日本の漁業が崩壊する本当の理由 片野歩

世界中で魚類資源が増えているのに、日本だけが減っている。
この現実を、恥ずかしいと思うべきである。

日本の漁業が崩壊する本当の理由.jpg

すべての漁協組合長、理事、参事、そして、任意の漁業団体の会長以下すべての役員たちは、この本を読むべきだ。
読みたくないならば、「日本の漁師は大バカものだ」を参照すること。
これを認識できないならば、役職に就く資格はない!

2024年12月16日

『紙の爆弾』定期購読を!

3回目。

紙の爆弾」を買って読もう!
発売元の鹿砦社の経営が苦しいそうだ。
マトモな新聞や雑誌メディアがなくなった現在、鹿砦社は貴重である。
特に、異常なLGBTQ+の問題はどこも報じないから、この雑誌がなくなると、みんなよくわからない。
鹿砦社の書籍を1人1万円買って下さい、と定期購読者は要請されている。

奴隷国家まっしぐら!」で、「紙の爆弾」のトップ記事を紹介した。
私の受けた衝撃は非常に大きく、実は、この号をあちこちにプレゼントした。
鈴木俊一事務所、畠山茂県議、岩手日報、雨風太陽。
F1種子支配など、看過できない問題山積みの日本農業だからだ。
このプレゼント作戦を、定期購読に応用した。
鹿砦社に電話をし、これを実行できるかどうか相談し、通信欄に送り先を明記することにした。
やるなら、人数の多い組織がいい。
ということで、今回の標的は、岩手日報と雨風太陽。
エラい連中は、どうせ読む気力もないだろうが、社員の一部の人が興味を持って読んでもらえば、という狙いである。

今号(1月号)では、「rakitarouのきままな日常」の著者である青柳貞一郎さんも寄稿している。
トップ記事は、立憲民主党の原口一博衆院議員のインタビューで、自身がワクチン接種被害者であるために、新型コロナワクチンについて、政府を追求していることを書いている。
そんな彼は、Meiji Seika ファルマから「訴えてやる」と報道された。

https://www.sankei.com/article/20241028-ZFAV3DMLRVITJHWLVMBMRDXWGM/(「産経ニュース」)

しかし、まだ訴状は届いていないそうだ。
彼は国会で、質問主意書でいろいろと質問しているが、政府からの回答は、ゼロに等しい。(※)
また、西本頑司さんのコラムが秀逸。
2号前では、日航機墜落事故の不明な点があぶり出され、日本政府と米軍の間で隠蔽されているものがあり、アメリカは、それを利用しているのではないか、ということらしい。

もう、今後、「紙の爆弾」の紹介はやらない。
どうか、買って読んで下さい。
定期購読がいいと思います。
勉強になりますよ。

(追記分)
もう厚労省や日本医師会など、ひどいものだ。
流行しているコロナ株を見事にはずしたワクチンを、みんなに打て、と。

 24年5月、東京大学医科学研究所は、オミクロンJN1株の派生型であるKP2株が世界中で流行拡大しつつあり、同株は自然感染や従来のワクチンにより誘導される中和抗体が効きにくく、感染力も高い(実行再生産数が高い)という研究結果を公表しました。米国疾病予防管理センター(CDC)が計測している排水中のコロナウイルスはKP2以降の変異種が24年7月以降80%を占めていて、JN1系統はすでに消失しています。果たしてこれからJN1株の中和抗体を作るワクチンを日本で投与する意味があるのか全く疑問です。
(「紙の爆弾」2025年1月号p15)


これは、青柳先生の「rakitarouのきままな日常」https://blog.goo.ne.jp/rakitarouに掲載されている文の後の部分である。
騙されてワクチンを打った人が、気の毒です。



(※)
 問題とは主に次の二点です。第一に、5月8日から新型コロナウイルス感染症の感染症法上の位置づけが「5類感染症」となりました。しかし、ワクチンの接種助成で、今もなお感染力や重篤性の高い「2類」時のスキームを使っているのではないかという、基金と予算の使い方の問題です。
  第二に、そもそも「マルチアンプリファイ」とはどういう意味か。レプリコンとは何か。本当にワクチンなのか。ワクチンの定義は何か、それに照らしてmRNAワクチンは、本当にワクチンと呼んでいいのか、質問主意書で政府に聞いていますが明確な答えはありません。
 しかし、「ワクチン」と呼ばれているために、緊急承認に類するかのような簡略化かつ早期の承認となっているのではないか。本来の治験に必要な項目が飛ばされたのではないか?安全性や効果についての確認がどうなされたのかを質問主意書で追求しました。
(「紙の爆弾」2025年1月号p5)

定期接種対象が65歳以上ということは、高齢者が重症化した場合の危険性が高いと考えているからでしょう。しかし、その効果を裏付けるデータを、感染予防効果にしろ重症化予防効果にしろ政府に質問主意書で聞くと、調査中だと明確な答えを避けています。
(前掲書p6)


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2024年11月30日

若者の向上心を育てるために

4回目。

先日、20歳の若者が、父親同伴で面接に来た。
何の面接かというと、私の船に乗るためである。
年を聞いてびっくりしたが、乗組員に何度も逃げられているものだから、期待半分というところかな。
今の乗組員が4月で降りる予定なので、来年度から、という話をして、あとは本人がゴーサインを出すかどうかだ。
内陸で仕事をしているので、全くの素人であり、いか釣りももちろん初めてだから、最初は、1人で仕事をやるという気持ちを私は持っている。
このままでは、宮古のいか釣り船が絶滅していまうから、何とかしないと、という気持ちが強い。

何度もいなくなる若い乗組員に幻滅を感じて、しばらく若い人に目を向けていなかったが、本当のところ、若い人たちに向上心があるのか、それを私は疑っている。
しかし、日本総研主席研究員である藻谷浩介さんは、「日報総研」で、「若者や零細事業者つぶさぬ改革を」と題して、働き方改革で何とかやっていこう、と書いている。(※1)

働き方改革で、仕事に対する向上心ができるのかどうかは、たぶん怪しい。
実際に、人権先進国の欧米企業でさえ、日本のZ世代は使えない、と。
労働時間ではないのだ。

https://tabi-labo.com/310319/wtg-firing-gen-z(「TABILABO」)

使えないなんて言葉を使われたら、もう悲惨だ。

人材は、労働時間短縮では育たない。
たぶん、親たちが悪いのだと思う。
一つは、簡単にスマホを買ってあげて、スマホ中毒にすること。
親もスマホ中毒であること。
でも、どうやら、電子決済先進国の中国でも、同じことが起きているようだ。

https://jp.reuters.com/world/china/NUAQL4Y7SZK5JDJNJRUGCMP5QQ-2024-02-17/(「ロイター」)

それでも、中国は人口が非常に多い。
1億人がこの程度でも、他の人たちでカバーできる。
しかし日本は、1000万人がこうなったら、アメリカの麻薬中毒ではないが、スマホ中毒のゾンビの街になってしまい、各産業は危機に陥るだろう。

1冊の本を読んでいると、いろいろと副産物がたくさん出てくる。
警視庁科学捜査官」を締めるにあたって、最後のほうで、著者は次のように書いている。

 志を継ぐ者たちは、現場を大切にして欲しい。現場がその時々で何に困っているのかを常に把握し、共に考えていかなければならない。真の問題は現場にしかなく、最良の解決策は現場でしかみつけることができないのである。
 若いうちから全体像を見える人材を、育てて欲しい。自分の領域だけで精一杯になるのではなく、日本の捜査支援の将来像を描ける人を育てることが大切だ。
(「警視庁科学捜査官」p310)


私は、彼のこの言葉を、その辺のエラい人たち、つまり、議会議員や公務員の上部の人たちにも贈りたい。
特に議会議員などは、漁業の現場を知らない。
そして、こういう重要職に就いているくせに、全体像もみない。
今度の新入乗組員には、やっぱりそういう仕事に対する意識みたいなのから教えてみようかな。

警視庁科学捜査官」を著した服藤さんは、科捜研に入りたての頃、やる気満々であったが、先輩たちに「ぬるま湯」の良さを教えられ、幻滅を感じた。(※2)
このシーンは、プロジェクトXでもインタビューで放映されている。
もちろん、組織によって違うと思うが、税金で賄われている役所は、「ぬるま湯」にどっぷり漬かっていて、本当に「長いものには巻かれろ」的なのだと思う。
マスゴミ連中がテキトーに取材し、それが世に出れば、それに倣う習性もある。
冤罪の一部は、マスゴミの憶測報道に原因があるのが、その模範である。

服藤さんは、毒物化学が専門ではあったが、医学的知識も必要と感じて、東邦大学医学部の伊藤隆太教授にお世話になっている。
博士になりたい、と焦っている彼を、伊藤教授は、自らも指導者となるためには、人格も磨かなければならない、と諭した。
博士になるのが目的ではなく、それを世のために使うのだと。(※3)

彼は最後に、警察庁へ勤務した。
そして、伊藤教授に諭された、人を育てることを実践するにあたって、講習会や研修会をたくさんやった。
その中で、ある研修会に出席し、その講話に感動した。
警察の「人間国宝を作る」である。(※4)
これは、何も警察だけの話ではないと思う。
いろいろな職種に当てはまることだ。
「人間国宝を作る」という言葉に、若者の向上心を育てるヒントが隠されているような気がする。



(※1)
 いまどきのバイタリティある若者は、安定した大組織よりも、自分でチャレンジできる仕事を選んでいる。そうではない普通の若者に、つぶれずに安全運転してもらうためには、むしろ働き方改革を徹底した方が良さそうだ。労働時間制限というのは、うっとうしいが仕方がない点で、道路の速度制限のようなものではないか。
(「岩手日報」「日報総研」2024年11月18日付16面) 

(※2)
 当時の技術的レベルは決して高くなく、昭和30年代や40年代の技術をそのまま使っている先輩がたくさんいた。新しい知識や技術が確立されている分野もあったが、勉強して取り入れようとする意識や環境は、あまり整っていなかった。純粋な科学的議論になると曖昧な内容に終始し、先輩の機嫌が悪くなる場面に何回も遭遇した。
 仕事をしながら、学術的な勉強をする仕組みもなかった。自費で購入した学会誌を読むくらいで、外部の新しい技術や知識は吸収されない状況だった。
 そして肝心の仕事は、ほとんど教えてもらえなかった。
「それは財産。なんであんたに教えないといけないの」
「この分野はやめてね。僕の領域だから」
(中略)
可愛がってくれた大正生まれの大先輩からは、こう言われた。
「定年まで、ぬるま湯に漬かっていればいいんだ。捜査員からは先生、先生と呼ばれて、科捜研は最高だぞ」
 さらに別の先輩からも、忠告を受けた。
「長いものには巻かれろ、ということわざがあるだろ。入庁したときは、みんな服藤君みたいに疑問をもつんだよ。新しいことをやろうと思ったりするんだ。でもね、3年もすれば慣れてきて、そんなこと思わなくなるよ」
 5年経っても10年経っても、私にそのような慣れは起こらなかった。現場で汗まみれ泥まみれになって頑張っている刑事が大好きで、真実を解明するために自分の立場で何ができるか、常に最善を求めた。
(「警視庁科学捜査官」p71)

(※3)
「いいかい服藤君。世の中にはね、まだ解明されていないけれども、必ず社会のためになる研究テーマがたくさんあるんだよ。いろいろな論文や文献を精査しながらそれに気付いて、『これだ』と自分ひとりで見付けられること。それを解明するための方法、つまり実験計画を自分ひとりで組み立て、研究をコツコツやったら結果が出てくる。それを数学や統計学やいろいろな理論を使って解析し、整理する。
 ここから一番大事だ。その結果に関連する世界中の何百もの論文や文献を読み込んで考察し、世の中のためになることを論じて、結論を導き出す。学位とは、この始めから終わりまでを出来るようになったとき、『君はまだヨチヨチ歩きだけど、ひとりでやってみるか』といって授かる免許証のようなものだ。成人式のようなものなんだよ。
 いいかい服藤君。博士は、取ったら終わりではない。そこから始まるんだ。貰ったら、大きな大きな責任を負うんだよ」
「社会のためになることをひとつでも多く行なって、人のためになる成果を残していかなかければならない。そして、ひとりでも多くの社会のためになる若い人を、今度は君が自ら指導者となって育て導き、送り出していかなければならない。それには人格も大切だよ」
 何も言えなかった。そして、とても恥ずかしかった。人生の大切な「モノサシ」をこのときいただいたと感じている。
(前掲書p78) 

(※4)
 そうした中、平成26年の警察庁指定広域技能指導官全国研修会に出席し、金高次長の講話に接した。
「皆さんにお願いしたいことは、ひとつだけである。『技術と共に魂を、日本警察のできるだけ多くの職員に伝授していただきたい』ということである。現在、全国で131名の広域技能指導官がいる。全国警察職員29万3000人から考えると、非常に希少な比率だ。平成6年にこの制度ができたとき、私は理事官として制度作りに若干携わったが、当時の長官の発案であり、『警察における人間国宝を作る』という思想であった。
 皆さんは、どの分野でも日本の第一人者であり、超一流である。どうしたらなれるのだろうと思う。元々の素質だけでなく、大変な努力をされて来られたのだと思う。仕事に対するひた向きな情熱、厳しさ、真剣さ、強いものをお持ちなのだろう。それをいろいろな機会に、広域に全国に伝えてもらいたい。警察の仕事は、それが一番大事。29万人が同じ気持ちを持てば、すごい組織になる。〜中略〜
 どうか魂や精神を、技術と一緒に伝承して欲しい。皆さんの人生を語っていただければ、感ずるものがあるだろう」
(前掲書p299)




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警視庁科学捜査官

3回目。

地下鉄サリン事件のことを、「プロジェクトX」でやっていた。
オウムvs.科捜研」である。
番組の主役は、服藤(はらふじ)恵三さんという方だ。
科捜研といえば、沢口靖子の「科捜研の女」が有名であるが、日本の警察組織で、科捜研の実力を世に知らしめたのは彼であり、沢口靖子ではない。
地下鉄サリン事件を解決へ導いただけでなく、現在の捜査支援の構築も、服藤さんの功績である。

私は、番組の内容を文字起こししている方がいるかも?と思ってネット検索してみたら、彼は、自分の体験したことを本にしていた。
警視庁科学捜査官」という単行本であるが、2021年3月に文藝春秋社から出版され、今年10月に文庫化された。

捜査官たちの素晴らしさを持ち上げる部分が多々あるのには、少し辟易するが、一生懸命であるというのは伝わる。
人間的な部分にも、けっこう感動する。
そして、彼の実力というのは、本で書いてある内容からも推測できる。

彼は、日本で初めて、警察内部に捜査支援システムを作った人だ。
そのおかげで、調査など時間が短縮し、犯人の特定から摘発に貢献した。
しかし、現在の犯罪は、インターネットを利用したものが多くなり、システム自体の改良が必要になっている。
時間とともに科学技術は進歩し、犯罪者らは、それを利用する。
良心的な人間ばかりではないのである。
犯罪手法の進化に、警察がついていけない事態を彼は指摘している。(※1)
もうこなると、一般社会の人は、いかに騙されないか、犯罪にまきこまれないか、ということを自分で考えていかなければならない。
服藤さんが「警察や検察の組織内だけで対応できる時代は終わった(p310)」と言っているように、警察はもはや、犯罪解明のための、支援装置でしかなくなっている。
そう考えることにして、あまり頼らないほうがよい。
したがって、解決が遅いから「捜査手法が悪い」とか言う前に、なぜ、犯罪が起こるのか、ということを考え、防犯に重点をおく時代になっている。

この本では、服藤さんが科学捜査に関わった事件を載せているが、この中で、3つの事件が冤罪ではないか、と疑われており、実際に再審請求がなされている。
2つは、科学捜査によって出てきた証拠が正しいとしても、実際に有罪にされた人が行ったかどうかという点で、冤罪ではないか、ということ。
その一つ、「北陵クリニックにおける薬物使用連続殺人・殺人未遂事件」。
これは、仙台筋弛緩剤事件とも呼ばれる。
日本は巨大な逆断層の活断層地帯である」の最後のほうでリンクを示しているから、読んでほしい。
紙の爆弾」の今年の4月号の「シリーズ冤罪」でも取り扱っている。

もう一つは、「名張毒ぶどう酒事件」である。
これも、「紙の爆弾」の「シリーズ冤罪」で書いている。
2021年8月号である。
その他、同じ「紙の爆弾」岡本萬尋のコラム「ニュースノワール」で、2ヶ月にわたって書いている。
2022年5月号と6月号である。
これは、「眠る村」という映画にもなっている。

https://www.keiben-oasis.com/2744(「刑事弁護オアシス」)

最後の1つは、鑑定結果が、本当に正しいかどうか、という点が問題であり、誰もが知っている和歌山カレー事件である。
服藤さんは、和歌山カレー事件の鑑定の際、「SPring-8」という施設の利用を勧めている。(※2)
しかし、その鑑定結果を覆す人が出てきた。
裁判では、このことは無視され、棄却された。
その鑑定を行ったのは、東京理科大学応用化学科の中井泉教授(当時)と聖マリアンナ大学の山内博助教授(当時)であり、「それは違うだろ!」と覆したのが、京都大学大学院工学研究科の河井潤教授である。(※3)
これは「鑑定不正」という本にもなっている。

「SPring-8」で鑑定結果を出した教授らとそれは間違っている主張する教授らが対決して結論を出すべきであり、裁判では、これらの鑑定結果が正しいかどうかわからないのだから、鑑定結果を証拠として採用すべきではない。
科学はウソをつかないなら、真実はどちらかである。

https://shueisha.online/articles/-/85712(「集英社オンライン」)

和歌山カレー事件は、長男の手記『もう逃げない。〜いままで黙っていた「家族」のこと〜』という本も出版され、「Mommy」という映画も製作された。

https://note.com/itsuha_singlem/n/n78ec8eab7f9d(「note」)



(※1)
 ビッグ・データやAI、5G、IoT(Internet of Things)、ロボティクス、VR(仮想現実)、AR(拡張現実)、MR(複合現実)といった画像処理技術の総称であるXRなど、大きな技術革命が始まっている。犯罪者は必ず、これらの技術を組み合わせながら使ってくる。我々が気付かないところで、すでに重大な変化が起こっていると考えるべきだ。
 高速・大容量通信、4K・8Kなどの高精細映像やXRを活用した映像伝送、空間ホログラムなどの技術が進み、目の前に子供や孫にそっくりな3D画像が現れて本人の声で話し始めたら、おかしいと思って対応できる親族がどれほどいるだろうか。
 最先端に技術を駆使しながら、高度化し、高速で高性能で、解明困難な犯罪インフラの蔓延する時代が、すぐにそこに来ている。現実とバーチャルの混同が進み、何が真実かわからなくなり、多種多様な犯罪の形態や手法は、劇的に変わる。
 悲しいことに我々は、発生事後的にしかこれらに対応できない。
(「警視庁科学捜査官」p309)

(※2)
 検事への説明にも足を運んだ。和歌山地検の大谷晃大三席である。強く印象に残っているやり取りがある。
「SPring-8の使用についてどう思いますか。正直、迷ってるんです」と聞かれたので、「使いましょう」と私は即断で答えた。SPring-8は、兵庫県の播磨科学公園都市にある大型放射光施設。放射光というのは、強力な電磁波の一種だ。
「あの装置は、世界に3つしかないトップレベルのものです。原子が数粒あれば特定できます。公判対策も考えたら、取り入れたほうがいいと思いますよ」
 後に知るのだが、SPring-8の活用は米田壮和歌山県警本部長のアドバイスによるもの。捜査に使われるのは、このときが初めてだった。他の検査結果も踏まえて、じけんい使われた亜ヒ酸と、林真須美宅から採取した亜ヒ酸が同一であることが証明された。
(前掲書p122)

(※3)
東京理科大学応用科学科教授の中井泉氏と聖マリアンナ大学助教授(ともに当時)の山内博氏が、検察の依頼を受けて、世界最先端の科学分析装置「Spring-8」で鑑定、同資料のすべてのヒ素が「同一である」としたものだ
 鑑定後、二人は記者会見を行ない、「悪事は裁かれるという社会的正義を実現する」「科学の力を真相究明に役立てたかった」などと得意げに話しており、「まるでヒーローインタビューみたいだった」と記事に書かれていた。
 その山内・中井鑑定を覆す学者が出現した。真須美さんの再審請求を行う弁護団が、2009年、先の鑑定書の解説を依頼した、京都大学大学院工学研究科教授で、蛍光X線分析の第一人者でもある河井潤氏である。
 弁護団は13年、ヒ素鑑定に対する河井教授の反証を盛り込む「再審請求補充書」を、翌14年に河井教授によるヒ素の「鑑定書」を和歌山地裁に提出。しかし17年3月29日、和歌山地裁はこれを棄却、弁護団は大阪高裁に即時抗告した。
 その後の記者会見で、ヒ素の鑑定を行なった中井・山内両氏を相手取り、損害賠償を求める二つの民事訴訟を提起した。
(「紙の爆弾」2020年1月号p44)



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2024年11月28日

人権や平等は本当にあるのか

ふたたび、こんにちは。

最近、埼玉あたりで、クルド人などへのヘイト行動が行われていたのを、裁判所がそれをやめろ、と仮処分を出した。

https://times.abema.tv/articles/-/10152406(「ABEMA TIMES」)

本当のところ、クルド人が悪いことをしているのかどうかは、現地の人でないとわからないと思う。

アメリカのトランプは、前回政権の時から、反移民政策を実行しているが、実際に悪さをする連中が入ってきているようだ。
そうなると、ヘイト行動は起き、民意は反移民へと傾く。
これは、副島先生によれば、ややもすると、人種差別の思想へとつながることになる。
さらに、「人間は生まれながらに絶対平等だ」と唱えたルソーの思想の否定へとつながっていく。(※1)

日本の場合、数十万人程度の移民なら、日本文化が強固なため、大丈夫だという人もいる。

https://www.gunjix.com/entry/2024/11/21/192216(「ノーネクタイのMy Way」)

後から入ってきた人は、その地域のしきたりに馴染むべきだ。
そうすれば、ヘイトも何も起きない。
その国、その地域の人たちの生き方を学び、同化すればいい。
先住民を大事にする、ということを前提にするならば、人手不足が問題となっている日本では、移民は悪いことではない。

トランプ勢力の徹底抗戦でアメリカの国家分裂は進む」には、アメリカの情勢だけではなく、基本的な思想の枠組みや歴史まで書いてある。
これはもちろん、「世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち」の延長であるが、このような積み重ねが、学問としての価値となる。
基礎的なことを知らないで、あれこれ書くものではない(私もその部類に入るけどね)。

「トランプ勢力の徹底抗戦でアメリカの国家分裂は進む」の第5章は、「キレイごとが嫌になったアメリカ人の本音」「人権、平等、人種差別、デモクラシーをめぐる大分裂」となっている。
ルソーらの人権思想が発明された時でさえ、「それは行き過ぎだろ」と忠告した人たちもいた。
対となる思想は、ベンサムの人定法である。
人権などというのは、本当にあるのか、と問いかけた人である。
現在の人権思想は、LGBTQや動物にまで応用されることになっているが、何事も行き過ぎた(急進的な)考えというのは良くない。
最後には、すべての動物や植物にまで、人権思想を注入される破目になる。

キレイごとといえば、平等思想である。
この世は、決して平等ではない。
ただ、法律の運用の場において、平等である、というだけのことである。(※2)
しかし、私は経験ずみなのだが、決して法運用の場でも平等ではない。
私を大したことでもない事案でとっつかまえておいて、検察庁へ送っていながら、2そう曳きトロールの違法行為(TAC違反)を無視した岩手県など、とんでもない不平等行為だ。
公の人間たちが、このようなことをするならば、何も法律を厳格に守る必要はない。
反省しなさい。

2そう曳きトロールのように、水産庁という後ろ盾に守られて、姑息な利益を得ようとする、このような方法の大がかなりなものが、ディープステイトなのだ。
彼らも、「世の中、人権と平等を大事にしなさい」とは言う。
しかし裏では、それを利用して自分たちの懐だけを肥やす。
ぜんぜん平等ではない。
そのディープステイトの手先になっていたのが、アメリカの民主党政権だったのである。
それに気づいたアメリカの民衆は怒り、トランプへの投票行動へとつながったのだ。

本当のところ、人権思想、平等思想の発明は、悪いことではない。
しかし、それを悪用する連中が出てくれば、「そんなもの(人権や平等思想)は本当か?」と疑う人間が増えてきて、否定され始めるのである。



(※1)
「もうこれ以上、移民は受け入れられない」とトランプ派は言っている。同じくヨーロッパの各国に生まれている反移民の正当も同じだ。
 この考えだと、人種平等思想をかなぐり捨て、人種差別を認めることになる。だから、ディープステイトが握っているメディアから、一様に極右政党と呼ばれている。ドイツのAfD(アー・エフ・デー)や、フランスのマリーヌ・ルペンの国民連合がそうだ。反移民を唱える政党が、ヨーロッパのどこの国でも第1党になりつつある。
 トランプ勢力は、「もうこれ以上、南の国境線からヒスパニックを入れるな。彼らの多くは犯罪者だ」と悲痛な声を上げている。そして、前述したCスティーヴン・ミラー Stephen Miller というトランプのスピーチライターをやった若い知識人が、トランプ側近で国境問題担当だ。思想家として反移民思想を唱えている。
 ミラーの思想が、現代世界の最重要な知識課題となっている。今回のトランプ革命の中心の思想だ。他にないのだ。それが、本書p67に載せた、新約聖書からの引用である「ゴグとマゴクの最終戦争」の思想だ。
 はっきり言う。これは「人種差別をしないB」を否定する思想だ。ここまで言い切らないとだめだ。私、副島隆彦が、ここで今の世界の思考(思想)の最先端は何なのかを、こうやって日本の知識層(読書人階級)に教えなければ済まないのだ。そのために、私はこの本を書いている。なかなかキツいことだ。
 さらに、人間はAの平等ではない、まで言う。人間は生まれながらに絶対平等だ、と強固に主張したジャン・ジャック・ルソーの思想を否定しなければ済まない。今、人類(人間)はここまで来た。
(「トランプ勢力の徹底抗戦でアメリカの国家分裂は進む」p214) 

(※2)
 本当は、このA平等(公平)思想は、「法のもとの平等」と言う。イークォール・アンダー・ザ・ラー equal under the law 法律のもとでの平等だ。
 法律上の取り扱いにおいてのみ、人間は平等だ、という意味である。実社会における法律上の取り扱いで、選挙はみんな1人1票とか、バス・電車に乗るときは1人220円払えば誰でも乗れるとか、道路はみんな自由に通れるとか、そういう平等はある。
 しかし実態としては、人間は平等ではない。高いオカネを払えれば、いい車両に乗れる。ここがものすごく大事なところだ。
 普段、政治問題を語るとき、人々はこのことをわざと無視する。この世は階級社会(クラス・ソサエティ。貧富の差がある社会)だ、ということをわざと見ないふりをして、話すことになっている。ディープステイト(特権階級)は、ここのところに隠れて生きている。今のアメリカ国内の動乱の根本のところにも、この問題が深く横たわっている。
(前掲書p194)



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2024年11月26日

精神科医の告白

6回目。

イジメといえばSNS、という傾向だけど、もっとすごいのが、昔あった。
精神障害者へのイジメである。

昔々、精神病患者は、身体的にもすごくイジメられた。
それで最近になって、旧優生保護法は違憲であり、被害者への賠償命令が下された。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240703/k10014499611000.html(「NHKニュース」)

不妊手術が問題となっているが、実は実は、もっとひどいことが行われてきた。
私はびっくりして、気持ち悪くなった。
「紙の爆弾」12月号のトップ記事「優生保護法をめぐるお祭り訴訟」である。
これを読んでしまったら、後の記事を読む気力が失せた。
精神病患者が「殺さないで下さい」と懇願しても、医師たちは殺してきたのだ。
そんな連中が、東京大学などの教授になっている。(※)

こんな調子だから、ワクチン打って、少々死んでも、体がおかしくなっても、大部分の医師たちは声を上げないのだと思う。
信頼できる医者は探すのは、大変そうだ。



(※)
 卒業後、札幌市立の静養院を訪れると、板張りの大部屋に置かれた木製の大机で患者たちが昼食をとっていた。その大半はロボトミーやロベクトミーされていた。
 ロボトミー手術は、電気ショックで意識を失わせたうえ、眼瞼の上から先の曲がったメス状のピックを差し込み扇状に動かし、前頭葉の周囲の動脈をずたずたに切断し壊死させる。脳には人間の血液の多くが流れ込む。その血管を開頭もせずに当てずっぽうに切り裂くことで、多くの人が亡くなっていった。ある病院では、術後数カ月の死亡率が3〜4割に達したという。ロベクトミーは開頭して前頭葉を切除する手術を指す。
「臺(うてな)実験」と呼ばれた、1950年頃に東京都立松沢病院で行われた人体実験がある。廣瀬貞雄がロボトミー手術をした患者から生検用の脳組織を切除した。それが学会で問題になると、主導した臺弘は、ロボトミーで大脳皮質を壊死させるのだから問題ないと、まるで廃物利用したかのように言ってのけた。臺はその後に東京大学、廣瀬は日本医科大学の教授となった。廣瀬は札幌医大の中川秀三教授とともに「日本のロボトミスト」と呼ばれる人物である。こんな人がこんな殺人医学で教授になり、その思想を医学生に伝承してきた。
 松沢病院に勤めていた吉田哲雄医師が、被害者のカルテを探し出し、記載内容を次のように発表した。
〈手術前、手術台にて「どれ位切るんですか、かんべんして下さいよ、脳味噌取るんでしょ、どれ位とるんですか、止めて下さいよ、馬鹿になるんでしょ、殺されてしまうんじゃないですか、殺さないで下さいよ、お願いします、家へ帰らせて下さい、先生、大丈夫ですか、本当に大丈夫でしょうか、死なないですか、先生、先生、本当に死なないでしょうか、先生、先生、先生・・・・」といった調子で執拗に情動的な訴えを繰返す。Grazieが全然ない。左側白質切載が終わると途端に自発的に口をきかなくなる。
 患者は約1週間後になくなった。「Grazie(グラチー)」とはドイツ語で「優美」という意味で、精神医学では人間としての精神の自然な流れを指す。殺人医師が殺す人を、死を覚悟する優美さがないとカルテに書く。
 同様の記録は三重県立高茶屋病院にも残っている。そこでは患者の8%が3週間以内に死んでいた。京都府立洛南病院でも1952年に7名中4名が死亡した。死ぬ可能性が高い手術をあえて行なえば、それは殺人である。
(「紙の爆弾」2024年12月号p6)



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2024年11月23日

「プロジェクト2025」の進撃

こんばんは。

民主政の根源は、ポピュリズムだ」で、「トランプ勢力の徹底抗戦でアメリカの国家分裂は進む」を読んだことを記した。
そして、もう一度、今度はゆっくりと読んだ。
あらためて、いい本だと思う。

著者の副島隆彦先生は、けっこう乱暴な書き方をするが、慣れれば何ともない。
採用されなかったが、岩手日報へ先日投稿した文章は、その影響を受けたものだ(「不掲載確実の投稿」参照)。
もし不快に思うなら、その部分をスルーして読めばいい。

二度目を読んだら、いろいろなことが見えてくる。
まずは、「プロジェクト2025」という戦略論文から。
保守シンクタンクであるヘリテージ財団から発行されたものであり、これにより、トランプ大統領暗殺未遂事件が発生したのではないか、ということである。
内容が、すごい。
政治の重要部分を占めたディープステイトに関わる政治家を一掃、投獄を見据えた起訴、そして、彼らに協力した官僚たちの大量解雇である。
日本でいえば、安倍元首相に忖度してきた国会議員の追求、そして、協力してきた官僚の大量解雇ということだ。
もし、トランプ大統領がこれを本当にやったら、アメリカの属国である日本もやったほうがいい。
解体すれば、確かにいろいろなことが停滞するかもしれない。
が、それでも、時は刻み、社会は進んでいく。
アメリカ合衆国において、すでに前例がある。
ジャクソン大統領は、就任後、ただちに2000人の上級官僚をクビにした。(※1)


日本の総理大臣というのは、戦後、アメリカの属国であるからなのか、ほぼアメリカの意向で決められる。
もちろん例外があったし、今回の石破首相も例外ではないのだろうか。
これには、統一教会や裏金の問題があり、まずは自民党総裁選で、暗に、安倍色の排除が行われた結果だ。
馬鹿なマスゴミや野党は、この安倍色排除をあまり言わず、裏金問題しか言わなかった。
今でも、故意に、石破首相の失点しか報道しない。
アメリカの理想とする日本の総理大臣は、自分で調べたり考えたりする能力が低く、世渡り上手な人が選ばれる。
特に、本を読む能力のない人が選ばれるらしい。(※2)

トランプ勢力の徹底抗戦でアメリカの国家分裂は進む」では、選挙不正により、トランプの敗北を予想していて、それは外れたが、それでも、現在までの政治状況と今後の政治や選挙のあり方を、俯瞰した目で書いている。

指導者は、本来、みんなから敬意を払われる人が選ばれるべきであるが、それを多数決という言葉で、民主政をごまかしている
アメリカは、民主政=デモクラシーを日本に正しく伝えなかった(※3)
だから、ぜひ、政治をやっている人はこの本を読んでほしい。
しかし、本を読む能力のない人たちが政治家をやっているのだから、あきれてしまう。

それでは、ディープステイトという言葉は、何を指すか?
これは、「政治や金融経済を握りしめている大富豪たちの連合体(p8)」でのことある。
最初に言い出したのは、ジョン・バーチ・ソサイエティ(JBS)という反共右翼団体。
反共右翼といえば、統一教会と関わりがありそうだが、JBSは、どちらかといえば、リバータリアニズムに近いそうだ。
これらの区別は、アメリカ知識人の中でも難しいと言われている。(※4)
この純粋な右翼でさえ、ディープステイトの連中を、デモクラシーもクソもないと批判しているのだ。
日本の政治に関わってきた統一教会は、ディープステイトにも擦り寄り、北朝鮮にも擦り寄ってきたものだから、同じ反共右翼でも、JBSとは全く違う。
統一教会がニセモノの反共右翼であることを知らずに関係をもった政治家連中は、即刻、議会議員をやめるべきなのである。
したがって、石破首相の早期解散は、統一教会排除ということで、正しい戦略だった。

というような論調は、副島先生ではないけれど、日本のマスゴミには皆無である。
マスコミは、本当にゴミになってしまった。

プロジェクト2025」に戻るが、これは、レーガン大統領の目指していたレーガン革命の焼き直しである。
なぜ、レーガン革命の焼き直しか、というと、邪魔者がいて実行されなかったからである。
その邪魔者が、ディープ・ステイトである。
悔しくて、レーガンは涙を流したともいう。(※5)
アメリカだけでなく、ヨーロッパにもディープ・ステイトはある。(※6)
表に出てこないだけで、カネの力で裏から操っているのである。

トランプ勢力の徹底抗戦でアメリカの国家分裂は進む」は、「副島隆彦の学問道場」の「今日のぼやき」の9月分と10月分を急いでまとめたものである。
私は、本を買って読んでから「今日のぼやき」を読んだ。
会員でありながら、また本を買って読むなど、何と非効率な!
と思ったが、それでも、こうやって紹介できるから価値があったと思う。

プロジェクト2025」は、序文にヘリテージ財団の会長であるケヴィン・ロバーツが執筆しており、はやりレーガン革命の失敗のことを記している。(※7)
その後に続いて、例えば国防総省の章とか、部門ごとに章が設けてあり、ドナルド・ディヴァインという人は、第3章の「中央人事機構 官僚の管理」を担当した。
その中で、官僚機構の欠陥を指摘し、彼らの責任のなさを追求している。(※8)
プロジェクト2025」の冒頭には、「ノート」として、ポール・ダンスという人が、人事の重要性を書いている。(※9)
これが、第2期トランプ政権を支える強固な人脈を物語っているのである。

言い換えれば、この本は、正常な知識をもつ尊敬できる指導者を、正常な人たちが支えていく、という方法論を、トランプ政権を例に示しているのではないか、と。
二度目の読書で、私はそう感じる。

続編は「重たい掲示板」【3164】に書いてある。
イーロン・マスクのことは、「トランプ勢力の徹底抗戦でアメリカの国家分裂は進む」の中にも出てくるのだが、「重たい掲示板」でも、彼の影響力のことを書いている。
イーロンは、Twitter社買収で、大規模で乱暴なリストラを実行している。

https://dot.asahi.com/articles/-/232967(「AERA dot.」)

これは、元Twitterジャパン社長の笹本裕さんが書いた批判的な文章である。
荒療治の手法であり、それでも時間とともに治癒する、というのが、イーロンの考えであろう。
そう、それでも、時は刻み、社会は進んでいく。
したがって、中央政府の高級官僚のクビを切るのには、イーロンはうってつけの人材である。

重たい掲示板」【3164】には、毒ワクチン主犯格のアンソニー・ファウチはすでに殺されたのではないか、とも書いてあるし、ディープステイト関連の金持ちたちは、すでにアメリカから逃げたとも書いてある。
OSアップデートで金儲けの手法を開発し、ワクチンアップデートにそれを応用したビル・ゲイツも、すでに日本に逃亡しているということも書いてある。
いろいろな事態の進展は、私たち貧乏人が考えるより、はるかに速い。


追記の関連リンク
プロジェクト2025、始動の準備着々−トランプ次期政権に執筆者ずらり




(※1)
 第7代大統領のアンドリュー・ジャクソンが、優れた人物だった。上級官僚たち2000人くらいを、就任後ただちに全員クビにした。そして自派(自分の言うことを聞く者たち)と取り換えた。これが、今も憎しみを込めて spoils system「スポイルズ・システム」猟官制度と呼ばれる。スポイルとは、権力の強奪、略奪の意味だ。これを「ジャクソニアン・デモクラシー」と呼ぶ。
  A・ジャクソンは軍人で、南部ニユーオリンズでの戦争で勝利した英雄である。トランプ大統領の執務室の横の応接室には、必ずこのアンドリュー・ジャクソンの写真がかけてあった。
(「トランプ勢力の徹底抗戦でアメリカの国家分裂は進む」p149)

(※2)
人間は生まれたときから平等なのだ、そして、能力と知能は教育によって改善される。一所懸命勉強すれば、どんな人も機会が与えられて勉強ができるようになると、日教組の教員たちが教室で教えた。安倍首相は、「そんなことはない」と腹の底から怒った。
 彼はいつまでたっても、まともに漢字が書けない、読めないまま大人になった。すなわち「やればできる」はウソなのだ。
 戦争で日本がアメリカに負けて、アメリカからの指導(即ち洗脳)もあって、徹底したCデモクラシーと、@人権思想、A平等思想、B差別するな思想が植えつけられた。だが、日本人は頭のどこかで「そんなことはない」と疑っている。教育による改善にも限度がある、と考えている。
 安倍晋三はディスレクシアという軽度の知的障害である。これは、難読症 dyslectia と言われて、ちょっと難しい漢字や文章が読めない。このディスレクシアは、本当は国民の2割ぐらいいる。小学校の時から漢字があまり読めなかった人たちだ。 
 ところが日常生活では、彼らは何も困らない。人をだましたり、いじめたり、悪い策略を組んだりすることでは、安倍晋三は大変な才能が有った。だから政治家としては、ワルだが有能だった。
 麻生太郎もそうだ。『ゴルゴ13』の劇画のマンガレベルしか文章が読めない。しかし、機を見るに敏だった。このような人間たちが、日本では指導者になる。あ、そうだ。森喜朗もそうだ。そして小泉進次郎もそうだ。よくも、これだけディスレクシアがそろったものだ。感心する。
 アメリカが悪いのだ。アメリカがこういう人間たちしか、属国日本の指導者にしない。だから、民衆からの尊敬の上に成り立っている政治体制である本物のデモクラシーを、日本は実行できない。自分たちで、自分たちが尊敬できる指導者を選ぶことができない。
 それに対して、田中角栄のような下からはい上がった土建屋上がりの、ものすごく優秀な頭脳をsいた、かつ民衆の気持ちもよく分かっている偉大な政治家を、アメリカがたたき潰した。それに、日本のお勉強秀才の官僚たちが同調した。日本のデモクラシーを壊したのはアメリカだ。角栄の跡継ぎが小沢一郎だけれども、追い詰められて、もうどうしようもない。
 (前掲書p204)

(※3)
 指導者が国民から敬意を払われ、尊敬されて成り立つ体制。このことが非常に大事だ。こういうことを日本では教えない。「多数決」しか教えない。日本はアメリカの属国だから。アメリカが日本の指導者(代表、首相)を、実質的に決めているからだ。だから、デモクラシー(民主政体)の真実を日本人に教えないことになっている。
 リスペクト・バイ・ビープル Democracy is based on the respect by people. がデモクラシーの根本だ。民衆多数派からの支持と共感、及び信託(trust)だ。あなたを信じる、だからあなたに任せるという、この言葉が大事だ。この大事な一点を日本人に教えない。選挙でたくさん取りさえすればいいのだ、という発想で悪質にごまかしている。そして、選挙で不正をやっている。
 今のアメリカは、このC番目のでデモス・クラティアにおいて、ディープステイト独裁体制だ。
  彼ら大富豪(スーパーリッチ)たちは、選挙で選ばれていない者たちだ。彼らは裏に隠れて、まず官僚おt政治家を、そして民衆を支配、統治する。そのくせ、ロシアや中国をデモクラシーではない独裁体制だと言う。自分たちディープステイト独裁のほうが、よっぽど悪い。なぜなら陰に隠れて支配するからだ。
(前掲書p179)

(※4)
 このJBSが、最初に「ディープステイト」という言葉を言い出したのである。「裏に隠れいてる超財界人たちがアメリカの政治を握っており、許せないことだ。デモクラシー(民主政体)ではない」と主張した。
 ところがJBSは、反共右翼の集団である。これがリバータリアンと隣接していて、ここのところがアメリカの知識人でもなかなか区別できない。思想の分類、党派の分類が難しい。混ざっていると言えば混ざっている。
(前掲書p141)

(※5)
 レーガン政権が始まった途端(1981年1月)に、人事は全部、デイヴィッド・ロックフェラーに握られてしまった。policy agenda つまり戦略論文をレーガンと一緒に実行するぞ、と言って選対で活動していた人たちは、政権の高官の職に就けなかった。
(中略)
 ヘンリー・キッシンジャー派が国務省(外務省)を牛耳り、ジェイムズ・ベイカー財務長官から何から何までほとんど、ニューヨークの金融財界人、石油金融財界人、そして軍産複合体 military industrial complex の人間に、レーガン政権の長官(閣僚)の座を奪われてしまった。
 つまり、この段階でレーガン革命は8割方終わったのである。しかも、この時の副大統領がジョージ・ブッシュ(父)だ。この男は本当にワルだ。レーガン政権が起こしたトラブルのほとんどは、実はジョージ・ブッシュ(父)が仕掛けたものだ。その代表が「イラン・コントラ事件」(1986年)である。
 このように周りをディープステイトに固められて、ロナルド・レーガンはもうどうしようもなくなり、身動きがとれなくなった。レーガンは、このとき「私にはどうにも出来ないのだ」と泣いたという。
  これがレーガン革命の実態だった。それをもう1回やるぞ、というのがトランプ革命なのだ。
(前掲書p94)

(※6)
 パリクラブ Paris Club という組織がある。これは、債権国と債務国(貧乏国)が借款の返済スケジュールについて話し合う組織だ。例えば、50億ドル(7000億円)の借金(負債)を返済期間に返せなくなった貧乏国を、どのように処理(処分)するかを話し合う。
 今、世界中には197の国がある。そのうちの48カ国は、いつ潰れてもおかしくない最貧国だ。その他に、アルゼンチンなどの南米や、ザンビアなどアフリカの多重債務国が40カ国ある。これらの国に金を貸している者たちがいる。表面上は、その資金はIMF(国際通貨基金)や世界銀行を通した政府間の借款だ。貧乏国たちを借金地獄に落として苦しめる仕組みを、始めから分かっていて、ディープステイトは作ったのだ。
 こうした国王貸し、大名貸しの者たしhがヨーロッパのパリクラブに集まっている。彼らがヨーロッパ全体のディープステイトである。彼らは本当にフランスのシャンゼリゼ通りやオペラ座の辺りの超一等の土地、建物をたくさん持っている。ドイツでいえば、一番の商業都市のフランクフルトの大きい超高層ビルを何十本も持っている。そういう者たちがディープステイトだ。
(前掲書p116)

(※7)
 44年前(1980年のレーガン大統領の当選時)、アメリカ合衆国と保守派運動は未曾有の危機(八方ふさがり)の中にあった。私たちは、ワシントンのエリートたちエスタブリッシュメント(官僚と超財界人の2つ)に裏切られた。そして私たちは、誰を信用していいのか分からなくなってしまった。
 支配力においても文化の面においてもエリートとされる連中の下にある今のアメリカを見よ。インフレが家計をボロボロにし、ドラッグの過剰摂取による死者数は増える一方だ。そして子どもたちは、(気持ち悪い)ドラァグクイーン(オカマ)と幼児ポルノとともに推し進められる。毒にしかならない「正常化」が学校の図書館に押し寄せていることで苦しんでいる。
(前掲書p241)

(※8)
 今日、連邦政府の官僚制度は、国民への奉仕という根本の理念と、まったく合わなくなっている。
 能力や知識、スキル(技能)を判断する人事基準は、もはや公務員の採用や任務抜擢、昇進の根幹たり得ていない。その反面、給料や福利厚生は、民間企業の同等の仕事と比較して手厚すぎるほどだ。
 ほとんどの分野において、基本的に人事施策がパフォーマンスに基づいていない。公務員の不十分な働きをしたとき、それがきちんと査定に反映されたり、正されたり、処罰されたりしていない。
 連邦政府の官僚制が持つ特定の欠陥、即ち、規模、組織のレベル、非効率性、支出、そして政治指導者への責任の欠如は、リベラルの進歩的なイデオロギーに原因がある。即ち、選挙で選ばれていない専門家たちが、国民の社会生活のあらゆる範囲に及ぶ福利厚生の質を上げてくれる、と信じ込まされている。だがそれは、そう信じるべきだというイデオロギーに過ぎない。
(前掲書p245)

(※9)
「プロジェクト2025」は50以上(現在も増え続けている)の我が国をリードする保守派組織が参加している。「その日はつかむ」べく周到に準備する。(注)シーズ・ザ・デイ「その日をつかめ」は、ソール・ベロウの有名な小説の題名で、元は聖書の中のコトバ。
「人事は政策だ」という自明の理(アクシアム。公理)である。そして、私たちは新しい世代のアメリカ人を求めている。(戦うための)招集に応じ、大統領の下に結集し仕えるためだ。
(前掲書p237)



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2024年11月04日

民主政の根源は、ポピュリズムだ

4回目。

シビル・ウォーを観てきた」の予告通り、「トランプ勢力の徹底抗戦で アメリカの国家分裂は進む」を選挙前に取り寄せて読んだ。
もう、副島先生、圧巻だった。
本当は、副島先生の予言というか、予想が、当たるのかはずれるのか、というのを、選挙前に読んでおこうという興味ばかりの動機で買ったのが、私の反省するところ。
もう、そんなのどうでもいいです。

最初に、この記事の見出しについて。

民主政は、デモクラシーの正しい訳であり、民主主義は、誤訳である。
主義というのは、たぶん、そういう気概がある人にはわかると思う。
「オレはこういう主義だ」と自己主張するように、自己の主張が大きい部分を占める。
しかし、政体というのは違う。
君主制、民主政とあるように、政治体制のことである(真実は君主政も民主政も同じであり、対立概念ではない)。
だから、主義という言葉の使い方が間違っている。

ポピュリズムについても、日本のマスゴミや言論人は間違って報道している。
本当は違うのだが、開き直って「大衆迎合のどこが悪いのだ!」と言っていい。
大衆迎合を誘導しているのは、何だ?誰だ?
利益誘導とそれを主導する政治家、及び、マスゴミだ。
大衆迎合と叫ぶ言論人や政治家は、考えが悪い!
大衆の意見というのは、民主政の根幹だ。
間接的にその意見を代弁するのが、代議士だ。
そうではないのかい?

午後の3時頃から読み始めて、7時前には終わったかな。
一気に読み終われるほど熱中した。
いい本だ。
学術的な読みにくさもないし、もう第三章から第五章までは、現代社会にピッタリ。
LGBTQから親ガチャ、子ガチャの人権問題まで。
これほど、現代語でわかりやすく書く人は、まず、いない。
と言っても、本を読む習慣のない人は、あるいは、興味のない人は、絶対に無理。
無理”と書くこと自体、「お前はオレをなめているのか」とおしかりを受けるかもしれないが、もう、それにすら、「かかって来い!」と謂わんばかりに書いている。
人権only平等onlyを主張している人たちは、読むべきである。
一考の価値あり。
特に、学問を志す若い人たちには読んでほしい。
私年代から上の人たちは、もういい。
頭が固い人が多い。
こういう本に恵まれた今の人たちは、きっと賢くなると思う。

日本の首相たちも首相候補もバッサリ!
彼らは、そういう人たちだったのか!
石破首相は、まだいい。
政権維持の装置は、いったい何だったのか!
君もきっと総理大臣になれるかも!

情熱のこもった良本だ。
大統領選挙が楽しみ。
先生の予想だと、トランプ落選!

あまり中身を書くと、新刊書だから怒られる。


追記の関連リンク

カマラ・ハリス大統領か

ドル指数が大幅低下、トランプ氏勝利の見方後退示唆か−原油は上昇

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2024年11月02日

映画にもなった凶悪事件は、冤罪だったかも

4回目。

まず最初に。
私が常に引く鹿砦社の「紙の爆弾」を定期購読してやってください。
人為的パンデミックなどで、かなりの経営不振に陥っていて、8月号と9月号を合併号として乗り切った。
つまり、定期購読12冊分の1冊を削ってしのいだわけだ。
こんな月刊誌を潰すことは、社会的に良くない。

その11月号では、映画にもなった「茨木上申書殺人事件」を冤罪事件として書いてある。
月刊誌「新潮45」の2005年に書かれた編集部編『凶悪―ある死刑囚の告発―』を発端として、映画にまでなった。
ウィキペディア」では、首謀者をXとしているが、「紙の爆弾」では、実名で報道されている。
映画『凶悪』については、下↓が詳しい

https://ciatr.jp/topics/311400(「ciatr[シアター]

「紙の爆弾」によると、この主人公であるXは、三上静男さんという方で、現在、無期懲役刑で服役している。
死刑囚である元暴力団組長が、自らも関わった殺人事件を告白して、三上さんを有罪にした。
告白した殺人事件は全部で3件で、そのうち2件は立件されていない。
立件された1件が、栗山さんという方を殺した保険金殺人事件である。
しかし、これが冤罪ではないか、と疑われている。

どうも不自然なことがたくさん出てきた。
共犯のはずの元暴力団組長の舎弟たちが、何と!起訴されていないのだ!
栗山さんの家族も共謀で、家族も有罪になっているのに。
したがって、起訴を見送る代わりに、三上さんを首謀者にするという司法取引をしたのではないか、という疑いが出てきた。
しかも、裁判では、保険金を三上さんが受け取ったという確証もない。
保険金殺人なら、三上さんも受け取っているはずなのに。
さらに、殺害前に、三上さんと共謀したはずの栗山さんの家族が、保険金の話をしていない、というのだから。

三上さんの手紙には、次のように書いてあった。

「私は、他人に尽くしたり、助けたりはしましたが、他人を殺めたことはありません」
(「紙の爆弾」2024年11月号p123)


非常に冤罪の可能性が高い。

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2024年10月30日

奴隷国家まっしぐら!

ふたたび、こんばんは。

衆院選挙の前の自民党総裁選に立候補して、泡沫候補にしかならなかった小泉進次郎議員は、やっぱり売国奴ではないのか。
彼は、農家の敵としかいいようがない。(※1)
農業という仕事を小馬鹿にしているように感じる。

姪の友だちの家がコメを作っていて、そこから玄米を仕入れているのだが、お礼にするめいかを1箱プレゼントしてきた。
実際に会ってみると、同年代とは思えないくらい老けて見えた。
それくらいに体力を使い、苦労しているのだと思う。
一般のサラリーマンにやれ!といっても、9割がたは拒否するだろう。
国の食糧生産で大事な人たちに、補助金をやってどこが悪い!
2そう曳きトロール船の建造資金に使う補助金とは違うのだ!

