日本の漁業が崩壊する本当の理由 片野歩

世界中で魚類資源が増えているのに、日本だけが減っている。
この現実を、恥ずかしいと思うべきである。

日本の漁業が崩壊する本当の理由.jpg

すべての漁協組合長、理事、参事、そして、任意の漁業団体の会長以下すべての役員たちは、この本を読むべきだ。
読みたくないならば、「日本の漁師は大バカものだ」を参照すること。
これを認識できないならば、役職に就く資格はない!

2017年07月04日

鷲崎で良い空気を満喫

こんにちは。

秋田から出港し、一応針を下ろしたが、2時間操業で、たったの5尾。
これはダメだ、ということで、ゆっくりと佐渡島の鷲崎へ。
そこで、一杯やって一晩ぐっすりと眠り、凪待ち。
何もないところと聞いてはいたが、港にあるのは、ジュースの自動販売機のみ。
非常に静かでいいところ。
こういうところで本を読むのは幸せ。

朝起きて、Google mapを開き、旅館を探し、電話で風呂を注文。
「シャワーだけなら、OKです」というありがたい返事をもらい、さっそく行ってきた。
坂を上がって少し弾埼のほうへ歩くと、寂れた旅館があり、シャワーだけのはずが、ちゃんと浴槽にもお湯を入れてあった。
お金を払おうとしたら、「要りませんよ」というが、「タダというのは良くないですよ」と1000円置いてきた。

鷲崎.JPG

これが、旅館の前で撮った鷲崎の風景である。
半農半漁の生活なのだろうか。
「GDP4%の日本農業は自動車産業を超える」では、農家の規模について記述があったが、このような超過疎地では、半農という生活は、しかたがないと思う。
いくら日本農業のためといっても、全否定は良くない、と思い知らされた。

お昼ごろ、風も凪ぎたので、それから出港。
なかなか、いかの反応を見つけられず、それでも4時ごろから上がり始め、夜の集魚灯点灯操業は、今年初めて100個超え。

良かった。安心した。

今年の電気いかは、やってみても20個か30個しか獲れず、電気設備が悪いのか、といつも首を傾げていた。
しかし、ちゃんと獲れたのをみると、自分の位置取りが悪かっただけだったのだ。
とにかく安心した。
再び、新潟へ入港。
posted by T.Sasaki at 16:20| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月30日

医者を選べ!

再び。

新潟にいた時、「新 治る医療、殺される医療」「がん治療のウソ」の2冊を読んだ。
前者は、小野寺時夫さん単独の著作であり、後者は、近藤誠さんと小野寺時夫さんの共著である。

小野寺時夫さんは岩手出身であり、すでにかなり高齢な方だ。
昭和5年生まれというから、80代ということになる。
「新 治る医療、殺される医療」は2001年に出版されていて、「がん治療のウソ」は、比較的最近の2014年である。
この間、変わったのは、診療報酬の改定のみかもしれない。
友だちの医療関係者に聞いたら、昔の出来高払い制度が、少し良くなったらしい。
出来高払い制度というのは、患者を薬漬けにし、検査をたくさんやれば、医者がたくさん儲かる仕組みのことをいう。

「新 治る医療、殺される医療」では、医者をすべて善人と思うな、と警告している。
普通の一般人と同じように、ちゃんとした医者もいれば、ダメ医者もいる。
私が思うに、その中間がいないのではないか。
良い医者、良い病院ほど、儲からない。
それは、患者に対する無駄な投薬や検査、手術をしないからである。
一方、ダメ医者というのは、まず、腕は悪いか、勉強不足で知識がないか、カネ儲けのために上記の行為を過剰にするか、どれかである。
なぜ、そんなことになったのか、という最大の原因は、無能な厚生労働省と圧力団体と化した日本医師会、それにぶら下がる製薬業界、献金を受ける政治団体、これらすべてである。

もう一つ、重要な原因がある。
「お医者さま」と言って、すべての医者を信じすぎる私たち日本人である。
私たちは、大事な自分の体を診てもらうのだから、医者や病院を選ぶのは当たり前の話なのだ。
しかし、実際の日本人は違う。
医者や病院を選ぶ判断は、せいぜい口コミ程度の評判だろう。
欧米、特にアメリカでは、患者が医者を選ぶための、過去の情報、というのが、開示されているのだという。
だから、欧米では、ダメ医者は、淘汰されるらしい。
日本の場合、そういう情報が記録開示されないから、患者が医者を選ぶこともできず、ダメ医者は淘汰されない。
しかたがないといえばしかたがないが、良い医者とダメ医者と見分けるスキルを、私たちが身につけなければならない。

米倉涼子主演の「トクターX」を以前取り上げたが、あれは、媚を売る人間を嫌っているドラマである(「ドクターXの人気の理由 (私の嫌いな人 4)」参照)。
みんな、あのような外科医は存在しない、と認識しているとは思うが、一応、現実を引用しておく。

 特に外科領域では、治療法の進歩につれて専門知識に加えて特殊技術と慣れを必要とすることが多くなり、今日では、大病院の外科の部・科長であろうと大学教授であろうと、消化器、肺、乳腺、甲状腺、血管などの全ての手術技能が優れているなどということはあり得ない時代である。それどころか、消化器の外科に限っても、食道がん、肝臓がん、膵臓がん、直腸がんの全ての手術が一流だという外科医は一人もいないと言ってよい。これは、消化器外科に限ったことではなく、たとえば整形外科医でも、膝の関節の内視鏡手術も脊椎関連の手術も人工関節の置換手術も皆一流などという人はいないのである。名医の評判の高い眼科医でも、白内障の手術も斜視も糖尿病網膜症の手術も皆上手だなどということはない時代になったのである。
(「新 治る医療、殺される医療」p103)


「がん治療のウソ」という本によると、各臓器のがんは、それぞれに合った治療というのが存在し、手術や抗がん剤、放射線治療などが選択される。
手術がすべてのがんに効くとか、抗がん剤がすべてのがんに効く、というのは間違いである。
効かない抗がん剤をいつまでも使い、患者を副作用で苦しめる医者は、金儲けしか頭のないダメ医者である。

粒子線治療(陽子線、重粒子線)という新しいがん治療は無駄であり、その設備には、数十億円から百億円もかかるという。
これには、電気をいっぱい使ってもらいたい電力会社の思惑もあるそうだ。
患者はこの治療に数百万円を支払うことになり、したがって、そんな治療を受けることのできる患者は限られている。
この設備はすでに日本全国に7ヶ所もあり、その他、建設中計画中の設備が4ヵ所もあるそうだ。
これを認可するお役所は、「頭おかしいんじゃないの?」を言われてもしかたがないだろう。

