こんにちは。
今年の高浜のお祭りから、神社総代をやらされることになったのを先述したが(「
いつのまにか、小型いか釣りも大漁だったのね」参照)、その仕事は、すべてボランティアである。
何かしら行事をする、ということで、いくらボランティアで人件費をゼロにしても、カネはかかる。
ボランティアの人たちを募るにあたっても、その労力と使われる時間は、相当なものだ。
これを効率よくやるためには、地域のコミュニケーションが大事なのは必須事項。
私の住む高浜地区の住民は、非常にお人好しが多く、例えば、自治会のトップにいる人たちも、威張り散らす人は皆無であるため、話が通りやすい。
地区の行事、その代表的なものはお祭りなのだが、それ以外のことでも(清掃活動など)、自主的に行動を始める人も多く、スムーズに事は進む。
もちろん、中には全く協力しない人もいるが、それはどこの地区にも存在するだろう。
しかし、私たち日本人の心には、「こたつ文明」を基礎とするものがあり、誰かが何かをやっていたら、自分も協力しようという気持ちを持っている。
お祭りの最後のご苦労会(反省会みたいなもの)に出席して時、参加した子ども会、婦人会の人たちの発言にも、その一端を感じた。
「花」(お祝いみたいなものかな。この漢字もあたっているかどうかさえわからない。たとえば、盆踊りなどの行事に対して、自主的に金銭を差し出すこと)を、お祭りの時に、地区の住民からいただくのだが、これをどうしたら良いのか、子ども会や婦人会の活動に使っていいものなのか、神社へ奉納すべきなのか、ということが、子ども会や婦人会の方々から相談された。
特に、活動費が足りない両会ではあるが、それでも、このように他からいただいたお金を使うことに躊躇している。
一歩引いた、非常に日本人的な態度である。
総代会の結論は、「花」は、彼女たちの行動への感謝のしるしということで、彼女たちが自由に使っていい、ということになった。
一方、漁業者へばら撒くカネに関して、漁業者らは、常に「くれるならば、ほしい」という態度が非常に多い。
国家予算から捻出される類のカネは、税金から拠出されるから、増税を覚悟しなければならない。
税金の無駄遣いを指摘する人たちは、おそらく、日本人のほとんどが言っていることであろう。
今年、私は、国なのか、青森県なのか、出所を確実に知らないが、約80万円のカネをもらうことになっている。
その申請書みたいなものを書くにあたって、何度も書類の提出を求められ、日本海へ行ってもまた求められた。
もうキレてしまって、「そんなカネは要らない!」とやった。
このカネは、本来、受け取るべきカネではないのだから。
ところが、後から、団体で申請するために、何とかしてくれ、ということで、しかたなくサインした。
税金の無駄遣いであるこのカネを、私は、全額、地区の行事へ使おうと思っている(自治会への寄付は税控除にはならない、と税理士にいわれたけどね)。
こんな泡銭など、自分のために使ったら、きっとバチが当たる。
私が神様だったならば、バチを当てる。
こういう考えの人間は、漁業者には、ほとんどいないように感じる。
世の中には、子ども会や婦人会の方々のように、他からいただくカネをどう使ったらいいか、ということで躊躇する日本人は、たくさんいる。
これに比べると、恥ずかしいとしか思えない。
漁船漁業の漁師というのは、ちょっと良い水揚げをすれば、けっこうな金額が手元に入る。
しかし、そうでない時もある。
運が悪ければ、ずっと赤字になることもある。
どこかが壊れれば、カネがかかる。
近年の物価高で恐ろしいほど、モノも高い。
次回のエンジンのオーバーホール代でさえ、少なくとも、800万円を私は見積もっている。
そんな中、思慮のない人は、少し手元にカネが入ったからといって、車にカネを使ったりして贅沢を始める。
オカの事業者のように、先を見越しながら、ちゃんと経営をしていないから、何かあった時に、結果として漁船漁業は行き詰まることになる。
「漁師って大変ですね」と、このことを知らないオカの人たちに言われたりするが、「いや、漁師は誰でもできます。経営感覚がおかしいから、みんなすぐカネを使ってしまう。バカなんですよ」と私は返す。
そして、自分が悪いくせに、出所が税金と知りながら、「カネをくれ」という。
私は、もう、そういう人たちとは、まともな口をききたくない。