さて、本題は、「紙の爆弾」のトップ記事である。
「日本の農と食を潰す洗脳を解く」という題で、例の鈴木宣弘教授の書いたもの。
外国への食糧依存という目論見が、アメリカや属国根性の日本の政治家よって見事に達成され、これを「セルフ兵糧攻め」と鈴木教授は表現している。
驚くことに牛乳などは、外国から輸入するために、国内の牛乳を捨てている。(※2)
これを容認する議員連中は、売国奴だ。

この記事を読んでからというもの、黙っちゃいられない!
ということで、同じ号を5冊追加注文して、選挙が終わってからばら撒いた。
郵送が2つ、手渡しが3つ。

食糧安全保障という言葉は、今の日本には、使えない!

玉子も終わっていた!

https://news.tv-aichi.co.jp/single.php?id=5266(「愛知のニュース



追記の関連リンク
「ヨーロッパのほぼすべての肥料生産工場が閉鎖された」と三菱UFJフィナンシャル・グループが報告

果樹の花粉の輸入量が激減

アメリカで観測史上最悪の「突発的な干ばつ」が進行中


(※1)
 新米の価格上昇が消費者を襲っている中、コメ農家の倒産・廃業が相次ぎ、今年は過去最多の届け出数を記録、届け出前まで含めると50件を超えた。千葉県で来年度での廃業を決めたコメ農家のAさんは、「自民党農林部会長だった小泉進次郎が竹中平蔵の入れ知恵で、『日本の農業にもっと競争力を』と言って新自由主義を持ち込んだことが原因」と断言した。
 9月の総裁選でも持て囃された小泉氏は環境大臣になる前に、2015年から約2年間、農業改革に着手。農協系の金融機関「農林中金」の総資産100兆円のうち農業への融資がわずか0.1%だと問題視した。
 世間では既得権益を改革するように見られていたが、Aさんから見ると違うという。
「農林中金は、世界中で運用益を農協の赤字補填に使っている。おかげで農協は、農家に補助金を出せています。国で不十分な補助金を補っているのに、それを既得権があるかのように演出したパフォーマンスは、父親の郵政民営化とそっくりでした」
 逆らうものは巨悪であるかのように持ち込むのは、たしかに父・純一郎元首相にそっくりだ。
「農業を知らないから、本当の問題点であるコストの増加や生産の制約、特にコメ農家がその影響を受けやすいことなどは無関心」(同前)
(中略)
 小泉氏は「日本の農業は補助金漬け」と批判してもいたが、果たしてそうか。欧米など海外でも農家が補助金でサポートされている国は多く、フランスでは小麦農家の輸出所得の9割が政府の補助。命にかかわる基礎食料は世界でも損得勘定抜きで維持されている。自民党は防衛費倍増で「国を守る」というが、国民に必要なのは武器よりも食糧だ。
(「紙の爆弾」2024年11月号p36)

(※2)
 アメリカとの関係では、日本の農業を苦しめているものに最低輸入義務の存在があります。政府は国の責任で、たとえば乳製品なら年間14万トンを無理やり輸入しています。そんな約束は本当はなかったのです。しかし、私が調べたところ、アメリカとの密約でこれだけは輸入しろと言われているわけです。
 北海道で牛乳が14万トン余ると「牛乳を絞るな、捨てろ」「牛を殺せ」と言う。しかしその一方で13万7000トン分の乳製品を輸入しています。だったら、輸入をやめればいいだけです。「義務でない輸入をなぜ続けるのか?」と政府に問うと、当時の農水大臣は、「輸入に頼る日本が輸入を減らすと、信頼をなくして、これから売ってもらえなくなると困る」。わけがわからない答弁です。吉田松陰の「外に媚び、内を脅かす者は、天下の賊である」という言葉の通りです。
(前掲書p9)


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2024年06月30日

車の基本は、走って、曲がって、止まる

4回目。

トヨタも不正か!というニュースが賑わっているが、ダイハツにしろ、トヨタにしろ、同じ系列会社が不正に関わった。
しかし、私は、トヨタの車はいいと思うし、ダイハツの車もいいと思っている。
何より、壊れない。
今まで乗ってきた中で、一番安定しているのが、トヨタ系列だと思う。

日産には悪いが、塗装が良くない。
ちゃんと洗っていないと、錆びやすい。
以前、日産アトラスというトラックを買った時には、後悔した。
中古でも、いすずの方が丈夫だった。

ホンダには悪いが、細かい部分がいかれやすい。
この前など、止まっていた私の中古プレオに、N-BOXがぶつかってきて、プレオはバンパーに傷のみ。
相手はパンパーが凹んで、あれは交換するしかない。
私のは、どうでもいい傷だったので、「何もしなくていいから」と言ったが、相手は車両保険を使いたいためか、事故証明を取るためにおまわりさんが呼ぶという。
時間がもったいなかった。
ホンダ車には、追突されたくない。
ほかに、車が動かなくなった、というのもある(笑)。

車は、走って曲がって止る。
この確実さが一番じゃないのかなあ、と思う。
私のは、かなり前のプレオだが、これが、何も付いてないので、車体が非常に軽い。
手回しの原始的な窓で、窓を閉めなくても、エンジンを止められる(笑)。
付属品は、原始的なエアコンのみ。
軽いせいか、平地は勝手に走っていくし、下り坂は、加速する一方。
おかげさまで、おまわりさんに捕まった(笑)。
軽くて車高も低いから、カーブも簡単に回れるし、ブレーキを踏めば、すぐに止まる(意外にも、アンチロックがついている。笑)
軽量プレオとCVTは非常に相性がよく、三陸道を走れば非常に快適で、プリウスユーザーに貸したら、「外見はカッコよくないが、走りはいいし、燃費も悪くない」と褒められた(プレオは、ダイハツミラのOEM車だから、ミラを同列と考えていい)。

今は、過剰な安全装置で、車体が重くなっている。
いくら安全装置が優れていても、事故はなくならない。
運転手が、無謀運転したりしたら、事故は起きる。
だから、そういう運転をしないように、更新時講習をみんなが受ける。
最近、流行っているらしいが、気を失ったり、突然死したら、もっと重大な事故は起きる。
今や、曲がれない車はないし、止まれない車は、100%ないだろう。
運転手の問題ね。

トヨタの認証不正について、まあ、国に従わなかった、というのが、見つかったというだけで、そんなに悪いことをしたわけではなかった。

https://news.yahoo.co.jp/articles/2be699694f28a4e15bfe79c2dffa928165dbb216(「Yahoo!ニュース」)

国に従わない、ということは、国に背いて、そして、国の認証試験より厳しくしているのだから、トヨタはエライ!
これが、不正かね。
アホらし。

もっとアホらしいのは、EVバカである。
EVは、環境汚染車である。
EVに使われているリチウムイオンバッテリーで、リチウムは、リサイクルできていない。

https://monoist.itmedia.co.jp/mn/articles/2201/26/news018.html(「MONOist」)

だから、回収したリチウムは、ただのゴミにしかならず、それも、ちゃんと隔離しなければならない。
しかも、EVのタイヤは、非常に減りやすい。

http://platinum-room.seesaa.net/(「Merkmal」)

EVが重量が重いためタイヤが減りやすく、加速や制動も強いため、ますます減りやすい。
軽量プレオとは、大違い!
そのため、タイヤの粉塵量も、非常に多くなるようだ。(※1)
充電する電源に関しても、電力会社の系統なら、化石燃料エネルギーだから、何も環境にやさしくない。
ソーラー自家発電からの充電ならば、まだわかる。

なぜ、ヨーロッパがEVバカになったか、というと、どうやら、ガソリンエンジンやハイブリッドで、日本にぜんぜん太刀打ちできないから。
それで、日本をいじめてやれ、というので、EVバカになったらしい。

https://president.jp/articles/-/45580(「プレジデントオンライン

しかし、頼みのEVも、ヨーロッパの思惑からはずれ、中国のBYDに占領されつつある。(※2)
欧米は、白人優越主義から、アジアやアフリカを鬼畜のように扱っていじめようとするから、こんなことになるのだ。
彼らは支配することだけを考え、モノづくりに向いていないのかもしれない。

BYDは、もともと、バッテリーメーカーだ。
だから、仮に車でこけても、やっていける。
これが強みだという。(※3)

トヨタの全固体バッテリーとBYDの競争になってきた。
EVの購入は、全固体バッテリーが開発されてからがいいだろう。
まあ、私には買えませんけどね。
30万円で買ったプレオで十分です。
ちゃんと、走って、曲がって、止まりますから。



追記の関連リンク

世界は甘くない。なぜ、日本のバッテリーメーカーはBYDのようになれなかったのか。
こりゃトヨタも抜かれるわ…テスラを超えた「BYD」を軽く見る日本人を待ち受ける「受け入れがたい未来」




(※1)
現在のEVは、「環境破壊車」として、まっとうなエコロジストがブチ切れるようなシロモノなんです。
 まず現在のEVが抱える最大の問題点は「バッテリー」です。高出力のリチウム電池の普及に伴いEVの性能も大幅に上がりましたが、このリチウム電池、充電・放電を繰り返すと急速に劣化します。スマホすら3年程度で衰えるでしょ。当然、高出力の電気自動車はそれ以上に短期間で交換しなければなりません。
 ここで重要なのは、廃棄となったリチウム電池の処理。実は依然として「リサイクル技術」の完成の目処が立っていなんですよ。
 レアメタルのリチウムは基本「劇物」です。リチウム鉱山の採掘では激しい環境基準が設けられるほどで、液化(イオン化)している以上、適当に廃棄すれば液漏れで環境を破壊しかねない。スマホなどのバッテリーは小さい分、処理もマシですけど、これが普通車クラスのEVとなれば、1台でスマホ千台分の量となります。そんなものを「主力車両」にすれば、「20年もかからずEV廃棄物汚染による深刻な環境破壊が起こるのでは」と予想するリケダン(理系男子)の意見は傾聴に値します。
 あと、バッテリーって寒暖に弱いでしょ。スマホでも寒い日は電池切れが早くなりますし、逆に真夏日ではバッテリーを冷却するために、やはり電力を消費します。冷却しないとリチウム電池は爆発しちゃいますからね。
 自動車は人の命を乗せて走ります。大雪の日、バッテリーが切れたら凍死しますし、夏場もクーラーが止まれば命に関わります。EV車両を長期間、野外に放置した場合、条件によってはバッテリーが爆発する懸念も強いのです。
 また普通車クラスのEVは通常のガソリン車やハイブリッド車に比べて大量のバッテリーを積む分、だいたい300キロ以上に重量が増します。現在のタイヤはガソリン車を基準に製造されていますから、重いEV車に装着するとタイヤ溝がガリガリ削れて、この大量のタイヤカスの粉塵被害は、すでに深刻な社会問題になっているぐらいです。
 つまりバッテリーの問題が解決しないかぎり、EVの本格導入は時期尚早なんですね。最もスターターや電動アシストの自転車、二人用のミニ車両に使う分にはEVは有能です。モーター駆動で静かなうえ自宅で気軽に充電できるのもメリットです。
 EVの本格導入は現在トヨタがリードする「全固体バッテリー」の実用化を気長に待ち、またリサイクル技術を含めた技術的なブレイクスルーが起こらないかぎり、普通車レベルの導入は「しないほうがいい」というのがEVに対する正しい認識となるわけです。
(「紙の爆弾」2024年7月号p36)

(※2)
なぜ、EUがこんな「狂気の沙汰」を強行しようとしてきたのかといえば、もちろん理由があります。このゼロエミッション車計画、実は内燃機関(エンジン)とハイブリッド技術で日本のメーカーに太刀打ちできなくなった欧州メーカーが泣きついたことで始まった、といわれているんです。
 実は欧米の自動車メーカーは、ガソリンエンジンを「完成された技術」として、1990年代以降、研究開発をおざなりにしてきました。結果、ガソリンの次は「グリーンディーゼル」と言い出したものの、盛大に失敗して電気自動車に飛びつくしかなかったわけです。
 当然、地道にエンジン開発を続けてきた日本のメーカーとの差は開くばかり。いまのF1はホンダエンジンを積んだレッドブルチームの勝率がこの3年、9割を超え、90年代のホンダ黄金期以上の格差を見せつけており、ここからも現在の欧州自動車メーカーが「新型エンジン」の開発競争に脱落している実情が読み取れるのです。
 そんなわけでスタートした「EU内から日本車(ガソリン車・ハイブリッド車)を排除、欧州メーカーが先行しているEVにバンバン補助金付けて売りまくる計画」。しかし、これまた盛大に失敗しております。
 その失敗の要因が今回、採り上げたBYDでございます。「比亜迪」と書いて中国の発音は「ビーヤーディ」。英語の略語じゃないんですね。
 さて、このBYDですが、現時点で「世界一の電気自動車メーカー」です。ついに化けの皮が剥がれて大規模リストラとリコールと環境破壊の訴訟の嵐が吹き荒れているテスラ(米)を尻目に、年間生産台数950万台、とくにEV補助金をばらまくEU内で荒稼ぎしております。
(前掲書p37)

(※3)
見た目は自動車メーカーでも中身はバッテリー会社。ここに、この会社の「強み」と「将来性」があると思うのです。以前、NHKが「激流中国」(07年)という経済発展する中国の大型ドキュメンタリーを放送したんですが「中国の自動車メーカーはエンジンが作れない」と、特許(パテント)の切れた70年代のカローラのエンジンをそのまま作って乗っけていると商会していて、けっこう、驚いたものです。
 自動車はエンジンをベースにして車体を開発します。そしてエンジンの開発は莫大な研究予算がかかります。つまり自動車メーカーは、金のかかるエンジン開発を行なうために、自動車を売って稼いでいるわけでして、いまだに新型エンジンを自主開発できない(金がかかるからやらない)中国や韓国のメーカーは「もどき」と言わざるを得ないのですよ。
 その点でBYDは違います。ベースがバッテリー会社だけに、最初からエンジン開発など眼中にないでしょうし、開発もバッテリーとモーター、その制御装置といったPU(パワーユニット)に集約できます。リサイクル技術も会社の存亡がかかっている以上、莫大な研究費を注ぎ込んでいるでしょうし、EUで荒稼ぎできたおかげで全固体バッテリーの開発ではトヨタと真っ向勝負できる体力をついています。
(前掲書p39)



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2024年06月29日

不気味なジョージ・ソロス

3回目。

載せようか載せまいか考えたが、池上彰の番組を見たら、載せることにした。
ジョージ・ソロスが、裏で何かやっているのではないか、ということだ。
こういうことは、まず、日本のテレビや新聞で報道されることはない。

「Antifa(アンティファ)」という暴力組織(組織にはなっていないそうだ)がある。
黒人差別をなくそうというBLM(ブラック・ライヴズ・マター)運動を、過激化させたのも、アンティファだ。
このことで、以前、トランプ大統領は、非難声明を出している。

https://www.bbc.com/japanese/52873099(「BBCニュース」)

この、ろくでもないアンティファに、ジョージ・ソロスが資金を出し、世の中を攪乱しているという。
行き過ぎたイスラエルのガザ攻撃に対し、アメリカの大学内で抗議活動が盛んであったが、それにアンティファが火を注いで過激的に扱われ、警官たちに取り押さえられたようだ。
ジョージ・ソロスの目的は何なのか、今のところ、はっきりしない。
アメリカ大統領選挙は、今後、何が飛び出すのか、わからないという。



ユダヤ系投資家のジョージ・ソロスが率いるオープン・ソサエティ財団が、BLM運動を過激化させたANTIFA(アンティファ)に今回も資金提供し、学生運動に紛れ込ませているとの指摘がある。結果、反戦デモだったものが、「過激な反ユダヤ主義」暴動としてレッテル貼りをされていて逮捕者が後を絶たない。
 実際、大学内でアンティファに襲われたジャーナリストが、同じ人物に20年のBLM暴動でも襲われた、と証言した。こうしてBLM運動の裏側が次々と明らかになっており、創始者の黒人女性が4軒もの豪邸を白人の多い場所に購入したなどと報道されて、資金の使い道に疑惑が生じてもいる。黒人が白人警官に殺される事件はいまだ起きていても、以前ほどの抗議運動に発展しなくなった。そうした中、ガザ情勢がソロスの次のネタになっているということだ。
 ハンガリー系ユダヤ人であるソロスが、パレスチナ活動家を背後から支援しているとの報道もあり、トランプ前大統領が「イスラエルは世界に誇る軍隊や防衛システムを持ち、ハマス情報にも精通しているのに、なぜ易々と攻撃をさせたのか」と疑問を呈した。トランプ自身が4年前の大統領選でソロスに妨害された立場から、イスラエルで行なわれているマッチポンプに疑義を抱いたわけだ。
 さらに極端な見方として、むしろアメリカがイスラエルにコントロールされていると主張する人もいたり、昨年10月のハマスの攻撃を契機とするガザ戦争、アメリカがイスラエルを支援しなければならない裏事情、そして国内で広がる反戦運動の過激化と、この一連の流れが半年後の大統領選に向けられて蠢いているという見方もある。もしそうならば、さらなる別の事態も懸念される。いずれにせよ、事態を俯瞰して見続けなければならない。
(「紙の爆弾」2024年7月号p74)



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トランプとプア・ホワイト

ふたたび、こんにちは。

テレビニュースはアメリカ天国で、大谷選手かアメリカ大統領選挙。
トランプ対バイデンで、まるで、裁判にかけられている悪人とボケ老人の闘いだ。
変なバイアスのかかっている日本の報道機関は、なぜ、アメリカでトランプに人気があるのか、について、考察がない。
というより、知っていながら、隠しているのである。
アメリカ政治の裏側は、副島先生の古い著書、「世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち」に書いてあり、今でも、共和党、民主党の考えは、変わっていない。
このことを、私は、「漁師のつぶやき保存版」で紹介している。

http://www13.plala.or.jp/anchor/archive/seijitoha5.html

読むと、ミルトン・フリードマンが出てくるが、彼の正体がこの時代(「漁師のつぶやき」を書き始めたのが2002年)はわからなかった。
小沢一郎も、おそらくは、アメリカの利用されたと思われるし、小泉純一郎も、竹中平蔵を介してアメリカに利用された。
それでも、副島先生の「世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち」を読んで書いたものだから、最終的な責任は、副島先生にある(笑)。
みんな、まんまと一杯食らったのだ。
だから、副島先生は、アメリカに関して、いつも「騙されるな」と戒めているのである。

さて、副島先生の著書では、関連することがたくさんありすぎるので、前後を読まないとわからないことも多い。
一発で、わかりやすい文章を転載する。
アメリカの伝統保守が、これでわかる。
伝統保守は、トランプの出現を待ち望んでいたのである。
悪は、民主党の強欲な人間たちなのだ。
それを根っからのアメリカ人は、私たちと同じように、「騙されないぞ」と考え、トランプを応援している。



 トランプが所属する共和党はGrand Old Party=GOPと呼ばれるように、現在ではアメリカ建国の精神を守ろうとする伝統と格式を持つ保守党である。
 その支持層は白人系が多く、良くも悪くもステレオタイプの「アメリカ人」だ。敬虔なプロテスタント教徒で聖書の教えを大切にする。
 その一方で、身一つのまま新天地に渡り、何もない荒野でがむしゃらに働き、「成功者」=アメリカン・ドリームになるべく果敢に挑戦する。それが開拓精神=フロンティア・スピリッツとなり、勝ち取ってきた「個人の自由と権利」を踏みにじろうとする国家や権力に対して猛烈に反発する。この傾向が国家に拡大されてモンロー主義を生んだ。
 極端なまでに権力の介入を拒絶する気質は、国家による福祉政策すら最少でいいと受け入れている。
 そして移民国家の文化として、サッカーではなくベースボール、オペラではなくミュージカル、音楽・映画・ドラマといったすべての大衆文化を「アメリカナイズ」。それを好きになれば、国籍や民族関係なく、ごく自然と「アメリカ人」へと変貌する。そんな効果的な移民の文化を育んできたのが本来のアメリカ人といえる。
 欲しいもの、楽しいもの、必要なもの、すべてメインランド(米本土)に揃っているのだ。だから、アメリカ人は他国への関心はおろか理解の程度も低いわけだ。第二次大戦前のアメリカ人はケンカを売らなければ、他国のことなど「基本どうでもいい」と考えていたほどだ。 
 共和党やその支持層は、この「第二次大戦前までのアメリカ人気質」が色濃く残っている。ライフスタイルも戦前と変わらない人も多い。
 問題は90年以降、冷戦終結で超大国となった結果、アメリカの巨大資本や権益者たちがアメリカ主導によるグローバル化と世界支配という「プラン」を推し進めてきた点にあろう。
 このプランに積極的に加担してきたのが民主党とその支持勢力(ウォール街の国際金融資本・エネルギーや各種資源を牛耳るメジャー・巨大IT企業群・大手メディア・投資家・富裕層といったエリート層)。彼らにすれば、ひきこもりがちで国際情勢への関心が薄く、他国への干渉や介入に否定的な「本来のアメリカ人的な気質」を持つ共和党の支持層は、邪魔な存在として排除すべき対象となった。
 そこで民主党勢力が仕掛けたプロパガンダが、「プア・ホワイト=貧乏な白人男」である。
 カウボーイスタイルを好み、分厚いステーキをほおばり、ベースボールやプロレスに熱狂してビールをかっくらう。そんな典型的なアメリカ白人(共和党の支持層)はバカだから、仕事は小汚い工場や農場などで安い賃金=ラストベルトにしかつけない。
 間抜けだから世界の趨勢が読めず、古くさい価値観にすがりついて新しい時代のアメリカ発展を邪魔する「害虫」とばかりのイメージを、2000年から現在に至るまで、ものすごい勢いで拡散させた。マイケル・ムーアの「アホで間抜けなアメリカ白人」が典型であろう。
 しかもグローバリズムの持つ悪辣さと強欲さを「隠蔽」するためなのか、この「プア・ホワイト」は、同時に「リベラル思想=きれいごと」をセットにして拡散した。反対すれば「非人道的」「時代遅れの価値観」「野蛮人」と、よりいっそう過激に攻撃し、反論できないようにするためだ。これが現在のSDGsへとつながる。 こうして2000年代、「プア・ホワイト叩き」が吹き荒れ、アメリカ的な精神と文化がバカにされた時代、屈辱に耐える共和党の支持層たちの前に颯爽と登場したのが、もうおわかりだろう。「ザ・アメリカン」なドナルド・トランプだったのだ。
 大富豪でありながらハンバーガーとコーラが大好物。ベースボールに熱狂し、果てはプロレス(WWE)にリングに上がる。肉をかっ喰らって何が悪い、成功すればグラマーな美女をはべらすし、ストレス発散にはマグナムをぶっ放す。ガス代をきにせずバカでかいアメ車を転がすのがアメリカの、アメリカ白人の正しい伝統じゃないか。
 だいたい他国の戦争でヤングボーイ(アメリカの若者)が血を流し、米国民の税金で戦費を賄うのはおかしいだろう、自国の防衛は自国でやれ、武器は売ってやるから、とガンガン吠えるのだ。
 LGBTといったマイノリティの権利、CO2削減といったエコやクリーン政策に、しゃらくさいと平然と反対の声をあげる。リベラル色が強くなり「言いたいことも言えなくなった世の中」でトランプは常に自分たちの思いを「代弁」した。なまじ政治実績があるだけに黙りこむ共和党の代表候補が多いなか、シロートのトランプだけが吠え続けていた。
 この男を共和党の代表としてなんとしても大統領選に送り込む。そして「本来のアメリカらしさ」を否定した民主党と、その勢力を叩きつぶす。これが12年以降、共和党支持層のコンセンサスとなっていたのだ。
 いずれにせよ、先にケンカを売ってきたのは民主党と、その勢力。当然、共和党のトランプ支持層は「正義は我に在り」と過激化する。
(「紙の爆弾」2024年7月号p102)



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2024年06月21日

コモンズとミュニシパリズム

こんにちは。

前回の「正常な自治」は、自治というのは、自ら治める、ということを原点として、その意識の高い世田谷区民、そして、世田谷区長に選ばれた岸本聡子さんのことを紹介したものだ。
だから、「正常の自治」とした。
もしかしたら、正常な自治に戻す運動が、ミュニシパリズムであるのかもしれない。(※1)

ミュニシパリズムは、地域主権主義、自治体主義と訳され、人間が最低限生きていくために必要なものを、コモンズとして捉え、それを新自由主義から、再び地域住民が勝ち取っていこうという運動のことを言っているのではないか、と私は読み取った。
コモンズとは、共有財のことであり、それを住宅や食料まで含めるという立場になっている。
新自由主義の優勢なEUでは、いろいろなものが民営化されたが、それをコモンズ(共有財)ととらえ、再公有化を実現させている。(※2)
それでは、EUでのコモンズの拡大について記していく。

イタリアでは、水道事業の民営化に対して、国民投票で異議を唱えた。しかし、各地でその投票結果に従わず、ナポリ市は先駆けて、公営化に踏み切った。(※3)
民泊事業の企業Airbnbが住宅を買占め、住宅不足に陥ったアムステルダム市は、Airbnbの規制に乗り出した。(※4)
Airbnb(エアビーアンドビー)とは、正式な宿泊施設ではなく、現地の住民が自宅など一般の住宅を宿泊施設として提供し、旅行者との間をインターネットで仲介する米国企業サービスである。
この企業の進出により、住宅価格や家賃が上がり、住民が困ることになった。
EU各地では、大手不動産会社が住宅を買占めた結果、家賃が上がり、一ヵ月4万円だったのが、10年後には、15万円にもはね上がり、3倍以上になった事例もあるほどだ。
3人から4人でシェアすることが、当たり前になっている。(※5)
規制緩和を推し進めるEUに対抗するため、現在、国境を越えた自治体どうしで、知恵をしぼっている。(※6)
中央政府は、困っている住民のために、全く役に立っていない。

水道と住宅をコモンズとするのは、なるほど、と思う。
しかし、それだけではない。
今や、住民の食にまでコモンズを適用し始めている。
それは、大手ネット企業の中間搾取が原因だ。
アルゼンチンでは、アマゾンのような民間のプラットフォームに対抗するため、国営のプラットフォームを設立しようとしている。(※7)

この流れからいけば、2そう曳きトロールをかけまわし漁法にし、沖合底曳網漁業を公営化しても悪くない。
あまりに漁獲圧の高い漁業は、魚が少なくなったら、漁をさせない。
あまりに減少しすぎた業類資源を復活させるためである。
根こそぎ漁業は、社会にとって、「悪」なのである。

最後に、女が搾取されていることにも触れている。
本当に社会に必要な仕事を「ライフメイキングシステム」とし、このシステムには、女性を低賃現で働かせている、という現実がある。
これに対し、非常に強烈な指摘であるが、軍事、武器、化石燃料、車、原発などを、「デスメイキングシステム」と呼ぶ。
「ライフメイキングシステム」で、労働者を低賃金で働かせ、金持ちたちは「デスメイキングシステム」で儲けるとは、何事か!と、いうことだ。(※8)
まったく、その通り!

EUで行なわれている新自由主義による規制緩和は、日本の比ではない。(※9)
EUは規制緩和による市場開放が進みすぎて、世界的な大企業ばかり潤い、住民は生きていくのが大変になっている。
日本は、まだマシだ。
今のうちに、ミュニシパリズムを浸透させていったほうがいい。
これにより、収入格差も小さくなるのではないか。



(※1)
 地方自治体の意である「ミュニシパリティ(munisipalitey)」から来ているミュニシパリズム(あるいはミュニシパリスト)は、政治参加を選挙による間接民主主義に限定せずに、地域に根づいた自治的な民主主義や合意形成を重視する考え方だ。ミュニシパリズムを掲げる自治体は、市民の直接的な政治参加、公共サービスの再公営化や地方公営企業の設立、公営住宅の拡大、地元産の再生可能エネルギーの促進、行政の透明性と説明責任の強化といった政策を次々に導入している。
(「地域主権という希望」p44)

(※2)
 この数十年、世界中で、国や自治体が本来もっていた公共的な役割をどんどん縮小し、水道や電力など住民生活に不可欠なインフラ事業まで、民間企業に委託してしまう民営化の流れが続いてきました。その結果、本来は住民のものだるはずの公共の財産が、営利の営利の論理で支配され、人々の生活を圧迫するといった問題が相次いでいます。
 私が長く暮らしていたヨーロッパでは近年、こうした民営化の流れがを止め、住民が地域の公共財産を自分たちで民主的に管理する仕組みを作り直そうとする動きが各地で生まれています。
 そして、こうした住民運動を母体として自治体ごとの市長政党がつくられ、首長や地方議会の選挙で勝利し、国の政府やEUといった大きな権力にお敢然と物申していく ― このような現象は、「再公営化」「ミュニシパリズム(地域主権主義、自治体主義)」、そして「恐れぬ自治体(フェアレスシティ)」という言葉でとらえられています。
(p4)

(※3)
 イタリア市民は公営水道の一部民営化を強制する法律を覆すために、2011年に国民投票を組織し歴史的な成功を勝ち取った。これによって水道事業から利益を上げることを禁止する憲法改正にこぎつけたが、多くの自治体がその精神に従わず、利益追求型の水道サービスの形態を変えなかったので、市民の怒りと失望は大きい。そのような背景があるなかで、マギストリス市長率いるナポリ市は、全国に先駆けて水道サービスの公的所有を確立し、水をコモンズ=公共財と位置づけた改革を行った。
(p45)

(※4)
 アムステルダム市は、Airbnbの規制にいち早く乗りだし、Airbnbの民泊を年間30日までと限定した(30日以上民泊を提供するということは、そこに居住している事実が薄いとみなす)。企業や資本家がAirbnb用に不動産を買い占めることが問題になっていて、他の首都同様、アムステルダムの住宅不足と価格高騰は深刻かつ緊急課題だからだ。
(p51)

(※5)
 住宅の不足と賃貸価格の高騰は、ヨーロッパの首都や主要都市に共通の、緊急かつ重大な課題になっている。私がかつて住んでいたアムステルダムはその筆頭で、20代〜30代前半の同僚たちは、高い家賃のアパート(1500ユーロ=約19万円)を3〜4人でシェアしている。一人暮らしは贅沢な選択になってしまった。10年前、私が家族3人で住んでいた、小さな公営アパートの家賃は当時400ユーロ(4万2500円ほど)であったのだ。いま、そのアパートは民間所有となり、家賃は1200ユーロ(約15万円)という。これだけ見ても、過去10年間の住宅市場の激変が見てとれる。
 アーティストの天国であり続けたベルリン市も、いよいよその波にのまれてしまった。ベルリンの住宅市場の85%が賃貸住宅であるが、2017年の1年で家賃がなんと平均20.5%も上がったのだ。2013年から2017年で実に2倍になった。もともと家賃が比較的安かったせいか、その変化は著しい。
 そのベルリンで、巨大不動産会社が所有しているアパート群をベルリン市が強制的に買い上げて公営住宅にするという住民投票提案が、にわかに注目を集めている。
(中略)
ドイチェ・ヴォーネン社は、現在11万戸のアパートをベルリンに所有している。全賃貸住宅の6.8%を同社が所有していることになる。これだけの規模で賃貸住宅を一社が所有することは、他都市ではめずらしいかもしれない。ロンドンでは最大手のグレンジャー社でも、所有するアパートは1500戸にすぎない。
 ドイチェ・ヴォーネン社はその巨大な経済力を駆使し、ドイツの比較的厳しい賃貸料金の規制政策の抜け道を探して、賃料を上げる抜群の能力で知られるようになった。規制は同地区内の平均的な値上げ率を基準にしているが、一地区を一企業がほぼ独占すれば、このような規制は機能しない。たとえば同社は、年金生活者が住むブロックを2005年に買い上げて、その途端に月100ユーロ(1万2500円)の値上げをした。年金収入の60%を家賃に充てざると得なくなった人も少なくなかった。
(前掲書p63)

(※6)
 住宅問題に立ち向かうのはベルリン市だけではない。「普通の人が住める街」のための住宅政策は、ミュニシパリズムを掲げる自治体やフィアレスシティの要のひとつである。住宅についてベルリン市は、バルセロナ市、アムステルダム市、ウィーン市などと積極的に協力している。過剰な観光化(オーバーツーリズム)、Airbnbなどのオンライン民泊プラットフォームの拡大、家賃の過剰な値上げ、住民視線ではないジェントリフィケーションは各都市共通の問題だ。
 しかし、ドイツ、フランス、スペインなど多くの国で、自治体は住宅価格や賃貸価格を包括的に規制することはできないとされている。総合的な住宅政策は中央政府の管轄であるしい。その背後にはEUの容赦ない緊縮財政や強烈な市場自由化政策がある。だからこそ自治体が力を合わせて、国家やEUを恐れることなく、学生、労働者、家族、移民が追い出されることなく住むことができる都市を守るために知恵を絞っているのだ。
(前掲書p69)

(※7)
 寡占化したグローバルサプライチェーンは広告とマーケティングを利用して、パッケージ化された食べものを高い値段で消費者に売りつけている。こうした流れに対抗しているのが、10年以上にわたる社会運動を基盤とするロサリオの取り組みである。食べものを公共財ととらえなおし、土地を投機対象からコモンズとして協同で管理する、脱資本主義的な実践といえる。
 コロナ禍で社会経済危機におちいったアルゼンチン政府は、社会運動からの提案を受けて、ロサリオの経験に基づいた国営食料会社と、アマゾンに対抗するような国営電子商取引プラットフォームの設立を法制化しようとしている。イギリスのメディア「オープンデモクラシー」は「国営アマゾンってどんな風? アルゼンチンに聞け」という記事をいち早く配信。記事によると、アルゼンチンのアマゾンに当たるメルカド・リブレに対抗する国営電子商取引プラットフォームは、とくに小規模な生産者と協同組合の製品を流通させるためのインフラをめざしているという。
(p230)

(※8)
 医療、病院、教育、食料(流通)、保育、介護、福祉、自治体サービス、清掃など、社会に必要な仕事のおよそ3分の2を女性が担っている。しかし、その価値は過少評価され、賃金は抑えられているか、もしくは無償である。『99%のためのフェミニズム宣言』(人文書院)に筆者の一人ティティ・バタチャーリャは、このような分野を「ライフメイキングシステム(命を育む仕組み)」と呼ぶ。その対極は、軍事、武器、化石燃料、車、原発などの「デス(死)メイキングシステム」だ。
 資本主義は労働力を得るために、やむを得ずライフメイキングシステムに依存しながら、常にこれを攻撃してくる。賃金を減らし、民営化を推し進める。彼女は、命を育む仕組みを社会、政治、経済の中心にしなくてはいけないという。
(前掲書p166)

(※9)
 まとめるならば、国家主義や権威主義を振りかざす中央政府によって人権、公共財、民主主義が脅かされつつある今日、ミュニシパリズムは地域で住民が直接参加して合理的な未来を検討する実践によって、自由や市民権を公的空間に拡大しようとする運動だといえる。
 具体的には、社会的権利、公共財(コモンズ)の保護、フェミニズム、反汚職、格差や不平等の是正、民主主義を共通の価値として、地域、自治、開放、市民主導、対等な関係性、市民の政治参加を尊重する。ミュニシパリズムは普通の人が地域政治に参画することで、市民として力を取り戻すことを求め、時にトップダウンの議会制民主主義に挑戦する。政治家に対しては、地域の集会の合意を下から上にあげていく役割を、100%の透明性をもって行うことを求める。
 私は本書で、ヨーロッパでの「進歩的な」政治運動を称賛したいのではない。EUというプロジェクトが国際競争を最大化する新自由主義により統合された結果、ヨーロッパ域内は日本では想像を超えるくらい市場開放が進み、行くところまで行ってしまたのだ。そしてその影響は、労働者や若者に深く広く浸透している。EUという組織の構造的な非民主政はいかんともしがたいなかで、戦略的な対抗手段としてミュニシパリズムが成長しているのである。
(前掲書p53)





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2024年06月20日

正常な自治

こんばんは。

東京世田谷区の現区長、岸本聡子さんは、自分が「立候補するぞ」という意志をもっていなかった。
選挙前の世田谷区は、当時の区長が打ち出した政策が、ことごとく区民の思いと反対のことになっていて、そこで「住民思いの杉並区長をつくる会」が結成された。
タイミングよく、その会を知って参加していたベルギー在住だった岸本さんは、「選挙に出したい人」に選ばれ、選挙の2か月前にベルギーから引越して、当選した。
すごい快挙だ。
そこには、杉並区民のパワーがあった。
「ひとり街宣」という取り組みである。
ボランティアが、「各駅にポスターを持って立とう!」ということだ。(※1)
現在、同じ手法で、都知事選の投票率アップという目的で、同じく杉並区のボランティアが街角に立っている。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/333537?rct=tokyo_suginami(「東京新聞」)

都知事選が77%にまでなれば、それは、政党信者の選挙ではなくなり、民意が反映した選挙になるだろう。

行政職員の意識も、特に高いように感じる。
当選した岸本さんの政策は、もちろん選挙公約として掲げられていた。
それを区役所職員たちが吟味検討し、仕分け作業が行なわれ、逆に、新市長へと提案された。(※2)
これほどのことを、どこの自治体もやっているのだろうか。
岸本区長の職員への諭し方もまた感服する。
過去に間違ったことは改めればいいし、どうしても変えられないところは言葉を尽くして説明すればいい(※3)
これは、政府・自民党に教えてあげたい言葉である。
そして、これもすごい!
区予算の一部も、住民参加決定型の予算に充てる。(※4)
こんな自治体、どこにもない!
住民の意見を汲む場合も、個人の好きな分野で意見を言ってもらう場も確保しようとしている。(※5)
アイディア満載の杉並区である。

ネットを使ったパブリックコメントという国の制度があるが、彼女は、これに批判的である。
「みんなの意見を聞きましたよ」という既成事実だけを作り、その意見は反映されることはない。
ただ、やってる感の演出のみである。(※6)
実際にパブコメで意見した人は、同意見だと思う。
パブコメにも集合的な力が必要で、その一つが強力な住民投票である。
ドイツでは2019年までに、何と!4000回も住民投票が行なわれているという。
彼女は、これを民主主義の練習と言っている。(※7)

彼女のいたベルギーには、日本の自民党みたいな政党があって、そこが子どもみたいに駄々をこねて、組閣もできず混乱した。
それでも、コロナ騒動もあって大連立の臨時政府が作られた。
組閣の際、半数が女性であり、それも、年齢の若い人たちが選ばれた。
それでも、政府によって、社会は動くのである。(※8)
日本の国会をはじめ、組織のトップに立つのは、高齢者が多い。
私は、50代になってから、自分の頭が鈍くなっているのを感じるのに、彼らは、よく頭が回りますな。

地域主権という希望」で紹介されている世界各地のミュニシパリズム(地域主権主義、自治体主義)は、岸本区長により、杉並区では実践され始めている。
これらのことを知ったら、俄然、東京都知事選の見方が変わり、面白くなってきた。
あとは、結果はどうでるのか、だ。

次回は、コモンズ(共有財)の捉え方とミュニシパリズムの発展について、かな?



(※1)
 ボランティアによる「ひとり街宣」はその代表です。大量の選挙ポスターを用意しても貼る場所がない。それなら一人ひとりがポスターを持って街頭に立とう、という取り組みです。選挙運動中、私がお休みで不在の日に、ボランティアの方から「じゃあ私がポスターを持って、一人で関前にたってもいい?」と提案があり、それならみんなでやろうという話になりました。「杉並区の19の駅の全部で立てば、ポスターを貼る以上に宣伝効果があるんじゃない?」と、分担してすべての駅をカバーすることにしました。仕事に行く前の時間や帰る前の時間など、それぞれが時間をみつけて連日立ち続けたのです。
(「地域主権という希望」p20)

(※2)
 前区長を支えてきた職員のあいだには、私に対する不信感や、もっと言えば反発を抱いていた人もいたでしょう。彼らがサボタージュして私に情報を伝えないこともできたかもしれませんが、いまから思うと、幹部職員のみなさんは、私の就任が決まったときから頭を切り替えて、新人区長の私を支えていこうという姿勢になってくれたと思います。
 後から聞いたところによると、私の当選から就任までに、役所の中では私の選挙公約を各部署あげて分析し、すでに実行しているもの、予算措置がなくても実現できるもの、予算措置が必要なもの、時間をかけて検討が必要なものに分類した仕分け作業がすでに行われていたそうです。
(前掲書p30)

(※3)
 職員たちも、さまざまな苦労を抱えて仕事をしています。過去のことを責めるのではなく、これからは別のやり方に変えていこう、という前向きな姿勢になれればいいのです。道路拡張にせよ児童館の問題にせよ、区の抱える悩みを正直に伝えて、区民と一緒に頭をひねっていけばいい。過去に間違ったことは改めればいいし、どうしても変えられないところは言葉を尽くして説明すればいい。そういう率直な姿勢でいいんだということが職員たちにも伝わって、全体として硬直した雰囲気が緩んだという実感があります。
(前掲書p31)

(※4)
 区の予算の一部を参加型予算として、一定額を区民が議論して使いみちを決めるというアイデアもあります。これに対しては、議会による予算の承認は議会制民主主義の根幹だとして批判的な人もいますが、やや的外れだと思います。参加型予算は、住民が払った税金の使途を自分たちで議論することで、自治の主体としての当事者意識を回復するツールなのです。全体の予算は、選挙で選ばれた議会が責任をもって決めますが、その前段階で、一部の使途を住民の討論に委ねると決めることは、議会軽視ではないと思います。
(前掲書p36)

(※5)
環境問題に関心がある人、子育ての当事者、地域の中小企業経営者など、住民の問題関心はさまざまです。各自の当事者性や、関心がある分野を入り口とすればいいのです。
 若い世代にも、地域に貢献したいとか、街を住みやすくしたいという気持ちを持った人はたくさんいます。しかし、仕事や子育てに忙しいなかで、ばくぜんとコミュニティに参加しましょうと言っても難しいでしょう。分野別、課題解決型にして、参加したくなる回路を複数つくっていくことが大事だと思います。
 こうして、多様な回路で住民の声を吸い上げ、区の意思決定に組み込んでいくことが、住民の主権者意識を育んでいくはずです。
(前掲書p36)

(※6)
 近年はパブリック・コメントとして個別の政策に住民の意見を募集することがありますが、多くの場合、行政側の方針が概ね決定した段階で行われ、それによって大きく方針が変わるということはほぼありません。大切な制度ではありますが、それだけということになると、「住民の意見もいちおう聴きました」というお墨付きのための制度となってしまいます。
 こうしたことが続いていくと、住民の中には、自分たちの意見は尊重されていない、意見を言ったとしても何も変わらないという無力感だけが残ります。行政側も住民の声をクレームのようにしかとらえず、どうすれば既定の路線を変えずに済むかばかりを考える。これでは、お互いに不信感が募るばかりの悪循環です。
 私に言わせると、パブコメのよくないところは、個人の意見にしかならないことです。行政から見れば、個人の意見にすぎないというのが逃げ道になってしまう。行政を動かせるのは、住民の声が横につながってコレクティブ(集合的)な力になるときです。
(前掲書p34)

(※7)
 住民(国民)投票は、議会制民主主義を補完する直接的な民主主義の手法として、基礎自治体レベルから国に至るまで、さまざまな国で採用されている。2021年9月には同性婚の合法化を問う国民投票がスイスで行われたのは記憶に新しい(そして可決された!)。賛否が分かれる問題を、利害や権力、政局などに影響される議会だけでに委ねるのではなく、住民(国民)に直接問うことの意義や正当性は高い。それ以上に、市民がさまざまな問題を主体的に考え、選挙を超えて意思表示する、民主主義の訓練の場として有効だと思う。そして、傲慢になりがちな為政者が、主権者の意見を丁寧に聞き続ける訓練の場としても。
 そんな民主主義の練習がドイツでは浸透しているようだ。各州で少しずつルールが違うとはいえ、すべての州で住民投票は法制化されている。ドイツ全体では2019年までのあいだに8000回を超える住民投票発議があり、4000回を超える住民投票が行われたというから驚きだ。
 現行のルールだと、ベルリン州では有権者の3%の署名を集めれば住民投票を発議できる。ただし、全有権者の10%以上が投票にいかなければ投票の結果は有効にならない。その上で、投票した人の過半巣が賛成すれば可決となる。これらの条件は、他の州と比べて比較的ハードルが低い。ベルリン州には住民投票を成功させやすい土壌があるともいえるし、直接民主主義を尊重する政治をつくってきたともいえるだろう。
(p221)

(※8)
 少し乱暴な比較になるが、日本の自民党とベルギーのN-VA(新フラームス同盟)は私にとって存在が似ている。自分と社会観の近しい人とはそのことを激しく共感し合える一方、自分のサークルを一歩出ると、気軽には批判できないところも同じ。日本での自民党と同様に、ベルギーでは積極的であれ消極的であれ、N-VAの支持者が多いからだ。特にフランダース地方では顕著だ。
 N-VAは複雑な顔を持つ政党であるが、フランダース・ナショナリズムや分離主義をアイデンティティとしており、とくに1024年以降の勢いはすごい。ベルギー連邦政府、フランダース地方政府、ベルギー選出の応酬議会銀のすべてで第一党である。経済面では自由市場主義で自由党と近く、文化面では保守的でキリスト教民主党と近く、地域ナショナリズムではより過激な極右政党「フラームスの利益党(VB)」と協調している。環境主義を装いながら原発は擁護。大企業減税を支持し、移民政策では強硬的。ベルギーに引っ越す際、候補地からフランダース地方の都市アントワープを最初に除いたのは、N-VAの牙城だからだ。
 2018年12月、国連で152か国が賛成して採択された移民保護の国際協定「安全で秩序ある正規移住のためのグローバル・コンパクト」にベルギー政府が賛成したことに反発して、N-VAは連立与党を離脱。当時の首相は責任を取って辞任した。それ以来、ベルギーでは政治的な混乱が続く。2019年5月の選挙後は、連立の交渉が実に約16か月も続き、その間、正式な組閣ができずにいた。しかし、そんななかでもコロナ危機に際しては臨時政府が樹立され、代理首相ではあるがベルギー初の女性首相となったソフィー・ウィルメスが舵取りを担い、踏ん張った。
 連立交渉が長引いた理由のひとつは、N-VAが「ベルギーがひとつの国としてまとまるのは無理」というイメージを国民に与えようとして、あの手この手の非協調的行動や威嚇するような発言を行ない、政治の混乱を強調したからだ。しかし結果的に、横暴なジャイアンであるN-VAは外されて、社会党、自由党、緑の党、キリスト教民主党など7党で連立の合意を果たしたのは痛快だった。これでやっと新しい政治の空気になった。
 ベルギーの内閣は首相も入れて大臣クラスが20人。2020年10月1日に発足した新内閣では、そのうち半分の10人が女性である。首相のアレキサンダー・デクロー(自由党)の44歳をはじめ、一番多いのは40代(12人)、次は30代(5人)、50代(2人)、60代(1人)という編成で、平均年齢44歳。右派で男性中心のN-VAが与党にいたらありえなかった編成で、これまた痛快。一番の若手は、イラク難民の父とベルギー人の母のもと、ブリュッセルで生まれ育った32歳のサミー・マハディだ。国務長官で難民・移民担当である。
(p204)



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2024年06月16日

エマーソンの言葉

ふたたび、こんばんは。

宮古高校の生徒手帳にあったエマーソン」を書いておきながら、エマーソンの言葉を全く紹介していなかった。
エマーソンが、なぜ、人気があったのか。
彼の発した言葉を羅列する。
まずは、「自己信頼」という本の冒頭の文。
これが、最も重要である。

あなたは、自分自身よりも他に、信じるものを見つける必要はない。人は、自分自身が自分の星である。正直でまじめな人の魂は、すべての光と、力と自分の運命を支配している。(※)

そして、これを基にして、いろいろな名言が出てくる。
私が気にいったものを、「自分だけを信じて生きる」から抜粋する。
この超訳は、もちろん副島先生である。

今の自分の考えを信じなさい。自分にとっての真実は、他のすべての人にとっても真実なのだ、と信じなさい。

賢い人たちの輝いている言葉よりも、自分の内側でほのかに光っている考えを大切にして、それに火を灯しなさい。

自分のようなつまらない人間の考えなど大したことはない、と片づけてしまうことが多い。ところが、他の優れた人々の作品に、自分が以前捨てた考えがあることに気づく。一度は自分のものだった考えが、威厳を伴って自分に戻ってくる。

優れた芸術作品を見たとき、以下の教訓以上に大切なものはない。自分の中に自然に湧き上がってくる感動こそを大切にして守り通しなさい。たとえ周囲が口を揃えてあなたの考えに反対しても、やがて他の人々があなたと同じことを言い出すだろう。

人が、人世の教育によってやがて必ずたどりつく重要なひとつの教訓がある。それは、恨みを抱くことは無知から生まれる、である。人真似は自殺行為である。世界は広く、善きもので満ち溢れている。このことを、人は良かれ悪しかれ、自分の知能でわかるようになる。私たちは、自分に与えられた土地を耕さない限り、自分の身を養う一粒のトウモロコシさえも手に入らない。

自分がしている今の仕事を愛しなさい。そして自分の仕事にまごころを込めて最善を尽くしなさい。そうすれば、自分の霊魂は安らぎ、晴れやかになる。

この本の主題である自己信頼に関して言う。自然は、子供や赤ん坊に素晴らしい神託を与えている。赤ん坊や動物には、人間の大人が持つ卑屈さや自己分裂しt行動は見られない。幼い子供たちは、まだ何ものにもとらわれない目をしている。幼児の顔を覗き込むと、思わず私たちの方が狼狽してしまう。幼児は誰にも従わない。世界が幼児に従う。

後の偉人たちの言葉には、彼に倣ったものも多数あるそうだ。



(※)
エマーソンは、『自己信頼』の冒頭に、次の文を載せている。エマーソンの文は、古い旧式の翻訳ではこのように書かれた。なかなかの名訳である。

 「汝、自らの他に求むることなかれ。人は自らの星である。正直で完全な人間の魂は、すべての光と、力と、運命を支配している」

 伊東奈美子さんも、これまで5冊ある、戦前からの翻訳文と同じだ。これを英文では次のように書かれている

 Man is his own star : and the soul can Render an honest and a perfect man , Commands all light , all influence , fate ;
Epilogue to Beaumont and Fletcher's Honest Fortune.

これをもっともっと分かりやすく書き直すと、次のようになる。

「あなたは、自分自身よりも他に、信じるものを見つける必要はない。人は、自分自身が自分の星である。正直でまじめな人の魂は、すべての光と、力と自分の運命を支配している」
(「自分だけを信じて生きる」p48)



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2024年06月14日

邪教を信じるより、高貴に生きる!

こんにちは。

これは、「キリスト教は、ウソに塗り固められた邪教である」の補強版である。
というのも、適菜収さんがニーチェの「アンチクリスト」を翻訳した「キリスト教は邪教です!」を読んでしまい、キリスト教会は、よくもこんなこともするんだなあ、という率直な感想。
だから、ニーチェは、ボロクソにキリスト教の僧侶たちを叩いくのだと思う。
叩かれて当然だけど。

日本各地には稲荷神社があり、五穀豊穣を祈り、お祭りをやる。
お祭りでは、地域の人たちが集まって、「今年も良かった良かった」と言って、ご馳走を食べながら歓談する。
祭っている神は、いったい何なのか、そんな難しいことは、誰も知らない。

イスラエルの神エホバも、もともとは、そういう神だったらしい。
つまり、自然のなりゆきを否定しない神だった。
ところが、イスラエルである不幸が起こった。
その不幸を契機に、僧侶たちが、自然を否定するような神に作り変えた。
自然を否定するという流れから、科学的思考も否定していく。
そして、「道徳的世界秩序」というわけのわからないことを言いだし、「罪」や「罰」を創作した。(※1)
これが、キリスト教の起源である。

人間の作ることに完全なものはないから、当たり前の話であるが、僧侶たちの創作は、いずれ綻びていく。
キリスト教の物語は、人間を作る話から始まる。
そして、女を作る。
人間は意外に賢く、科学的思考を身に着け、だんだんと神の手に負えなくなる。
「汝認識することなかれ」というのが、聖書の中に記されているそうだ。
これは、人間がバカのままのほうが、神にとって都合がいい、ということである。
手におえなくなってきたら、神は何を人間にさせたか?
戦争という殺し合いである。(※2)

この物語は、何かに似ていないだろうか?
そう、西洋白人が、東洋人、その他の民族をバカ扱いし、翻弄する現代社会である。
意外に東洋人が賢く、手に負えなくなり、東洋人同士を対立させ、武器を売る。
そうか、そうだったのか!
上から目線の西洋人の考えは、キリスト教由来のものだったのだ。

「罪」と「罰」を開発した話に戻る。
僧侶たちは、人々が神にすがってほしい。
そう願っている。
神にすがる理由は、不幸である。
だから、僧侶たちにとって、人間の不幸が必要なのである。

不幸の原因を人間は考える。
「何が悪いんだろう?」
人間の得た科学的思考で、これを解決していく。
これでは、神にすがる機会が減っていくことになる。
だから、この科学的思考が、僧侶たちにとって、災いとなる。
そこで、「汝認識することなかれ」と聖書に記し、人間を迷える羊のままにしておきたい。
「神を信じないことは、罪なのだ。不幸は、その罰なのだ。」ということを教え、思考させないようにする。
「罪」と「罰」は、科学的思考を否定するために作られたのだ。(※3)

開発された「罪」は、もちろん僧侶たちの組織を維持するための装置である。
「神=僧侶」なのだ。(※4)
だから、ニーチェは、キリスト教を、自然や科学の否定の宗教だと喝破した。

その上、キリスト教は、暗く陰湿だ。
常に自分の「罪」を探し、告白する。
肉体的なことは、「イヤらしい」とする。(※5)
その点、日本人は、明るい。
不倫は文化だ、という人もいる。
「写楽」の時代から、グラビアやアダルトビデオの現代まで、その明るさはとどまるところを知らない(笑)。

「自分の罪を探し、告白する」という行為は、人を神経質にさせる。
これが、他を妬み、憎む原因ともなるだろう。
聖書には、「神の国は、あなたの中にある」と記されているそうだ。
神経質になっている人の中に、神の国があるのだろうか。
そうではなくて、心の中で、神の愛にすがれ、ということらしい。(※6)
ニーチェではないが、アホらしくなってくる。

一方、キリスト教の発展に利用されたイエスは、陰湿ではない。
むしろ、開放的と言っていいだろう。
彼は、他人を縛りつけるようなことは、一切言っていない。(※7)
その言葉を面白くないと考えた人たちが、彼を十字架にかけたのだろう。
結局、イエス・キリストは、利用されただけだったと言える。
どの時代にも、他人を利用して、のし上がろうとする悪党がいるものだ。

キリストを利用した一人として、最も顕著であるのが、パウロである。
彼は、「神は、お選びになる」という言葉を使って、精神的に不健康な人の恨みを助長した。(※8)
そして、「地獄」を作り、「あの世」も作った。(※9)
ヨタ話の世界である。

ニーチェは、この世の中で、人間に能力の違いが出ることは仕方がないことだ、と認識していた。
自分の能力でできる範囲で、ちゃんと仕事をやり、それが公共の利益となる。
能力の高い人は、もちろん、平凡な人を思いやる義務がある、とさえ書いている。
一方、キリスト教徒や社会主義者たちは、平凡な人たちを扇動して、健康的な能力の高い人たちを攻撃しようとする。(※10)
まるで、真っ当な社会を壊しているような感じになっている。
なるほど、キリスト教は、邪教である。

おまけとして、「キリスト教は邪教です!」に対する東大教授の書評から。
ニーチェは、仏教や古代インドのマヌ法典に光を当て、肯定的にとらえている。
これはすでに書いたことだが、イエス自身に対しても、良い印象を持っている。
いろんなものを否定する壊し屋のイメージがつきまとうニーチェではあるが、高貴に生きようとするものに対しては、否定していない。(※11)
つまり、おのおのの努力によって、高貴に生きよう、ということだろう。
カッコいいなあ。



(※1)
 かつて、大昔の王国時代のイスラエルには自然の美しさがありました。イスラエルの神エホバは、権力や喜び、希望の象徴でした。人々はエホバに勝利を祈り、救いを求めました。そして自然は人々が必要とするもの、つまり雨を与えたのです。
 エホバはイスラエルの神でした。だからこそ正義の神だったのです。
 これは、権力を握っており、そこに良心のやましさなんかを感じない、すべての民族が持っている論理です。
 神をまつるということは、民族が強くなったことや、季節の移り変わり、豊作などに対する感謝なのです。
 しかし、あるときイスラエルで大きな混乱が起きました。国内が無政府状態になり、隣の国からアッシリア人が侵入してきたのです。
 国内はすっかり荒れ果て、すべての希望は失われてしまいました。エホバもすっかり無能になってしまいました。
 そのときにイスラエルの人々は、神を捨ててしまえばよかったのです。しかし、彼らユダヤ民族がやったことは、神をそれまでとまったく違うものに作りかえることでした。
 そのせいで、神と自然は結びつかなくなってしまったのです。
 エホバは、もはやイスラエルの神でしかなく、民族の神でもなく、条件つきの神になってしまいました。そして、ついに神は僧侶たちの都合のいい道具になってしまったのです。
 僧侶たちは「すべての幸福は神のおかげだ」「すべての不幸は神を信じないことへの罰だ」などと言い始めました。
 まず「原因」があり、それが「結果」につながるというのが自然界の法則です。彼らが言っていることは、その正反対。そしてついには、「道徳的世界秩序」などというよくわからないインチキな言葉がまかり通るようになってしまったわけです。
 これが「報いと罰」というカラクリです。
 彼らは自然界の法則を否定すると、今度は自分たちに都合のいい、反自然的な法則を作っていきました。
 そのせいで「道徳」は民族が生きていくうえで必要なものではなくなり、また、民族が生きていくための本能でもなくなってしまった。「道徳」はやたらと難しいものになり、よりよい人生を送るためには、むしろ邪魔なものになってしまったのです。
 このようにユダヤ人の道徳、キリスト教の道徳は、人間の自然なあり方をゆがめてきました。
 私たちはたとえ災難にあっても偶然の不幸だと考えます。しかし、彼らはそれを「罪に対する罰だ」などと決めつけます。気持ちがいいことは「悪魔の誘惑」であって、気分が悪いのは「良心が痛むから」なのだそうです。ずいぶん勝手なものですね。

 こうして、ユダヤの僧侶たちはニセモノの神や道徳をでっちあげ、本当のイスラエルの歴史を消していきました。その証拠として現在残されているのが『聖書』です。
 彼らは自分たちの民族の言い伝え、歴史的事実に対して、汚い言葉をあびせかけ、宗教的なものに書き換えてしまいました。エホバに対する「罪」と「罰」、そして、エホバに対する「祈り」と「報い」という、子供だましのカラクリをでっちあげたわけです。
 教会はこのようなデタラメな歴史を、数千年もの間、教え続けてきました。それなので、私たちはすっかりバカになってしまい、歴史をゆがめられていることに気づかなくなってしまったのです。
(「キリスト教は邪教です!」p61)

(※2)
 かつて、完全である神は、自分の庭である全世界を自由に歩き回っていました。しかし、そのうちに退屈で仕方なくなってしまった。いくら神といっても退屈には弱い。
 そこで神は人間を作りました。自分以外にも人間がいることで神はなぐさめられたのです。 
 しかし人間だって、また退屈します。
 退屈というのはゼイタクな悩みですが、神は人間たちを気の毒に思い、今度は他の動物を作りました。
 これが神の第一の失敗でした。人間は動物たちとは友達にならずに、動物を支配し、「自分たちは動物ではない」と考えたのです。
 そこで今度は、神は女を作りました。たしかに人間は退屈しなくなりましたが、これは神の第二の失敗でした。
「女の本質はヘビでありイブである」とキリスト教の僧侶は言います。
 要するにキリスト教では、「女が原因でいろいろな災いが起こる」とされているのです。
 その結果、「したがって科学は女から生じる」となったのですね。科学は彼らにとっては災いですから。
「女」が作られたことによって、人間ははじめて「認識という木の実」を味わうことを学んだというわけです。
 これは神の計算違いでした。自分の敵を作ってしまった。人間が科学的になれば、僧侶も神々もおしまいですから。
 だから、キリスト教は科学を禁じたのです。科学は最初は罪であり、すべての罪を生み出すものであり、原罪であるというわけです。
『聖書』には「汝認識することなかれ」という言葉があるくらいですから。
「科学からどう身を守ればいいのか」が長い間、神の主要な問題となりました。そしてその答えは、人間を楽園から追放することでした。
 ヒマがあって幸せだったら、人間は頭を使ってものを考え始める。そこで僧侶たちは、人間が考えるのをやめるように、「死」「苦労」「さまざまな悲惨なできごと」「老化」、そして「病気」をでっちあげたのです。
 それらによって科学を倒そうとしたのですね。
 しかしそれにもかかわらず、ものごとを考えるという力は、天にさからい、神々が落ちぶれていくのを知らせるように、高くそびえるものなのです。
 人間は考えるのをやめなかった。そこで、今度は神は戦争を作りました。民族と民族を分断させ、人間がたがいに攻撃しあい、絶滅するように仕向けたのです。
 だからこそ、キリスト教の僧侶は、いつも戦争を必要としてきたのです。戦争は科学の発達を妨害するからです。
 しかし、ものごとを考える力はとても強かった。
 戦争はくりかえされてきましたが、人間は知恵によって、神や僧侶から解放されていったのですね。
 そして最後に、神をこう決意するに至ったのです。
「人間は科学的になってしまった。もう手におえない。人間をおぼれさせて殺してしまおう」と。
 おわかりになりましたでしょうか。『聖書』の冒頭のお話には、キリスト教の心理が全部含まれているのです。
(前掲書p117)

(※3)
 キリスト教の僧侶たちは、科学の危険性に気づいていました。科学は「原因があって結果がある」という健康的な考え方だからです。科学は幸せな世の中でのみ発展します。なぜなら、きちんとものごとを考えるためには、たくさんの時間と精神力が必要だからです。
 だからこそキリスト教の僧侶たちは、科学の発展を妨害するために人間を不幸に導こうとするのです。
 彼らのゆがんだ論理は「罪」というものを作り出しました。「罪と罰」「道徳的世界秩序」といった考え方が、科学を抑え込むためにでっちあげられたのです。
 キリスト教の僧侶たちは、「人間は外の世界をのぞいてはならない。自分の内面をのぞくべきである」と教えました。
 人間が、ものごとの本質を学び、研究し、理解することは悪いことである。人間はわからないことに対して、ただ悩むべきなのだ。しかも、いつも僧侶を必要とするように悩むべきである。医者なんていらない。必要なのは救い主なのである、というわけです。
(前掲書p121)

(※4)
 僧侶は、自然が持っている価値を認めず、その神聖さを奪い取っていく。そして、その栄養を吸収して、生き延びているのです。
 こういったろくでもない連中に服従しないことが「罪」になるのですからたまりません。
 こうして、「神に服従すること=僧侶への服従」となってしまい、僧侶のみが人間を救うことができるという、バカバカしいお話ができあがるわけです。
 僧侶のような組織を持つ社会では、「罪」というものが必ず必要になります。彼らは、「罪」と利用して力を振るうからです。
 僧侶たちが「罪」を利用して暮らすためには、「罪が犯される」ことが必要です。
 僧侶たちは、「神は悔い改めるものを許す」などと言っていますが、それは要するに、「自分たちに服従すれば許してやるよ」ということなのですね。
(前掲書p67)

(※5)
 キリスト教では、毎日お祈りをして、自分の罪についてしゃべったり、自分を批判したりしている。それでもキリスト教では、最高の目標に達することは絶対にできない仕組みになっているのです。
 フェアじゃないですよね。暗い場所でなにかコソコソやっているというのがキリスト教なのです。肉体が軽視され、ちょっとしたものでもすぐに「イヤらしい」などといってケチをつける。
(前掲書p51)

(※6)
 キリスト教信者の精神構造はこうなっています。
 内側に引きこもって、神経質にものごとを考えていると、不安や恐怖に襲われる。それが極端になると、現実的なものを憎み始めるようになる。そして、とらえようもないもののほうへ逃げだしていくのです。
 また、きちんとした決まりごと、時間、空間、風習、制度など、現実に存在しているすべてのものに反抗し、「内なる世界」「真の世界」「永遠の世界」などに引きこもるのです。
『聖書』にもこう書いてあります。「神の国は、あなたの中にある」、と。
 現実を恨むのは、苦悩や刺激にあまりにも敏感になってしまった結果でしょうね。それで、「誰にも触ってほしくない」となってしまう。
 神経質になって悩み始めると、なにかを嫌うこと、自分の敵を知ること、感情の限界を知ること、そういう大切なものを失ってしまいます。それは自分の本能が「抵抗するのに、もう耐えきれないよ」とささやいていると感じるからでしょう。
 彼らは最終的に、現実世界とは別の「愛」という場所に逃げ込みます。
 それは、苦悩や刺激にあまりにも敏感になってしまった結果です。
 実はこれがキリスト教のカラクリなのです。
(前掲書p73)

(※7)
 イエスの教えはこうです。
  自分に悪意を持っている人に対して、言葉でも、心のうちでも、決して刃向かわない。
  外国人と自分の国の人を区別しない。ユダヤ人と非ユダヤ人を区別しない。
  誰に対しても腹を立てない。誰をも軽蔑しない。
  法廷に訴えることもなく、誰の弁護も引き受けない。
  どんなことがあっても、たとえ妻が浮気をしても、離婚はしない。
 イエスはこれらの教えを実行に移そうとしました。
 イエスにとって、ユダヤ人が行なっていた儀式やお祈りは、意味のないものでした。そうではなく、イエスの教えを実践することによってのみ神へ導かれるのです。
 こうして、イエスは「罪」「罪の許し」「信仰」「信仰による救い」といったユダヤ教の教えをすべて否定しました。
(前掲書p84)

(※8)
 キリスト教は健康な人間に対する、不健康な人間の恨みを基本にしています。
 美しいもの、誇りを持っているもの、気力があるもの、そういうものを見たり聞いたりすることが、彼らにとっては苦痛なのです。
 私はパウロが言った貴重な言葉を思い出します。
「神は世の中の弱い者を、世の中の愚かな者を、軽く見られている者を、お選びになる」
 まさに、これがキリスト教の核心なのです。これによってキリスト教は勝利しました。
(前掲書p128)

(※9)
 パウロは気づいてしまったのです。
「この世」を無価値にするためには、「不死の信仰」が必要であることを。
そして「地獄」という概念を使えば、ローマを支配することができることを。
「あの世」を使って人々をおどせば、この世界をつぶすことができることを。
(前掲書p159)

(※10)
 要するに、高い文化とはピラミッドのようなもので、広い地盤の上にのみ築くことができるのですね。
 だから、大勢の平凡な人たちの存在が大切なのです。
 手工業、商業、農業、学問、芸術といった仕事の大部分は、ほどほどの能力とほどほどの欲望によって成り立っています。それは、貴族主義とも無政府主義とも関係がないものでししょう。
 人が公共の利益のために一つの歯車として働くことは、ごく自然なことです。
 彼らを歯車として働かせているのは、社会ではありません。単純に「自分には何かをする能力があると感じる幸福感」がそうさせているのです。平凡は人にとっては、平凡であることが一つの幸福なのですね。
 一つの能力によって専門的な仕事をするのが、人間の自然な本能です。高い文化はこういった平凡さの存在を条件としています。だから、平凡な人をバカにしてはダメなのです。
 例外的な人間が平凡な人間を、思いやりをもって大切に扱うのは、単なるマナーの問題ではありません。それは一言でいえば例外的人間の義務です。
(中略)
 仕事に対する意欲、働く楽しみ、仕事を成し遂げたときの満足感。それらに対し、いやらしい悪意を持って攻撃するのが、社会主義者という名の下層民です。
 労働者を嫉妬させ、復讐を教えるのが彼らのやり方です。
 不正は決して権利の不平等にあるのではありません。
 不正は権利の「平等」を要求することにあるのです。
 これまで言ってきましたように、「弱さ」「嫉妬」「復讐」から、劣悪なものは生まれます。
 無政府主義者とキリスト教徒は、結局同じ穴のムジナなのですね。
(前掲書p154)

(※11)
東京大学教授・松原隆一郎

ニーチェは本書で、西洋における既存の価値体系であるキリスト教を徹底批判した。「神」や「霊魂」、「彼岸」や「罪」、そして「救い」、「最後の審判」に「復活」といった概念を「真理として信じること」を強いる人々を糾弾した。批判の矢はパウロやカソリック教会だけでなく、教会を批判したプロテスタントを興したルターにも向けられている。その矢はさらに、キリスト教会的に思考する人々、すわなち「真理」を追求して現実世界にはない「イデア」や「物自体」などの様々な概念を立てたプラトンやカントにも及んだ。だがそれゆえに20世紀以降にはニーチェ自身が何らかの価値を絶対的なものとして押し立てていることへの批判が現れた。つまり「真理を信じること」の強要への批判は、ニーチェ自身にも当てはまるとみなされたのだ。
 ニーチェは1872年の『悲劇の誕生』においてアイスキュロスからソフォクレス、エウリピデスに至るアッティカ悲劇を、善悪にかかわらず存在するものすべての生を肯定する豊穣な世界として理想視した。そしてそれは、生を思考によって解明し尽くそうとするソクラテスの登場によって没落させられたと主張する。ここではソクラテスもまたキリスト教と同じく批判されているのであり、世界を体験し味わうものとしてあったギリシア的な「よく生きる」あり方が、ソクラテス以降は認識や思考を介して「正しく生きる」ことへと歪められたとみなされた。けれども、こうした主張においては、ニーチェもまた真理を託する世界を想定しているように見える。
 実際、ニーチェは後に「永遠回帰」や「超人」という概念を唱えたし、ナチスに親近感を抱いた妹が編纂した『権力への意志』(1906)では遺稿の断片が民族差別を連想させるように並べられていたため、ナチスを正当化したかに見られた時期もあった。それゆえにとくに20世紀の後半においては、あくまで既存の価値を破壊する点にのみ真骨頂を有するものとしてニーチェ思想を解する傾向が現れた。
 けれども本書からは、ニーチェが特定の理想世界を押しつけているようには読み取れない。仏教は「罪に対する闘い」ではなく、現実を直視して「苦しみに対する闘い」を説いているとして評価されている。古代インドの『マヌ法典』にも、人生の喜びや勝ち誇った幸福感、女性への思いやりで太陽のごとく輝いているとして好意が寄せられている。それどこかイエスもまた、「罪」や「罰」で彩られた信仰をではなく、「よく生きる」ことを実践した偉大な人物として描かれている。つまり「高貴に生きる」方法として、唯一のあり方を不寛容に説いているわけではない。ただ、概念による思考を過剰にふくらませて、現実の中でよく生きようとはしない人々を糾弾したのだ。
(イエスその人ではなく)キリスト教に峻烈な闘いを挑んだニーチェは、「高貴に生きる」生き方にかんしては、意外に寛容なのである。その「寛容さ」を、この現代語訳はうまくすくい取っているおうに思われるのである。
(前掲書p179)

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2024年06月08日

半導体工場がもたらすPFAS汚染

ふたたび。

情報通信技術(ICT)は、環境破壊を起こしている」のアップデート。

半導体の生産には、PFASという化学物質が欠かせない。(※1)
以前、3Mという会社が、PFASを製造していたが、環境汚染がひどく、汚染対策などが巨額にのぼったため、製造から撤退することになっている。
その後、PFASをどこの誰が作るのかは、まだ決まっていない。(※2)
このPFASという物質は、水を介して、人体に侵入して悪さをする。
困ったことに、いったん体内に入ると、なかなか排出されない。(※3)
米軍基地からの漏出が問題となったが、半導体生産に必要なPFASのことは、あまり知られていない。

1990年代は、欧米が半導体生産の8割を占めていた。
しかし、徐々に健康被害がわかってきた。
そこで、それらの生産拠点がアジアへ移った。
今や7割が東アジアである。
これは何を意味するのか?
「汚いものは、アジア人に作らせろ!」(※4)

熊本には、純度の高い地下水が豊富に存在するといわれる。
そこにTSMCは目をつけたのだ。(※5)
熊本県は、世界じゅうのPFAS汚染のことを知っていたのだろうか?
完全にPFASの漏出を抑え込まないと、汚染は進行する。
もしかしたら、PFAS製造も、熊本が担うようになるかもしれない。



追記の関連リンク

「永遠の化学物質」を分解して無毒化する細菌が発見される

半導体関連周辺水質調査 PFAS一種の数値増 健康影響、県「現時点でない」

「PFAS」の一種、熊本市の浄化センター下流地点で濃度増加…半導体関連で一般的に使用される物質



(※1)
 半導体製造に「ドライエッチング」という重要な工程がある。基盤(シリコンウエハー)や基板上の薄膜をナノメートル(1メートルの10億分の1)単位で図面通りに削り取る工程で、その際に基盤の状態を一定に保つための冷媒として使用されているのが「PFAS」の一種である。
 PFASとは数千種を超える有機フッ素化合物の総称で、自然界に放出された場合、容易に分解されないため「永遠の化学物質」と呼ばれる。その化学物質としての特性ゆえにさまざまな技術に利用されるが、人への毒性が指摘されており、国際条約で廃絶が目指され、使用が制限されている。
 PFASのうち「PFOS」と「PFOA」の二種類は、日本国内ですでに輸入や製造が禁止。昨年6月に国際条約で、泡消火剤や金属メッキなどに使われる「PFHxS」も、製造や使用などの規制の対象となったことを受け、禁止対象に追加されることとなった。日本国内では近年、東京・多摩地域で在日米軍横田基地からの流出による水質汚染が問題となったことで、その存在を認識している人が多いだろう。
 しかし半導体製造においては、他の物質では代用がきかない、必須の化学物質といわれている。
(「紙の爆弾2024年5月号」p17)

(※2)
22年末、これまで世界シェアの約8割を供給していた米3M(スリーエム)が3年後の25年末までに、生産から完全撤退すると発表した。
 同社は半導体製造向けPFASで世界シェアの5割にあたる「フロリナート」をベルギー工場で、3割にあたる「ノベック」をアメリカ工場で、それぞれ生産してきた。ノベックについては、すでに日本では年間1万トン以上の製造と輸入が禁止されている。
 ベルギーにおける生産停止の理由は、フロリナートの生産時に排出される排気ガスだった。フッ化物が工場内で分解できずに煙突からの排気ガスの中に混じって空中を飛散し、その一部が雨となって土壌に降り注いだ。結果、土壌や付近住民の血液中から高濃度のPFASが検出されることとなった。
 3Mの工場の立地するフランダース地方政府が規制強化を通達するも、同社がそれを順守せず、21年末に同工場で一度目の生産停止に陥る。
 ただしこの時は、3Mは2億5000万ユーロをかけて汚染土壌の剥ぎ取りに協力するほか、1億ユーロの排出予防予算提供、政府補助金を受け取る権利を放棄するなど、計5億7100万ユーロ(約724億円=当時)の支出を地方政府に約束したことで、翌年6月末に製造再開をとりつけた。
 しかし、それから半年後の22年末、3M社はベルギー工場だけでなく、全社におけるPFAS事業からの撤退に踏み切った。公害訴訟などの法的負担が300億ドルであるのに対して、事業の売上高は4半期で10億ドル程度。割に合わないということが、同社の判断につながったとみられる(以上、湯之上隆・微細加工研究所所長によるEE Times Japan 22年12月23日付「3Mが2025年末までにPFAS製造を停止、世界の半導体製造はどうなるのか」より)。
 前述のとおり、半導体製造に必要なPFASは8割を3Mが製造。残りの2割はベルギーのソルベイがイタリア工場で生産(商品名「ガルデン」)してきたが、3Mと同じ理由で増産については消極的だ。新たな入手先として中国企業も挙がるが、必要な品質が得られず見通しは立っていない。
(前掲書p18)

(※3)
22年には、アメリカの学術機関である全米アカデミーズ委員会が、5000本以上の論文の結果を統合したメタ分析結果を発表した。それによれば、「関連性を示す明確なエビデンスがある」として、動脈硬化などの原因となる脂質異常症、腎臓がん、抗体反応の低下、乳児・胎児の成長・発達への影響、「限定的または示唆的なエビデンスがある」として乳がん、肝機能障害、妊娠高血圧症、精巣がん、甲状腺疾患または機能障害、潰瘍性大腸炎が挙げられている。血中濃度で1ミリリットルあたり20ナノグラム(PFOSとPFOAを含むPFAS7種の合計)を超える状態が続くと健康被害のリスクが高くなると指摘している。
(中略)
 大阪市内で調査対象となった2地点(地下水・湧水)のPFOS・PFOAの合計数値は1ミリリットルあたりそれぞれ5500、1700ナノグラム。日本政府の定める公共用水域及び地下水における暫定目標値(暫定指針値)が50ナノグラムだから、110倍、34倍の数値となる。
 その原因とみられるのが、1980年代から2012年までPFASを製造してきたダイキン工業の「淀川製作所」(摂津市)だった。この問題を23年6月14日付記事で詳述したインターネットメディアの「Tansa」は、今年3月31日にも「ダイキン元従業員の血液から国平均298倍のPFOS検出」と報じている。
 京都大学大学院の原田浩二准教授が昨年9月から12月にかけて1192人を対象にして行なった調査で、最もPFOSが高かったのは1ミリリットルあたり596.6ナノグラム。この人はダイキンの元従業員だ。
 米国政府が採用する「米国科学・工学・医学アカデミー」の臨床ガイダンスでは、PFOSの合計値が1ミリリットルあたり20ナノグラム以上の患者に対して、「腎臓がんや精巣がん、潰瘍性大腸炎、甲状腺疾患などのリスクを考慮した処置が必要」と警告している。
 そして、ダイキン工業がPFAS製造から12年前に撤退しているにもかかわらず、ここまで高い数値が検出されたことは、PFASの体内への蓄積のしやすさ、一度蓄積されれば排泄されにくい性質を如実に示している。もちろんそれは環境でも同様で、前出の3Mが事業から撤退した理由でもある。
(前掲書p19)

(※4)
 国・地域別に見た場合、半導体の生産能力は、トップの台湾が21.6%、韓国が20.9%、日本が16.0%、中国が13.9%(IC Insights' 19年)。実に72%をこれらアジアの国・地域が占めている。米国は12.8%でも、欧州全体で5.8%にすぎない。欧州は1990年代、世界の半導体産業の44%を占めていたとされる。米国も同時期は37%だった。
 半導体製造の主要地は、なぜアジアに移動したのか。その大きな原因が、半導体工場に勤務する労働者を襲った健康被害だといわれる。
 一例として、1980〜90年代、米国の半導体製造工場の労働者、特に女性労働者に流産などの健康異常が相次いで発生し、社会問題化。その原因が工場で扱う有害な化学物質にあると判明した。
 17年8月3日付のクーリエ・ジャポン「あなたのスマホの部品が、12万の韓国人女性を不妊にしている?」によると、米国で86年までにデータ収集を行なった調査で、工場に勤務する女性の流産率は平均の二倍。その事実が公表されると、調査を担当した研究者は業界団体の攻撃に晒される。それでも、IBMをはじめとした各社が、有害な化学物質の使用を段階的に停止していくと宣言した。
 ところが、実際に行われたのは、コストの低い韓国や台湾に半導体製造工場を移管することだった。
 そして、少なくとも15年まで、韓国の何千人もの女性が、まったく同じ有害物質にさらされ続けていたことが判明する。半導体業界は、「企業秘密」として全ての有害物質を公表していないため、公表せずに有害物質を使用し続けていた可能性が高いとも、同記事は指摘する。
 大手サムスン電子などを抱える韓国では、安全保健公団により19年5月に発表された調査結果で、女性労働者が白血病に罹る危険が労働者全体より1.59倍高く、死亡の危険性は2.8倍となったと発表された。同じ血液がんである非ホジキンリンパ腫では、死亡の危険が最大で3.68倍、甲状腺がん・胃がん・乳がん・脳と中枢神経系がん・腎臓がんなどの危険比の増加も指摘された。これらは09年から10年間の調査結果をまとめたものだ。
 台湾でも女性労働者が半導体製造の過程で発生する有害物質によって、不妊症・流産・奇形胎児につながる生殖発生毒性の可能性が指摘されている。
 個人の人権が確立している欧米でこの種の労働ができなくなった結果、アジアの技術力がある国に移転したのだ

(※5)
 半導体工場からのPFAS漏出が、日本国内でもすでに指摘されている。情報記憶の半導体メモリーの売上で国内最大手のキオクシア(旧東芝メモリ)の工場がある三重県四日市市で、市民団体が昨年9月から11月に河川などを調査した結果、同社工場と河川をつなぐ排水口からPFAS1リットルあたり125.93ナノグラム(PFOSとPFOAの合計値)を検出した。海岸部の排水口では、403.24ナノグラムを計測したという。
 半導体の生産には純度の高い超純水が大量に必要で、TSMCが熊本を選んだ理由が、その豊富さにあった。それゆえに、現地は生活用水のほぼ100%を地下水でまかなっている、全国でもまれな地域とされる。
 そして九州地方は日本全体の食を支える地域でもある。20年度の農林水産省の資料で、都道府県別の食料自給率は生産額ベースで宮崎県が302%の1位。熊本県も162%と高い値を誇る。そこが汚染されればどうなるか、考えないわけにはいかない。
(p16)





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2024年05月25日

情報通信技術(ICT)は、環境破壊を起こいている

こんばんは。
第3弾。

デジタル技術は、一般に、私たちの社会をより良くする、とは言われる。
情報通信技術(ICT)の利用によって、他の産業の削減できる二酸化炭素排出量は、ICT利用そのもので排出する二酸化炭素の7倍であるらしい。(※1)
しかし、実際には、「爆発的に増えるデジタルデータと使用電力」で触れたように、デジタルデータは、GAFAMの利益追求のため、爆発的に増える。
それにより、大きな環境負荷を生むことになる。(※2)

ウェブページの表示は、利用者の思惑とは違うサービスが組み込まれ、どんどん重くなる一方で、それに対応するため、パソコンやスマートフォンも買い換えなければならなくなっている。
これらハードの寿命は、平均で4年だ。
一般の人は、パソコンやスマホの機能の9割は使っていないと思う。
要らない機能を付加して、GAFAMは儲けている。
その儲けは、世界中にゴミを生む。
それも、今までに存在しなかったゴミだ。(※3)

モノを生産するにあたって、環境負荷を計る指標はいろいろとあるが、原材料の必要量に関する指標として、MIPSというのがある。(※4)
鉄棒を作る場合、それほどの重量は要らず、10倍の原料で済む。
しかし、ハイテク化された製品ほど、原材料の重量は大幅に増えていく。
スマホは、重量にして1200倍の原料を使う。
ネットワーク関連のサービスは、「非物質化」の象徴とされるが、現実は、強烈な物質化社会を形成している。(※5)

熊本に台湾のTSMCの工場が建設された。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240226/k10014370771000.html(「NHKニュース」)

TSMCは世界一の半導体工場であるが、TSMCの下請工場は、生産時に発生する廃棄物のことで各地で問題を起こしている。
熊本は大丈夫だろうか。
電力の消費も水の消費も大量で、その点も世界一の企業かもしれない。(※6)
これらのデジタル産業は、とにかく水を大量に使う。

安価な水を求めて、アメリカのユタ州ブラフデールに世界で3番目に大きなデータセンターが建設された。(※7)
データセンターは、金の力で、森もつぶす。(※8)
まるで環境破壊の象徴みたいなものになってきた。
金の力というものは強力で、海底ケーブルにまで、GAFAMも支配が及ぶようになっている。(※9)
方向性を間違えば、ネットワークは独占されることになる。

私は、「なぜデジタル社会は「持続不可能」なのか」という本を読んで、ますますインターネットを信用できなくなっている。
以前から、ネットが止まってしまったら?(事実、たまに繋がらなくなる時もあるし、パソコンが止まってしまうこともある)ということを考えると、とても信用できたものではない。
だから、ペーバーレス社会というのは、どうかと思う。
ペーバーレスになっても、この通り、ネットワークによる電力消費は増加する一方である。
ネットが止まってしまうという不安は、地域紛争からも発生する。
物理的に、海底ケーブルを切ってしまえば、関係する地域のデータ伝送は遮断される。(※10)
また、太陽活動の活発化から、太陽フレアの問題も考えなければならない。
電力、インターネットのブラックアウトは、SFではなく、実際に起こりうることだ。

結局のところ、本当はインターネットなど、あってもなくても、人間は生きていけるのである。
ネットに生活を依存する人を除けば、そういうことになる。
逆に言えば、ネットに依存している人たちほど、ネットの必要性を盛んに説く。
そういう構造なのだ。
まあ、便利なものを一気に否定してしまうのも良くないだろう。
が、爆発的なデジタルデータの増加は、憂慮すべきものであり、何か対策を取らなければ、ネット社会は行き詰ることになる。

ウェブページには、動画へのお誘いが随所に見られる。
この動画が、4K、8Kとなれば、データ伝送は大きくなり、4K動画が10%増えただけで、デジタル部門の総電力も10%増える。
これが、まともな電気の使い方だろうか。
「なぜデジタル社会は『持続不可能』なのか」では、次のような提案をしている。

通知を無効にする。
最も依存しやすいアプリケーション(フェイスブック、スナップチャット、Tiktok、インスタグラム)を削除する。
アルゴリズムがユーザーの憤慨を助長する(アプリケーション上のトラフィックをつくり出す)ようにできているSNSから距離をとる。
寝室への電話持ち込みを禁止する。
週に1日はネットに接続しない。

ウェブサイトの表現も、軽くするようにする。
それだけで、データのやりとりは、相当少なくなる。
たとえば、ウィキペディアは、ノートパソコンのメモリのごく一部分に相当するだだという。(※11)
私も、このブログを使うのをやめて、元のテキストサイトに戻すべきだと思う。
元々、SNSという高級なものはやっていないから、ハードルは低い。
「いいね!」は、良くないのである(笑)。

ガンジーは次のように言って、行動を促したそうだ。

「あなたがこの世界で見たいと願う変化にあなた自身がなりなさい」(※12)


追記の関連リンク
デンマーク全土で通信障害が発生し、携帯電話が使用不可となっている模様



(※1)
「情報通信技術(ICT)のカーボンフットプリントは2020年に1.27ギガトン二酸化炭素換算に達する予測だが、ICT(によるカーボンフットプリントの)削減可能な合計はその7倍に達する」と、ユネスコは主張した。その後、国連貿易開発会議(UNCTAD)は「ICTの有効利用に帰する二酸化炭素の減少は全世界の排出量の15%に相当する」とした。
 この分野で他を凌いで最も影響力のある組織があるとしたら、それはグローバル・e-サスティナビリティ・イニシアティブ(GeSI)だろう。これは民間デジタル企業と国際機関を集結させたもので、ブリュッセルに本部を置く。GeSIは「ICTを利用した社会・環境の持続性を可能にするために(中略)公平で主要な情報源」になることを目指す。しかし、GeSIは明言はしていないが、会員の利益を擁護するロビー団体である。したがって、強力なコミュニケーションツールといえる。2012年、GeSIは最初の報告書「SMARTer 2020」を公表し、ICT利用によって温室効果ガスを2020年までに16.5%削減できると予測した。3年後には、新たな報告書「SMARTer 2030」で、さらに壮大な予測を打ち出した。「ICTの使用によって回避される排出量は、その普及によって生じる排出量の10倍になる」とした。
 デジタル産業は、自らの環境負荷が限られていると言っているのではない。気候問題に関しては利益のほうが勝ると断言しているのだ。実際に、その産業のパフォーマンスは、デジタル化を実践する経済界の当事者全体に行き渡るだろう。衛星写真のおかげで正確にインプットを調整できる小規模農家、エコナビゲーション・システムを開発し、燃料消費を最適化する自動車メーカー、センサーを利用して採掘されない坑道の空調を止めて電気消費を減少させる大鉱山会社などだ。
(「なぜデジタル社会は『持続不可能』なのか」p31)

(※2)
 力ある勝者が歴史を自分たちの都合のいいように修正することに執着するのは、何千年もの戦争の歴史が証明していることだ。この21世紀において、デジタル企業はそのプロセスをさらに洗練させ、まさに未来を書き直すことを提案しているのだ!実はデジタル・テクノロジーは汚染する。それも著しくだ。水とエネルギーの消費、鉱物資源の枯渇への加担からすると、デジタル部門は、先に見たように、英国やフランスのような国の2倍あるいは3倍に相当する環境負荷を発生させる。その原因のひとつは世界中に出回る計340億個のデジタル機器だ。
(中略)
デジタル分野の電力消費は年率5〜7パーセント増加しており、その結果、2025年には世界の電力消費量の20パーセントを占めるだろうといわれる。
(前掲書p35)

(※3)
「ウェブページの重さは1995年から2015年の間に115倍になった」と。テキストを入力するために必要なCPUパワーは2〜3年ごとに倍になる。ますます複雑になるLOC[プログラミング言語で書かれたソースコードの行数]はますます長くならざるをえないから、コンピュータは大変だ・・・・したがって、よりパフォーマンスの高い製品に買い替えるように消費者を仕向ける。
 このことから、パソコンの寿命はここ30年間で、11年からたったの4年になった理由が説明できる。当然、ホモ・サピエンスはホモ・デトリタス[デトリタスは生物の死骸、排泄物などの意味]になる―毎年、5000のエッフェル塔に相当する電子廃棄物を生産する。人新生[地質時代のひとつとしてドイツの大気科学者クルッツェンが提唱した時代。人類が農業・産業革命により地球に環境変化をもたらした時代とされる]という言葉は、気候温暖化や海洋の酸性化だけを指すのではない。2017年、驚くべき事実が学者たちによって発見された。つまり、人間は、その活動により208種の新たな鉱物を生むという地質学上の力を持っているということだ。それらの新たな鉱物は、鉱山の残留物や、集積回路やバッテリーといった埋められてた電子廃棄物の悪化から生まれたものが多い。われわれの消費習慣―特にデジタル機器の消費―は地殻の構成物すら変えてしまうのだ。
(前掲書p61)

(※4)
ヴッパータール研究所は、1990年代に研究者が開発した、現代人の消費様式の物質的影響の画期的な計算法で知られる。それは、「サービス単位あたりの物質集約度(MIPS)」と呼ばれ、ひとつの製品あるいはサービスを作り出すのに必要な資源量を意味する。
(前掲書p70)

(※5)
 多くの商品では、MIPSはけっこう低い数字だ。たとえば、鋼鉄の棒は最終的な重さの「わずか」10倍の資源しか必要としない。しかし、「テクノロジーが関わってくると、MIPSは大きくなる」と、トイブラー氏は説明する。デジタル・テクノロジーは、とりわけ「地下から採掘するのが難しいレアメタル」など多種類の金属を含むためにそうなるだと同氏は言う。たとえば、2キロの重さのパソコンは22キロの化学物質、240キロの燃料、1.5トンの水を使用する。テレビ1台のMIPSはその重量の200倍から1000倍になる。スマートフォンは1200倍だ(最終製品150グラムに対して183キロの原料を使う)。しかし、最高記録を誇るのはICチップだ。2グラムの集積回路には32キロの資源が必要で、その割合はなんと1万6000倍にもなる。
「消費財を買うことを決めるときに感じる影響と、実際の影響の隔たりに驚くことは多い」と、トイブラー氏は言う。その理由は、最大の犠牲を払うのは製造チェーンの最も上流の地域にあり、その商品を売る店から遠く離れているからだ。おそらくそのため、善良な都会人は、ひよこ豆粉(ベサン)のパスタの栄養的かつエコロジカルな効用をほめたたえ、ヨガ教室に行くのにシェアサイクルの使用を賛美する ― 携帯電話を18ヶ月ごとに代えながら・・・・。ほほえましいことではあるが、ITは資源の負荷を ― 知らないうちに ― 増大させるから危険なのだ。現在機能している何十億台というサーバーやアンテナ、ルーターその他のWi-Fiスポットの量を、100倍、1000倍、あるいは、1万倍になるMIPSで掛け算してみるといい。「非物質化」のテクノロジーは資源を大量に使うだけでなく、これまでにない最大の物質化に向かっているという結論に達するだろう。
(前掲書p73)

(※6)
中国大陸から180キロメートルの台湾にTSMC社はあり、1社で集積回路の世界生産の半分以上をまかなう。だが、近年、TSMCは様々な環境汚染の非難にも対処しなければならなかった。というのは、「半導体メーカーは液体、固体、気体の廃棄物」を環境に廃棄するからだ、と台湾のある化学者は言う。数字を確定するのは難しいが、たとえばシリコン1キログラムを製造すると、280キログラム以上の化学物資が生じるとする人もいる。すべての廃棄物が処理されているわけではなく、日月光半導体製造(ASE)の韓国支社やネルカ・テクノロジーといったTSMCの下請けは2013年以降、周囲の川に有害物質を放出したとして操業を一時停止せざるを得なかった。
 その上、「製造のすべての工程で脱イオン水(蒸留水よりも純度の高い水)で集積回路を洗浄しなけらばならないので、非常に大量の水を消費する」と、コランジュ氏は説明する。そのため、TSMCは1日に15万6000トンの水を消費する。そのうち86%の水はリサイクルされるが、コランジュ氏はTSMCに関係のある最近の出来事を思い出して次のように言った。「2017年に干ばつが台湾を襲ったんです。でも、TSMCは大量の水が必要だったので、近くの川から工場まで大型トラックで水を運ばなければならなかった。その大型トラックが走っている間は、新竹サイエンスパーク(台湾北西の新竹市にある新竹科学工業園区。いくつかのハイテク工業団地が1400ヘクタールに広がる)を車で走るのは不可能でした」。もちろん、TSMCのエネルギー消費はさらに膨大だ。「作るものが小さな商品であればあるほど、それを製造するために大量のエネルギーを消費する大きな機械が必要になるからだ」とコランジュ氏は強調する。台湾では、TSMCの施設全体で2基か3基の原子炉に相当する電力を必要とし、それは電力消費がピークになる時期には、台湾の電力消費の3パーセントに相当するという。しかも、この数字は10年後には2倍になると予想される。台湾の電力の43%が石炭や石油による発電所であることを考えると、「台湾の電子産業のカーボンフットプリントは国の温室効果ガス排出の10パーセントを占める」と、コランジュ氏は解説する。
(前掲書p80)

(※7)
 グーグルはわれわれのデータを商業目的のためだけに集めているのではない。検索履歴をNSAにも提供している。アメリカの情報機関のひとつであるNSAは、私たちの電子メールや通話の内容、駐車場の領収書から旅行のルート、本の購買の情報も集めている。その監視データの大きさは、世界の電子情報のどれぐらいの割合を占めるのだろうか?それはだれにもわからないが、ヒントになりそうなものはある。2013年にNSAが、ユタ州北部のブラフデール周辺部の州兵訓練施設の敷地に特大のデータセンターを開設したとき、それは当時、世界で3番目に大きいデータセンターだった。アメリカ国会図書館の中身に匹敵する情報を毎分ストックできるマシンだった。
 なぜ、ブラフデールに造ったのか?愛国精神のある熟練労働者(したがってNSAの活動に反対する懸念がほとんどない)があること、そしてデータセンターを冷却するのに必要な水が非常に安価だったためだ。中規模のデータセンターは冷却装置のために年間60万立方メートルほどの水 ― オリンピックプール160個あるいは3つの病院に必要な水量 ― を消費する。
(前掲書p107)

(※8)
“データの領地”の拡張によって生じた対立が世界中でアッシュバーンほど激しいところはないだろう。私たちはそこに2021年春に訪れた。ワシントンから北西におより50キロメートルの、ヴァージニア州にあるアッシュバーンは、地味なビジネス地区といくつかのショッピングセンターに彩られた人口5万人の静かな町であるだけではない。世界のインターネット・トラフィックの7割が通過する「東海岸のシリコンバレー」なのだ。世界でもごく初期のインターネット相互接続店が1992年にそこに設置されたことから、AOL、ベライゾン、テロスといったアメリカ企業などIT経済の大企業が集中する現象を招いたのだろう。その後を追うように、57のデータセンターがアッシュバーンに集中し、まもなく専門メディアから「データセンターの世界的首都」と呼ばれるようになった。
 経済的効果はめざましい。アッシュバーンを含むラウドン郡に住む人の家計収入の中央値はアメリカで最も高い。「ハブ」は拡大していく・・・・。金持ちになったが、大きな建物に囲まれたアッシュバーンの住民は、「非物質」の都市計画のとばっちりを受けた。データセンターは騒音がして醜い・・・・。「この4ヶ月間で私のもとに寄せられた不満のトップが何かわかりますか?渋滞でも高速道路の料金所でもなく、データセンターの美観なんです」と、ある地元議員は言う。環境保護問題も表面に出てきた。「周りにはほとんど緑がないんですよ。もうたくさんだと思う。残っている自然を破壊する必要はないです」と、住民の一人、ブライアン・カーさんは不満げだ。2018年、ラウドン郡は43ヘクタールの森をつぶしてコンパス社のトゥルー・ノースデータセンターの建設を許可していたのだ。
(前掲書p106)

(※9)
明らかに戦略的部門であるにもかかわらず、ケーブル産業はほとんど全部が民営化されている。したがって、次々に起こる混乱(2001年のインターネットバブル崩壊、2008年のサブプライム機器など)が定期的に起きる経済サイクルにさらされているのだ。しかも、GAFAMは超大企業であるため、価格に圧力をかけることができ、彼らのビジネスパートナーはマージンを減らすことを余儀なくされる。その結果、「そういう[ケーブル]産業に投資しようとする人はあまりいない」と、ケーブル業界の人は言う。したがって、ケーブル産業が使う大洋をまたぐケーブル敷設船は世界で30隻ほどしかなく、主要な敷設企業は3社だ。フランスのアルカテル・サブマリン・ネットワークス(ASN)、アメリカのサブコム、日本のNECである。しかも、この業界は若者を雇用するのが難しい上(「求人票にビッグデータ”と書いてないから」と業界の人は残念がる)、経営の難しい海運業者とともに仕事をする。
(中略)
「今日、フェイスブックとグーグルが資金を出さないケーブルはほとんどない」と、光ケーブルのある専門家は認める。この2社の光ケーブルへの支配はどこまで進むのだろうか。また、世界で最も強力なそうした企業へ欧米諸国はどのように依存していくのだろうか?「われわれは、いつかの企業の利益のためにインターネットの一部を私有化される状況に直面している。しかも、だれも何も感じることなく」と、海底の電気通信ケーブルのある専門家は不安を漏らす。
(前掲書p248)

(※10)
中国は、紛争の際には理想的な標的に変わりうる「デジタル・シルクロード」のインフラを守らなければならない。この問題はすでに、情報ハイウェイの継続性を懸念する欧米諸国では認識されていた。「軍事情報から世界の金融データまですべてを伝送する(中略)ネットの接続が負うリスクは現実のものであり、リスクは高まっている」と、当時は英国議会の議員だったリシ・スナック氏[現財務大臣]の報告書で強調されていた。少しでも攻撃されると、重大な経済の混乱と軍事通信への損害をもたらし、「大惨事になる可能性」があると、同氏は述べている。スナック氏によると、ロシアは、クリミア半島侵攻の際にやったように、戦時における情報の流れをコントロールするために通信ケーブルを切断するのも辞さないという。
(前掲書p244)

(※11)
「SNSのアプリはわれわれの脳に侵入してきて、それをすることをわれわれに許可する」と、「責任あるデジタル」の専門家は言う。その褒美は、画面に費やす時間の増加、より多く作られるデータ・・・・そして消費エネルギーの増加だ。実際、高画質ピクセル数動画はまもなく4K、あるいは「高画質の32倍のデータを使う」8Kすら超えようとしていると、ある調査は指摘する。『カンヴァセーション』誌には研究者による驚くべき数字が掲載されている。「2030年に4K動画が10パーセント増えると、それだけでデジタル部門の電力の総消費量が10パーセント上昇する」。カプトロジーのテクニックによって生じる知的・社会的汚染は、環境汚染を引き起こすと、デジタル・フォー・ザ・プラネット[仏NGO]の会長は指摘する。「この3つの形の汚染は相互依存しており、別々に取り組むことはできない」
 こうした戦略に対抗するにはどうしたらいいのだろうか?まずは、グーグルの元エンジニア、トリスタン・ハリス氏がしたように、テック大企業が開発した、人を操るテクニックを告発することだ。その次には行動しなければならない。自分の存在のコントロールを取り戻すことを目指す多くの解決策を見つけることができる。通知を無効にする、最も依存しやすいアプリケーション(フェイスブック、スナップチャット、Tiktok、インスタグラム)を削除する、アルゴリズムがユーザーの憤慨を助長する(アプリケーション上のトラフィックをつくり出す)ようにできているSNSから距離をとる、寝室への電話持ち込みを禁止する、週に1日はネットに接続しないなどだ。スマートフォンの使用を禁止するレストランやバーの住所を提案する市民団体もある。台湾では、2歳未満の子どもに端末の画面を使わせる親は1500ユーロの罰金を科される。理屈は簡単だ。「台湾人はそれを虐待とみなすからだ」と、ある神経科学者は強調する。デザイナーズ・エチック[持続的で責任あるデザインコンセプト研究の協会]では研究者やウェブコンセプターが、帯域幅を過剰に使用するウェブサイトを「クリーニングし」、すっきりとしたウェブを提案している。この考え方の好例はウィキペディアだ。エネルギーを食う動画コンテンツを排しているので、何百万件もある項目を含むサイト全体は数十ギガオクテットにすぎない。ノートパソコンのメモリのごく一部分に相当するだけだ。デザイナーズ・エチックの「デザインによる倫理」の考え方のなかには、サイト上の「イベント系」(広告、動画など)を少なくし、コンテンツの推奨を少なくし、注意とトラフィックを促す「いいね!」の機能を停止することなども含まれる。
(前掲書p182)

(※12)
 将来、テクノロジーに対して人間が占める正当な位置。それが、人々の合意が最も難しいものだろう。われわれは、デジタルを、人間を救うために人間のもとに遣わされた救世主のように見なす傾向がある。ところが、現実はずっと凡俗であると認めなければならない。デジタルは人間に似せて作られたツールにすぎないのだ。このテクノロジーのエコロジーの度合いは、われわれ以上でもわれわれ以下でもない ― 将来もそうであろう。われわれが食物やエネルギーを無駄遣いするのを好むなら、デジタルもその傾向を強めるだろう。もし反対に、われわれが国境を超えて寛大であろうとするなら、ボランティアの大群をわずかの時間で動かすことができるだろう。このツールはわれわれの日常のイニシアティブ ― あまり立派でないものも、より立派なものも ― の触媒として働き、未来の世代に残すわれわれの遺産を増やす。われわれがなり果てた造物主 ― 本来は責任を持たねばならない計り知れない権力に、ほとんど無認識である ― に対し、デジタルは結局、ガンジーの強い厳命「あなたがこの世界で見たいと願う変化にあなた自身がなりなさい」をわれわれに熟考するよう導くのである。
(前掲書p256)



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2024年05月24日

爆発的に増えるデジタルデータと使用電力

こんばんは。
ネット危機、第2弾

ネットインフラがなかったら、金融部門も今ほど巨大にはならなかっただろう。
その中でも、比較的新しいのが暗号資産である。
私はほとんどわからないことだが、暗号資産のマイニングには、相当のエネルギーを費やす。
その一つであるビットコインだけでも、驚くことに、世界電力の5%を費やす。(※1)

株式取引も今や自動化され、1マイクロ秒という単位で取引できるそうだ。
1マイクロ秒というのは、1秒の100万分の1の時間であり、生身の人間では相手にならない。
したがって、「4万円は、山頂か?」で触れたように、世界中で1秒間に10億回取引されているというのは、間違っていないだろう。
アクティブ・ファンドというのは、投資の大部分の判断を人間がやるが、パッシブ・ファンドは、それを機械が自動的にやる。
たった1秒間の取引で、どっちが正確に勝つか、というと、機械に決まっている。
アメリカではすでに、パッシブ・ファンドが、アクティブ・ファンドを追い抜いてしまった。(※2)
今後、この傾向が続けば、ネットを行き交うデータは増加することになる。

パッシブファンドの優勢は、環境悪化を進めるかもしれない。
ただ単に利益のみを追求するアルゴリズムなら、売買の対象の企業が、有害物質を環境に放出しようが関係ない。
利益を確定できればいいのだから。
人間が投資判断するパッシブ・ファンドなら、相当の悪人でないかぎり、そういう企業への投資からは手を引く。(※3)
ここで、環境問題などを勘案できるようにするため、AIが登場する。
現在、デジタル技術のスターだが、AIもまた、とんでもなく電力を消費する。
最悪の場合、2040年で、世界電力の半分を消費する。(※4)
つまり、人間が使用する電力が減ってしまうことが危惧されるのである。
そのAIの判断が、どうなるかが微妙だ。
最悪、電力使用のシェア予測からもわかるとおり、人間とAIの分捕り合戦が始まるかもしれない。
したがって、AIが、人間を排除する方向の判断を下す可能性もある。(※5)
今後、電力を食うAIがどういう方向へ開発されていくのか、見ものである。

デジタルデータを無線で使う最高峰は、今のところ、5Gである。
一般人がスマートフォンで「いいね!」をやる程度では、5Gは要らない。
これを最も必要とするのではないか、というのが、自動運転車である。
さまざまなセンサーが、ネットワークを通じて交信し、そのデータは、いろいろな業界で利用されることになる。
これにより、二酸化炭素排出量は、20%増加するといわれる。(※6)
おいおい、二酸化炭素は、もう出さないんじゃなかったのか?

そして、AIが搭載されようがされまいが、現存するロボットも脅威となる。
通信機能のあるその辺のモノでさえ、データを生成している。
通信しているのだから。
人間の指示なしに、モノやロボットは通信している。
すでに、人間の指示によるデータ伝送は60%以下になっており、残りは、モノやロボット同士だ。
みなさんの手元にもよく届く迷惑メールは、機械が行なっているものだ。(※7)
無駄なデータ伝送なのだ。
無駄なデータといえば、生成AIの作るデータも無駄といっていい。
これらが、世界中のデータセンターにも蓄積されるのである。

以上のように列挙すると、ネットワーク全体のキャパシティを、誰もが心配してしまうほどではないだろうか。

バカじゃねーの!



(※1)
そのカナダ企業はデータセンターの建設計画を未来の暗号資産(仮想通貨)の「マイニング(採掘)」に転換した。莫大なエネルギーを食う急成長産業だ。暗号資産のなかで最も知名度のあるビットコインだけでも、世界の電力生産の5パーセント ― デンマークが必要とする総電力量に相当する ― を飲み込んでいる。だが、こうした観点はほとんど重視されない。なぜなら、「すばやく稼げるお金!」が約束されているからだ、と地元のジャーナリストは言う。
(「なぜデジタル社会は『持続不可能』なのか」p156)

(※2)
ソフトウェアを使うことは、簡便さ、コスト減の要求に応えるとともに、1マイクロ秒でオペレーションを行うことのできるロボトレーダーの増加に見られるように、取引所での発注の流れを加速させるのが目的だ。「高頻度取引(HFT)とは、ハイテクで超高速の自動投機システムだ」というのが、このロボット化現象についてのドキュメンタリーを制作した人の定義だ。このシステムは成功し、世界の取引の70パーセント近く、取引額の40%を占める。こうした状況では、高頻度取引を行う証券取引所から人の姿を消したのも不思議ではない。人間の能力は、「今後も競争し合う」機械の能力にもはや太刀打ちできないからだ、とドキュメンタリー作者は結論づけた。
 こうした金融市場の変化は、投資銀行から投機的運用をするヘッジファンドまで、市場のあらゆるプレーヤー集団に大変動をもたらした。「ヘッジファンドではすでに1980年代からアルゴリズムが体系化されていた。今日では、世界の1万社のヘッジファンドの多くがアルゴリズムを使っている」と、マクロ経済の戦略家は言う。もう少し正確に言うと、「アルゴリズムのほとんどは非常に簡単なものだ。それは株式を買うか売るかしそうな人数を調べ、毎分という短期間の利益を予想しようとするもの」と、科学・テクノロジー・経済教授フアン・パブロ・パルド=ゲラ氏は説明する。ブローカー会社の社員おそれを裏付ける。「とてもベーシックですよ。機械の目標は一連の統計に関連して利益を得ることで、80パーセントのケースではそれより先にはいきません」。しかし、より先端的なファンドでは、強力な情報ツールによって、人間がやるよりもより複雑な分析を行うことができる。それはクオンツ・ファンド[定量分析モデルを基に統計的・計量的に投資判断をするファンド]と呼ばれる。
(中略)
 IT革命のおかげで、クオンツ・ファンドは常により大量になっていく情報や変数を消化することができる。計算能力があらゆる人間の能力を大きく上回るため、およそ10年前から、従来のファンドよりも平均してより大きな利益を生むようになった。今日、アルゴリズムに消極的なヘッジファンドは単純にランクを下げられるほどだ。この定量分析を最も完成させた多国籍企業のひとつは、世界最大の資産を運用するブラックロックだ。1990年代末から、同社は「最先端のリスク分析とポートフォリオ管理と交渉と金融オペレーションの完全なツールを組み合わせた」情報プラットフォーム「アラディン」によって予測を行う。アラディンは15兆ドルの資産(世界の資産の7パーセント)を管理し、定量分析を比類ない威力と完成のレベルに高めた。機械は勝敗の相関関係をよく感知し、様々な市場環境に応じて詳細な投資戦略を提案する。「ブラックロックとしては、高くついて効率の低いアナリストの給与よりも、機械にお金をつぎ込んだほうがいい」と、フアン・パブロ・パルド=ゲラ氏は冷たく言い切った。
(中略)
「クオンツの究極の夢は、ほとんど社員を持たないことだ。残った社員はすべてがうまく機能するように時々ボタンを押せばいいのだから」と元アナリストは言う。その続きは容易に想像できるだろう。「そうしたインフラが機能するようになれば、ひょっとしたらコンピュータが(投資の)決定を下すかもしれない”と思うようになるのに大した想像力は必要ない」と、情報工学理論のマイケル・カーンズ教授は予測する。まさにツーシグマやルネサンス・テクノロジーのようなファンドはそれをしている。非常に強力なツールで自動化をさらに一歩進めたため、AIという言葉 ― 何でもかんでもこの言葉を使う傾向にあるが ― すら使われている。
 こうして、「アクティブ・ファンド」(投資の判断が大部分、人間に任される)に対して、「パッシブ・ファンド」がますます増えている。パッシブ・ファンドでは金融オペレーションの自動化が進んでいる。それは多くの場合「インデックス・ファンド」で、株価指数(たとえば、アメリカの証券取引所に上場された500社の大企業に基づいたS&P500など)やそれらの企業への長期投資に連動したものだ。そのため運用コストは低く、マージンは高くなる。運用するのはブラックロック、ヴァンガード、ルネサンス・テクノロジーズ、ツーシグマらだ。パッシブ・ファンドの規模は巨大だ。今日、アメリカではアクティブ・ファンドを追い抜いている。したがって、クオンツ・ファンドは氷山の一角ではない。その流れのなかで、金融全体がプログラムやアルゴリズムやコンピュータの仕事にますますなりつつあるのだ。
(前掲書p190)

(※3)
 アクティブ・ファンドのほうは、利益追求と環境保護の信念のあいだのバランスをとることができる個人によって管理されている。しかも、生身の人間である投資家自身は、無条件に株価指数だけを追うアルゴリズムのファンドよりはずっとフレキシブルだろう。実際に、投資家は各部門の特殊事情に適応できるし、必要なら「迅速に手を引く」こともできる、とサンライズ・プロジェクトのある戦略家は分析する。こうしたことから、ブラックロックにおける「人間による」投資と、自動化された投資の間の環境保護パフォーマンスに大きな開きができることが説明できる。
(中略)
 しかし、パッシブ・ファンドの管理者は、指数 ― そしてアルゴリズム ― を追うよう強いられていると主張する。しかも、顧客との契約に反することになり、投資の責任もかかってくると言う。ファンド管理者と投資家が責任を回避している間にコンピュータは化石燃料への安定した支援者として全面に出てくる。アルゴリズムの導入によってわれわれは「だれも統率することも、別の方向に行くこともできない、自動化されたコントロール下に」市場を置いたのだと、サンライズ・プロジェクトの報告書は説明する。2017年香港のベンチャーキャピタル(ファンド)であるディープ・ナレッジ・ベンチャーズ(DKV)は、「Vital」と名付けられたロボット(AI)を鳥島役会のメンバーに任命したと発表し、そのAIの分析を見てからでなければいかなる決定もしないことになった。さらに、アメリカのエキュボット[信託投資顧問会社]は各部署に「AI」を設置した。そのAIは「人間の推論を左右する感情的・心理的弱さ」を克服すると、同社の創業者は宣言した。
(前掲書p196)

(※4)
 このAIという非常にあいまいな流行語は、様々な定義を含む。データセンター業界のスターの一人であるオランダ人レックス・クアーズ氏によると、「強い」AIは非常に強力なスーパーインテリジェンスであり、「感動、直感、感情」を持つことができる可能性があり、自分の存在すら認識できるという。そのようなAIは、自分でデータを処理しつつ学習し向上する(これをディープラーニングと言う)ために必要な175ゼタオクテットのデータを人類が生成できれば、最も楽観的な見方で今後5年から10年で出現するという。
(中略)
 このようなAIは何ができるのだろうか?たとえば、これまで理解不能だった気候現象を明らかにし、エコシステムを規定する神秘的な相関関係を明確にすると考える学者もいる。別の学者は、非常に先進的なマーケティングで消費者の無意識の欲求を操作することによって、AIは環境負荷の高い商品(肉など)の消費を減らすことができるだろうと言う。だが、とりわけ、AIは気候やエコシステムによって生成される無数のデータを凝集させ、長期的な保護対策の形に再生することができるだろうといわれる。「今後200年間の環境戦略を練り上げるためには人工頭脳が必要だ。人間にそれができるとは思わない。AIがあれば、そういう戦略の計画をより速く進めることができるだろう」と、レックス・クアーズ氏は結論する。
 この行き方には危険がないわけではない。「強い」AIは、その鉱物資源やエネルギー消費から考えると、地球に恩恵よりもより多くの害をもたらすかもしれない。「うまく導かないと、(中略)環境の悪化を招く可能性がある」と、PwC社は釘を刺す。悲観的なシナリオだと、AIは2040年に世界の電力生産の半分を消費すると言われる。
(前掲書p198)

(※5)
AIが地球のためにとる決定が、たとえば自由を奪ったり、民主主義を後退させたりなど、人間に矛先を向ける度合いはどの程度なのだろうか?すでに今日、自然を守るという名目で多くの禁止事項が正当化されている(肉を食べるのをやめる、大気汚染が高まった時は自家用車を使わない、飛行機に乗らないなど)。こうした禁止事項をAIがさらに推し進めるなら、どうなるのだろうか?このような問いを発するだけで、この「グリーン・リヴァイアサン」[リヴァイアサンは旧約聖書に登場する最強の怪獣]が人間と同じ価値観 ― 最も基本的なヒューマニスト的モラルを含めて ― を共有すべきだと考えるのに十分だ。人間がAIに与える目標が人類をまさに根絶させることにつながる可能性もあるという仮定も成り立つわけだ。このリスクについては科学者のなかにも真剣に考える人がおり、環境を守るためにAIがとりうる最良の決定は、環境を破壊する者を排除することだろうという。したがって、自然保護は、自然のなかにいる人間の保護と必ずしも両立しないのだ。
(前掲書p202)

(※6)
 5Gが大規模に適用されるテクノロジーがあるとすれば、それは周囲と大量のデータを交換するコネクテッドカーだ。今日、単にGPSナビゲーターを搭載する車はすでに「コネクテッド」なのだ。それは始まりにすぎない。運転支援システムが増えているからだ。衝突のリスクがある場合の警告発信、緊急ブレーキシステム、進行方向の自動修正、死角モニタリングなど、交通安全の必要性から、2025年には世界を走行するコネクテッドカーは5億台以上になると予想される。GPSは短縮ルートを提供するため汚染を減少させるという理由で、このデジタル革命は環境問題にも有利だ。もうひとつの進歩は、電子システムによる「エコナビゲーション」で車の二酸化炭素排出を5〜20パーセント下げることができることだ。
 しかし、そのためには大量のカメラ、レーダー、ソナーによって情報がキャッチされなければならない。1代のコネクテッドカーは最大150の演算機能を搭載し、最低でも1時間あたり25ギガオクテットのデータを作り出す。搭載されたコンピュータは、パソコン20台分の計算能力が求められる。そしてそのソフトウェアは1億行のソースコードがある。ソースコードの行数だけでソフトウェアの複雑さを表現することはできないが、比較例として、宇宙船は40万行、ハッブル宇宙望遠鏡は200万行、軍用ドローンは350万行、ボーイング747は1400万行だ(図表8を参照)。いわば、コネクテッドカーのソフトウェアは宇宙船250機、ハッブル宇宙望遠鏡50台、ボーイング747の7機に相当するほど「肥満体」なのだ。アメリカのコンサルタント会社マッキンゼー&カンパニーは、自動運転車は2030年には3億行のソースコードによって動くだろうと予測している。
 今のところは将来、数百万台単位で使用されるとは言えないが、コネクテッドカーの究極の段階は自動運転車だ。「予想されたよりも複雑だったとみんなが気づいた。グーグルやUberですら、[このタイプの車の展開]を延期し続けている」と、フランスの持続可能開発・国際関係研究所(IDDRI)の研究者マチュー・ソジョ氏は打ち明ける。しかし、もし自動運転車が現実のものとなったら、LiDAR[レーザーによって周囲を検知してその距離を測定するセンサー]や超高画質画像のカメラのため、最大で毎秒1ギガオクテットのデータを作るようになる。IT大企業のある幹部によると、「100万台の自動運転車はウェブサイトにアクセスする世界の総人口のデータに匹敵する」。自動運転車はどこと通信するのだろうか?標識やスマート道路、そして「遅延」時間のできるだけ少ないエッジ(近くのデータセンター)につながったほかの自動運転車とだ。車が「自動」であればあるほど、周囲のインフラに依存するというパラドックスになる!「イノベーションには想定されていないものがある。それは、イノベーションがもたらす物質面の背景だ」と、マチュー・ソジョ氏は分析する。
 しかしながら、安心させるようなことを言う人もいる。自動運転車で作られるデータのほんの一握りしか、周囲と通信するために車外に送られるのではないという見解だ。自動運転車はそもそも共有するためのものだから、走る車の数は制限される(この点は議論の余地がある)という意見もある。ひとつ確かなことは、自動運転車はずっと多くの電力を消費する ― 1台あたり1500ワット増し ― ということだ。このことは自動車の走行距離に影響を及ぼすのだろうか?バッテリーの容量を増加させるべきなのか、あるいは電力消費の追加分を補うためにハイブリッドモーターを優先すべきなのだろうか?自動運転車によって作られたデータは、それを伝送、保存、処理するインフラによって二酸化炭素排出につながる。そしてそのデータは人々の消費習慣をよりよく知り、ドライバーに適した車両保険製品(あなたがどう運転するかによって保険料を払う[PHYD型自動車保険])を提案したり、対象を絞った広告のために使われるだろう。このため、自動運転車の走行1キロメートル当たりの二酸化炭素排出量は間接的に、自動車の平均排出量の20パーセント増につながるのだ。たとえ世界中で常により厳しい排出規制がとられたとしてもだ。
(前掲書p175)

(※7)
「コンピュータとモノが人間の介入なしに通信する。データ生成は人間側の行動にとどまらない」と、ランカスター大学のマイク・ハザス教授は言う。この現象は当然、環境負荷を生じる ― われわれが計算したり、あるいはコントロールすることさえできずに。ここで、厄介な疑問が湧いてくる。デジタル活動において、ロボットはいつの日か、人間以上に環境に大きな影響を及ぼすようになるのだろうか?
 この疑問は真面目なものだ。人間の行動はインターネット上で満足できる活動全体の60パーセント以下にあたり、残りは「ロボットや、職業上そうする人間によって生産されるまがいものの意図である」と、アテンション・エコノミー(関心経済)についての本を書いた著者は明かす。インターネットは事実、戦場だ。そこでは、「トロール(迷惑行為)」や「ボットネット」[マルウェアに感染し、悪意のある攻撃者の制御下に置かれたコンピュータ群]、「スパムボット」[スパムメールを送信することを目的としてウェブ上から大量のメールアドレスを自動取得する] ― 自動化されている場合が多い ― が迷惑メールを送ったり、SNS上で噂を広げたり、特定の動画の人気を誇張したりする役目を負う。2018年、ユーチューブは「不正」とみられる動画再生を察知するツールを作動したほどだ。モノのインターネットでは当然、そうした人間の行為でない活動が急増する。とりわけスマートハウスやスマートカーなどのマシン間の接続(machine to machineを略してM2Mともいう)は2023年にはウェブへの接続の半分を占めるだろう。データに関しては、人間の行為ではないデータが人間の行為によるデータよりも2012年以降はより多く生産されている。
 これはまだ序の口にすぎない。今ではロボットは他のロボットに返答するからだ。2014年以降、「敵対的生成ネットワーク(GAN)」により、たとえばソフトウェアが有名人の顔を入れ替えたり、発言を変更したり(ディープフェイク)することが可能になった。しかも、このネットワークに対し、それを破壊するアルゴリズムで対抗する・・・・。「人間はだれもこうしたコンテンツを作るためのソースコードを書いていない。マシンがそのディープフェイクを暴露するために動く。マシン同士の戦いです」と、インターネット専門の英国人エンジニア、リアム・ニューカム氏は解説する。
(中略)
人のための人の使うインターンっとから、マシンの使う、あるいはマシンのためのインターネットに代わろうとしている。そうなると、「(データ生成の)天井は際限がない」と、ハザス氏は結論づける。
(前掲書p186)


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2024年05月23日

情報通信技術(ICT)の現状

ふたたび、こんばんは。

湯治先では、「なぜデジタル社会は『持続不可能』なのか」という本を読んできた。
びっくりした。
ネット社会は、やがて行き詰ることになるかもしれない。

今や、寝たきり老人などの超高齢者を除く大多数の地球人にとって、インターネットは、常時使用しているに等しくなった。
しかし、非常に厄介な問題に直面している。
デジタルデータが爆発的に増加し、それに対する設備のキャパシティが不足、さらに電力が不足するという事態に直面しつつある。
このことは、最近、NHKでも、サラッと取りあげていた。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240515/k10014449481000.html(「NHKニュース」)

私は以前、「いいね!」に参加したことがある。
しかし、あんなものは相当の暇人がやるものだと思い、とても付き合ってられないので、やめた。
スマホの常時使用で、「いいね!」産業は潤っている。
この「いいね!」とスマホの常時使用が、データ生成を増大させ、地球、そして、人間そのものに負荷をかけ始めている。
あなたの「いいね!」は、地球の果てまで行って戻ってくるというシロモノなのだ。(※1)

グーグルのGmailは、6つコピーされ、金融機関の取引データもかなりの数をコピーし、データセンターで管理している。(※2)
なぜ、そんなにコピーしておかなければならないか、というと、誰も経験しているように、デジタルのシステムは完全ではなく、エラーを起こしたり、止まったりするから。
電力遮断により、データセンターが止まってしまったら、データを扱っている会社にとって、命取りになる。
したがって、GAFAMは、自社サーバー以外にデータセンターも使う。(※3)
インターネットは、すでに、止まってはならないのだ。
だから、世界中にデータセンターがたくさん必要となる。(※4)
その数、小規模なデータセンター(それでも500平方メートル以上)は、世界に300万ケ所、サッカー場クラスの大規模なものは、500ヶ所もある。(※5)
私たちが知らないうちに、知らないところに作られている。
今後、どれほど作られることになるのか?

世界中のデータセンターを結んでいるのが、海底ケーブルである。
スマホのように空中を飛び交うデータというのは微々たるものであり、データ伝送の主役は海底ケーブルである。
そのシェアは、99%!(※6)
データ伝送、データ生成が多くなった理由は、海底ケーブルの充実にあるようだ。
交通で例えれば、道路網が整備されないと交通量は増えない、ということと同じで、データの通り道がたくさんあれば、みんなそれを利用する。
しかし、データ生成の増加速度のほうが、ネットワーク全体のキャパシティの増加速度を上回っている。
いずれ、限界点が訪れる。(※7)
したがって、はっきり言えば、とんでもないデータ量を食うオンライン動画、オンラインゲームなどに、高額課金する方向へ進めなければならないだろう。(※8)

それでも、どの国家も、デジタル利用を推進しようとしている。
持続可能かどうかは、非常に怪しい。
ネットワークが膨張すればするほど、何が起きるのか、想像できるだろう。



(※1)
 読者のみなさんは、「いいね!」を送りたくてたまらないだろうし、職場の同僚に気に入られるために、その人のフェイスブックのプロフィールの写真に「いいね!」を送っているだろう。ところが、その愛すべき人の携帯電話に届くのに、「いいね!」はインターネットの7つの層を通っている。第7層が端末(パソコンなど)にあたる。あなたの愛情に満ちた通知はネット中間層(データリンク層、ネットワーク層、トランスポート層など)を通り、ネットの最初の物理的な層(物理層) ― とりわけ海底ケーブルからなる ― に達する。第1と第7の層の間では、あなたの通知は携帯電話事業者の4Gアンテナを通るか、あるいはインターネット・モデムを通る。モデムは、集合住宅の共用部分を通って、歩道の80センチ下に埋められた銅線ケーブルにつながっている。そして、そのケーブルは大きな連絡道(高速道路、川、引き船道、鉄道など)を通って、通信事業者の施設で他の「いいね!」に合流する。それから海を渡ってデータセンターを通過しなければならない。今度はそこから、「いいね!」は第7層までの逆の道をたどって、あなたの好きな人の電話まで到達するのだ。あなたの同僚がわずか10メートル離れたところにいても、あなたの発した信号は実際に何千キロもの旅をする。
(「なぜデジタル社会は『持続不可能』なのか」p37)

(※2)
2010年頃にグーグルのエンジニアが行った後援会では、Gメールは6重に複製され、チャットビデオ1本は通常、世界各地の少なくとも7つのデータセンターに保存されると説明があった。検証はできないが、大きな金融機関はデータセンターを15回も重複させているという噂もある。クラウドサービス産業は「幽霊データセンター」で満ちている。この業界の企業の設備の30パーセントまでは「電源は入っているが、待ちの状態で、何もしていない」と、マルク・アクトン氏は言う。
 最後に、クラウドサービス企業はトラフックのピークに備えてインフラを「必要以上に大型にしている」。その結果、「ルーターがキャパシティの60%作動すれば、それが最大ということだ」と、IT研究者のアンヌ=セシル・オルジュリ氏は言う。こうした過度の設備に必然的な帰結は、途方もない電力の浪費だ。「ニューヨーク・タイムズ」の調査によると、ほとんど使われていないデータセンターは消費する電力の90%を無駄にしているとする。
(前掲書p121)

(※3)
世界最大の企業(グーグル、フェイスブック、アップル)は自社内にあるサーバーで管理している。しかし、コストと安全のため、自社のサーバーの管理をエクイニクス、インターシオン、エッジコネックス、サイラスワン、アリババ・クラウド、アマゾン・ウェブサービスといった専門企業に委託するのを好む企業が増えている。そうした良い「宿主」は、顧客のデータを「同居」させるデータセンター、つまりインターネットでつながった「サーバーのホテル」に受け入れているのだ。このような設備全体が「クラウド」を形成する。クラウドとはどんなインターフェースからもアクセスできるデータ保存の外注サービスであり、今日世界中で生成されるデータの3分の1はクラウドを通過している。「あなたの日々の生活で、ごくありふれた必要のために、10ヶ国に散らばったおよそ100のデータセンターを動かしているのです」と、データセンター会社「Hydro66」の営業部長、フレドリック・カリオニエミ氏は私に説明してくれた。「データセンターなしに何も存在しない!われわれのデジタル生活の中心なのだ」と、「データセンター・マガジン」の編集長、イヴ・グランモンターニュ氏は結論づけた。
(前掲書p90)

(※4)
インターネットは、「サービスの継続性」という絶対不可侵の神聖なる掟のもとで発展しているということを理解しなければならない。ウェブは途切れなく機能しなければならないし、「いつでも使え」なければならない。人命や国の安全保障がかかっているならば、医療や軍事のデータに常にアクセスできないといけないのは明白だ。しかし、休みなくネットサーフィンする何十億人という利用者を満足させなければならないことも容易いことではない。ネットは眠ることはなく、ネットを使うときに待ち時間があるのはもう許せないのだ。「1990年代末には、ウェブサイトのトップページが開くのに8秒かかった。今は、0.8秒でトップページ全体が見えないと、人は3つ目のモニター[1台のパソコンに3つのモニターを使う場合]を見るんですよ」と、データセンター研究所所長フィリップ・リュース氏は言う。要するに、われわれは「現在」の論理から「瞬間」の論理に移行したのだ。この「即時性」という暴君は、リアルタイムであらゆる障害物を分析するコネクテッドカーや、マイクロ秒で取引するロボット・トレーダーや、毎分何百万ユーロの売上を上げるeコマースのサイトに支配された世界では増幅するばかりなのだ。
 データセンターを止めることができないのは、そういう理由からだ。「大雑把に言うと、データセンターが約束するのは、“常にオン”ということだ。あなたは常にオンになっているということ。“邪魔をしないでくれ”モードは存在しない」と、フィリップ・リュース氏は結論づける。常に競争が激しくなる業界なので、クラウドサービスの多くの企業は自社のインフラが99.995パーセントの時間、機能することを約束している。つまり、年間わずか24分間使用できないというだけだ。「何度もブラックアウトする企業は、この業界から撤退する」と、リュース氏は断言する。
(前掲書p117)

(※5)
「クラウド」が世界の主要な通信情報ハブ(ワシントン、香港、ヨハネスブルク、サンパウロなど)、とりわけ主要な証券取引所(ロンドン、フランクフルト、ニューヨーク、パリ、アムステルダムなど)に定着するには12年ほどで十分だった。その結果、現在、床面積が500平方メートル以上のデータセンターは世界に300万ケ所近くある。そのうち、8万5000は中程度の規模で、エクイニクスAM4に相当するような大規模なものは1万弱ある。このコンクリートと鋼鉄の建物のうち、サッカー競技場に相当する大きさの「ハイパースケール・データセンター」は500以上ある。
(前掲書p92)

(※6)
今日、世界のデータトラフィックの99パーセントは空中ではなく、地下や海底に敷設された管を通っている。われわれの位置情報やズーム会議あどのデータは、黒竜江省の鉱山やスカンジナビア半島の川、台湾の空にその痕跡を残すだけではない・・・・。海峡や三角州を通って海の深淵を這う。毎日、われわれは何千キロメートルも離れたところに散在する何百というケーブルを使っているのだ。それなのに、通話や写真や動画は空中を飛んでいると思い込んでいる人が多い。おそらく、われわれのデジタル行為は、ファイバー網でデータが運ばれる前に、まずアンテナ(3G、4G、5G)に中継されるからだろう。
(中略)
ケーブルはポリエチレンにくるまれた細い金属の管で、中心にペアになった光ファイバー、つまりガラスの線維が通り、光パルスによって暗号化された情報が1秒あたり20万キロメートルの速さで伝送される。
(前掲書p208)

(※7)
「道路網の比喩を使ってみてもいい。道路が多くなると、それを使う車の数も多くなる。同じようにキャパシティが上がると、そのキャパシティを使う欲望をさらに高じさせる。」と、海底ケーブルシステムの専門家は分析する。「データ市場は、自前の高速道路[光ケーブル]をさらに多く建設する人たち ― GAFAM ― によって維持されている。そうなると、制限はなくなる」と、別の専門家は言う。ケーブルによって直接生じる汚染は大したことではないが、ケーブルの増加がデジタル界の拡大―端末やデータセンター、エネルギーインフラの拡大を伴う―を引き起こすことになる。パンデミックのために2020年の一時期に自宅待機した人々は、ズーム会議やWhatsApp上の飲み会を発見した。こうした新たなデジタル習慣によりトラフィックは爆発的に増え、ユーチューブやネットフリックスはオーバーヒートしたネットワークを鎮めるためにストリーミングサービスの画質を一時期下げざるをえなかったほどだ。「10年後に次のパンデミックがあれば、私たちは頭にヴァーチャル・リアリティのヘッドギアをつけているだろう」と、ケーブル産業界のある人は予言する。消費者がそれを望むだろうし、なにより、通信技術の発展でそういうことが技術的に実現できるようになるからだ。
 ところが、1015年、バーミンガム大学(英国)の応用化学・工学教授のアンドリュー・エリス氏は次のように警告を発した。われわれのデータ生成は、それを処理するネットワークのキャパシティよりも速く増大している。要するに、8年間で ― 2023年に ―システムの限界に達するだろう。同氏は「キャパシティ・クランチ(伝送容量の危機)」という言葉を使った。この警告に呼応するかのように、光ケーブル産業界も「シャノン限界」、つまり光ファイバーが伝送できるデータの最大容量に近づいていると認めている。また、数多くの戦略的ケーブルが通る海峡などのネックがあることも認めた。そういう場所のひとつでトラブルが起きれば、ひとつの大陸全体、あるいは世界的な影響が起こる可能性がある。
(前掲書p226)

(※8)
電子メール1通は最低0.5グラム、添付ファイルがあれば20グラムの二酸化炭素を生じさせる。これは電球1時間使う時の二酸化炭素排出量に匹敵する。そして、世界中で毎日、3190億通電子メールが送られているだ。とはいえ、電子メールの二酸化炭素排出量は、データトラフィックの60パーセント占めるオンラインゲーム動画に比べると微々たるものだ。あるデータセンター事業者は、この数字をわれわれ個人のレベルに置き換えて示してくれた。そのため、韓国歌手PSYの世界的ヒット「江南スタイル」のミュージックビデオ ― 年間およそ17億回視聴された ― を例に挙げ、この18億回の視聴は、イッシー・レ・ムリノー[パリ郊外の市]、カンペール[ブルターニュ地方の都市]、トロワといった小都市[いずれも人口6万人強]の年間電力消費量に匹敵する297ギガワット時に相当するとした。
(前掲書p136)
データ生成によって約束された“無料”は、当然の帰結としてインターネットの消費を増加させる。「“オープンバー”[見放題]になった瞬間から、猫の動画を10本目ではやめずに、11本目も見るでしょう」と、フランスのシンクタンク「ザ・シフト・プロジェクト」のメンバーであるユーグ・フェールブッフ氏は言う。つまり、「無料」は「データ激増」と同義語なのだ。
(前掲書p104)



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2024年04月13日

自分の運命を愛せよ

ふたたび、こんばんは。

ニーチェ、最終回、たぶん。

ニーチェは、ローマ教の偽善を見抜いて糾弾したが、それだけではない。
どういうように人間は生きていくのか、という問いを自ら重ね、「永劫回帰」という考えに至った。
ニーチェ自身が病弱で、何度も体の調子が悪くなったり、良くなったりの繰り返し。
天才であるから、ズバっと意見すれば叩かれ、ローマ教会から攻撃され、それでも支援する人もいるから、自分を取り巻く情勢も、良くなったり悪くなったりの繰り返し。
だから、永劫回帰から逃れられない、という結論に達した。(※1)
彼は、永劫回帰を受け入れ、それを克服する方向へと進む。
それが「運命愛」であり、幸であれ不幸であれ、自分の運命を受け入れ、生きて行こうではないか、となる。(※2)

運命愛を受け入れる態度というのは、どうやら、不幸を前提としているようだ。
「にもかかわらず」という考えからは、社会生物学のハンディキャップ理論を思い出すが、彼の場合、これが人生だったか。よし、よかろう。それなら、もう一度味わおう!」ということになる。(※3)

弱者は神に救われる、というローマ教の戯言を否定したニーチェは、もう人間は、何かあっても、神のせいにはできない、と考える。
つまり、人間自身、自分自身の責任で生きていく、と。
それが、健全なのだ、と。(※4)

彼は、若い頃、ギリシア思想に感化され、ローマ教会が求めた「忍従と我慢と謙虚さ」なんてものより、もっと気楽に楽しく生きよう、と考えた。
そのために、LGBTをやったり、共同生活を試したり、いろいろとやった。
いろいろとやったし、勉強もやったし、一所懸命に考えることもやった。
人生なんてものは、宗教の規定するものなど、どうでもよく、自分の思ったとおり生きていけば、それでいい。
失敗は、永劫回帰と考え、できれば、次に同じ失敗をしないように、自分の責任で考える。
病弱な彼の人生は、激しかったのだろう、と想像される。

副島先生が「ニーチェに学ぶ 奴隷をやめて反逆せよ!」を出版してから、弟子の藤森かよこさんが、ニーチェに関するシリーズを3冊の本を出している。

「馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでください」
「馬鹿ブス貧乏な私たちが生きる新世界無秩序の愛と性」
「ニーチェのふんどし いい子ぶりっ子の超偽善社会に備える」

誰の迷惑にもならない程度に、好きなように生きなさい。
ということのようだ。
これの裏は、もちろん、「奴隷になるな!」がある。
飽くまで、日本人を含むアジア人、アフリカ人をもてあそぶ白人優越主義者らの魂胆を見抜け、なのだ。



(※1)
 温泉地のマリエンバートと、スイスの保養地シルス・マリア(サン・モリッツのさらに山の中のほとり)で、ニーチェに新しい着想が湧きあがる。よい処だ。彼はこのシルス=マリアで新たに生きる勇気を得た。ニーチェはペーター・ガストに秘かに大きな思想の構想を書き送った。これが「ツァラトゥストラ」の原型だった。ここの山の湖で突然ニーチェを襲ったのは、「人生は気づいたら、同じことが何百回も繰り返されている。その場面に人間は出会い続ける」という思想だ。これが「永劫回帰」の思想だ。ドイツ語でEwige Wiederkunftという。この言葉をそろそろ皆で覚えましょう。だからこの「永劫回帰」は「己の運命を愛せよ」という「運命愛」という思想とセットである。
 永遠には、「二つの永遠」がある。ひとつは、無限で直線でどこまでも続く。もうひとつは円環である。円環しているとグルグルといつまでも回る。キリスト教は天地創造から世界の終末までを直線だとする。このとき「永遠」とは、直線の始まりと終わりとする。この動きの繰り返しだ。それに対してニーチェが尊敬するギリシア人たちは円環だった、と思いついた。ニーチェはこの後者の思考こそは素晴らしいものだ、と考えた。これはギリシア人の考えを再び受容することではなくて、同じことの永劫回帰(永遠の繰り返し)が突然彼に見えたのだ。この「同じことの永遠の回帰」は、そこから逃れることができない苦痛のニヒリズムとして本当に恐ろしいものである。自分の病気がまさしくこれだ。しかし、同時に、あるがままの自分の生を英雄的に受け容れ肯定することが崇高なのである。能動的ニヒリズムと、いきることの絶対的肯定は、ニーチェの場合、反ローマ教会の思想と常に対をなしている。
 だから、1880年1月の重い苦痛の日に、前出したマルヴィーダ・フォン・マイゼンブーク女史に次のように手紙を書いている。「この苦痛がどんなに苦しくても、私は私がはっきりと分かった自分の生について、偽りの証言をしません」。のちに有名になったニーチェの、“それにもかかわらず!”dennochの断乎たる精神は、彼が破壊的なアフォリスム(箴言)を世間に向けて投げつけることでこのとき表れたのだ。「それにもかかわらず」とは、「それでもなお、私はローマ・カトリック教会(が作って人類に押しつけたキリスト教)の奴隷の思想と闘う」、ということだ。
(「ニーチェに学ぶ 奴隷をやめて反逆せよ!」p253)

(※2)
1882年6月、ニーチェは母のナウムブルクの家から、5冊目の本の初稿ゲラをヴェネチアのペータ・ガストに送った。ヴェネチアにニーチェの本を出してくれる出版社があって印刷機があった。これが『悦ばしき知識』という本である。
 この本でニーチェは、ペシミズム(悲観主義、弱者の思想)を克服することに本気になった。ここで「運命愛」(amor fati)という言葉を打ち出した。運命への愛。自分の苦しい運命を自ら引き受けること。たとえどれほどの苦痛があろうとも自分の生を肯定することだ。それは打算的で計算づくの生き方の範囲をさらに超えることだ。生(生きること)の肯定は、イギリス人(ジョン・ロック)が考えるような、「幸せの総計は苦痛の総計を上回ることで合理的に根拠づけられる」のではない。生の肯定は、人間の厳しい「決意」によるものである。世の中が自分を悪しざまに扱ったからといって、自分の人生を罵り自傷するのは、間違っている。それは不自由で卑しい、奴隷の人間の徴である。自由で誇り高く、勇敢な人間は、たとえ、愛も信頼もなくしたときでさえ、自分の人生を愛し、信じる。したがって、ペシミズムとニヒリズムを克服することは、思想の課題ではなく、ひとりひとりの人間の問題である。ニーチェはひとりひとりの人間の価値を、その人がもつ道徳心の高さから測定(評価)することをしなかった。そうではなくて、その人が自分の人生にもつ「アモール・ファーティ(運命愛)」の能力で評価した。「こんなに苦しくても、それでもなお、自分は今のこの人生を生きる!」と言い切ることができる者、自分の人生を前に踏み進むことができる者のみが、永劫回帰にも耐えることができる。
 人々はこのような(ニーチェの運命愛の)態度を「宗教的」と呼ぶだろう。なぜなら、信心深い人は、世間が示す悪意ぐらいでは、自分の信仰心が揺れることはないからだ。しかし、ニーチェの己の運命への愛という新しい信仰には、宗教につきものの啓示(天から降りてくるもの)が欠けていた。だから本当は、ニーチェは自分の運命への愛を言うとき「信仰」のように話そうとしなかった。
(前掲書262)

(※3)
『ツァラトゥストラ』の核心に「権力への意志」、「超人」、「運命愛」、「同じことの永劫回帰」の思想がある。これらの考えには、ニヒリズムそのものの強い肯定がある。そして、その上でこのニヒリズムからさらに強いものとしてニヒリズムそのものの克服が同時に表現されている。
 永劫回帰(永遠に同じ経験に立ち戻りそれを繰り返す)の思想は、人生は果てしない苦しみだ、と考える者にとって、驚くべき発見である。この発見の恐ろしさそのものに自ら勇敢に耐えるべきだ、とする。自分の運命に耐えることがニヒリズムの克服の最初の一歩だ。ツァラトゥストラが要求するのは、そんな忍耐を遥かに超えるほど残酷なものだ。ツァラトゥストラが要求するのは、「それにもかかわらず」の思想である。すなわち、圧倒的苦痛にもかかわらず、それでもその苦しみを受け入れる運命への愛である。その魂はこう叫ぶ。「これが人生だったか。よし、よかろう。それなら、もう一度味わおう!」
(前掲書p270)

(※4)
「超人」の思想とは、道徳を否定する芸術作品の中で生きる天才の姿だ。社会ダーウィニズム(強者が生き、弱者は滅ぶ)的な「自然淘汰」(ナチュラル・セレクション)の肯定だとも理解される。すなわち、「弱い者は滅びてしまえ。強い者だけが生き延びるのだ」と。「神は死んだ」とニーチェは書いた(前ページ参照)。「神が決めるものではない。人間が決めるのだ」と宣言して出現した(オーギュスト・コントが創始した)ポジティヴィズムpositivismが、1822年に出現していた。このことで、「人類は神の殺害者だ」(神を葬り去った)となった。この時に、人間が存在することの目的は、人間自身の責任になった。もう神のせいにはできない。神の支配を拒絶した人間は、以後、自分自身を上に超えて高まらなければならなくなった。ニーチェの場合、この「上昇」(より上を目指すこと)が重要である。ニーチェは、魂の向上、上昇を常に追い求める。ニーチェという敏感で、病弱な人間が、燃えるような情熱を抱いて、精神と生命が結びついている「健全な人間」の像を追求する。
(前掲書p273)


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2024年04月09日

キリスト教は、ウソに塗り固められた邪教である

3回目。
ニーチェについて、ふたたび。

ニーチェは、ギリシア語とラテン語をさらさらと読めた天才であった。(※1)
その天才が、ローマ教会キリスト教の偽善を見破った。
「弱者や虐げられた人こそ、神に愛される」などと大うそを世界中に広めた。
考えてみると、そんなことなど、あるわけない。
しかし、宗教を布教しようとする時、これは定番の言葉である。(※2)
そして、日本にキリスト教が日本に上陸する際、江戸幕府は邪教と見破っており、布教活動の妨害を行なった。(※3)

キリスト教は、精神病院みたいなものであり、僧侶たちは、他人の人生にたかる寄生虫である、とニーチェは断定した。(※4)
心にグサっと刺さる言葉を開発し、空想の世界を広げ、いや、妄想の世界を広げ、自然界の真実を無視し、現実逃避の物語を作った。(※5)
宗教とは、そんなものなのだろう。
そこに、心のよりどころを求めるのは自由であるが、広めるのは良くない。
しかも、それに異を唱える人たちを殺してきたのだから、ローマ教会キリスト教は、悪である。

ローマ教会は、変な平等主義をばら撒いて、個人の優劣をすべて同じにした。
神のもとでは、何でもできるのだ。
伸ばせば伸びる子も同じに扱い、育てることをしない。
ニーチェのような、洞察力のある、あるいは、本質を見抜く能力のある天才の出現を、宗教は嫌うのである。
この弊害が、現代社会の重しとなっている。
「ニーチェに学ぶ 奴隷をやめて反逆せよ!」を書いた副島先生は、この変な平等主義を否定し、伸びる子どもたちの芽を摘まないようにすべきだと言っている。
一方のローマ教会側では、「ニーチェはナチス・ヒトラーの思想の源流である」というデマを今でも流している。(※6)

ニーチェは、ローマ教会が説いた、忍従と我慢と謙虚さを否定した。
これにより、人間は、生きる力を失うと。(※7)
そうなのだ。
私たちは、忍従や我慢を誰に対してやらなければならないのか?
権力やそれを従える世界中の大富豪に対してか?
そう!
それがローマ教会の目的なのだ。
世界中の大富豪や権力者が、ローマ教会キリスト教を利用しているのだ。
さまざまな世界的施策を、私たちに強要する。

ニーチェは、社会主義もローマ教会キリスト教と同じだ、と切り捨てた。
根っからの労働者を、経営者へ故意に押し上げるなどというのは、無駄なことである。(※8)
私も、このことを少しわかる気がする。
もう何年も乗っている若者(20代)に、舵を握って着岸してみるよう促しても、「できません」なのだ。
スマホ世代の人で、車の運転も大好きでも、このような簡単なこともやりたがらない。
「商売をやってみたくないか?」と聞いても、「無理です」なのだ。
「給料をもらいたい。たくさんもらいたい。」とは言うが、その上には上がろうとしない。
強制的にやらせても、この場合、たぶんダメだろう。

ニーチェに糾弾されたローマ教会キリスト教は、邪教なのだから、派生してできた(だろう)統一協会など、もう完全に詐欺と同じだ。
話は脱線するが、統一協会とズブズブの関係にあり、しかも旧安倍派閥の裏金問題でもその金額が巨額であった萩生田議員は、軽い処分となった。
彼をまだ登用する自民党なら、もう見込みがない。
恥ずかしいと思わないのかね。

少し長くなるが、ここで、適菜収さんの「キリスト教は邪教です!」の翻訳について。
これは、超訳と呼ばれる訳し方である。
超訳にはいろいろな議論があって、原文に忠実に訳す翻訳業の人たちから異論が出ている。
しかし、副島先生は、日本人の理解できる範囲というのがあって、理解できるような訳しかたでないと、外国文化への理解は難しい、という観点から、優れた超訳なら、歓迎すべきである、としている。(※9)
実際に、「ニーチェに学ぶ 奴隷をやめて反逆せよ!」では、ドイツ語の原文、適菜訳、他の原文忠実訳などを比較し例示しているが、原文忠実訳では、意味が分からない場合が多い。(※10)
ドイツ語の原文を載せられても、私にはさっぱりわからないが、証拠として、載せているようなものである。




(※1)
 ニーチェは天才だから、ギリシア語とラテン語が、誰も近寄れないくらいにさらさらと読めた。
(「ニーチェに学ぶ 奴隷をやめて反逆せよ!」p153)
 ニーチェは20歳(1864年)でボン大学で学んでいるときに、フリードリヒ・リッチュル教授という人に、「天才が出現した」といって驚嘆された。
(「キリスト教は邪教です!」p132)

(※2)
ニーチェが宣言したとおり、ローマ・カトリック教会が、人間を奴隷にする思想を作ったのだ。「弱い者、虐げたられた人々、ほど神に愛されている」という巨大なウソを作って振り撒いた。そうして人類をローマ教会キリスト教の坊主(僧侶)である自分たちに額づく奴隷にした。同情、憐れみ、恩寵(神からの愛)、慈愛などの教え(教義)で、世界を支配した。まずヨーロッパの白人たちを洗脳し席巻し、そのあと植民地時代(1500年代。白人たちが支配したアジア、アフリカ、南米にもこのキリスト教という病気は広がった。ニーチェは、この偽善宗教をずっと、じっと厳しく見ていてその本性を見抜いた。だから、他人に簡単に同情(憐み)なんかするな、と断言したのだ。
(前掲書p61)

(※3)
 私は、ここに一冊の本を掲げる。この本は、『キリスト教は邪教です!現代語訳「アンチクリスト」』(講談社+α新書、2005年刊)という本である。書いたのは適菜収(1975年生)という若い評論家である。
『キリスト教は邪教です!』と書名で銘打っているからスゴいことだ。邪教とは、文字どおり、邪(よこしま)な宗教で、邪教や邪宗というコトバは「正しくない、人心を惑わす、よくない宗教」という意味だ。たしか、16、17世紀(西暦1549年から1641年までの92年間)に日本にしつこくやって来て、日本人を洗脳し乗っ取って、ローマ教皇への献げ物にしようとしたローマ教会キリスト教(とくにイエズス会)の宣教師(プリースト)である神父たちに対して、江戸幕府(徳川氏体制)が激しい恐怖感と憎しみを込めて命名したコトバだ。耶蘇教(会)はイエズス会のことで、キリスト教は天主教である。日本史学者たちは訂正しなければならない。
 この、ニーチェの『アンチクリスト』の超訳現代語訳の本は、自らの書名を「キリスト教は邪教です!」とはっきり書名で言い切っている。
(前掲書p69)

(※4)
 適菜は、ニーチェ思想の中心部分を次のように訳している。

 二千年間も続いてきた、まるで精神病院のようなキリスト教の世界・・・・私は人類が精神病院になってしまった理由を、人類のせいにしないようにと気をつけている・・・・この現代において、キリスト教を信じているのは、本当に許されないことなのです。怒りを通り越して吐き気さえもよおします。・・・・キリスト教の神学者や僧侶、法王の言葉は、すべて大ウソであるという常識は、現代に生きる皆さん(すなわち今の日本人である我々もここに含まれる―引用者、加筆)はぜひとも承知しておいてもらいたい。まあ、奴ら(キリスト教の僧侶たち)だって、「神」がいないことくらいわかっています。「罪人」「救世主」「自由意志」「道徳的世界秩序」などがデタラメだということも。・・・・僧侶(なるもの)の正体も明らかです。彼らはもっとも危ないタイプの人間であり、他人の人生にたかる寄生虫なのです。
(前掲『キリスト教は邪教です!』90〜91頁)

 このように適菜は一点の曇りもなく明確に訳している。
 ローマ教会キリスト教は精神病院だ、とはっきり、ニーチェが断言して言い切ったことを、正確無比に日本語に置き換えた。素晴らしいことだ。
(前掲書p71)

(※5)
ガラリヤ湖のほとりでバプテスマのヨハネ(ジョン・ザ・バプティスト John the Baptist)が、イエスにバプテスマ(洗礼)を施して、権威を与えたように、自分より若い人々の才能を発見し、認め、彼らを励まし応援することこそは年長者のするべきことだ。

 第一に、(キリスト教は)「神」「霊魂」「自我」「精神」「自由意志」などといった、ありもしないものに対して、本当に存在するかのような言葉を与えたこと(引用者注。大きなウソという意味)。
 第二に、「罪」「救い」「神の恵み」「罰」「罪の許し」などといった空想的な物語を作ったこと。
 第三に、「神」「精霊」「霊魂」など、ありもしないものをでっちあげたこと。
 第四に、自然科学(ナチュラル・サイエンス)をゆがめたこと。彼ら(キリスト教)の世界観はいつでも人間が中心で、自然というものを少しも理解していなかった。
 第五に、「悔い改め」「良心の呵責」「悪魔の誘惑」「最後の審判」といったお芝居の世界の話を、現実の世界に持ち込んで、心理学(サイコロジー)をゆがめたこと。
 まだまだありますが、ざっとこのようになるのではないでしょうか。
 こうした空想の世界は、夢の世界とはまた別のものです。夢の世界は現実を反映していますが、彼ら(キリスト教)の空想は、現実をねじ曲げ、価値をおとしめ、否定します。
 キリスト教の敵は「現実」です。なぜなら、彼らの思い描いている世界と現実はあまりにもかけ離れているからです。彼らは現実がつらいから逃げているにすぎません。
(前掲『キリスト教は邪教です!』36−37頁)
(前掲書p101)

(※6)
誰でもみな平等、みな平等といって、優れた人間の才能を認めようとしない。そして、この「人は皆、平等(に神に愛されます)」という悪平等の思想を作ったのも、まさしくローマ教会キリスト教である。それから、「人の命は尊い」と老人を100歳まで生かそうとするのもローマ教会が煽動した思想である。「もう死にたいよー。体が痛いよー」と苦しんでいる老人と重病者たちを死なせることができないで牢獄(煉獄、プルガトリオ)の中に置いているのもローマ教会である。彼らこそが諸悪の根源なのだ。だから、「ニーチェはナチス・ヒトラーの思想の源流である」という悪質な宣伝が今もなされている。
 ニーチェは「誰でもみな平等」という愚かな考えを嫌った人だ。「どんな人でも一所懸命努力し勉強すればできるようになる」というのはウソだ。できないのに無理矢理学校の勉強をさせるのは子どもの虐めだ。勉強が向かない子どもには、さっさと職人の職種などの労働者にさせたほうがいい。そのほうがずっとその人のためだ。
 ずば抜けて頭のいい人間は、たいして恵まれない環境であっても、自分で伸びていく。大事なことは、社会が邪魔をしないことだ。少しの肥料と栄養とチャンスを与えることだ。十分な太陽の日差し(日光)と水と栄養、それは人間を育てるのにも大事なことだ。
(前掲書p155)

(※7)
 ニーチェの2冊目の本は、『反時代的考察』(1873−1876年、29−32歳)である。ニーチェはこの本で、ヘーゲルがやったように、歴史の問題を過激な刀で切り裂いて見せた。
 世界史という、人類の血だらけ泥だらけの歴史がもつ意味は、あの威風堂々の劇作家であるシラーが見抜いたとおり、善悪のどっちであれ、人間の歴史はその偉大さの記念碑であるとする。常に決断を迫られる、人間の生のエネルギーそのものは、肯定されなければならない。生きていることのエネルギーを弱めるものは、すべて否定されるべきだ。その代表がローマ・カトリック教会である。彼ら坊主たちが、人間に忍従と我慢と謙虚さを強いてくるとき、人間の生のエネルギーは弱められる。
(前掲書p220)

(※8)
 ニーチェは、社会主義者(ソシアリスト)や、共和主義者(王政打倒主義者)、民主運動活動家(デモクラット)を嫌った。社会主義者たちが、貧困層や労働者の哀れな現状と、その待遇改善を求めて彼らを煽動するのは、間違っている、とニーチェは保守言論人として撥ねつけている。以下にその証拠の文を載せる。

 革命論における妄想。
 ―あらゆる秩序の転覆を熱烈雄弁に煽動する政治的・社会的空想家たちがいる。そのときは、ただちに美しい人間性のもっとも誇らかな神殿がおのずから聳え立つであろう、と信じて。
 こうした危険な夢想には、人間性の奇蹟的で根源的な、しかしいまや埋もれてしまった善良さを信じて、社会、国家、教育、文化の諸制度に、今では埋められてしまったあらゆる罪を負うべきルソーの迷信が、まだ余韻を残しているのである。
 遺憾なことだが、そういう革命はどれも、もっとも遠い昔のとうに葬られてしまった凄惨で無節操なものだ。人間のもつ荒々しいエネルギーを、改めて復活させるという点で、革命は、多分に疲れてしまった人類のための今も一つの力の源泉ではありえよう。が、しかし決して人間性の整頓者・建築家・芸術家・完成者のものではない。このことを、人類は歴史上の経験から知っているのである。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的T』池尾健一訳、ちくま学芸文庫、463節、一部改訳)

 このようにニーチェは、反革命であり、反社会主義者だ。それは、ニーチェが自分の先生であった(31歳上)ヴァーグナーやカール・マルクス、ドストエフスキーたちが参加した、燃えるような情熱による「人間が新しくなる。人類の理想の世界が出現する。建設ができるのだ」に対して、ニーチェは、そんなものは「空想、夢想、神殿建設・・・・凄惨で無節操・・・・」であり、「人類は(この敗れ去った空想たちのことを)歴史上の経験から知っている」と書いている。ニーチェは保守思想家である。だから、日本でも一部に受けるのだろう。
 別のところでニーチェがはっきりと書いているとおり、労働者たちは、それぞれの自分の仕事(労働)をすることで、その中で仕事の達成感と社会参加(仲間たちとの交友)、で喜びを感じていればいい。「それを、使用人(労働者たち)を主人(経営者、金持ち)にしよう、というのは間違った考えだ」とニーチェは言った。
 貧しい者たちの解放を唱える社会主義者(カール・マルクスたち)の思想は、「貧困者たちこそが天国に一番近い」「貧しき者たちほど神に愛されている」としたローマ教会キリスト教の巨大な偽善とまったく同じだと、ニーチェは激しく言い切った。それは「新しい千年王国の建設運動だ」と。キリスト教(パウロの思想。ローマ教会。および新教徒系も)と、社会主義(カール・マルクスたちの思想)のどちらも、現実の世界には有りもしない、実現することはできもしない千年王国(ミレニアム・弥勒下生。メシア[救世主]の再降臨 the Second Advent)を求める、人類の理想社会の実現を求める宗教である、とニーチェは言い切った。
 そして「労働者(サラリーマン)の解放」はついになかった。今も大半の人間は奴隷のままだ。自由人のふりだけさせられている奴隷の群れだ。人類はニーチェからあとの100年間の闘い(20世紀。1900年代の100年間)で、世界各国で、理想社会を希求する血みどろの激しい革命闘争はあった。しかし、資本家(経営者)という人間たち以外に、労働者(サラリーマン)にご飯を食べさせること、給料を払うことができる人々は出現しなかった。貴族や国王(王様)たちは形上滅んだ。しかし権力者(支配者)という特異な人々は残った。20世紀の100年間で、二つの世界大戦があった。
 多くの国々での社会主義革命は、二つの世界大戦を経て、戦乱のあとの平和によって、ニーチェが言ったことのほうが正しかったことが分かった。この地上にはキリスト教による、またマルクス主義による救済(サルヴェイション)の両方はなかった。だから私たちはニーチェの思想を認めなければいけない。カール・マルクスは言ったのだ。「ヨーロッパ社会に、今よりももっと大きな巨大な生産能力が生まれて、人間がみな働かなくてもいい(すべてロボットとコンピュータがやる)社会が生まれたときに、そのときに人類は(革命的暴動を経て)社会主義の段階の社会に到達する」と言ったのである。それでもマルクスの負けだ。いくら、マルクス主義思想を、いまだに国家の看板に掲げている社会主義国があっても、それらの実態は、キレイごとでは済まない。実情は悲惨である。やはり資本主義(カピタリスムス)の法則である、すべてお金で人間は縛られる、の法則で、どこの国も動いている。そしてロボットとコンピュータができない細々とした配膳係のような下層労働ばっかりを今も人間がやっている。この哀れな現実に私たちは顔をひきつらせて嗤うしかない。
(前掲書p94)

(※9)
 超訳というコトバは30年前(1987年)に一時流行った。超訳なるものを批判、非難する主に翻訳業の人たちの声もあった。総じて私は超訳に賛成である。超訳は一時代前の「ハーレクインロマン小説」の、平易で容易な日本(語)文への移し替えをやらなければ、読み手である日本人読者に負担がかかり過ぎることから起きた問題であった。この「超訳を許すべきか、否か」は、実は今も深刻に翻訳業界、翻訳家たちの世界に存在する。正しく原著者の考え(小説であったも)を平易かつ分かり易い翻訳文にして、読者に与えてくれるのなら、それは、外国文化の移入としてあるべきことである。
 適菜収の超訳の訳文は素晴らしい。もうこれ以上の、ニーチェ理解はない、というぐらいに、ニーチェが最後の思想として行きついた涯のところの集大成である『アンチクリスト(反キリスト)』(1888年、ニーチェ44歳の、脳がすり切れる直前の正気のときの最後の作品。前述した)を、正確無比にきわめて平易な現代日本語の文にしてくれている。適菜収という人は、非凡な才人である。彼のニーチェとゲーテ作品の日本語への置き換えこそは、もっぱら輸入業者でしかない私たち知識人層を抱える日本国にとって掛け替えのないものである。私、副島隆彦はこのように断言する。適菜収は、1975年生まれで、2005年に、わずか30歳のときに、この本を出版している。彼は私(1953年生まれ)より22歳下だ。大学を出て、出版社等に勤務していたそうだ。私は敵菜収を尊敬する。この人のニーチェ理解の正しさは天を衝いている。
(前掲書p70)


(※10)
 もう一か所、示す。まず適菜訳から。

「神聖に大ウソをつく」というキリスト教の技術は、ユダヤ民族が数百年(引用者注。数千年ではない。本当にたかが数百年だ)にもわたって作りあげてきたものです。・・・・
 そういったデタラメなものに、全人類、そして最高に頭のよい人たちまでがダマされてきました。たった一人の人でなしを除いてね。つまり私(ニーチェ)をのぞいて。
 これまで『新約聖書』は純真で清らかな書物とされてきました。これは人をダマす高度なテクニックがあった証拠でしょう。・・・・
キリスト教のバカたちは「裁いてはいけない」などと言います。が、彼らは自分たちの邪魔になるものは、すべて地獄へと送り込むのです。彼ら(キリスト教の僧侶)は、「神が裁く」と言いますが、実際には彼らが裁いているのですね。・・・・
『新約聖書』は「道徳」で人をおびき寄せます。
「道徳」は、くだらないキリスト教の僧侶たちによって、差し押さえられました。彼らは「道徳」を利用して人々を支配できることを知っていたのですね。・・・・
 ほとんど妄想の世界です。・・・・
 こうして精神病院に入れられるべきユダヤ人たちは、自分たちに都合がいいように、あらゆる価値をねじ曲げていきました。
 このようなことが起きたのは、誇大妄想を持つユダヤ民族がいたからです。
 ユダヤ人とキリスト教徒は分裂しました。が、やったことはまったく同じこと。
 キリスト教徒とは、ちょっと自由になったユダヤ人にすぎないのです。

このように適菜収は見事に訳している。これ以上の素晴らしい西洋理解の日本文は有り得ない。至上の名文だ。ではその原文忠実訳は、次の通りだ。

 神聖に虚言するという技術としてのキリスト教のうちでは、全ユダヤ精神が、いく百年にもわたってユダヤ人の最も真剣に磨きあげてきた予備訓練や技術が、このうえない名人芸となっている。・・・・
 全人類が、最良の時代の最良の頭脳すらもが(おそらくは人非人とでも言うよりほかない一人をのぞいては―)欺かれてきた。
 福音書は無垢の書として読まれてきた・・・・これは、どれほどの名人芸でここでは演技が演ぜられていたかを語るなみなみならない暗示である。・・・・
 人は惑わされてはならない、「審くことなかれ!」と彼らは言うが、しかし彼らは、彼らの道に立ちはだかるすべてのものを地獄へと送りこむのである。彼らは神をして審かさせることによって、彼ら自身が審くのである。・・・・
 福音書は道徳で誘惑する書物である、とこころえて読むべし。道徳はこれらの卑小な者どもの手で差し押さえをうけているのである、・・・・彼らは、道徳で何をしでかしうるかを承知している!・・・・
 これこそ、これまで地上にあらわれた宿業きわまる誇大妄想の最もたるものであった。・・・・
 どんな種類の気狂い病院に入れても申し分ない卑小な最高級のユダヤ人どもが、あたかも「キリスト者」にしてはじめて余人全部の意味、塩、尺度であり、また最後の審判ででもあるかのごとく、おのれたちにふさわしいように価値一般をねじまげたのである。
 この全宿業が可能であったのは、これと近親な、人種的に血縁のある誇大妄想の種類、ユダヤ的誇大妄想がすでにこの世にあったということのみによる。
 ひとたびユダヤ人とユダヤ人キリスト教徒とのあいだに裂け目が開かれるやいなや、後者には、ユダヤ的本能がすすめたのと同一の自己保存の手続きをユダヤ人自信に対して適用すること以外には、なんらの選択もまったく残されていなかった。が、他方ユダヤ人は、それまでこの手続きをすべてのユダヤ的ならざるものに対してのみ適用してきたまでのことである。キリスト教とは「いっそう自由な」信条をもったユダヤ人であるにすぎない。
(『偶像の黄昏 反キリスト者』ちくま学芸文庫、原佑訳、1994年、232−235頁)

 この堅ぐるしいニーチェ原文の訳文を読むと、私たちは、頭がヘンになる。それでもこれが原文忠実訳である。いい訳文なのだ。翻訳者である原佑氏は何一つ間違った訳をしていない。正確に訳している。そして、それでこの分からなさである。これではニーチェ思想に従ってキリスト教、ローマ教会イエズス会を打ち破れない。彼らの正体に私たち日本人が行きつくことができない。私は適菜訳の中から抜粋で重要な箇所を選び出した。だから、厳しい原文忠実の訳文と照らし合わせ、適菜訳文を再度読むことで、「ああ、本当だ。ニーチェはこのようにこんんあスゴいことを書いていたのだ」と納得がゆく。
(前掲書p77)

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2024年03月31日

ニーチェという人間

こんばんは。

ニーチェについては、3回に分けます。
いろいろとあるもので。

ニーチェという人は、「アンチクリスト」という本を書いた。
これを翻訳して日本に知らしめたのが、副島先生が取りあげた適菜収さんの「
キリスト教は邪教です!」である。
その後、ニーチェは「エッケ・ホモ」を書いている。

「アンチクリスト」を題名から想像すると、反キリスト教なのであるが、実際には、ニーチェは、イエス・キリストを嫌っていたわけではない。(※1)
むしろ、イエスを好意的に捉えている。(※2)
ニーチェは、ローマ教会の本質を捉え、偽善的な顔をしたペテロ・パウロ教を嫌ったのだ。(※3)
この時代、ローマ教会に逆らう、ということは、ほとんど誰にも相手にされなくなった。
その表現が、「エッケ・ホモ」である。
「エッケ・ホモ」とは、オランダ人画家のヒエロニムス・ボッシュの作品で、パリサイ人に囲まれ嘲笑され、やがて十字架にかけられるイエスを描いている。
この「エッケ・ホモ」を自分になぞらえた。

ヨーロッパで宗教戦争が起きたのを、私たちは学校で教えられ、「そういうのがあったなあ」程度の薄々とした記憶しかない。
これが曲者で、この時代、ヨーロッパでは、ローマ教会が、たくさんの人を殺した。
宗教が弾圧されたのではなく、宗教団体が、人々を弾圧したのだ。(※4)

このような背景を知って、ニーチェをはじめて理解できる。
ニーチェの死後、彼の本が、息長く読まれる理由はここにある。
彼の言うことは、こういうことだったんだなあ、と。
彼は、ドイツ民族が、ヴァーグナー(ワーグナー)の音楽によって、自民族優越主義を増長し、いずれ、不幸(第一次、第二次大戦)が訪れることも予見していた。

ここで、ヴァーグナーが出てくるが、ニーチェの才能を見出した一人がヴァーグナーであり、そして、ワーグナーとニーチェは、短期間だが同性愛者だった。
ヴァーグナーは、ルートヴィヒ2世とも同性愛だった。(※5)
200年以上も前からLGBTは現実にいて、しかも王様や芸術家、知識人たちに混じっていた。
今さらLGBTを認知せよ、などというのは、暇人の寝言にしか聞こえない。
「彼は変節した」として、その後ヴァーグナーとは決別し、今度は徹底的にヴァーグナー批判を展開する。

ニーチェは、一直線に進む天才であった。



(※1)
 ニーチェは次のように書いている。「イエスは、善かつ正義なるものとされる者たちの魂を正確に見抜き、見透かし、こう言った。あれはパリサイ人(偽善者)だ、と。しかし、ふつうの人々は、そのように言う人(イエス)の言葉を理解できなかった。人々には真の人(イエス)の言葉を理解する能力がない」。善かつ正義なるものとされる者たち(すなわち、イエスを神棚に置き、イエスを崇拝させ、人々にひたすら拝ませたカトリックの大司祭たち)の底知れない悪に人々は気づかないのだ。彼らカトリック(イエズス会)の司祭たちこそは、現代のパリサイ人なのだ。パリサイ人たちは、底知れずズル賢い!人間(人類)をどこまでも騙す。
(「ニーチェに学ぶ 奴隷をやめて反逆せよ!」p277)

(※2)
 イエスはやはり自由な精神を持った人だ。なにしろ、イエスはすべての決まりごとを一切認めなかったのですから。
 イエスは、生命や真理、光といった精神的なものを、彼の言葉だけを使って語りました。そして、自然や言葉といった現実の世界にあるものは、彼にとっては単に記号としての価値しかありませんでした。
(私たちは)教会にダマされそうになっても、こういった視点を忘れてはいけません。
 イエスという人は、歴史学や心理学などの学問とも、芸術や政治とも、経験や判断、書物といったものとも、そしてすべての宗教とも、なんのかかわりあいもないのです。
 イエスは文化も知らないので、文化と闘うこともないし、否定することもありません。国家、社会、労働、戦争などに対しても同じこと。
 つまり、イエスは「この世」を否定する理由を持っていなかったのです。
「この世」は(キリスト)教会が作り出した考えであって、イエスはそんなことを思いついたことさえなかった(引用者注。ローマ教会は、イエスの死後ローマに現れた信者たちの集団だ。西暦64年、皇帝ネロの迫害でペテロとパウロが殉教した)。
 イエスにはものごとを否定することはできません。
 イエスは、論理を使って考えることもなければ、「信仰や真理が、きちんとした根拠をもって証明されるかもしれない」などと考えたこともありませんでした。
(前掲『キリスト教は邪教です!』82−83頁)
(前掲書p105)

(※3)
同じキリスト教の中で、正統派を自任するローマ・カトリック教会は、その正体はペテロ・パウロ教であるから、彼らは、本心では自分たちの神父が神に祀り上げたイエス・キリストを、本心では嫌っている。信じていない。救世主(Messiah,christ)が再び現れるかどうかは分からない、とする。だから、イエスという男よりは自分たちの歴代のローマ法王(Pope)のほうを拝みなさい、となる。ここがローマ教会(カトリック)がものすごくズルい点である。
(中略)
 カトリック(ローマ教会)に対して、激しく抗議(プロテスト)する人々がヨーロッパに現れた。プロテスタントである。このあと200年間さらにヨーロッパ全土でたくさんのプロテスタントが殺された。それでもプロテスタント(新教徒)たちは信教の自由を勝ち取った(1648年、ウェストファリア条約)。
(前掲書p190)


(※4)
 話を再度戻すが、この絵を描いたのは、ヒエロニムス・ボッシュ(Hieronymus Bosch 1450-1516)だ。このとおり、ものすごい絵だ。この絵は、北方ルネサンスのオランダ民衆の決起、そして血みどろの弾圧、虐殺が起きていた1480年ぐらいに描かれた作品だ。かつ、北ドイツではマルティン・ルター派のプロテスタント都市同盟(シュマルカルデン同盟)と、神聖ローマ帝国軍(皇帝カール5世)が血みどろのシュマルカルデン戦争(1546-1547)を戦い、多くの同盟都市が焼かれ、虐殺が続き、ルター派プロテスタントたちは、このあと100年間、負け続けた。
 ドイツ三十年戦争(1618-1648)をこの中に含んでいる。こうしてほぼ百年続いた宗教戦争(ドイツ人の3分の2が死に、全土が焼け野原になった)とまったく同じ時代だ。多くのプロテスタントが、ローマ教会の名で、拷問にかけられ、木に首を吊られ、火あぶり刑にされた。だから今もある、ローマ教会キリスト教こそは人類の諸悪の根源なのである。だから、今からでもこの勢力を廃絶しなければいけない。このときオランダでも、スペイン帝国(こっちは神聖ローマ帝国の弟分。同じハプスブルク家)から独立するための、血みどろの戦争があった。この「オランダ独立八十年戦争」(1568-1648)が始まった不穏な時代の空気をボッシュは描いた。ボッシュは初期フランドル派と呼ばれる。そんなに生易しい男ではない。怒りを込めて真実を絵の中に塗り込めて今に伝えた。
 ボッシュのこの「エッケ・ホモ」は、捕まって縄で縛られて、ぼろぼろになって引き立てられていくイエスを、エルサレムの多くの市民たち(パリサイ人)が城の下のほうから見上げて指さしながら、みんなで嘲笑っている。だから、「この人を見よ」(Ecce homo)とは、天才である私ニーチェをみんな見よ、という意味ではない。そうではなくて、逆に惨めに裸にされて引き立てられて、この後、十字架で殺されるイエスの姿なのだ。ニーチェは、自分は、このイエスそのものだ、と言ったのだ。預言者(prophet)であるがゆえに、誰からも理解されないで、変人扱いされて死んでいく人間なのだ、と。
 このことを日本人は理解しない。ヨーロッパ近代が生まれるまでの苦しい闘いが分からない。誰が虐殺者なのか。誰が巨大な宗教(による)弾圧をしたのか。宗教(への)弾圧ではなかったのだ。このことを私たちは少しは本気で考えてみるべきだ。「宗教(信仰)の自由は、何があっても守られなければならない」と、寝言のようなことを言っていてはならない。ローマ教会キリスト教こそはヨーロッパ史で最大の弾圧者であり、虐殺者だったのだ。ニーチェは、自分自身のことを、イエスという男に仮託して、惨めに引きずり回されて殺された人間と同じなのだ、と自覚していたのだ。
(前掲書p53)

(※5)
ニーチェも相当にピアノが弾けて、みなの前で、ヴァーグナーとその家族、友人たちの前でもよく弾いている。その場の即興の曲を、夕食会のあとの語らいのときにもニーチェは弾いている。
「ニーチェ教授のピアノは、大学教授にしては、まあまあの腕前だね」
とヴァーグナーにホメられている。この二人の親密さは、こういう感じなのだ。
 ヴァーグナーは、その前の少し若い頃(1864年くらい)、バヴァリア(バイエルン)国の国王ルートヴィヒ2世と愛し合っている。ミュンヘンの王室だけでなう、あのノイシュヴァンシュタイン城(“新白鳥石”城)でも、二人で芸術至上主義の夜をずっと過ごしている。バイエルン国の高官(宮廷貴族)たちが、自分たちの王様の、ヴァーグナーの異常な熱愛(同性愛)を相当に心配している。二人を引き離そうとして、いろいろ邪魔して画策した。
 それでも国王ルートヴィヒ2世(1845−1886。ヴァーグナーより32歳下)は、ヴァーグナーの音楽・劇作に入れあげて支援金の散財を長年した。だから、バイエルン国の大蔵大臣(財務長官)がヴァーグナーに対して、ずっと怒っていた。後年、バイロイト祝祭劇場をヴァーグナー夫妻が造るときにも多大の支援をしている。
(前掲書p138)
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2024年03月18日

ニュー山王ホテル前で抗議活動したとか

ふたたび、こんばんは。

ラ・フランス温泉には、もちろん、本も持っていた。
送られてきた月刊誌「紙の爆弾」と副島先生の「ニーチェに学ぶ 奴隷をやめて反逆せよ!」の2冊。
ニーチェなんてものは、誰に聞いても、「名前だけは知っている」。
私もそう。
どういう人かも、どういう考えの持ち主だったかということも、何にも知らない。
それで、読んでみたら、驚いた。
まだ、半分くらいしか読んでいないが、このニーチェという人は、すごい!
この本もすごい!
後日をお楽しみに。

その前に、まずは、日米合同委員会のアップデート。
以前、「憲法よりも地位協定が上」で、日米合同委員会の存在を紹介したが、アメリカの支配地区であるニューサンノー米軍センター前で、抗議行動をした日本人たちがいる。(※1)
そして、要求文書をラウル副司令官に渡そうとしたが、当然のごとく、門前ではじかれた。
渡すことすらできない。
その後、文書は郵送されたが、それさえも受け取らなかったという。(※2)
抗議集会は、3月28日に第2弾が予定されている。

もうすでに、日本人の何割かは、この異常さに気づいている。
アメリカの属国をやめれば、アメリカへの上納金もなくなり、東アジアの緊張は解けるだろう。
今やアメリカは、みんなの足を引っ張る、世界中のお荷物になっているのだ。



(※1)
 抗議集会を主催したのは、市民団体「♯みちばた」所属のトラック運転手、甲斐正康さんと同ラッパーの「YouTuber.JT3 Reloaded」こと川口智也さん。動悸について甲斐さんは、「外国の軍隊が日本にいて、国民の頭越しに決めているのが許せない。政府のことは誰でも批判するが、この最大の問題に向き合おうとしない。だったら、自分がやるしかないと思った」と話す。
 二月一日午前十時半、会場となるニュー山王ホテルの反対側に参加者が集まった。ホテル脇の歩道は、警視庁麻布署に規制された。同ホテルは米軍関係者専用の宿泊・娯楽施設で、一般の日本人は入ることができない。「独立国」にある租界だ。
 はじめに甲斐さんがビールケースの上に立ち、「今日は日本にとって、とてもとても大事な抗議街宣。日本の未来を憂いて、この場所にお集まりくださいました。皆さまには、右翼や左翼など政治思想はいったん横に置いて、この対米従属、米国支配のこの日本を独立に向け、本気で団結するときが今です」とあいさつした。
 TPP(環太平洋連携協定)や日米貿易協定、種子法廃止や種苗法改正、水道民営化、貧困、能登半島地震などを挙げ、「さまざまな問題がるこの現実を支配しているのは米軍、米国政府。戦後79年経って、いまだに右や左で争っていたらいつまで経っても言いなりですよ。それを画策しているのが彼らCIAじゃないですか」と問題提起。「右翼に対しての批判、左翼に対しての批判を口にした方は、すぐに退場してもらいます」とくぎを刺し、「一致団結して日本のために声を上げましょう」と呼びかけた。
 同じく主催者の川口さんは、「日米合同委員会は米国の民主主義の基準にも違反している。ここで密約が行なわれ、米軍の意向に沿った日本の国益を損なう決定が行なわれている。米国も名誉や騎士道のような愛国心なりがあるなら、このような非民主主義的な会合を許していいのか」と糾弾した。
「米軍が駐留している表向きの理由は第二次大戦終了後、共産主義の脅威と戦うためとしている。それに逆らう者には共産主義者みたいなレッテルを貼られるが、ちょっと待て。冷戦時代、核弾頭技術をソ連に流したのは誰だっけ」と問いかける。
 ヘンリー・キッシンジャー元国務長官や米ゼネラル・エレクトリック社が共産主義国に軍事技術を横流しし、1990年代からはインテルやマイクロソフトなどが民主・共和の両政権下で中国に技術供与していた実態を挙げ、「中国やロシアの脅威を拡大して思いやり予算をよこせというのは、みかじめ料を取るやくざと飲食店の関係だ」と揶揄。「この悪習をやめないかぎり、私たちは抗議し続ける」と訴えた。

 再び甲斐さんが、当時に手渡す予定の要求文書を読み上げた。同文書は、日米合同委員会が選挙で選ばれていない日本の官僚と在日米軍による秘密会議であることや、議事録や合意文書が原則非公開であることを問題視。後に明らかになった数々の密約を挙げ、「巨大な特権は、独立国家としてあるまじき状態」と批判する。
 その上で、@日米合同委員会を廃止することA過去行なわれた日米合同委員会の議事録をすべて開示し、広く日本国民に公表することB国民不在の中取り決められた日米合同委員会での密約を日本国民に広く公表した上で、その全ての密約を白紙とすること――が盛り込まれている。
(「紙の爆弾」2023年4月号p60)

(※2)
 要求文書は結局、配達証明付き書留郵便で同日午後、ニューサンノー米軍センターにウラル副司令官宛てで発送された。しかし4日後、返送されてきたという。改めて横田基地内に送り直し、福生市内の郵便局で2月16日に引き渡されたとの通知が後日あった。
(前掲書p63)
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2024年02月05日

過剰な差別意識が不幸を生む

3回目。

LGBTの何が問題なのか、ということを「差別は利用され、利権化される」で紹介したが、そこには差別クリエイターなるものが登場した。
しかし、これは今に始まったことではなく、過去、黒人差別のことで、過剰な差別意識が働いたことがあった。
それも、日本が発祥だというから、日本国民って、みんな流されやすいんだなあ、と感じてしまう。

私が小さい頃、「ちびくろサンボ」という絵本があった。
おそらくは、同世代で知らない人はいないと思う。
この物語が、黒人差別になるそうだ。(※1)
モデルを黒人から白人や日本人に変えれば、差別ではないのか、という疑問が生じてくる。
「これは差別だ」という言葉が独り歩きし始め、モデルの選択が、黒人を採用してはならない、ということになってしまうのである。

何事も過剰すぎるのはよくない。
今度は、LGBTに対する過剰な保護意識が、当事者を不幸にさせる。
何と!アメリカでは、性のゆらぎのある思春期の女の子が、二次性徴抑制剤を投与され乳房まで切除してしまったそうだ。
そして、この考えは、日本にも上陸しており、二次性徴抑制剤の投与を勧めるLGBT団体がある。(※2)
まだ問題解決には程遠い統一協会は、原理研として、悩んでさまよう男や女の入信誘導をやった。
似ているといえば、似ている。



(※1)
絵本『ちびくろサンボ』排斥運動の真相
 一方、アメリカの黒人差別と日本人との関わりにおいて、もっとも有名な“事件”が絵本『ちびくろサンボ』だろう。
 1899年に英国で発売後、一時は絶版となったこの本の著者はヘレン・バナーマン。日本では1953年に岩波書店から刊行され、販売部数は100万部を超える。
 主人公の黒人少年・サンボは、著者が当時英国の植民地だったインドに住んでいたことからインド人とされる。まあ、トラはインドには生息しても、アフリカにはいない。「サンボ」はインド・グルカ地方で極めて多い名前である。
 絵本のストーリーを、大まかに言うとこうだ。サンボはジャングルで4匹のトラに出会い、食べられそうになるも、着ていた服と靴、傘をトラに渡すことで一命をとりとめる。
 トラたちはサンボの服を着て靴を履き、「オレが一番立派だ」といがみ合って木の周りを互いにグルグルと追いかけ回す。すると、トラの身体がドロドロに溶けて、ギー(インドのバター)に変わる。サンボは服を取り戻し、そのバターで作ったパンケーキをたらふく食べた。
 なんとも他愛のないストーリーだ。しかし、88年、これが「黒人差別」に当たるといってクレームを付けたのが、日本人というのだから驚く。騒ぎは米ワシントン・ポスト紙が、東京のそごうで陳列されていた黒人マネキンや、サンリオのキャラクター「サンボ&ハンナ」などを批判し、「日本人の黒人差別はよろしくないのでは?」といった記事を掲載したことから始まった。
 え?これってどこかで最近聞いた話じゃないか?そう、ジャニー喜多川氏の性加害を英BBC放送が報じ、日本で大騒動に発展した一件である。
 それはさておき、米国の報道を契機に大阪・堺市で発足した「黒人差別をなくす会」が、日本国内での抗議行動を始める。といってもメンバーは会長の母親と父親、小学校4年生の息子の3人で、『ちびくろサンボ』を対象にしたのは息子の発案だとされる。騒動を契機に名が売れて会員数を増やし、95年には225人となっている。
 今もそうだが、特に「人種差別」で世論に火が点くと、歴史的な議論が棚に上げられ、ただひたすら「差別は許せない」という主張だけが暴走しがちだ。
「なくす会」の抗議活動で、国民的ヒット商品だったタカラ(現・タカラトミー)のダッコちゃんも姿を消した。
 90年末には、『ジャングル大帝』などに目をつけられた手塚プロが、『手塚治虫漫画全集』(当時全300巻)をはじめとする、一コマでも黒人が描かれている作品を収録した出版を一時停止している。
 さらに、黒人が「カルピス」を飲むロゴマークもターゲットのひとつだった。92年刊行の『焼かれた「ちびくろサンボ」』(杉尾敏明・棚橋美代子共著、青木書店)の第2章「『表現の自由』論考」は特に必読だ。カルピスが黒人マークを使い始めたのは1923年。
 当時、第一次世界大戦の影響で、仕事をなくした欧州の絵描きたちが多くいた。そこでカルピス社は国際懸賞ポスター展を開催。3位を受賞したドイツ人デザイナーこそが、黒人マークの作者だ。
 シルクハットと燕尾服の黒人が美味しそうにカルピスを飲むデザインのどこが「黒人差別」なのか。LGBTなど「差別」が改めて注目される今こそ、投票でもしてみたらどうだろうか。
(「紙の爆弾」2024年1月号p97)

(※2)
ジェンダー医療の犠牲者 クロエ・コール
 ここ数年、かつて自分にジェンダー医療をほどこしたクリニックを相手どって訴訟を起こす少女たちも出ている。
 たとえば、2023年7月に米国下院司法委員会の公聴会で証言した19歳のクロエ・コールのケースが、私には特に記憶に新しい。
かつて12歳で性別違和感を訴えた彼女は、ジェンダークリニックの診断を受けた。その時に医療が両親にした質問が「死んだ娘さんと生きているトランスジェンダーの息子さん、どちらを選びますか?」というものだった。それは、「このまま放置すれば娘さんは絶望から自殺してしまう」という脅しにほかならない。そしてこのような保護者に対する脅迫は、ジェンダー医療においてはよくあるものだ。
 クロエは二次性徴抑制剤を投与された結果、更年期障害の症状に苦しみ、学業に集中できなくなる。その後、男性ホルモン(テストステロン)の注射設けるようになり、男性化が進む。
 声は低くなり、喉仏が出て、骨格も男性のものになった。今も生殖能力は不明だ。そのまま突き進んだ彼女は、15歳で乳房を切除してしまうのだが、そこまで身体を男性に近づけたのに、16歳で希死念慮に支配されるようになる。
 今、男性化した彼女は、自身を性別不合と誤診して「治療」をほどこし、取り返しのつかない状況に追い込んだ病院を相手に裁判を起こしている。

取り返しのつかない「ジェンダー医療」
 これは、日本にとっても対岸の火事ではない。たとえば、「LGBTかもしれない15歳以下の子どもたちとその家族に向けた交流会」を開催している「にじっこ」という情報サイトがある(https://245family.jimdofree.com
 ここには「子どもの性別違和」というコーナーもあり、大阪医学大学の康純准教授の言葉として、二次性徴抑制剤による「偽閉経医療法」を次のように紹介している。
〈二次性徴が苦痛だ、という子に対しては二次性徴抑制の治療を行うことができます。一般的にGnRH(ゴナドトロピン放出ホルモン)アゴニストという薬を使用して望まない身体の変化を止め、その間に自分がどうような性別で生きていたいかを落ち着いて考えることができます。〉
 なお、にじっこ制作に携わったトランス男性活動家・遠藤まめた氏が代表を務めるLGBT団体「にじーず」は、10歳から23歳までの「LGBTユース」ばかりを集めて定期的に集会を開いている。しかし、その内容が「子どもに対するグルーミングではないか?」との批判を集めている。
 今まで彼が、二次性徴抑制剤の可逆性(投与をやめればまた二次性徴が始まり、元通りになるとされる)を語ってきたことも疑いの目を向けられる原因となっている。
 実は二次性徴抑制剤の不可逆性はすでに海外では問題視されているのだ。たとえば、思春期にペニスの成長を止めていた少年は、一生ペニスが小さいままという事例などは、万人にご理解いただけるものではないだろうか。
 ほかにも副作用として、先に述べた更年期障害のような数々の症状に加え、精神疾患・骨粗鬆症などを起こすことも指摘されている。
(「紙の爆弾」2024年2月号p31)
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2023年12月13日

差別は利用され、利権化される

ふたたび、こんばんは。

この文章は、忙しいこともあって(やりいか針の試行錯誤)、ようやく書いたという感じ。
しかも、引用した本が対談形式であり、なおかつ、過去の活動家の行動から追っていかないと、問題の根源がわからないので、まとめるのに非常に時間を要した。
こういうややこしさは、私たち一般人を混乱させ、考えようとする力を削ぐものである。
ということで今夜は、差別を利用する連中を書くことにする。
注釈の引用文が非常に長いので、ごめんなさい。

最近、女性用トイレを無くそうという運動が、LGBT活動家によって推進されているらしい。
このLGBTというのは、何か?
今ではLGBTではなく、LGBTQ+という言う。

https://spaceshipearth.jp/lgbtq/(「SDGsメディア『Spaceship Earth(スペースシップ アース)』」)

太古の昔から、LGBTQ+は存在していただろうが、彼らはおとなしかった。
しかし近年、「差別」という言葉を武器に、私たちの税金にまで手を伸ばしている。
もちろん、彼らが直接そのようなことをするわけではない。
これには、活動家や弁護士、政治家が絡んで、利権化しているのである。

象徴的な色は、レインボー。
今後、レインボーは、嫌われる色になるかもしれない。
その責任は、ニセモノのLGBT活動家、それに関わる弁護士や政治家連中にある。

弁護士というのは、人の不幸がないと生きていけない職業である。
私は以前、損害保険を扱う会社の社長から、弁護士が困った人を助けるという考えは捨てたほうがいい、と忠告されたことがある。
もちろん、ちゃんとした弁護士もいるだろうが、テレビ広告で、過払い金を扱う弁護士らは、金儲け主義の人たちだろう。

弁護士の一つの儲け口として、離婚養育費の成功報酬がある。
これを受け取るために、DV捏造までやるという噂があるほどである。
その応用を、LGBTにやる。
同姓婚が法的に認められれば、離婚訴訟で弁護士らは儲けることができるのだそうだ。
ゲイは浮気が多く、せっかく法的に婚姻しても、離婚が多いということになれば、弁護士の格好の餌食となる。(※1)

ここでゲイが出てきたが、ゲイとレズ、つまり、LGBTのLとGは、まだ、女、男とはっきり分かれているから、社会的に罪はない。
問題は、その後ろのBとTである。
この複雑な性の枠組みは、社会的混乱を招いている。
特に、このTである。
トランスジェンダーは、身体と心の性の不一致から、どうしたらいいのか、という話である。
それを表立って主張する人は少なかったが、今では、「身なりは男でも心は女なのよ」と言って、女子トイレを利用させろ!というものが出てきた。
いよいよ、女子トイレがなくなるのではないか、というところまで来ている。
銭湯もその対象となる。
ここで、「これはおかしい」という女性たちが出てきて、女子トイレの消滅を阻止しようとしている。
身体と心の性の不一致は、性自認という本人の申告によるものでしかない。
したがって、ウソも大いにありうる。
実際に、これを利用した犯罪も起こっている。(※2)
一般公衆にあるトイレのすべてに女性用トイレがなくなったら、女性は、安心して公衆トイレや町中のトイレを利用できなくなる。
この女性用トイレの廃止を唱えているのが、LGBT活動家なのである。
埼玉県がその主戦場であるようだ。(※3)

困ったことに、LGBT活動家に対して異論を唱えると、それを「差別だ」と反論し始める。
これらの活動家の中には、プロが存在するというから、だんだんと手に負えなくなり、差別という言葉が、いよいよ大きな権力を持ち始めた。(※4)
これに目をつけ、差別を作り出す「差別クリエイター」という活動家まで出てくる始末である。
結局、普通のLGBTの人たちに、彼らは嫌われることになる。

差別クリエイターを作るLGBT活動家を支援する人たちも出てくるが、それに国会議員まで含まれるというから、開いた口がふさがらない。
政治資金の問題で、自民党は壊滅状態であるが、こんなことを黙認しているようでは、野党も大して変わらない。
ひどいものだ。
そして、彼らとつるんでいるColabo団体やしばき隊に至るまで、差別を利用し、税金を手に入れるのを目論んでいるのである。(※5)

しばき隊やColabo問題は、鹿砦社が非常に詳しい。
社長の松岡さんが、しばき隊リンチ事件を一所懸命取材し、告発している。
しかも、リンチ事件の首謀者が、日本全国で講演を依頼されているというのだ。
これに追随するマスコミは、皆無である。
時間があるなら、最後の注釈を読んでほしい。
日本のマスコミや司法関係者などのエライ人たちは、こんなものなのである。(※6)

身体男性が「女性トイレを使わせろ!」というトランスジェンダーに人たちには、思いやりがないと思う。
一般人は、確かに彼らを奇異の目で見るかもしれないが、こんなこともあるのか、という程度の関心しかなく、いじめるとか、そんなことはしないと思う。
逆に、対面した場合、非常に気を使って話をすることになるだろう。
この「気を使う」という行為は、思いやりの一つである。
他人に対する思いやりは、人間なら誰でも持っているものである。
その思いやりを、トイレや銭湯などの問題で、トランスジェンダーたちは、示したほういい。
外見上、男だったから、今まで通り、男子トイレを使えば何の問題も起きない。、
何も知らない他の男たちは、普通に男だと思ってスルーする。
まさかトイレで、「私の心は女よ」といちいち言うわけでもなかろう。
女子トイレ消滅問題は、とても付き合っていられない話なのである。

追記の関連リンク

しばき隊リンチ事件

LGBTQデジタル鹿砦社通信

ペルー政府が、トランスジェンダーを「精神障害者」として公式に分類

パリ五輪で“性別騒動”アルジェリアのボクサー、生物学的な男と判明

上のリンクの逆バージョン
真道ゴー現役引退発表「リングから下りることを決断」日本初トランス男性ボクサー



(1)
《人権と利権3》対談 須田慎一郎×森奈津子 Colabo問題 リベラル利権の基層を探る。
DV訴訟と過払い金訴訟
須田 さっき申し上げた「桜の会」が目指す目標は、単独親権を共同親権にすることです。その一方で、DV防止法に関して言うと、簡易裁判所は保護処分を出す。その際、弁護士が入って、なおかつ行政などの相談窓口に「DVがありました」と相談に行くと、そこで「この人は相談に来ました」という証明書を作ってくれる。ところが、その証明書の裏面を見てみると、「これはDVがあったという証明にはならない」と記載されている。しかし、相談があったという証明書を持って簡易裁判所に行くとDV認定されるのです。DV認定されると保護処分ということで、一切の関係を遮断されて、奥さんと子どもの所在は明らかにしない。シェルターで保護し、夫と妻の関係が完全に遮断されてしまう。
森 それって「DV捏造」ですよ。
須田 そうなんです。桜の会は「DV捏造をなくせ」と訴えているんです。しかしそれでは具体的な活動目標にならないから、単独親権から共同親権に変更することを目標としているわけです。
 ここで問題をややこしくしているのが弁護士ビジネスです。離婚が正式に決まって、子どもの親権が母親側に行くと母親側の弁護士は養育費の2割を成功報酬としてもらえるのです。しかもこのお金は子どもが成人するまで入ってくる。養育費が5万円ならば弁護士には1万円が入る。これが100件あれば100万円になります。しかもその金額が10年、20年もらい続けられる。
 この構造部分は多重債務者の問題と似ていますよね。弁護士が入って、多重債務者の債権整理を行う。結果的に過払い金訴訟を起こして、「たくさん利息を払いました。返してください」という訴訟があるんですよ。
森 テレビなどでもコマーシャルをしていましたね。
須田 あれは弁護士が入った段階でほとんど訴訟が提起されない。高裁で確定判決が出ているので、貸した側が訴訟しても間違いなく負けるからです。つまり、利息制限法と出資法の間に金利の差があって、グレーゾーン金利と言われている。これについては無効という確定判決があるので、裁判の提起をすると必ず負けるんですよ。だから弁護士が間に入るとオートマティックに過払金は返金されるものです。そこはもう成功報酬が発生するところです。あれだけテレビやラジオでコマーシャルを流せるのは、弁護士が介入すれば必ず勝てて、弁護士が確実に儲かるからなんです。
 ただし、この過払い金訴訟はもうある程度収束してしまった。私は以前、金融庁、正確には内閣府の多重債務者対策本部の有識者会議の委員でした。そこではその問題を解決する人も上限金利20%の上限金利を撤廃しろというのと、貸出の総量規制を導入しろというのがわれわれの会議の結論で、その通りに法律ができた。しかし、いまでは過払い金訴訟の需要がなくなって弁護士が儲からなくなってきた。その一方で弁護士の数は多すぎる。ということで第2の過払い金訴訟と目されているのが離婚訴訟に関わる養育費の問題なのです。
 その仕掛けとして、さっき森さんがおっしゃったように「DVをでっち上げる」。その際、たとえ奥さんの側に不倫などの責任・理由があったとしても、DVがあったとされてしまうと、妻側は「人権保護」の観点から確実に勝ててしまうのです。
森 捏造なのに。
須田 故・船井幸雄さんが立ち上げた船井総研ってありますよね。かつて総研は離婚ビジネスセミナーを開いて、弁護士を集めてセミナーをしていた。それぐらい離婚訴訟は儲かります。

利益を生む仕組み
須田 こうした弁護士ビジネスと市民活動家の運動がグチャグチャに絡み合っている。だから見えにくい。今回出てくる若草プロジェクトの代表理事は大谷恭子弁護士です。この方はどちらかといえば活動弁護士ですから、個別の訴訟で利益を得るのではないでしょう。しかし、国のその仕組みの中でなんらかの利益を生む仕組みを作っていく側といえるでしょう。この二つの側面が一体化しているから、構造が見えにくい。
森 LGBT関係でもいま、同姓婚訴訟というものをやっていますよね。あれに関わっている弁護士から聞いたという私の知り合いのゲイの証言があるんです。それは、同姓婚が法制化されれば、ゲイは浮気症だからすぐ浮気するので、離婚訴訟が頻発する。だから自分たち弁護士はそれで儲けられると言ったそうです。また別の話ですけれども、同姓婚訴訟の原告団の一人であるゲイと私の知人のゲイが話していたら、その原告の人は最初は同姓婚訴訟に興味はなかったけれど、弁護士から持ちかけられて、無料で弁護してあげるから訴訟を起こしてくれといわれた、と。それで原告団に加わったと明言した人がいるそうです。ですので、同姓婚によって食い物にされるゲイも多いでしょう。他方、レズビアンは私がみてきた限りではそんなに浮気はしないのですけれども、有名人の事例でいえば、経済評論家の勝間和代さんは可哀そうでした。要するに弁護士は同姓婚が成立すると、離婚訴訟でも儲けられるわけですね。
須田 どっちも一緒ですよね。LGBTQの問題の解決を目的としていることで利益が生まれる。

オラつく人たち
森 同姓婚訴訟についてもマスコミが活動家の言ったことをそのまま報道しがちです。実際には訴訟で負けているのに、活動家が「勝った!勝った!」と騒ぐと、それをそのまま報道する。私たちLGBT当事者はそれを「LGBT大本営発表」と呼んでいます。
 札幌同姓婚訴訟判決では「同姓婚を認めないのは憲法違反だ」という判決が出たと活動家が言っていて、それをそのままマスコミが報道したんです。けれども、実際には結婚の自由と憲法第24条に反していたというわけではなくて、憲法14条の「法の下の平等」に反している可能性があると裁判官は判断しているだけで、この判決で同姓婚訴訟そのものは敗訴していたのです。「同姓婚ができないのは憲法違反だ」と、まるで勝ったかのように活動家が騒いで、それをそのままマスコミが報道するわけです。
 異性愛者の人はそんなに興味がないから、判決文を実際読んではいない人が多数派です。だから、報道をそのまま信じてしまう。その後、大阪の同姓婚訴訟で同姓婚を認めないのは合憲ですという判決が出たんです。なぜ札幌では違憲だったのに、大阪では合憲判決が出ているんだろうと不思議に思っている人は多いと思うんです。
 須田さんはニューソクで「政官業マスコミの鉄の四角形がある」とおっしゃいってましたが、これは本当に追求していかなければいけないものだと思いますし、けれど、大手マスコミは自分たちもそれに乗っていて、報道できない。自己批判になってしまいますからね。彼らはサラリーマンですから、フリーのジャーナリスト、フリーのメディアの人が頑張ってくれないかと思いますね。
(「人権と利権」p26〜p28)



(2)
性自認至上主義とエセLGBT行為
森 私たちはいま、女性スペースを守る活動をやっています。海外では体が男性でも心が女性であれば、自己申告だけで法的に女性になれるという国がいくつもあります。反対に「私は女として生まれましたけれど、心は男性なので男性になりたいです」といえば、簡単に男性として通ってしまう。医師の診断さえもいらない。手術もしない。ホルモン投与もしない。それでも性別を変えられる状況になっています。で、それをすると、女子更衣室とか女子トイレ、あるいは性暴力を受けた女性のシェルターにも「自分は女だ」と言い張る人が入ってくる。変態な人たちが増えて、性犯罪も増えて、例えば英国では女子刑務所で自称「女性」の男性が女囚をレイプする事件が起こっています。なぜ、その男性が逮捕収監されたかというと、元々は強姦魔だったのですね。複数回強姦事件を起こしている。そんな人物を女子刑務所に入れたらどうなるか?案の定、また二人ほど被害者が出た。
 性自認至上主義と言うけれども、日本でも自己申告だけで性別を変えられるようにとLGBT活動家が活動しているのですね。
 彼らによれば、性別適合手術は断種手術であり、非人間的、人権侵害と言うわけです。それにマスコミも同調しています。
(前掲書p30)



(3)
《人権と利権4 加賀奈々恵(埼玉県・富士見市議)×森奈津子 埼玉は日本のカリフォルニアか?暴走するLGBT先進県・埼玉の深層

全国的に注目を集めた市議のツイート
森 公園に女性専用トイレを設置するべきではないか、との質問を富士見市議会でなさった、と。
加賀 ええ。
森 女性一人でも安心して暮らせる富士見市へ、ということで女性専用トイレの設置について動画をツイートされて、そのあと2月のツイートも大変話題になりました。2月26日ですね。私は「変な活動家がこれ以上女性に対してオラつくなよ」と思いつつ、加賀さんのツイートを引用リスイートしたんです。
加賀 オラつく(笑)。
森 「ちょっと、みなさん、加賀市議をフォローしてください」みたいな感じで。
加賀 そう。そんなふうに見てました。そのときは“反応しない”と決めていたので「森さんが連投してくださっているな」と思いながら見ていました。
森 私、加賀さんが取材を受けた記事を引用して、「腐りきったオラつきLGBT活動家から加賀奈々恵市議を守るために、どうか皆様、この記事を拡散させてください」ってツイートしたら、7000以上リツイートされたんです。ということは、「LGBT活動家がオラついて、人々を恫喝してまわっている」っていうのが国民のみなさんの共通認識になっているんだな、と思って、ちょっと笑ってしまいました。
 ウェブニュースサイトENCOUNTの記者さんが記事にまとめて、その記事がヤフーニュースに転載されたというのは、すごく大きいことだと私は見ています。ニュースサイトの中でも、ヤフーニュースは閲覧数がきわめて多いと聞きますので。で、また武蔵大学の千田有紀教授がヤフーニュースで「LGBTと女性の人権 加賀奈々恵議員がホッとしたわけ」という記事をまとめてくださった。
加賀 千田教授も数年前にこの問題を提起したところ、「大変な目に遭われた」とおっしゃっていました。
森 そうだんでうしょね。加賀さんに取材した記事「トランス女性の女性利用に物申す 埼玉富士見市議」を産経新聞(2023年3月7日付け)が掲載。そして同時期に渋谷区議の須田賢さんが幡ヶ谷に新しく出来たトイレについて「誰でもトイレが二つ、と男性用トイレ。渋谷区としては女性トイレを無くす方向性なのですが、私はやはり女性用トイレは残すべきだと思います。皆さんはどうお考えでしょうか」と問題提起のツイート(2023年3月6日)をしました。
 おしゃれなトイレで注目された「The Tokyo Toilet」という事業ですが、そのトイレが出来上がってみたら女子トイレがなかった、ということなんですね。西東京市議会議員の鈴木佑馬さんも「女子トイレが多目的トイレになっている問題についての質疑」を行ったとツイート(2023年3月17日)されました。
 最初は、おしゃれなトイレを増やすっていう渋谷区の政策を、好意的にマスコミが採り上げていたのに、蓋を開けたらこんなことに。
加賀 ええ、そうですね。
森 こうやって、加賀さんに続いてさまざまな自治体の政治家が声を上げているっていうのは、大変大きなことだと思います。女性スペース問題に政治家や文化人が関心を示すと、LGBT活動家やしばき隊界隈活動家がオラついてネットリンチ状態になることが繰り返されてきたので、加賀さんも折れてしまうんじゃないかと大変心配したんですけれども、杞憂でしたね。
 女性スペース問題では、過去にツイ消しに追い込まれたり、アカウントを消すことになったり、鍵アカウントになってしまった政治家や文化人が何人もいたので、ハラハラしながら見ていたんですけど、最後には「あ、屈しない方だ」と気づいて、安心しまいた。加賀さん、本当に素晴らしいです。

活動家たちのダブルスタンダード(二重基準)
加賀 埼玉県の基本計画については、まだ県民コメント(行政手続き法に基づいて行われた埼玉県の意見公募)を集計中というような段階です。何件集まったとか、どんな内容が出てきているかということは分かっていません(4月24日に発表があり、417件の意見が寄せられた)。これから県が回答を出し、推進会議でとりまとめに入ります。
 これまで、推進会議の議論というのは、傍聴人数が5名と限られていたり、オンラインでの配信もなかったり、限られたところで行われていました。「一般社団法人fair(フェア)」代表理事の松岡宗嗣氏、「一般社団法人にじーず」代表の遠藤まめた氏、そういったLGBT問題の活動家が中心になって議論を進め、誰も議論を止める人がいないような状況で行われていたんですね。
 ですから、次の第4回の議論で県民コメントの内容などが明らかになると思うので、その行方に注目をしていただきたいと思っていますし、私自身も発信するつもりでおります。
森 大変心強いです。遠藤まめた氏と松岡宗嗣氏については、LGBT当事者からも疑問の声が上がっています。“差別クリエイター”とまで言われていますね。
加賀 今回のLGBT条例(埼玉県性の多様性を尊重した社会づくり条例=「性の多様性」条例)については、女性スペースの問題ということがあったかと思います。それに対し、県は「条例が制定されたらどうなるのか」というQ&Aを出しました。「女性スペースに男性も入って来られるようになるのですか?」というような問いに対し、埼玉県はなぜか公衆浴場の例だけを挙げて「戸籍上の男性は女湯で入浴することはできません」と回答していたわけです。
 けれども推進会議で松岡さんと遠藤さんが話していたことは「トイレは戸籍(の性別)で入るか自認(の性別)で入るのか区別はない」ということで、当人の好きなように使っていいんだというように話されていました。
「男性用スペース、女性用スペース、性の多様性の方のスペースを作るということですか?」と問いかけた女性委員に対して、松岡さんは「そんなことを言ったらマイノリティはいつまでもスミに置かれてしまう。これだけは議事録に残しておく」とって、女性の意見を軽視するようなことをおっしゃったことが印象に残っています。
森 松岡さんは、やっぱり女性スペースにトランス女性も入れるべきだとおっしゃっているんだけど、ああいうゲイの方って、ゲイオンリーのイベント、例えばエッチなショーがあったり、あるいはゲイの方々が出会って性的な行為に及ぶハッテン場など、そういうところに「“体が女性のトランス男性”の皆様もどうぞ入ってきてください」とはおっしゃらないんですよね。
 実はもしハッテン場に身体女性が入っていったら、男女が性的な行為に及ぶということで取り締まりの対象になるはずなんですよね。だから言えないというのもあるけれど、ゲイは女性の体には興味がないので、いくら心が男性だと言っても体が女性の人が入って来られては困る、ということなんですね。
 レズビアンに対しては「レズビアンバーに“体が男性で心が女性”の人を受け入れろ」と騒ぐくせに、自分たちゲイは“体が女性であるトランス男性”を受け入れないんですよ。
加賀 トランス男性自体も2019年に起きた「ゴールドフィンガー事件」のように突撃をしないですもんね。
編集部 「ゴールドフィンガー事件」?
森 「ゴールドフィンガー」という老舗のレズビアンバーが新宿にありまして、普段はトランス女性も入れるバーなんですけど、月に1回身体女性のみの日があるんです。そのイベントで、体が男性で心が女性のアメリカ人トランス女性が入店を断られたんです。その方、日本人の奥さんとの間に3人お子さんがいるトランス女性活動家で、ツイッターで「日本でこんな差別を受けました」と英語で発信して、ゴールドフィンガーに世界中から批判が集中して、結局、ゴールドフィンガーが謝罪させられたんです。
 一方では、ゲイはハッテン場に体が女性のトランス男性ゲイを入れないのに、女性にばかり強制をして、おかしいなと思うんです。実は、それに対しては、やっぱりレズビアン活動家の方も怖くて声を上げられないっておっしゃっているんですね。単なる男尊女卑なんじゃないかと感じています。
加賀 本当にそう思います。女性差別だと。
森 結局、身体男性が得をするんです。
 それに、松岡宗嗣さんや遠藤まめたさんは、しばしばに二枚舌発言をされています。遠藤さんの場合、ホルモン治療すらやっていない身体女性ですが「自分は男だ」と言って、だけど、トイレは女性用と男性用のいずれも使うそうです。「男性用が混んでいて怖かったら女性用に行きます」みたいなスタンスなんですよ。結局怖くて入れないんじゃないかと。
加賀 弁護士の前園(進也)さんが議論を進めようとして「性自認ベースでいくのか?」と質問されたのですが、遠藤さんは、発信としては「個人の判断して使うもの」と主張されています。しかし、トイレを「心の性」で入っていいという考え方は女性にとって危険だと考えます。
森 女性スペースは、健常者や大人のためだけではなく、障がいを持っている女性や幼い女の子といった“弱者の中の弱者”のためでもあります。政治の方でしっかりしていただかないと、こういった弱者が守られません。
 男性は女性よりも下駄をはかされて出世もしやすいものですが、そういう方が40〜50代になってから「私の性自認は女性です」と言って女装を始めたら、またチヤホヤされて、それで本来女性が得るはずの賞を受賞したりする現象も、アメリカなどの国では起こっていますよね。女性枠に身体男性が入ってくる。男性が女性の場を奪っていく。あの現象に、なにか名前を付けられたらいいのですが・・・・。
加賀 大学教員の応募でも、女性に戸籍変更された方が女性枠に応募した事例が最近ありましたよね。

なぜ私たちだけが我慢しなければならないのか
森 性自認に基づいたスペースの利用を認めたら、性別適合手術を終えた性同一性障害の女性も、生来の女性も、女児もみな性被害のリスクが高まるという地獄のようなことが起こると思います。
 そもそも男子トイレが怖くて危険なのは、男性の問題です。男性が男子トイレを安心して使える、女装した男性も快適に使えるようにするべきであって、なのに、「私の心は女性です」と主張する女装した身体男性を、なぜ女子トイレのほうに押し付けるのでしょうか。
加賀 気にするなと言って押し付けるのか、と。
森 学者のフェミニストはLGBT活動家とズブズブなので頼りになりませんが、一般女性の市井のフェミニストたちは「女はケア要因ではない」と怒っていますよね。
加賀 今回の投稿に対して、いままでツイッター上で発信してくださっていた方だけではなく、ご近所さんや、20代から70代まで幅広い方々が「実は怖いと思っていた」「なぜ私たちだけが我慢しなければいけないのか」と声をかけてくださいました。議論が長引くにつれて「市井の女性は怒っている、これは問題なんだな」と再確認しました。
森 これまでこの問題について知らない方も多かったと思いますが、公共の女子トイレがなくなっている事実を、女性の皆さんが自分の身に降りかかる恐怖として身近に感じたのだと思います。マスコミにも協力してくださる方がポツリポツリと出てきて、話題が広まっていきました。さらに、須田賢さん、鈴木佑馬さんといった男性の区議会・市議会議員も加賀さんの後を追ってくださいまいた。
 それまでは、LGBT活動家のやっていることに疑問を呈した政治家が黙らされてきたので、声を上げられなかった人が多かったんじゃないでしょうか。加賀さんが声を上げたことで、鼓舞された方も多いのだと思います。
(前掲書p52)
(中略)

埼玉県は日本のカリフォルニアか?
森 昨年「女性スペースを守る会」も抗議文を発表しています。自民党埼玉県連がLGBT条例に関してパブコメを募った際に、LGBT条例への反対意見が約9割だったのに、結局はそれを握り潰すような形で条例が通ってしまったんですよね。
加賀 おっしゃる通りです。自民党はパブコメの内容を反映させずに制定させました。議会においても、「無所属県民会議」という会派は「女性スペースを守る会」からヒアリングを行い、議会で問題点の質疑をしましたが、条例案の修正すらしませんでした。
森 そのパブコメも「レインボーさいたまの会」というLGBT団体が内容を把握しているんじゃないかという疑いがあって・・・・。
加賀 そうした動きがあったことを把握しています。私も令和4年(2022年)度末まで会員でした。
森 パブコメをまだ募集中だった時期なのに、LGBT団体の一つにすぎない「レインボーさいたまの会」がツイッターで「埼玉県のLGBT条例案のパブコメが、トランスジェンダーの差別を煽る反対意見で荒れに荒れています」と呟いたことがありました。「なんで知っているんだ」って大勢の人からのツッコミが入っています(笑)。
 さらに「パブコメが反対意見だらけになると条例制定が遠のく可能性があります。パブコメは埼玉県外の方でも提出できますので、応援コメントでも結構です。ぜひ賛成のコメントを送ってください」と続いていまして、そのツイートを私が批判したところ、この団体は私をブロックしてきたんです。
加賀 「レインボーさいたまの会」は全国の地方議員向けにZOOMでレクチャーをしました。その内容が「トランスヘイターに対抗する議員ネットワーク」というものを立ち上げようというもので、講師として話をしたのが遠藤まめた氏なんです。
森 へえ〜、初めて聞きました。すごいですね、埼玉は、最前線のような状況ですね。
加賀 まず「レインボーさいたまの会」が中心となり、代表の加藤さんと個人的に繋がりのある地方議員にどんどん声をかけていって「トランスヘイターに対する全国地方議員向け非公開イベント」という会が開催されました。ここでも、コーディネーターは遠藤まめた氏です。この会の後に「トランスヘイターに対抗する議員ネットワーク」というグループがfacebook上に作られました。私は違和感を覚えてグループに入らなかったので、その後の状況については追うことができていません。
 会議では遠藤まめた氏が統一教会など右派メディアの記事を紹介したのち「女性スペースを守る会」を名指しし、「この会は統一教会と関係がある」と発言していました。
森 レクチャーがデマってすごいですね。
加賀 「ツイッター上の反対意見は宗教右派に影響された人たちの意見だから、信じないように」という旨のレクチャーがありました。リスクを指摘する女性の声は、統一教会、宗教右派と関係があるかのように印象付けて、不信感を持ちました。
森 その時に初めておかしいなと感じたんですか?
加賀 その当時、「女性スペースを守る会」が全国に陳情を出していました。内容は真っ当な陳情だと私は思いましたが、その陳情に対して、どう否決するかということを話していたんです。
 陳情というのは、郵送だと配布されるだけで終わってしまうことが、残念ながら多々あるんですけれども、レクチャーに参加した地方議員の方は「内容は真っ当だから反対しづらいけど、どう反対しましょうか」とおっしゃっていました。
 議会の議論として健全ではないと思います。内容は必要だと思っているのに、出されている団体によって反対すると。しかも統一教会と関係があるという根拠も定かではない中で、そのような発言が出るのはおかしいとその時感じました。

デマを広める人たち
森 「女性スペースを守る会が統一教会と関係している」と最初に言い出したのは、恐らく「やや日刊カルト新聞」朱筆の藤原善郎さんなんですよ。嫌がらせで、私にも粘着してくる方です。それに同調して、トランス女性を名乗る身体男性である安富歩東大教授が、「女性スペースを守る会が統一教会と通じている。闇の勢力だ」といった話をYou Yube の番組にゲストに招かれた時に話してしまって。
 それに対して、「女性スペースを守る会」が抗議したら、You Tube の方は謝罪して、その部分を削除したんです。でも、富安歩教授は完全スルーで訂正しなかったんですよ。その結果、「女性スペースを守る会」と顧問の滝本太郎弁護士から名誉毀損で提訴されて・・・・(追記・今年3月30日に、富安教授が30万円の慰謝料の支払いを命じられる判決で敗訴が確定)。
 デマを広めて怒られてもやめないって、どういうことなのでしょう。デマを信じているからなのか、デマと分かって広めているのか。
加賀 信じたいのだと私は思っています。「統一教会じゃない、市井の女性からの切実な声なんだ」ということを認めてしまうと、もう、いままでやってきた活動との整合性がとても取れないのでは。
森 「女性スペースを守る会」には、統一教会の人なんていませんよ。トランスジェンダー当事者、トランスフェンダーと交際されている方、子育ての中のお母さん、仕事を持つ一般の女性、そういう方々の集まりなのに、なんであんなデマを流せるのでしょう。
“活動家”になるために資格はいらないじゃないですか。「LGBT活動家です」と言えばその日からそうなれる。ペラペラ口先だけのデマを流しているようなのがいっぱいいて、本当にしょうもない。そういう人たちと共闘しているマスコミは騙されているのか、まるで手下と化していて・・・・。
(前掲書p46〜p56)



(4)
森 LGBT活動そのものが収入源になっている“プロ活動家”の存在を無視できません。彼らは、差別が存在しないと収入が途絶えるわけです。海外ではLGBTを理由に殺害されたり、あるいはかつては逮捕されたりっていう状況でしたが、もともと日本では同性愛や異性装に対する宗教的タブーはなかったので、そんな激しい差別もなくて、嘲笑されるとかいじられるとかその程度だったんですね。
 なので、日本では割りとあっさりLGBT差別が改善されちゃったわけです。ですから、いまでは活動家が飯のタネを探すために鵜の目鷹の目になって一所懸命に差別を探しているわけです。
 去年には、東急ハンズがゲリラ豪雨のことを「ゴリラゲイ雨」ってツイートしてお笑いネタにしたら、松岡宗嗣さんたちLGBT活動家や支持者が怒り出して、東急ハンズは謝罪に追い込まれたんですよ。そのほかにも、「ゲイバー店長の接客態度に立腹、組員ら9人『ケツ持ちを呼べ』ドア壊し酒瓶35本割る」っていう新聞の見出しに「ゲイバー」と「ケツ持ち」を関連付けて怒っているんですよ。
(前掲書p68)



(5)
《人権と利権5》 対談 橋本久美(公認心理士/元豊島区議)×森奈津子
防犯よりも優先される「虹の権利」 LBGT法案の何が問題なのか

同和からLGBTに変わった企業研修
橋本 LGBT問題でマスコミが向いている方向のほとんどは政府寄りです。だけど、かの国から「もうこの政府は用済みだよ」という指令が下れば、日本政府はすぐに潰されてしまう。宗主国はアメリカですから。それは陰謀論でなく、本当に存在している陰謀です。だから日本はずっとアメリカの手下。完全に植民地。経団連までもがLGBT研修を推奨しています。
 企業のトランスジェンダー研修はかつての同和教育と似ています。同和教育の代替としてトランスジェンダー研修が導入された感じがします。というのも、ある大手通信系企業ではいままで同和教育の研修を受けていたけれど、3年ぐらい前からそれがなくなった。代わって新たな研修として始まったのがLGBT研修だったそうです。企業研修が同和からLGBTにスイッチングされた。
森 LGBT団体がエセ同和の手法を学んだと言われています。LGBTを名乗っているメンバーに一人もLGBT当事者がいない団体もあるそうです。左翼団体がLGBT団体にチェンジして、メンバーはみんなノンケだっていう(笑)。
橋本 同和の利権を得ていた方たちが、もしも企業研修の派遣会社をされているとしたら、そういうことも当然となりますよね。結局、NPOを一から作ってやるのは大変だから、その当時に作った人たちが名前を変えて、企業や自治体に講師を派遣するということはあるかもしれません。
森 やり口がエセ同和行為に似ています。昔、「同和は怖い」と言われたように、エセ同和行為によって、被差別部落出身の方々は、大変印象が悪くなてしまって、被害を被ったわけですけれど、いまはエセLGBT行為によって私たちLGBT当事者がすごく嫌な思いをしています。
橋本 まさにその通りです。
森 儲けているのはLGBT団体だけです。ただし、本当に真面目にやってるLGBT団体もあって、昼間はお仕事をしながら、LGBT団体を運営をしている人たちもいます。ただプロの活動家になってしまうと差別がなくなると困るわけで、自ら差別をクリエイトする人たちもいる。LGBT当事者はそういう人たちを「差別クリエイター」と呼んで小馬鹿にしています。

立憲民主はなぜ石川大我議員に甘いのか
森 石川大我氏は立憲民主党の参議院議員で元豊島区議ですね。
橋本 そう、私、豊島区議の時、彼と同期でした。いまから12年前、まだパートナーシップ制度がない時代に同姓婚の問題で彼と対立しました。それですごく嫌われた(笑)。私は、そもそも婚姻制度を廃止しようと訴えました。
森 それはLGBT当事者でも主張している人はいます。
橋本 彼と一対一で話した時があるんです。当時、彼は議員たち一人ひとりにロビイングしていた。女性が当たり前に享受していた権利を保護しないとおかしいという。私はその時すでに1回離婚していて、いまもう離婚2回目なんですけれど、彼には「離婚するって大変なんだよ」と言いました(笑)。
 その時、私はDV支援もやっていてシェルターでも働いていた。だから危険な目にも遭いましたし、婚姻制度のせいで命を落とした人も知っています。子どもを楯にされる人も多いです。子どもだけは戸籍を不開示にしても、なぜか情報が洩れる。学校の先生がうっかり言っちゃったりするんですね。それで子ども連れで隠れた居場所が見つかって、再び暴力が始まったりする。こうしたことが起こるのは婚姻制度があるからです。
森 そもそも年中発情している動物に一夫一婦制が無茶なのではないかと、思うことも・・・・(笑)。ゲイはハッテン場にばかり行ってる人も多いです。
橋本 石川大我氏の話に戻ると、彼は2011年の区議会で質問した時にすでに「人間の性のあり方は三つ、カラダの性、ココロの性、性的指向」と言っており、「心の性別」を主張していました。「時代は変わったねえ」と長老議員は言うけれど、おそらくその頃、12年前あたりでタガがはずれ始めたのだと思います。彼はそれを教育問題として、心が女性の小学生男児がプール授業の時には海水パンツ一丁で苦痛だという例え話をしたり、小中学校の当事者の子どもたちへの支援をするにあたり教職員やスクールカウンセラーへの研修が必要だと言ったり、義務教育の段階で「心の性別」を導入させようとしたのです。
 そして彼は、同姓婚をどうしても認めさせたかった。だから彼の彼氏が危篤で入院した時、自分が病院に駆けつけたら、一切病状を教えてもらえなかったと言っていましたね。
森 それは実話ですか?
橋本 本人はそう言っていた。だけど、私も一人で手術を決めて「誰か身内の方はいますか?」と問われた時、身内は未成年の子どもしかいなかった。すると医師も看護師も「誰でもいいですよ」と言う。普通に公立病院ならばそう言うはずです。病院側としては、要は治療費。お金の踏み倒しが嫌なだけ。連帯保証人が欲しいだけ。だからその際、できれば「身内がいいですよ」と言っているだけの話です。そこを利用して、「僕には一切教えてくれなかった」と強弁している。
森 それも差別クリエイトかしら?(笑)
橋本 クリエイトです。だって普通に「一緒に暮らしてます」と言って、住所を見せればいいわけじゃないですか。別にカップルじゃなくたって、「身内です」と言えばいいんです。病院は「戸籍を持ってこい」なんて言いませんよ。私の方は実体験として「身内じゃなくてもいいですよ」と言われた。なのに彼は「自分に何かがあった時にパートナーが呼ばれない」と一所懸命主張する。だって、それで困るのはむしろ病院側ですよ。天涯孤独の人は世間に山ほどいます。身内と疎遠になってる人も山ほどいます。それなのに病院側が病状を伝える相手を身内にだけ限定していたら、病院は身元不明の遺体ばっかりになりますよ。それで困るのは病院だし、役所です。でも、そんなふうに反論するとすぐ彼らは「差別だ!」と言う。
森 マスコミが加担して、“こんな可哀想な話が”ってする。
橋本 すぐ美談にする。でもその部分について彼らはそれでスタートしちゃったから、同姓婚が必要だって主張する。それで苦に苦肉の策としてパートナーシップ制を推進する。
森 パートナーシップ制だと「二級市民だ」と彼らはごねる。「だったら、憲法を改正して同姓婚を認めましょう」という声に対しては「憲法改正などとんでもない」と反対する。それで全然話が進まない。
橋本 じゃあ、どうしろっていうの。ならば婚姻制度廃止の一択ですよ。それならば皆が幸せですよ。
森 同姓婚って叫んでいないと仕事が作れない。それこそメシの種がなくなっちゃう。
そう、メシの種なんです。DVに関しても私は仕事の関係でDVの悲惨さを知っています。子どもだって被害を受ける。「それについてあなたはどう思うの?」と彼(石川大我氏)に聞いたら、「差別主義者!」の一点ばりですよ。
森 おかしいなって思うのは、立憲民主党は石川大我氏にものすごく甘いんです。新宿二丁目で警察官に泥酔してオラついたり、救急隊員に「自分の友達を先に搬送しろ」といちゃもんつけたりした。彼は反社会的なことを何度もしているのに、立憲民主党は彼に対してすごく甘い。なぜかというと、おそらくLGBT票田があると思っているんですよ。でも、そんなものないですよ。むしろ、そんな立憲民主党をLGBT当事者は嫌っています。
(中略)

まともな人ばかり除名する日本共産党
橋本 板橋の共産党の区議会議員だったのに、共産党から除名された松崎いたるさんという方がいます。彼はその後『共産党 暗黒の百年史』(飛鳥新社2022年)という本を出しました。私は彼が議員時代から実は親しくしていました。松崎さんは板橋区議を5期25年以上努めたベテランで生粋の共産党員です。それが板橋で起きた共産党の利権事件を暴露したことで共産党を除名となりました。しかもその後ツイッターで若い共産党の議員たちが彼のことをぼろくそ書いた。ネットリンチです。
 彼は結局、次の年に選挙に出ないで区議を辞めました。その後は介護施設で働いていると聞いてます。いまも松崎さんには政治活動の相談に乗ってもらっています。トランスジェンダーの問題も伺いました。彼の見解によれば、共産党はもともと男尊女卑。議員や候補者に女性が多いのはめくらまし。女性候補者の多くは主婦だから、落選しても困らない。
森 男尊左翼の中で旦那に養われているということですね。
橋本 共産党議員の家は基本、裕福です。わりとお金に困らない人が多い。なぜかというと共産党の議員になったら議員報酬から3分の1ぐらい党本部に取られる。議員職だけでは喰っていけないわけです。だから裕福じゃないと続かない。豊島区の共産党議員にビルと持っている人もいたと聞いてます。
森 私の周りのLGBT、誰も共産党なんか支持してませんよ。LGBT活動家と一緒にオラついている共産党は評判悪いです。
橋本 勘違いしてますね。
森 活動家がオラついて社会に迷惑をかけているのに共産党はそれに同調している。活動家のオラつきに白い目を向けているLGBT当事者たちは共産党にも白い目を向けるようになっている。わざとらしく、ツイッターアカウントの名前の横にレインボーを付けたりしている「虹」派の共産党関係者は多い。いっちょかみですね。参議院議員の吉良佳子さんは当初、表現規制に反対してくれて、私すごくいいなと思っていたんですけど、その後、虹に染まったのでだめです。
橋本 あの人たちは信念じゃなくて、代々木の指令で動いているからしようがないですよ。
森 性自認による差別はなくしましょうと言っていた。でも、いっしょかみでした。
橋本 議員は代々木の言いなり。スターリニズムですよ。
森 党を批判したら除名になる。
(中略)

防犯が差別ですか?
森 橋本さんは「女性が防犯の話をして、なぜ叩かれなくちゃいけない?」とどこかでおっしゃってましたが、本当にその通りだと思います。「他人を泥棒ではないかと疑っちゃいけないから、とお前は家の鍵をかけないのか?」ということですよ。
橋本 まさにそれ。防犯という概念がなくなったらどうなるんですか?
森 「防犯が差別ですか?」ということなんですね。
橋本 公共の場所だからこそ、みんなで作ったものじゃないですか?そこがLGBTと言われている「虹」の人たちに私物化されているわけです。
森 「女子トイレに入りたい」というあなたたちの自己実現のために、なぜ私たちの治安が脅かされなくちゃいけないのか?
橋本 3年ぐらい前からです。日本でも女子大がトランスに門戸を開いてしまった。御茶の水女子大、奈良女子大学、宮城学院女子大の3校です。私はある女子大学のカウンセラーとして働いていた時にも「性自認女性」の学生の入学を認めるなどの話がきて、絶対反対しました。
森 そんなところに娘を通わせたくないですよね。
橋本 でも結局その女子大学聨合はほぼ賛成なんですよ。
森 アメリカの航行で女子生徒が女装した男子にレイプされて、そいつは退学になったけど、また行った先でレイプして、抗議した女子生徒のお父さんが「差別主義者」として逮捕されたという事件がありました。
橋本 これから日本でも全然ありえますよ。
(前掲書p75〜p98)

《人権と利権》6 森奈津子 LGBT活動家としばき隊の蜜月はどこまで続くぬかるみぞ
 LGBT活動家は、大抵、立憲民主党、日本共産党、社会民主党とつながっているうえ、中には正式な党員もいる。ゆえに、なんでもかんでも自民党批判につなげて無理筋の自民批判ツイートを繰り返すLGBT活動家も珍しくない。
 また、しばき隊が野党三党と強固につながっていることは、ウォッチャーの間では周知の事実だ(マスコミはひたすら隠しているが)。ネットで画像検索すれば、しばきイベント(笑)に実にいい笑顔で参加している野党の先生方の写真がザクザクヒットする。
 ところで、日本最大のLGBTイベント「東京レンンボープライド」の名は、報道などで耳にした方も多いと思う。これは、簡単にご説明すれば、「世界各国、日本各地で開催されている性的少数派の人権を訴えるLGBTパレードの東京版」といったあたりか。
 パレードでは、LGBT団体やLGBT関連ショップ・企業の華やかなフロート(山車)が徒歩の参加者と共に公道上のコースをたどり、歩道には多くの見物人が集まる。その中には、しばき隊界隈LGBT団体「TOKYO NO HATE」のフロートも出て、共産党の元衆議院議員・池内さおり氏の姿も見られた。
 立憲民主党、共産党、社民党の「手先」という点では、LGBT活動家もしばき隊/カウンター系活動家も、同じ穴のむじななのである。
 そんな彼らのLGBT差別反対運動の頂点が、雑誌『新潮45』に掲載された杉田水脈氏の論考の中のLGBTに対する「生産性がない」という表現に端を発したデモであろう。
 2018年7月27日19時から実行された「杉田水脈の議員辞職を求める自民党本部前抗議」。それは巨大な尺玉の花火のごとく、夏の宵に花開いた「しばき隊の華」であった。
 ただし、人生同様、社会運動も、山があれば谷もある。
 大いに盛り上がって絶頂に達し、自民党本部前で爆発したLGBTの反差別デモは、それがしばき隊界隈主導であり、暴力的であったと判明したがゆえに、すぐさまヒュルルンと一気にしぼみ、多くの一般LGBTは賢者タイムに入り、「しばき」にはピクリとも反応しなくなったのである。いまだ、しばき行為を前にギンギンに屹立しているものは、しばき隊界隈と共闘を続けるLGBT活動家のジメジメと湿った闘志だけであろう。
(前掲書p102)



(6)
人権と利権はメダルの表と裏 松岡利康(鹿砦社代表)

仰天した大学院生リンチ事件
 いまから7年前の2016年はじめ、“ある衝撃的な事件”の情報が、ある人物からもたらされた。その男は、2010年代前半に私たちが精力的に市民向けに行っていた公開のゼミに時折参加していた。「カウンター」といわれる「反差別」運動内部で凄惨な集団リンチが行われ、被害者の大学院生(当時)が、まともに相談に乗ってくれる人がいないので困っているというのだ。彼は、リンチの被害に遭った大学院生に近いという。俗に「しばき隊リンチ事件」といわれる事件で、事件後1年余り経っても大小問わずメディアは一切報じることなく、当時は一部の反差別運動周辺で噂されるぐらいで表には出ていなかった。加害者とその周辺の関係者らが必死になって隠蔽したからだ。
 また、ネット上では、事件が大阪の十三と呼ばれる地の店で起きたとされ、これに因み「十三ベース事件」といわれていたそうだが、事件が十三ではなく、大阪一の歓楽街「北新地」で起きたことで、これが判明してからは「十三ベース事件」という呼称はなくなった。北新地で起きたことが世に知られるのも、私たちが、この事件に関わり始めてから、つまり2016年になってからである。
 「在特会」に象徴される、いわゆるネトウヨ勢力が跋扈した2010年代前半、これに対抗する「カウンター」と自他称される「反差別」運動が盛り上がったが、この運動に関わった大学院生M君が、北新地の一角で、その運動の象徴的人物である李信恵ら5人によって集団リンチを受けたという。それは2014年の師走のことだったが、1年以上にもわたりほとんど知られることはなかった。その「カウンター」運動の中から「しばき隊」という暴力的なグループが生まれ、リンチ事件関連訴訟、Colabo訴訟、LGBT訴訟などに八面六臂の活躍をする神原元弁護士も関わっていたことをみずから公言している。「しばき隊」は「解散」したとされるが、未だに「しばき隊」を吹聴する者もいて事実かどうかは判らない。しかし、「しばき隊」は生きていて、なにかあると蝟集し、また、その暴力的体質は継承され、多方面の社会運動の中に(悪)影響を与えている。彼らの暴力が、権力に向かわず運動内部の弱い者や女性たちに向かっていることはつとに知られるところである。
 のちに判明するが、この事件を私が経営する会社に3年間勤めていた女性社員・藤井正美が、加害者に繋がる「カウンター/しばき隊」に関わり、酷いリンチ事件が発生した事実を、事件直後から知っていて、会社の代表である私や社員には黙っており、それどころか就業時間内に日々メールやツイッターなどで仲間内で情報交換を行っていたということも私にとっては衝撃だった。彼女が退社したあとになって、会社所有で彼女に業務用に貸与していたパソコンから、ツイッターだけで18584回はじめ膨大な通信記録が出て来て、さらにリンチ事件や企業・団体恐喝の事実なども出てきた。当然、提訴せざるを得なかったが、逆に反訴され、当社の請求は棄却、藤井の主張が認められ、あろうことか当社に11万円の賠償が課せられた(昨年11月、控訴棄却で終結)。藤井の代理人は、Colabo問題やLGBT関係の訴訟を一手に引き受ける神原元弁護士だった。
 私たちにもたらされたリンチ直後の生々しい写真(前ページ)、リンチの最中の音声データ、そのほか膨大な資料などから集団リンチの事実や実態は容易に想像できた。
 早速私たちは被害者M君に会い、彼の意向を聞き、ならばと彼の支援、そして真相究明に乗り出すことにした。加害者に繋がる者らは一様に「リンチはなかった」「デマ」「でっち上げ」などなど繰り返すのみだった。のちに6冊の本を出したが、これらに対する反論らしき反論は一切なかった。私たちは6冊も本を出して訴えたのだから、せめて1冊でも反論本があってもよさそうなのに、それもなかった。
 そうであれば、李信恵をはじめとするリンチの現場に連座した5人に繋がる者ら、特に関係が近いと目される者たちに取材を申し込んだり意見を求めたりした。曲がりなりにも答えたのは、ほんの少数だった。ほとんどは無視した。ならば、直接話を聞くしかない。私たちは職業的な捜査機関ではないので、人も資金も少なく捜査権もないから調査・取材は困難を極めたが、キーマンとされる何人かには直接取材ができた。
 以来7年間、取材を進めると共に、M君が加害者5人を訴えた民事訴訟、私が経営する会社・鹿砦社が、事件の中心にいて私たちに誹謗中傷の限りを尽くした李信恵を訴えた訴訟など少なからずの訴訟を争い、これらが終結したのは昨22年11月のことだった。「獅子身中の虫」として会社の業務外のツイートやメールに狂奔していた元社員を訴えた訴訟の控訴審判決が最後となった。こうした一連の訴訟について加害者側の弁護団の中心を担ったのは神原元弁護士だった。神原弁護士とは7年間争い期日ごとに顔を合わせたり彼が作成した訴状や準備書面を読んだりし、彼の思想性や人間性が私なりに理解できた。まさに三百代言の人である(弁護士は三百代言とも揶揄されるが、この意味では、まさに“ザ・ベンゴシ”といえよう)。神原ベンゴシによる、Colabo問題、LGBT問題、滝本太郎弁護士に対する非難、それらに関する訴訟などを傍から見ると、神原弁護士の思想性や人間性がよく解る。
 リンチのPTSDにさいなまれ恐怖におののくM君の精神状態も尋常ではなく、夜中に突然取材班のメンバーに電話があったことも一度や二度ではなかった。神原弁護士はリンチ被害者M君のこうした実情を一顧だにせず、リンチが私たちによる「でっち上げ」とした。神原弁護士の非情な人間性が垣間見れるというものだ。
 こうした過程は、このかん6冊の出版物にまとめ世に問うたので、ぜひご一読いただきたい。一連の訴訟の後半の経緯(李信恵の事件への関与をようやく認めた鹿砦社対李信恵訴訟の控訴審判決や対藤井訴訟など)はそれらに収められていないし、来年がリンチ事件から10年になるので、私たちの闘いの足跡を残し、この意味を、あらためて世に問うために総括的に一冊にまとめたいと考えている。

リンチ加害者側人脈に繋がる人たちがColaboやLGBTに関わることに疑問
 さて、今般社会問題として私たちの関心を惹くのが、Colabo問題とLGBT問題である。何が問題か?大学院生リンチ事件をつぶさに見てきた私たちから見れば、これらの問題の中心で守護神の如く立ち振る舞っている神原元弁護士、李信恵、北原みのり、池田幸代(元福島みずほ秘書、現市議)、さらにはリンチの現場に連座した伊藤大介(別件で暴行傷害事件を起こし有罪判決)、安田浩一(Colabo代表仁藤夢乃について持ち上げ記事を『週刊女性』に寄稿)らが、訴訟上は終わったとはいえ、血の通った人間として、果たしてくだんのリンチ事件を真に反省し総括しているのだろうか?ということだ。大いに疑問である。
 特に神原弁護士はいまだに「でっち上げ」と主張している。私たちはリンチ事件の情報を耳にするまでは被害者M君とは面識もなく利害関係もなかった。私たちは、「これは酷い」という素朴な意識から、人間として見て見ぬ振りはできないということで被害者支援に関わり始めたのであって、「でっち上げ」る利害も何もない。白紙の状態から調査・取材を始めた。むしろ、M君の言っていることが虚言であれば即刻身を引くつもりだった。例えば、北原みのりらが精力的に関わった群馬県草津温泉セクハラ問題で、「被害者」と称する元議員のように、まったく狂言であったなら、私たちは6冊のリンチ事件の記録本の読者らに土下座して謝罪するしかないだろう。草津温泉の問題は、のちに元議員の言動が虚言、狂言だったことが判明しているが、北原みのりらが謝罪したというニュースは聞かない。

 人生も黄昏時になり大学生リンチ事件に遭遇し深く関わることによって、この歳になって、ものごとの判断の〈リトマス試験紙〉といおうか〈基準」を得たように思う。いくら立派なことを言おうが、このリンチ事件に対して取った態度がいい加減なものだったら信用できない。私は、リンチ事件に連座した李信恵が各地の行政や弁護士会などから招かれ講演三昧の生活を過ごし講演料や謝礼を得ていることを知り、なにかやりきれないものを感じた。リンチの被害者M君はいまだにPTSDに苦しみ、博士課程は修了しつつも博論は集中できず挫折し、本来望んだ研究者生活の道は閉ざされ、不本意なサラリーマン生活を送っているのに、リンチの中心人物たる李信恵は講演三昧か・・・・。
 ここでは詳しく述べないが、(もっと深く知りたい方は一連の関連本を一読されたい)、一連のリンチ関連訴訟は、気休めのような賠償金をM君に与えたとはいえ、訴訟の舞台となった大阪地裁・高裁は、あろうことか被害者の人権や傷の深さなど蔑ろにし、否、被害者や彼を支援する私たちに憎悪さえ感じさせるようだった。メディアも『週刊実話』がコラムで小さく採り上げたにすぎないが、これに対しても激しいバッシングを受け、ここで謝罪し引っ込んだ。メディアは、李信恵がネトウヨによる「ヘイトスピーチ」や「ヘイトクライム」と闘う旗手のように持て囃すばかりで、裏でこのような凄惨な事件に連座したことを(おそらく知っていながら)まったく報じなかった。
 ただ、一連の訴訟の終わり近くになって、大阪高裁もさすがに酷いと思ったのかどうか知る由もないが、
「被控訴人(注・李信恵のこと)は、本件傷害事件とまったく関係なかったのに控訴人(注・鹿砦社)により一方的に虚偽の事実をねつ造されたわけではなく、むしろ、前記認定した事実からは、被控訴人は、本件傷害事件の当日、本件店舗において、最初にMに対し胸倉を掴む暴行を加えた上、その後、仲間であるKがMに暴行を加えている事実を認識していながら、これを制止することもなく飲酒を続け、最後は、負傷したMの側を通り過ぎながら、その状態を気遣うこともなく放置して立ち去ったことが認められる。本件傷害事件当日における被控訴人の言動自体は、社会通念上、被控訴人が日頃から人権尊重を標榜していながら、KによるMに対する暴行については、これを容認していたという道義的批判を免れない性質のものである。」
と判示したことは救いである。

 ところで、前記したように、リンチ加害者に繋がる者らに質問状、取材依頼書を何度も送付した。2度目からは出版した本を付けて送付した。まさに「見ざる、言わざる、聞かざる」だった。仕方がない、アポなし直撃取材しかない!直撃取材という手法は、これまでも東電の幹部や御用学者の自宅前、研究室などで行っているが、これはなにも鹿砦社の専売特許ではない。多くの週刊誌や新聞の記者がやっていることである。何人かを直撃した。岸政彦(李信恵裁判支援会事務局長。当時龍谷大学教授)、有田芳生(当時参議院議員)、中沢けい(作家)らを直撃した。突然のことで岸、有田は狼狽し逃げ回ったが、中沢は観念したのか喫茶店で話を聞くことができた。電話した者も、ほぼ逃げに回った。ふだんは偉そうに取材している朝日新聞記者は広報部に回し私たちの取材から逃げた。北原みのりなど何度も質問状や取材依頼を出してもナシのつぶてだった(次の直撃取材候補だったが、訴訟に追われてできず仕舞いだった)。
 こうした人物がいま、Colabo問題やLGBT問題に中心的に関わっている。終始李信恵を擁護した神原元弁護士、リンチの中心にいた李信恵、当初からリンチの事実を知りながらとぼけまくった北原みのり・・・・。

 よく右派系のYouTuberやSNSなどで彼らを「左派」「左翼」と言うが、学生時代に新左翼系の学生運動に関わり、左派、左翼のなんたるかを身を持って知っている私に言わせれば彼らは「左派」「左翼」ではない。確かに彼らのバックには日本共産党がいるが、これも私に言わせれば、えせ左翼”であり左翼もどき”である。当時の言葉で表現すれば「反革命」であり「修正主義」である。実は前出有田芳生は私と同期で、当時彼はバリバリの日共の下部組織「民青」の活動家(「ゴリ民」と揶揄した)だった。ある時私は朝ビラ撒き中に民青の武装部隊(「ゲバ民」といわれた)に襲撃され重傷を負い病院送りにされた。日共が関わるとロクなことはない。

Colabo問題についての私見
 まずはこの件を聞いた時にはわが耳を疑った。国や行政の財政は厳しいと言いながら、1000万円単位の大金がColaboや関連3団体に、まさに「公金チューチュー」と出され、いま問題になっているのはColaboへの令和3年度(2021年度)の助成金約2600万円だが、さらに次年度は4000万円余りに増額される予定だったと聞く。いまはColaboが前面になって応酬しているが、同代表の仁藤夢乃は小物で、本当は大物はおそらく村木厚子夫妻だろうと推認される。夫妻とも元厚労省官僚で、村木厚子は検察の謀略に勝ち無罪を勝ち取っている。この夫妻に文句をつけれる者はいないだろう。さらには連合赤軍の永田洋子や日本赤軍の重信房子の弁護を引き受けたことで有名な大谷恭子弁護士まで名を連ねている。大谷弁護士も新左翼系の活動家だったが、なんということだ。
 Colaboに資金を出しているのは東京都や国だけではない。競艇の収益を元にしている「日本財団」、パチンコ業界の「日工組社会安全研究財団」などからも助成金を引っ張って来ている。「日本財団」はマスメディアにもよく登場し、ここに通って助成金を引っ張ることは誰でも考えるだろうが、パチンコ業界の「日工組」(正式名称「日本遊技機工業組合」)などは、よほどパチンコ業界や助成金について熟知した人物でない限り思いつかない。
 報告書や資料を一瞥してみたが、いくら仁藤夢乃が、こういうことに長けているからといって若い女性活動家にできるものではないだろう。おそらくこういうことに詳しいブレーンやバックがいることは容易に想像がつく。日本共産党との関係が強いことはよくいわれることだが、共産党はこうしたノウ・ハウを蓄積しているし政治力もある。
 世の中には多くのボランティア組織やグループがあるが、ほとんどが活動資金に窮し、公的な支援を得たとしても、Colaboのように1000万円単位で行政や財団などから得ることができるものではない。はっきり言えば、Colaboは利権化している。もはや単なるボランティア団体ではない。巨大な事業”と化しているといえるだろう。
 また、右派系の者らから「公金チューチュー」と揶揄されるように、東京都や国から出ている助成金は、都民や国民の税金である。Colaboに関係する人たちは、この意識が希薄なようだ。昨今の新型コロナで、税金の猶予措置がなされ、私の会社もそれを受けたが、猶予期間を過ぎれば、新規発生分と合わせて納付しないといけない。コロナでただでさえ不景気になったところで納税に非常に苦労し全額納付した。国税ならぬ酷税”である。みな(特に中小零細企業は)血を流す想いで納税に苦労しているのだ。仁藤らColaboに関わる者らは、中小零細企業の納税の苦労が判っているのかと思う。
 Colabowoを象徴するのは、月に3日ほど行う「バスカフェ」といわれるイベントだが、これが妨害され、開催が困難になったから都や区、警察は守れと主張している。真に行き場がなく困っている少女らのことを考えるのであれば、月に3日ほど行う「バスカフェ」にこだわらずに、もっと少女らが行きやすいやり方を工夫してもいいのではないだろうか。「バスカフェ」をプロパガンダ、いやマヌーバーとして行っているとしか思えない。真に行き場のない少女たちのことを考えているのであれば、月に3日と言わず、月に10日、20日と常設するのかと思っていたが、月に3日と聞いて気が抜けた。
 3月は年度末、4月は年度初めとなるが、さすがの東京都もColaboへの業務委託を取り止め助成金もストップし、都の担当者も配置転換した。うち一人は離島(小笠原)担当に回され一部に「島流し」とさえ揶揄されている。Colabo、そしてこの支持者らは、右派活動家らからの「妨害」によるものと喧伝している。これもなきにしあらずだろうが、すべてを他人のせいにするのではなく、脚下照顧、みずからにははたして問題がなかったのか、これを機会にしっかり反省すべきではないのか。そして、公金などあてにせず、原点に帰って活動を再開していただきたい。ほとんどのボランティア団体はそうして地道にやっていることなのだから。

「性的マイノリティの人権」を宣揚するLGBTの思想と活動家
 いまやLGBTの勢いには凄まじいものがあり、立法化さえリアリティを帯びてきている。すでにトイレは女性専用がなくなりつつあり、銭湯、サウナ、温泉などもそうなるのかもしれない。はたして一挙的に突き進んでもいいものかと素朴に思う。ちょっと思考が倒錯していはしまいか?女性や女児らに対する性犯罪の危険はないのか?個人的ながら2人の女児の孫を持つ爺としては、心配で仕方がない。「性的マイノリティの人権」もいいが、ここは女性・女児を性犯罪から守るということ、彼女らの安心・安全を第一義に考えるべきではないのか?もっと落ち着いて考え、議論を重ね、国民の理解を十分に得た上で進めるべきではないのか?と思うそばで、東京渋谷区など一部の行政では先走り、すでに女子専用トイレがない公衆トイレが出来つつある。はたしてこれでいいのだろうか?

 一方で、こうした風潮に異を唱える者に対しては「差別者」「レイシスト」「ヘイター」など口汚い悪罵を浴びせ、謝罪と沈黙を強いる。本書出版後、当社や、森奈津子、あるいは対談者らに対して、そうした悪罵が投げつけられるかもしれない。
 それは文壇にも拡がり、行き過ぎたLGBTを批判した作家に対する排除の動きがある。国内では芥川賞作家・笙野頼子、海外では『ハリー・ポッター』著者J・Kローリング、特に後者は『ハリポタ』20周年記念番組に、他の関係者は呼ばれたのに肝心の著者は招かれなかったという。なにか変ではないか。笙野は、かつて日本共産党の牙城だった立命館大学出身で、この問題が起きるまでは日共の熱心な支持者だったというが、いまでは離れている。同じような人たちは少なからずいると思われる。

 ある者は言う、「性の多様性」は尊重しなくてはならない、と。「多様性」とは、普通に考えれば、多様な意見を尊重し議論することではないのか。「多様性」と言いながら、実は排他的に反対意見を攻撃するという光景をよく見る。本末転倒だ。LGBT問題は日本では極端な性自認主義、つまり「性自認至上主義」(トランスジェンダリズム)に走っているようだ。
 昨今、LGBTが世の趨勢の如く、訳がわからないうちに、こことばかりに活動家らが行政や企業に働きかけ、ここでも利権が発生している。地方の行政機関では、都会では知識人らがLGBT問題を語り立法化さえ企図されるというので、取り残されてはいかんというのか、LGBT団体に高額な報酬を支払い研修やセミナーを行ったりしているそうだ。この分野でも日本共産党に関係する者らが蠢動している。
 いわゆる“えせ同和行為”とはなにも部落問題に限ったことではない。“えせ同和”に手を染めた者が、「人権はカネになる」とうそぶいたという。「差別」や「人権」という言葉を金看板にして、実は利権を得ている者がいることを見なくてはならない。「差別」や「人権」の裏に利権が蠢いている。
 何事も極端・極論に走ったり拙速にものごとを決めると、のちのち後悔を生む。LGBTについては、拙速に立法化するのではなく、もっと落ち着いて国民的議論を重ねた上で、まずは国民的合意を得るべきだろう。

橋本愛の悲劇
 私は同郷意識の強いほうだと自分で思う。同郷出身者が表舞台で活躍しているのを見ると、それだけで応援したくなる。ざっと思い浮かぶのは、石川さゆり、宮崎美子、森高千里、コロッケ、スザンヌ、「歌怪獣」島津亜矢、『One Piece(ワンピース)』原作者の尾田栄一郎、『銀河英雄伝説』の原作者・田中芳樹、最近ではプロ野球最年少三冠王の村上宗隆、テレビ朝日アナウンサーの森山みなみ・・・・特に田中芳樹、森山みなみは高校の後輩でもある。さほど著名人を出していない新設校の部類の高校なので、毎朝仕事前に森山みなみがレギュラー出演している『モーニングショー』を観るのが日課となっている。みな九州の片田舎から上京し、生き馬の目を抜く世界で一所懸命に頑張っている。
 そうした中、NHK朝ドラ『あまちゃん』以来、頑張って女優としての地位を確保した橋本愛も同郷ということや知人が地元の新聞記者時代に彼女にインタビューしたことなどで応援していたのだが、このかん彼女の発言がLGBT活動家から激しいバッシングを浴び謝罪に追い込まれるばかりか、改宗(『週刊文春』03年4月6日号の本人による文)を強いられたことは痛々しいことだった。
「公共の施設で、身体が男性の方に入って来られたら、とても警戒してしまうし、それだけで恐怖心を抱いてしまうと思います」という彼女の発言は、普通の若い女性として当たり前の感覚だと思うのだが、「多様性」を言うのであれば、多様な意見の一つとして許されないのか。私に言わせれば謝罪や改宗などの必要はなかったと思うが、著名な芸能人は、こうした問題で追求されたら弱い。こうした問題であまり振り回されたくないという事務所の意向など諸事情があったものと推察されるかが、短期間の拙速に改宗すべきではなかったと思う。今後のLGBT問題が現実問題になりつつある中で懸念材料の一ケースである。悪意もなく、若い女性としてなにげなく発言したことが「差別発言」として糾弾(この言葉を再び使う時代が来ようとは思いもしなかったされ謝罪や改宗、さらには沈黙を強いられる社会が到来することが心配だ。

とりあえずのまとめとして―
 本書は、いま社会問題化しているColabo問題とLGBT問題に、私たちの立場から異を唱えた書である。私たちの中でも各々考え方や立場も違うが、世の趨勢に棹を差し問題提起しようという点で一致し本書発行に至った。私たちの意見が絶対正しいなどとは言わない。
 さらにこれに対して大なり小なり反対の意見、立場の方もいよう。次には、本書をダシに反対の意見の方々にもページを割く用意があるので、どしどし寄稿、投稿いただき議論を前向きに沸騰させていただきたい。
 ただし、みずからと意見が異なるからといって、すぐに口汚く「差別者」「レイシスト」「ヘイター」などと悪罵を投げつけることだけはご遠慮いただきたい。幸いなことに、これまで私たちに対し、そうした悪罵はまだ少ない。「極左」と言われても「レイシスト」と罵倒されたことはない。これからはどうだろうか?
 この問題は、「右」だ「左」だと言った問題ではない。日本共産党がColaboを強くバックアップし、LGBT問題でもトップランナーを宣揚するかのごとく、特に「性自認至上主義」に走り、こうしたことが「左派」がみなそうだというわけではない。バリバリの真性左派・中核派の洞口朋子杉並区議は「性の多様性」条例に反対の立場を取り、笙野頼子、J・K・ローリングは元々熱心な左派だが、昨今のLGBT問題に異を唱えたことで激しくバッシングされ文壇から追放の憂き目に遭ったことが好例だろう。
 そしてなによりも、こうした問題の背後に利権が生じ、それを求めて蠢く者らがいる。人権と利権がメダルの表と裏になっていることに注視し、このことは断固糾弾しなくてはならない。
(「人権と利権」p153)
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2023年11月17日

メモる 27

4回目、こんばんは。

ハマスは、元々、イスラエルと繋がっていた」で、イスラエルやハマスのことを書いたが、ユダヤ人がなぜ、世界じゅうから嫌われたのか、を教えてくれる文章を転載する。
もともとは、欧米がユダヤ人を大嫌いだった。
それが、イスラエルの存在理由である。
メモしておく。

 イスラエル問題は、その重大さにもかかわらず、複雑な歴史や宗教を背景とするだけに、理解から遠のきやすい。
 そこで多くの人々が感じているであろう「素朴な疑問」からはじめたい。
 ますは「なぜ、アメリカや欧州各国はイスラエルを支持し、支援するのか」。歴史的にいえばキリスト教圏の欧米諸国は、ユダヤ人を迫害・弾圧してきた側だ。イスラム圏よりはるかにユダヤ人を嫌っていたと言っていい。それが建国後、一転してイスラエルを擁護するようになったのは、なぜか。
 次に「なぜ『ユダヤ人』なのか」。イスラエルの人口の80%を占めるユダヤ教徒は「ユダヤ人」であって、欧米諸国を中心に各地に散らばっている800万人のユダヤ教徒を含めて「民族」としてのユダヤ人を構成する。あえて「イスラエル人」と言うときは、イスラエル国籍を持つ非ユダヤ教徒(アラブ人、全体の二割)を指すといっても過言ではない。さらにユダヤ教徒を母親に持つ子どももユダヤ人に自動認定する。
 これが何を意味するのか。たとえば移民によってアメリカという国家に忠誠を誓い、国籍を取得した人は人種・民族問わず「アメリカ人」となる。この視点でユダヤ教を見ると、国境と領土を持たない「擬似国家」として成り立っていることがわかる。教徒とは「ユダヤ」の国籍と同義なのである。なぜ、宗教組織がこんな擬似国家となっているのか。
 そして最終の疑問が、「なぜ、ユダヤ人には優秀な人材が多いのか」。
 現在のアメリカのスーパーパワーを支えるGAFAMを筆頭とした米系ITテックは、ユダヤ閥によって誕生している。
 マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ、「シリコンバレーのドン」オラクル創業者のラリー・エリソン、グーグル創業者のセルゲイ・ブリンとラリー・ペイジ、ペイパルマフィアの異名を持つIT業界の「裏ボス」ピーター・ティール。フェイスブックを立ち上げた現メタのマーク・ザッカーバーグ、チャットGPTを世に出したOpenAI創業者のサム・アルトマン。すべて「ユダヤ人」なのだ。
 あまりにも“異常”ではないか。
「ユダヤ金融資本」という言葉があるよう、ウォール街の重要ポストにも現財務長官のジャネット・イエレンを筆頭に山ほど「ユダヤ人」がいる。最多ノーベル賞受賞“民族”もまた「ユダヤ人」である。なぜ、これほどの人材が輩出されるのか。
 この三つの疑問を解きながらイスラエル問題に迫っていくといしよう。

 先にユダヤ教とは擬似国家と指摘した。教徒は「国民」であり、教義は「憲法」。そして「国是」となるのが弱者救済だ。虐げられた貧困層や下流層たちの互助会という側面が極めて強い組織といっていい。
 先のIT長者たちも恵まれた名門の出身ではない。ピーター・スティールを事例として説明すれば、近所でも有名な神童だったが、ネグレクト状態で生活もままならなくなる。そこでユダヤ人のスカウトが、彼の親族にいたユダヤ人家庭への養子として送り込み、「ユダヤ人」としてスカラシップなど手厚い学費支援を行なった。
 さらにITベンチャーに乗り出したときは、資金援助もした。こうして投資家として大成功を収めたティールもまた、周囲の優秀なユダヤ人学生を支援、彼らが立ち上げたITベンチャーのスタートアップを手助けしてきた。優秀な人材をユダヤ人として囲い込み、手厚い支援により成功者へ導き、成功者は次代の才能を支援するというシステムができあがっているのだ。
 またユダヤ人の母親を持つ子どもが自動的に認定されるのも、彼女たちが非常に教育熱心で、徹底的にユダヤ人の価値観を幼いころから叩き込むからだといわれる。
「ジューイッシュ・マザー(ユダヤ人の母)」が教育ママを意味するほどで、子どもの才能があるとみれば、シナゴーグ(ユダヤ礼拝所)に申告、そうすればユダヤネットワークを通じて高度な教育の支援を受けられる。
 ユダヤ教における教育熱は、紀元前の時代から無料の公共学校があったほど。これは中近世も同様であり、ユダヤコミュニティでは、読み書きや算数といった基礎知識のみならず、実用的な技術なども徒弟制度など関係なく、しっかりと教えていたという。
 庶民の識字率が低い時代、ユダヤ人は基礎学力や実学を持っていた。それを武器に迫害を受けながら成り上がることも可能だった。中近世のヨーロッパでは、支配層以外の庶民の多くは収奪の対象として固定されている。そこから抜け出すための方法が「ユダヤ教」への改宗となっていたのだ。
 その結果、貧困層のなかで才がある人物や自分の子の立身を望む親たちは、こぞってユダヤ教への改宗か、ユダヤ教徒の女性との結婚を求める。
 だが、互助会の色の強いユダヤ教は、その改宗条件は厳しい。現在でも最低限で440時間の“信者教育”が求められるほどで、ユダヤの価値観・行動原理を叩き込み、人種や国籍にかかわらず「ユダヤ人」へと作り替わるまで徹底する。所属する国家や集団(キリスト教会)の枠から抜け出し、「擬似国家ユダヤ」の国民へと所属を変えるまでユダヤ人とは認めないわけだ。
 ここで問題なのは、ユダヤ教の持つ教義である。ただのユダヤ教徒ではなく「ユダヤ人」となり、救世主(メシア)の到来を信じるならば、当然、故国は「パレスチナの地」となる。いわば生まれ育った国を事実上、捨てさせるのだ。
 統治者からすれば、とんでもない話だろう。有能な才を持つユダヤ人は、能吏や商人、技術者として社会基盤で活躍しやすい。そんな社会を支える人材が、王権やキリスト教会から逸脱して忠誠心を持たなくなるのだ。自国内でユダヤ人勢力が増大していけば、統治に問題が出てくる。現近代までユダヤ人が「ゲットー」で隔離されていたのは、それが理由といっていい。
 しかも彼らは「追放」できない。対立する異教徒や異民族、キリスト教の宗派争いにせよ、反体制を強めて社会不安を煽れば、為政者たちは「出て行け」と自国や勢力内から追い出す。ところがユダヤ人は「流浪の民」なのだ。しかも自国で生まれ育った人間も少なくない。追い出そうにも、どこに追い出すのか、という問題が生じる。
 それだけでなく、貧困に喘ぐキリスト教徒にすれば、同じ下流層にいたユダヤ人たちが、学力や技術で出世し、自分たちより良い暮らしをすれば、腹だたしくなる。
 実際、ロシア帝国に併呑されたウクライナでは、ウクライナの富を収奪する役割をユダヤ人に担わせてきた。過酷な税を取り立てる徴税官や生活に不可欠な商人としてウクライナ庶民のなけなしの富を奪っていくために、ウクライナなどの東欧ではポグロムと呼ばれる地元住民による「ユダヤ虐殺」と「ユダヤ弾圧」が繰り返されてきた。
 国家への忠誠心が低く、有能なユダヤ人は、為政者にすれば、この手の「汚れ役」に打ってつけの人材だ。国民(庶民)の不満が溜まれば、そのガス抜きに「ユダヤ人虐殺」を黙認。こうして使い捨てにしてきたという背景がある。
 18世紀以降、欧州列強の植民地における収奪もまた、ユダヤ人の手に委ねられてきた。ところが、汚れ役の見返りとして財力を蓄え続けた結果、ユダヤ閥が台頭、とくに広大な版図を持つ大英帝国では無視できない勢力へと育ってしまう。
 なんとしても国内のユダヤ勢力を「排除」し、その影響力を削ぎたい。それが「イスラエル」だったのではないか。ユダヤ人が切望する「故郷」を与えることで追い出すに追い出せなかったユダヤ人勢力をコントロールする。その目的でパレスチナの割譲が決まるわけだが、このスキームはナチスドイツによって破綻する。
 徹底した弾圧と迫害で「殺されたくなければ出て行け」とナチス勢力圏内からのユダヤ人排除に動いたために、イギリス、とくにアメリカにコントロール不可能なほどの亡命ユダヤ人が殺到する。ナチスによるホロコーストの反動もあってか、亡命ユダヤ人の多くは過激なシオニストとして「ユダヤ至上主義」を掲げるようになる。アメリカに同化してきたユダヤ人とは違って、アメリカ人として同化するどころか、アメリカ社会の不安要素になりかねない危険分子が少なくなかったのだ。
 こうしてイギリスとアメリカが、自国内の狂信的なユダヤ人たちの「排除」を迫られた結果、1948年の強引なイスラエル建国へとつながる。
 その後、中東戦争が起こるたびに、自国内のユダヤ人たちは次々に出て行く。自国内のユダヤ人をコントロールする便利なツール「イスラエル」は、欧米諸国に不可欠な存在となった。だから支援してきたのだ。
 一方、アラブとイスラム圏からイスラエルを見れば、入植してくるユダヤ人は、アラブやイスラムの文化や価値観を理解せず、欧米の価値観を共有した「欧米人」でしかない。
 自分たちのテリトリーに勝手に侵入してきた「異物」なのだから、激しい拒絶反応が出るのは当然だ。
 アラブや中近東には、長年、培ってきた独自の文化圏があり、この地に住まう人々は強い誇りを持っている。そこに土足で踏み込んで彼らの誇りを傷つけてきた以上、解決方法は一つではないか。そう、イスラエルが「アラブやイスラム圏諸国」の一員として、彼らの文化や価値観を受け入れればいいのだ。
 しかしネタニヤフ政権は、真逆な行為を繰り返している。歴史もまた繰り返すこととなるだろう。50年ぶり5回目の歴史を、である。
(「紙の爆弾」2023年12月号p101)
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日本は、政治家と官僚のエゴ国家

ふたたび、こんにちは。

まずは、政治資金規正法違反である事案を、当人たちは「知らなかった」としている記事から。

https://www.47news.jp/9894537.html(「47NEWS」)

これらのことをチェックしない彼らの秘書は、即刻クビにすべきである。
「知らなかった」なら、そうするしかないはずだ。

「紙の爆弾」今月号(12月号)に掲載されている足立昌勝さんの「政治献金をめぐる法律の抜け穴」は、いい記事だ。
政治資金規正法は、ザル法である。
こんなことも改正できない政治家には、うんざりさせられる。
気づかない秘書連中も、だ。

 公職選挙法では、政治家および後援団体による寄付、政治家の関連企業からの寄付が禁止され、政治家への寄付は制限が加えられている。
 すなわち、公選法199条一項で、国会議員に対して「国と請負その他特別の利益を伴う契約の当事者である者」は、当該選挙に関し、寄付をしてはならないとされている。この規定に違反した者は3年以下の懲役または50万円以下の罰金、会社の場合には、3年以下の禁固又は50万円以下の罰金に処せられる。
 しかし、その寄付を受け取った議員の側には何らの規定もない。したがって、冒頭に述べた萩生田政調会長、小渕選対委員長、高市経済安全保障担当大臣については、政治的責任は存在するかもしれないが、公職選挙法上の責任は発生しない。
(中略)
 公職選挙法が選挙に絡んだ寄付を問題にする一方、政治資金規正法は、日常的な政治活動に絡んだ寄付行為を規制している。そこで禁止されている寄付行為とそれに対する罰則は、無届団体の寄付の受領・支出の禁止違反で5年以下の禁錮、100万円以下の罰金。収支報告書への不記載・虚偽記載で5年以下の禁錮、100万円以下の罰金。政治資金監査報告書への虚偽記載で30万円以下の罰金などだ。
 政治家側は、この法律に基づき、収支報告書を提出しなければならない。報告書は一般に公開されるので、違法とみられる寄付についてさまざまな指摘がなされる。
 指摘を受けた場合、政治家側は誤りを認め、収支報告書の内容を訂正することになる。この訂正について、政治資金規正法では、特段の定めはない。
 しかし、訂正だけですむ問題なのであろうか。
 公開された収支報告書では、当然のように収支の均衡が図られている。先述の通り、収入額を変更すれば、支出額も変わってくる。支出には領収書が必要でも、いとも簡単に訂正しているのが通常である。なぜそのような訂正が可能なのか。
 事実を正確に反映せず、帳簿上で処理しているのだろう。その内容の適正性は問われず、どのような操作がなされたのか、我々には全く見えてこない。そこに政治資金の流れについての不透明性が存在するのだ。
 1990年代に起きた金丸事件では、東京佐川急便からの5億円の闇献金が明らかになり、さらに、東京地検特捜部の捜査で数十億円の不正蓄財が発覚した。
 市民や企業から集められた寄付は、すべてを政治資金として利用すべきだが、政治家側は、様々な手法を用いて、闇資金を作ってきた。
 その際に用いられるものこそ、収支報告書への過少記載であり不記載だ。政治資金規正法の処罰対象であっても、事実が判明した場合、政治家側は自主的に収支報告書の訂正を行なうことにより処罰を免れているのが実情なのだ。
 これは、欠陥だらけの政治資金規正法を改正しようとしない政治の責任である。しかし、特に世襲政治家が多い自民党政権では、自らの首を絞めることになる改正をしようとはしない。
(中略)
 ここで、同様にお金のやり取りで成立する収賄罪と比較してみよう。公務員は職権に絡み、賄賂を受け取るだけで犯罪となる。それを返還したからといって、罪の成立に何らの影響も与えない。
 ところが寄付行為では、寄付する側は規制・処罰されるが、寄付を受ける側=議員側は、何らの規制もない。つまり、受け取り放題なのが現状だ。前述のように、そこで受け取った寄付は闇献金となり、使い放題となる。
(「紙の爆弾」2023年12月号p83)


この記事は、政治家と公務員の処罰の違いから論評しているが、「紙の爆弾」の同じ号では、文科省の役人とその部下の地方公務員でさえ、扱いが異常なほど違うことも指摘している。
過ちに対する処分にしても、役職が上に行くほど大甘なのだ。
日本国民の足を引っ張っているのは、良心を知らない無能な政治家と無能な上級公務員なのである(実際には、私の経験上、岩手県職員たちにも同じことが言える。法律の運用は、彼らの恣意性によるところが大きい)。

政府・文科省は、6年前に停職1ケ月の懲戒処分になった藤原章夫・初等中等教育局長(59歳)を、今年8月8日付で事務方トップの文部科学事務次官に、同じく停職3ヵ月の懲戒処分となった藤江陽子・総合教育政策局長(59歳)を、事務方ナンバー2の文科審議官に任命するという、払税者である一般市民の感覚とは異なる、異常な人事異動を強行した。なお、21年9月時点で、推定年収は事務次官が2317万円余、文科審議官が2183万円だ。
(前掲書p86)


一方で、東京都の方針に反対して、君が代斉唱時に起立しなかった教員には戒告、減給などの処分が下された。
これは後に最高裁で争われ、減給処分はあんまりだ、という判決が下されたが、戒告は容認された。
処分された川村佐和さんの例では、臨時的任用教員の受験の際、処分歴が影響して不合格となり、さらに、その決定通知も1ヵ月以上遅れて郵送されたという嫌がらせも受けている。

同じ懲戒処分(※1)でも、これほどの違いがあるのだ。
常識のある日本人は、もちろん、そんなことに賛成するはずもない。
当時の世論は、次のようなものである。

 21年5月の憲法記念日にちなみ、朝日新聞が行なった「公立高校で君が代を起立・斉唱しなかった教員を教委が処分してよいという最高裁判決に納得できるか」の世論調査で、「納得できない(65%)」が「できる(31%)」を大きく上回った。都教委の出した“君が代”処分は特定の思想に基づく政治的な処分ゆえ、不当と考える人が多数なのだ。
 一方、違法行為を犯し定年後の天下り先を確保させ、税金から多額の退職金を得た上に、さらに私腹を肥やそうとするエゴイスト文部官僚らに下った処分に、「反対」という一般市民は皆無。むしろ「軽すぎる」と言う人もいる(当時の報道インタビュー等)。
(前掲書p88)


この記事の執筆者である永野厚男さんは、次のように結論している。
 
 このように教職員に比べ文部官僚は“上級国民”として優遇扱い。「法も下の平等」を定めた憲法第14条違反で、不当な格差・差別だといえる。
(前掲書p89)


私を取り調べて検察庁に送り、一方で、資源管理に対して、岩手県トロール業界の違法行為を全く調べなかった県職員たちは、憲法第14条に違反したのである。

と記しても、何ら反省もないだろうなあ。
隠すことのみに精力をつぎ込み、反省をしないのが公務員たちなのか。
「申し訳なかった」の一言も、私は聞いたことがない。

(※1)
国家公務員(文部官僚等)・地方公務員(公立小中学校の教職員等)とも、懲戒処分(いわゆる厳重注意や文書訓告とは異なり、給与減額や履歴搭載等の不利益を与える)は、重い順に免職・停職・減給・戒告だ。免職処分は窃盗・性犯罪等を犯した教職員等に対し発令する。停職処分はこの免職処分の一歩手前、重い処分だ。
(前掲書p86)



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2023年10月22日

目指すは、グリーン水素社会

ふたたび、こんにちは。

グリーン、ブルー、グレー。
水素の生産で、二酸化炭素を排出するか否かで、呼び名が違う。
太陽光、風力、地熱、水力のエネルギーで生産する水素をグリーン水素という。
一方、火力発電などの化石燃料で生産された水素は、ブルー水素、グレー水素である。
ブルー水素は、発生した二酸化炭素を地下貯蔵したり、二酸化炭素の再利用したものを言う。
グレー水素は、そういうこともしないもの。
したがって、問題とされる二酸化炭素を排出しない水素製造は、グリーン水素である。

現在、蓄電池として使用されている代表的なものは、鉛バッテリーとリチウムイオインバッテリーである。
全固体バッテリーも開発途上であり、完成実用化されれば、電気自動車にとって画期的である。
しかし、その上を行くのが、トヨタMIRAIの燃料電池車である。
水素社会が到来すれば、燃料電池は有利となる。

特に、燃料電池車は、水素ステーステーションの普及にかかっている。
これに関して、まずは、バスやトラックから燃料電池を導入していくのがいいようだ。(※1)
事実、中国ではすでにこの方向で動き、日本を追い越してしまった。(※2)

水素はいろいろと問題点が語られるが、すでに実証試験は各地で行われている。
ドイツでは、電車が水素で動いている。(※3)
スコットランドでは、小型船舶が動いている。(※4)
台湾ではスクーターが開発されている(※5)
燃料電池フォークリフトも流行り始めた。(※6)

純粋に水素を燃料電池で使う以前、すでに、エネファームという家庭用燃料電池が普及している。
これは化石燃料を利用しているので、二酸化炭素ができてしまうが、排熱を利用して給湯までできるので、熱効率は80%以上となる。
同じ化石燃料の火力発電の倍である。
このエネファームの燃料に水素を利用するようになれば、二酸化炭素を排出するこはない。(※7)
まだ、「エネファームが、何か事故を起こしたという事例も報告されていません」(「水素社会入門」p131)ということから、安全面にも支障がないだろう。

水素は、化学工業原料でも需要な位置を占めている。
半導体など現代社会でなくてはならないものに、水素は必要なものである。(※8)
水素を積極的に活用する社会の未来は明るい。

問題点は、水素の貯蔵と輸送である。
方法として、超高圧圧縮(高圧ガス)、超低温液化(液化水素)、水素吸蔵合金、LOHC(有機物と反応させて液化。代表的なものがMCH)、アンモニア液化などがある。
一長一短あるが、用途により、どれも使える。
高圧ガスが最もコストが安く、有望であるようだ。
水素社会になれば、水素流通の規模は拡大し、技術進歩も兼ねてコストは下がる。
ここで余談になるが、水素吸蔵合金について、えっと思うようなことがある。
液化するよりも合金に貯蔵するほうが、単位体積あたりの貯蔵量が多いとか。(※9)

水素の貯蔵や輸送が活発に行われるようになれば、さまざまなことができるようになる。
太陽光発電や風力発電のように、発電量が自然要因に支配される場合、これらから生産されたエネルギーを水素として保存し、必要な場所に運んで使えるようになる。
これにより、自然エネルギーの発電設備が増加し、化石燃料に頼らず、社会を動かすことができるようになるだろう。
日本の離島などでも、実際に実用化している。(※10)
また、燃料電池の発電で発生する水は、飲料水として、利用できる。(※11)
さらには、海外の安定した自然エネルギーを水素にして日本へ運ぶことができるようになる。(※12)

しかし、海外に頼る前に、自前でまずやるべきだ。
東芝のシステムは、グリーン水素でエネルギーを賄えるようになっている。(※13)
すでに、実用化できる段階に来ている。
あとは、やる気があるかないか、だけだ。



(1)
トラックやバスなどの大型車両では、ガソリン車はもちろん、電気自動車よりも燃料電池車のほうがメリットがあると考えられるのです。
 理由のひとつは、燃料電池は小さくて、軽くて、パワーが出せる、ということ。乗用車くらいのサイズではほとんど差が出ませんが、より大きなパワーを出そうとすると、エンジンやバッテリーはそれに比例して機材自体も大きく、重くならざるを得ません。しかし、燃料電池では、パワーを2倍にするために必ずしも2倍の大きさにする必要はなく、小型でも高出力が可能です。
 もうひとつの理由は、大型車両は商用がほとんどであることです。
 輸送に使われる大型トラックは、たいていは決まったルートを走ります。大型バスも、路線バス、観光バス、長距離バスなど、走るルートが決まっています。ということは、燃料電池車の場合にネックとなる水素ステーションの問題がない、ということです。あらかじめルート上の充填場所を確認しておけばよいですし、必要であれば、自前で設置したり、定期的な利用を条件に供給事業者と交渉して設置してもらうこともできるはずです。
(「水素社会入門」p102)

(2)
 燃料電池車(FCV)は、販売補助金制度などの政策で普及が急速に進んでいます。2018年にすでに日本の普及台数を抜き、2020年末には7200台と、日本の2.5倍に達しています。中国でのFCVは、MIRAIのようなパーソナルユースの乗用車はほとんどなく、長距離トラックや路線バスが大半です。2020年には、燃料電池で走るトラム(路面電車)も導入されています。
(前掲書p173)

(3)
 2018年、ドイツでは水素燃料電池で動く世界初の旅客電車が運行をはじめたそうです。航続距離は1000キロメートル、水素を1回充填すれば1日中走行が可能だということで、燃料電池のメリットをよく活かしたシステムだと思います。
 ドイツではディーゼル機関車が走る路線がいまも多く残っているため、燃料電池への置換はメリットが大きいでしょう。
(p106)

(4)
 燃料電池は、船舶の動力源としてもメリットがあります。すでにイギリスのスコットランドでは、河川を運航する小型船舶で燃料電池を動力としたものが運航しています。また、同じスコットランドですが、水素を燃料とする世界初の海上カーフェリーが2021年には進水する予定です。
 日本ではまだこの分野の実証実験は多くありません。2016年に東京海洋大学が燃料電池船「らいちょうN」で試験航行しました。全長12.6メートルで70kWの燃料電池を搭載しています。
(前掲書p106)

(5)
 スクーターでは水素吸蔵合金と燃料電池を組み合わせたものがすでに開発されています。開発したのは、台湾のAPFCT(アジア・パシフィック・フューエル・セル・テクノロジーズ)という企業で、50cc/125ccクラスのスクーターです。
 水素吸蔵合金を充填したカートリッジを差し替えることで、簡単に燃料補給ができる仕組みになっています。カートリッジは小さくて取り扱いが簡単なうえに、低圧なのおで安全というメリットもあります。
(前掲書p110)

(6)
  フォークリフトには、エンジン式とバッテリー式のふたつのタイプがあり、ひと昔前はエンジン式がほとんどでしたが、最近は環境意識の高まりから、バッテリー式が主流になりつつあります。このバッテリー式をベースに、動力に燃料電池を搭載しているのが、燃料電池フォークリフトです。
 バッテリー式に比べて燃料電池の良いところは、低温に強いということ。バッテリー式が主流になりつつあります。このバッテリー式をベースに、動力に燃料電池を搭載しているのが、燃料電池フォークリフトです。
 バッテリー式に比べて燃料電池の良いところは、低温に強いということ。バッテリーは低温に弱いので、冷凍・冷蔵品を扱う倉庫などでは、燃料電池のほうが適しているといえます。
 また、水素は充填時間が約3分と短いのもメリットです。バッテリー式の場合、充填に6〜8時間かかるので、通常はスペアのバッテリーを用意しておいて交換しながら使用します。しかし、電池だけでも1トン近くの重量があり、交換するのもなかなか大変な作業なのです。その点、燃料電池車なら、一休みしている間に充填できてしまうので、作業効率が上がります。
 燃料電池フォークリフトの販売は、国内では2016年からはじまっていますが、普及は160台程度。一方、アメリカではすでに2万5000台が導入されています。特にウォルマートとアマゾンの小売大手2社が導入したことで、急速に普及が進んでいます。
(前掲書p111)

(7)
 エネファームは、複数の事業者が統一の名称で販売しています。現在は、パナソニック製、アイシン製、そして京セラ製の3機種になっています。水素燃料電池という認識は進まなかったものの、2020年度末には累計販売台数39万台に達しています。
 エネファームは、燃料電池ユニットと、貯湯ユニットから構成されます。
 燃料電池ユニットでは、家庭に供給される都市ガスやLPガスを改質して水素を取り出し、燃料電池で電気エネルギーに変え、電力を供給します。
 貯湯ユニットでは、改質、発電の過程で出る熱を回収して温水をつくり、必要に応じて供給します。
 エネファームの燃料電池は、ふたつのタイプがあります。
 パナソニック製は固体高分子形(PEFC)で、90℃くらいの温度で稼働するため、こまめな運転が可能です。発電効率は、約40%。
 一方、アイシン製は固体酸化物形(SOFC)で、発電効率52%と固体高分子形よりも高いのが特徴ですが、700〜1000℃と稼働温度が高く起動に時間がかかるため、24時間連続で運転します。京セラ製のものもSOFCです。
 発電の効率だけを見ると、火力発電の場合の40%とほぼ同じですが、熱を有効利用することで、総合効率は80%以上となります。
 現行のエネファームは、水素を製造するために都市ガス、LPガスなどの化石燃料を使用しているので、そこでCO2が発生することになります。
 現在、各家庭に水素を供給して、水素で直接運転するタイプの純水素燃料電池システムが実証実験の段階まで進み、多くの研究フィールドで運転されています。これが家庭に導入されれば、CO2排出量を大幅に減らすことができます。また、ガスを改質する装置が不要になり、設備が簡素化されるだけでなく、価格も下がるでしょう。
(前掲書p114)

(8)
 たとえば、石油精製や苛性ソーダ製造で使われていることはすでに述べましたが、メタノール合成や洗剤などの化学工業材料としても使用されます。
 たとえば、清掃工場などの焼却で発生したCO2を回収して、水素と反応させてメタノールにして再利用することもできます。
 また、半導体、太陽光パネル、光ファイバー、液晶パネルなどの製造にも欠かせません。現代のテクノロジーになくてはならない化学材料のひとつなのです。コークスの代わりに水素を用いて製鉄するプロセスが開発されていますが、これが実用化されると、将来は製鉄も化学工業に分類されるかもしれません。
(前掲書p121)

(9)
 水素の貯蔵にしても、液化水素と水素吸蔵合金では、同じ体積でも後者のほうがたくさん入るのです。つまり、同じ空間を液化水素で満たすよりも、水素吸蔵合金で満たして、そのなかに水素を吸わせたほうが、より多くの水素を貯蔵できる。これは直感で考えると、どうにも不思議な感じがします。
(前掲書p184)

(10)
 長崎県の五島列島では、再生可能エネルギーを活用したエネルギーの自給自足を推進していて、洋上風力発電で得られた電力の余剰分を水素に変換しています。変換した水素は、島内で走る燃料電池車に充填したり、MCH(メチルシクロヘキサン)に変換して定期船で隣の島に運んだりしています。隣の島では、MCHから再び水素を取り出し、電力として活用しています。
(前掲書p134)

(11)
燃料電池で電力を発生させると、同時に水も発生します。これは化学的に合成された純度の高い水なので、飲料水としても利用できます。
 たとえば、電気も水道も届いていないような場所に、燃料電池を設置して、水素を届ければ、電力も水も供給できるようになります。
 実際、こうした計画がいま、カザフスタンで発案されています。
(前掲書p135)

(12)
 南米大陸のアルゼンチン南部にパタゴニアという地域があります。ここは年中強風が吹いていて、世界一風が強い地域といわれるところです。なかでもチュブット州、サンタクルス州のあたりは、アンデス山脈から吹き下ろす偏西風が、毎秒十数メートルの強さで途切れることなく吹いています。
 この気候は、風力発電には最適です。しかし、この地域の人口は両州合わせてもわずか80万人程度です。大規模な風力発電設備をつくっても、いまのままではその電力を使う人がいません。だから、つくる必要がないわけです。
 しかし、水素というエネルギーキャリアがあれば、ここで発電したエネルギーを、別の場所に運んでそこで使うことができます。たとえば日本で使うこともできます。
 日本からすれば地球の裏側ですから、送電線を引いてもってくるわけにはいきません。しかし、液化水素にしてタンカーで運べば、それが可能になります。日本だけでなく、ヨーロッパやアジア各国、北アメリカなどへも、液化水素を運んでいけば電力を供給することができます。
(前掲書p137)

(13)
ロボットが接客することで有名な、佐世保のハウステンボスにある「変なホテル」では、「エネルギーの地産地消」を目的として、再生可能エネルギーを水素に変換して貯蔵し、各部屋の電力や給湯に使用しています。
 使われているのは東芝のH2ONEというシステムで、昼間の太陽光で電力をつくり、水素にして貯蔵し、夜間に電力として供給することが可能。また、太陽光の発電量が多い夏につくった水素を貯めておいて、冬に電力に変えるなどの使い方もできます。
(前掲書p116)
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2023年10月03日

里見甫について

ふたたび、こんにちは。

麻薬を使った戦争」に登場する里見甫について、ふたたび、取り上げる。
筆者の佐野眞一が、彼を“阿片王”と名づけたのは、アヘンに関する販売についてすべて里見がすべて引き受けたからだ。
その利益の管理を日本の国の機関がやっていたのは、「麻薬を使った戦争」のとおりである。
すべてのアヘン取り引きを、彼が中国で独占できた理由は、カネを自分のふところに入れないで、ちゃんと動かし、そこに信用が生まれたことにある。(※1)
他の者たちは、里見にたかり、私利私欲に走った者ばかりだった。(※2)
その中でも、特に田中隆吉元陸軍少将は、最低の人間である。
仲間の児玉誉士夫に要らぬことをけしかけたりした。(※3)
巣鴨プリズンに収監中、あさましい連中は、残飯を争ったりさえしたという。(※4)

驚くことに、里見は和平工作もやっている。(※5)
和平工作に関することは、小倉音次郎の『長江の流れと共に―上海満鉄回想録―』にも記述があり、「満鉄若葉会会報」では、丸山進氏もこのことにふれている。
さらに、日本映画にも影響を及ぼしている。
映画監督であったマキノ雅広が、里見の様子を『映画渡世・地の巻』に描いている。(※6)

里見は、宏済善堂という里見機関で阿片を取り引きして儲けたのだから、極悪人なのだが、一言も弁解がましいことは言わなかった。(※7)
GHQの取調べでも、自分のやったことだけ正直に話し、知らないことは知らないと供述したという。

彼の性格を表すエピソードが残っている。
麻薬を使った戦争」にニセ札の話があるが、この使用テストは、里見がやったというのだ。
失敗しても他人にせいに絶対にしない!
信念を曲げない!(※8)

筆者の佐野眞一さんは、さかんに里見を持ち上げているが、実際に彼は、上海にいた時だろうが、阿片愛好者だったようだ。(※9)
この事実を見逃すことはできないだろう。
彼の性格から、本当は、宏済善堂という名前の通りに事業をやりたかった。
だが、彼が満州に行く前から、中国人たちは阿片を吸飲していた。
「どうにもならないか」という諦めというのは、私たちも酒で紛らしたりするのと同じように、当時の里見には、それが阿片だったのだろう。
私が筆者なら、そういう考察で締める。

中国人というのは、日本の愚考の証拠を取り壊さないで、そのまま利用する。(※10)
非常にしたたかである。
対立の火種がなくなったら、「偽満州国」へ旅行してみたくなった。

最後に(※8)にある「人は組織をつくるが、組織は人をつくらない」という里見の言葉は、卓見である。
特に、公務員にあてはまるだろう。
公務員に就職する前の人間は、少しはマトモな人が多いと思う。
しかし、組織で要らないものに染まり、やがて無感覚になる。
定年前の公務員など、保身しか考えない人が多いのではないか。
これでは、人をつくれない。



(※1)
 里見の個人財産に関しては、後に「週刊読売」(昭和30年6月5日号「生きている戦争商人―アヘンが彩る大陸秘史―」)でも取りあげられている。里見がインタビューに応じたのは、後にも先にもこれが一回だけなので個人資産以外の部分も含めて主要部分を紹介していおこう。
〈【問】戦時中上海でアヘンの密貿をやったといわれているが。
【答】確かに上海でアヘンの仕事はやっていた。が、密貿などとんでもない話で、そんなことをいう人は私を全くしらない人だろう。軍の委託をうけ、汪(精衛)政府の財源となる重要政策としてやったもので密貿なんて笑止千万のこと、正々堂々としたものだ。
【問】アヘンを取扱うようになった動機はなにか。
【答】安いものが高く売れる。アヘンはばく大な利益があるものである。そのため、どうしても不正事件が多く起こるのだ。軍部がやっても政府がやっても失敗した。自分のフトコロにいれようとする人が多かったからである。そこで民間人である私が一切の利益を離れ、これを引受けることにしたのである。日本人はごく少数、ほとんど中国人を使用するという私なりの方法をとって成功した。その総額をしっかりつかんで、その行方さえ見守っていれば、それでいいんだよ。
【問】しかしそれで随分もうけたといううわさがあるが、この点はどうか。
【答】全くのデマだ。それを防止するために私が引受けたのだよ。アヘンというものは生産高の三分の一ぐらいしか政府にわたらないのが普通といわれていたが、私の場合、その大部分の収集に成功した。蒙疆政府の財源の八割は私が扱った。また私は同じアヘン関係の会社に関係していたので、その方の利益、給料で十分であった。一人暮らしで金ばかりもったところで、どうしようもないではないか。
【問】東条元首相に、多額な贈与をしたという話もあるが。
【答】アヘンの金は興亜院が直接管理していたので私はその行方については何にもしらない。個人で贈ったことは全くない。
【問】終戦後日本に帰るとき、現金になおせば何億という宝石や金の延棒を持ち帰ったというが・・・・。
【答】中国人の間でもそんなうわさがとんだそうだ。ところが持って帰ったのはバッグ二つ。それも中身はチョコレートとキャンディだったんだ。何しろ日本には甘いものがないというのでね、みやげにもってきたんだ。もともと私はそのまま日本にいついてしまう気持ちは全くなく、二ヵ月もすれば、また中国へ帰るつもりで、夏服一枚きたっきりで帰ってきたのだ〉
(「阿片王 満州の夜と霧」p250)

(※2)
 里見が阿片で稼いだ資金目当てに、小遣いをたかりにくる輩はあとをたたなかった。
 里見はピアスアパートの部屋に風呂敷に包んだ札束をいくつも用意しており、それを目当てに訪ねてくる憲兵、特務機関員から大陸浪人にいたるまで、いつも気前よく呉れてやった。
 昭和17(1942)年の翼賛選挙に立候補して念願の政治家となった岸信介もその一人だった。前出の伊達によれば、このとき里見は岸に200万円提供したという。
「鉄道省から上海の華中鉄道に出向していた弟の佐藤栄作が運び屋になって岸に渡したんだ。これは里見自身から聞いた話だから間違いない」
(前掲書p173)

(※3)
 田中はアヘン売買について調べるなら、里見だけでなく、児玉誉士夫も調べなければならない、そうでなければアヘン売買の全容を明らかにしたことにはならない、とも言っている。
 この件に関しては、児玉に長時間取材した大森実の『戦後秘史T 崩壊の歯車』(講談社・1975年8月)が一つの傍証となっている。
 児玉は大森実のインタビューに答えて、次のように述べている。田中がキーナン検事とともに、児玉に東京裁判の法廷でアヘン問題の証人になるよう要請し、証人になれば、「きみはその日のうちに巣鴨から帰れる」と甘言を弄した。だが、児玉が「オレはアヘンについては何も知らん」と言ってその申し出を断わったため、田中は「せっかくきみを助けてやろうと思ったのに」と言って怒り、里見に関して表沙汰になっていない事件をばらすと脅しにかかった。
 結局、アヘン問題に関しては里見ひとりが東京裁判の法廷にたつことになった。それが決まると、田中は今度は「里見に頼んで、彼が証言することになった。きみなんかもういらないよ」と昂然として児玉に言い放ったという。児玉は、「田中は脳梅(毒)だた。あいつのおかげで十人くらい絞首刑にされた」とも語っている。
 自分が起訴されなければ(田中は実際に極東国際軍事裁判で起訴されなかった)、硬軟とりまぜた策を弄して“犯人”を仕立てあげる田中のこの態度は、多くの日本人から、帝国軍人にあるまじき無節操さと批判された。
(前掲書p233)

(※4)
上海で里見のアヘン取引のパートナーとなった徳岡照が死の直前に綴った前掲の「徳岡ノート」に、巣鴨プリズンに収監中の里見の様子を記したこんな走り書きが残っている。
 ―巣鴨における里見の態度は極めて平静だった。巣鴨で面会した際も平然として自分の行く末を覚悟していた様子。里見は自己弁明は一切せず、阿片資金を私することもなったくなかった。これがA級戦犯を免れた最大の理由だったと思う。
 ―A級戦犯の大部分は、位人臣をきわめた連中だったが、残飯を争って貰うようなあさましい人間ばかりだった。その点里見はきわめて小食で、そういうことはまったなかった。同房の牧野(伸顕)内大臣が人を押し退けて残飯をあさっていたことを、里見が笑いながら恬淡として語っていたことを憶えている。
「徳岡ノート」には、GHQは里見のサムライ精神に感動したというニュアンスの記述もある。たしかに里見の供述には、自己正当化や責任転嫁の色はなく、逆に、里見の人間的おおきさのようなものが伝わってくる。
(前掲書p264)

(※5)
 前掲の「徳岡ノート」で最も驚かせるのは、里見が終戦に向けての和平工作に動いたいたらしい事実がうかがえることである。徳岡の文字は乱れに乱れ、文意もはっきりしないところが多い。だが、繰り返し和平工作について述べているところからみて、この話の核となった事実があったことはほぼ間違いないとみていいだろう。徳岡が述べる里見の和平工作の概要は、およそ次の通りである。
 里見は終戦間際、フランス租界の瀟洒な屋敷に住む老三爺とい完全なアヘン吸飲者と頻繁に会っていた。その会見の多くには小生も同行した。老三爺は広東訛りの中国語をしゃべり、小生にはまったく理解できなかったが、里見はその点完全にマスターしていた。
 老三爺と里見の会談は、連日三時間ほど行われた。議題はもっぱら重慶の対蒋介石工作だった。老三爺は太平天国の乱を鎮圧した曾国藩の末裔だった。そんな国民的英雄の血筋を引いていた人物だったkら、蒋介石も老三爺の言うことをむげにはできない様子だった。その上、老三爺は湖南の生まれだったので、同じ湖南の生まれで次第に勢力を増していた中国共産党の毛沢東とも精神的には結びついていた。 老三爺を通じて重慶側からもたらせた和平の条件は、鈴木貫太郎総理大臣を特使、米内光政海軍大臣を副使として派遣するなら、和平交渉に応じてもよい、というものだった。
 これに対して里見は満鉄上海事務所所長の宮本通治に、重慶側から提案されたこの親書を託した。このとき日本側が交渉のテーブルにつくための前提条件として里見の考慮にあったのは、次のような腹案だった。
 @日本側現職内閣の即時総辞職
 A撫順炭鉱、南満州鉄道、大連埠頭、その他満州各地の大都市の権益譲渡を含めた満州国の消滅。
 B台湾の領有問題については後刻相互に検討する。
 Cこの条件がのめないときは、日本は首都を満州の長春に遷都し、徹底抗戦を辞さない。
だが、宮本通治の出発が遅れた上に、予想だにしなかったソ連軍の突然の参戦もあって、この和平工作は失敗に終わった。
(前掲書p204)

(※6)
 里見とマキノの関係は、戦後、里見が住んでいた東京・成城の家をマキノが買い取るほど深い間柄だった。二人の関係は、マキノのところに突然かかってきた一本の電話からはじまった。
 昭和17(1942)年、マキノが市川猿之助、原節子、高峰秀子らの豪華キャストで「阿片戦争」の製作発表をしてから間もなく、「わしは阿片の親分だ」と言ってかかってきた電話があった。聞くと、里見機関からだという。
 マキノが電話で言われた通り、里見の東京での定宿になっている帝国ホテルに駆けつけると、初対面の里見は上機嫌でこう言った。
「阿片はアングロサクソンの代わりにわしがやっとるんだ」
そして、こうつづけた。
「マキノくん、20万円やるから、上海へ来い。これはわしの罪滅ぼしだ。たしかに現在の阿片はわしが握っている。しかし、儲けてはいないんだ。『阿片戦争』という映画を上海で撮れ」
 里見は、アヘン戦争で大量のアヘンを海中に沈めて敵のイギリスに対抗した林則徐の名前を出し、その林則徐を主人公にした映画をつくってくれ、とも言った。
 里見の申し出た20万円はマキノが固辞したため、結局、製作会社の東宝が受け取ることになった。里見が望んだ上海現地ロケも、スタッフが危険すぎると二の足を踏んだため、実現せずに終わった。
(中略)
マキノは最後に述べている。
〈東宝や松竹の映画が、そしてその後大衆の妻三郎映画が上海で上映出来るようになったのも、里見氏の金に支えられてのことであった。昭和17年(1942年)2月に日本軍がシンガポールを占領した時、東条英機総理は、里見甫から、蒋介石の金として20億円貰って、中国との戦争終結をする約束だったのを、東条英機は金だけ受け取って、総理をやめて逃げてしまったのだという話も聞いた〉
妻三郎映画とはいまでもなく、戦前のスーパースターの坂東妻三郎主演映画のことである。
(前掲書p169)

(※7)
 里見は戦後、阿片について語ることはほとんどなかったが、ごく親しい関係者にはこんな主旨のことを洩らしている。
「安済善堂の安済は社会救済、善堂は慈善の意味です。目的と名称が違うといわれるかもしれませんが、批判は自由にして下さい。安済善堂の目的はもちろん阿片の販売です。その売上利益に対し、一定の課税を安済善堂が取った。その金を大本営に流したといわれますが、決済はすべて現地の陸軍部とやりました」
 前述したように、阿片問題を直接管理していたのは興亜院である。里見は、そこに入った金が、大本営に献上されたり、現地派遣軍や特務機関に還流されたりしたかについては何も知らない、とも述べている。
(前掲書p190)

(※8)
 昭和12(1937)年8月、第二次上海事変が勃発したとき、日本軍は敵の経済を攪乱するため、ニセ札を大量につくる謀略工作を計画した。ところが、いざニセ札が刷りあがりテストをやろうという段になると、みな怖じ気づいて引き受けようとする者もでてこない。
 そこで手をあげたのが、里見だった。里見がフランス租界のハイアライ遊技場に行って試すと、一回目は無事通ったが、二度目に見破られて領事館警察に突き出され、ブタ箱に叩き込まれる羽目になった。
 しかし、取り調べがはじまっても、里見は「オレ個人でやったんだよ」とシラを切り通したので、警察もやむなく里見を釈放した。
 この一件で、陸軍内部での里見株は一段とあがった。その頃、第二次上海事変の戦闘は上海北方の閘北で膠着状態に陥り、日本軍は攻めあぐねていた。強攻すればいたずらに犠牲が多くなるばかりなので、ここは外交交渉で行くほかないという結論になった。
 軍は考えた末に支那側に知り合いの多い里見に折衝役の白羽の矢を立ててきた。里見は伝手を求めてフランス租界で敵将とひそかに会い、折衝の結果、相応の大金を代償に支払うという条件で支那軍総退却の合意をとりつけた。
 しかし、この約束に一抹の不安を感じた日本軍側は、代償金の前渡しを例のニセ札で行おうと言いはじめた。里見はこれに烈火のごとく怒り、軍首脳を怒鳴りつけた。
「何を言うか。これだけのことをのませておきながら、それに報いるのにニセ札とは何事か。そんなことで武士の一存が立つか」
 里見のこの一言で信義は守られ、かねてからの打ち合わせ通り、敵は約束の日時に小銃を空に向けて発砲し、これを合図に総退却をはじめた。そして呼応した日本軍の総攻撃で、難攻の戦線もついに破れた。
(中略)
 阿片という悪の華の世界にどっぷり浸かりながら、不思議なことに里見には、このときの日本軍がとろうとした組織悪のいじましさも、権力にたかることでしか生きられない児玉のような国士気どりのさもしさもない。
「人は組織をつくるが、組織は人をつくらない」
 里見は晩年、秘書役の伊達によく、そう言ったという。
(前掲書p176)

(※9)
 里見の遺体が荼毘に付されたとき、会葬者たちは、里見の頭骸骨が淡いピンク色に染まっていることに気がついた。しかし、それが阿片常習者の特徴だということに気づく者はほとんどいなかった。
(前掲書p428)

(※10)
 里見と甘粕が接触し、交差した新京(現・長春)の旧関東軍司令部の、屋根に日本の天守閣を配したグロテスクな建物は、歴史の皮肉そのままに、いまは共産党吉林省委員会の建物となっている。
 中国人民のたくましい現実感覚を物語るように、里見の案内で松本重治が泊まった大連の「ヤマトホテル」も、「国通」とロイターの通信提携契約が結ばれた旧新京の「ヤマトホテル」も、いまもそのままホテルとして使われているし、かつて東洋一の規模を誇った満鉄病院は、大連医院の本院として再利用されている。満鉄本社の壮麗な建物は、大連自然博物館となっていた。
 それらの建物にいずれも「偽満州国」時代のものだということを示す表示が掲げられている。なかでも傑作なのは旧新京の人民大広場にある旧満州国国務院である。日本の国会議事堂を模してつくられたこの建物は、皇帝・溥儀がバルコニーから二万の兵を閲兵したことで知られている。
 今は吉林省の医科大学の研究所に変わったその建物の一画の薄暗い展示室には、岸信介をはじめとする「偽満州国」要人の肖像写真が飾られ、鹿の角を粉末にした強精剤などと一緒にお土産品として売られていた。
 このしたたかなビジネス感覚には思わず吹き出すほかなかった。こうした光景を見るにつけ、里見や甘粕が満州でやろうとしたこの善悪とは別次元に広がる索漠たる胸中に思いを馳せずにはいられなかった。
 中国人民は、甘粕の謀略にも里見の宣撫にも、ほとんど心かき乱されることなく、大河の流れにも似た悠久の歴史を刻んだ。甘粕も里見も、行けども行けどもたどり着けない満州の地平線にも似た徒労感にとらわれつづけたのではないか。
 しかし、里見も甘粕も賽の河原に石積みするにも等しい行為をやめることなく、時代の狂気そのままの暴走をさらに重ねていった。
(前掲書p129)

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2023年09月29日

麻薬を使った戦争

こんばんは。

佐野眞一さんの「阿片王 満州の夜と霧」というノンフィクションを読んだ。
2005年に出版された本である。

これは、第二次世界大戦の前半、日本が建国して消滅した満州という国について記したものだ。
そこに深く関わった人物、里見甫(はじめ)とそれを取り巻く人たちの物語である。
佐野眞一さんが、書くに至った動機として「あとがき」に記しているが、なぜ、日本が高度経済成長を成し遂げることができたのか、その遠因は、満州にあるのではないか、という仮説を自分で立てていたからである。(※1)
その前段で、里見の息子の関する「故里見甫先生 遺児里見泰啓君後援会 奨学基金御寄附御願いの件」の文書を見つけた。
これに列記してあった発起人の顔ぶれが、異常であった。
本格的な取材は、これに端を発して始まった。
里見甫は、超のつく大物だったのである。

里見は、中国で阿片という麻薬を取引した日本人である。
阿片といえば、アヘン戦争であり、これを使って中国人を苦しめたのは、学校でも教える。(※2)
ところが、満州国建国から日中戦争に至るまで、日本人もアヘンを使って、中国人を苦しめている。
このことは、学校では教えない。
白人優越主義により、イギリス人たちは中国人をゴミのように扱ったのだが、日本人も真似をして、中国人をゴミのように扱った。(※3)

私は、過去、鈴木明さんの「南京大虐殺のまぼろし」という本を読んだことがあり、その続編、「新南京大虐殺のまぼろし」も読んだ(二つとも津波がどこかへ連れて行った)。
この中に、アヘンを日本軍が利用した話は、一つも書かれていなかったような気がする。
当時の中国社会、特に、上海社会は、人命を何とも思わない空気に包まれていた。(※4)
このような社会で、アヘンを使って、日本軍は戦争を行ったのだ。
そこに、「虐殺はなかった」というのは、明らかに無理があると思う。

里見は、アヘンの販売のみを扱い、アヘンの利益の管理は、日本の国家機関である興亜院が管理していた。
したがって、アヘンの莫大な利益で、日中戦争を戦うことができたのである。
国家機関が管理していた、といことは、当時の総理大臣以下、中国方面に関わった軍関係者は、すべて、アヘンのことを知っていた、と捉えていい。
そのメンバーが、上記、遺児奨学金の発起人たちである。
岸信介、児玉誉士夫、笹川良一、佐藤栄作などなど。
で、昭和天皇はどうだったのか?の問うことができると思うが、天皇には、「アヘンを使ってはならぬ」という意志があったようだ。(※5)
日本軍は、中国の経済混乱も狙って、ニセ札も刷った。(※6)

何が大東亜共栄圏だ!
今でも、そんな都合のいい話をしている日本人がいるなんて、何と恥ずかしいことだろう。
麻薬で現地人を騙すなど、まともな人間のすることではない。



(※1)
 日本は、敗戦後十年足らずで高度経済成長の足がかりをつかんだ。それは、わが国がいち早くアメリカの核の傘の中に入って、軍事防衛問題をほとんど、アメリカという世界の警察国家にまかせっぱなしにし、経済分野に一意専心することができたからにほかならない。昭和25(1950)年に勃発した朝鮮戦争による特需景気は、その先駆けをなすものだった。
 だが、そうした側面もさることながら、日本の高度経済成長のグランドデザインは、かつての満州国を下敷きにしてなされたような気がする。時の総理大臣として、高度経済成長に向け号砲を打ったのは、将来の総理大臣を嘱望される安倍晋三の祖父の岸信介である。その岸が産業部次長として満州に赴任し、満州開発五ヵ年計画を立て満州国の経済政策の背骨をつくって、後に「満州国は私の作品」と述べたのはあまりに有名である。
 世界史的にも類をみない戦後の高度経済成長は、失われた満州を日本国内に取り戻す壮大な実験ではなかったか。そんな思いが私をきつくとらえていた。戦後高度成長の象徴である夢の超特急も合理的な集合住宅もアジア初の水洗式便所も、すべて満州ですでに実験済みだった。
(「阿片王 満州の夜と霧」p9)
 満州国の首都の新京には上下水道が整備され、東洋でははじめて水洗便所の敷設も新京からはじまった。大連には東洋一を誇る病院があり、市街地はアスファルトで舗装され、主だった住宅にはセントラルヒーティングが施された。主要都市のデパートには、日本内地でも入手できない高級舶来品があふれていた。
 前掲の『実録・満鉄調査部』に、日本と満州の生活レベルを比較している箇所がある。
〈満鉄の、たとえば付属病院にゆくと、給湯装置は完備していたし、医療器具は自動化された滅菌装置のトンネルからベルトで流れてくるのだった。
 満鉄本社には600台のタイプライターが唸りをあげ、電話はダイヤル即時通話であり、大豆の集荷数量・運送距離・運賃はIBMのパンチカードシステムで処理され、特急「あじあ号」は6輌編成で営業速度130キロをマークしていた〉
 満州国建国のプランナーは石原莞爾は、満州国を植民地化しようとするあらゆる勢力に猛烈に反対した。昭和12(1937)年の日中戦争勃発時、参謀本部作戦部長だった石原は、不拡大方針でことに臨んだ。石原が主唱する世界最終戦争の一方の主役たるべき東アジアブロックの形成が台無しになることを恐れたからである。
 そして、最後は満州国の日本からの独立を主張して軍部の不興を買い左遷された。もし石原の主張通りことが進めば、石原はいわば日本のジョージ・ワシントンとなり、東アジアの一画に、日・漢・朝・蒙・満の5族を中心とした東アジア諸民族が居住するアメリカ合衆国なみの多民族国家が誕生していた可能性がある。
(前掲書p105)

(※2)
 アヘンが中国で習慣的に吸飲されるようになったのは、17世紀はじめ、オランダの植民地だったジャワから明朝末期の中国南部にもたらせてからである。強い習慣性をもつアヘンは、一度体験すると忘れられない陶酔感があるところから、苦しい禁断症状をともなうにもかかわらず、たちまち中国全土に広がっていった。
 イギリスの東インド会社による中国へのアヘン輸出がこれに拍車をかけた。東インド会社が植民地インドのアヘンを中国に輸出し、中国はイギリスに茶や生糸を輸出し、イギリスはインドに綿製品を輸出するという、有名な三角貿易システムが完成するなかで、中国におけるアヘン需要は増加の一途をたどった。
(中略)
 清朝は増大する一方のイギリスからのアヘン流入に対抗するため、自国のケシの栽培を奨励するという一か八かの苦肉の政策をとった。これが裏目に出た。『東亜共榮圏建設と阿片對策』は、アヘン戦争の敗北によって清朝のアヘン輸入が強制的に増え、それが莫大な国家的損失をもたらした、と述べている。
〈支那が如何に地博物大にして富裕を誇ってゐたとしても、年々4700万両(現貨にして30億円)の銀がイギリスに吸飲せられてゐたとしたら、支那の滅亡は坐して待つのみであろう。支那が当時この銀流出に対抗し得る唯一の方法は、自國内に罌粟栽培を奨励してイギリスよりの輸入を防遏するより外に致し方がなかったのである。
 道光帝は浩嘆しながらも涙を呑んで此の手を打ったのである。その結果として支那は無制限の罌粟栽培と、停止する処を知らない阿片の氾濫に、拱手傍観するより外に術はなかったのである。
 支那が阿片戦争迠惹起して防遏しやうとした阿片嗜好の流行は、尚一層激しい勢で、全支に向って燎原の火のやうに燃え拡がって行ったが、直接の目的とした英国よりの阿片輸入は遂年激減して行く効果は明らかに現はれて來たのであった。歴代の清國政府は阿片禁断の方策を樹立しては取締に力を致して來たが、一旦之が習慣に染まった全国の癮者は、迚々強制し難いことは今も同じである〉
 ではこの当時、中国にはどれだけの数の阿片癮者がいたのか。『東亜共榮圏建設と阿片對策』の著者は、最低で見積もっても人口全体の3パーセントはあると推定した上で、次のように結語している。
〈4億5000万の総人口中1350万といふ数字が一應擧げ得られる。この癮者が1人平均30両を消費すると仮定して4億500万両である。生産地の自場消費等低廉な価格も考慮して平均1両10元としても、40億5000万元に当る。是が一縷の煙として消費せらるゝのかと考へれば慄然たる計数ではないか〉
その後、中国ではアヘン吸飲に対し厳格な禁圧措置が何度もとられ、違反者を公開で銃殺刑に処することまで行われた。だが、アヘンを撲滅するには程遠かった。その温床となったのは、国民党政府が樹立されてもなお地方に数多く残存する軍閥の存在だった。
 彼らにとってアヘンは貴重な収入源であり、配下の者たちの闘争心を煽る恰好の向精神薬だった。各地の軍閥はケシの栽培を争って奨励し、アヘン争奪がしばしば内戦の火種となった。軽量で高価なアヘンは、通貨と同等と見なされ、満州国が建国される前には、中国は再び世界最大のアヘン市場となっていた。
(前掲書p134)

(※3)
 満州帝国とは、アヘンの禁断症状と麻痺作用を巧みに操りながら築かれた、砂上の楼閣のような国家だといってもよかった。
 林郁の『新編・大河流れゆく』(ちくま文庫・1993年6月)のなかに、満州でアヘン工作に関わった元特務機関員の告白が紹介されている。
―私はアヘンを取り締まる一方で野放しにし、さらにスパイ工作にも使うという相反することを同時にくり返す現場にいて、これは支那民族の滅亡策だと思った。アヘンは性的興奮も一時つよめる。苦しい者は、生のあかしだと思って、飲んで性行為に溺れる。それで衰弱する。子どもは生まれなくなる。生まれても育ちにくい。それを承知でアヘンを使ったのは、相手を人間とみなかったからです・・・・。
 この元特務機関員は、「アヘンは苦を忘れ、一時的に活力を与えられるだけでなく、性の快楽に心身をひきずりこむから、金銭より特務の役に立ちました」とも述べている。
(前掲書p139)

(※4)
スパイどころか、上海は人の命がいちばん安く、アヘンがいちばん高いといわれていたように、人殺しさえ日常茶飯事のことだった。白昼テロに驚く者はなく、血しぶきの飛び散る殺害現場を目にしても、みな魚の目のような無感動なまなざしをくれるだけで通りすぎた。人心の荒廃と風俗の貧廃は、20世紀のバビロンというにふさわしかった。
 見せしめの処刑もあたりまえだった。ジョルジュ・バタイユの『エロスの涙』(森本和夫訳・現代思想社・1976年7月)のなかに、囚人を裸にして木の枷に縛りつけ、生きたまま、胸や下腹部をえぐりとって市中を引き回す中国の処刑の写真が紹介されている。それと同じことが、いやそれ以上に残酷なことが、日常的に行われた。農家で使用する大きな藁切り包丁をギロチンがわりに使った公開私刑さえ珍しくなかった。
(前掲書p197)

(※5)
 塩沢は、里見の晩年の秘書を自任していた伊達に、里見の死後、こんな秘話を明かしている。
 上海の宏済善堂は、軍が阿片取引に深入りするのを心配した昭和天皇が、しばしば「どうなっているのか?」と御下問になるので、里見にその旨を含ませ、軍の隠れミノとするため発足させた。
 塩沢は、阿片工作を密命した影佐を訪ね「阿片工作は陛下のご意志に背いているのだから、絶対外部に漏らさぬように」と釘を刺したという。
 戦後、天皇の戦争責任が占領軍の間で議論になったとき、天皇が好戦的でなかったことの証拠としてこの話がもちだされたという。
(前掲書p165)

(※6)
 ちなみに、岩畔は陸軍中野学校とならんで、神奈川県川崎に陸軍登戸研究所という秘密軍事組織もつくった。その登戸研究所について、岩畔本人が生前、次のような証言をしている。
〈登戸の研究所ではパスポートから偽造紙幣まで何でもつくった。中国ではドイツのザンメルという印刷機械で紙幣をつくっていたので、それと同じ機械をドイツにつくらせ船で日本に運んだ。中国の経済を混乱させるため大陸にバラまいたニセ札は、日本円で60億円は下らなかった。登戸でつくったものを大陸浪人を見つけちゃ渡して、大陸でバラまかせていた〉(「岩畔豪雄氏談話速記録」木戸日記研究会・日本近代史料研究会〈1977年6月〉)
(前掲書p35)

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2023年08月30日

差別されたら、開き直れ!

こんばんは。

「非色」という小説を読んだ。
これは、私が生まれた年に発表された作品である。
人種差別を小説で描いたもので、人生「色に非ず」と言った感じか。
戦後の占領軍人の妻となった日本人女性の自伝みたいな形式で書かれている。
そういう人たちは、「戦争花嫁」と呼ばれている。

主人公の笑子(えみこ)は、戦争花嫁として、日本で差別を体験し、ニューヨークでも体験することになる。
そこで見たもの感じたものは何か?

笑子の考察は、なかなか鋭いと思う。
もちろん、笑子ではなく、作者の有吉佐和子さんの考察なのである。
二つの考察を紹介する。
一つ目は、優越主義である。
もしかしたら、白人優越(至上)主義も、この範疇に入るのか。

 金持は貧乏人を軽んじ、頭のいいものは悪い人間を馬鹿にし、逼塞して暮らす人は昔の系図を展げて世間の成上がりを罵倒する。要領の悪い男は才子を薄っぺらだと言い、美人は不器量ものを憐れみ、インテリは学歴のないものを軽蔑する。人間は誰でも自分よりなんらかの形で以下のものを設定し、それによって自分をより優れていると思いたいのではないか。それでなければ落着かない、それでなければ生きて行けないのではないか。
(「非色」p325)


これは、今でもその通り!というしかない。
威張り腐る人は、典型的である。

もう一つは、支配階級と非支配者階級、小説の中でも、これを階級闘争と指摘している。

 私は今こそはっきり言うことができる。この世の中には使う人間と使われる人間という二つの人種しかないのではないか、と。それは皮膚の色による差別よりも大きく、強く、絶望的なものではないだろうか。使う人は自分の子供を人に任せても充分な育て方ができるけれど、使われている人間は自分の子供を人間並に育てるのを放擲して働かなければならない。肌が黒いとか白いとかいうのは偶然のことで、たまたまニグロはより多く使われる側に属しているだけではないのか。この差別は奴隷時代から今もなお根深く続いているのだ。
(前掲書p366)


今では使うことができない「ニグロ」という言葉から想像できるように、笑子の夫は、黒人(今ではアフリカ系アメリカ人といったほうがいいとか)である。
笑子は、ユダヤ人と日本人との間にできた子どもの面倒をみていた。
待遇がよく、夫婦の対応も良かった。
しかし、彼女はある時、自分もニグロなのだ、と自覚し、おそらく、「ニグロで何が悪い!」と思ったことだろう。
面倒をみていた子どもに、すでに愛情が湧いていたが、それを振りほどき、ハアレムに戻る。

思い出したのだが、このことを副島先生は著書で紹介していて、長くなるが引用する。

 チャールズ・マレーは『ザ・ベル・カーヴ』の中で、さらに、驚くべきことを書いている。「黒人種は白人種に知能で劣る。しかし白人種よりもアジア人種の方がより優れている。さらにアジア人種よりも、ユダヤ人種のほうが優れている」と、IQテストの結果を厳格な統計資料にもとづいて書いている。アメリカの人種差別をめぐる問題は「単なる差別感情のあれこれ」などではなくて、科学(学問)の方法を採用することによってしか議論すべきことではないのである。
 では、これに対して、当の黒人たちはどのように反応したか。彼らもまた、マレーを黙殺した。今やアメリカの黒人たちは、一部の金持ち化したミドル・クラス・ブラックス(中産階級黒人層)を除いて、黒人コミュニティの中で自分たちだけで暮らし、黒人だけの学校教育を受けたい、という考え方に大きく傾いている。それが白人の差別主義者たちからでなく、黒人の側から逆提案されて実行に移されている。それが“セグリゲイショニズム”Segregetionism(人種分離主義))とは似て非なる“セパレーショニズム”Separationism(分離独立主義)である。これは、従来の“コンソリデーショニズム”Consolidationism(人種融合[融和]主義)に対する反省から生まれたものである。
 この「黒人たちだけで生きてゆこう」というセパレーショニズムの考え方を、最も早く実践運動の中から練り上げ、提唱したのが、マルコムXであった。
(「世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち」p371)


つまり、有吉佐和子さんは、このことを、すでに知っていたということだろう。
「非色」には、アメリカ社会のいろいろな差別のことが書かれてある。
途中からは、すらすら読めるし、けっこう面白い。
小説なんて、私はずっと読んでいなかった。
400ページもあると、面白くない本だと、読み終えるのに何日もかかることもあるが、これは、1日でスパッと読み終えた。

この中に、少々、日本での、出自の差別が書かれてある。
私の世代で言えば、何といっても中森明菜の不幸である。
彼女は、出身による差別を受け、近藤真彦に振られたのではないか、とささやかれていた。
東北の田舎だと、すでにそんなものはなかったと思うが、都会のほうは、そうはいかなかったらしい。
もし、差別されたら、小説の中の笑子のように、「それで何が悪い!」と居直って生きていくべきである。


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2023年08月14日

メモる 25

3回目。


河野太郎って、アメリカの手先だったのね。
核燃料の再処理に反対していたから、少しはマシな政治家だと思っていたのに。
完璧に騙された。

河野氏が大臣となって、宗主国の戦略を忠実に実行する“営業部長”に就任したのは偶然ではない。
 米国が、日本の有望な若手政治家を洗脳し、自分たちに都合のいいエージェント(代理支配者)に仕立て上げるための洗脳プログラムがある。
 そのひとつが、「ジョージタウン大学日米リーダーシッププログラム」(Georgetown University Leadership Program=GULP)である。
 学費や渡航費用、米国での滞在費など、全てGULP側が持つ。この顎足つきの洗脳プログラムを通して、本人も気づかないうちに、アメリカ側の日本人エージェントとしての思考回路を植え付けられる。
 このプログラムが開催されているジョージタウン大学は、何を隠そう河野氏の出身校で、ホワイトハウスからほど近い場所に存在する。さらにGULPにも河野氏は協力している。アメリカ側の対日日本工作窓口は最初から河野氏に目をつけ、代理支配のために養成していたのであろう。
(「紙の爆弾」2023年9月号p14)


六ヶ所村の核燃料再処理工場でのトリチウム汚染水放出に関連して、福島原発の汚染水海洋放出の問題。
「汚染水をどうすべきか」という問いに対する福島原発告訴団団長の武藤類子さんの発言。

「市民団体やアメリカの学者などから提案されている堅牢な大型タンクやモルタルで固化し、放射能が減衰するまで管理するのがリスクが少なく良いと思います」
(「紙の爆弾」2023年9月号p49)


これ、使える。
セメントを固めるのに水が必要だから、今後、コンクリートの工事で、すべて、この汚染水を利用する。
トリチウムというのは、大した放射能があるわけでもないから。
特に、東京などの都会での土木工事で優先的に使う。
福島から近いし。
もっと近いのが、原発の地下ダム建設。

福島原発の地下水を止めろ

地下ダム建設にこの汚染水を使えば、大変よい。
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2023年07月06日

この本は読んでほしいなあ

暇なので、3回目。

まずは、引用文を。
介護の話である。
この本が出版されたのは2003年であり、今から20年も前だ。
書いたのは鎌田實さんという方で、長野県にある諏訪中央病院を立て直し、地域医療の方法をたくさん考えた人。

 今から16年ほど前のことだ。
 86歳のおばあちゃんが、突如、多発性脳梗塞で倒れた。入院治療を行い、一命を取りとめたものの、失禁状態のために膀胱にバルーン挿入が必要だった。車いす生活になった。
 そのおばあちゃんが、こんなことをいいだした。
「おじいちゃんといっしょに、自分の家にいたい」
 ところが、介護をする側のおじいちゃんもすでに79歳である。子どもたちも、仕事の関係で、看たいという気持ちはあっても、どうしても同居はできなかった。それでも、倒れた彼女は、家にいたいと、はっきり主張する。
 当時、主治医だったぼくは、介護者が二人いない住宅ケアは、長くつづかないと信じていた。いろいろな人たちが助けてくれるとはいっても、1日の大半はおじいちゃん一人の手による老老介護である。おばあちゃんの気持ちは理解できるが、大好きな家で生活するのは、とても無理だと思った。ぼく自身は、この脳梗塞のおばあちゃんには、施設ケアの方がいい選択だと考えていた。それが、当時の常識的判断だったと思う。
 ところが、おばあちゃんと直接かかわりのあるスタッフたちから、彼女の願いを受けいれてあげたい、という意見が出された。ぼくの常識的な見解は、現場のやる気に負けた。結局、ぼくたちは、おばあちゃんの、家にいたいという思いを大事にして、ケア・プランをつくることになった。
 こうして在宅ケアが始まった。
 ますは、毎日、専門職のだれかが訪問することにした。在宅ケアには、訪問看護師、理学療療法士、作業療法士が交代で加わった。ぼくたち流のケア・プランをつくった。市の保健師や社会福祉協議会のヘルパーさんたちにも、1日1回、応援をお願いした。違う組織との連携を密にした。子どもたちにも、時々、介護に来てもらうことにした。
 おばあちゃんの家には、いろいろな職種の人たちが出入りすることになった。そこで、連絡帳としてノートを1冊用意することにし、そこにそれぞれが得た情報や問題点を書きこんで、互いの情報交換をするようにした。今から思えば、16年前によくこれだけのことをやったものである。
 正直、ぼくは、スタッフたちがどうせ途中で白旗を揚げるだろうと思っていた。そして、在宅ケアの開始から、一箇月が過ぎたある日、スタッフたちがぼくに声をかけてきた。
「先生、そろそろ往診をお願いします」
 おばあちゃんの家は、泉野という山際の村にあった。
 門をくぐり、大きな農家風の一軒家にお邪魔するとおばあちゃんは縁側に設置されたベッドの上にちょこんと座ったまま、作業療法士がつくったテーブルの上に小さな鏡を置いて、髪を丁寧に撫でつけている。ベッドは病院から譲り受けたものだった。
 部屋の片隅に座っていたおじいちゃんが、嬉しそうな表情で、おばあちゃんのおしゃれを眺めていた。
 ぼくは、このおばあちゃんが、車いす生活どころか、下手をすると寝たきりになっているのではないかと心配していたのに、病状は明らかに改善されていた。これが、在宅ケアのいいところだ。ぼくは、あらためて勉強させられた思いがした。
(「病院なんか嫌いだ」p114)


私が昨年、日本海へいか釣りに行かなかったことは、ここで報告済みである。
その理由は、介護をしなければならなかったから。
このことを書くつもりはなかったが、「病院なんか嫌いだ」という本を読んでしまい、世の中に、こんな先生もいて、こんな病院、こんな地域医療があるんだなあ、と知らされた。
だから、ここを読んでいる人たちも、情報や知識の共有ということで、知っておいたほうがいいと思う。
どうせ、人は、死ぬか介護されるかのどちらか、なのだから。

一昨年の暮れ、私の憎たらしい親父が、具合が悪くなった。
一人では起き上がれなくなった。
デブでも食欲旺盛な親父が、ご飯も食えなくなった。
血圧は正常なのだが、脈拍が異常に速く、1分間に160も打っている。
病院に連れて行っても、先生も原因がわからない。
そのうち、親父が「おしっこをしたい」と言い出し、採尿器にさせようとしても尿が出ない。
そこで先生が機転を利かして、尿カテーテルを入れたら、出るわ出るわ。
原因は、前立腺肥大による尿詰まりで、腎臓がイカれて、心臓までイカれた。
即、入院で、その後少しは良くなったが、結局、寝たきりになり、県立宮古病院に長く置くことはできないことから、転院した。

今から思えば、転院先の病院というのは、寝たきり老人などの専用病院だったようだ。
最初のうちは親父もおとなしくしていたが、ちょうどコロナ騒動が起こった頃なので、面会もろくにできず「来ないのか」と電話が来ていたが、そのうち最後には、「帰りたい。迎えに来てくれ」と何度も電話が来た。
私は介護する決心をした。
いさだの漁期中である。
周りからは、100%反対された。
しかし、あのような声で親父の声を聞くのは忍びなかった。


家に連れて来た時には、親父はもう長くないと思った。
寝たきりで、足の色が赤黒く、むくんでいた。
尿の色も赤っぽい。
しかし、「プーファフリーの実力 3」で書いたように、私の作った食事で、快方に向かった。
尿の色も、私たちの尿のように、きれいになり、足のむくみもなくなった。

介護現場では、いろんなことが起こる。
普通におむつ交換や食事の世話をやっている分には、大したこととは思わなかった。
しかし、突発的な事件というのが、たまに起こるのである。
私は、事件が起こった時、ケアマネさんやヘルパーさんたちから聞いていたことを思い出した。
介護が嫌になるケースというのは、こういうことなんだなあと。

7月までは、介護しながら、周りに迷惑をかけながら、それでも沖に行って、たこかごを上げ下げした。
そのうちに天使が現れ、8月からはいか釣りで旅歩きできるようになった。
北海道から帰ってきた時、驚いた。
ちゃんと立って歩いて、トイレに行けるようになっていた。
私は、「やっぱり娘に面倒看てもらうほうがいいんだなあ」と、妹を褒めた。

在宅ケアに切り替えたので、親父の病も快方へ向かったのだ、と上記引用文を読んで、私はそう理解した。
著者の鎌田先生は、現在一般の医療というのは、病気や内臓ばかり診て、患者を看ていない、と指摘している。
やっぱりそれではダメだと彼は考え、諏訪中央病院の仲間と話し合って、患者を人間として看る方向へと転換し、成功している。
若い人たちは治りが早いから問題ないだろうが、治りの遅い老人は、やはり、人間的に対応しないと回復しないのではないか。
今や親父は車いすも返却し、病院へ行くにも、自分の足で車まで行く。
付き添いが必要だが、2階にも上がっていって、外の景色も眺めるようになった。

私の介護の決心は、いつもの「やってみっか」ではなく、深刻に「やってやる」という気持ちだった。
これは、あまり良くないのだそうだ。
介護の先輩には、心構えとして、「あまり頑張らないほういいと思うよ」と言われていた。
このことは、「病院なんか嫌いだ」にも書かれてある。
だから、途中から気持ちを柔らかくし、突発的な事件が起きても、「こんなものだろ」と自分に言い聞かせ、楽しいことを思い浮かべ対処した。

介護サービスの中でも、ショートスティは使ったほうがいい。
私は、ショートスティのおかげで、大好きな温泉に行けた。
楽しい想像をしたため、嫌ことにも対応できたと思う(介護サービスのなかった時代の介護者たちは、スゴイと思う。)。
そういう気持ちを持たないと、最後には、自分がダメになる。

 2002年11月3日、南信州のある町で、85歳の老女が首を絞められてなくなっているのが発見された。
彼女を介護していた59歳の息子さんは、納屋で首をつって死んでいた。どうやら無理心中の公算が強いらしい。
 亡くなったお母さんは、脳卒中で、要介護のランクがWの重い障害があったという。息子さんは食事の支度、洗濯、散歩など、彼女のことをこまめに介護していたそうだ。仏壇には、「疲れた。5年前からこうなることは想像できた」と書かれた、遺書のようなメモが残っていた。
 男性の介護は、概して、頭が下がるほど気合の入った、想像を越える高水準のものであることが多いといわれているのだが、どこかで躓いたり行き詰ったりした場合、女性に比べて、心中などの悲惨な結末にいたるケースが多々ある。おそらく、子育てなど、人の世話をする自然のトレーニングを積んでいないことが、こうした悲劇を誘発しやすい原因と思われる。
(前掲書p101)


私は、ここを読んで同情し、もう少しで涙が出るところだった。
親父は頭がはっきりしているから、私はぜんぜんマシなのだ。
運がいいのだ。

「病院なんか嫌いだ」には、最後の看取りまで、在宅のススメとして書いてある。
今度は、これをやってみようと考えている。


posted by T.Sasaki at 22:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

北九州市は復活をとげた

ふたたび、こんにちは。

私は暴力団というものに、まったく縁がない。
彼らは、一般の人に手出ししないから、最初から関わらなければ、何の害もないと思っていた。
しかし、北九州市にあった工藤会は違った。
たくさんの市民が犠牲になっていたのを、本を読んで初めて知った。
ぜんぜん関係のない人間にまで巻き込んだものだから、警察の頑張りと相まって、組員たちも嫌気がさし、結局、工藤会は北九州市から撤退したようだ(しかし、各地に散らばって活動はしている)。

暴対法法律に「危険指定」というのもあるというのも初めて知った。
2012年に暴力団対策法は改正施行され、「特定危険指定暴力団」という新たな規定が設けられ、工藤会を指定した。

 指定は全国初のものであり、現在でも工藤会は全国唯一の特定危険指定暴力団である。
 工藤会が、「特定危険」の指定を受けたことにより、警戒区域内で市民らに不当要求をした組員は中止命令なしに逮捕することが可能になった。つまり、工藤会系の組員は、みかじめ料などを要求しただけでも逮捕できるということだ。
 このことが工藤会に対する抑止力になったのかといえば、そう考える関係者は決して多くはない。
 北九州市ではこの後も残虐な市民襲撃事件などが続いていく。ほかの地域と際だった違いは、市民や一般企業がターゲットとなる事件が頻発していたことだ。
(「落日の工藤会」p49)


 2012年6月には、驚くべき事件があった。
 福岡県警の家宅捜索により、北九州市戸畑区の住宅街にある木造2回建ての倉庫からロケット砲がみつかったのだ。
 1発で小さなビルを壊すほどの破壊力があるものだというから絶句する。
 軍事評論家は「きわめて危険な兵器。軍隊以外に出回っているとしたら衝撃だ」と驚き、県警幹部は「まさに戦場状態」と危機感をあらわにした。
 私たち記者も、暴力団関係者に対して「いまの日本でロケット砲にどんな使い道があるのか?」と尋ねているが、「さっぱりわからない」という回答しか得られなかった。
(前掲書p47)


まるで戦場のような北九州市。
大手ゼネコンでさえ、進出するのを躊躇したようだ。
その後、警察官たちの反骨精神をあおるような出来事もあった。
これが、福岡県警や検察を怒らせた。

 2013年11月、福岡地裁小倉支部において、ある事件で殺人未遂事罪などに問われていた工藤会系組幹部二人に無罪判決が言い渡されたのである。
 審理されたのは前年1月の事件だ。福岡県中間市の建設会社支店前の路上で、その会社の社長がマスク姿の男に腹や腕を撃たれて、全治約3か月の重傷を負わされていたのだ。
 この頃、建設業者が狙われるような発砲事件は20件を超えていた。そういう中にあり、この事件では初めて容疑者を検挙できていた。
 それにもかかわらず、判決は無罪となったのだ。
 判決が告げられた瞬間には、傍聴席にいた組員たちが立ち上がり、一斉に雄たけびをあげていた。
「オラァ」
「見たかあ!」
(中略)
 事件を担当した捜査員の一人は、このときの気持ちをノートに書き殴っていた。
「悔しい」
「ふざけるな」
「絶対に捕まえる。絶対だ」
その文字は涙でにじんでいた。
(前掲書p88)


2013年には、看護師刺傷事件というのがあった。
工藤会トップである野村被告の脱毛施術の際、起きてしまった不手際に対して、その逆恨みによるものであるようだ。
犯行の指示をしたのは誰なのかということを、裁判では問われている。
取調べの過程で、組員たちの人間性が呼び起こされている。

「すみません、しゃべります。・・・・やりました」
 声を絞り出した組員の体は小刻みに震えていたという。
 踏ん切りをつけるまでに時間がかかったとはいえ、大きな意味をもつ自白だった。
 のちの野村被告は公判で「(女性や子供を襲ってはいけないというこは)常識的にわかると思う」、「組員が通り魔をすれば処分になる」、「(女性を襲うことは)許されませんね」などと発言している。自分で絶対のタブーだと言っていることを、組員に指示してやらせていたとも考えられるのだ。それもきわめて私的な施術を受けた際の小さな恨み”が女性襲撃事件の理由と聞かされたのだから、組員としてはたまらなかったにちがいない。
 取調官もそういう心理をついていたので、この組員もこらえきれなくなったのだと推測される。別の公判でこういう証言をした元組員もいる。
「面識のない女性を襲うことや、それを指示する組織に嫌気が差した」
 この事件を起こしたことで工藤会の鉄の結束に割れ目が入った部分もあったのかもしれない。少なくともどこかに亀裂は生じていたはずだ。
 一人が自供したことは瞬く間に伝播し、他の者たちも容疑を認めはじめた。
「こんなことはヤクザのやることじゃないと思っていた」
 そんな本音を漏らす組員もやはりいた。
(前掲書p135)


どの親も持つ感情。
子への愛情だ。
特に母親は強い。

 ある事件で服役中に20年来、連絡を取っていなかった60代の母から手紙が届いた。
「あんたみたいなのがいると家族が生活していけない。顔も見たくない。死んでくれ。私も死にたい」
 悲痛な思いが綴ってあった。
 それでも母親は、こうも書いていた。
「でも、腹を痛めて産んだ子だから、憎いけどかわいい」
 涙があふれてきた。そのとき、組を辞めることを心に決めたのだという。
 福岡県警の支援を受けて就職先もみつかった。
 母親が「早く孫が見たい。長生きするけん」と話すのを聞くと、胸がつまる。いまも組に残っている組員への思いを聞くと、「辞めればきっといい人生になる。自分の将来を考えてほしい」と言葉を噛みしめるようにしながら話してくれた。
(前掲書p215)


工藤会の元組幹部である中本隆さんという方が、うどん屋さんを開いた。
彼も「カタギに迷惑をかけないのがヤクザのルール。なぜカタギを襲うのか」(前掲書p127)と考え、刑務所から出所後、就職しようとした。
しかし、ほぼすべて断られ、みずから商売をすることに。
もちろん、支援する人がいたからできた事である。
そして、恩返しの考えもあったのだろう。
今では、積極的に支援する方へ回っている。

 元組員の更生の難しさを肌で感じている中本さんは、2022年3月に新たな取り組みを始めた。離脱者の受け皿を目指して、イベント企画などに取り組む合同会社「居場所」を北九州市で立ち上げたのだ。
 6月上旬には福岡県行橋市の寺で講和イベントを開催し、境内には焼きそばや焼き鳥など6つの出店を並べた。その際、つながりがあった工藤会元組員の男性を誘って、テントの設営などを手伝ってもらうようにした。
 中本さんは、刑務所から出て、組を離脱しても、なかなか仕事をみつけることができない後輩たちの苦悩を目の当たりにしてきた。
 経営するうどん店には、報道などで中本さんのことを知った元組員が毎月数人訪ねてくるようにもなっていた。ほとんどの人は仕事に関する悩みをもっている。
 中本さんは自分の経験を伝えるために本を出し(著・廣末登、『ヤクザの幹部をやめて、うどん店をはじめました。―極道歴30年中本サンのカタギ修行奮闘記―』)、人前で話をする機会を増やしている。そういう際にイベントを組み合わせるなどして、離脱者の仕事につなげようと考えているのだ。
(前掲書p219)


もちろん、今まで苦労して北九州市も黙ってはいない。

 暴追運動の先頭に立ってきた北九州市役所は、その「最終章」として、2022年度の一般会計予算に、離脱者の新たな支援策を盛り込んだ。元組員を雇用した事業者には30万円を上限にした資格取得費と20万を上限にした引っ越し代を補助する内容だ。市役所内に窓口を設け、元組員だけでなく、家族などからの相談にも幅広く応じて支援している。
 予算案を発表した2022年2月10日の記者会見で、北橋市長に対して、このような支援策をとっていく意義を問うと、市民による暴追運動があったことなどから振り返って話してくれた。
「怖い思いもしたなか、頑張った意義は大きい」
「暴追は苦しい道のりだったが、劇的な治安改善は日本の歴史に残ると思う」
 そうして感慨深げに語ってくれたうえで、新しい支援策については、「資格をもち、仕事をしっかりすることが元の道(暴力団)に戻らないために重要だ」と説明している。
 市民には「元組員の更生を厳しくもやさしい目で見守ってほしい」とも訴えた。
(前掲書p221)


忘れもしない東日本大震災のちょうどその頃、北九州市の市民が、襲撃の恐怖のどん底にいたのだ。
そんなことも知らずに被災地では、自分たちの不幸を何とかしてくれ、と訴えていたのを、何となく恥ずかしく思う。

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2023年06月30日

アメリカを信じる日本は救われない

ふたたび、こんばんは。

9.11 は大掛かりなやらせだった」で、ヒトラーの大きな嘘のつき方理論を引用したが、アメリカはすでに、ヒトラー登場以前に、マスコミを使った情報操作で戦争を起こしている。

 1898年の米西戦争の引き金となったのは、メイン号事件(キューバのハバナ湾に停泊中の米海軍戦艦メインが爆破さらた)であった。実際にはアメリカ自らがメイン号を爆破するヤラセであったが、この「事件」に際して、アメリカの新聞王ハーストは「スペインの仕業だ。メインを思い出せ(Remember the Maine)というキャンペーンを張った。
 こうした報道によって各新聞は国民を煽っていく。当時アメリカでは、国民のほとんどが「戦争は良くない。平和のほうがいい」と思っていたので、何か事件を起こして国民に戦争を支持させる必要があったのだ。
 その結果、スペインと戦争を起こし、その植民地だったキューバ、プエリトルコ、フィリピン、グァムを奪い取った。
(「暴かれた9.11疑惑の真相」p182)


太平洋戦争の発端となる「リメンバー・パールハーバー(真珠湾を忘れるな)」(Remember Pearl Harbor)の前にも、リメンバーがあったというわけだ。
太平洋戦争を日本が起こしたのは、アメリカに追い詰められた結果だというのは、すでに明らかにされている(もちろん日本も悪い)が、この方法は、後にも採用されている。

 相手を追い詰めて戦争に引きずり込むというやり方は、最近でも'99年、アメリカを中心とするNATO軍によるユーゴスラビア(当時)空爆にも見られた。空爆に先立ち、フランスのランブイエでコソボ危機解決のための合意が図られたが、当時のユーゴのミロシェビッチ大統領が合意案を拒否したため、空爆が始まったとされている。
 しかし実際は、その合意案がユーゴ領土内でNATO軍の展開を無条件で認めるといった内容で、いわば治外法権をユーゴに迫るような内容だったのだ。ユーゴに限らず、どんな独立国も到底受け入れられないような条件だったのである。
(前掲書p184)


イラク戦争の前にあった湾岸戦争の仕掛けも、アメリカがやっている。

もともと、アメリカはフセイン政権と親密な関係にあった。'80年代、反米的なイランと戦争をしていたイラクに、莫大な軍事援助を行っていたのだ。ところが、'89年にCIAがクウェートと「イラクに戦争を起こさせ、弱体化させる」旨の秘密合意文書を交わしてから、情勢は一変する。クウェートは、イラクとの国境海面下で斜めにパイプを掘り、イラク領内の油田から石油の盗掘を始めた。イラクはこれに怒って軍事行動を起こしたのである。当時、アメリカのグラスピー大使は「イラクの軍事侵攻にアメリカは介入しない」とフセインに伝えていた。
 ところが、実際にイラクがクウェートに侵攻するや否や、アメリカは「これは侵略だ」と豹変し、湾岸戦争が勃発した。しかし、この戦争ではアメリカ(および多国籍軍)はフセイン政権を倒さなかった。フセインをそのままにしておけば、サウジアラビアやクウェートなどに軍隊を駐留しておく大義名分ができるからだ。
(前掲書p186)


その後、かの大量破壊兵器の有無によるアメリカのイラク攻撃は、ベンジャミン・フルフォードさんと副島先生の共著にある通りである。

これは有名な話であるが、9.11の主犯とされるアルカイダという組織も、アメリカが作っている。

 もともと、冷戦下の'80年代にアフガニスタンでソ連(当時)と戦うためCIA(米中央情報局)によって作他れた組織がアルカイダである。その中にティム・オスマンという人物がいたが、その人物こそが現在のオサマ・ビンラディンである。
 アメリカはオスマンに狂信的なイスラム原理主義を植えつけ、大規模な軍事支援を行ってきた。そのため、ビンラディン一族とブッシュ一族は関係を深めてきたのだ。
 湾岸戦争に、アメリカはイラクに対し経済制裁を始める。その結果、イラクは最大の外貨獲得手段である原油の輸出ができなくなり、代わりにサウジアラビアの輸出高が 倍増した。原油価格も高騰した。そのおかげでサウジアラビアの王室はもちろん、ビンラディンも大儲けしたのである。
(前掲書p188)


結局は、彼もアメリカの都合によって殺された。

これらアメリカの戦争ご都合主義を今や各国が認識し、サウジアラビアなど、ロシア側に付くのは、当たり前の話なのである。
もうアメリカは信用できないと。

https://nofia.net/?p=11299
https://nofia.net/?p=11923(「BrainDead World」)

属国根性しかない日本だけが、いつまでもアメリカにカネを巻き上げられる構造になっている。
与党、野党の政治家たちは、みんな知っている。
彼らは、恥ということを認識できないのである。
私たちとは違って、まともな神経をしていない。

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2023年06月28日

9.11 は大掛かりなやらせだった

こんにちは。

メモる 22」で、9.11テロの不具合を引用しているが、私は、アメリカのやらせだったのではないかといことを、それほど信用をしてはいなかった。
しかし、ベンジャミン・フルフォードさんの「暴かれた9.11疑惑の真相」を読んでから、これは大掛かりなウソであったと確信した。
ビルの鉄筋が、融けているほどだったそうだ。

 '06年2月10日、ジョーンズ博士は数百回のビル解体を経験したベテランの解体業者にインタビューした。彼はこう証言している。
「通常の火薬を使用した場合、建物を解体した現場から(崩壊したビルの破片から出てきたような)溶解した金属の塊が出てくるというのは見たことがない」
 つまり、発見された金属の融点(例えばクロムが摂氏1860度、マンガン1244度、鉄1535度など)を考えると、通常の火薬とは違った強力な火薬を使っている可能性が高い。
 また、ビルの解体には遠隔制御の発破装置が使われている。無人で爆破する場合、周到な準備が必要になる。
「支柱を数本破壊しただけでは、建物が倒壊することはない。例えば、片側だけ破壊する本数を増やした場合でも建物は非対称に崩れ落ち、残りの部分はそのまま建っている」
 世界貿易センタービルの崩壊映像のように、あんなに一気に崩れ落ちるためには、支柱を一気に破壊させないと無理だということだ。火災の影響で自然に崩れ落ちたなら、一気に崩れ落ちることは絶対になる。偶然の結果にしては、崩壊の様子があまりにも秩序立っているのだ。
(「暴かれた9.11疑惑の真相」p50)


9.11では、同時にあちこちで航空機によるテロが起こったとされるが、これが、どうも怪しい。
ただ、爆薬を爆発させ、「航空機が突っ込んだ」という報道を流しただけのようだ。

 それでは、93便の墜落現場だとされているところは、どうなっていたのか。機体全体が地上から9mの深さまで沈み、乗客・乗員の荷物が跡形もなく消えてしまうほどで、衝撃の大きさを物語っている。
 しかし、水平尾翼や翼といった残骸が全く見つかっていないことで、証人や犠牲者の身内、そして航空機事故の専門家の間にも戸惑いが広がっている。
 墜落現場の映像を見てみると、「痕跡」だといわれる場所は草に覆われ、さらに黒焦げになった「痕跡」の部分にさえ草が生えている。それから判断すると、公開されている映像は9.11よりもかなり前に撮られた可能性が高いと言わざるを得ない。そして、墜落現場には機体の残骸もなければ、ジェット燃料が燃えた形跡もない。
 FBIは後に、「赤いバンダナと、ハイジャック犯のパスポートが見つかった」と大々的に発表した。
 航空機の残骸も跡形をとどめないほどの衝撃のなか、なぜそのようなものが出てきたのだろうか?その発表のタイミングは、ザカリアス・ムサウイの公判時期('06年3月13日)を見計らったかのようだ。
 さらに、墜落現場のあるサマセット郡の検視官は「墜落現場に1滴の血もなかったことは謎だ」と証言している(「ワシントン・ポスト」紙)。
(前掲書p102)


テロは事前に知らされており、というより、テロを計画したのは、アメリカ自身だったのではないか。

 9.11以前に、テロが起こることを知っていた人も数多くいた。それはどんな人々なのか。まずはブッシュ大統領の片腕と言われるコンドリーザ・ライス国務長官だ。
 ライス大統領補佐官(当時)が8月6日付けで提出した大統領日報のタイトルは何と「ビンラディンが米国へ攻撃を決定」。大統領日報とは、大統領補佐官がその日に議論・検討すべき課題をまとめた毎日大統領に提出するものだ。しかも、ビンラディンが世界貿易センタービルを狙っていること、飛行機をハイジャックすることまで、この時点で書かれていた。
(前掲書p119)


実行犯とされる人たちの実名が公表されたが、なぜか、生きていた。
後から後から、「オレは生きている」と実行犯”とされた人たちが出てくるものだから、FBIなども訂正を余儀なくされている。
まったくアホだ。
みんなを騙したいなら、もっと用意周到にすればいいのに。
これもお笑いの域に達している。

大きなウソのつき方について、先輩がいた。
ヒトラーである。
みんなヒトラーに学んだのか(笑)。

 あのアドルフ・ヒトラーは著書『わが闘争』の中で次のように言っている。
「大きな嘘の中に、常にある真実が宿っている。なぜなら、国民の大多数は常に馬鹿で愚かしいからだ。国民は小さな嘘よりも大きな嘘にだまされやすいものだ。ほとんどの人は途方もなく大きな嘘をつこうなどとは考えない。そして、他人がいやしくも真実をねじ曲げるほど厚かましいとは考えない」
 9.11は、まさに「途方もなく大きな嘘」だったのだ。
(前掲書p207)


みんな騙されたんだね〜。
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2023年06月20日

憲法よりも地位協定が上

こんばんは。

先日、広島でサミットが開催されたが、原爆投下について、アメリカ首脳が反省したことはない。
「原爆投下は、日本が悪かったから」という論理である。
「日本はいい実験場だった」とは、絶対に言わない。
基本的に、アジア人は、白人の国からは、差別されているのだ。

広島平和記念公園の原爆死没者慰霊碑には、次のように書かれているという。

「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」

この「過ちは繰り返しませぬから」は誰が言うべきことなのか、が問題となっていて、以前、右翼がこれを攻撃している。
攻撃した右翼の気持ちがわからないではない。

 2005年7月26日に発生した慰霊碑の破損事件を憶えているだろうか。「過ちは」の部分がハンマーとノミで傷つけられた。広島県警に出頭した右翼団体の構成員とされる27歳の男は動機として、「過ちを犯したのはアメリカで、慰霊碑の文言が気に入らなかった」と語ったという。
 犯人が「右翼の若者」と報じられたため犯行動機に注目は集まらず、ただひたすら碑文の破壊は良くない、ということになった。行為は確かに褒められたことではないが、碑文は東京裁判で日本無罪論を主張したインド人判事パール博士も批判するところだ。彼はこう言った。
「『過ちは再び繰り返しませんから』とあるのは、無論日本人をさしているのは明らかだ。それがどんな過ちであるのか私は疑う。ここに祀ってあるのは原爆犠牲者の霊であり、原爆を落としたのは日本人でないことは明瞭である。落とした者の手は、まだ清められていない。この過ちとはもしも前の戦争を指しているのなら、それも日本の責任ではない。その戦争の種は西洋諸国が問うように侵略のために起こしたものであることも明瞭である」
 なお、広島市は従来から、慰霊碑の「主語は『世界人類』であり、碑文は人類全体に対する警告・戒めである」(1970年、山田節夫元市長)との見解を示している。さてさて、はたしてこれは妥当性があるだろうか。原爆を投下したのが米国であることは間違いなく、無辜の市民を殺害することが国際法違反であることも間違いない。
 現在も日本が米国政府の統治のもとにあるゆえに、「原爆投下の罪」を問うことはタブーなのだ。これもまた、GHQが日本占領政策の一環として行った日本国民に対する再教育のたまものだろう。
(「紙の爆弾」2023年7月号p92)


日本はアメリカの属国であると、今や、みんなが認識していると思う。
その代表的な証拠が、日米合同委員会の存在である。
合同委員会の名前は、「メモる 19」に既出であるが、実際にこのことを書いている本を読んでみた。
吉田敏浩さんの書いた「日米合同委員会の研究」という本だ。
月に2回の割合で開かれる合同委員会は、アメリカ側の要求を日本に伝え、それを実行するものである。

 会合は、日本側が議長役の回は外務省で、アメリカ側代表が議長役の回はニューサンノー米軍センターの在日米軍司令部専用の会議室で開かれています。
(日米合同委員会の研究」p31)


ニューサンノー米軍センターというのは、通称、ニュー山王ホテルと呼ばれ、入り口にはピストルを持った警備員がいる。

日本では銃刀法(銃砲刀剣類所持等取締法)により、銃砲の所持は警察や自衛隊など法令にもとづく職務以外では禁止されています。狩猟・競技などに必要な場合は都道府県公安委員会の許可が必要です。警備員という仕事ではもちろん銃の携帯はできません。とにかく厳しい銃規制が設けてあるのです。
 それなのに、なぜ米軍基地では日本人警備員が銃を携帯できるのでしょう。日本における米軍の法的地位を定めた日米地位協定に何か規定があるのでしょうか。
 いえ、決して地位協定に規定があるわけではありません。ただ、その背後には思いもよらぬ裏の仕組み、日米両政府の秘密の合意が存在しているのです。
(前掲書p17)


つまり、最初から、米軍の下に、日本がある、ということなのである。
この建物は、東京都港区南麻布4丁目にあるそうだ。
行って見るのもいいだろう。
私も、もし東京へ行くことがあったら、眺めてこようと思う。

日本には、一応、日本国憲法という最高法規がある。
これは、アメリカ様が作った憲法だから、独自の理論で、憲法を作り直そうという意見がある。
作り直すよりは、改正で行こう、というのが流行になりつつある。
一方、憲法の上を行くのが、地位協定である。
これも、アメリカ様が作ったもの。
これを体系的に眺めると、次のようになる。

「安保条約―地位協定(旧行政協定)―安保特例法・特別法」
の法的構造を「安保法体系」、
「憲法―一般の法律―命令(政令など)」
の法的構造を「憲法体系」と位置づける憲法学の理論があります。それは「二つの法体系」論といい、提唱したのは、憲法学者で名古屋大学法学部教授だった長谷川正安です。
(前掲書p203)


どちらもアメリカ様が作ったということから、これらの法律が施行された時点で、すでに日本はアメリカの属国を約束されていたと言えるだろう。
今までの経験的事実から、憲法体系よりも安保法体系のほうが、もちろん上であるのは証明されている。

日本に主権はない!
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2023年06月01日

虎狩り名人の三代記

3回目。

「ヤンコフスキー家の人々」という本を、ある議員の秘書からいただいた。
著者は、宮古市在住の遠藤公男さんという方で、「豊かな三陸の海を守る会」の顧問だったかなあ、そういう役職にも就いている。
プレゼントされたからには、読まないと失礼なので読んでみたが、370ページもある分厚い本を、一気に読んでしまった。
ソ連崩壊時の冒険的ノンフィクションで、面白い。

ヤンコフスキー初代が、ウラジオストクの西側にある無人の半島を、牧場などに開発し、成功を納めた。
その三代目が生存しており、遠藤先生はロシアへ行って、本人から取材し、この本を書いた。
ヤンコフスキー3代とも虎狩りの名人で、あとがきに書いてあるように、もともとは沿海州の野生動物のことを本にしようとしていた。
が、話を聞いているうちに、ソ連のレーニン、スターリン時代からソ連崩壊までの政治の犠牲に、ヤンコフスキー家がなったことがわかった。
遠藤先生は、野生動物よりも、無実の人たちがラーゲリと呼ばれる強制収容所で重労働を強いられたり、財産没収されたりと、ひどい話を聞かされ、世界じゅうに散らばったヤンコフスキー家の生き残った人たちを取材して回った。

親日のロシア人であり、初代ヤンコフスキーなどは、子どもたちを日本に留学させている。
マルクスやレーニンの思想を背景に、共産主義がいいのか、自由社会がいいのか、という対立をヤンコフスキー家の中でも議論され、最終的に、共産主義の化けの皮がはがされ、アメリカの自由社会に軍配を上げた。

1962年、ソルジェニーツィンという人が、『イワン・デニーソビッチの1日』という本を出し、ラーゲリの実態を暴露している。

 69年、ソルジェニーツィンは国家の検閲廃止を訴えて作家同盟を除名された。しかし、『イワン・デニーソビッチの1日』は西側に評価されてノーベル文学賞に輝いた。73年、彼は『収容所群島』を西側で出版。ソ連におびただしいラーゲリが存在し、二千万もの人がそこで命を落としたことをさらけだした。世界の読者はあまりのことに信ずることができない。クレムリンはこの作品を否定し、ソルジェニーツィンは国外追放となった。
(「ヤンコフスキー家の人々」p354)


当時、マルクスに思想に憧れた人々は、共産主義を羨ましいと思ったらしい。
が、ソルジェニーツィン同様、それ以前に、アーサー・ケストラーという人が暴露している。

副島
アーサー・ケストラーは、もともとはジャーナリストから出発した人で、21歳でパレスチナへ行ったときに、ドイツの通信社の通信員になり、そこからパリへ行ったり、ベルリンへ行ったりしている。その間にドイツ共産党に入った男です。それからソビエトに行き、そこでソビエト体制の裏側の真実を史上初めて目の当たりにして書いた。ソビエトというのはひどい体制の国だ。西欧知識人たち(ロマン・ロランやアンドレ・ジッド、バーナード・ショー、H・G・ウェルズ)が賞賛しているような地上の楽園、労働者たちの理想の国ではない。たくさんの人が投獄され処刑されている、と書いた初めての人です。『真昼の暗黒』‘Darkness at Noon'という本です。1940年刊です。
(「世界人類を支配する悪魔たちの正体」p35)


しかし、だ。
本当は、決して、自由社会のアメリカがいいのではない。
現在の自由社会は、人間牧場なのだ。
そのことは、みんな理解していると思う。

それから、北朝鮮の親分、金正恩の祖父は、金日成であるが、これは本物ではなかったようだ。
私はこのことを知らなかったので、その記述を載せておく。

 十月十四日、平壌のモランボン公園の広場に数万の市民が集まっていた。数日前から飛行機で「金日成将軍歓迎平壌市民大会に集まれ」というビラがまかれていた。人々は手に手に花を持って公園広場に集まった。正面の舞台は大きな木の箱で、脇に平壌のソ連軍最高司令官チスシャコフらの将官が並び、スピーカーが大音響で紹介した。
「ただいま、白頭山の南面に立てこもり、抗日解放軍に勝利した英雄、金日成将軍が登場します!」
 人々が固唾を飲んで見守ると、舞台の箱から童顔の青年が姿を現した。老将軍を想像していた市民はポカンとした。金日成という若者は三十代半ばで黒い式服の両手を上げた。市民はだれかの音頭でようやく「マンセー!」と叫んで花を頭上に投げた。
 ワレリーは首を傾げた。白頭山の南面はワレリーたちの猟場だった。そこに金日成のアジトなどなかったのだ。金日成は「解放万歳」のメッセージを読み上げ、ソ連軍の将官たちに囲まれてそそくさと車で去って行った。
「金日成はあんな若造じゃないぜ。あれはソ連軍のご都合で替えたんだな」という声があちこちでした。だが、そんなことをいう者はきびしく取り締まられるようになる。金日成というロシア語の達者な若者は、ソ連軍のバックで、反対者を排除して北朝鮮の指導者となってゆく。
(「ヤンコフスキー家の人々」p187)

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2023年05月27日

注射とガチンコ

こんにちは。

今日、大相撲の千秋楽である(明日でした。笑)。
この大相撲、以前から八百長疑惑があったが、私は、鹿砦社から発行された「復刻新版 八百長 〜一刀両断相撲協会〜」という本を読んで、完璧に疑惑ではなかったと認識した。
著者は、他界した元大鳴門親方である。

八百長のことを、相撲用語で、注射という。
八百長しないことを、ガチンコという。

大相撲の八百長は、大鵬時代から行われており、大鵬の優勝記録というのは、八百長によって、積まれたものだ。

 昭和38年秋場所で、4場所休場していた柏戸さん(鏡山親方)が全勝優勝した。この場所は千秋楽で大鵬(大鵬親方)と全勝対決をして、大鵬が負けた一番。石原慎太郎が八百長発言をして告訴に発展した事件だ。
 これが大掛かりな八百長の始まりといわれている。
 それまでは栃若時代も本気で対戦したことがないため、力士の仲間内ではどちらが強いかわからないといわれたりもしていたが、ここ一番という大事な場面での大掛かりな八百長はなかった。
 つまり八百長の全盛期のきっかけを作ったのは柏戸さんであり、確立したのは北の富士だといえる。大鵬の場合、20回の優勝ぐらいまではガチンコだったが、それ以降は注射で決まったものだった。玉の海との一番や、5場所連続休場明けに27回目の優勝を飾った昭和43年秋場所では、初日に栃東(玉ノ井親方)に負けてからは、ずーっと注射に走ったという。これは親方連中の中では有名な話だ。ガチンコを通すか、20回の優勝でやめておけば、現役を引退してからも協会の中で胸を張ってあるけたはずだ。
(「復刻新版 八百長 〜一刀両断相撲協会〜」p23)


千代の富士でさえ、八百長で優勝を重ねた。
つまり、彼に与えられた国民栄誉賞なるものは、無駄なものであった。
オバマ大統領のノーベル平和賞と同じで、国民は騙されたのだ。
注射の中盆(仲介役)の板井ですら、怒っていた。
だから、相撲界の中では、当時、あの国民栄誉賞について、陰口がささやかれていた。

 千代の富士が国民栄誉賞(89年9月29日受賞)を受けたとき、当時の親方連中の反応は実に複雑なものだった。中には、「『あいつは注射で塗り固められた横綱だ』といって、海部さん(千代の富士に国民栄誉賞を贈った首相)に投書をしてやりたいよ・・・・」
 と本気で怒っていた親方もたくさんいた。
(前掲書p105)


もしかしたら、このことをイチローは知っていて、安倍首相の栄誉賞受賞の提案を蹴ったのかもしれない。
受賞しない理由は、これか、安倍首相を嫌いだったか、のどちらかだろう。

千代の富士というのは、性格が悪い。
私は、大嫌いになった(笑)。

 以前注射を断った寺尾を後ろ向きで土俵中央に叩き付けたのをはじめ、自分に逆らった力士にはめっぼう強いのが千代の富士だ。
「俺に逆らったらどうなるかを見せてやる」といわんばかりに、手荒い取り口でねじ伏せる。
(前掲書p114)


千代の富士の親方であった北の富士は、注射で横綱になり、しかも、弱い関取であったようだ。
次の引用は、後述する橋本氏の証言である。

 ところが、優勝したからというので、次の場所で動かなかったところ(注射をしないということ)、5勝10敗と大負けしてしまいました。これが実力なんですよ。次も7勝8敗で負け越し、当時の3場所連続で負け越しで大関陥落のかかった次の場所は、かなり注射に走って10勝5敗でなんとか切り抜けたのですが、この費用も私が都合をつけたんです。
(前掲書p26)


北の富士の横綱昇進に尽力した人たちが、元力士の栃王山、四季の花、龍虎、陸奥嵐と、橋本成一郎氏、そして、著者の元大鳴門親方(高鉄山)。
特に、橋本氏と元大鳴門親方が、非常に貢献した。
橋本氏は、北の富士の「名古屋後援会副会長で相撲界の闇将軍」(p10)と言われていた。
その橋本氏と北の富士が決裂したのは、北の富士による八百長の裏切りである。
せっかく、北の富士の優勝を注射で仕組んだのに、彼は琴櫻に230万円で優勝を売った。

それでは、この本に書かれている注射力士を羅列するが、どうやら、ほとんどやっていたらしい。

玉の海、北の富士、若島津、二代目若乃花、豊山、清國、富士錦、琴櫻、旭國、大麒麟、舞の海、佐田ノ海、琴富士、麒麟児、逆鉾、寺尾、前乃山、五代目朝潮、琴風、舛田山、旭富士(千代の富士からなんと2000万円で優勝を買った)、高見山、多賀竜、小城錦、三重ノ海、北瀬海、霧島、春日富士、大翔鳳、琴稲妻、朝乃翔、維新力、朝の若、旭道山、水戸泉、琴ノ若、三杉里、湊富士、智ノ花、栃桜、朝嵐、北勝鬨、琴別府、剣晃、時津洋、豊ノ海、鬼雷砲、琴ヶ梅

千代の富士の影響は非常に大きく、彼のせいで注射力士になった力士たちもいる。
小錦は強かったが、千代の富士にそそのかされて、注射をするようになってから稽古しなくなり、ただのデブになった。
北勝海は注射嫌いだったが、番付が上がるにしたがって、千代の富士の仲間になり、結局、注射力士に成り下がった。
それが、現理事長である。
アホらし!

そして、もともと強かったが、染まって注射をやるような力士も羅列しておく。
輪島に関しては、面白い逸話がたくさん書いてあった。
いわば、変人である。

千代の富士、輪島、隆の里(関脇まではガチンコ。実力は千代の富士と同格)、板井(実は非常に強かったらしい)、北の湖(強すぎたため、ほとんど星を売るほう)、北天祐(注射に染まる前は、千代の富士と互角)、武蔵丸(注射を受けるのは小錦や曙だけ)、魁皇(受けるのは曙などの一部だけ)、曙(外国人同士のみの注射)

今度は、ガチンコ力士。

鷲羽山、義ノ花、大受、大潮、富士櫻、大乃国、安芸乃島、栃乃和歌、花乃湖、大錦、両国、久島海、小城ノ花、玉春日、若翔洋、貴闘力、武双山、土佐ノ海

ガチンコで勝ち続けるというのは、非常に大変だ。
強い北の湖でさえ、そう言っている。

「大横綱の北の湖が酒の席でいっていたのですが、15日全勝というのは注射が2〜3本絡まないと無理。15日間、緊張を維持するのは簡単なことではないとハッキリいっていましたね。ガチンコの11勝は14勝の値打ちがあるともいってました」
(前掲書p211)


その点、貴乃花が「横綱は受けて立つのだ」と主張するのは、伊達ではない。

 はっきりいって、注射が存在しなければ横綱や大関は簡単には生まれない。ガチンコで横綱になった貴乃花や大乃国(芝田山親方)は神業に近いというのが、親方衆の一致した評価だ。
(前掲書p210)


大乃国に関しては、「十両時代に(注射を)バンバンやっていたのに、入幕と同時にいい子になってしまった」(p116)ようで、それが、注射力士たちの逆鱗に触れ、かなりいじめられた。
その筆頭は、もちろん、千代の富士である。
大乃国は、板井にも、相当リンチされたようだ。

この本は、週刊ポスト誌で連載されたいたものを、編集、加筆したもので、製本の最中に、元大鳴門親方は他界した。
驚くことに、証言で告発の協力をした橋本成一郎氏も、同じ日に、同じ病院で、同じ病名で亡くなっている。
不可解な死である。

北の富士、千代の富士というラインで、この時代に旺盛になった八百長は、この二人が全部知っていた。
板井は、元大鳴門親方の弟子であり、自分の責任を常に痛感している記述は随所に出てくる。
その板井は、2000年になってから、八百長告発し始めた。
週刊ポストの連載は、1996年から始まり、実はこの時、板井にも、協力を要請したという。

現在の大相撲では、大関がすぐに負け、不甲斐ないとさえ言われる。
これは、ガチンコの証明ではないだろうか。
少なくとも、貴乃花の弟子である貴景勝は、ガチンコである。
全力なので、勝敗もすぐにつくし、怪我も多い。
あれでは、長くもたないのではないか、と私はいつも思う。
その親方の貴乃花が、強烈なガチンコで、きっと相撲協会で力を持とうとしたのだろう。
結局は、追い出されたように感じる。
貴乃花は、白鵬をものすごく批判していた。
これには、おそらく、ガチンコを貫き通した本人の美学でもあるのだろう。


本日、照ノ富士と霧馬山の対戦である。
両名とも注射すると仮定するなら、霧馬山が負けても、彼は大関にはなるだろうから、きっと照ノ富士に譲るだろう。
引退前提で、照ノ富士に花道を譲る。
そして、次の横綱は、霧馬山に内定ではないだろうか。
注射とは、そんな借り貸しや戦略の部分がかなりある。
さて、どうなるか。

なぜ、元大鳴門親方は、八百長告発に踏み切ったか、というと、大相撲ファンに対する裏切りを嫌になったからであり、そこには、良心がある(隠蔽に情熱を燃やす公務員に、良心はあるのか?、といつも書く。笑)。
彼は、カネに汚くなかった。

 私は金を1円も貰わなかった。しかし、金を受け取った人たちが声を大にして八百長を撲滅しようというとは、聞いて呆れる。土台無理な話ではないか。
(前掲書p30)


そして、元大鳴門親方は、横綱にしてやった北の富士を、本当に弱かったと断罪している。

 私は橋本さんに「転べ」といわれて、北の富士にはタダで転び続けてきた。若衆の盃を交わしているからだ。本気でやったのは一度だけ。
 昭和43年名古屋(7月)場所。7日目に対戦したとき。前日名古屋の飲み屋で深夜まで盃をあげていた。北の富士が酔っ払って、
「明日は本気でやろうか・・・・」
 といい出して、ガチンコでとってみたところ簡単に突き落としで勝ってしまった。なんと弱い大関だと思った。その弱い北の富士が10回優勝している。いや、させてもらってきたわけで、やはり偶像の横綱なのだ。
(前掲書p28)


北の富士は、NHKの解説やスポーツ紙のコラムなどを書いているが、彼にそんな資格はない
舞の海に至っても、NHKに出て、いろいろ力士に文句を言える立場でもない。
非常にがっかりさせられたが、今は、相撲を観ながら、「あれは八百長だ」と叫びながら、酒を飲んでいる(笑)。
そして、貴乃花は、偉大な横綱だったのだ、と思うようになった。
この本を読んで、相撲を観るのも面白いと思う。

大相撲ファンは、鹿砦社の「復刻新版 八百長 〜一刀両断相撲協会〜」必見である。
posted by T.Sasaki at 13:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする