日本の漁業が崩壊する本当の理由 片野歩

世界中で魚類資源が増えているのに、日本だけが減っている。
この現実を、恥ずかしいと思うべきである。

日本の漁業が崩壊する本当の理由.jpg

すべての漁協組合長、理事、参事、そして、任意の漁業団体の会長以下すべての役員たちは、この本を読むべきだ。
読みたくないならば、「日本の漁師は大バカものだ」を参照すること。
これを認識できないならば、役職に就く資格はない!

2021年05月28日

普通の人間として必要なもの

こんにちは。

もうすでに、過去の話ではあるが、こんな事件が日本で起こったことは無視できない。
旭川事件である。
今年2月、中学2年生の女子生徒が行方不明になり、その1か月以上たった3月に、融けてきた積雪の中から発見された。
背景には、ひどいいじめがあったというもの。
いじめを受け転校はしたが、その後も精神的苦痛を引きずり、彼女は立ち直れなかった。
記事を読んでいて、涙が出てきた。
X中学校、Y中学校などが出てくるが、Y中学校がいじめの現場であり、転校後の学校がX中学校である。
葬儀の際、Y中学校の教員、関係者は、一人も出席しなかったという。
叩かれても叩かれても、出席するのが当たり前だろうに。

https://bunshun.jp/articles/-/44765(「文春オンライン」)

関わった教員(校長、教頭も含め)に、良識がない、というのが、最大の原因だと思う。
事後の検証の場においても、逃げる、隠す、といったことしかやらない。
とても、「先生」と呼べるような集団ではない。
文書やマニュアルのみを読み、それに従うことしか頭にない。
その文書やマニュアルに、何の疑問も持たない。
保身のことしか、考えることをしない。

最近、テレビで再登場した「ドラゴン桜」の阿部寛は、第何話かで、勉強の意義を語った(こういうドラマは、きっと日テレやフジではやらない)。
「バカな人間ほど、権力側の人間にとって、いいように扱うのが簡単だ」
「騙されないためにも勉強して、東大へ入れ!」
「東大は、物事がなぜそうなるのか、とか、そういうことを考える人間を要求している」
台詞おこしをしたわけではないので正確ではないが、こういう意味合いの言葉を言っている。

しかし、東大だけが、そういう要求をしているのではない。
権力に騙されないために、生き残るために、すでに、私たちは要求されているのである。
ところが、教員をはじめとする公務員は、この要求に鈍感である。
普通の思考ができない。


私は、東日本大震災の被災者であり、裁判にもなった石巻市大川小学校で起きた惨事に関し、「しかたがない」という立場であったが、「紙の爆弾」の記事を読んで、旭川事件と共通するものがある、と思わずにはいられない。

これは、野田正彰さんの書いた記事である(「紙の爆弾」5月号p78「大川小学校の検証を拒むもの」)。
要約すれば、大川小学校で生き残った遠藤先生という方の行動歴と市教育委員会での「聞き取り」調査が食い違っており、なぜ、これを隠すのか、という内容である。
この隠蔽には、河北新報も関わっている。
連載原稿を依頼されたのに、この件の原稿を送ったら、掲載を拒否された。

遠藤先生は、震災時、教頭に対し、「山に逃げますか」と暗に提案するが、教頭は回答しなかった。
これが不幸の原因である。
同じ石巻市にあった相川小学校では、裏山の神社に避難したが、大きな津波を見て、さらに、どんどん山を登り、ほぼ全員助かっている。
普通に考えれば、高い方へ高い方へ逃げる。
大川小学校の遠藤先生以外の教員たちには、そういう思考ができなかった。
このような普通の思考ができない人が、親分になると、大きな不幸が起こる。
さらに「あれが失敗だった」と認めない人がいて、その検証を拒んでいることもまた、ひどい話なのだ。

これで思い出したことがある。
いさだ漁業許可失効に関することである(「いさだ漁業許可の『失効に係る許可』、その後」参照。今は、県のほうも面倒くさくなったのか、失効した許可は、一切出さないことになった)。
あの時、県庁まで行って課長に詰め寄ったが、文書のみを見て、漁業者を見ていないことがわかった(たぶん、あの課長だけだと、良く解釈しておく)。
話にならない。
県民の窮状より、文書のほうが大事なのである。
上記事件を読んでいると、ああいう人が、たぶん、世の公務員にはたくさんいるんだろうなあ、と思わずにいられない。

文書の前に、自分の頭で良し悪しを考えれば、簡単にわかることなのだ。
普通に考え、普通に判断し、普通に行動する。



みんな、東大を目指せ!
(つまり、権力者や公務員たちに操られないように勉強しろ!ということ)
posted by T.Sasaki at 10:27| Comment(0) | 若い人への提言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月11日

老眼になる前に仕事をたくさんやるべし

暇なので3度目。

年をとると、仕事がはかどらない、と書いたが、大きな理由として、老眼である。
とにかく、老眼だとひどい。
私の場合、近視だから、普段からメガネをかけているのだが、老眼になってくれば、近視が元に戻る、というわけではない。
近くにピントを合わせるためには、メガネをはずさなければならない。
いろんな契約書の裏書には、極端に小さな字が書いてあるが、あれになると、老眼鏡が必要になる。

我ながら、困った目の持ち主である。

例えば、集魚灯設備などの電線圧着作業でさえ、メガネをずらしたりかけたりの繰り返しだから、時間が普通よりもかかってしまう。
イライラしてしまうから、仕事の予定時間を2倍にすることにしている。
イライラは、ミスの元。

予定時間を2倍にする、ということは、・・・。
年寄りの仕事というのは、そんなものだろう。

したがって、老眼になる前の若い時分、だいたい、50歳になる前に、仕事をたくさんしておくべきである。
細かい仕事は、特に重要である。



ここからは、オマケである。
ちょっと前に、技能講習の教官がブルーベリーで視力を落とさない、ということを書いたが、これは、どうやら効果がないらしい。
その教官は、もう一つ、目をマッサージしている、とも言っていた。
そっちのほうは、効果が若干あるらしい。

目の疲労は、毛様体筋の疲労である。
これについて、引用する。

 なぜ我々現代人は、疲れ目に悩まされるのでしょうか。それは人間を始め、動物の目は近距離を長時間見続けるようにできていないからです。遠くを見ている状態が標準になっている方が、生存に有利なように進化してきたからなんですね。
 人間の目は遠くを見ている時に毛様体筋が緩み、水晶体が薄くて目がもっとも楽な状態でピントが合うようになっています。一方、手元や近距離にあるPCのディスプレイなどを見ている間は毛様体筋が収縮し、水晶体を膨らませてピントを調節。近くをじっと長時間見ていると、毛様体筋はずっと緊張しているために筋肉疲労を起こし、これが目の疲労となって現れるわけです。ゆえに、「目が悪くなるからテレビは離れて見ましょう」というお母さんの教えは、生物の進化的にはもちろん、医学的にも正しいのです。
 毛様体筋が緊張するのは、約3m以内のものを見る時なので、3m以上離れてPCのディスプレイやテレビを見るのが最も簡単な解決方法となります。まあ、日本の住宅事情を考えると難しいでしょうけど・・・。
 人間が近くを見ても疲れないように進化するには、まだ何万年も必要です。なので、現代人向けの疲れ目に効くとされるアイテムが多数販売され、そして多くの健康法が紹介されています。ただ、残念ながら、そのほとんどがインチキです。
(2018年6月号「ラジオライフ」p74)


この特集記事では、視力回復トレーニングについても検証している。
視力回復トレーニングは、外眼筋を鍛えるものであり、毛様体筋を鍛えるものではない。
網膜剥離の危険性を指摘する医師もいるそうだ。
スマホの、その類のアプリは、危ないかもしれない。

ブルーベリーのデマについては、下記のリンクを参照。

https://mitok.info/?p=98814(「mitok」)
posted by T.Sasaki at 16:08| Comment(0) | 若い人への提言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月13日

技能資格は若いうちに

さらに、再び。

今回の技能講習会は、宮古でも来月行われる予定である。
私は、すでに日本海へ行く準備がほぼできており、来月初めには、回航するつもりでいる。
したがって、4月に行われる釜石での講習会に応募した。
20名の参加で、一番遠いのは私であり、2番目に高齢であった。
最高齢は73歳であり、ほかは、20代から30代の若者。
実技講習となると、成長の差は歴然とし、若い人たちは飲み込みが早い。
基本は安全第一なのであるが、やはり、それを仕事とするからには、速く作業しなくてはならない。
一人、とんでもなく速い人がいて、正確。
常に百点満点に近い。
大槌の人であり、技能やほかのこともいろいろと教えてもらった。
社会のことにもいろいろと関心があり、仕事の失敗談も話すくらいの人であったから、人間的にも、よく見えた。

何となくではあるが、私は、非常に恵まれたと思っている。
同じグループの若い人たちも、普通によくしてくれたし、指導教官たちも温厚な人たちであった。
特に、私たちのグループを受け持った指導教官は、いろいろと教えてくれた。

彼は72歳であるが、何と!老眼ではないのだそうだ!
現在でも、1.5の視力を持ち、裸眼で新聞も読める。
「何を食べたらそうなるんですか?」と聞いたが、特別なのは食べていないそうだ。
朝食がパンだから、それにブルーベリージャムをつけていて、「もしかしたら、それかも」と答えていた。
私は、メガネを掛けているが、老眼の進行が著しく、新聞や本は、メガネをはずさないと見えない。
老眼にならないためには、ブルベリーを食べるのがいいかもしれない。

この通り老眼のせいで、学科講習では、ひどい目に遭った。
黒板に書かれるのは、メガネを掛けなければならないし、教科書を見るときは、メガネを外す。
非常に忙しい。
面倒なので、頭にメガネを載せたままにし、それを忘れて、メガネを一生懸命探したりした(家でもよくある。父などは、「お前、大丈夫か?」とバカにする。自分の顔の上にあるのだから、そう言われてもしかたがない)。
独学で取れる資格なら、本だけでよいが、そうでない資格は、若いうちに取るべきだ。
技能講習を受けないと取れない資格は、たくさんある。
そのように法律で決められている。
特に、職業訓練校でやるような技能講習は、そういうものらしい。

温厚な指導教官は、訓練校に「3ヶ月コース」というのがあるのを教えてくれた。
もちろん、私にはそんな時間はないから、無理であるが、「3ヶ月コース」だと、パソコンから建設機械に至るまでの主な技能資格を取れるそうだ。
失業保険金を給付されている人には、最高のコースであり、補助も出るらしい。

本当に、若いうちに取れる資格は取ったほうがいい。
年を取ると、技能の呑み込みが悪くて面白くない。
高齢になればなるほど、成績は、年の順番である。
学科では、本の内容も面白くないから、独学などする気にもなれない。
先生の話を必至に聞くのみである(ただし、ほぼ先生の話で合格点はとれる)。
posted by T.Sasaki at 21:44| Comment(0) | 若い人への提言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月10日

高校時代の私(ドラゴン桜の続き)

再び。

小学、中学と、私は、いくらか勉強ができた。
同級生たちは、たぶん否定しない。
家で勉強したことはなく、宿題もほぼ授業の終わりに全部やった。

私は非常に純粋だったから、工業高校に入って、いろいろな発明をして、社会の役に立ちたい、と思っていた。
だから、志望校は宮古工業高校だった。
しかし、親が許さなかった。

親の希望は宮古高校であり、市内随一の進学校。
工業高校に入るくらいだったら、さらに上の大学を目指し、そこで、工学系の学科へ入るのが筋である。
私は、考えが幼稚だったのである。
しかし、親の考えは、そうではなく、ただ単に、見栄だったのではないか、と私は疑っている。

宮古高校に入学した私は、ヨット部に入ったが、当時の3年生がちょっと暗い雰囲気であったのがあまりいい気がしなかった。
それは、活躍した同級生の女子も言っていたことでもある。
そんなこともあり、辞めようと先生に相談しに行ったら、先生が引きとめてくれた。

その後、3年生が引退した夏季合宿が転機となる。
先輩である2年生が、解放的な人たちであり(男2人しかいなかった。常に女子と一緒に練習するから、本当に先輩は2人しかいなかった)、1年生の話もよく聞いてくれた。
その頃から、ヨットは面白いと思った。
実際に、のめり込んでしまうほど面白い(かな?)

熱中しすぎて、あまりにも学業の成績が悪かった。
後から聞いたのだが、入学時、私は360人中50番で入ったらしい。
1年生の期末で、150番。
これには親もカンカンで、「2年の最初の校内実力テストで、50番以内に入らないと、ヨット部をやめさせる」という約束が、先生とかわされた。
ヨットを続けたい私は、真面目に勉強し、何とか30番くらいになった。
先生からは、「やればできるんじゃないか。よかったな、ヨットを辞めなくて」と褒められたが、談判された先生のほうが、安心したと思う。
私より。
それからは、成績があまり下がらないように、テキトーに勉強し、3年生までヨットを続けた。

インターハイが終わったら、思う存分勉強しよう、と思っていたが、そうはうまくいかない。
ドラゴン桜」で書いたように、「学ぶ面白さより、金儲けのために押し売りされた面白さへと、傾倒する」のである。
友だちと街をブラブラしたり、つまらないことに興味をもって遊んで歩いたり。
尻に火がついたのは、11月に入ってから。
ある試験で、得意科目である数学が、まるっきりダメだったから。
得意科目がダメなら、ほかの科目はもっとダメに決まっている。
そこで意を決して、「共通一次試験までは、絶対にテレビを見ない」。

本当に年末年始もテレビを見ずに受験勉強した。
共通一次試験(今のセンター試験)はマークシート方式であり、得意の数学で、マークする問題の欄を一つ間違えて書いてしまい、その下は、つまり全部ずれた。
終わる直前に気がついて、全部書き直し、それがちゃんと機械で認識されたかどうか不安だった。
書き直した部分は正解だったので、不安は、それのみ。
国語と英語は、まるっきりダメであったが、そのハンデを覆すだけの理系科目と社会でかなり点数を稼いだので、入学した学科の成績は、2番だったらしい。

今思うのだが、「ドラゴン桜」流に勉強に熱中すれば、岩手大学よりは、もう少しマシな大学に入れたと思う。
でも、たぶん、入ってからが問題だったと思うから、やっぱり、これで良かったのだろう。
斉藤徳美先生や研究室の仲間とも出会えたことだし。

「あの時、こうしていれば・・・」という場合の数は、たくさん考えられるが、「ドラゴン桜」を読むと、その場合の数は、無限になる。
遊ぶのは、大人になってからでいい。
子どもの時分より、大人になってからのほうが、遊びのレパートリーも広がる。
したがって、子ども時代の遊びなど時間の無駄であり、勉強して、東大を目指すべきである。
「ドラゴン桜」に、「東大に入ってから遊べ」とは書いてないが、東大に入らないよりは、東大に入ったほうが、いろいろな可能性は広がる、ということは書いてある。

つまり、勉強しないよりは、勉強したほうが、人生の選択肢や未来への可能性は広がる、ということだ。
posted by T.Sasaki at 20:39| Comment(0) | 若い人への提言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ドラゴン桜

こんばんは。

「最近のコメント」で、私の学歴コンプレックスを指摘されたことに関連して、「ドラゴン桜」に話題を振ることにする。

マンガ「ドラゴン桜」は、私の青春時代にはなかった。
2003年から連載が始まっているから、それは、私がとんでもなく忙しい時期であり、知らない。
しかし、私の同世代か、それより下の世代が、何らかの形で、「ドラゴン桜」を読み、高校生の子どもを持つ頃にあたる。
私が「ドラゴン桜」を知ったきっかけは、ラジオだったか、テレビだったか忘れたが、「ドラゴン桜を読んで、子どもを東大に入れた」という話を聞いたから。

今年、八戸で、台風休みで暇だったから、マンガ喫茶だったか、そんな店で、念願の「ドラゴン桜」を少し読んだ。
なるほど、面白かった。

熱い!

私の甥っ子や姪っ子に読ませるために、つい、全巻、買ってしまった(笑)。
そして、今、少しずつ、私も読んでいる。
21巻もあるから、普通の読書より疲れるような気がして、1日1巻と決めている。
若い時は、マンガなど一気に読破したが、今は、疲れて途中で読む気が失せる。
なぜか、マンガを読むのは、疲れるのである。

このマンガは、いろいろなものが詰まっている。
学歴社会のトップに君臨する人間への嫌味を、読み方によっては感じるだろう。
私のいう嫌味と同じようなものだから、面白いと、私は思うのかもしれない。

小学校のうちは、ほぼ人間の気持ちは純粋だと思う。
それが、中学になって、いろいろなことに感化され、より面白いと思うものへと感情が流される。
例えば、ゲームやスマホ。
勉強どころではない。
学ぶ面白さより、金儲けのために押し売りされた面白さへと、傾倒する。
ここが、子どもやその親たちの試練である。
誰もが、ここで、学歴社会の分岐点に立つのである。

ドラゴン桜は、そこを暗に指摘している。
posted by T.Sasaki at 19:35| Comment(0) | 若い人への提言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする