日本の漁業が崩壊する本当の理由 片野歩

世界中で魚類資源が増えているのに、日本だけが減っている。
この現実を、恥ずかしいと思うべきである。

日本の漁業が崩壊する本当の理由.jpg

すべての漁協組合長、理事、参事、そして、任意の漁業団体の会長以下すべての役員たちは、この本を読むべきだ。
読みたくないならば、「日本の漁師は大バカものだ」を参照すること。
これを認識できないならば、役職に就く資格はない!

2022年12月30日

鮭延縄の終焉

こんばんは。

ついに、やりました。
今季の鮭の漁獲、ゼロ。
今朝で2回目の延縄操業も、むなしいだけ。
先代からやってきた漁船漁業で、初めて、年越しの神棚に鮭があがらない。

一時代終わったんだなあ、と感じる。


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2020年01月28日

鮭激減の原因

こんばんは。

この時化休みの前に、新年会が立て続けにあり、漁よりも忙しい感じがした。
その前に、自民党の鈴木俊一宮古事務所に行ってきて、いろいろと話をしたり聞いたりしてきた(目的は、2そう曳きトロールの乱獲をやめさせること)。
すでに、秘書の方には、ブログ冒頭にある本を紹介し、逆に、本もいただいてきた。
いただいたのは、「異常気象の正体」という本であるが、D-Oサイクルやハインリッヒイベントのことが書かれているようであるから、およそ、異常気象の正体がそれであるのかな、と思うが、まだ読んでいない(出版が2006年であるから、ちょっと古い。あとで読もう。D-Oサイクルやハインリッヒイベントは、「地球46億年 気候大変動」という本で知った。「気候変動は、二酸化炭素よ」参照)。

最初に秘書の方に会ったとき、私が「魚が獲れない、ということは、日本を売っていることと同じなんですよ」と言ったとき、彼は、とんちんかんな回答をしたので、ブログ冒頭の本をプレゼントした。
その後、事務の方がそれを読み、納得したのか、何と、秘書の方も、本を買ったそうだ。
そのため、プレゼントした本は戻ってきてしまい、今度はそれを、宮古漁協へ行って、参事にプレゼントしようとしたら、そこでも驚き!
宮古漁協の本棚には、あったのだ!
もう言うことなし。
残った本は、誰にあげようか。

鈴木事務所に戻る。
そこで、閉伊川漁協の理事さんと会う機会を設けていただき、話を聞いた。
彼の話では、鮭の稚魚は、非常に泥に弱く、数年前の閉伊川の内水氾濫が起こった大雨の時、ほとんどの鮭の稚魚は、エラに泥が入って死んでしまったそうだ。
これは、閉伊川鮭ふ化場の話である(宮古には、閉伊川と津軽石川にふ化場がある)。
特に稚魚は、エラに泥を食らうと、呼吸が苦しくなるのではないか、と。
彼の主張は、閉伊川などの河川工事や津波復興の護岸工事など、コンクリート工事が終わるまでは、三陸の魚は増えない、というものである。

副産物も聞いてきた。
国の事業と県の事業とでは、環境に対する配慮がまったく違うそうだ。
県の土木事業は、環境対策としては、最低だ、と断言していた。
土木といえば、自民党。
私は、そこで、「自民党さん、大丈夫ですか」と聞いてみると、「これは県がやったのであって、自民党は関わっていませんよ」と事務の方は回答した。
あの悪名名高い閉伊川水門工事も、自民党というより、県が強行したものだそうだ。
これらは、すべて、鈴木宮古事務所での話である。

コーヒーをいただき、お茶をいただき、お菓子をいただいて恐縮だが、「魚を増やそうという政策を行うなら、自民党に票を入れますよ。そうでなければ、入れません」と、私しては、やんわり言ってきた。

ここで、また水産新聞の登場である。
整理していたら、次のような記事を見つけた。

 「トドなどの食害はよく聞くが、秋サケの稚魚をブリが食べていたとは・・・」と驚くのは、オホーツクの漁業資材関係者。来遊資源の低迷が続く折、3〜4年前の春先、遊魚で釣られたブリの胃袋に大量の稚魚が入っていた話に注目する。
 同じオホーツクの他地域でも漁業者や加工業者から「放流直後の稚魚が餌になっている」と指摘する声が上がる。その量は不明だが、ここ数年、ブリの来遊が北海道沿岸で増加傾向。漁業関係者の不安感が強まっている。
 試験研究機関では資源の豊度は稚魚が降海し、沿岸生活を経てオホーツク海に至るまでの初期生活期にほぼ決定するとし、減耗要因の一つに捕食圧を挙げている。「慢性的に餌となっていれば稚魚の生残に影響が及ぶ。試験研究機関の調査など、然るべき対応が必要では」という声も出ている。
(2019年11月18日付「水産新聞」)


このあと、その数日後に「豊かな三陸の海を守る会」の新年会に出席したら、横田共同代表が、鯨の話をした。
ミンククジラが、鮭の稚魚を大量に食べているのだそうだ。
ミンククジラといえば、ヒゲクジラ類であるが、てっきりヒゲクジラ類は、オキアミだけを食べていると思ったら、そうではないようである。
ミンククジラ資源は、現在、北西大西洋に25000頭いるとされている。
これが多いのか少ないのかわからないが、このうち、25分の1の1000頭が北海道から岩手近海にいると仮定すると、ちょっとぞっとする話である。
事実、何頭か、岩手沿岸の定置網に入っているから、近海にミンククジラは確実にいる。

水温上昇が鮭の来遊数に影響を与えているという研究発表や報道があるが、少し違うのではないか。
これほどの激減、すなわち、岩手県全県でおよそ8割減というのは、異常である。
太平洋より、ずっと高い水温の日本海、それも山形以南では、そんな落ち込みではない。

http://salmon.fra.affrc.go.jp/zousyoku/salmon/salmon.html(「北海道区水産研究所」)

サケ道県別来遊数の表の総来遊数で比較すると、岩手は前年比21%だが、山形は91%、新潟は87%なのである。
だから、水温以外に、もっと深刻な原因があるのではないか。

ブリやミンククジラの捕食や、その他の知られていない魚の捕食。
鮭の稚魚の放流が、海の温暖化についていけていない。
これを克服できなければ、鮭の増殖事業は破綻する。
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2019年03月24日

理解しにくい鮭漁業の制度

こんばんは。

先日、漁民組合の組合員と少し話をした。
話をしたら、もちろん、鮭の話も出る。
まだ裁判をやっていて、近いうちに判決が出る予定のようだ。

漁業法は、慣習法である。
だから、「今さら、鮭を獲らせろ、というのには、無理があるんですよ」と言っても、なかなか理解してくれないけれど、彼らの言い分にも一理ある。

岩手県で鮭を獲ることのできる漁法は、河川捕獲、定置網漁業、そして、個人で獲るための鮭延縄漁業。
この3つである。
私は、定置網漁業というのは、岩手の場合、今や、ほとんど各漁協で営んでいるものと思っていた。
重茂、宮古、田老、小本浜の各漁協は、すべて、漁協経営であるが、ほかは違うらしい。
個人で営んでいる定置網もあるそうだ。
山田から南にあるという。
しかも、三陸やまだ漁協の場合、組合長が自分の定置網で、鮭を獲っているそうだ。
私には、その神経が理解できない。

昔々から、定置網漁業を営んでいること自体に、異論をはさむつもりはない。
それは、慣習法に従う行為だからである。
しかし、漁民組合の言うように、税金を使って増殖事業をやっているのを、個人の定置網で獲っていいのか、という疑問にぶち当たる。
同じ定置網でも、漁協でやる場合、その収益は、何らかの形で組合員に還元されている。
これは、本当のことだ。
しかし、個人の定置網で獲った場合の収益は、どこへ行くのだろう。
関係地区の漁民に、いくらかでも還元されているのだろうか。
もし、全く還元されていない、というのなら、漁民組合の主張を聞かないわけにはいかないだろう。
個人で獲るなら、定置網ではなく、延縄で獲れ、と言われてもしかたがないように思う。

一方、ずっと昔から、定置漁業権を更新してきた人にすれば、人工ふ化放流事業は、勝手に周りがやったものだから、そう言われる筋合いはない、と言うかもしれない。
このあたりを、どう考えていいのか。

漁民組合の鮭に対する不満は、沖合底曳網漁業にも言える。
かけまわしのトロールでは、鮭をそれほど獲ることはできないようだが、2そう曳きはたくさん獲る。
昨年は大漁だった。
何万尾か獲ったといわれる。
私は、その数字を知りたい。

本来獲ることのできない漁法で、この混獲を認めている国や県に対し、漁民組合が不信感を持つのは、自然のことではないか、と思うのである。
このあたりを考えると、大元の法律や制度のほうに、問題があるのではないか。
posted by T.Sasaki at 21:42| Comment(0) | さけ漁業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月06日

鮭を獲らせろ、の裁判について

こんばんは。

先日、「鮭を刺網で獲らせろ!」裁判があり、訴えた側は負けて控訴したようだ。

https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201803/20180324_33045.html
https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201804/20180406_33022.html(「河北新報オンラインニュース」)
(今朝の岩手日報にも記事があったが、Web版にはない)

私は、「海はだれのものか」を読んでからというもの、漁民組合側は負けると思った。
「漁を解禁すると多くの漁業者が参入し、漁獲量の調整が困難になる」という裁判長の判断は正しい。
漁業法で定められている権利が、慣習に基づいているのは、漁業調整が困難になるからである。
誰もが、“平等に”鮭を獲る権利があるのなら、誰がどうやってその資源分配や漁法の設定などをやるのか、非常に難しくなる。
まき網漁業だって、「苦しいから」獲りたい、といい始めるかもしれない。
誰だって苦しくなれば、そういう。
どうやって収拾をつけるのか、逆に質問されたら、漁民組合側は、何と答えるのだろう。
海の利用で、“平等”を盾に権利を主張するには、非常に無理があるから、漁業法では、慣習を大事にするのである。

すでに、小型船漁業では、延縄という漁法で数十年も鮭を獲っているから、これは権利となっている。
許可漁業といえども、それは広義の漁業権である。
もし、10月16日以降に、延縄漁業と刺網漁業が平行して操業することになる場合、刺網漁業者は、少なくとも、実績のあるすべての延縄漁業者からの同意をとる必要がある。
彼らは、脅すことがあっても、延縄漁業者から“了解”をとる努力をしたことがないのではないか。
もちろん、河川捕獲の事業者からも、すべての同意が必要であることは言うまでもない。
10月16日以前の刺網なら、さけ延縄漁業には影響ないから、あとは、河川捕獲の事業者との同意のみである。

しかし、である。
どこにでも昔はいたと思うのだが、鮭の刺網の密漁をやっていた人の話を聞くと、「そんなに甘くない」と言う。
定置網が大漁になるような時期でなければ、刺網にも、たくさんはかからないそうだ。
10月16日以前の許可なら、意味があるのかどうか、という話である。
商売にならないような刺網なら、ただの資源減少の道具でしかない。

岩手日報紙では、「サケの乱」という特集記事を掲載している。

https://www.iwate-np.co.jp/page/sake(「岩手日報」)

第4部「4億匹を問う」というシリーズでは、現在のふ化放流事業のあり方を論じていて、ただ単に、この事業をやっていればいい、というものではないことがわかる。
この舵とりは非常に難しいと思う。

第4部の「がんじがらめ」という記事に、補助金支出で増殖事業を行っているのだから、「鮭を刺網で獲らせろ!」という裁判をやっていることが書かれてある。

https://www.iwate-np.co.jp/page/sake/page-6188(「岩手日報」)

それならば、ふ化放流事業(増殖事業という言葉を使われているが、実際には単なるふ化放流の継続事業にすぎない)に税金を一切使うな、と訴えるべきである。
記事にあるとおり、現在、この事業は曲がりかどに来ている。
もし、本当に税負担と社会的影響を考えてのことならば、そうするべきである。
簡単なことだ。
補助金がなくなったなら、各漁協でふ化場の運営経費と鮭の漁獲収入とを考え、撤退する漁協も出てくるだろう。
このほうが、スッキリしてわかりやすい。

漁民組合の主張で、青森県や宮城県では、鮭を刺網で獲っている、とはいうが、聞いてみると、青森県では、共同漁業権海域のみで、沖合では禁止。
宮城県でも、10トン未満のみの許可であり、近年の不漁で、商売になっているのかどうかわからない状態らしい。
何度も書くが、商売にならないのなら、刺網は、ただの資源減少の道具でしかない。

漁業権について」で取り上げた「海はだれのものか」の同じ引用を引く。

 判決が「慣習に基づく権利」を否定した背景には、司法界に、行政に反する判決を出さない傾向がきわめて強いことに加え、「慣習に基づく権利」を認めようとしない風潮があるように思われる。
 しかし、慣習法は、いいかえれば、司法や行政に依存せずに地域社会を運営するための規範であり、成文法ではカバーし得ないさまざまな事項についての「住民の知恵の結晶」ともいうべきものである。慣習法に基づいて地域社会が運営されるということは、いいかえれば、慣習法によって住民自治が成り立つということである。近年、地方分権が盛んに叫ばれているが、慣習法は、地方分権どころか、住民自治を実現するのである。
 また、慣習法を熟知しているのは地域住民であり、地域に住んでいない裁判官や学者ではない。慣習法の存否が当該慣習法を全く知らない裁判官によって判断され、慣習法を熟知している地域住民がその判断に従わざるを得ないというのは、実はおかしな話なのである。
(「海はだれのものか」p178)


ここに「行政に反する判決を出さない傾向がきわめて強い」とあるが、行政裁判は、一般にやるだけ無駄である、とされる。
今回の場合、鮭の刺網に、過去の「慣習」も何もないのだから、どうやっても勝ち目はない。

彼らは、担当弁護士に騙されたのではないか、と思う。
担当弁護士は、漁業法がどういう法律なのか、勉強したのであろうか。
まだ裁判長のほうが勉強している、といわざるを得ない。

「鮭を刺網で獲らせろ!」と言い始めたのは、魚類資源が減少し、漁船経営が悪くなったからであり、もし、沿岸漁業が栄えていたなら、誰もこんな裁判を起こさなかっただろう。
もちろん、私には、“裁判で訴える”などという度胸はない。
その点は、「すごいことやるものだなあ」と思ったりしたが、こんな元気があるならば、2そう曳きトロールを、法律違反として告発したほうがずっと正義だし、やりがいがある。

あ〜、その情熱がもったいない。
県や各組合の組合長を敵に回してまでやるような裁判ではなかった。
posted by T.Sasaki at 20:43| Comment(4) | さけ漁業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月07日

鮭の刺し網裁判について

再び、こんばんは。

かご漁業の話から、忘れないうち記しておく。
例の秋鮭を刺し網で獲らせろ、という裁判で、訴えた側が勝訴したらしい。
かご部会の会員の多数が、この訴えた側のメンバーであるという噂である。
私は、本当のところ、誰と誰が、正式なメンバーなのか、知らない。
負けた県側は、控訴したようだ。

鮭の再生産は、大昔と違って、人の手によるものである。
人工ふ化は、各漁協がやっており、それが、漁協の事業を支えている。
人工ふ化事業の前なのか後なのかわからないが、春鮭鱒の延縄漁は、私の父親の若かりし頃から存在する。
もしかして、秋鮭の人工ふ化を行う前からあるのだろう。
そうでなかったら、水産六法に、鮭延縄の制限する法律があるはずもない。

一方、刺し網で鮭を獲る、というのは、宮城県のみの許可であり(10トン未満のみ)、ごく最近できたものである。
鮭王国である北海道など、他の県では許可していない。
そもそも、ある人たちが、一生懸命育てて放流したものを、その人たちの言い分を無視し、他の漁業者が「獲らせろ」という話が、社会一般で通用するのだろうか。
私は、その時点でおかしいと思う。
例えば、宮古漁協の隣の重茂漁協では、あわび増殖に関して一生懸命であり、単協の重要な戦略の一つである。
それをそんな努力の片鱗もない人間が、「同じ漁師なんだから、獲らせてくださいよ」という人は、まずいない。
恥ずかしくて言えない。
他人が一生懸命やっている事に、「都合良く」参加できるわけがないではないか。

秋鮭の漁獲できる方法は、定置網、鮭延縄、河川捕獲の3つであり、これは以前から変わっていない。
一般の漁船漁業者には、ちゃんと延縄漁業という漁獲機会があって、岩手県沿岸漁船は、当初みんなやった。
それが思うように獲れなくなったから、県の許可制度が悪い、というのは、「都合が良すぎる」。
普通の日本人の感覚を持ち合わせている人間なら、そう思う。

私は今、「裁判の秘密」という本を読んでいるが、法曹界の人間というのは、本当に信用していいいのか悪いのか、ますます考えるようになった。
上記のように、日本人一般の感覚からかけ離れた判決がなされたりするのを目の当たりにすると、げんなりする。
控訴審も県が敗訴するとなると、これは各県に波及するだろうし、他の漁法でも、「獲らせろ」が始まる。
この「獲らせろ」論には、限界がない。
私は、これに関わっている弁護士や裁判官の頭の中を覗いてみたいし、いろいろなことを聞いてみたいと思っている。

大雨で川が増水し、川留めの設備が流失して、上流へどんどん鮭が遡上することがある。
この場合も、その流域の一般住民は獲ってはならず、鮭が産卵して役目が終わっても、獲ることはできない。
その後は、カラスや野鳥の餌になり、最終的に腐ってしまうのだが、私はその鮭を、流域住民が獲ってもいいように法改正したほうがいいと思う。
流域住民は、川をきれいにする努力をしているし、増水で被害を被ることもある。
人間的に考えるなら、川留めが壊れた場合、流域住民に幸運を与えてもいいような気がする。
少なくとも、これを「都合が良すぎる」とは誰もいわないだろう。

私は最近、モノを言う人が、どういう人間か、じっくり観察するようにしている。
心に裏がある人間は、信用できないからだ。

信用というのは、最後の最後は、カネや業績ではない。
基本的な人間性にある。
それが否定されるなら、この日本は終わりだ。

私が小学校卒業の時、先生から送られた言葉がある。
それは「心豊かに誠実に」である。
存命しているかどうかわからないが、それは照井先生という方であった。
50歳にもなって、この言葉を非常に重く感じる。
今まで日本人として生きてきて、この言葉に重みを感じなかった自分を恥じている。
posted by T.Sasaki at 20:45| Comment(0) | TrackBack(0) | さけ漁業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月27日

鮭の漁獲高ダントツ2位の岩手県

みなさん、こんばんは。

これといったおかずがないので、鮭の切り身や餌さんまを解凍して焼いて食ったりしています。
それに、すき昆布の煮物を作り、今日の昼は玉子丼、夜はイカの刺身を解凍し、一杯。
鮭は、冷蔵庫の中にも外にも、家の外にも余っていますから、ほぼ毎日食卓に上がります。
鮭の漁獲高は、ダントツ1位が北海道で、ダントツ2位が岩手県。
表現がおかしいかもしれませんが、それほど1位と2位と3位の差が開きすぎている。
でも、ダントツ2位の漁獲を誇る岩手県は、涙が出るほど、知られていない。

研究室の同期と飲んできた〜」で、超サプライズが起きました。
同期の一人が、何と!岩手県で鮭が獲れることを知らなかったそうです。
岩手大学にいて、知らなかったとは。

以前、宮古関連のWebサイトで、もう名前も忘れましたが、「岩手県で鮭が獲れているなんて、東京の人は誰もしらないよ。新潟県村上市の鮭のほうが有名だよ」と言っていた人がいて(彼は広告関係の仕事をやっていた)、北海道に次ぐ鮭の産地は岩手だ(宮古だ、ったかな?)とWebサイトで宣伝していました。
あれから10年近く経っているかもしれないけれど、まさか、今でも岩手県で鮭が獲れることを東京の人たちは知らないのかもしれない。
その同期の彼は、わざわざ北海道まで鮭を買いに行ったりしたそうです。

そうだ!
日本ハムの大谷選手に、「160kmの速球のたんぱく源は、地元(岩手)の鮭」とか言ってもらおう!

ところで、鮭の卵を、宮古では「はらっこ」または「はらこ」と言いますが、「イクラ」というのが共通語になっているみたいです。
NHKあたりでも、「イクラ」と言っているのかな。

でも、イクラの語源は、ロシア語のようですから、「イクラ」ではなく、「はらこ」と呼んだほうがいいような気がします。
「はらこ」のほうが日本語らしいじゃないですか。

そのはらこを私は、小さい子どもの頃から食べているので、たいして食べたいとも思いません。
今年も傷鮭を水揚げせず、メスもけっこうあったのですが、たった1匹のみメスをもってきて、そのはらこが冷蔵庫に入っていて、まだ口にしていません。
贅沢な話ですが、本当に食べたいと思わないのです。
はらこより鮭本体のほうが飽きない。

小学校の頃、はらこが弁当表面を覆いつくしていて、今考えると、非常に贅沢な弁当だったと思うのですが、私は、隣の子の弁当のほうが美味しそうだった。
いつも食べているため、隣の弁当のほうがよかった(笑)。
こんなに、私にとって、メジャーな鮭が、東京では、「岩手で鮭が獲れるの?」なんてことを言っているのだとすれば、情報は、双方向ではなく、一方通行なんですね。

日本人はアメリカのことを知っているけど、アメリカ人は日本のことなど知らない。
同じように、岩手人は東京のことを知っているけど、東京人は岩手のことなど知らない。

のかな?
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