粒子線治療より絶対的に安価な放射線治療は技術革新された。
この部分を少し引用する。

 従来のX線治療も飛躍的に向上している。放射線治療装置・リニアックの技術革新により、「IMRT(強度変調放射線療法)」が登場する。コンピュータで制御しながら、がんの大きさや形状に合わせて放射線の強度を調節できるようになった。また、複数の方向からがん病巣に放射線を集中する技術「定位放射線照射」も開発され、周辺の臓器など正常組織への影響も少なくなった。
 このためX線に比してメリットとされた粒子線の特性が著しく減退したのである。
(「がん治療のウソ」p156)


この本には、高濃度ビタミンC点滴療法を題材にした記事がある。
結論は、効果がわからない、というもの。
これを書いた石川れい子さんは、断糖療法との組み合わせに関しても、調べてほしかった。
高濃度ビタミンC点滴療法は、断糖しなければ、意味がないのである。

http://platinum-room.seesaa.net/article/415389574.html

この2冊の発行には、10年以上のタイムラグがある。
しかし、ダメ医者の存在比率は、本を読む限り、変わっていないのではないだろうか。
posted by T.Sasaki at 17:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

秋田に入る

こんにちは。

数日前から秋田にいる。
新潟で1日皆無の日があり、さらに、その翌日の朝、気分悪いことがあり、新潟を去ることを決意。
秋田沖に来てみたはいいが、船だけはたくさんいるが漁はパッとしない。
漁がパッとしないから、船も解散状態。
休み明けに、どうなることやら。
これは、飛島を北側から写したもの。

飛島.JPG

もし、ダメなら、また移動することになる。
選択肢として、3つある。
北海道積丹半島に向けるか、八戸に向けるか、新潟に戻るか。
このうち、積丹半島案は、船がたくさんいるとのことで却下。
八戸沖は一昨日あたりから気配を見せてきている。
今日でトロールが切り上げだから、漁は上向くと予想される。
漁が出たら、すぐに行くことになるが、それがいつになるか。
新潟沖は、船も少なくなり操業しやすく、漁も復活したようだ。
しかし、漁場が遠くて嫌になる。

今日は休日。
バカは高いところが好きだから、さっそく、港にあるポートタワー展望室へ。
新潟のホテル日航展望室(140m)よりは低く、100mだそうだ。

ポートタワー.JPG

海岸線に沿って風力発電設備がある。

秋田港.JPG

このでかい船は、昼夜クレーンが稼動している。
交代勤務の操業だろう。
30年前に入港した時には、風力発電はなかった。
ポートタワーもあったかどうか、記憶にない。

http://www.selion-akita.com/
posted by T.Sasaki at 17:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月20日

安心の証拠

再び。

北朝鮮がいろいろと各国を挑発しているようだが、まだまだ大丈夫だと思う。
なせか?
新潟港には、海上保安庁の大きな船が、悠々と係船されてあるから。

さど.JPG

これは、「さど」であるが、もう1隻、「ひだ」もいる。
何か、ニュースが騒がしくなって、2隻とも港内にいなくなった時こそ、有事であり、危ないのかもしれない。

ケータイによくかかってくるが、「ミサイルに大丈夫当たらないのか?」という心配は、やめてほしい(笑)。今朝など、寝ようと思って、シャツとパンツ1枚になったところ、海上保安庁の若いネーチャンに声を掛けられ、一緒にいた男性署員には、写真を撮られそうになった。
私が「パンツ姿は困ります」言うと、笑いが出るほど新潟はのどかである。
安全操業を促す各船への巡回である。
posted by T.Sasaki at 16:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「新潟の魚」

こんにちは。

最近の新潟にしては珍しく、天候がよい休日である。
遊びに行けばいいのに、街のネーチャンたちにカネを搾り取られるだけなので、読書ばっかりしている。
先日は、武士道に関する本の2冊目を読み、今日は、「新 治る治療、殺される治療」という本を読んでいる。
著者は、小野寺時夫さんという方で、生まれは、岩手だそうだ。
この本は、津波以前持っていたものを、再度、アマゾン中古で買ったもの。
なぜ再度読む気になったか、というと、ちゃんと、他の医者のことも書いてあるから。
一般人と同じで、医者にも、「良い医者」「ダメ医者」「ずるい医者」がいることを、彼は教えてる。
本来、「ダメ医者」「ずるい医者」は、淘汰される運命にあるのだが、そうではないのは、一般社会と同じであり、受診する側が賢くならなければならないようだ。

沖合いの風が強くて休みの時、地元船の水揚げを少し手伝った。
この時、箱を見て、少し驚いた。
箱に、「新潟の魚」と書いてある。

新潟の魚.JPG

以前、いか釣り船のいか箱にも、「新潟の魚」と刻まれてあったのだが、何せ、新潟産のするめいかは評判が悪く、この箱で他県で水揚げすると、とんでもなく悪く言われる。
だから、いか釣り船の方から、この「新潟の魚」という刻印はやめてくれ、と言われて以来、いか箱には、この刻印はない。
そもそも、なぜ、新潟産のするめいかが評判を落としたか、というと、先日も書いたように、小さいサイズのいかを自分の金儲けのためだけに、平気で大きいサイズのいかとして、水揚げしたからである。
これが最大の原因である。
旅の人間が、旅先の産地市場の混乱を引き起こしたのである。
一方、地元の小型船たちは、健気に、地元産の魚を大切に扱う(いか釣り船ではない。新潟港にはいか釣り船はいない)。
私は、ここにお世話になっている身分だから、乱暴なことはしない。
礼儀として、これは正しいと思う。
新渡戸稲造氏の「武士道」に関する本を読んでから、特に、そう思うようになっている。

この前の土曜日、ちょっとしたことでいか釣り船の船頭たちと飲む機会があったが、その時、話題になったことを記述する。
新潟産するめいかの評判を著しく落とした原因は、旅のいか釣り船だけにあるわけではない。
新潟の仲買人にも責任はある。
故意に小さくいかを並べている箱を、安く買わないから、こうなってしまったのだ。
高値から安値まで300円程度しか差をつけず、しかし、25入れと30入れの価格差は1000円も違う。
だから、30入れサイズのいかを25尾並べて、25入れとして水揚げしたほうが、平均単価は上がるし、水揚げ箱数も増える。
頭の良い商売人なら、わかるだろう。
簡単な話だ。

このブログで以前にも記述したことがあるが、これを解決する手段は、25入れの安値より、30入れの高値を高くすること。
これで仲買人が損することはない。
30入れサイズが25尾入っている箱より、30いれサイズが正直に30尾入っているほうが、歩留まりは大きいから。
これをちゃんと消費者に示すことにより、新潟産のするめいかは、評判を回復することができる。
それから、販売方法として、「せり」だけではなく、「入札」もやるべきである。
このことは、試験的にやってみてはどうか、と新潟漁協の理事さんに提案したこともあるが、却下されたらしい。

私が岩手県いか釣り部会の宮古地区の役員をやっている頃は、宮古魚市場や仲買人に、「ダメないか箱は、買い叩いていいんだ。それが産地市場の評判を良くする」と言っていた。
事実、あの頃、秋いかが獲れて、宮古産のするめいかは、引き合いが強かったらしい。
買いが強い時は、函館からも買いが入ったと聞く。

旅歩きして水揚げする人たちは、地元でないために、その産地の評判を気にすることが少ない。
しかし、立場を逆に置き換えて考えれば、こういう行動はよくないとわかるだろう。
自分の地元に旅の船が来て、乱暴なふるまいをすれば、地元船は、怒る。
そういう理解が必要である。
行き過ぎは、何でもよくない、ということは、ある年齢になるとわかることなのだ。
わかっていながらやる、ということは、卑怯な人間である。

私は、独行船で旅歩きする人間だが、人情のある人からは、声を掛けられたりする。
もちろん、私がどういう人間であるか、ということを前提に声を掛けてくるのだろう。
だから、話やすい場合が多い。
そういう人たちから、このいか釣り業界の裏話を教えられると、びっくりするのだ。
人は見かけによらないし、大漁するからといって、人間性が豊かとは限らない。
もうこの年になると、大漁するしないにかかわらず、自分だけのことしか考えない卑怯な人間とは付き合いたくない。
posted by T.Sasaki at 16:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月08日

200円カレー

こんにちは。

天候悪く、今朝の水揚げが終わって、もしかしたら、3連休。
まだ水温が低いせいか、するめいかもまだ小さく、40入れやバラが主体であり、30入れは、いつも一桁。
「休めば、いかが大きくなる」とプラス思考で、一杯やっか。

今朝、久しぶりに、漁協のネーチャンに話をしに行ったが、その時、「鮮イカ相場表」というものをもらってきた。
18隻で3114箱。
平均173箱。
私は146箱。
まあ、こんなもの。
最初から、船の塊にめがけていけばいいのに、反対方向も調査してみようか、ということで、反対へ行ったら、何もいなかった。
戻って行ったら、よく調査する船も行ったり来たりしていて、もう終わってる感じ。
あとは、ヤケクソ。
最後に、底反応ばっかりになり、太平洋モードで少し挽回。
最近、こんなパターンが多いから、あきらめモード。
逆に、ツボにはまると、とんでもなく漁に当たる。

「鮮イカ相場表」を見て驚くのが、30入れが多いこと。
総数3114箱のうち、30入れが1074箱もあるから、つまり、3割。
まあ、そんなものだろう。
勝手にやればいい。
こういうことをする人たちは、信用を大切にする商売には向いてない。
そうまでしなくても、十分やっていけるのに。

そんなことはどうでもいいことで、主題は、カレーの話。

今日、昼に起きてから、船体に塗るペンキを買いに、パワーコメリという所まで自転車で行ってきた。
その途中に、原価率研究所というカレー屋さんがある。
200円のカレーライスで、味はまあまあ。
学生時代の学生協のカレーに味は似ている(かなり昔だから今は知らない)。
200円という安さにはビックリするが、それでもちゃんと儲けているのだそうだ。
これは、何を示しているか、というと、困っている人たちにも提供できる、ということ。
実際に、東日本大震災でも、このカレーを被災者にご馳走している。
詳しくは、こちら。
新潟発の事業で、1000店舗が目標だとか。

http://genkaritsu.jp/

ただ、感心しないのが、容器の使い捨て。
このことを店員さんに指摘したら、「もったいないですよね」と言っていたけれど、洗う手間、つまり人件費より、容器の使い捨てのほうが安いとのこと。
これがカレーの原価を下げる一つの方法なのだろう。
「洗うのを機械化したら、どうなの?」「社長さんに言ってみたら」と提案してきた。

こういう飲食店業界の儲ける秘訣は、サービス内容とシステムのバランスを考え、原価を必要最小限に抑えること。

あとは、度胸があるかないか。
posted by T.Sasaki at 14:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月04日

諦める、ということ

こんにちは。

今年の日本海は、非常に天候が悪く、そして、寒い。
例年より休みが多く、今日で3連休。
先日も3連休した。

あまりに暇なので、本屋さんで物色し、新書を6冊も買ってしまった。
今まで近くの紀伊国屋書店に行っていたが、他の船に乗っている友だちが、「大きな本屋があるから一緒に行こう」という催促に応じ、行ってビックリ。
ジュンク堂書店というのだが、各社の新書版が、ほぼ揃っているのだ。
だから、注文する、ということが必要ない。
新書版だけだと思うが、それほどの蔵書だから、逆に探すのが大変だった。
目がおかしくなる。

私の友だちは、最近年寄りくさい趣味を持つようになった。
いろいろな木を庭に植え、その成長を喜んでいる。
こうやって旅歩きしている間に、それらを盗む人が来ないことを祈っているが、もし、無くなっていたら、その落胆を大きいと思う。
その友と本を探していると、「GDP4%の日本農業は自動車産業を超える」というのがあり、これを買って私が読み、「内容を教えろ」ときたもんだ。
まあ、面白そうだから、買ってしまった。
これを今から読もうと思う。
「農業やって、二人で儲けっか!」

曽野綾子さんの「人間にとって成熟とは何か」。
これには少しいいことが書いてあった。
もちろん、「違うなあ」という記述もある。
しかし、いつものように、良いところだけを取る。

人権を強調する人たちは、特に、「格差」について、非常に問題視することがある。
格差があるからといって、貧困ではない。
所得が小さいからといっても、ちゃんと生活している。

 私は25年間くらいアフリカの貧しい土地だけに度々行っているせいか、本当の貧困というものを、何度もはっきりと見せられてきた。いつも言うことだが、貧困の条件はたった一つしかない。貧困とは「今夜食べるものがない」ことを言う。その条件に当てはまる人は間違いなく「貧しい人」である。
 しかしそれ以外の、家のローンが払えない、子供を大学にやる費用の捻出がむずかしい、新車を買えない、などという理由は、世界的に見て全く貧困の条件にはならない。
 貧困の苦悩はもっと「積極的」なものである。何々ができない、という形は取らない。屋根が穴だらけなので濡れて寝ている。一度お腹いっぱい食べてみたい。医者にかかる金がなくて死んだ家族がいる。埋葬の費用がないので家族の遺体を引き取りに行かなかった。そんな理由がまかり通っている社会を貧困社会と言うのである。
(「人間にとって成熟とは何か」p217)


はっきりいって、人権主義の人たちは、ずるい部分を多く持ち合わせている。
例えば、先程の引用文にあるアフリカの話を持ち出すならば、日本の格差より、アフリカの貧しい人々のほうが、ずっと問題なのだ。
「格差」を声高に叫ぶ人たちは、曽野さんのようにアフリカでいろいろ経験すべきである。

漁業の世界は、格差社会である。
腕のいい人や頑張る人は、所得も上位に位置するし、船頭として能力の劣る、あるいは、能力のない人は、淘汰される。
こんなことは、当たり前の話である。
それを漁師たちは、「格差」といって非難することはない。
まっとうな漁師たちが非難するのは、ずるい人間である。

私も淘汰される側の船頭になりつつあると最近思う。
絶望の資源管理の現場を見せられたり、やることの結果が裏目になったりするが何年も続くと、漁に対する情熱のほうが冷めてしまう。
ほどほどになったら、あきらめることを考えるようになっている。
そのことに関し、曽野さんは、良いことを書いている。
引用する。

できるだけは、頑張る。しかし諦めポイントを見つけるのも、大人の知恵だ。
(中略)
 諦めることも一つの成熟なのだとこの頃になって思う。しかしその場合も、充分に爽やかに諦めることができた、という自覚は必要だ。つまりそれまで、自分なりに考え、努力し、もうぎりぎりの線までやりましたという自分への報告書はあった方がいいだろう。そうすればずっと後になって、自分の死の時、あの時点で諦めて捨てるほかはなかったという自覚が、苦い後悔の思いもさしてなく、残されるだろう。
(前掲書p138)


そして、次の言葉で救われる思いがした。

 人間にとって大切な一つの知恵は、諦めることでもあるのだ。諦めがつけば、人の心にはしばしば思いもしなかった平安が訪れる。
(同頁)


だから、自分が船をやめる時、が訪れても、落胆することもない。
posted by T.Sasaki at 14:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月23日

絶望感が消える

再び。

絶望感が大きく、ブログ更新をする気も起きなかったのは事実である。
しかし、ただ何もしないで生活したわけではない。
今後を考えて、いろいろなものをやったし、いろいろなものを作ったりした。
成果のあるものもあるが、もうここでは報告しない。
くたびれた、というのが本音である。

その後、絶望感はなくなった。
良い乗組員に恵まれたからだ。
私より10歳上である。
今のところ漁の調子は悪いが、今まで背負ってきたハンデから比べれば、気持ちの面で気分いい。
その乗組員には、「漁をしないのに、気分がいいのか?頭おかしいんじゃないのか」と言われるが、それだけ、今までのハンデが、自分的に大きかった。
若い人たちに期待していたこともあり、このブログも書いてきたが、裏切られ続け、本当にくたびれた。

「自分だけよければいい」という態度でやっていくなら、非常に楽である。
もう私もいい年なのだから、そのほうがいいのかもしれない。
posted by T.Sasaki at 17:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月09日

ネットサービスについて

再び。

最近、SNSなるもの、ソーシャルネットワークサービスなるものが、自分に不向きだとわかった。
今、手元にある「日本の漁業が崩壊する本当の理由」という本がある(今から読む。「魚類資源減少について」シリーズが的を得ているのかどうか、楽しみだ)。
これをFaceBookで紹介してくれた方がいて、しばらくFaceBookにアクセスしていなかったら、その投稿が、ず〜っとず〜っと下のほうに行っていた。
あのサービスは、毎日アクセスするのが必須事項のようだ。
もうあきらめて、今はほぼアクセスしない(笑)。
有益な情報ばかり見たいけれど、どうでもいいような投稿が山のように積まれていると、目がおかしくなってくる。

ブログ連携も途中でできなくなり、設定しなおさなければならないから、もうやめた。
あれは、欠陥サービスだ。

LINEというのもやってみたが、どこがいいのか、さっぱりわからない。
あれもやめた。
電話機能を使ったことがないが、通話品質が悪いらしい。
FaceBookのメッセンジャー電話のほうは、一度使ってみたが、通話品質はいいような気がした。
FaceBookメッセンジャーの場合、PCで簡単に打ち込めるが、LINEのほうは、いろいろ制約があるみたいだ。
メッセンジャーソフトの性能なら、LINEよりFaceBookに軍配を上げる。

このブログというサービスも、実のところ、私は不満である。
どこからでも、どのPCからでも、どのスマホやタブレットでも投稿できる点は、確かに便利であるが、ツリー状に編集できないのは、もう致命的欠点である。
カテゴリー分けが一応できるが、それでは、十分ではない。
以前、何を自分が書いたか探すのに、非常に時間がかかるからだ。
最近は、探すのも面倒だから、リンクも貼らない。
重複している文章がたくさんあるだろう。
こうなると、昔のように、HTML言語を使ったソフトを使うほうがいいような気がする。
もう一つ、ブログの欠点をあげるならば、表示が重いこと。
バックグランドで動いているプログラムがたくさんあると思われる。
一方、プロバイダーのレンタルスペースは、非常に軽く、瞬時に表示される。
ただし、この場合、ソフトの入ったPCでないと、アップできない。
これが唯一悪いところ。
だから、ブログの文章を集約したものを、昔の「漁師のつぶやき」形式でアップするほうがいいと思う。
しかし、記事数が600以上にもなるから、この作業をやる気が起きない。

1ヶ月くらい前、GEOに行って、中古のスマホを買ってきた。
税込み2000円くらいの古いやつ。
動くかどうか不安だったが、ちゃんと動いた。
スマホといっても、タブレットのような使い方を試してみたかった。
メモリーが0.8G(たぶん1Gなのだろう)しかないようだが、ちゃんと動いた。
しかし、メモリーを要らないアプリが占領するため、いちいちメモリーを解放してやらないと、速度が遅くなる。
これらの端末は、2Gのメモリーが必要だと思う。
実際、一番最初に買ったソニーの10インチタブレットは、2Gのメモリー実装なので、遅くなったことがあまりない。
だから、安いから、という理由で、メモリーの小さいのを選ぶべきではない。
イライラするだけである。

この「イライラする」のは、PCも同じで、今や、ハードディスク(HDD)実装のPCなど買わないようがよい。
少々高くても、SSDのほうを選んだほうがいい。
起動からシャットダウンまで、全部速い。
SSDを使っていると、HDDのPCは、イライラする。

電話は、ガラケーのほうがいい。
電話は時々落とす。
私の場合、ガラケーをスマホにしたら、すぐに壊れて話にならないだろう。
ガラケーからテザリングでスマホ(タブレット)を動かしたほうが、ベストだと思う。

いい大人が、街中でスマホをいじっているのを、私はみっともないと思う。
私だけの感覚かもしれないが、不健康極まりない。
頭の中の疲労も蓄積するだけだろう。
スマホ中毒は、救われない。
posted by T.Sasaki at 19:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

法事の意味

再び、こんばんは。

法事などの仏事は、寺の坊主のためにあるのであって、やってもやらなくてもいい。
坊主たちは、仏に手を合わせろ、とはいうが、何のご利益もない。

3.11の母の葬式の際、私は、寺の和尚に食ってかかった

「神や仏を毎日拝んで、結果はこれか?」

私の顔つきや言い方が悪かったんだろう。
いつも威張っている和尚も、さすがにたじろいでしまって、「自然の力は偉大だということがわかった。云々」としか言えない。
父は「あんまり言うな」とさえぎったが。

私に子どもがいないから、私が死んだ後、漁運丸一族の仏は、無縁仏となるのだろう。
だから、墓参りには、いつも無縁仏の墓石の前で、手を合わせる。

自分の家の墓を維持するということは、ちゃんと結婚して子どもを作って、その子どもにもいろいろと言って聞かせなければならない、ということだ。
しかし、5代先や10代先に、一族があるのかどうか、を考えると、ない方が多いような気がする。
実際に、墓参りをした跡のない墓もあちこちに散見されるから、数百年先には、現在ある墓地は墓地跡という程度にしかなっていないだろう。
つまるところ、仏事というのは、坊主たちの収入手段でしかない。

こういう結論から、法事などというのはやらなくてもいい、と、一時思ったものだが、今回の法事で、その意味というのを少し考え直した。
法事は、寺の坊主のためにあるのではない。
主催する一族のためにある。
たまにしか会わない親族と飲んだり雑談したりする機会なのだと思う。
だから、そういう機会を設けるために、寺の坊主を利用しているのだ、と考えれば、気分もスッキリする。

しかし、私の一族は、仲がよいから、何かあれば、すぐに集まる。
だから、いつも法事をやっているようなものかもしれない。
坊主の出番は、もうない(笑)。

話題は、いとこや姪や甥の将来に集中する。
みんなやさしいことしか言わないから、私が、「そんなんで大丈夫か?」「頭がちょっといかれていないか」と喝を入れたりする。
一人ぐらい、そんなのがいて、バランスが取れるだろう。
posted by T.Sasaki at 17:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月07日

私が「嫌なやつ」でも結構

みなさん、こんばんは。

もう書くことをやめようと思ったが、たまにではあるが、「隠れファンです」とか、「見ているよ〜」と言われると、「やめないほうがいいのかなあ」と思ったりする。
実は、今日も意外なところで意外な人物と遭遇し、告白された。
私がブログをやめて喜ぶのは、まずは2そう曳きのトロール業界だろう。
その他、槍玉にあげられた人たちが喜ぶわけだ。

私は、予定通り、3月末日で毛がに漁を切り上げた。
時化が来たりして、延期したけれど、31日の夕方にすべて道具をあげてきた。
したがって、特別採捕という漁業には加わらない。

毛がにの特別採捕とは、簡単にいえば、4月末日まで甲長8cm以上の毛がになら採ってよい、という許可である。
3月から採れ始めた年もある、という人もいたから、一応、許可を取っておいたが、せいぜいよくて50kg程度しか採れないので、私は切り上げた(8cm以上なら半分以下)。
資源が少ないと思うなら、自主的にやめるべきなのだ。
今日、特別採捕許可を返してきた。
こんなものやっていても、漁業者自身が消耗するだけで、未来はない。

しかし、大方のかご漁業者は、獲りたいようだ。
ミズダコの小さいのも獲りたくて獲りたくてうずうずしている。
こんな綱渡りの資源状況で、改善しようという気概が全く感じられない。
だから私は、「この人たち、頭おかしいんじゃないの」と思うのだ。

このような資源状況とこんなお粗末な資源管理の中、もし、私に息子がいたとしても、「漁業を継げ」などと言うことはできない
何も改善されないならば、楽しい職業とは言えない。

何が楽しいか?
それは二つある。
一つは、文字通り、大漁すれば、金儲けになる。
もう一つは、漁をする楽しさ、というのがある。

しかし、かご漁業というのは、金儲け以外に、何の楽しみもない。
調査してそれを狙う、という漁業ではないからだ。
ある人に言わせれば、「バカでもできる」のだ。
一方、流れものを獲る漁業は、先ほどのように、、探して獲る、という楽しみがあり、これは、「バカ」ではできない。
「流れもの」とは、回遊魚を指し、例えれば、今年は景気がいいいさだ漁業、いか釣り漁業、さんま漁業、さけ延縄漁業などを指す。
ここで「バカ」という言葉を使ったが、「頭をあまり使わなくてもいい」ということを表現したものととらえてほしい。

こんなあんばいだから、後継者、という言葉を使うことに責任を感じてしまう。
後継者がいる場合、漁船漁業をやらせるほうが良いのか、良くないのか。
私は、先ほども書いたように、「やれ」と言うことはできない。
私が先代の後を継いだ時代とは、全く違う。

私は、大学を終わってから家業を継いだのだが、ほぼ給料というのをもらったことがなかった。
厳しい父親で、ちょっとでも遊んでいたりすると、怒鳴られた。
だから、あまりよその人たちとも話もできなかった。
そんな状況で仕事をしてきたものだから、これが普通のことだと思っていた。
しかし、ある時、いいのができて、その女に指摘された。

「それは普通じゃない」

結局、その女は、自分までずっと仕事をさせられて貧乏すると思ったのか、私と一緒になるのをやめて、さっさとほかの男と一緒になったらしい。
まるで、浜田省吾の「Money」の世界だ。
何が「愛してる」だ!(笑)

ところが、習慣というのは恐ろしいもので、仕事ばっかりするのに、それほど苦痛を感じなくなる。
仕事好きと言ったらいいのだろうか。
恐らくは、高度成長期を支えてきた日本人の多くは、同じように仕事好きだと思う。
仕事好きというより、モノを作るのが楽しい、のかな。
実際に、現在の私は、漁をするにあたっての、システム作りに傾倒している。
どうやったら、楽に仕事をできるのか、ということだ。
自分自身が年をとってきて、いずれ、今みたいに仕事をできない時がやってくるのを見越して、という理由もあるし、昨年のように、一人で操業しなければならない事態も想定している。
一人でも操業できる、ということは、同じ仕事を二人でやるなら、ずっと楽にできる。

若い時分に、比較的無駄使いしなかったため、今の自分があり、ほぼ震災前の設備を取り戻した。
こうなると、日本人の「もしかのための」貯蓄性向は、正しかったことになる。
つまり、私の父の厳しさは、ある面、正しかった。
(考えてみれば、「愛している」と言った女と甘い生活を営んでいたら、たぶん今の自分はないと断言できる。自分のことしか考えない女だったから。女を選ぶのは難しい。笑。逆に女の側も男を選ぶのは難しいだろう。特に今は)。

こんな私が、他のかご漁業者と同じように、資源増殖を無視する覚悟をもってやるならば、容赦なく獲るだろう。
周年操業で、コソコソしながら、いろんな漁業を平行してやる。
実際に、そのような灰色な話は、いろいろと耳にするから、やる気なれば、やれる。

でも、気分が悪いなあ。
だから、やらない。

あ〜、何となくスッキリした。

私は、みんなに「嫌なやつだ」と思われる。
でも、そんなのが一人ぐらいいてもいいじゃないか!
それでいろいろと考える人が出てくれば、本望である。

コメント欄に、名前も名乗らずに勘違いを記した人もいるが、労働環境の改善は、どこの事業者も考えていることだ。
厳しく育てられた後継者ほど、労働者のことを考えている(と思う)。
私は、そろそろ、日本人らしくない日本人に頼ることをやめたほうがいいのではないか、と考えている。
このことについては、後で記述することになると思う。
posted by T.Sasaki at 20:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月09日

勧められない起業

再び。

こういう大不漁が続くと、問題は、カネが続かなくなる、ということ。
もちろん、これを見越して、今年使う道具を前年に買っておく、という対策は練ってはいるが、本業のするめいかが、前沖で2年も大不漁を食らうと、非常に厳しい。
さまざまな魚類資源は減少傾向にあり、秋鮭も見通せない状態が続いている。
これでも、船の付属品などは、容赦なく消耗し、出費は減ることを知らない。

現在、私の懸案は、主機関のプロペラである。
ちょっとしたことが原因で起こる振動対策で、プロペラを小さくし、その分、スリップが大きくなるから、ピッチを少し立てた。
直線走行では、狙い通り振動は減ったが、舵を大きく切った時、逆に振動が大きくなった。
1kwのハロゲン作業灯の球が、切れてしまうのである(これが1灯1万円もする!)。
その後、対策として、電源を切ってから旋回するようにしたら、球は切れなくなった。
おそらく、振動でショートしたのだと思う。

しかたがないので、新造の時の最も古いプロペラに取り替えた。
しかし、実は、これも、流木を乗り越えてしまった時、裂けてしまったプロペラである。
修正してもらったが、ほんの少し欠けている。
このためか、いか釣りの艤装を解除した軽装備の時、いくらか振動する。

そこで、今回、思い切って、プロペラを買うことにした。
ついでにバイタも交換することにし、費用がちょっとかかる。
4枚プロペラのハイスキュー。
船の振動は、長期的には悪いので、先行投資ということである。
これは、つい2日前に決断した。

震災以前の漁ならば、この程度の出費など気にならなかったのに、今は深刻だ。
若くて、小型船で起業したいと考えている人は、この岩手では、思いとどまったほうがいいと思う。
本当は応援したいけれど(このブログには、若い人向けに、たくさんのヒントが書かれてある)、限られた漁場を、先輩たちが譲るほどの余裕はないと思うから。

この大不漁の原因が、本当のところ、何なのか、誰にもわからない。
わかるのは、海全体を見渡すことのできる神様だけだ(そんなのがいるはずもない)。
もし、私たちが獲り過ぎた、というならば(そう私は思っている)、これは、私を含む先輩たちの責任である。
だから、どうやって資源増殖していくのかを考えるのは、先輩たちのやるべきことなのだ。
posted by T.Sasaki at 18:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

毛がにの大不漁

こんばんは。

ご存知のように、毛がにが大不漁で、不漁だった昨年の3分の1も獲れそうにない。
しかし、単価が異常に高いため、乗組員の給料ぐらいは払えそうになった。
他の船の人たちからは、「あなたはタダ働きね」とからかわれたりするが、しかたがない。
このまま異常な高値が続くとは思えないし、確保してある餌がなくなり次第、切り上げるつもりいる。
あと7回ぐらいの操業で、海から道具を回収して、来年に期待しよう。

漁がない時は、さっさと切り上げれば、その分、魚も増えるだろうし、育つだろう。
漁師は、こういう時、リフレッシュしたり、勉強したりするのがいいと思う。
漁がある時は、時間がいくらあっても足りない、という事態になるのだから。

いるはずの小さい毛がにがいない、ということをすでに報告しているが、昨年夏のたこかご漁の時は、小さい毛がにはたくさんいたそうだ。
まさか、短期間に、まだらが食べつくしたわけではないと思う。
もしかして、低水温が押し寄せないため、広範囲にまばらに散らばっているのかもしれない。
と、希望的考察を書いておく。

私は今年、ミズダコを昨年より多く漁獲している。
ミズダコ資源が多くなっているのかな、と思っていたら、宮古魚市場の水揚げは減少傾向なのだという。
岩手県内のミズダコ水揚高がトップであることを考えると、これは不安材料である。
春先の水揚げの増加は資源増大を意味する、と、先日、岩手県水産技術センターでは説明していた。
水温上昇による影響が、じわじわと出てくるのかもしれない。

このミズダコの野郎、憎たらしいことに、長い足で餌だけ横取りして、かごの中に入らないのがいる。
たぶん、20kg以上の大きな奴だろう。
10キロ以上になると、オスは生殖活動した後に、死ぬそうだ(オスはかわいそうだ。笑)。
昨日、24kgのミズダコを獲った。
私にしては、最大のタコだ。
仲間内では、成熟してセックスしたオスが死ぬことを知ってから、「遠慮なしに、でかいタコは獲ったほうがいい」と話をしている。
死ぬ前に獲って食ったほうがいい。
posted by T.Sasaki at 18:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月02日

恥ずかしくないのだろうか

これが天下の田老港であり、田老の壁である。

田老の壁.JPG

遠くてわからないと思うが、自慢の防潮堤を3.11で破壊され、さらに大きく復旧した。
これで田老は大丈夫だから、野球場を作った。
三陸鉄道の新駅も、この防潮堤の中に作るそうだ。
税金を使った施設は、たろう観光ホテルもある。
日本人はバカだから、いちいち震災遺構として残さなければならないという(こういうものを残さないと忘れる、というのだから、バカと言われてもしかたがない)。

宮古市民は、永遠に、これらを維持する税金を納めなければならない。
そして、それだけでは絶対に足りないから、東京などの都会人に、これらにかかる経費を、永遠に納めさせることになる。

「永遠に」という言葉を使ったが、もし、途中で「やめよう」というのなら、最初から震災遺構など必要ないのだ。

現宮古市長は、田老出身である。
だから、田老の壁(防潮堤)のように、宮古湾を醜く囲み、それでは足りないから、市民や議会の大反対を押し切り、閉伊川の水門まで作った。
その結果、昨年の台風10号の大浸水を招いた。
宮古市民はおとなしいから損害賠償を請求しないようだが、これは、損害賠償ものである。
民意に逆らって行った事業なのだから、市長に明確な責任がある。

しかし彼は、責任をとるどころか、また市長選に立候補するそうである。
厚顔無恥もいいところ。
恥というものを知らないらしい。

田老から来た現市長は、宮古を破壊している。
ふるさとの景色はありがたきかな」では、すでにない。
石川啄木と宮古市民は、かわいそうだ。
posted by T.Sasaki at 21:10| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ふるさとの景色はありがたきかな

数日前の早池峰山。

早池峰.JPG

思わず綺麗なので、パシャっとやった。
私のカメラでは、これが限界(ヘタクソ!)。

宮古高校時代には、天候の良い日には、いつも校舎のベランダから見ていた。
あの当時、山を見ても、あまり何も感じなかったが、今は、月山や早池峰山を見て、「お〜、いいな」と思うようになった。
石川啄木の詠んだ短歌の

ふるさとの山に向ひて言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな

を実感できる年頃になったようだ。
ようやく大人になったかな(笑)。

宮古から盛岡へ向かうとき、区界峠を越えると、岩手山が見えるようになる。
東京などから帰省してきて、盛岡駅から出ると、岩手山が見える。
その時やはり、「お〜、いいな」と思う。

そして、3日間も盛岡などにいて、宮古に帰ると、海が見える。

「お〜、いいな」

山に限らず、ふるさとの景色は、ありがたいのだ。
posted by T.Sasaki at 20:24| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

逃げてしまう原発労働者

こんばんは。

最近、連絡もなしに、乗組員が来なくなった。
30代の若者で、ちゃんと奥さんもいて、子どももいる人である。
何度電話しても出ない。
これが尋常なのか。
あきれ返って、もう笑うしかない。

一人一台携帯電話を持ち、どこにいても連絡できる時代なのに、居留守を使い、電話に出ない人間は、携帯電話を持つ資格がないような気がする。
しかも、今回のように、突然職場放棄するなど、社会人として失格である。
「仕事を嫌になったので辞めます」くらいは、言えるはずだ。
せめて、「辞める」の連絡くらいはすべきである。
このことによって、彼は、少なくとも私の周りでは、信用を失ったことになる。

今の若者の全部が全部、このような人間ばかりでないことくらい、私は知っている。
テレビで頑張る若者を取り上げているのだから、ちゃんとした若者は、たくさんいるだろう。
しかし、何度もどろんされると、「大丈夫?」と疑いたくもなる。
もしてかして、素晴らしい若者とやる気のない若者の両極端になっているのではないか。

こういう両極端な労働者の構成で困るのは、国家的セキュリティの必要な職業であろう。
それは、ズバリ、題名の原発労働者である。

私のような、「どんな人でも使ってみるか」的な事業なら、たとえ逃げられても、社会に与える影響は少ない(私的には影響は甚大ではあるが)。
しかし、原発で事故が起きた時、現場を投げ出して逃げられては、とんでもないことになる。
福島原発事故で、その場で頑張った人たちが、もし、逃げ出すような若者であったならば、今の日本はない。
こう考えると、ぞっとするではないか。

この観点から、現状の原発はやめるべきである、と私は思う。
posted by T.Sasaki at 20:07| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月23日

帰港中に撮った宮古湾西岸の写真。
まずは魚市場前から。

鍬が崎の壁.JPG

次に、藤原埠頭岸壁。

藤原岸壁の壁.JPG

ヨットハーバー隣。
警察署が見える。

磯鶏の壁.JPG

あ〜、高浜が埋もれる。

高浜の壁.JPG

最後に、消える運命の藤の川海水浴場。

藤の川海水浴場.JPG

まるで、「進撃の巨人」の壁みたい。
みなさん、壁が好きなのね。
オレは嫌い。
posted by T.Sasaki at 21:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

閉伊川の流木、その後(「漂流物回収船」アップデート)

再び、こんばんは。

漂流物回収船」に記した閉伊川の流木の山は、ほぼ整理されていて、残っているのはわずかだった。
これで一安心。
posted by T.Sasaki at 21:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月02日

トランプ大統領はもしかして・・・・

こんばんは。

「トランプ大統領はもしかして、脳みそが少し足りないのではないのか?」と思う人は、私だけではないだろう。
移民の制限まではいいが、特定の外国人の入国まで阻止するとは、ビックリものだ。
テロリストなどというのは、恐らくは、国籍変更など、たやすいものと思われる。
世界中を騒がせるほとのメリットは、きっとない。

日本たたきも始まった。
特に、自動車。
今では、アメリカの工場で日本車を作っているが、それ以前は、日本で作ったものを輸出して貿易摩擦を生んでいた。
なぜ、こんなに日本車が売れたのかを考えれば、アメ車の性能が悪いから、という結論に行き着く。
日本をどんどん排斥するとは思えないが、もし、日本や外国の企業をアメリカから追い出しはじめたらどうなるか?
アメリカの生産技術は、どんどん落ちていくだろう。
仕事に対する勤勉性など、国民性が大きく左右するのは、歴史の示すところだ。
それが、たった数十年で変わるとは思えない。
最終的に、外国製品の性能の向上に、アメリカ製品の性能が追いつかないだろう。
外国排斥オンリーだと、アメリカは遅れた国になり、経済的にも取り残されることになる。

トランプ大統領のアメリカ・ファーストは、節度がなく、傲慢だ。
今まで、傲慢な態度で事業を成功させてきたのだろう。
それが、通用するほど世界は甘くない。
彼は、頭が悪いとしか言いようがない。

アメリカの上層部にいる連中は、抜け目がない。
大統領のおかしな政策が、部分的に修正され始めている。
獰猛な彼らが、大統領の頭の悪さを利用し始めたのではないか、と私は疑っている。

もうちょっとマシなアメリカ・ファーストを期待していたが、ガッカリだ。
これではただの、わがままな大統領にすぎない。
posted by T.Sasaki at 16:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月10日

放射線ホルミシス療法

みなさん、こんばんは。

再び、「研究室の同期と飲んできた〜」の話題。
飲んだ場所は、鶯宿温泉の「赤い風車」というところであるが、壁やエレベーターなど、いろんなところに、放射線ホルミシスの本のポスターが貼られていた。
売店で少し立ち読みしたところ、「まあ、買って読んでみるか」ということで、「医師も認める!!健康&美容の最新療法」という本を買った。
赤い風車」のサイト内にリンクが貼られていた「ホルミシス臨床研究会」というところで、この本が紹介されている。

反核燃運動に参加し、放射線のことを勉強してきた私にとって、内容は意外であった。
低線量の放射線は、人体にとって、有益である、という結論であるからだ。

がんの原因には、いろいろあって、はっきりとわかっているわけではない。
主に、細胞を攻撃する活性酸素にあることは、以前に勉強している。
その攻撃陣には放射線も加わっているらしい、ということも。
しかし、放射線については、そうではないようだ。
その部分をこの本から少し紹介する。
まずは、活性酸素について。

 活性酸素とは、「酸化させる力が強い酸素」のことです。生物は、食べ物などから得たブドウ糖を細胞内で燃焼させ、エネルギーを取り出しますが、この際、必ず活性酸素が発生します。また、呼吸によって取り入れた酸素のうち、約2%が活性酸素になるといわれています。さらに、ウイルスや細菌、毒物などが体内に侵入したときやストレスを受けたとき、紫外線にさらされたとき、過剰な運動をしたとき、飲酒や喫煙をしたときにも、活性酸素が発生します。
 酸化力が強いということは、殺菌力が強いということでもあり、活性酸素は、体内に侵入した異物の駆除に、絶大な力を発揮します。しかし一方で、活性酸素は、その強い酸化力や攻撃力により、身体のDNAや細胞、組織をサビさせたり傷つけたりします。
 それを防ぐため、身体にはもともと、抗酸化酵素や抗酸化物質を活性化させ、活性酸素を除去する「抗酸化系」とよばれるシステムが備わっています。ところが、活性酸素が増えすぎたり、加齢などによって抗酸化酵素の働きが弱くなったりすると、活性酸素を制御しきれなくなってしまうのです。
(「医師も認める!!健康&美容の最新療法」p16)


次に、低線量の放射線が体にいい理由も引いておく。

 活性酸素の活動を抑制するためには、ビタミンCやビタミンEの摂取が効果的ですが、実は低線量の放射線には、それらとはけた違いの抗酸化作用があることがわかっています。
 人が低線量放射線に被ばくすると、体内の水分が分解され、瞬間的に大量の活性酸素が発生します。すると身体は、あわてて抗酸化系のスイッチを入れ、活性酸素に対抗しようとします。その結果、抗酸化酵素が次々と発生し、余計な活性酸素を除去してくれるのです。
 また、低線量放射線には、DNAの修復力を強化する効果もあります。
 DNAにはもともと、自己修復機能が備わっており、活性酸素などによって多少傷つけられても、自力で治すことができます。
 強い放射線を浴びてしまうと、放射線のエネルギーや過剰に発生した活性酸素により、DNAの周囲の原子が壊されたり、つながりが切断されたりするため、修復できなくなり、細胞は死んでしまいます。しかし低線量の放射線を浴びた場合には、その刺激により、かえってDNAの修復能力が高まることが、実験などによって確認されています。
(前掲書p18)


オーストリアに、ガスタイナー・ハイルシュトレンというところがある。
ここはもともと金山坑道であった。
鉱山労働者のリウマチなどの関節痛が良くなる、という現象が発生し、原因を調べたところ、坑内に充満していたラドンガスによるものであった。
ラドンの半減期は、3.824日と短く、これが体内に作用する。
ラドンガスを吸い込んでも、ほぼ2時間で排出されてしまうから、長時間にわたって、放射線にさらされるということはない(といっても、体内にある自然放射線で被ばくしているのだが)。

ホルミシス臨床研究会」が正式に発足したのは2007年であり、東日本大震災のたった4年前である。
それ以前、ホルミシス効果がある、という程度のことしか知られていなかった。
広島、長崎などの例から、放射線は、常に危険視されてきたのは、しかたがないことである。
私は、この本を読んで、少しは救われたと思う。
がん治療の臨床例などが紹介されていたり、日本全国のホルミシスルームやホルミシスグッズも紹介されている。

最近、小林麻央さんが、乳がんから全身へ転移しつつあるニュースでもちきりである。
その乳がん転移の腫瘍が消えてしまったケースも紹介されている(「医師も認める!!健康&美容の最新療法」p52)。
タカラクリニック

ただし、低線量の放射線が、抗酸化系のスイッチを入れるとか、DNAの修復能力を高める、というのは、実験的にわかっているだけであり、なぜそうなのか、ということまではわかっていないのではないか。
だから、すべての人がそうだというわけではなく、遺伝子的に欠陥のある人もいるかもしれない。
このあたりは注意すべきである。

以前「がんになっても望みはある」で、超高濃度ビタミンC点滴のことを書いたが、そこで引いた「ビタミンC点滴と断糖療法でガンが消える!」の筆者である西脇俊二医師は、なぜビタミンCが効くかについて、まだわからない、としていた。
しかし、ここで引いた文章に、理由があるように思う。
活性酸素の活動を抑制するためには、ビタミンCやビタミンEの摂取が効果的ですが、実は低線量の放射線には、それらとはけた違いの抗酸化作用があることがわかっています。」から考察するが、ビタミンCは、経口摂取だとあまり効率よく体内に取り込むことができない。
だから、超高濃度ビタミンC点滴という方法が考えられ、この場合も、けた違いに抗酸化作用ができるのではないだろうか。

昨年、八戸のおばから、黒にんにくをプレゼントされた。
「いつまでも男として使えるように」という理由があるかもしれない(笑)。
あまり食べ過ぎて胸焼けを起こしたら、「バカじゃないの?」と言われた。
なにせ、抗酸化力が通常のにんにくの10倍もあるから、たくさん食えば効く、と単純な思考。
何でも過剰摂取はよくない。

今のところ、体をがん化させない安全な方法は、断糖、ビタミンC、黒にんにく、といったところか。
放射線ホルミシスから、がんの話になってしまったから、ついでに。
がん治療最前線のことが、「週刊ポスト」12月9日号に書いてあった。
NHKスペシャル“がん治療革命”が始まった 〜プレシジョン・メディシンの衝撃〜」である。
要約ページがあるので、参照してもいいと思う。

http://yonta64.hatenablog.com/entry/NHKSPECIAL/2016-1120-Precision-Medicine(「yonta6eのテレビ番組ブログ
posted by T.Sasaki at 20:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする