルエンザ(swine flu)である。
(前掲書p97)


そして、危険性の確認されていないワクチンが、WHOのお墨付きで使用された。

 我が国では推定1600万人に豚インフルエンザワクチンが接種され、ワクチン接種早期死亡が107人も出ている。これは同時期に行われた米国のワクチン接種早期死亡率の24倍にもなる。豚インフルエンザは従来の香港型インフルエンザと病原性(感染した時の重症度)はさほど変わらなかったことがすでに検証されている。しかもわっクチンの効果おなかったことも判明している。あのパンデミック騒ぎはいったい何だったのか?
(前掲書p98)


これ、みんな知っていた?

医者も誰も公表しない。
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2017年08月09日

義務教育とカネによる買収

こんにちは。

土方を殺すには刃物はいらぬ。雨の3日も降ればいい。
これを漁師にすれば、「漁師を殺すには刃物はいらぬ。時化が3日も続けばいい」

今回の台風5号、そして、その後の週間予報では、3日どころの話ではなく、とんでもない長期の休みになりそう。
日本は、地震列島と荒天列島になった。

そんなわけで、暇すぎて、一杯やりながら読書。

「最高支配層だけが知っている日本の真実」

これも失った本の買い戻し。
いいと思った本のみ買い戻すようにしている。
失敗したくない。

目次から重要なものを抜粋する。

2.大衆世論を操縦せよ!「郵政洗脳選挙」と「広告プロバガンダ代理店」
3.遅れて来た「拝金主義」― 外国勢力に踊らされ続ける日本人
4.日本銀行はロスチャイルドがつくった
5.世界の歴史をカネで動かす男たち ― 国際エスタブリッシュメントの金融支配

上記の論文2で、ジョン・テイラー・ガットの「バカをつくる学校 ― 義務教育には秘密がある」を端的に表している部分を引用する。

 ガットによると義務教育が誕生したのは1850年頃のマサチューセッツ州で、その目的は、「大衆を厳しく管理すること」だったという。「支配階級」だけに自立と個性が許され、それ以外の大衆は問題にされない教育によって、「大人の世界に無関心になる」「集中力がほとんどなく、あっても長続きしない」「物質主義的になる」「依存的で受け身で、新しい挑戦に臆病になる」ような子供に教育されるというものである。
 義務教育はプロセインの「国家と産業に民衆を奉仕させる」教育システムに源を発しており、それをアメリカがまず輸入し、それが明治日本と中国、ロシアに輸出されたのだという。この背景には、大衆というものは本質的に無知な存在であり、「人間は生まれながらに権利を有する」というアメリカの建国の父の一人であるトマス・ジェファーソンの抱いた古典的な民主主義の考え方を完全に捨て去ったアメリカの一部のエリート層の自己正当化であった。
 「優れた知的エリートが大衆を正しい方向に誘導してやる必要がある」― これは、つまり逆に言えば、「大衆というのはどうしようもないバカで、放っておけば反乱を起こして自分たちエスタブリッシュメントの支配体制をゆるがしかねない」ということである。
(「最高支配層だけが知っている日本の真実」p87)


義務教育は、もちろん、税金という公のカネが使われるが、これも、最後は、金持ちのため、ということになる。
それを見破ってしまったのが、副島隆彦先生である。
国営の事業を民営化する、ということは、国有財産の私物化を意味するのだ。
引用する。

 副島隆彦の主張によれば、私たちは「民営化」という言葉の一見自由な甘い響きにだまされているのだ。「民営化」とはすべての財産を株式の形にして一般に公開するものだ。
 ということは、「完全民営化」とは、力を持っている一部の私人たちが国有財産を個人で所有できるようにするこなのだ。だから、「プライヴェタイゼイション privatization、民営化」と日本で言われているものは、本当は、「私有化」と訳されるべきことなのだ。いや、「私物化」といったほうがいい。力とはお金である。
(前掲書p174)


このように、貧乏な私たちの公有財産は、着々と、金持ちたちの切り売りされている。
そして、私たちは、義務教育により、それが正しいものだと思わされている。
かわいそうなものだ。

バカな大衆を管理するという思想の源流をたどれば、それは、プラトンに行き着くそうだ。
上記の論文5は、クレオン・スクーセンの「世界の歴史をカネで動かす男たち」の紹介であるが、そのスクーセンによれば、プラトンの「国家論」が、世界管理の源流となる。
引用する。

 選ばれた男性と女性とによる子作りが政府主導と実践され、劣った、あるいは障害のある子供は排除される事態も生じる。社会を「支配階級」「軍人階級」「労働者階級」という三層に分割し、各階級に固定化する。プラトンいわく、人々は生まれながらにして、心に金、銀、銅を持っている。支配者は、国民がそれぞれ持つその金属を見定めた上で、その者にふさわしい階級に割り当てるのだという政府が吹き込む嘘を、国民が信じ込むようにお膳立てされている。
 プラトンはこれが真っ赤な嘘であると認めた上で、支配者の統治にとっては好都合である、と述べる。国民に宗教的下足として教えやすいからである。プラトンは全面的に共産主義(共同体主義)とたたえて、支配者階級のためにそれを用意した。私有財産をなくし、家族関係を共有化し、下層大衆に恩恵を与えるために知的エネルギーを使うことを念頭においたのだろう。(『世界の歴史をカネで動かす男たち』六三−六四頁)
(前掲書p186)


地球が丸い、というのがわかって世界史が始まってからは、つまり、各大陸間の貿易が始まってからは、これが現実である。
世界管理とは、義務教育による洗脳からすでに始まっていたのだ。

ショックを受けたかもしれないが、私はこれを読むのが2度目であり、これをタイピングするほど暇である。
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2017年08月06日

天皇の伝説 2

再び。

前回、「天皇の伝説」という本を紹介したが、その中で、南北朝時代までさかのぼる天皇家の諸問題が今でも尾を引いていることに関して、一つ書くことにする。

奈良県川上村。
この地は、南朝最後の御所があったところ。
そこの自天王(尊秀王)は、北朝側が南朝にあった三種の神器の一つを奪うために殺された。
南朝最後の天皇である。
その首は、いったん持ち去られたが、取り戻し、金剛寺の境内に葬られた。

川上村では、その後、500年以上も、自天王を偲ぶ「拝朝式」を毎年行っている。
だから、この村では、南朝が滅ぼされた歴史というものを、村民全員が知っているのだろう。
一般の日本人は、このことを、ほとんど知らない。

平成3年、首を討ち取ったとされる北朝側の武士の子孫と川上村の重鎮たちが、交流を始めた。
引用する。

 北朝、南朝という言葉がごく日常的な感覚で用いられるこの村で、“敵同士”が「和睦」するには、なんと五世紀の時間を要さなければならなかったことになる。敵討ちではお馴染みの、吉良と赤穂よりもさらに長い歳月が必要だったのだ。
 この和睦のきっかけとなったのが、平成三年四月に初めて開かれた「櫻の宴」だった。この仕掛け人のひとり、というよりも発起人となったのが、先に紹介した市毛實。市毛はこした歴史をテーマとした東京在住の写真家。櫻の宴では、地元の民謡同好会の笛や、太鼓、笙などが披露され、今日では村おこしのひとつともなっている。こうしたイベントは、自由な発想と行動が村外の人間のほうが起こしやすかったのだろう。その市毛が語る。「いちばんの供養は楽しいのがいいのではと思い、自天皇様が十八歳で亡くなっていることもあって若手中心で始めました。最初は東京から行った者だけで十人くらいでスタートした。村でもチラシをつくってくれるというので協力をお願いし、去年からは観光協会が主催で村の祭りとして定着してきました」
 自天王という存在があり、伝承がある。朝拝式を欠かすことなく五百四十年続ける村人がいて、その村の祭りでかつての敵味方が五百年を経て初めて手を携え合う。
 真偽や正否、あるいは恩や仇といった歴史のすべてのしがらみを包括して人の世があることを、この村は物語っている。
(「天皇の伝説」p257)


会津と長州と和睦し、お祭りをする時代が来るのは、いつになるのか。
世界的には、イスラム教のムスリムとユダヤ人たちが和睦するのは、いつになるのか。
身近にもある。
彼と彼が仲直りするのは、いつになるのか。

引用した文章は、いろいろなものを示唆している。
人の世は、元を突き詰めれば、各自の性格の違いが渦巻いてできているものであり、争いごとがあるのは、ある意味、しかたがないのかもしれない。
しかし、揉め事があっても仲直りする、ということは、人にしか、できない。
その辺をわきまえて、私たちは生きたほうがいい。


この本では、天皇はどこから来たのか、と問うているのも面白いし、奈良市にある円照寺の住職が、昭和天皇の妹さんであったのではないか、という記事など、少し、やるせなさを感じるものもある。
この住職の話は、現代では、DNA鑑定ですぐにわかるものだが、もし、存命であっても、その鑑定に応じたかどうか。
実の妹であるならば、たぶん拒否しただろう。
記事からは、そういう人柄だったと察する。
妹でなかったら、きっとDNA鑑定に応じた。
本人は、妹説を否定していたから。

面白い読み物であった。
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2017年07月23日

天皇の伝説

再び、こんにちは。

「天皇の伝説」という本を、Amazon中古市場から購入した。
中古市場から手に入れる、ということは、津波流失で買い戻した、ということ。

これには、明治天皇がすり替えられたのではないか、という衝撃的なことが書かれてあった。
再度読んでみると、明治維新の悪役たちが深く関与していることがわかる。

「天皇の伝説」にある諸問題は、南北朝時代にさかのぼり、この時の分裂で、さまざまな伝説が誕生した。
明治天皇も、南朝系にすげ替えた、という話である。
それも、長州出身であり伊藤博文の生家から近い、というから、穏やかではない。
明治天皇の父、孝明天皇は北朝系であり、すなわち、現在の天皇家は北朝系である。
しかし、どうやら、即位した明治天皇は、それがおもしろくなかったらしい。
引用する。

 明治天皇が有栖川宮に命令してつくらせた明治十年の「纂輯御系図」という皇統表では、北朝天皇家のルーツである貞成親王を「父不詳」としている。明治天皇の父・孝明天皇はあきらかに貞成親王の末裔。明治天皇は北朝の天皇として、自らのアイデンティティを否定している。新国家の最初の大事業でなぜ、そんなことをやっているのか。
 本来なら北朝の天皇と解すべき明治天皇は、伊藤博文暗殺の翌年の明治四十三年、自ら乗り出して南朝正系論を公式に認めた。これでは父・孝明天皇が「偽系の天皇」になってしまう。そのうえ、父の怪死を追及していない。死因が暗殺なら、あきらかに黒幕は岩倉具視や伊藤博文であると知りうる立場にありながら、両者を心底から信じたことなど、あまりにも不可解な矛盾を感じないわけにはいかない。
(「天皇の伝説」p30)


父である孝明天皇の死を追及しないというのは、明らかに、その子の態度ではない。
普通ならば、「なぜ死んでしまったのか」を知りたがるものである。

ここに岩倉具視と伊藤博文が登場するが、彼らが、孝明天皇を暗殺(刺殺)した、という説もあるのだ。
なぜ、暗殺したのか、という理論的支柱は、吉田松陰、もっとさかのぼれば、水戸学にある。
すべて明治維新(「明治維新に騙されるな!」参照)という暴走が、天皇家にも影を落としているのである。

 伊藤博文がさしたる功績もないのに、維新後は並みいる先輩たちを押しのけて、明治天皇の股肱の臣として国政を左右した。その理由は、彼こそが天皇暗殺の首謀者であったからに違いない。
 むろん天皇暗殺などという大事は、ひとりだけでできるものではない。三条実美をはじめとする長州亡命の七卿たちも、長州を朝敵と断じた孝明天皇のもとでは絶対に浮かばれないから、この計画を支持したことは容易に想像されよう。(中略)。また、岩倉具視の義妹で、孝明天皇の愛妾だった堀河紀子が後日、薩摩浪人の手にかかって斬殺されていることを考えれば、岩倉が義妹に伊藤らの手引きを命じていたことが考えられる。この頃、公卿たちが列参というクーデターをしたことはよく知られているが、それから考えてもごく上層部の者以外は、ほとんど天皇暗殺に加担していたことがわかるであろう。
 明治を聖代であったとする人は多いがそれは権力にあざむかれて、歴史を解せざるものの言である。「明治の元勲」とは、天皇を殺しても自分たちの目的を達成しようとした悪逆非道の者たちであった。幕末とは、このような大逆を可能ならしめる動乱の時代であったのだ。
(前掲書p18)


伊藤博文の人柄について、歴史家である鹿島fさんも、次のように語っている。

 そりゃ孝明天皇を殺したことは彼らの世界ではひとつの手柄なんだろう。だけど、それを実績にして総理大臣に成り上がるっていう論理は間違ってると思うよ。伊藤のもの凄い上昇志向は幼児期に原体験がある。彼は最下級武士の中間に仕えた人間だよ。中間の伊藤家にお父さんと一緒に養子になって、それから初めて人間扱いされたわけだ。そういう屈折した人格を吉田松陰に認められて下忍として育てられた山県有朋はもっとひどい。奴だったんだからね。岩倉具視は孝明天皇の同性愛、衆道の相手だろ。忍者、殺し屋、男娼で根性最低、ヒガミだらけのやつらが組んでつくった政権が明治政府だよ。
(前掲書p40)


 伊藤博文は閔妃を子分たちに殺させて輪姦したあげく、ガソリンをぶっかけて焼いてしまった。ところが、これを外国人に見られて、大慌てで三浦梧樓たちを逮捕させるんだけど、すぐに朝鮮に圧力をかけて事件に無関係の朝鮮人を出させて、犯人だといって処刑してしまう。
 伊藤のやるものは無法そのもので、こんなのが日本の初代総理大臣だったなんて恥ずかしいよ。アメリカが先住民族のインディアンを大量虐殺した歴史を認めているように、日本もこういう歴史を認めなればダメだ。
(前掲書p42)


新渡戸稲造が現行5000円札にいるのは、前回のとおり納得できるのだが、旧札にプリントしてあった伊藤博文や岩倉具視らは、とんでもない悪人である。
よくもまあ、あんな人物を、日本の1000円札や500円札に採用したものだ。

武士道とはかけ離れた、本当に恥ずかしい歴史である。
当時のまっとうな武士たちの悔しさが、わかる気がする。
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2017年07月04日

「武士道」を読もう!

再び。

新渡戸稲造の「武士道」に関して要約し、ここにアップしようとしたが、やめた。
日本人なら、読んでいい本であるからだ。
でも、少しばかり書いておく。

私たち一般の日本人は、ほぼ「武士道」の精神を受け継いでいる。
日常生活や日本人特有の微笑みなど、「こういうことだったのか」ということがわかる。

日本人論なのか、日本文化論なのか詳しく知らないが、ルース・ベネディクトの「菊と刀」が有名らしい。
彼は、日本の文化を、恥の文化としているが、それは、見方が小さい。
日本人をよく観察しなかったと思われる。
だいたいにして、題名に、「菊」という言葉を使うこと自体、間違っている。
日本は、「桜」の国なのだ。

全部記すのは、非常に骨が折れるので、「武士道」を端的に表している文章を少し引く。

 嘘やごまかしは、ともに卑怯とみなされた。武士は、みずからの社会的地位の高さゆえ、商人や農民よりも高い水準の信を要求されると考えた。「武士の一言」 ― サムライの言葉、あるいはドイツ語でいう「リッターボルト(騎士の言葉)」と全く同じ意味 ― は、その言葉が真実であることの十分な保証であった。
 武士の言葉には重みがあり、その約束は一般に証文なしで結ばれ、かつ履行された。証文などを書くことは、武士の威厳にもとることだと考えられたからだろう。「二言」、つまり二枚舌を死によって償った人びとについて、多くの恐ろしい物語が伝わっている。
(「現代語訳 武士道」p78)


武士は、卑怯なことを嫌い、金銭のために、自分の志を曲げることもしない。
幼い頃からそれは教育され、みだりに刀を抜かない。
水戸黄門などという番組はただの娯楽であり、あんなに刀を抜くことはなかったのである。
以前、明治維新の長州勢力のやったことを書いたが、あれは、日本人として、恥ずべき行為である(「明治維新に騙されるな!」参照)。
「武士道」のかけらもない。

「こんな理不尽なことがあるのか。許せない!」と思う任侠的な心があれば、それは武士道の名残なのである。
そして、その精神は、同時代、つまり、サムライの時代の士農工商の末端まで及んでいたのである。

次にぜひ紹介したいのが、男と女のこと。
今の若い人たちは、自分の奥さんのことを褒めちぎっているかもしれないが、私の親の年代は、奥さんのことを蔑称で呼んだり、けなしたりした。
しかし、これは、武士道に起因することだったのである。
「自分を褒める」という行為を、普通の日本人はしない。
夫婦は一体である、という考えから、細君を褒めることもしないのである。
これを表している文章を、再び引く。

 私は、一知半解の外国人の間に皮相な見解が広まっていることに気づいている。― 日本人は自分の妻を「荊妻」などと呼んでいるから、妻は軽蔑され尊敬されていない、というのである。しかし、「愚父」「豚児」「拙者」などの言葉が日常使われているのを告げれば、それで答えは十分明らかなのではないだろうか。
 日本人の結婚観は、ある意味においてはいわゆるキリスト教徒のそれよりも進んでいると私には思われる。「男と女は一体となるべし」(『創世記』)。だが、アングロ・サクソンの個人主義は、夫と妻とは別々の人格であるという観念を脱することができない。したがって彼らが争う時は、それぞれの権利が認められるし、仲良くなればあらゆる種類の馬鹿馬鹿しい愛称や無意味な甘い言葉を交わす。
 夫や妻が第三者に自分の半身のことを ― 善い半身か悪い半身かは別として ― 美しいとか、聡明だとか、親切だとか何だとか言うのは、日本人の耳にはたいへん不合理に響く。自分自身のことを、「聡明な私」とか「私のすてきな性質」だとか言うのは、趣味のいいことだろうか。
 私たちは、自分の妻をほめるのは自分自身の一部をほめるのだと考える。そして日本人の間では、自賛は控えめに述べた場合でも悪趣味だとみなされている。― そしてキリスト教国民の間でもそうなってほしいと願っている!自分の妻をけなして呼ぶことは礼儀にかなっており、武士の間では通常よく行われた習慣だった。
(前掲書p163)

そして、本当は、日本人の夫婦は、仲良しなのだ(笑)。

 父親が息子を抱くと威厳を損なうとされ、夫は妻にキスをしない習慣だった。― 家の中ではしたかもしれないが、人前ではしなかった。ウィットのある青年が言った、「アメリカ人の夫は妻と他人の前でキスをし、私室では殴る。日本人の夫は妻を人前で殴り、私室ではキスをする」という言葉には、いくぶんかの真理があるだろう。
(前掲書p117)


新渡戸稲造の「BUSHIDO The soul of japan」は、明治32年にアメリカで出版され、日本では翌年出版された。これは世界的なベストセラーとなったようだ。
できれば、これくらいの本は、みんな読むべきだ。
私たちの心にあるものが、説明されている。

5000円札に新渡戸稲造が印刷されている理由が、ここにあるのかもしれない。
造幣局のデザイナーは、粋な計らいをしていると思う。
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2017年04月12日

野球好きの人が読む本

再び。

暇なので、「兵隊になった沢村栄治」という本を読んだ。
沢村栄治といえば、沢村賞の沢村である。
これは野球の話である。

私は、ある年齢になって、巨人の振る舞いが嫌いになった。
カネで強くなろうとするからだ。
子どもみたいだと思われるだろうが、性格だからしかたがない。
再三、ここでも書いているが、私学中心の高校野球にもげんなりしているから、野球自体にも興味がなくなった。

しかし、沢村栄治は別である。
彼は、日本プロ野球の創生期に、来日したアメリカの選手をきりきり舞いにした投手であり、戦死した人間だからである。

この本を読む前、沢村栄治のイメージとしては、せっかくそんな良い選手を戦争がつぶしたのだから、戦争がなかったら、もっとすごい選手だったのだろう、である。
もちろん、戦争がなかったら、もっと活躍しただろう。
しかし、最後は、もう使えなくなり、巨人を放り出され、最後に戦死した、というのが、本当である。
がっかりしたか、と言えば、そうではなく、生身の人間である沢村栄治が、そこにはいた。

沢村栄治は、3回も出征し、3度目で死んだ。
戦争は人を変える。

 前回の出征で、比島へ向かった沢村はミンダナオ島に上陸すると、現地にいた日本人小学生に持っていた菓子をすべて差し出すなど心やさしく接した。しかし、戦火が激しくなるとそうした心の余裕はなくなり、目も血走っていく。
 沢村はマニラの市街に突入すると、あるホテルの厨房で日本人が惨殺された光景を目の当たりにした。さらに、日本人女性への強姦事件が多発しているのを知ると、再び鬼と化した。犯人をみつけるやいなや、「金網をまるめた棒切れで叩きのめし」たのだと、青田に話したのだった。
(「兵隊になった沢村栄治」p229)


沢村栄治やその他の選手の話も感動するが、権力からの独立を目指した野球連盟理事たちの奮闘も感動する。
権力から独立して、プロ野球(職業野球)を興行しようとした努力は、読んでいて居心地がいい。
ましてや、相手は、戦時中の強大な権力である。

昔のプロ野球の功労者といえば、正力松太郎が有名である。
読売新聞初代社長である。
しかし、日本プロ野球創生期を描いたこの本では、たまにしか出てこない。
この当時から、巨人は傲慢だった。
その傲慢さと軍の無理な要求の狭間の中でプロ野球を守ったのは、鈴木龍二と赤嶺昌志らであり、読売巨人とは、全く別である。
野球好きならば、外せない本だと思う。



今、東芝が窮地に陥っている。
戦時中、選手たちを戦地へ送り込まない方法として、軍の工場で働かせる、という手段を、野球連盟は選び、東京の選手たちは、東京芝浦電気にお世話になった。
原発メーカーだった東芝の不買を私は書いたこともあり、そういう人間がこういうことを書くのもおかしな話だが、プロ野球、特に読売巨人は、その恩返しに、一肌脱いでもいいような気がする。

それにしても、私はバカだ。
「原発推進=東芝=読売新聞」なのを知っていて、こんなことを書くのだから。
「助けるのが当たり前だろ」と言えなくもない。
原発連合だもの。
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日本の裁判の大きな欠点

こんばんは。

鮭の刺し網裁判について」で、「裁判の秘密」という本を持ち出したが、これは、ずっと前、「漁師のつぶやき保存版」で紹介している。

http://milky.geocities.jp/umaimono_tabetai_hito/tubuyaki-kansoubun11.html

私がこれを書いたのが2003年だから、14年前のことである。
最初の「裁判の秘密」の出版は1997年で、それが「新版 裁判の秘密」となって再発行されのが2003年。
その文庫化されたものが、私の手元にある。
したがって、文庫本には、「あとがき」が3つ記してある。

単行本「新版 裁判の秘密」は、最初ものから6年目で出版されたが、その「あとがき」について、少し触れる。
6年の間、司法試験合格者を6倍に増やす、という改革が議論された。
これは、日本のどこの誰も要求していない。
要求したのはアメリカである。
アメリカとは、そういう国だ。
そこで日本の裁判環境が変わっても良さそうなのだが、「しかし本書の中で描かれた数々の旧弊の法曹慣行は現に行われており、一部を除いて変更や改善点はない」と書かれてある。
文庫化は2008年で今から9年前である。

一昨年、新潟の紀伊國屋書店で本を物色していたら、「絶望の裁判所」が目に留まった。
これは2014年発行の比較的新しい本である。
これを読んで唖然とした。
やめた裁判官自身が書いた本である。
「第5章 こころのゆがんだ人々」を読むだけでいい。
裁判官が、どういう性質の人間であるか、読むのが嫌になるくらい記してある。

「新版 裁判の秘密」は、自分自身、もしかして裁判に関わることがあるかもしれない、ということから、津波で流失したものを買い戻したものだ。
これにも「第13章 裁判官とはこんな人種だ」にも、同じようなことが書かれてある。
だから、およそ9年経っても、変わっていないことになる。

全くこのような分野の本を読んだことのない人が、この2冊のうち、どちらを読んだらいいのか、というと、「新版 裁判の秘密」のほうに軍配をあげる。
身近な裁判実務を、比較的やさしく説明しているからだ。
著者は、わかりやすい文章を書く副島先生であり、また、弁護士の実務にかかわっているのが、山口宏さんである。

2点、少し長文引用するが、法律や規則を作るとき(もちろん、身近なものも含めて)、どういう考えでやったらいいのか、ということを、これから汲み取ってほしいと思う。

 通常の、平均的な裁判官僚を考えてみると、この業界にはさしあたって学閥はない。しかし現実に裁判官になるのはやはり東大出が多いから、まず東大に入るのに勉強をする。少なくとも、暴走族をやりながらは入れないと思う。法学部に入るとすぐに司法試験の勉強を始める。つまり、法律学だけをやるわけだ。
 実際に、現役だ、卒一だ、卒二だというきわめて若い年齢で司法試験に受かるためには、本人たちはカッコつけて「僕はあんまり勉強しなかった」などと言っているが、それなりに猛勉強している。それで受かって、司法研修所に入ると、今度は裁判官になるために努力する。裁判官になるためには一生懸命、いい点数が取れる模擬判決などを書かなければならない。
 弁護士志望の者たちはこの研修期間の間タラタラ遊んでいるのだが、裁判官志望となると遊べない。これで、晴れて任官して裁判官の世界に入れば入ったでまたしぼられる。こういう事情を考えてみると、彼らにとって楽しい青春なんてものはありえない。
 結局、この人たちは、独自の判断というものができないのではないか。
 私は、社会のルールなるものをきちんと習得している人びとが独自の判断をもって正義判断するということが最も望ましいと思っている。ところが、この秀才たちは、日本社会を真に規律しているものが何なのか知らない、習わない。教える者がいない。いや法律があるではないかと言ったって、これまでに何度も説いたように、現に存在する法律などというものが、何かを判断するときの根拠になるわけがないのである。「人様から金を借りたら返しなさい」という判断はあるのだが、これはなにも、法律がそれを要求しているからそれが正しいのではない。それは世間のルールだからだ。
(「新版 裁判の秘密」p297)

 日本における真の法とは何か。日本の社会を真に規律している本物のルールとは何か。それは、塩月弥栄子女史の往年のベストセラー『冠婚葬祭入門』(光文社)であり、旧大名華族である前田家出身の酒井美意子女史の「図解・マナー全科」(家の光協会)なのである。私たち日本人は日頃、互いにどのようにご挨拶をし合っているか、どのような人間関係をとり結んでいるか。それらは、端的には日本の冠婚葬祭の礼儀のなかにこそ見られるものである。日本人のまごころをうつ、本当の法やキマリとは、まさしく、私たちの日々の礼儀作法と行動様式のなかにあるのであって、あの「六法全書」の法律のなかにあるのではない。
 現行の日本国憲法を無闇にありがたる、勘ちがい人間たちが今でも国民の圧倒的多数だが、あれは、占領軍であったマッカーサーGHQ(本当はSCAF)司令部のなかのアメリカ人の法務将校たちが九日間の突貫作業で作文して、日本国民に与えた英文であり、その翻訳文である。だから、何十回読んでもじつのところ少しも私たちの琴線には触れないし実感に迫らない。
 現在の民法典も商法典も刑法典も、十九世紀のドイツ法典を富井政章と梅謙二郎がほとんど正確に一条ずつ翻訳しただけの代物である。当時、無理やりにでも一気に近代国家の仲間入りをせねば格好がつかないと思った国家指導者たちが明治二十年代に行ったやっつけ仕事である。
 だから、日本社会の地面から生え出たような、私たちの体をさし貫く本当の規範を、私たち日本国民は自分たちの手でさぐりあててゆく作業を、今からでも始めなければならないだろう。日本の法律家(法曹)はこの輸入品の法体系を取り扱うことを自明の職業にする人びとである。この舶来輸入品そのままの洋服(六法全書)を着せられてその服を取り扱うことを自分の一生の仕事にしているものだから、どうしても、その服(六法全書)が体に合わずしっくりこなくて気分が悪いのだ、ということに各種法律を生業にしている人びと全員に早く気づいていただきたい。そこには、内閣法制局の法律条文作成官僚たちや大学法学部の法学者たちも含まれる。
 山口氏の説く、日本の世間なるものから自然に流れ出てくる日本国の真の法を私たちは見つけてゆく作業をこれから敢然と行ってゆくべきだ。だからここで、日本の真の法のその最高法規は、じつは日本の冠婚葬祭の儀礼のなかにこそあると鋭く発見し提起した山口宏弁護士こそは、もしかしたら現在、日本最高の法学者・法思想家なのではないか、と私は長く考えてきた。今のこの考えに変わりはない。
(前掲書p334)


私たちの善悪の判断、やって良いこと、やって悪いことの判断は、法律群から学んだことではなく、オギャーと生まれたときから、親にしつけされ、その後、友だちと遊んだり学校へ入ったりして、社会生活を経験し、学ぶものである。
「誰かが一生懸命やっていることを、横取りしてはならない。ただし、その誰かの許可を得るならば、その限りでない」という価値判断は、私は正しいと思う。
漁船漁業の漁師は、回遊魚を「流れモノ」というが、調査中に「流れモノ」の魚群を発見した人は、どこでも尊重される。
その模様を感じ取って後から来た漁師が、最初に発見した人の前で乱暴な振る舞いをすれば、それは非難される。
これは暗黙の了解事項となっている。
水産六法に、こんな規定はあるわけではない。
以上のことから「鮭の刺し網裁判について」で、私は、バッサリと断定的に書いた。
最後に、なぜ、鮭放流河川の流域住民への余計な配慮が出てきたかというと、引用文の「世間なるもの」を考えた場合の価値判断が働いたからである。

さて、あることをやって、訴えられたらどうしようか、と考えることがあるが、もう開き直って、素直に訴えられる覚悟である。
やるかやらないかは別にして。
「こうことがあって、こうだ。これはおかしいと思わないか」と10人に聞いて、10人が「おかしい」という類のものである。
しかし、日本の裁判は、簡単に、それが正しい、とは言わない。
「新版 裁判の秘密」を読んで、それがわかった。

疲れる話である。
posted by T.Sasaki at 19:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月24日

明治維新に騙されるな!

みなさん、こんにちは。

小雨にもかかわらず、八戸館鼻岸壁朝市は大盛況。
しかし、八戸前沖のするめいかは、相変わらずの大不漁。
先週は、100個獲ったのが2回で、あとはダメでした。
金曜日には、主力の40入れの小さいいかが安くなり、がっがりしましたが、昨日は少し戻しました。

そんな中、魚類資源の敵、まき網船団が八戸にやってきています。
おそらくは、今夜から操業。
明日からの昼いかは、ますます不安です。
まき網漁業は、どの魚種を獲ってもいいんだから、「大不漁なのに、今年もまき網はするめいかを獲るのか?」でも書いたように、資源の少ないするめいかを自粛したほうがいい

いか釣りの歌といえば、「下北漁港」ですよね。
下北半島には、たくさんのいか釣り船がいて、数ならば、現在日本一かもしれません。
日本一というからには、他の地域のいか釣り船も減ったことも、その要因の一つになります。
昔々、私が小さい頃、岩手にも何百隻ものいか釣り船があったと聞きます。

NHK大河ドラマで放送された「八重の桜」の主役であった会津の人々は、その下北半島へと流されました。
斗南藩を作らされ、そこで生き延びました。
私は、原田伊織さんの書いた「明治維新のという過ち」を読み、長州藩出身のならず者たちに対する反感を、再認識しました(「中央政府 vs. 東北辺境」も参照)。
下北の船を見かけると、きっと会津出身の血も混じっているのだろうなあ、と思ってしまいます。

それでは、この本でメッタ斬りにされている人物を紹介します。
まずは、坂本龍馬。
彼は、お隣中国をアヘンだらけにした勢力の手先。
ぜんぜんヒーローではない。
彼を信奉する武田鉄矢さんは、少し考えたほうがいい。
また、元大阪府知事の橋下徹氏は、船中八策を口にしていましたが、そんなものは幻かも?
引用します。

 『船中八策』になると、これはもう、いつ、どこで発案したものか、全く分からない。そもそも伝わるような形の原案がそのまま存在したのかどうかさえ疑わしい。
(「明治維新という過ち」p14)


そして、よく持ち上げられるのが、吉田松陰。
しかし、彼は、単なる過激なならず者。
再び引用。

 「勤皇志士」などという。
 勿論、長州テロリストの“自称”であり、学校教育などを通じて今日までにそれが定着したに過ぎない。史実というものを尊重するならば、勤皇志士=長州テロリストと直訳していただくと間違いはない。
(中略。凄惨な記述の連続)
 仲間内でハクをつけるための無差別殺人というのは、まるでヤクザの世界の話のようであるが、長州テロリストが行った多くの暗殺は、その残虐さにおいて後世のヤクザの比ではない。ハクをつけるためという許し難い暗殺には、実は伊藤博文も手を染めているという説すら存在する。
 彼らは、これらの行為を『天誅』と称した。天の裁きだというのである。これは、もともと「水戸学」の思想に由来する。そして、自分たちが天に代わってそれを行うのだという。もはや狂気と断じるしかない。刃物をもった何とやらほど危険な存在はない。桂小五郎も吉田松陰も高杉晋作も、土佐藩の武市半平太、熊本藩の宮部てい蔵(←辞書に漢字がない)も、水戸藩の金子勇次郎も、皆こういうテロ集団の主導メンバーである。中でも吉田松陰は、その煽動者であり、その義弟となる久坂玄瑞は、超過激テロリストとしか表現の仕様がない存在であった。
(前掲書p76)


この文章の中に、水戸学が出てきますが、これには水戸黄門こと水戸光圀が関わっていて、本の中では、水戸光圀もメッタ斬り。
「諸悪の根源」という表現すら使われています。
そして、過激テロリスト、吉田松陰の考えが、日本を第二次世界大戦へと導いたのではないか、とさえ、筆者は書いています。

 例えば、松蔭の外交思想というものは余り語られないが、実に稚拙なものであった。北海道を開拓し、カムチャッカからオホーツク一帯を占拠し、琉球を日本領とし、朝鮮を属国とし、満州、台湾、フィリピンを領有するべきだというのである。これを実行するのが、彼のいう「大和魂」なのである。一体、松蔭はどういう国学を、どういう兵学を勉強したのか。恐ろしいことは、長州・薩摩の世になったその後の日本が、長州閥の支配する帝国陸軍を中核勢力として、松蔭の主張をした通り朝鮮半島から満州を侵略し、カムチャッカから南方に至る広大なエリアに軍事進出して国家を滅ぼしたという、紛れもない事実を私たち日本人が体験したことである。
(前掲書p124)

長州テロリストたちは、天皇にも刃を向け、「イスラム国」に引けをとらない文化財の破壊もやりました。

 「禁門」とは「禁裏の御門」の略称であり、これは御所の一部である。このあたりでの戦闘がもっとも激しかったので、長州過激派のこの侵攻を『禁門の変』とも呼ぶが、この戦闘中に長州勢は御所内部に攻め入り、御所に発泡、砲撃も行った。我が国の歴史上、御所が本格的に攻撃された唯一の事例である。
(前掲書p111)


 誰もが学校の歴史の時間に習ったはずの、この「廃仏毀釈」とは、俗にいう「明治維新」の動乱の中で、明治元年に長州・薩摩を中心とする新政権の打ち出した思想政策によって惹き起こされた仏教施設への無差別な、また無分別な攻撃、破壊活動のことを指す。これによって、日本全国で奈良朝依頼の夥しい数の貴重な仏像、仏具、寺院が破壊され、僧侶は激しい弾圧を受け、還俗を強制されたりした。ひと言でいえば、長州・薩摩という新権力による千年以上の永きにわたって創り上げられた固有の伝統文化の破壊活動である。現代のイスラム原理主義勢力・タリバーンや「イスラム国」を思えば分かり易いであろう。
(前掲書p20)


最悪は、世良修蔵という人間で、奥羽各藩が長州・薩摩軍という仮の政府軍に協力し、会津に攻めようか、和平しようか、躊躇している時、世良修蔵という長州のならず者が、仙台藩で暴れまわった。
それにキレた仙台藩士が世良を斬り、この時に、奥羽越列藩同盟が成立し、戊辰東北戦争が起きてしまった。
新潟から東北にかけて、政府軍と戦う破目になってしまったのです。

 「奥羽三関」という。勿来の関、念珠ヶ関、そして、白河の関のことであることは、中学の歴史の時間に教わった通りである。これらが設けられたのは、乱暴ないい方をするが、平安時代のことである。当時、東北の人々が蝦夷と呼ばれて、南方人から蔑視、敵視されていたことも周知の通りである。即ち、奥羽三関は、北に住む蝦夷の南下を食い止めるために設けられたものである。しかし、奥羽三関がその目的に照らして役割を果たしたことは、歴史上一度もなかった。正しくは、蝦夷と呼ばれた人びとが南へ攻め込んできたことはただの一度もなかったのである。奥羽三関が存在したから南下しなかったのではないことは、いうまでもない。
 歴史上の事実は、真逆である。攻め込むのは、常に南方人であった。世界遺産に登録された平泉を攻め、藤原氏の華麗な文化を滅亡させたのは源頼朝であった。豊臣秀吉は、小田原攻めの後、『奥州仕置き』と称して軍事力を以って奥州を己の勢力下に置き、これによって天下を掌中に収めるという野望ともいえる事業を完成させた。もっとも新しい南方人による東北侵略が、戊辰東北戦争である。
(前掲書p200)


今回の参議院選挙では、長州出身で日本の親分、安倍総理の自民党に、東北が反乱を起こしました。
たった一人しか自民党が議席をとらなかった。
きっとこの本をみんなが読んだのでしょう(笑)。
そんなわけで、福島原発をはじめ、東北地区は、今でも長州にいじめられている(と筆者は過激に書いているんですよ。この辺は、行き過ぎかもね)。

それにしても、長州のならず者のやることときたら、凄い!
同じ日本人とはいえない内容。
ちょっと長いですが、これを引いて終わりにします。

 明治元年(1868年)9月22日、鶴ヶ城開城。城下には戦死体が放置されていたが、西軍はこの埋葬を禁止した。これによって、死体が鳥獣に食い荒らされあり、風雨によって悲惨な状態となった。みかねたある庄屋がこれを埋葬したが、彼は明治政府民政局に捕縛され、投獄されている。この時、次は首を刎ねると脅されて釈放されたが、会津・飯森山にはこの庄屋の行為を顕彰する碑が残されている。多くの請願書が寄せられ、民政局が死体埋葬の許可を出したのは何と半年後のことであった。強く指摘しておくが、死体の埋葬を禁止したのは「民政局」である。
 また、終戦直後、西軍の兵は戦死した藩士の衣服を剥ぎ取り、男根を切り取ってそれを死体の口に咥えさせて興じたという。更には、少年たちの睾丸を抜くということもやった。何という暴虐か。これを行った西軍兵は、確実に武士階級ではなかったはずだ。心までもが下賤な人非人、外道というべきであろう。しかし、彼らは日本の近代を切り開いたとされている「官軍」の兵なのだ。
 死体の処理がまたむごい。大きな穴を掘って、筵や風呂桶に死体をぎゅうぎゅう詰めにし、まるでごみのように穴に投げ入れたという。これを、徴用した「賤民」(約七百名強)にやらせた。そして、この穴を「罪人塚」と呼び、あくまで埋葬とは区別したのである。更にむごいことに、この処理に敗れた会津藩士約二十名を立ち会わせたのである。
 「会津に処女なし」という言葉がある。会津の女性は、ことごとく長州奇兵隊を中心とした西軍のならず者に強姦されたということをいっている。
 前出の、会津戦争史を多面的に検証されている会津歴史研究会の井上昌威氏が『会津人群像二十六号』に「会津にある小梅塚」と題する一文を寄せておられる。氏は、膨大な文献を調査するだけでなく、会津各地に伝わる伝承、遺跡なども地道に調査し、会津戦争の実態を立体的に整理されている点で、その成果は高く評価されるべきものである。
 会津領内の女性が如何に残酷な被害を受けたかについては、この井上氏の検証結果を参考にさせていただく
 山縣有朋が連れ込んできた奇兵隊や人足たちのならず者集団は、山縣が新発田へ去っていたこともあって全く統制がとれておらず、余計にやりたい放題を繰り返す無秩序集団となっていた。女と金品を求めて村々を荒らし回ったのである。彼らは、徒党を組んで「山狩り」と称して村人や藩士の家族が避難している山々を巡り、強盗、婦女暴行を繰り返した。集団で女性を強姦、つまり輪姦して、時にはなぶり殺す。家族のみている前で娘を輪姦するということも平然と行い、家族が抵抗すると撃ち殺す。中には、八歳、十歳の女の子が陵辱されたという例が存在するという。高齢の女性も犠牲となり、事が済むと裸にして池に投げ捨てられたこともあった。要するに、奇兵隊の連中にとっては女性なら誰でも、何歳でもよかったのである。
 坂下、新鶴、高田、塩川周辺では、戦後、犯された約百人に及ぶ娘・子供のほとんどが妊娠していた。医者は可能な限り堕胎をしたが、それよって死亡した娘もいたという。月が満ちて生まれてきた赤子は、奇兵隊の誰の子かも分からない。村人たちは赤子を寺の脇に穴を掘って埋め、小さな塚を作って小石を載せて目印にしたのである。村人は、これを「小梅塚」とか「子塚」と呼んだ。乳が張ってきた娘や子供は、自分の「小梅塚」に乳を絞り与えて涙を流していたという。井上氏は、実際にこの被害に遭った八歳の女児の末裔の方にお会いして直接話を聞くなど、各地を回って伝承や記録を精査されて、奇兵隊の蛮行の一部を明らかにされたのである。
(前掲書p263)
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2015年10月28日

「地方消滅」

再び、こんにちは。
 
「地方消滅」という本に言及したついでに、読んでいない人のために。

その前に、この本の中で対談メンバーの一人、小泉進次郎さんは、消滅可能性都市のことを次のように言っています。

 今度のリストを初めて目にしたとき、これは「事実から目を逸らすな」というメッセージなのだ、と僕は受け取りました。自治体の首長はもちろん、政治や行政に関わる人間にとって、「こういった現実を履修しなかったら、わが町のことは語れませんよ」という、「必修科目」のようなもの。
(「地方消滅」p174)


私は意地悪な人間なので、日本じゅうとはいいませんが、岩手県や宮古市の特別職の方々に、「この本を読みましたか?」というアンケートをとりたい(笑)。
そういう私は、今回、「地球の破綻」と「地方消滅」を一回勝負に読みました(バラバラのジャンルを読むと、すぐに忘れるから。でも、きっと来月には忘れます。笑)。
この初版は、2014年8月25日で、およそ1年前に一般の人たちが読めるようになりました。
それからさかのぼって、その年の5月には、日本創成会議から、「消滅可能性都市」として発表されています。

「地方消滅」のメカニズムは、「地球の破綻」と違って、簡単に説明できます。

人口移動は、地方から都会へ、特に、東京へと向かいます。
ここで重要なのは、若い男女の移動。
もうこれだけで“地方消滅”です。
一方、日本全国の出生率では、東京はダントツの最低。
つまり、東京の人口増加は、地方の若夫婦が、非常に仲良くして、子どもと作ったから(笑)。
「地方消滅」では、これを人口のブラックホール現象と呼び、東京をブラックホールだとしています。
地方の若夫婦がせっせと作った子どもたちは、東京へ行き、いろいろな原因(著書ではちゃんと書いてあります)で、子どもを作れない。
東京の低出生率に、せっかくの若夫婦が、現実を見るのです。
しかし、それだけでは終わりません。
今後、東京ほど、超高齢化に見舞われます。

 特に、東京圏は2040年までに現在の横浜市の人口に匹敵する「388万人の高齢者」が増え、高齢化率35%の超高齢社会となる。生産年齢人口は6割まで減少するうえ、人口10万人当たりの医師数や人口当たりの介護施設定員数も低いため、医療、介護における人材不足は「深刻」を通り越し、「絶望的」な状況になる。その結果、辛うじて地方を支えていた医療・介護分野の人材が地方から東京圏へ大量に流出する可能性が高いのである。
(前掲書p27)


つまり、地方は消滅し、いずれ低出生率の東京も人口が減り、さらに、高齢者のケアもままならない世の中になる、ということ。
対談で、増田寛也さんは、東京の現実を次のように語っています。

 東京のことも述べておきたいと思います。人口流入が続いているのだからとりあえずノープロブレムだろう、というのはとんでもない思い違いです。たとえば、「介護待機老人」が現状で4万3000人います。2040年には後期高齢者が倍になり、逆に若年層は4割減る。どんな世界になっているのか、見当もつきません。東京オリンピックが開かれる2020年まではしゃにむにに突っ走れたとしても、その先、世界に伍していくための成長エンジンとして機能できるのかといえば、このままではかなり危ういでしょう。
(前掲書p173)


このまま行政的に無策であると、「地球の破綻」より、先に「日本の破綻」が来るのです。

以上が、「地方消滅」の概要です。

さまざまな地方の取り組みも紹介されていますが、須田善明女川町長の次の発言は、特に読んでもらいたい。

 説明会では、復興の絵を示しつつ必ず三つのことをお話ししました。第一に「復興財源の多くは国費だが、1000億かかれば一人800円、2000億かかれば1600円、全国民からの負担で成り立つ復興であり、それを踏まえれば、復興のための国費だからこの際何をやってもいい、という考えはありえない」と。次に「安全な宅地を作れば復興、ではない。それを通じて将来世代が引き継げる街を創れるかが問われている。“今”だけを捉えるのではなく将来像を見据え今を乗り越えることが重要」、そして最後に「復興は当事者である我々一人ひとりが皆で取り組むものであり、自ら立ち上がる姿勢がなければ支援の手さえ離れる」という認識の共有を求めたのです。
(前掲書p164)


立派ですよね。
住民自らに、地方の将来を考えさせながら、復興を進める。
こういう町長が、自治体の長であるべきです。
この対談の中で、小泉進次郎さんは、私が大嫌いな利益誘導型選挙について、次のように語っています。

 たとえば行政コストの削減のため、集落にある公共施設を畳む必要がある、といった議論になったとします。選挙になれば、たとえ中長期的には無責任であっても、「反対」と唱える人が通りやすいという現実が、今はあります。でも危機感をみんなが共有したら、「こんな未来が予測されているのに、なんと無責任な」という形で、政治家の淘汰が進んでいくのではないか、と僕は思うのです。そうなれば、地方自治も国政も、真の自覚と責任と、将来に対する明確なビジョンを持った人間たちで担われることになるでしょう。
(前掲書p175)


やっぱり、これも、政治家なら、絶対読むべき本ですね。

ところで、選挙制度について、「地球の破綻」でも、次のようにやってみたらどうか、ということを書いています。

 筆者がいつも提案しているのは、選挙という社会システムに未来を仕込むことである。いかなるも二票性とする。比例区と選挙区という区別ではない。現在票と未来票に分けた二票性である。現在票は、今のあなたが良いと思う候補者に入れる。そして、もう一票の未来票は、20年後の社会にとって良さそうな候補者に入れる。これで何が起きるのか、と言えば、すべての選挙の候補者は、20年後の未来について語らなければならなくなる。これは様々な意味で、非常に大きな変化を起こすことになることだろう
(「地球の破綻」p333)


でも、問題は、投票するみんな。
私は、政党信者たちの票に、何らかのハンデを与えるか、無党派層の票を1.5倍にする、とかしたほうがいいと思う。
そうすれば、あきらめ感のある無党派層も、投票する気が起きるかもしれない。
しかし、問題点があり、政党信者たちが、無党派層に成りすます可能性が非常に大きい。
何といっても、信者ですから(笑)。

ごめんなさい。
脱線しました。

「地方消滅」では、その他、いろいろな対策などを提言していますし、また、がんばっている自治体もあるし、日本人は、真面目に解決法を考える民族ですから、大丈夫。
あとは、今の若い人たちに未来を託すしかありません。

???

そうなのです。
今の若い人たちが、今までの日本人のような性質を維持することこそが大事!
普通に「がんばりなさいよ」と言っても、「がんばれるかなあ?」とか「いっぱいいっぱいです」と。
でも、まだ返事をする人はいいほう。
無言で仕事を放りなげていく人もいる。
私は、心の中で、「この親は、どういう育て方をしてきたのだろう」と常に思います。

仕事中、手が空いているにもかかわらず、他の人の作業を手伝わない若者に、よく次のようにいいます。

「君は、困っている人を助ける、という気持ちがないんじゃないか?」
「見なさい。彼が仕事をしているのだから、手元だけでも手伝いなさい!」

と。
こんなことまで、私が言わなければならないの?
今年は、見てられなかったので、他の船の乗組員にも少し説教してしまいした。
最近は、船頭に相談してからにしています。

「言ってあげっか?」

すでに、口うるさい船頭として、私のことが通っているかも!

この通り、若者たちの最低限のやる気と子どもをもった親の最低限の教育がないと、いくら対策を施そうと、地方は消滅し、日本は破綻します。
だから、大元の人材育成をしっかりやるべきです。
それも基本中の基本を。
(それでも、最終的には、資源問題に関わるイノベーションが起こらないと、人口が減ることが望ましいことになるんですよ。)



最後におまけ。
編集者の増田寛也さんは、素朴にも次の疑問を書いています

たとえば、なぜ企業の本社が地価も物価も人件費も高い東京に集まるのか、その理由すらはっきりとわかっていない。都市の集積効果を理由に挙げる人もいるが、ニューヨークのマンハッタンには、金融を除き大企業の本社はなく、それらはいずれも地方都市に存在する。まず正確なデータや事実を積み上げ、検討していきたい。
(前掲書p203)


私は、天下りや接待に関係するのではないか、と思います。
天下りは、社会の元凶ですが、接待はどうなのかなあ。
もし、大企業が地方に本社を構えたら、接待も地方でやったほうがいい。
増田さんの検討結果を楽しみにします。



小泉進次郎さんが、良い奥さんに恵まれればいいですよね。
かっこいいし、頭もいいし、ちゃんとした考えを持っている。
きっと小泉家は、いい血筋なんですね。
3人くらいジュニアが生まれて、少子化を阻止!
3人で足りないなら、何人でも(笑)。
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2014年04月03日

「中央政府 vs. 東北辺境」 3

みなさん、こんばんは。

今朝は、チリ地震の小津波で、一応、船を沖へ避難させました。
あまりに暇なので、無線機でグズグズ。
そして、もっとあまりに暇なので、イサダの網を洗いました。
今日は、一人だったので、いつもの3倍ぐらいかけてやり、その間、他の船は、無線機で私の悪口を言っていました(笑)。
網洗いを終わり、「そろそろ、1番船をやりませんか」とけしかけ、私は3番船。
不謹慎にも、津波注意報が解除される前に帰り、8時には帰宅し、オカ仕事。
注意報解除まで沖にいた船は、たぶん、警察の船や海上保安庁の船だけでしょう。
彼らまで帰ったら、怒られるんでしょうね。
かわいそう。

「みんなの党」の渡辺喜美代表は、見苦しいですね。
東京都知事であった猪瀬直樹氏も非常に見苦しかったのですが、こっちがもっと見苦しい。
権力の座につけば、やっぱり、支配したがり、辞めたくない。
「支配したい」という欲望もほどほどにしてほしいものです。

さて、時代は、源頼朝の鎌倉。
奥州藤原氏3代目藤原秀衡は、平泉に源義経を二度目に迎えた際、鎌倉との対立を覚悟しました。
そして、鎌倉幕府の正史『吾妻鏡』には、源義経を大将軍とするよう遺言したことが記されているといいます。
その後、秀衡は病死し、息子である泰衡は義経を自害に追い込んでしまい、秀衡の夢はかなわなかった。
泰衡は秀衡を裏切ったことになりましたが、人を裏切る者は、所詮裏切られる運命にある。
身内に裏切られ、その首は頼朝に差し出されたのです。
“蝦夷たち”の目論見を憎く思った頼朝は、頼朝の先祖、源頼義が勝利した前九年の役を再現しようとしました。
泰衡の首を木に吊るし、何と、首を受け渡す役までも、前九年で討ち取った安倍貞任の死刑執行にあたった者の子孫を採用する、という懲り方。
こんなことまでして、楽しいのかしら。

中央政府の人間というものは、辺境の人間たちには非常に冷たい。
それだけではなく、略奪までやりますから手に負えません。

大阪で太閤と呼ばれている豊臣秀吉は、藤原氏の平泉中尊寺から、4000以上もの経巻を持ち出しました。
その後、秀吉は、岩手の原住民を苦しめます。
秀吉は奥州仕置軍を編成し、和賀氏、稗貫氏らの一揆を鎮圧します。
一揆というのは、不満から起きるのであって、その不満は、もちろん中央政府の「支配したがる」圧政に対するもの。

これ以前から、岩手県北では、南部氏と九戸氏が対立していました。
南部信直は、秀吉にうまく取り入り、大名と認知されましたが、出世争いで遅れをとった九戸政実は、南部氏の家臣となってしまいます。
九戸政実は反旗を翻し、一揆勢力と協力し合い、南部信直と戦います。
南部信直は、秀吉に助けを請い、奥州仕置軍を立て直し、これを制圧しました。
住民側についた九戸政実は、結局、ひどい目に遭います。



 九戸政実は九戸城に籠もったが、翌日には総勢6万の軍勢が城を取り囲んだ。籠城は長く続かず、ついに9月4日に降伏した。戦後処理を終えると、城内の者たちの助命という約束は反故にされ、無残にも撫で斬りにされたという。政実ら首謀者たちは、栗原郡三迫(宮城県栗原市)で処刑された。
(「あなたの知らない岩手の歴史」p97)



戦争というものはこういうものなのでしょう。
しかし、戦後処理を誤ると、大阪では太閤の秀吉も、岩手を蹴散らした人間と評価されてしまうのです。

ところで、奥州藤原氏の繁栄させた平泉が、なぜ、世界遺産になったのか、私には理解しかねます。
それほどの価値があるかどうか。
「平泉の文化遺産」のしおりを読んでも、イマイチ、わかりにくい。
私の目から見れば、ここに書いているように、中央政府に対し、不満を持ち、反骨精神から戦うことに価値を見出します。
このような歴史上のできごとは、日本中世界中どこにでもあるものです。

時代は進み、「中央政府 vs. 東北辺境」に戻ります。

岩手の総理大臣の中には、反骨精神を結実させた人がいました。
言わずと知れた原敬第19代内閣総理大臣です。
彼は、南部藩重臣の子として生まれましたが、分家独立したことで身分は士族から平民になっていました。
だから、平民宰相と言われているのです。
彼は、すごいですね。
それをあらわす文章を引きます。



 原は「一山」(いちざん)という号を好んで使っている。これは東北諸藩の出身者を“白河以北一山百文”(福島県白河以北の東北人は束になっても百文の値打ちしかない)と揶揄する薩長藩閥の人びとを皮肉った号であった。また彼は叙爵の打診を断り続け、貴族院議員になることを拒んだことでも知られている。それは国民から選ばれた衆議院議員という身分へのこだわりであると同時に“南部藩を賊軍と決めつけた薩長の元老が定めた爵位など欲しくない”という意思表示でもあった。
(前掲書p165)



東北人全部で百文、とは恐れ入りました。
この引用文の「一山」に関する記述は、先日会津のことで引いた「偽りの明治維新」にも見られますが、そこでは、会津出身の総理大臣がいないことを嘆いています。
調べてみると、福島県からは、まだ総理大臣が出ていないんですね。
せっかくですから、強制的に福島県から総理大臣を出してみてはどうでしょうか。
そうでなければ、福島を真剣に復興させることができないと思います。

私は、福島原発の再稼動に反対した、佐藤栄佐久福島県前知事を推薦します。
ついでに、「福島へ遷都すべし」。

ではでは〜。
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2014年03月31日

「中央政府 vs. 東北辺境」 2

みなさん、こんばんは。

明日もイサダ漁は「浜止め」だそうです。
岩手県沿岸漁船漁業組合イサダ部会の会長は、私を大嫌いらしい。
何しろ、イカ釣り部会でやりあった仲ですから、その恨みがあるようです。
秋浜の休漁日設定で対立し、私は徹底的に論破しました。
彼の声は大きいのですが、あの時は、だんだんと小さくなりましたっけ。

そんなこともあり、「浜止め」に対する異論を述べても、態度を硬化するばっかり。
あれじゃ、誰の利益にもなりません。
でも、意外にも、彼が会長に選ばれた時、みんなが拍手したんですよ。
私は唖然とし、拍手なんてもってのほか、そっぽを向いていました。
なぜ、あんな人が、会長になるのか不思議です。
支配欲が強いのかしら。

ということで、昨日に続き、支配したがる中央政府と岩手の原住民たちの戦いを紹介します。

大和朝廷は、7世紀半ばには、仙台あたりまで支配して陸奥国とし多賀城を造り、もう一歩で岩手にまで手を広げるところでした。
「蝦夷」と侮蔑されていた岩手の原住民たちは、これに立ち向かい、その代表者は、太墓公阿弖流為(たものきみアテルイ)。
延暦8年(789年)、攻めてきた朝廷軍を敗走させましたが、延暦21年、坂上田村麻呂の軍に破れ、京で処刑されました。
処刑されたことを考えると、アテルイ以下、東北の原住民は、中央政府にとって、悪い存在だった。
それが伝説になっていることをちょっと引きます。



 平泉町の西光寺境内に達谷窟がある。文治5年(1189年)、奥州藤原氏を倒した源頼朝が立ち寄ったことが『吾妻鏡』に記録され、それには「賊主悪路王并赤頭等搆塞之岩屋也」とある。この砦に拠って悪事の限りを尽くした悪路王らが、毘沙門天の加護を得た坂上田村麻呂に滅ぼされ、田村麻呂は巌窟に京都の清水寺の舞台を模した毘沙門堂を造営した、という伝説が鎌倉幕府成立の頃にはすでにできあがっていたのだ。
 侵略者である田村麻呂が北方の守護神毘沙門天の化身とされてゆくのに対し、故国を守るアテルイは「悪」の化身となって伝説化していた。歴史は勝者が書く。
(「あなたの知らない岩手県の歴史」p27)



時は流れて、平安時代。
この時代の朝廷は、蝦夷の現地有力者に、その地を支配させる、という植民地的なやり方をしました。
そこで力を蓄えたのが、安倍氏。
安倍頼時が、朝廷に対し、税金を納めなくなった。
現在のような徴収した税金で地方への施策などあるはずもなく、ただただ支配した時代。
誰もが面白くないから、払いたくないのです。
そこで怒ったのが朝廷。
これから前九年の役が始まります。
その頃、宮城県域で力のあった藤原経清と平永衡は、安倍頼時の娘を奥さんにし、朝廷側と戦うことになります。
ある時、安倍頼時の子である貞任が、源頼義に要らぬ嫌疑をかけられ、逮捕状が出されましたが、頼時は息子を差し出すことを拒み、戦う決意をしました。
結局、強力な中央政府軍に勝てるわけもなく、抵抗してきた安倍氏一族は滅びます。
そして、源頼義は、安倍氏側についた藤原経清を処刑する際、苦痛を増すやり方をしました。



この前九年合戦が源頼義側の勝利で終わろうとするとき、生け捕られた経清は、「将軍(頼義)深く之を悪む。故に鈍刀を以て漸くに其の首を斬る。是れ経清の痛苦を久しからしめんと欲してなり」(『陸奥話記』)という酷い殺され方をした。その首は都でも晒されている。
(前掲書p33)



このようにして殺された藤原経清と安倍頼時の娘との間に生まれたのが、後に活躍する奥州藤原氏の初代、藤原清衡です。

中央の人間というのは、辺境の人間など、何とも思っていなかった。
「蝦夷は、黙って支配されていればよいのだ」と。
昔は。

でも、今もそうかもしれませんね。
嫌な奴らだ。

ではでは〜。
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2014年03月30日

「中央政府 vs. 東北辺境」

みなさん、こんばんは。

明日も時化休みなので、今夜は、あんこう鍋を作って食べました。
これは、「うつくしま良品本舗−福島復興支援通販モール」から取り寄せたものです。
フレッツ光メンバーズクラブ」のポイント交換ですけれど。

http://www.fukushima-ichiba.com/info.php?id=I0000546&type=item(「福島復興支援通販モール」)

その福島県の会津は、NHK大河ドラマで放映された「八重の桜」で描かれたと思いますが(私は見てない)、薩長に異常なほど苦しめられました。
「偽りの明治維新」という本には、会津戊辰戦争を原爆にたとえています。



 会津の郷土史家宮崎十三八は『会津人の書く戊辰戦争』で、官軍を厳しく弾劾した。
「一般住民を無差別で殺した会津の戦争は、大小の違いはあるが、ピカドンの原爆によく似ている。戊辰戦争は討幕の身代わりとして会津憎しと、殺戮の好奇心のための行為だった」とのべ、老人と少年の悲劇を例にあげた。
 先陣で北追手門を突破した土佐兵の前に、70歳ばかりの会津の老人が、槍をふるって躍り出て鋭く立ちはだかった。数人でかかっても老人一人を倒すことができないので、鉄砲でやっと撃ち殺した。
 すると、十四、五歳の少年が「爺さんの仇」といって槍をもって手向かってきた。
「そいつを生け捕れ、生け捕れ」
と号令したが、勢いが強くて突き回り、味方が危険なので、これも槍の届かない距離から銃で射殺した。
 その夜、ある町屋に泊まり、酒を求めて大いに飲んでいる最中、兵の一人が先に殺した少年の首をもってきた。大皿に載せ、一座のまんなかに、「お肴持参」といって、これをおき、大声で歌いだした。
 
  愉快きわまるこの夜の酒宴
  なかにますらおの美少年

やんややんや、みな、はやしたて大いに飲み明かした。宮崎は怒りをこめてこの残虐行為を書いた。
(「偽りの明治維新」p261)



その後、明治維新政府が樹立され、いろいろな濡れ衣を着せられた会津人たちは、青森県下北に追われ、斗南藩を生活の場とすることになります。

会津戊辰戦争では、奥羽越列藩同盟も成立しており、つまり、新潟以北の藩は、新政府と対立し、戦いました。
東北の地というのは、実は、大和朝廷時代から、ずっと、「蝦夷」と蔑視されており、それに対し、原住民である私たちの先祖が抵抗してきた、というのが、東北の歴史なのです。
中央政府から見れば、常に、「支配する」という感覚を持っていた。

さらに深く掘り下げれば、日本の先住民族は、中国大陸からやってきた渡来人に支配され、辺境に追いやられた(ダーウィン主義の竹内久美子さんの著書による)。
辺境は、原発立地地域として狙われ、そして、福島がその犠牲になりました。
会津では、薩長、特に長州への恨みは今でも続いていると言われます。
現総理大臣は、長州出身の安倍晋三氏。
その安倍首相が、福島をどうしようとするのか、非常に興味深いですね。

安倍首は、前回首相時、会津を訪問しました。
会津戊辰戦争に関し、「長州の先輩が会津の方々にご迷惑をかけた」と謝罪したそうです。
「偽りの明治維新」の冒頭「はじめに」には、そう書かれています。

その気持ちに、“偽り”のないことを願います。

無理かな。

ではでは〜。
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2014年03月11日

人の幸せとは、人に愛されること、ほめられること、役に立つこと、必要とされること

みなさん、こんばんは。

今日は、3年前の東日本大震災の日で、宮古市では、東日本大震災三周年追悼式が行われました。
もちろん、私は行きません。
昨年が3回忌であり、それで十分だと思っていますし、いつまでも「悲しい。悲しい」というのはどうかと思います。
それより、笑って暮らしたほうがいい。

こういう催しは、もちろん、みなさんが一生懸命ご飯を食べるために働いて納めた税金で行われます。
同じ税金で設置されている防災行政無線で、午後2時46分にちょっと前にアナウンスがあり、仕事の手を休めて、黙祷。
これで十分じゃないですか!
誰も忘れるものじゃない。

と、書けば、何て冷たい奴、と思われるかもしれませんが、形式ばった献花より、直接亡くなった人の家に行って、線香をあげてきて、その家族と談笑したほうがずっといい。
私は、今日、仕事を終えてから、そうやってきた。

先日、岩手日報の記者が来て、津波で他界した人の写真とコメントを掲載したい、と私の家まで訪ねてきました。
確か、津波の翌年から、何ページにもわたって、そういう紙面を作ってきたはずです。
その記者に私は言いました。

「もう、こういうことは、やめたほうがいいですよ。いつまでも、かわいそうだ、支援だ、と言っていると、誰も自立しませんよ。世の中なんて、そういうものでしょう」と。

いつもラジオを聴きながら、手仕事をしている私ですが、今日のラジオは、どの波にも、うんざりさせられました。
話題は、震災ばっか。
しかたなく聴いていましたが、やっぱりうんざり。
でも、リスナーの投稿(ファックス?)には、うなずくものもあり。

「復興が遅いとはよく言うけれど、どこまでやったら復興といえるのか、わからない」

私も、そう思います。

もともと東北のこの寒村は、すでに過疎化が進行形だった。
そこを元通りにせよ、というほうが、どこかおかしい。
震災前から、漁業振興といいながら、漁港や関連施設に巨額の費用を費やしてきても、それでも、漁業人口は減少する一方。
つまり、いくらインフラ整備しようとも、漁業をする人は増えない、ということ。

今、被災地でやっていることは、同じこと。
ある程度の過疎を見込んで、復興事業というものを考えないと、立派なゴーストタウンができる破目になる。
やる気のない人は、どうせ、この寒村から出て行くでしょうから、残った少数精鋭が、地域活性化のために活躍できるよう、どこに資源を投入すべきか、それに重点を置いて考えたほうがいい。

昨日、紹介した「知られざる日本の実力」という本には、日本理化学工業という会社が、一番最後に掲載されていた。
従業員77人中57人が知的障害者であり、その割合は、何と7割!
この中で目を引く文章を、どうしても転載したい。
著者のエディターズ・キャンプさん、お許しを!



 1937年に設立された同社の障害者雇用のきっかけは1959年。大山泰弘会長が専務だったとき、擁護学校の教諭が「卒業生を採用してほしい」と頼みにきた。大山さんは断ったが、教諭は粘った。3度目の訪問で「採用はもうお願いしません。代わりに、一度だけ就業体験をさせてくれませんか」と懇願される。教諭から当時15歳だった少女2人が福祉施設で一生働く喜びを知ることができないという話を聞かされ、2週間だけ受け入れることにした。
 単純なラベル貼りを任せたところ、時間を忘れて一生懸命に作業する少女たちの真摯な姿が、社員たちを動かした。「私たちがみんなでカバーするので、2人を採用してください」。十数人の社員に頼み込まれた大山さんは、正社員として迎え入れることにした。だが、そのときはまだ「同情」に過ぎなかった。
 ひたむきに、幸せそうに働く彼女たちを見て、大山さんは疑問も感じるようになった。満員電車に毎日揺られて労働するより、施設で暮らすほうが楽なはずだ。なぜ、彼女たちは働くことがこんなにも幸せなのだろうと、ある法事の席で寺のお坊さんにその疑問を投げかけると、こんな答えが返ってきた。
 「人の幸せとは、人に愛されること、ほめられること、役に立つこと、必要とされること、の4つです。愛されること以外の3つは、働くことを通じて叶えられるものですよ」と。
(「知られれざる日本の実力」p138)



心を動かされた社員の話は、非常に日本人的ですが、何よりも、少女たちの頑張りが、目に見えるような感じですね。
一番最後にこの会社を紹介したエディターズ・キャンプの粋な計らい。
グッと感動しました。
これを読んだら、彼女たちに負けないくらい頑張らないと!

ではでは〜。
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2014年03月10日

日本の技術は、日本人が真面目であるかぎり、不滅です。

みなさん、こんばんは。

ここ数年、中国や韓国の台頭で、日本はもう終わり、みたいなことを言ったり書いたりする人がいますが、違う、と私は思います。
中国や韓国は、何かあれば、私の父が子どもだった頃の戦争を持ち出してきて、日本を攻撃します。
なぜ、あんなに攻撃好きなのでしょう。
私の父はすでに70歳を超えています。
その父が小学校の頃、祖父が戦争で兵隊に行き、家に収入がない。
だから、手間仕事をして、小学校にも行けなかった。
学校の先生が、かわいそうだからというので、わざわざ父とその妹の手をひいて、小学校に連れて行ったこともあったそうです。

私の家は、当時、非常に貧しかったらしく、高浜でも最もボロ服を着ていた。
その写真が数年前(津波前)に出てきて、誰かが持って来てくれて、八戸のおば(父の妹)は、思うところがあったのか、涙していました。
こんな話など、戦争時、子どもだった人たちには、普通のことだったのかもしれません。
だから、心ある日本人は、みな反戦。

貧乏体験した父でさえ、中国や韓国に、戦争のことで攻撃されるのをうんざりしているのに、喜んで喧嘩の相手をしているのは、石原慎太郎みたいなニセ日本人だけ。
いちいち中国の言動に反論する安倍首相や菅官房長官も、ニセ日本人の一味(笑)。

ちょっと前に、維新の会、橋下徹大阪市長が、「慰安婦は、どの戦争当事国にもあった」と言ったことも、「だから戦争なんてするもんじゃない」という結論なのだと思う。
それを揚げ足取りして喜んでいる人たちも、きっとニセ日本人。
なぜ、良いほうにとらないの?

こういう連中の言い合いを、馬鹿らしいから冷めた目で見ているのが、大方の日本人。
ほとんど無視状態。
忙しくて、そんなことにとても付き合ってられない。
そう。
普通の日本人は、みんな真面目に仕事をしています。

先日、コンビニでつい手を出してしまった本ですが、「知られざる日本の実力」を読んでみました。
日本、中国、韓国のいがみ合いなんて、眼中にない熱血日本人たちが、この本には描かれています。
検索してみると、やっぱり同じ本を読んでいた人がいた。

http://kyamaemon.seesaa.net/article/385075864.html(「秘密のポケット」)

掲載されている企業すべて素晴らしいのですが、意外な企業を一つ紹介します。
広島県福山市にある「カイハラ」というデニムメーカー。
世界中の有名ジーンズブランドに高く評価されていて、リーバイス、リー、エドウィン、ビッグジョンなどに素材を供給しています。
なぜ、後発の日本メーカーがここまで成功したか、というと、もちろん企業努力もありますが、実は、日本の消費者がハイセンスな目をもっていたことに起因する、と貝原社長は言っているそうです。
つまり、良い製品でないと、売れない。
日本人は、基本的に、お人よしでやさしい(笑)。
しかし、製品を見る目は厳しく、作る側は頑張る。

この本は、買い、では決してないと思いますが、読めば元気が出ます。
以前、同じような「日本の技術」という本も紹介していました(笑)。
元気がでます。

http://milky.geocities.jp/umaimono_tabetai_hito/tubuyaki-kansoubun12.html

日曜日午後6時10分から放送されるNHK「海外ネットワーク」で、中国人研修生を救った日本人を小説にする、という話を昨日やっていました。
舞台は、宮城県女川の佐藤水産。
研修生たちは、いったん中国に帰りましたが、親の反対を押し切り、再び、日本へ戻ってきています。

http://j.people.com.cn/94475/7720698.html(「人民網日本語版」)

研修生たちは、日本企業が、そして日本人が、どうやって道を切り開いてきたか、きっと肌で感じている。
祖国で語られている日本と実際の日本は違う。

安倍お坊ちゃま総理大臣、少しは、研修生みたいに働いてみたら?(総理大臣に限らず、どの特別職や公僕も同じ)。
中国にいる人たちと同じように、実際に現場で働いてみないとわからないものなんですよ。
漁師はやっぱり、塩水をかぶったりしてみないと、わからない。

私は性格悪いから、来たら、知らないふりして、頭から水をかけます。

ではでは〜。
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2009年11月01日

「子どもが減って何が悪いか!」

みなさん、こんばんは。

明日から寒くなりそうです。
私は、寒いのが大嫌いですが、インフルエンザ罹患で休んでいたので、一応、漁師モードになり、沖へ行く準備をしました。
たぶん、早々に戻ってくると思いますが。

まず、先月のベスト5をしばらく更新していなかったので、6月から9月分までを合計したもの。

1位 学問って、何?
2位 学問って、何? 2
3位 同級会
4位 パナーキー
5位 不健康な夜イカ漁

意外に、難しそうなものに人気があるんですね。



ちょっと前ですが、「子どもが減って何が悪いか!」という本を読みました。
てっきり、「少子化になって、何が悪くなるのか」という内容だと思ったら、全く逆でした。
少子化を促しているわけではありませんが、“男女共同参画=少子化対策”というような言説を論破している本です。
著者は、赤川学さんという方ですが、いろいろなデータを駆使しているところから、どっかの大学の教授さんであることは確かです。

で、「あとがき」に、厳しいことを書いてありますので、ちょっと紹介を。



 小谷野さんの名著『もてない男』に登場する、山本おさむの『ドングリの家』というマンガ(このマンガは、とにかく泣ける)と、それに対する小谷野さんのコメントは、きわめて印象的である。重度の障害をもって産まれた子どもを育てる夫婦の姿を引用しながら、小谷野さんはいう。「障害を持った子供が産まれたら、協力して育てていこうと誓い合えるような男女でなければ、結婚してはいけない」と(186頁)。
 本書の主張は、この名言を、私なりに出産・子育ての場面に置き換えたものである。子どもは、少子化対策や男女共同参画の道具ではない。まして「子どもを産んだら得をする」とか「子供に老後の世話を頼みたい」とか、親のあさましい動機で産まれてくるべきでもない。仮に子どもがどんな重度の障害をもって産まれてきたとしても、愛情をもって育てる覚悟をもてた男女だけが、子どもを産めばよいのだ。そうした選択の結果、産まれる子どもの数が少なくなったとしても、それはそれで仕方がないことだ。
(「子どもが減って何が悪いか!」p216)



ここをご覧になっている幸せな方々は、こんなことを考えて結婚したのでしょうか。

たぶん、若かりき頃の「勢い」だったと思います(笑)。
その「勢い」でもって、幸運にも子どもを授かった夫婦は、本当に、本当に、幸せなのだそうです。

私なんか、子どもがいませんから、よく言われますよ。
「お前は、子どもがいないから楽なんだ」って。
それに対し、私の心の中は、「そうですかね。そう思うなら、気持ちいい思いをして、子どもを作らなければ良かったじゃないの?」と。

そういう彼らは、私みたいなのに比べれば、断然、幸せだ。



 自らのDNAを残すためであれ、愛玩するためであれ、自らの私的効用のために子どもを産んだ人たちが、それをもたない人たちよりも恵まれていないはずはない、とあえて断言しておく。
(前掲書p208)



羨ましいですね。

ではでは〜。
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2007年03月10日

「ケネディとユダヤの秘密戦争」 2

内容に入る前に、まず予備知識を。
今回は、「
Wikipedia」にお世話になりま〜す。

JFKこと、「ジョン・F・ケネディ」は、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BBF%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%8D%E3%83%87%E3%82%A3
この中での注目すべき記述は、「彼はまた、イスラエルの核開発に対し強硬に対応した唯一の合衆国大統領としても評価されている。」と書かれてある段落です。
これがまず、暗殺の背景になっていますから。

「ケネディ大統領暗殺事件」は、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%8D%E3%83%87%E3%82%A3%E5%A4%A7%E7%B5%B1%E9%A0%98%E6%9A%97%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6
このページにある陰謀説は、全部で5つありますが、そのどれでもありません。
が、今日紹介するのは、「亡命キューバ人主謀説」に関連します。

映画「JFK」の内容は、
http://ja.wikipedia.org/wiki/JFK_%28%E6%98%A0%E7%94%BB%29
何と言っても、ジム・ギャリソン!
そして、「製作総指揮:アーノン・ミルチャン」を頭に入れておいてください。
その後の更新で、正体を明かします。

さてさて、と。

映画「JFK」を見た人はわかると思うんですが、ウォーレン委員会報告書では、リー・ハーヴェイ・オズワルドが、JFK暗殺犯とされています。
そのオズワルドは、本当は、計画された暗殺“未遂”を、実行するはずだったのです。
それが、どういうわけか、目の前で、本当に大統領が殺されてしまった。
唖然とするオズワルド。

オズワルドは、ある人間に利用され、そして、ウォーターゲート事件で投獄されたCIA職員、エヴェレット・ハワード・ハントも、同じ人間に利用され、そしてそのことが、JFK暗殺事件を余計に難しくしています。
ハントも暗殺当日、ダラスにいた。
なぜ、いたか?

 ハントは当然ながら、反カストロ活動家のほかのリーダーと同様に、ケネディ政権がカストロと少なくとも非公式での関係改善を目指していることにいらだっていた。カストロ打倒のための活動にエネルギーを注いできたハントのすべての苦労が水の泡になろうとしていた。
 ウィーンはジョンが実際に起こったことを次のように説明したと言っている。
「ハントのどんどん大きくなる怒りは、かつてない怪奇な政治的暗殺計画となるものを生み出した。彼の目的はアメリカ国民のカストロへの敵意をかきたて、愛国心を刺激して、真珠湾攻撃以来なかったほどのレベルにまで高めることだった。怒り狂ったアメリカ人は米軍にキューバへ侵攻をうながし、そこの二流の独裁者をケネディ大統領の『暗殺』を企てた暴挙により、たたきつぶすことを求めるだろう」(中略)
「最初、ハントはオズワルドに彼の正確な任務を教えなかった。ただ国家安全保障上の最優先事項とだけ話した。“偽の暗殺計画”が二カ月後にせまったころ、ようやくハントはオズワルドにライフル銃を渡し、計画のなかでの彼の役割を説明した。オズワルドはそのライフル銃で三発“空に向けて”発砲する。その後、銃と空の薬莢をその場に残したまま、すぐに建物を立ち去り、彼を秘密の目的地に運んでくれるエージェントと合流するというものだった」
 「オズワルドはキューバへのアメリカ侵攻が終わるまで隠れている。キューバ大使館に向かったメキシコシティでの偽の足取りは、捜査官に彼がキューバに逃亡したと思わせるだろう。カストロがケネディ大統領の(失敗に終わった)『暗殺を計画した』うえ、〔未遂に終わったものの〕『暗殺犯』がキューバで〔カストロに〕かくまわれていると信じたアメリカ国民は、怒りを爆発させるはずだ・・・・」
(「ケネディとユダヤの秘密戦争」p309)

つまり、カストロに追われた亡命キューバ人たちが、ケネディ暗殺未遂を演出しようとした。
そして、その犯人をオズワルドとし、ケネディ大統領、そしてアメリカ国民に、キューバ侵攻を促そうとしたのです。
ところが、現実には、

 しかし、偽の暗殺計画を進めていくなかで何かがうまくいかなかった― E・ハワード・ハントの直接の指揮が及ばないところで外部からの力が働いていた。
 ジョンの話はこうだった。
「もちろん、すべての秘密工作は危険をはらみ、失敗することもある。しかし、これは失敗でも怠慢な行動のためでも、運が悪かったからでもなかった。実際に起こったことは理解不能だった」
 つまり、ハントの計画は不測の結果をまねいた。銃弾は本当にJFKの車に向けて撃たれ、大統領は本当に殺された。(中略)
(前掲書p311)

オズワルドとハント、特にオズワルドは、巧妙な罠にはめらてしまいました。
はめられたと言うより、道具として利用された。
偽装のつもりが、目の前で本当に殺されたんですから、ホント、当人たちは、心臓がひっくり返ってしまいます。
ちなみに、オズワルドとハントを利用した“ある人間”とは、ジェームス・ジーザス・アングルトンです(アングルトンについては、後の更新で・・・・)。
さて、引用文中に、ウィーンとか、ジョンとか、出てきますが、この後をもう少し紹介していきます。

 ウィーンとマーフィーは自分たちの聞いたことに衝撃を受けた。そのとき、ジョンはマーフィーに彼の話を裏づける証拠となる小包を渡した。しかし、それから数日もすると、ジョンは二人に、聞いた話は忘れてくれと言ってきた。
 マーフィーはダラスのジョンから次のような忠告を受けとったとウィーンに知らせてきた。
「ハントと彼のエージェントはひどいパニックから態勢を立て直し、急いで行動を開始した。ハントのグループの活動とオズワルドとの関係は何があっても隠蔽しなければならなかった」。
マーフィーによれば、軍情報部、FBI、CIAはどこもパニックに陥っていた。
「もし彼らの秘密が暴かれれば、国民の怒りによってたたきつぶされただろう。悪夢のなかで彼らに見えるのは銃殺隊だけだった。彼らは国家の安全が危機にさらされると重々しく判断した。それによって自分たちの隠蔽工作を正当化した」
(前掲書p312)

そして、オズワルドは、ジャック・ルビーにより射殺されます。

以上の話は、元ロサンゼルス市警犯罪捜査課の刑事であるゲーリー・ウィーンとその友人で第二次世界大戦の英雄、そして、映画スターであるオーディー・マーフィーが、「ジョン」という人物から聞いた話です。
マーフィーは、1971年に飛行機事故で死亡したそうです。
「ジョン」という人物は、ジョン・タワーというテキサス州選出の上院議員で、彼も、悲惨な飛行機爆発事故で死亡しました。
ウィーンが無事に生き延びたために、この話は、活字となって、このように世に知られるようになったのです。

 死亡者の第1号はもちろん、暗殺犯とされたリー・ハーヴェイ・オズワルドである。
 しかし、それからあとも続々と死んでいく。
 それから3年間に、18人の目撃証人が死亡した。6人は射殺され、3人は自動車事故。2人は自殺。1人はのどをかき切られた。1人は空手チョップで首を折られた。5人は「自然死」だという。
 1967年2月までにこられの目撃者が死亡する確率は、1兆の10万倍分の1である、と英国のロンドンサンデータイムズ紙では結論付けたという。(中略)
 合計、事件後20年余の間に、103人が死亡しているという。
 こんなことは、たまたま、偶然、生ずることはあり得ない。
 そしてそれから、1999年7月、J・F・ケネディの息子とその妻と妻の姉が飛行機事故で死亡したが、これは、限りなく政治的暗殺の疑いが濃厚であろう。
(前掲書p31)

あ〜、恐ろし!
posted by T.Sasaki at 22:34| Comment(2) | TrackBack(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする