日本の漁業が崩壊する本当の理由 片野歩

世界中で魚類資源が増えているのに、日本だけが減っている。
この現実を、恥ずかしいと思うべきである。

日本の漁業が崩壊する本当の理由.jpg

すべての漁協組合長、理事、参事、そして、任意の漁業団体の会長以下すべての役員たちは、この本を読むべきだ。
読みたくないならば、「日本の漁師は大バカものだ」を参照すること。
これを認識できないならば、役職に就く資格はない!

2020年04月18日

女川の街づくり

ふたたび、こんばんは。

丸竹造船所で材料を買ってから、一気に南下。
三陸道は、まだ気仙沼港周辺とその南がほんの少し開通していないだけであり、今年じゅうには、宮古以南は全線開通するのではないか。
石巻に近くなると、片側4車線になる。

石巻女川インターチェンジで下りて、東にまっすぐ行けば、女川町。
どこに行けばいいのかわからなかったから、テキトーに走って、女川駅の看板へまっしぐら。
それが目的地だった。
少し斜め、山のほうに、女川町役場。
これがポイント。

女川町役場.JPG

左にある建物が町役場。
拡大してもよくわからないが、下のほうに、街があり、港がある。

女川町役場2.JPG

左側の建物が町役場で、役場より高いところに、住宅がある。
役場より低いところには、住宅はない。
役場と港の間には、商店街?などがある。
その商店街?の名前?が、「START ONAGAWA」。

START ONAGAWA.JPG

これは、海側から見たもので、突き当たりに女川駅がある。

女川駅.JPG

そして、各地で見られる、みっともない防潮堤がない。

女川港.JPG

雨風をしのぐ住居は、津波に流されてはならず、生業は水産業が主だから、再建すればよし、という考えである。
もっと詳しく知りたい人は、女川町のWebサイトへ飛ぶべきである。

http://www.town.onagawa.miyagi.jp/index.html

街づくりで「還暦以上は口出しするな」というようなことをテレビでやっていたので、検索してみたら、あった。
町長の話である。

還暦以上は口を出さずにサポートするから、おまえらがやれと。20年後は俺らが生きているかどうか分からない。おまえらは生きているんだから、自分たちの未来なんだから、前面に立って頑張れと。われわれは弾よけになる、という話だったわけです。
(「女川町長が語る、復興の現実と未来。」)



比べると、宮古市は、何をやったのか。
コンクリートの壁を張り巡らし、閉伊川に醜い水門を作り、市内を洪水にしただけだ。
市民の意見など無視である。
おまけに市役所をあんな場所に建てて、しかも、十勝沖などの津波予測では、浸水予定である。
本当に津波が来て、浸水したら、市役所移転計画の立案者は、いい笑いものである。

コロナ感染が落ち着いたら、一度、女川に行ってみるべきだ。
人口減少時代を先読みできない宮古市長と県の土木は、無能である、と断定していい。


それから、三陸道を走ってみて、岩手は山ばっかりで、トンネルばっかりである。
これだから、コロナも広がらないのかもしれない。
私は、八戸から、石巻までの三陸道を走破したようなものだが、釜石周辺は、トンネルが素晴らしく多い。
特に、釜石ジャンクションの南にある篠倉山トンネルは、直線が非常に長く、まるでSF映画のシーンを錯覚してしまう。
岩手の三陸道は、かなりの金がかかっている。
北海道襟裳岬から広尾までの道路は、黄金を敷き詰めるくらいに金がかかったため、黄金道路と言われているが、三陸道は、もっとかかっただろう。
プラチナ道路だ(笑)。
posted by T.Sasaki at 21:46| Comment(0) | 大震災・復興 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月18日

宮古市史上最悪の税金の無駄遣い

再び。

宮古市の負の遺産シリーズでも書こうか、と思ったりするが、負の遺産ナンバー2は、税金の無駄遣いである震災遺構、田老観光ホテルである。
「じゃあ、ナンバー1は?」と聞かれたら、十中八九は答えが決まっている。
閉伊川水門である。

昨日のNHKローカルニュースで報じていたが、70億円でできるはずが、何と!今年2月末時点で、293億円もかかっているそうだ。
つまり、200億円以上も、日本全国から余計に税金を頂いたことになる。

https://blog.goo.ne.jp/traum2011/e/39a1479e5250d0e855410aa7c548112a宮古on Web「宮古伝言板」後のコーケやんブログ

http://www3.nhk.or.jp/lnews/morioka/20180417/6040000630.html(「NHK 岩手県のニュース」)

この工事を強行した宮古市長と県は、どんな責任をとるのだろう。
もう辞めて済む問題ではない。
市民に対する背任行為である。

宮古市民は、津波を湾内で反射させるのではなく、川を遡上させ、津波を減衰させるために、河川堤防のかさ上げを主張した。
これは、閉伊川の洪水対策も兼ねているから、一石二鳥の良案であった。
しかし、宮古市長と県は、水門工事のほうが安くできるとし、市民の主張を一蹴した。
一蹴できなかったために、何度も説明会も開いた。
説明会で納得した市民は、あまりいないのではないか。

藤原の消防屯所の前には、昭和22年のカスリーン台風や昭和23年のアイオン台風の水位が表示されている。
藤原地区においては、浸水の水位に限っていえば、東日本大震災の津波程度の浸水を、戦後、すでに2度も記録している、ということになる。
今回の場合、市民の側の主張が正しかった。

宮古市長の顔など見たくもない。
早く辞めてしまえ!
posted by T.Sasaki at 21:54| Comment(0) | 大震災・復興 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月11日

震災遺構は、残したい人たちが維持費用を払えばいい

こんばんは。

毎年、この日のテレビは、つまらない番組ばっかり。
仕事を終えて、しかたなくテレビを見ていたら、大槌町役場の保存か壊すか、をやっていた。
保存派の主張は、まあどこにもあるような震災遺構っていう目的のものである。
これはどう考えても、明らかに税金の無駄遣いなのである。

保存するにしても、まるっきり維持しないでいく、という方法もある。
崩れたら、崩れっぱなし。
いずれは、ただのゴミの山になる。
そうなる間に、子どもたちがそこで遊ぶだろう。
たとえ、立ち入り禁止にしても、子どもは、そういう場所に入りたがるものだ。
少なくとも、私の小さい頃は、そうだった。
親が、「危ないから行くな」と言っても、聞く耳をもたない。
そんなものだろう。

そこで、子どもが怪我なんかすると、特に今の親たちは「放置していた自治体が悪い」と言い出し、マスコミもそれに加担し始める。
そして、補償問題となり、自治体が支払う破目になる。
そのカネは、結局はみんなの税金で支払われる。
そして、その廃墟は撤去される。
撤去費用も税金だ。
これらのカネを、「震災遺構を残せ」と言っている人たちが、自治体の代わりに責任をとって払ってくれるだろうか。

次に、保存する震災遺構を、常にメンテナンスして維持していく場合を考えるが、これは、「いつまで?」「ずっと永遠に?」という問題に突き当たる。
過疎はどんどん進み、だれがこの維持費用を払うのか?
宮古でいえば、田老観光ホテルであるが、旧田老町民なのか?
維持費用を払えなくなった時は、たぶん、上記のような経過をたどるだろう。

丁寧に考えれば考えるほど、震災遺構というのは、税金の無駄遣いなのだ。

余談になるが、たぶん各家庭のポストに、共産党宮古支部?から、市政に関するアンケートがあったと思う。
宮古市の市議会議員の選挙が近いからだろう。
それにも、震災遺構に関する意見を書く欄があった。
私は、「あんなの税金の無駄遣い」だと書いた。
もちろん、閉伊川水門のこともあったから、あれはクソだらけだと書いた(もちろんクソだらけとは書かないよ。表現の話)。

さらに、共産党のダメな点も書いた。
私は、思想的に正反対だから、共産党を好きでない。
まず、頼ることはありえない。
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2017年03月02日

千年に一度の経験

NHKで見たくもない震災関連のリバイバル番組などをやっている。
「見たくもない」という理由の一つには、自分の涙もろさもある。
今日、ボーっとしてテレビを見ていたら、若い女の子が涙したシーンで、思わず、もらい泣きしてしまった。
津波のことで、いつも冷たく言い放ってはいる私であるが、ここで、プラス思考的に行ったほうがいいよ、と書いておく。

もうかなり前に書いたことだが、いつもお世話になっている機械屋さんに、「リセット」と励まされた。
肉親や家、倉庫などを失い、元気のないところで、リセットなのだ。
今まで不自由のない生活ができたのは、親のすねかじりのおかげなのであり、これからは、自分の力でやるしかない。
自分の力を試す機会を、天に与えられたのだ。
そう教えてくれた機械屋さんは、エライと思う(摂待鉄工所の社長です)。

それと同じ思考方法で、震災をプラスに考える。
特に若い人たちにとって、震災は、通過点の一つにすぎない。
千年に一回の規模の津波だったのだから、千年の一度しか経験できないことに遭遇した、と思えばよい。

今、20代の若者たちは、いずれ年老いて、私くらいの年齢になれば、あの時はこうだった、と子どもたちや若者たちに伝えることができる。
その頃には、苦労した経験が、きっと生きると思う。

苦労を乗り越えるかどうかは、気持ちの問題だと思う。
苦労と思えば疲れるだけだし、苦労を肥やしだと思えば、ぜんぜん平気。
私自身、苦労したと思ったことがあまりない。
なぜそうなのか、というと、今みたいにいろいろな製品がなかった時代を思い浮かべ、「昔は大変だっただろうなあ」と考え、それに比べれば、「今は楽だよな」と思うから。

自分より厳しい環境にいる人たちと自分を比較し、恵まれていることを自覚したほうがいい。
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恥ずかしくないのだろうか

これが天下の田老港であり、田老の壁である。

田老の壁.JPG

遠くてわからないと思うが、自慢の防潮堤を3.11で破壊され、さらに大きく復旧した。
これで田老は大丈夫だから、野球場を作った。
三陸鉄道の新駅も、この防潮堤の中に作るそうだ。
税金を使った施設は、たろう観光ホテルもある。
日本人はバカだから、いちいち震災遺構として残さなければならないという(こういうものを残さないと忘れる、というのだから、バカと言われてもしかたがない)。

宮古市民は、永遠に、これらを維持する税金を納めなければならない。
そして、それだけでは絶対に足りないから、東京などの都会人に、これらにかかる経費を、永遠に納めさせることになる。

「永遠に」という言葉を使ったが、もし、途中で「やめよう」というのなら、最初から震災遺構など必要ないのだ。

現宮古市長は、田老出身である。
だから、田老の壁(防潮堤)のように、宮古湾を醜く囲み、それでは足りないから、市民や議会の大反対を押し切り、閉伊川の水門まで作った。
その結果、昨年の台風10号の大浸水を招いた。
宮古市民はおとなしいから損害賠償を請求しないようだが、これは、損害賠償ものである。
民意に逆らって行った事業なのだから、市長に明確な責任がある。

しかし彼は、責任をとるどころか、また市長選に立候補するそうである。
厚顔無恥もいいところ。
恥というものを知らないらしい。

田老から来た現市長は、宮古を破壊している。
ふるさとの景色はありがたきかな」では、すでにない。
石川啄木と宮古市民は、かわいそうだ。
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2017年02月23日

帰港中に撮った宮古湾西岸の写真。
まずは魚市場前から。

鍬が崎の壁.JPG

次に、藤原埠頭岸壁。

藤原岸壁の壁.JPG

ヨットハーバー隣。
警察署が見える。

磯鶏の壁.JPG

あ〜、高浜が埋もれる。

高浜の壁.JPG

最後に、消える運命の藤の川海水浴場。

藤の川海水浴場.JPG

まるで、「進撃の巨人」の壁みたい。
みなさん、壁が好きなのね。
オレは嫌い。
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2014年01月31日

釜石沖風力発電は、復興に貢献できるのか

みなさん、こんばんは。

最初に今年の毛ガニ漁についてですが、残念ながら、まるっきり不漁で、今月の水揚げは、昨年同月のおよそ3分の1です。
仲買人からは、「まだ漁がまとまらないんですか?」と電話は来るし、これでは、毛ガニ祭りにならないのではないか、と宮古市の行事を心配しています。
宮古地区の同業船は、ほぼ、私と似たようなもの。
こんな不漁な年を私は知りません。
昨年秋のスルメイカ大漁の反動かな?

昨年の話は、山ほど書くことがあったのですが、もう忘れてしまいました。
記憶力の悪いほうなので、今年になってからのことを書きます。

今月5日、釜石サテライトというところで、海洋エネルギー実証フィールドの説明会が行われました。
岩手県には、私たち小型漁船の集合体である沿岸漁船漁業組合というのがあります。
これには、イカ釣り部会、いさだ部会、かご部会があり、その各部会の役員たちが、この説明会に参加しました。
といっても、有志の方々だけの参加です。
私は、大船渡への用事もあって、ついでに参加しました。

中身は、釜石尾崎半島沖で、風力発電と波力発電の実証試験を10年間やり、データを検証する、ということです。
説明会では、「復興のため」、この事業は必要だ、と県職員の方は言っていました。
実証試験で好成績が修められれば、釜石地区に発電設備を作る工場を誘致し、沿岸地域の活性化につながる、という考え方で、一方、漁業への影響はあまり考えておらず、むしろ、これらの発電設備が、漁礁的な効果を及ぼし、魚類資源の増大につながる、と夢いっぱいの話をしていました。
もちろん、漁船漁業者の誰一人として、賛成する人はいません。
その海域で操業する人たちは、確実に収入が減るのですから。

岩手県北部では、遠浅である理由から、着床式(固定式)の洋上風力発電が計画されています。
こちらは、ヨーロッパなどで、すでに実績があります。
しかし、釜石沖の風力発電は、浮体式風力発電であり、これをアンカーなどで設置します。
つまり、固定せず、揺れる風力発電、と言ったほうがいいと思います。
なぜ、釜石沖は、浮体式なのか、という問いに対する答えは、風力の得られる海域の水深が深いためであり、つまり、釜石沖は、岸近くでも水深が深いからなのです。

配られた資料に、ロードマップ案というページがあり、2030年には、岩手沖で5GW(500万KW)の洋上風力発電設備が登場する、という表がありました。
びっくりして、すかさず質問。
「5GWというと、どれくらいの数の風力発電なのですか」
その答えは、軽く1000以上、という回答。
その後、これは、ただ書いただけであり、実際には、そういうことはありません、と。
私は、「じゃあ、こんなこと書くな」と心の中ではつぶやいていました。
でも、やる気がなかったら、5GWなんて書きませんよ。

ついでにもう一つ質問。
「エネルギーペイバックタイムやコストペイバックタイムは、どれくらいになるのですか」
これには、まともな回答はなく、「それを調べるための実証試験です」と。
つまり、発電設備として、浮体式風力発電がまだ使えるかどうかわからない、ということなのです。
確実なものならば、私たちも少しは譲歩できるのですが、まだ何にもわからない事業について、漁業者を犠牲にするのは間違っている。

漁礁効果を記した資料も配られましたが、過去に設置された漁礁で確かな効果は得られていません。
それはなぜか。
漁礁の位置は動くわけではないので、そこは遊漁船(釣り舟)の餌食となるのです。
今や、GPSの時代ですから、ピンポイントで釣り糸を下げ、小さかれ大きかれ、確実に魚は釣られます。
だから、漁礁では、期待したほど魚は増えないのです。

説明会では、国のエネルギー事業に対して、少しでも貢献したい、という話もしていました。
岩手県は、原発が全くなく、その関連施設もない。
これを批判する人がいるのかもしれない。
だから、貢献したい、ということがでてくるのでしょう。
しかし、原発は、今や、日本の不良債権です。
原発に頼らない経済政策をやってくればよかったのに、そうしなかった。
何も、岩手は悪くない。
むしろ、原発を受け入れなかったことに誇りをもったほうがいい。

昨年、新潟から宮古まで、ちょっとした金融機関の用事で新幹線などで往復しました。
嫌でも、家の屋根がたくさん見えます。
そこでわかったことは、太陽光発電をほとんどの家がやっていないこと。
屋根に何も載っていない。

バカくさい話ですよね。
漁業者を犠牲にしなくても、やれることはたくさんあります。



「復興のため」という言葉は、被災地では、錦の御旗に等しく、これを語れば、誰もが反対意見を述べにくくなる、という心理を、県側は利用しています。
彼らは、ずるい。
漁業者の収入が減るのが復興でしょうか。

浮体式風力発電は、すでに福島沖で実証試験が始まっています。

http://www.minpo.jp/news/detail/2014012913585(「福島民報」)

なぜ福島では漁業者からゴーサインが出たのか。
それは考えればわかるはず(放射性物質の話)。
福島沖の風力発電は20キロ沖合いにあり、釜石沖は8キロ。
福島沖のデータから、さまざまな計算ができます。
海底ケーブルの設置データは割り算すればいい。
福島沖のエネルギーペイバックタイム、コストペイバックタイムから、釜石沖に設置した場合を考えれば、それで事業化できるかどうかはわかるはずです。

釜石に発電設備の企業誘致するとしても、実証試験程度で本当に誘致できるのか。
全部で5GWの設備需要があるなら、それは確かに誘致できるでしょう。
しかし、県は、5GWという数字を、表にしていながら、否定した。
現実的な筋書きが全くない。

彼らはバカかもしれない。

ではでは〜。
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2014年01月26日

チリ地震津波では、掘っ立て小屋に住んでいた

みなさん、こんばんは。

今日、明日と休みの予定で、午前中、姪っ子を連れ、今年、日本海行くための集魚灯トランスを買いに、吉里吉里の和田電機さんまで行ってきました。
和田電機さんも工場を被災し、今は自宅で細々とやっているようです。
和田さんは、「工場と家を流されるのでは、どっちが良かったのかなあ」と言ってました。
彼は、私より若く、いろいろと考えるところがあるのでしょう。

そんな中、今朝の岩手日報に、釜石市平田地区にある災害公営住宅には、3割程度の空きがある、との記事がありました。
びっくりしますよね。
まるで、住宅が余っている感じ。
これじゃ、作りすぎ?

というわけではないようで、一番の問題は、被災者の意識。
例えば、「便利が悪い」とか、そんなものが、災害公営住宅に入らない理由になっていますが、本当の理由は、家賃がタダではない、ということ。
一方、仮設住宅にいれば、家賃はずっとタダ。

私の住む高浜地区は、チリ地震津波でも、住宅はかなり流失しました。
当時、防潮堤などなかったのですから。
その時、住宅を失った人たちはどうしたのか、と父親に聞いてみたら、その辺に「掘っ立て小屋」を作って住んでいたそうです。
今のようにエアコン付きの仮設住宅などなかった。
それでも復興したのです。
それに比べれば、今回の津波被災者は、日本全国の納税者を神のように拝んでいなければならない。

空きが出るような災害公営住宅は、もちろん、税金の無駄遣い。
空きがあっても、タダだから、という理由から仮設住宅に居座るのなら、それも税金の無駄遣い。
これでは解決策を考えるしかない。

ここで一つ提案。

災害公営住宅を完成させた時点から、仮設住宅の家賃も有料化する。
もちろん、公営住宅とは設備や広さの面から考えて、安くするべきですが、やっぱりタダというのは良くない。

私は、津波後、ずるい人をたくさん見てきました。
海外のニュースでは、日本人を美化する報道があったりしましたが、やっぱり日本にもドロボーはいるし、被災者面して、補助をたくさん懐に入れようとする輩がいるのです。
身近には、山田町民を騙した「NPO大雪りばぁねっと」と元町長ら執行特別職。
彼らは、自分たちから正直に真実を話し、町民やその原資を担った日本国民に謝るべきです。

先日、寒修行で、寺の坊主が家にやってきました。
その坊主は、私のヨット部の後輩なのですが、彼は、NPOという名の組織をあまり信用していないとのこと。
彼は、「NPO」を税金の無駄遣いと見ているようです。
話を聞くと、「へえ〜」とうなるようなことばかり。
税金で飲み食いしているようなNPOもあるとか。

こういう人たちは、過剰福祉の産物です。
過剰福祉に関わる人たちは、税金ドロボー。
しかし、彼らは弱者を装ったり、その偽装弱者を助けようと善人ぶったりするから性質が悪い。

ドロボーは、逮捕され裁きを受けますが、一方、この偽装弱者や善人ぶった人たちは、ずっと税金ドロボーのまま。
これなら、裁きを受ける分、ドロボーのほうがマシ。
ドロボーは、罰金を払い、払う能力がない場合、刑務所で働きます(罰金を払う能力があるなら、ドロボーはしませんよね、笑)。

ちょっと脱線しました(ちょっとどころでない?)が、被災地復興の鍵は、被災者にあり。
もう、国や県の対応が悪い、という話では解決しません、と、みなさん思いませんか。

頑張りましょう!

ではでは〜。
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2012年12月27日

被災地の真実 4

みなさん、こんばんは。

昨日、8尾しか獲れず、ついに切り上げました。
今年は、昨年より少し獲ったかな?

今日は道具上げをし、あとは、お世話になっている業者への支払い回り。
こういうのって、時間ばっかりかかって、生産的でない。
でも、こんなのでご飯を食べている人もいるから、生産的なのか。
暇な時にやる用事です。

その暇な時に聞いた話。

津波被害者のための仮設住宅が、岩手県沿岸には点在していますが、仮設住宅の住人に、何と、自宅を新築しながら、まだそこに居座っている人がいるんだそうです。
仮設住宅に住むメリットは、何といっても、支援物資が潤沢に手に入ること。
したがって、それを目当てに、入居した、という人もいるとかいないとか。
もう、嫌なくらい、いろいろな噂を耳にします。

彼らは、「もらえるものは、タダでもらえ」というホイドー主義なのでしょうか。
タダではないのに。
金食い虫、税金ドロボー。

「ホイドー」と書きましたが、この「ほいどー」という言葉、これって、宮古地方の方言なのか、それとも、岩手県なのか、東北の方言なのか、ちょっとわかりません。
検索すると、

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9E%E9%A3%9F(「Wikipedia」)

つまり、乞食をさす言葉なんだそうです。

でも、ほいどーのほうがまだ許せます。
自宅がありながら、弱者のふりして、まだ仮設住宅に住むなど、ほいどー以下。

まだ、あります。

ある会の会長が、「このまま仮設に住みたい」と発言したそうです。
津波前の自宅よりも、いろいろな装備が整っているから。
何といっても、エアコンが標準装備ですから、おそらくはエアコンのない家庭では、仮設を羨ましく思っている人もいるでしょう。
ちなみに、私の流失した家も、エアコンなしでしたよ。
扇風機冷却。
太陽光発電があっても、です。
今、住んでいるアパートは、エアコンあります。
みんな贅沢な暮らしをしていたんですね。
扇風機文化に慣れていたので、私は、暑いの平気です。

そういうわけで、ホイドー以下の人間が、被災地には、少なからずいます。
とにかく、「もらえるものは、タダでもらえ」ですから、感謝の気持ちがあるんだかないんだか。

ある加工業者が、補助金たくさんもらって、新工場などを建てましたが、その人に、私は、「軌道に乗ったら、自分だけの懐を肥やさないで、ある程度、利益を放出しないと。税金使っているんだから、社会還元しないといけないよ」と言いました。
さて、彼は、補助金に対し、感謝の気持ちがあるのかどうか。

その私も、補助金で、かごを200個ばかり、いただきました。
途中で、「要らない」と言っても、取り消し不可。
小さい18尺とか16尺とか、そんな船外機船も、私は、くじ引きで最後から2番目の支給です。
私は要らなかったのですが、父は、一応、申請しました。
が、その父も、途中で漁協へ行って、「まだ作ってないだろうし、もう要らないから断ってくれ」と言っても、取り消し不可、だそうです。

なんだか、まるで、それらを作っている業者のために、“復興”があるみたい。
巷間で噂されるとおり、被災地ではなく、大手の業者へ利益が転がり込む構造になっているようですね。

ははは・・・。
被災地のほいどーたちと大手業者が、日本の税金をいっぱい食っているんです。
こんなものですから、復興への資金投下は、ほどほどにしたほうがいいと思います。

え?
復興の足を引っ張るな、って?

いや、被災2年目にもなると、綺麗、汚いが、だんだん見えてくるものです。
やりすぎってのはよくありませんから、その辺は、節度をもってほしいですね。

ではでは〜。
posted by T.Sasaki at 20:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 大震災・復興 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月28日

震災の爪あと

みなさん、こんばんは。

今日は、沖は休み。
雨模様であり、オカ仕事もちょっとやれないので、普代村のある船主のところへ行ってきました。
昨年、突然のイカの大漁で、イカ箱が足りなくなったので、その船主から沖合いで借りました。
それを返すためです。
ついでに香典返しも含めて。

行きは、国道45号線を素直に北上し、帰りは、北山崎から島越を経由してきました。
ところどころで写真を撮ってきましたので、私流のコメントを添えて、その一部を掲載したいと思います。

太田名部防潮堤.JPG

まずは、普代村の太田名部漁港の防潮堤。
これが、津波を完璧に防いだ防潮堤です。
私は、防潮堤の高さだけが、津波を防いだのではないと思います。
その秘密は、たぶん、太田名部沖の水深に関係しています。
ここの沖は、すぐに水深が深くなります。
黒埼灯台の下など、すぐに水深100m。

同様に、青森県の泊(六ヶ所村)地区や白糠地区(東通村)も、海底水深がすぐに深くなるので、被害は少なかったと聞きます。
したがって、懸案の核燃リサイクル施設への津波の襲来は、たぶん、ありません。
反核燃団体の方々、その点は、安心していいと思います。

ちょっと脱線しますが、昨日、「原発と放射能を考えるシンポジウムin山田」が開催されたようです。
「豊かな三陸の海を守る会」主催。
私は会員でありながら、ちっとも知りませんでした。

http://www.iwate-np.co.jp/hisaichi/y2012/m10/h1210284.html

この岩手では、放射性物質など、気にする必要はないと思います。

子どもたち?

大丈夫。

子どもたちですら、母親の胎内にいる時から、すでに、放射線に攻撃されているのです。
カリウム40という放射性物質は、私のような体形でも、4000Bq保有しています。
4000Bqとは、1秒間に、4000発もの放射線が飛び交う量、ということ。
したがって、胎児ですら、すでに、この程度の放射線を浴びている。
言い換えれば、この程度の放射線では、胎児に異常は生まれない。
もし、異常が発生するならば、それは、たぶん、DNA修復遺伝子に何らかの欠陥がある、ということ。

マダラから検出される数十ベクレルから百ベクレル程度の放射線など、とるに足りません。
米1kgにも33Bqの放射能が含まれているのですから、これで騒ぐなど、あ〜、バカくさい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%83%A040(「ウィキペディア フリー百科事典

もし、岩手県産マダラがダメなら、生協さん、米も取り扱うことができませんよ。

過剰反応は、誰の利益にもならない。

北海道産マダラも。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/121012/dst12101223230018-n1.htm(「MSN産経ニュース」)

かなり脱線。

北山崎元有料道路.JPG

この道路ができた当時は、有料道路だったんですが、いくら観光地でも、車が走らないものですから、人件費ですら、払えなかった?
今は、無料の寂れた道路です。
まっすぐで、アップダウンする風景です。

無照明トンネル.JPG

電力不足対策で、照明を消している?

のではなく、元々、ない。
自動車のライトだけで十分。
ここの道路は、1ヵ所を除いて、全部、無照明。

これからの照明は、LED。

北リアス線.JPG

三陸鉄道の北リアス線。
この界隈は、すべて、こんな状況。
全国からの支援で、復旧工事中。
鉄筋コンクリートが、このありさまだから、津波の破壊力はすごい。

全国からの支援は、ありがたいのですが、無駄がまだあると思う。
例えば、以前運行していた最終便など、あれは酔っ払いのためにあるようなもの。
私も酔っ払いで乗ったことがありますが、乗客は、一人か二人。
あとは、沿線住民が、もっと利用すべき。
そうでないと、「助けてくれ」とか、「鉄路はあるべき」などという偉そうなことは主張できない。

田老防潮堤.JPG

今や、観光スポットと化した田老防潮堤。
もう1グループ、ほかにもいた。

ということで、普代村から宮古までを見てきました。
宮古市街地は、大丈夫、恵まれています。

私も、もう少しで、津波の後片付けが終わります。

ではでは〜。

晴れ
posted by T.Sasaki at 21:55| Comment(2) | TrackBack(1) | 大震災・復興 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月15日

改善しようとしない行政

みなさん、再び、こんばんは。

食べようと思って、魚を箱に置いていたら、この通り。

カラス復活.JPG

犯人は、カラス、そして、猫。
生き物だから、しょうがないか。
穴が開いてない分、まだ幸せ。
ねずみは、どこへ?」で書いたカラスたちは、やっぱり戻ってきたんですね。
猫は、津波の時は、いったん、山へ隠れたそうですが、戻ってきました。
ねずみは、私のところでは、相変わらずいませんが、やっぱり、崎山あたりの山には、けっこういるらしい。

最近、カラスは非常に元気で、魚市場で水揚げしていると、船のマスト類に、カラスがたくさん止まっていて、船に残っている魚を食べようとしています。
その魚市場岸壁には、一応、係船時のクッションの役割を果たすゴムが付いています。

岸壁ゴム.JPG

この写真だと、縦に付いていて、問題ありません。
が、下の写真のように、横に付いていると、さあ、大変。
潮の干満により、小型船を係船していたりすると、このゴムの下に、舷側が入ってしまい、知らないうちに船が傾いたりします。
最悪の場合、そのまま転覆。
水揚げ中に波が来た時も、舷側や防舷材を壊したりします。

岸壁ゴム2.JPG

せっかく、岸壁のかさ上げ工事で、一度、このゴムを全部取っ払ったのだから、横のゴムを縦のゴムに換えればいいのですが、しかし、国や県は、飽くまで現状復帰をするようなのです。
このことは、宮古魚市場で言っていました。
いくら、「縦ゴムにしてください」とお願いしても、県が耳を貸さないそうです。
せっかく、カネをかけるんだったら、ダメなものは、改善すべきです。
いつまで経っても、税金を使う人たちって、成長しないのね。

ついでに、宮古漁協の製氷工場の写真。
津波後の壊れた製氷塔と、復活した製氷塔。

製氷工場.JPG

製氷工場2.JPG

昨年の8月、これが復活する時、私は、試運転の実験台になりました。
「製氷塔が使えますよ」という甘い言葉に誘われ、その岸壁に着岸したら、やっぱりダメです。
2トンもの氷を「ワッセ、ワッセ」と、ヨコダ(万丈カゴ)で船に積みました。
これが何日か続き、再び「製氷塔が使えますよ」という声。
いよいよ、製氷塔から氷が落ちてきましたが、しかし、機械の調整がうまくいかず、時間がいつもの3倍ぐらいかかりました。
「外来船は、短気な人が多いから、怒られるよ」と言って、その後、1週間ぐらいだったかなあ、正常になったような気がします。

この製氷工場は、大船渡港のサンマにも貢献しているんですよ。
大船渡港には、大型のサンマ船が水揚げに来ましたが、氷がまだ出来ないなくて、そのため、宮古へ回航し、氷を積んでから出港していきました。
もし、宮古製氷工場の復活が遅かったら、大船渡魚市場での水揚げは、ちょっと遅れたでしょう。

しかし、この製氷工場も、他の製氷工場のお世話になっています。
氷が足りなくて、他県の製氷工場から、氷を融通してもらったからです。
みんな、譲り合って、ここまできたんですね。

譲らないのは、岸壁復旧で見るとおり、行政機関。
何とかしてくださいね。

ではでは〜。
posted by T.Sasaki at 22:01| Comment(4) | TrackBack(1) | 大震災・復興 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月17日

瓦礫の広域処理が、風評被害を生む?

みなさん、こんばんは。

前出、高橋さんと一緒に水揚げした時、市場のある方に、「もう、ほかのはいいから、風評被害を何としないと」と言われました(「ほかのはいいから」は余計だと思いません?)。

それほど、ひどいのですよ。

宮古魚市場でも、箱入れマダラが、300円。
噂によると、他の市場では、100円台もあったとか。
これって、すごいんですよ。

確かに夏のマダラは、もともと安いんですが、300円?100円?というのは、ひどい、としか言いようがありません。
箱は、発砲スチロールで、1箱170円から180円です。
これに氷を少々。
1箱あたりの経費がだいたい200円として、300円で売れば、100円の利益。100円で売れば、100円の損。
これでは、経営、成り立ちません。
確かに、放射性セシウムが検出されてはいるんですが、毒と言えるのかどうか、というレベルです。

ある方から聞いたのですが、瓦礫問題が尾を引いているのではないか、という話を聞いて、驚いています。
瓦礫受け入れで、各地の市民団体が抗議していますが、感情極まり、三陸産や岩手産の食品に、そのとばっちりが来ている、と。
本当に、感情的になっているらしい。


「瓦礫寄越すなら、宮古産は食べない」

ありそうな話です。
人間は、学問をもっているから、他の動物と違うんですが、もう一つ、感情が豊かであるのも、他の動物と違う点。
政治は、少なからず、住民感情を利用していますから、この点を考慮しなかった宮古市、そして岩手県の政治家たちは、アホだ。

なぜ、素直に、瓦礫を地元で処理しなかったのでしょう。
宮古市のバカ市長、議会議員ども、そして、県!
クソでもくれえやがれ!(これ、幸福丸さんの台詞)

ここからは、最近思い付いた私の考え。

関東大震災や東南海地震が予測されている中、その被害の瓦礫量は、岩手の寒村の比ではありません。
これを受け入れるためにも、瓦礫処理システムを完璧に構築すべきです。
そう考えるなら、少々時間がかかってもいい。
そして、これは寒村地帯の雇用にもなります。
かつ、瓦礫処理のお願いをせずに済むし、非難もされない。
被災地が瓦礫処理の努力をすれば、「少しぐらいの放射能なら、食ってもいいや。被災地が頑張っているんだし」と応援してくれるでしょう。

岩泉町長や陸前高田市長はエライ!
先見の明がある(「瓦礫も資源」参照)。
宮古市長たちは、アホだ。
代表者たる資質がない。

私より遥かに頭がいいはずの政治家なら、こんなことは考えているはず。
違う?
何が“復興”だ!
何が、“復興はスピード”だ!
クソでもくれえやがれ!

とういことで、本当は、市川定夫さんの、「人工放射性物質は蓄積する」を否定しようとする文章を書こうとしたのですが、残念ながら、次回か、その後か、・・・。
あ〜、眠くなった。

おやすみなさい。

ではでは〜。
posted by T.Sasaki at 00:15| Comment(7) | TrackBack(0) | 大震災・復興 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月07日

河村たかし名古屋市長も、・・・

あなたは、やっぱり、河村たかし、だ。

瓦礫も資源」「元気の出る新聞・ラジオ」に関連して、河村市長も、「現地の処理の方が雇用につながるし、経済効果も生まれるので基本的にはそっちでやるべきだ」と発言しています。

http://mainichi.jp/area/aichi/news/20120407ddlk23040202000c.html(「毎日jp


ちゃんと考えれば、やっぱり、こうなると思います。

瓦礫は、骨材資源、プラス、雇用資源!
posted by T.Sasaki at 20:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 大震災・復興 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

瓦礫県外搬出量、全体の10% (ラジオネタ 2)

元気の出る新聞・ラジオ」で、大塚富夫さんのことを書きましたが、今日も、網修理しながら聞きました。
IBCラジオ、「大塚富夫のタウン」という番組。

http://www.ibc.co.jp/radio/town/

そこで、瓦礫広域処理のことが出てしまいました。

あ〜あ。

大塚富夫さんも、瓦礫広域処理に賛成でした。

その中で、岩手で生じる瓦礫量と県外へ搬出される瓦礫量の比較を論じていまして、意外にも、搬出される予定量は、少ないんですよ。
たったの10%が、県外処理される量であり、だから、「たったこれぐらいの量なのだから、できれば全国で協力してほしい」と話ていました。

でも、私の場合、「たったの10%ならば、それくらいどこで処理したって大して変わらないから、苦情を言われるくらいなら、県内で処理したほうがいい」となります。
この広い岩手、瓦礫置き場なんて、たくさんあります。

ということでした。

その後、「大塚富夫のタウン」では、今日から、「私の3.11」という投稿を、番組で紹介していました。
私は、途中から聴いていられなくなり、気晴らしに、FM岩手へ変えました。

まだ、ある瞬間、涙が出ちゃんうんですよ。

みんな、そんなものです。

ではでは〜。
posted by T.Sasaki at 20:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 大震災・復興 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

水門建設で、県は、責任を全うできない

みなさん、こんばんは。

何と、2日続けて、イサダを1匹も獲ってきません。
こりゃ、大変!
もしかして、来週で切り上げかも?

ということで、暇。



4月15日午後、宮古小学校体育館で、閉伊川河口の水門設置説明会が行われるそうです。

http://blog.goo.ne.jp/traum2011/e/b276176e71c40b4098ee10e7bace1b9a(「宮古on Web『宮古伝言板』後のコーケやんブログ」)

閉伊川河口に、でかい水門って、似合わないと思いません?
私は、嫌いです。
だから、次のご意見に賛成!

海が見えなくていいのか?!(「宮古on Web『宮古伝言板』後のコーケやんブログ」)

「それでは、津波を防げないだろ!」

という人がいると思います。
特に、県のお偉い方々は。

ここからが問題。

これには、基礎的な考えが必要になってきます。
それは、ズバリ、「行政府は、国民あるいは市民のどこまで面倒をみるべきか?」ということです。
このことは、拙「漁師のつぶやき保存版」の「政治」小項目の「これ、変じゃない?」で問うたことですが、ファイルを無くしてしまいました。

災害時、市民の生命は、ソフト面で、ある程度、救えますが、完全に救うことはできません。
もちろん、市民の財産も同様であり、救えるのは、ある程度でしかありません。

それでも、行政府は、市民の財産まで守るべきか?

もし、守るべきであるのならば、途方もない税金が必要となります。
たださえ、3割以下の財政なのに、とてもじゃない、そんなカネ、どこにもありません。
災害は、何も津波に限ったことではない。
よって、無理なのです。

私有財産は、その財産を持つ人の自由意志、自由選択で、こしらえたものです。
だから、私有財産が、自然災害により、損害を被ったからといって、それを、行政府の責任のするのは大間違い。
行政府に強制的に押し付けられたものならば、話は違いますが、自分が好き好んで選んだ土地に、好きな建物を建てたのなら、それは、自己責任。
自由選択自己責任の原則です

行政府は、歴史から、災害危険情報を出すことはできます。
しかし、完全な「安全」を、保障できません。
今回の巨大津波が、その前例となりました。

したがって、防潮堤の高さを各地で設定し、これにより、津波浸水地域の情報を出し、あとは、市民各自が判断すればいい、ということにすればいいのです。

Simple is Best !

だから、防潮堤の高さが云々、という話は、あまり意味がないのです。
高くすればするほど、税金は高くなり、儲けるのは、建設業だけ。
この辺のことを考えれば、今回、県の設定した防潮堤の高さ、というのは、まあまあいいかな、というところでしょうか(これは後述します)。

「水門の話が、なぜ、防潮堤の話なの?」とお叱りを受けそうですが、ちゃんと、話はつながっています。

県の説明は、カネの話。
つまり、同程度の津波浸水なら、水門建設が安上がり、ということ。
これに、宮古市民が反発しているわけですが、津波防災と洪水防災とを兼ねて、せっかく、「河川敷堤防を高くする」という設定のもとで、まちづくり案を練っていたのですから、市民が怒るのも無理ありません。

ここで、自由選択自己責任の原則を持ち出します。

宮古市民たちが選択した河川堤防事業(何も作らない、というのも選択肢)となると、その責任は、宮古市民が負うものであり、犠牲者や財産被害が出たとしても、すべては、市民の責任です。
この場合、県には、全く責任はありません。

一方、県の押し付けた水門事業で、あらゆる責任を、県は負うことができるでしょうか。

絶対に、できません。

したがって、県は、責任を取ることができないのだから、宮古市民判断を尊重すべきなのです。

単純明快!
(これくらいの説明は、市議会議員なら、できると思うんですが、大丈夫? 基礎ですよ、基礎!)



最後に、防潮堤の高さを、「まあまあいいかな」としたことについてですが、湾内の津波の高さを予測することは、不可能です。

仮に10mの津波が来たとして、湾内で、入った波と反射波が干渉し、ちょうど重なった時、それは、20mになります。
しかも、津波は何度も押し寄せますから、新たに入ってきた津波が、湾内干渉波と重なったら、確実に20mは超え、局地的には30mを超えるでしょう(学校教科書の「波」「干渉」のおさらい)。
防潮堤の高さを、10mではなく、20m一律にしたって、どこかで必ず、津波は防潮堤を越えるのです。

以上のことが、「まあまあいいかな」という評価の理由とはなりえませんが、しかし、どこまで高くすればいいか、という答えを探す場合、使用される税金の問題から絡めるなら、適当である、と私は考えます。
もちろん、防潮堤の高さが、それ以下の高さに設定されたならば、私たちが、住宅を再建する場合、リスクを考え、もっと高台に建てなければならない、ということです。

せっかくここで、リスクという言葉を使いましたので、ちょっと、また一つ。

海辺で事業をしなければならない人たち、宮古でいえば、水産業ですが、彼らは、津波リスクを背負いながら、事業しなければなりません。
嫌でも、津波浸水地域で、仕事をしなければならない。
しかし、その他の産業は、津波リスクを負う必要はありません。
したがって、その他の産業は、津波浸水地域に、事務所や工場を立地するということを、するべきでない。

津波リスクを負うのは、浸水地域で仕事をしなければならない人たちに限られるべきである、というのを、都市計画の基本とする。
単純明快な計画思想というものを最初に設定しておけば、いろいろな立地制限の説明に役立ちます。

これに加え、「巨大津波でわかったこと」など、歴史の真実を参考にしながら、事業を行っていくことが必要です。
私の住む高浜では、昔からの名士といわれる人の家は、全部残っています。
私のような成り上がり者は、津波常襲地に家を建て、たぶん、過去の津波で淘汰されたのです。
地理や歴史、というものを、侮ってはなりません。

残念ながら、こんな簡単な説明すらできていない市長を見ると、うんざりしますね。
山本市長には、市長としての資質が足りないのではないか、と疑ってしまいます。

なぜ、熊坂元市長は、こんな人を市長に推薦したのか?

熊坂さん、なぜなんですか?

いつかお会いした時、質問しますので、ちゃんと答えてね。

ではでは〜。

曇り
posted by T.Sasaki at 18:20| Comment(1) | TrackBack(0) | 大震災・復興 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月04日

巨大津波でわかったこと

みなさん、こんばんは。

嫌な嫌な花粉症の季節です。
おとといから、真っ盛りで、鼻水じゅるじゅる、目は、かゆ〜い。
マスクとティッシュと目薬は、手元から離せません。

テレビで見ると、大船渡は、杉花粉満開みたい。
気温的には、大船渡と宮古は変わらないから、たぶん、満開。
被災地は、花粉症全開です。

ちなみに、セシウム杉の花粉は、大丈夫みたいです。

http://www.yumenoko.biz/qa/post-50.html(「子供を放射能汚染食品から守る」)



例の閉伊川水門事件は、宮古市民にとって、衝撃的でしたね。
市民の選択したものを、県と宮古市長が簡単にねじまげたんですから。

私が最も危惧していることは、小型漁船の避難岸壁がなくなるのではないか、ということです。
津波後、私たち小型船が係船できる岸壁は、閉伊川岸壁しかありませんでした。
そして、長周期のうねりが入ると、その上流側しか、安全な場所はありません。
私も、復活する前は、下流側に係船しており、寝ていたら、1度、もやいロープ(係船索)が、ぷた切れて(「ぷたぎれる」と発音するみやご弁かな。切れるの意を強調したもの)、真夜中にロープを取り直しました。
あの時は、ロープを延ばしてフリーにすると、10m近くも船が行ったり来たりしました。
たぶん、太平洋の対岸から、何度目かの津波反射波が来たのでしょう。
上流は、もうすでに船でいっぱいだったので、テトロン系の伸びるロープを上手に使い、その後の時化は、なんとか乗り切りました。

ただの時化でさえ、係船岸壁確保が難しいのに、水門を作って、閉伊川岸壁を使えなくなると、もし、再び、大津波が来た後、係船する場所がない。

「藤原埠頭岸壁があるじゃないか」

という方は、「津波の記憶 4」を読んでください。
あそこは、小型船の繋ぐ所ではありません。



そこで、私が黙っているわけがありません。
岩手県の河川課に電話をし、宮古市閉伊川河口の水門について問い合わせました。

ここで、みなさんは、何か想像したでしょう。
しかし、残念ながら、おとなしく質問しただけです。

「水門を作って、小型船がその下を通れるのですか」

回答は、通れるように、水門の下端を高くする、とのこと。
これなら、まあ、いいや、ってことで、

「今回、津波の後、小型船の使える岸壁は、閉伊川岸壁しかなかった。これを使えなくなるような工事ならすべきでない。防潮堤や水門というのは、津波が来た時のことを考えて建設するのだから、その他のことにも、津波後の視点を取り入れないと」

と話したら、相手もこれには「なるほど」と同意し、電話を切りました。

最初に、「宮古市閉伊川水門のことで、ちょっと聞きたいんですけど」と言ったら、ちょっと間がありましたね。
たぶん、警戒したのでしょう。
この電話をしたのは、2週間ぐらい前の話で、まだ、スッタモンダの争いが、まだ冷め切らないうちでしたから。

3.11津波後、すぐに係船できた岸壁は、閉伊川から魚市場前、鍬が崎にかけての岸壁、及び、藤原埠頭岸壁。
ある程度の瓦礫撤去後、係船できた岸壁は、神林港。
他の宮古市内にある岸壁は、すべて使える状態ではありません。
もちろん、田老から重茂も含めて、です。

そして、次に、みなさんが張り切っている防潮堤について。

今回、防潮堤の役に立ったところと役に立たなかったところがわかりました。
例えば、普代村の防潮堤は、完璧に近い出来でした。
あそこは、防潮堤の効果が絶大と言っていい。
私の住む高浜も、未完成ながら、減災には役立ちました。
隣の金浜から湾奥では、ほとんど役に立たなかった。
驚きですよね、隣同士で、ぜんぜん違うのですから。

防潮堤が役に立たなかった地域では、そこに住むべきではありません。
特に、私のように身内を失った者から見れば、そんな場所に家を建てるなんて、狂っているとしか言いようがない。
家が、最初から高台にあれば、仮に、身内の者の足が不自由であっても、私など、安心して、船を沖に出すことができます。

この「仮に、身内の者の足が不自由であっても」という例の場合の数は、想像すればするほど、数え切れなくなります。
したがって、津波浸水地域に家を建てるのは、やっぱりやめたほうがいい。
そうでないと、同じことを繰り返します。


以上のように、今回の津波で、わかったことを検証し、いろいろな方策を練ればいいと思います。

と、あとは、丸投げ?

追記。
もう一つ、わかったこと。
電話網が、固定にしろ、携帯にしろ、使えない、ということ。
宮古on Web「宮古伝言板」後のコーケやんブログ 」でコメントしてきましたが、アマチュア無線の活用が重要になってくると思います。
今では、スキャンしても、ほとんど通話なし。
結構、楽しいと思うのですが。

ではでは〜。

曇り
posted by T.Sasaki at 20:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 大震災・復興 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月03日

元気の出る新聞・ラジオ

みなさん、こんばんは。

今夜は、時化(しけ)予想。
挙句の果て、先ほど地震があり、さすがの私も、ちょっとあせりました。
天候の悪い時に、津波が来ては、さあ大変。
船を避難させるのに、悪天候は困りますから。

さて、今日は、震災のヒーロー紹介です。
それは、大きな支援活動をしてくださっている名古屋市です。
もちろん、名古屋市以外の自治体も、たくさんの支援をして下さっているのですが、お気に入りの河村たかしさんが登場するものですから(笑)。

河村たかしさんは、漁師のつぶやき保存版でも活躍しています。

http://milky.geocities.jp/umaimono_tabetai_hito/tubuyaki-chihou17.html
http://milky.geocities.jp/umaimono_tabetai_hito/tubuyaki-nenkin3.html

陸前高田市を全面支援している名古屋市は、河村たかしさんだけがヒーローなのではなく、名古屋市民全員がヒーローなのです。
この支援に、何と!市民の94%が、支持しているからです。
以下に、新聞記事より転載します(ウェブサイトにありませんでしたので)。



河村名古屋市長インタビュー

東日本大震災の復旧・復興は、県内外の地方自治体の支援が大きな力になっている。名古屋市は震災発生から間もない昨年4月7日、陸前高田市を全面的に支援することを表明した。これまで延べ143人の職員を派遣し、行政機能の回復に向けて、幅広く、そして息の長いサポートを続けている。名古屋市の河村たかし市長に取り組みの意義や支援継続の決意を聞いた。
(聞き手は東京支社編集部・細川克也

― 陸前高田市を支援することになった経緯は。
「震災直後の昨年3月19日から現地調査の先遣隊を岩手県に派遣した。その時、岩手県や陸前高田市から保健師た足りなくて大変困っていると聞いた。これが全ての始まりだった」
「名古屋のような政令指定都市は、消防や水道、住民票の交付や都市計画の策定など、多くの都市機能を持っている。だから『ミニ市役所』のようなものをつくり、職員を長期的に派遣して、陸前高田を丸ごと支援することにした」
― 震災直後、すぐに全面支援を決断できたのはなぜか。
「(政界入りする前は)商売をしていたので、国など誰かから言われて何かをするとか、そういう考えはない。被災地に行った職員から行政機能を丸ごと長期にわたって支援することを提言され、それは喜んでもらえると思った」
― 名古屋市をはじめ多くの地方自治体が被災地支援に取り組んでいる。被災地を支援する意義をどのように考えているのか。
「困っている人を助けるのは当然だ。自分たちが何もできないほど困窮しているのであれば話は別だが、そのように助ける力があれば、人間が困っているときに手を差し伸べるのは、ごく自然の行動だ」
「名古屋市は1959年に伊勢湾台風の被害を受けた。私の自宅も壁が抜けて半壊になった。(その時に全国から助けてもらったので)困っているなら『みんあでやらにゃ』という、人として当たり前の気持ちがある」
― 支援活動を継続することで、名古屋市も得られたものがあると思う。
「陸前高田の人に喜んでもらえるということが何よりだ。(名古屋に招待した)陸前高田の中学生が帰る時に涙を流してくれた。市の職員も涙をこぼしていた。人生で本当に喜んでもらえることはそうないだろう。陸前高田の皆さんに感謝したいくらいの気持ちだ」
「災害はあってほしくないが、いつかは起きる可能性がある。大災害が発生した時、どのように行政機能を立ちあげるか、何が必要になるかということについて(今回の経験は)非常に大きな力になると思う」
― 被災地支援をすることについて、市民の反応は。
「市民の税金は本来、名古屋市の行政サービスに使われるべきもので、そのお金を陸前高田市の応援に使うとなると、市民の理解がないとだめだ。市民のアンケートでは94%の人が『支援に賛同する』と答えてくれた。今はそのおかげでやれている」
― 震災による復興支援を機に、両市の交流も深まっている。
「これからは支援というよりも共存共栄のような形にしていきたい。(名古屋に招待した陸前高田の)中学生には就労体験の評判がよかった。陸前高田は水産業が多いと思うので、名古屋ではホテル業務の実習や、工場の作業、大病院での看護など、都市ならではの体験をしてもらった。今度は名古屋の中学生が陸前高田の水産業の体験ができればと思っている。都市の規模や性格が違うからこそ、互いに補うことが大事だ」
― 今後の支援の方向性とその決意を聞きたい。
「兄弟のようになればいい。産業交流も含めて、人間の縁というものは重要だ。向こうの方が『もういいですよ、イッツ・オール・ライト、OKです』と言うまではずっと続けようと思っている」
「2012年度は13人の職員を派遣する予定だ。こんな大規模なパッケージとして支援をトータルにやれる。喜んでもらえるのは公務員冥利に尽きる。普通、民間企業ではこんなことはできないからね」
― 震災発生から1年。復旧・復興の道のりを歩んでいる被災地の人々にメッセージを。
「名古屋市が寄贈した四輪駆動車を被災地で見た。泥まみれにあんっていた車には「応援します!!岩手・東北のみなさま 名古屋市民』と記されたステッカーが貼ってあった。名古屋市民の気持ちが岩手の街や山を駆けめぐっている」
「人間、つらいことが多いけど、きっとええ日はやって来る。『頑張れ』と言うのは好きではない。自分たちが被災者へ応援を頑張らなければならないのに、苦しい人に頑張れなんて言えない。未来を担う子どもたちには『立派になってちょうよ』と声を掛けてあげたい」
(2012年3月11日付「岩手日報」震災1年特集5面)



新聞記事によると、名古屋市の民間企業も支援に回っており、49社から支援の申し出があったとか。
すごいですね。
私も、いつか、恩返ししたいと思っています。

それから、今後の報道のあり方についてですが、このように、「どこの誰が、支援してくれているよ」という記事を、たくさん掲載してほしいと思います。
「助けてくれ」報道だけでは、支援してくれている人たちに失礼です。
無償で支援してくれている人たちの行動ほど、被災地の励みになるものはありません。



ラジコ(radiko)
みなさん、ラジコを知ってますか?

http://radiko.jp/#

私は、瓦礫の中から回収した泥だらけのイサダ網を、一生懸命復活させようと、毎日、針で縫っています。
あと1週間で終わる予定。
一人でやっているので、さびしい。
そこでラジオを聴きながらやっています。

ほとんどNHKばかり聞いていたのですが、全国ラジコの終わり頃、IBC(岩手放送)ラジオのラジコを聴き、感動しました。
全国からの支援の声や行動が、ラジオ放送で紹介されていたからです。
たぶん、ラジコを通じて、不足しているものなどを、被災地の放送局が発信し、それを全国のリスナーが聴いて、支援したのだと思います。

radiko.jp復興支援プロジェクト

IBCのアナウンサーは、大塚富夫さん。

http://www.ibc.co.jp/radio/town/

私の中学時代の人気ラジオ番組は、「IBCトップ40」。
岩手県内のレコード店などの売り上げやリクエストの集計で、その週の上位40曲の歌を、一挙に放送しました。
その時のメインアナウンサーが、大塚富夫さんでした(女性のアナウンサーと2人でやっていたけど、名前忘れた)。
あ〜、本当に懐かしい。

私はあまり支援を受けませんでしたが、しかし、それでも、被災地の人たちが、ラジコを通じて助けられ、励まされていたのには、感動し、非常にうれしく思います。
その中でも、愛知県の方々からの声援が、多いように感じました。
飛行機の直行便が、愛知と岩手を繋いでいるからなのかもしれません。

これからも、元気の出るような、感動的な放送や報道、期待しますね。

ではでは〜。

posted by T.Sasaki at 22:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 大震災・復興 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月27日

怒れる三陸の水産業者

みなさん、こんにちは。

今日の宮古船団、うれしいことに、イサダ大漁で、みんなほぼ定量(250カゴ)。
ところが、午後にぜんぜん、うれしくないことが・・・。
明日使うカゴを魚市場へ取りに行ったら、非常に腹立たしいことを聞いてきました。

昨年のサンマ漁は、岩手県、宮城県の加工屋さんがほとんど被災したため、北海道への水揚げが集中しました。
それでも、一生懸命復旧した加工屋さんもいて、その方たちが、本州の水揚げを支えました。
ところが、ウソをついてまで、儲けようとする業者が、北海道にはいるようです。

サンマから検出される放射性物質は、ほとんどND(検出限界以下)です。
それを、本州で水揚げされたサンマは放射性物質がたくさん含まれている、と言ったそうです。
北海道の取り扱い行業者が。
途端に、三陸産が売れなくなった、とか。

同じ漁場で獲ったサンマを、北海道に水揚げするか、本州に水揚げするか、の違いだけなのに、水揚げする魚市場や加工屋を攻撃するのは、どう考えてもおかしい。
こんな奴、日本人ではない。

それでは問う。

北海道産の食べ物には、絶対に放射性物質が含まれていないのか?

ちゃんと分かっている人は、否、と答えます。
なぜなら、過去の核実験による放射性物質は、世界中どこへでも、降り注いでいるからです。
検査結果がNDというだけで、検出限界以下のわずかな放射性物質は、どこの国の食べ物にも含まれているのです。

それを大げさに、1F(福島第一原発)事故を利用し、三陸産を放射能と結びつけるなんて、卑怯そのもの。
これじゃ、頑張って復旧させても、水の泡。

みなさんも、こういう人間にならないように。

そして、逆に、三陸産、応援してください。

ではでは〜。

台風
posted by T.Sasaki at 16:40| Comment(4) | TrackBack(0) | 大震災・復興 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月24日

夫婦舟

みなさん、こんばんは。

いよいよ、宮古地方特有の春雪の季節です。
重いんですよね、雪が。

今日は、雪かき終わってから、船のエンジンをちょっと修理してもらいました。
修理といえば、ちょっと大げさですが、一昨年、オーバーホールしたばかりなのに、インタークーラーの出口のパッキンから塩水が少しずつ漏っていたので、そのパッキン交換。

でも、それは大した問題ではなく、大問題は、散水ポンプのブレーカーが、いつも落ちること。
私の場合、定周波発電機の電気で、ポンプモーターを回し、それでカップリングでつながっているポンプが回ります。

原因は何か?
マグネットスイッチの接触不良、ブレーカーの容量不足、モーターのベアリング不良、ポンプのベアリング不良、ポンプ内かキングストンに異物が詰まっている、などなど、このうちのどれか。

症状がどんどん悪くなり、スイッチを入れたとたん、エンジンの回転が少し下がるくらいにまで負荷がかかり始めたので、こりゃ、ポンプに原因がある、と思い、今日、モーターとポンプのカップリングをはずし、モーターだけ回してみました。
案の定、モーターまでは異常なしで、原因は、たぶん、ポンプのベアリング。
しかし、キングストンがしっかり閉まらず、造船場に上架しないと交換できないので、イサダを切り上げるまで、修理しないことにしました。
しかたがないので、移動ポンプを2台ほど用意し、それを使うことにします。

たぶん、普通の人は、何を書いているか、わからないと思いますが。

船齢が20年にもなると、借金がなくなっても、次々といろんなものが壊れていきます。
人間と同じ、ちゃんとケアしないと、全部がダメになる、ということです(と詳しい説明を省くための言い訳)。

さて、今日は、夫婦舟の紹介。

津波で立ち直れないほどの衝撃を受けた人は、高齢者に多いと思います。
なにせ、一生かかって築いたものが、ほんの数時間で、全部消滅したのですから。
その気持ち、わかります。
私の父なども、たぶん、そうだったのでしょう。
どこへ外出するにつけても、顔を隠すようにタオルを頭に巻き(ほおかぶり)、あまり他人と話をしなかった。

歴史の重みというのを、バカにしてはならないと思います。
私の住む高浜では、昔からの名士の家は、ほとんど無傷で残っています。
それらの家は、山際の小高い土地に建っているからです。
たぶん、代々と続いたその家々は、過去の津波の教訓から、そこに建っていたのでしょう。
その点、漁船漁業で成り上がった私の家は、立地が悪かった。
私で、たったの3代目ですから、歴史などなきに等しい。

歴史。
そう、歴史上、過去に大津波があったことは、わかっていることです。
大昔、今回のように、被災して家を失った人たちは、どうしたのでしょう。
例えば、よく引き合いに出される貞観地震ですが、これは平安時代の869年に発生したとされ、大津波の痕跡もあります。
この時代には、現在のような通信網などなく、多量の物資輸送手段など、あるわけもありません。

それでも、みんな知恵を出し合い、労働し、現在があるのです。

一方、「被災地は大変だ。瓦礫を何とかしてくれ。助けてくれ」という報道、テレビ放送など、“かわいそう”言論ばかり。
被災者側は、「助けてくれるのが当たり前」的感覚。

これが、何年続くのか。

これに比べて、今から1000年以上前の人たちは、たくましかった。
落胆や悲しみなど、ほんの短期間に捨てて、自分の生活を立て直さなければならなかったのです。

私の知っている、というより、すでに、このブログで登場している、清勝丸、という船があります。
その船主と私は友達であり、その婿さんは、今回の津波で帰らぬ人となりました。
彼は、残された3人の孫を抱え、途方に暮れました。
非常にかわいそうでした。
津波後、私は、船に住んでいたので、閉伊川岸壁の住人でした。
気がつくと、彼がいつも、岸壁沿いを、涙しながら、ウロウロしているのです。
あんな清勝さんを見たことがない。
その辺に浮かんでいないかと、婿さんを探しているのです。
自分の悲しみなど忘れて、彼の姿に、涙が出るほど。

彼が立ち直れないのではないか、と私は思いました。

ある日、私は、彼に言いました。

「魚を獲るのほど、面白いものはないから、もう一度、船で魚を獲りましょうよ」
「小本の妙運丸さんは、孫が船を避難させたため、船が助かったんですよ。清勝さんの孫も、もしかしたら、船乗りになるかもしれない。おじいちゃん!と言われて、いっしょに船に乗るのもいいんじゃないですか」

私は、その後、日本海へ行きました。

帰ってきたら、何と!夫婦舟をやっていました。

夏、彼らは、カゴを使って、タコを獲っています。
昨年は、異常に大漁で、こんな大漁は、20年ぶりくらい(20年前は、タコ資源は多かったが、たぶん獲り尽くしたのかもしれない)。
清勝さん夫婦は、明るく、復活していました。

その夫婦は、孫が3人もいるくらいですから、もう初老の域にあります。
その奥さんが、この年になって、初めて船に乗り、げぇげぇ船の上でやって、夫を支えました。
そうまでして、生きる夫婦がいるのです。
その後、奥さんのほうも、船に慣れ、船酔いしなくなりました。
いまや、一人前の漁師です。

高齢の被災者が、ショックで働けないのは、しかたがないと思います。
しかし、50歳以下の年代は、そうではない。
まだ、自分の頑張りで、やり直しのきく年代です。
とにかく、何でもいいから、チャレンジすべきです。

私とすれば、やっぱり漁師にチャレンジしてほしいですね。

チャレンジ精神なくして、復興はあり得ません。

ではでは〜。

晴れ
posted by T.Sasaki at 21:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 大震災・復興 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月19日

宮古魚市場前の悲惨な状況

みなさん、こんばんは。

今日は、朝、波が高く、戻ってきました。
でも、しかたないんですよ。
漁師は、いったん海に出て、海上模様から、自分の能力で操業できるかどうかを判断するんです。
それが、当たり前。



先日、宮古魚市場で、イサダを水揚げしている最中、もやいロープが切れました。
宮古湾の地形上、湾内には、沖うねりがモロに入ってきます。
その上、魚市場前の防波堤が、津波で破壊されたままなので、そのうねりが入り、船が5mぐらい、行ったり来たりしていました。
自然の波ですから、その波は一様ではなく、もっと大きい時もあります。
そのため、水揚げは、漁をするより、真剣です。
油圧ハンドルの操作を誤れば、イサダカゴを倒しますし、それが船に落っこちてくれば、乗組員は怪我をします。
たださえ、薄い漁なのに、カゴを転ばせば、その分、水揚げ金額も目減りします。
私は、まだやっていませんが、他船はやっているみたい。

でも、30mmのもやいロープが切れたのには驚きました。
イサダ網の曳きロープのお古ですが、それでも、これが切れるとなると、それ相当の負荷です。
切れなければ、船のほうが壊れたかも。

私の船は、9.7トンクラスでは、非常に重い方で、今流行の新造船に比べれば、船体重量で、3倍くらいはあると思います。
台風が来た時、他船の係船場所を借りたら、そのもやいロープが切れました。
その切れたロープよりも、もっと丈夫なものを付けて払いましたが。
だから、よほど重い。

夏の昼イカ漁の時もやっています。
夕方帰ってきて、魚市場前に係船しておき、そのまま、寝ました。
真夜中に、船体がゴツンゴツンとなるんです。
びっくりして起きてみたら、船尾のもやいロープが切れていて、船首のバルバスが、岸壁にぶつかっていました。
この部分のFRPが少し壊れていて、まだ修理していません。
その後、係船用ロープの1本は、弾力性のあるロープを使うようにしています。

現在のイサダ漁に戻って、そのもやいロープの切れた翌日も、前日ほどではなくても、うねりが入っていて、各船水揚げに苦戦していました。
水揚げ時間も、いつもの倍近くかかってしまいます。

私は、ちょっとキレ加減になり、市役所に電話しました。
市役所のほうでは、県の土木のほうの電話番号を教えてくれ、そこへ電話し、質問しました。

「いつになったら、魚市場前の赤灯台防波堤はできるんですか?」

対する答えは、

「設計協議中」

この答えには頭にきてしまい、

「もう津波が来てから、1年になるんだよ。何やっているんだ。市場に来てみなさい。どんな状態だか見にきなさい」

「担当のものが、今、席をはずしているので・・・」

「あなたの考えはどうですか?田老?重茂?音部?あっちの港は修理しているのに、なぜ、この重要な港に全く手をつけないんだ?優先順位はこれでいいのか?その辺の小学生や中学生だって、優先順位くらいわかるだろ?」

「・・・・」

返答なし。ガチャン。

その数日後、次のニュースが流れました。

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20120318_7

今頃、瓦礫撤去ですよ。

ここで、一つの疑問。
なぜ、海中の瓦礫撤去を、“てんでんこ”にやるのか、不思議に思いません?

オカの上の瓦礫撤去は集中的にやり、海のほうは、てんでんばらばら。

疲れます。

もう一つ、疑問。

優先順位は、誰が、どうやって決めているのか?
聞くところによると、田野畑村の島越漁港は、すでに修理済みとのこと。
その所属船の人も、魚市場前の状況は異常だ、と言います。

先日、私が気仙沼へ行ってきたことを記しましたが、途中、大船渡の細浦漁港へ寄っています。
そこは、高潮で漁船が岸壁に乗り上げないように、かさ上げ工事をすでに終えていました。
釜石魚市場もそうです。
宮古魚市場は、これから。

これらの工事の優先順位は、どうやって決定されているのか?

もし、これが政治の話ならば、私は、宮古に関係する議員連中、宮古市議会議員をはじめ、宮古地区選出の県議会議員らを、無能と判断せざるをえません。

これは、津波後に写した、宮古魚市場前の防波堤。

宮古市場前防波堤.JPG

これが、まだ、そのまま。

頑張ったのが、宮古漁協(でも、漁業者向けの補助関係は、全く出足が遅かった。私の場合、今のところゼロ)。
魚市場をどこよりも早く開設し、写真の製氷施設も、8月には復活させた。

製氷工場.JPG

私は、神林漁港でも、高潮時に、船尾を岸壁で傷つけ、これも修理していません。
もう、船も満身創痍です。
しかし、宮古漁協造船工場も、宮古魚市場前にあり、外洋から入るうねりから、船揚げにも、危険を伴います。

もう、うんざり。

せっかく船を助けても、船は壊れる一方。

全く頭にきます。

あ〜あ、どうしようもなく、見てられない。

市長!市議会議員!県議会議員!

しっかりしてくださいよ。

ではでは〜。

台風
posted by T.Sasaki at 20:59| Comment(3) | TrackBack(2) | 大震災・復興 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月11日

宮城県、頑張れー!

みなさん、こんばんは。

私は、今日、1日中、倉庫で網仕事をしていました。

その前に、朝、7時過ぎから、大津波避難訓練があり、またまたその前に、お墓参りをしました。

雪が降っていて、どれも寒かった。

イサダ網の修理は、乗組員総動員で、あと3日はかかります。
明日は大雪の予定だったので、日曜日にもかかわらず、全員集合!(あきらめるのをやめた。笑)

というわけで、私は、不謹慎にも、追悼行事には参加しません。
私の場合、あのような行事は、あまり意味がないと思うので。

寒かったし、日曜日でもあるので、午後4時には終わり、テレビを聞きながら、家でも網仕事。

もちろん、津波関連のニュースばっかりですが、その中に、復興交付金に対する不満を爆発させている宮城県知事が映ってた。
何だろう?ということで、調べてみたら、岩手県には、ほぼ満額回答なのですが、宮城県は、57%しか来ないのだそうです。

http://www.kahoku.co.jp/news/2012/03/20120303t71027.htm(「河北新報」)
http://www.kahoku.co.jp/news/2012/03/20120306t11025.htm(「河北新報」)

「え?なぜなの?」「ちょっと岩手県多過ぎじゃないの?」「宮城県少な過ぎじゃないの」と、誰もが思ってしまいます。

昨日、気仙沼まで行ってきた話を書きましたが、やっぱり宮城県のほうが被害が大きいし、復興も、岩手に比べれば、遅いような気がします。
気仙沼市内でさえ、まだ、漁船があちこちにあり、撤去されていないのです。
あれには、びっくりしました。
たぶん、南に行けば、もっとびっくりするんだろうなあ、と思います。
だから余計に、「え?なぜなの?」となります。

しかし、次のニュースで、謎が解けました。

http://mainichi.jp/area/miyagi/news/20120304ddlk04040047000c.html

宮古市の閉伊川河口水門事件と同じように、県と市町村がうまくいっていないんですね。

宮城県、頑張れー!



昨日のドライブで、個人的にうれしかったこと。
45号線を南下していき、陸前高田の入り口に、事業所なのか、倉庫なのかわかりませんが、太陽電池パネルがぎっしり敷き詰めてあった片屋根の建物を探しました。
それが、ありました、ありました。
大丈夫、残っていました。
うれしかったですね。
あれほど投資したのですから、流されれば、くやしいです。
他人事ですけれど。
自分の太陽電池パネルが流されましたから、あの建物が残っていたのは、余計にうれしかった。

私って、単純ですね。

ではでは〜。

晴れ
posted by T.Sasaki at 21:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 大震災・復興 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月10日

沿岸の復興には、漁業が必要!

みなさん、こんばんは。

イサダ漁は、木曜日にようやく初漁。
宮古入港船のほとんどが定量(250カゴ)だったのですが、私は出来が悪く、195カゴ。
昨日が定量。
「明日もやるぞ」と思ったら、浜止め。
その浜止めも、もめたようです。
宮古の船は、もちろん、大反対。
でも、宮古船団の声など、無視されがちなんですよ。
これにもめげず、頑張るしかない。

ということで、今日は、イサダ網修理用の材料を、大船渡まで買いに行きました。
ついでに、気仙沼まで足を延ばし、FRPの樹脂を2缶ほど買ってきました。

イカの針などを仕入れるため、昨年秋に八戸まで行き、今回、気仙沼まで行ってきましたから、初めて、岩手県の被災地をすべて眺めたことになります。

私が見るところ、最も被害の大きいのが、陸前高田市と大槌町。
次に山田町。
この3つの自治体が、本当に復活できるかどうか、非常に疑問です。
願望とすれば、そりゃ、立ち直ったほうがいいに決まっていますが、もうすでに、町としての機能が残っていないように感じます。
自立できるのかどうか。

岩手県沿岸のほとんどは、都会に比べれば、“寒村”と言ってもいいほどですから、もちろん、どの自治体も、3割自治であり、もともと自立しているわけではありません。
その上、今回の災害で、どれほどの割合が、自主財源で賄われているのでしょう。
もしかして1割を切っているかも?

地方にとって、活性化とは、何か、ということを、みなさん、考えたことがあるでしょうか。
活性化とは、カネを、できるだけ地域内で循環させること。
しかし、カネがないことには始まりません。
そのカネを、どこから、もってくるのか。
この辺は、もう10年近く前に書いた、下記リンクの拙文を読んでもらえば、わかると思います。

http://milky.geocities.jp/umaimono_tabetai_hito/tubuyaki-shoutengai9.html

これからわかるとおり、沿岸地域の活性化は、漁業復興にかかっていると思います。
しかし、残念ながら、漁業に従事する若い人が、あまりに少ない、という大問題が存在します。
これに関して、真剣に考える人が、あまりに少ない。
議会議員をはじめ、誰もがそう。
何度も書きますが、道路や住宅を建てても、漁業者が少なくなれば、沿岸地域の経済は、どんどん衰退するでしょう。
私の住む宮古市、特に、宮古漁協管内など、青年漁業者は、異常に少ない。

イサダ漁で、今、私の船に乗り組んでいる若者が、2人ほどいます。
どちらも20代で、非常に珍しいケース。
そのうちの若い方は25歳で、微笑ましいことに、彼女の話になると、途端に笑顔になります。
しかし、その彼女の両親は、二人の結婚に反対しているのです。
理由は、彼が漁師だから。

こういう話は、うんざりするほどありすぎ

私は、その乗組員に、「漁師って、まるで人間の職業ではないみたいだよな」「そのくせ、漁業は必要だ、などと偉そうに言っているくせに」と言ったら、彼はうなずいていました。
私は、彼が彼女とうまく結ばれればいいなあ、と思う。

昨年度の宮古漁協の定置網は、全部で7ヵ統あるのですが、最終的に、5ヵ統が復活しました。
乗組員は、いくら募集しても、半分以下にしかならず、その少数で、5ヵ統も復活させたのですから、その頑張りは見事なものです。
宮古漁協という安定した組織の乗組員ですら、確保できない。
こんな状態では、宮古の近未来は、非常に暗い。
復興にかけるカネは、きっと無駄になる。

そして、今からちょうど7年前に、下記リンクの文章を書きました。

http://milky.geocities.jp/umaimono_tabetai_hito/tubuyaki-chihou18.html

その頃から、すでに、あきらめモードであり、飲めないくせに、酒を飲むようになったのです(笑)。

みなさん、頑張ってね〜。

明日で、津波1周年。

もう追悼モードから、頑張りモードに変えないと、亡くなった人や助けてももらった人に失礼です。

ではでは〜。

曇り
posted by T.Sasaki at 21:13| Comment(2) | TrackBack(0) | 大震災・復興 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月06日

早すぎた瓦礫撤去

みなさん、こんばんは。

今日の宮古は、1日中、北風、曇り空で、少し寒かったのですが、それでも、暖かくなったなあ、と思っています。
明日も休漁みたいなので、FRPの汚い仕事をしました。
瓦礫の中から回収したイサダ網は、もう、あきらめムードです。
4つに分解した網の、一番大きいところにきたら、もうやる気なくなりました。
イサダの乗組員を集めてやってみましたが、みんな、ちんぷんかんぷん。
で、小さい穴だけ彼らにあずけて、私は、でかい穴をひたすら切っています。
つまり、網の入れ替え。

でも、まだ、網も買ってきてない。

あ〜あ、漁期中に網を破いたら、今年は、何日か休んで修理したほうがよさそう。

いや、切り上げかな?



先ほど、瓦礫のことをニュースでやっていましたが、放射性物質を含んでいるため、受け入れてくれる自治体が、非常に少ないですね。

「迷惑だ。自分のところで処理してよ。」

言い分はわかります。

例えば、もし、東海地震で、浜岡原発周辺が、同じような被害を受けたら、さて、岩手の自治体で、簡単に受け入れたでしょうか。

どうでしょう?

私は、どこに、何万トンの瓦礫があり、一般ゴミの何年分あるか、ということを知りません。
100年分ある、というところもあるようです。

私は、そんなにみんなの迷惑になるのなら、瓦礫をそのまま置いておいて、県内で処理してもいいと思います。
それが、何十年かかろうと。
何十年分の雇用ができたと思えばいい。

隣の山田町では、瓦礫が自然発火して、火事になりましたが、他所へ運ぶエネルギーをもって、何箇所にか分ければいい。

もう過ぎたことですが、「復興はスピード」と誰かが煽ったりしました。
スピードのある瓦礫撤去のため、使えるものも瓦礫の山に捨てられてありました。
それに輪をかけたのが、住宅瓦礫撤去費用の全額補助です。
冷静に考えれば、修理して使える住宅も、壊してしまったのです。
あの時期、もう少し考える時間的余裕があってもよかった。

瓦礫撤去回収事業も、そう。
ただ、回収して、積むのではなく、もうちょっと考え、ある程度、分別して積みあげれば、火事なども起きなかったし、もっと効率よく仕事もできたでしょう。
それにより、エネルギーや経費も節減できたはずです。
撤去が遅れれば、確かに、「汚い」「臭い」は、あるけれど、数ヶ月くらい臭くて汚くたって、それで人間死ぬわけではありません。
私の住む高浜などは、昔、ミール工場があったりして、臭いのは当たり前、という時代もあったことを考えれば、大したことではない。
ご覧の通り、撤去跡地は、空き地だらけ。
少しぐらい瓦礫を置いておいても良かった。

「復興はスピード」とは言うけれど、そのスピードに、疲労した人間の頭は、はっきり言って、ついていっていなかった、というのが、現実だと思います。

いろいろ反論あると思います。
例えば、「瓦礫があると、復興が遅い。」と。

でも、そうでしょうか。
私は何度も書いているように思いますが、「復興は、やる気」。

高浜の養殖施設の瓦礫は、最近ようやく撤去したんですよ。
それでも、残った人たちが、知恵を出し合い、ちゃんとカキ、ワカメを生産しています。
瓦礫があったら、そこを避けて、仕事をするのです。

これでいいのです。



ちょっと余談になりますが、東京都が、瓦礫処理で、真っ先に手を上げてくれました。
あの傲慢な石原知事のいる東京都では、意外な感じがしますが、でも、彼らは、ちゃんと計算しているんです。
もし、関東大震災が発生したら、その大量の瓦礫をどうするのか、ということを考えてのことでしょう。
瓦礫の量は、こんな片田舎の比ではない。

でも、ちょっとちょっと、ずるいなあ。

首都圏の使用電力を生産していたのは、福島原発です。
福島の恩義を感じているならば、放射能の強い福島の瓦礫を、真っ先に受け入れるべき。
福島からの避難民に、「帰れ!」と言った人がいたらしいですが、そんな奴、日本人じゃない。

首都圏の人たちは、余計に、福島県民を応援しましょう!

宮城もね。

もちろん、岩手も。

ではでは〜。

曇り
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2012年03月04日

V字型消波

みなさん、こんばんは。

私が知らないうちに、宮古市の方々のブログが増えていたんですね。
漁師のつぶやき保存版」を書いていた頃は、こういう人たちは少なかった。
やはり、というべきか、津波復興関連の話題で盛り上がっています。

その中で、津波対策に有効ではないか、と思われるものを紹介しているブログがあります。

http://blogs.yahoo.co.jp/umineko103/36279519.html(「夜の海猫」)

ここで紹介されているのが、これ。

http://blogs.yahoo.co.jp/heihachi38/28163706.html(「ひろべ絵の絵ぶりDAY」)

“V字型消波”。
これがアップロードされた日付をみると、昨年の津波後5日ですか。
冷静な頭脳の持ち主ですね。
こういう冷静さ、ほしいなあ。

私の住む高浜みたいなところは、湾口からの直接波は、防潮堤に対し、斜めに入りますから、防潮堤自身が壊れることはありません。
せいぜい超えた波による破壊で、防潮堤側の家が2、3軒程度、壊れる程度で済み、あとは、浸水のみ。

湾奥こそ、V字型消波を使うべき。
これにより、消波作用が有効に働けば、反射干渉による被害は大幅に減ります。

ただ、今のところ、どうやったらいいのかまでは、思いつきません。
巨大なV字型構造物を作ったとしても、背後地に余裕がないと、浸水がひどいし、排水するシステムも巨大になる。
う〜ん、わからない。

津波の規模が大きすぎるなあ。

でも、なんかできそうな気がします。

みなさんも、少し頭の体操を!

ではでは〜。

晴れ
posted by T.Sasaki at 21:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 大震災・復興 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月29日

復興のポイント

みなさん、こんばんは。

先日の大雪のとき、雪かきをハッスルしすぎ、具合が悪くなりました。
翌日、朝から全く食欲なく、でも、動いていれば食欲も出てくるだろう、と考えたので、再び、雪かき。
といっても、トラックに雪を載せ、海へ捨てに行くのです。
その辺に雪を除けるのと、いったんトラックへ積みあげるのでは、労力が違うのかなあ、やっぱり。
昼飯も食えず、ついに午後はダウン。

実は、体温計も壊れていて、新しく買ってきてもらったら、37.9度ありました。
これなら、寒気がしてあたりまえ。
じっとしても、寒気が消えず、ひょっとして、インフルエンザ?

もしそうだったら大変なので、日曜日の夕方でも、しかたなく県立宮古病院へ。
検査結果は、なんともなかった。
原因は不明。
結局、解熱剤だけ処方してもらって帰り、ご飯をほんの少しだけ口に入れ、寝ました。

翌日もちょっと熱がありましたが(37.2度)、食欲が出てきたので、ご飯1杯に納豆を食べ、イサダ漁の艤装。
昼もご飯1杯。
夕飯もご飯1杯。
翌日は、いよいよ、毛がに漁の道具上げで、沖へ。

沖に行く前も、まだ微熱があるせいか寒気が少ししてましたが、沖へ行って仕事を始めると、それどころではなくなり、気がついたら全快!
帰ってきたら、食欲バリバリで、一杯やろうかなあ、と思いましたが、さすがに我慢です。
それから、飲んでませんから、4日禁酒しています。

それにしても、過労で熱が出るなんて、もう終わりかなあ。
私の場合、常に全速で体を動かさないと、ほかの人と同じようにできない。
それほど、貧弱な体だからしかたない。
私でさえ、船に乗って仕事できるんだから、その辺の普通の人は、絶対できます。

でも、報道番組なんか観ていると、仕事の「ミスマッチ」?
「え〜、みんな、余裕あるんだなあ」と思わずにいられません。
「仕事ない〜」と言いながら、パチンコ?
優雅だなあ。
あれほど、日本じゅうのボランティアのお世話になりながら、ボランティアもせずに、パチンコ!
大した度胸だ。

私の目には、やる気のない人とやる気のある人、両極端な気がする。
やる気のない人たちは、過剰福祉の賜物。

被災地復興には、何が必要か?
それは、道路や住宅ではなく、やる気のある人を育てること。
逆は、絶対ない。
やる気のない人に、道路や住宅を与えても、何の価値もなし。

中には、「道路や住宅を与えれば、やる気が出てくるんだよ」と言う人がいるかもしれない。
しかし、そんなものはウソだと思います。
今まで、漁業者を増やすため、漁港整備事業や漁村活性化事業(?)などに税金を使ってきましたが、漁業者は減る一方。

大方の人は、「漁師は大変だ。なるものじゃない」と考え、自分の子どもにはやらせないけれど、一方で、「漁業は必要だ」というのが、ずっと流行してきました。
こういう半可臭い話を、いつまでも続けていれば、沿岸地域が栄えることはありません。

なぜ、漁師にならないか、という原因を考えると、それは過剰福祉にあると思います。
そして、それは、被災地の現実にオーバーラップします。
過剰福祉が普通になったから、困難に直面しても、「誰かが助けてくれる」と最初から期待しているのです。
自力で立ち上がろうとしない。

以上から、今後の地域社会を維持するためには、「逆境でもそれに負けないような、我慢強い子どもを育てること」が必要になってくると思います(今回、津波を経験した子どもたちは強く育つと思う)。
過剰福祉にどっぷり浸かっている人は、もうあきらめましょう。
時間と税金の無駄です。

考えてみれば、現在の日本を作ったのは、その我慢強い勤勉な日本人だったはず。
そういう親たちが、自分たちの過去を忘れ去った。
どうか、思い出して、頑張ってください。
私みたいな貧弱な人間でも、頑張れるんですから。

ではでは〜。

晴れ
posted by T.Sasaki at 22:04| Comment(3) | TrackBack(0) | 大震災・復興 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月31日

被災地の真実 3

みなさん、こんばんは。

3.11以降、無事に大晦日を迎えることができました。
たぶん、こんな災難は、私の生きている間、もう来ないと思います。
たとえ来たとしても、これ以上のものはないでしょう。

さて、私の元々いた高浜港は、係船索をつなぐビットは、こんな感じ。

高浜港1.JPG

高浜港2.JPG

私のお世話になっている神林港は、地盤沈下で、写真のような状態


神林港.JPG

大潮の時期や低気圧が通ると、警戒しなければなりません。
一度、とんでもない高潮に見舞われ、神林港の主の船は、船体が少し岸壁に乗り上げました。
携帯に電話が入り、私も岸壁まで飛んでいったのですが、私の船は、重くて底入れがあるので、岸壁に当たっただけでした。
それから、急いで、古タイヤを準備し、浮かない程度の錘を付けて、ぶら下げました。

その最大高潮の後、船首側には、ボロアンカーを入れ、船尾側には、沖合いの瓦礫テトラポッドからロープを取り、岸壁から船を離すようにしました。
まだ、神林港の海底には、漁業資材や軽トラックなどなど、たくさんの瓦礫が沈んでいます。
そのため、仮の係船索しか、設置できないのです。

岩手の漁港の瓦礫は、すべて撤去した、という報道、あれはウソです。

原発報道などをみてもわかるとおり、3.11以降、報道機関の発表を、あまり信じることができなくなりました。
私の船のすぐ後ろ付近には、沈んだロープ類の目印となる赤いフロートがあります。
それすら、撤去しない。
これが、出港の際、非常に邪魔になり、私がアンカーロープを張っていると、他の船が、非常に出にくくなります。

港の中は、瓦礫だらけなので、旋回できず、後進で出港します。
前進で出港できるならば、まだ、赤いフロートを避けるのは簡単なのですが、風が少し強かったりすると、後進出港は、大変なのです。
そのため、自分の船が休みでも、高潮の時間帯が過ぎたら、アンカーをはずしに行ったりしています。

宮古湾内の瓦礫撤去、養殖棚のブロック類の設置では、海洋土木業界の台船のお世話になります。
県外からの業者もやってきて、いろいろと復興作業をしていきました。
このご時勢ですから、ボランティア真っ盛り。
もちろん、県外からの土木業者も、サービスするんだそうです。
しかし、それを阻む者が・・・・。

最初のうちは、予定外の瓦礫撤去もしてくれたそうです。
みんな人間ですから、被災地を哀れに思い、ボランティアしてくれるでしょう。
しかし、宮古市内の海洋土木業者(つまり、大阪建設しかない)が、これを拒んだ、という噂。

復興事業は、できるだけ地元の業者を使う、という前提があるにしても、サービス分まで否定するとなると、すべてのボランティアに対し、私は失礼だと思う。
もし、大阪建設が、サービス分による、自分たちの仕事の目減りを考えて、拒んだのならば、これは、私たちの税負担も大きくなる、ということです。

大阪建設は、公共事業というものを、よく考えるべきだ。

こんな有り様ですから、漁港が復興するのは、まだまだ先の話のようです。

ではでは〜。

曇り
posted by T.Sasaki at 17:30| Comment(2) | TrackBack(0) | 大震災・復興 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月06日

被災地の真実 2

みなさん、こんばんは。

ようやく鮭が釣れるようになってきました。
初漁から、1尾、0尾、0尾、0尾、と4日続けて無駄足を運びまして、今の時期としては、史上最低の話にならない漁です(漁というより、何をやっているんだか)。
こんなのは、記憶にございません。

11月末日に、ようやく180尾獲り、なんとかなりそうな気配でしたが、そううまくいかないんですね。
もう、参っています。

瓦礫仕事にでも就職しようかなあ。

で、その瓦礫です。

災害がやってきて、大儲けするのは、土建業。
津波襲来直後は、みんな唖然としたでしょうが、しかし、笑顔を隠していたのが土建業界。

そして、瓦礫撤去作業にまつわる話には、ドロボー話がいっぱい。

その当事者が、このワタシ。

宮古川に船を係船して、イカ釣りの艤装をしていた時のことです。
FRPペンキの刷毛をシンナーで洗うため、どうしても、その容器がほしかった。
自転車で、ヒーコラヒーコラとホーマックまで行くのも大変だったので、出崎埠頭の瓦礫の山へ、容器を探しに行きました。
瓦礫の山、といえば、使えないぼろ屑みたいなものだけある、と思いきや、そうではありません。
使えるものまで、みんな捨ててしまっているのです。

もったいない。
洗えば使えるのに。

瓦礫の山では、陸中建設の重機が、ガチャガチャと何やらやっています。
そこの運転手が、私をにらみつけていました。

「何か?」

「あぶないから、あっち行け」

それから、重機から離れた方へと探し、立派なプラスチック製の容器を見つけ、持って行こうとしましたが、まだその運転手がにらみつけていました。

「そんなににらみつけて何か言いたいの?」「降りてきて話すっぺーす」

しかし、彼はワーワー何か言って、降りてはこなかった。

私は、頭にきて、自転車に積んだその容器を、瓦礫の山へ再び投げてきました。
帰りに、瓦礫事務所みたいなところへ立ち寄って、「ゴミを再利用しちゃいけないんですか」と言っていたら、その運転手が、瓦礫の山から下りてきて、ご対面。

で、彼に、「ドロボー」と言われちゃった。

「ゴミの再利用のどこが悪い」

というのが私の言い分。
ゴミの減量にもなるだろうし、再利用は、エネルギーの節約にもなります。
この理には、負けると見え、次は、「危ないんだよ」

「一度注意され、それに反し怪我した場合、それは私の自己責任。何もそんなに血相変えて言うことじゃないでしょう」

「そういう奴に限って、実際怪我したとき、他人のせいにするんだよ」

「藤原埠頭や高浜にいる瓦礫処理業者は、持っていってもいい、と言っているよ」

「そんなら、あっち行け。藤原や高浜へ」「お前みたいなのは、相当おかしい。普通の人は、注意されれば、引っ込む」

これには、負けた。

でもね、「ドロボー」はないと思うんですが。
それに、土建業者は、仕事がなくなれば、「仕事くれ〜」と行政なんかに泣きつき、税金にたかろうとするんだから。
仕事がないのは、自分の責任じゃないの?
自己責任の放棄もはなはだしい。
あの運転手って、本当に自己責任というのを理解しているのかしら。

結局、ペンキの刷毛は、使い捨てになり、頭にきて、その瓦礫の山に捨ててきました。
再利用を否定されたため、逆にゴミが増えてしまった悪例。
あ〜、つまらない。
陸中建設全体が、ああいう態度ではないと思いますが、彼は、ちょっと言いすぎじゃありませんか。



瓦礫撤去作業は、ご存知の通り、税金で行われています。
なおかつ、識者たちは、「復興はスピード、スピード」とスピードばっかり。
税金で、家の瓦礫の撤去してくれるから、もうそりゃ、住めそうな家も、「壊してください」と願い出る人が続出。

喜んでいるのが、その請負業者である土建業。
中には、撤去作業中、家から出てきた現金などをポケットに入れているとか(全部とは言いませんが、どうなんだか)。
田老あたりを請け負った業者は、その疑いが濃厚との噂。

はて?
これって、はっきりしたドロボーですよね。

税金で、役に立たない箱物を作ってきた土建業界と行政組織。
そして、災害の瓦礫撤去では、カネをかすめるわけだ。

公のカネと個人のカネに手をつけて、あとは、手につけるものは何もなし。

土建業界には、この世の春が訪れています。

ではでは〜。

曇り曇り
posted by T.Sasaki at 18:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 大震災・復興 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月22日

被災地の真実

みなさん、こんばんは。

先日、鮭延縄の準備をやっていたら、メガホンでいろいろ騒いでいるので、周りを見てみたら、ジュニアセーラーたちが練習していました。


ジュニアセーラー.JPG


指導しているのは、「みやこわが町」の編集長、兼、宮古市議会議員、橋本さん。
撮影の了解をとったら、「みんなポーズしろ!」って。

被災したヨットハーバー。
結局、私がお世話になっている神林漁港から出航しています。
でも、ヨットハーバーができる前は、神林漁港から出航。

ヨットハーバー.JPG




今日は、鮭延縄漁の初浜。
漁獲は、小さなオス1匹。

「日取り」が終わりましたから、あとは漁が出るのを待ち、それから出漁します。
私にとって、「日取り」はどうでもいいのですが、父親がやっぱり気にするんですね。
わが漁運丸では、「仏滅」と「金曜日」がダメな日で、その日の「日取り」はしません。
「日取り」とは、「初浜」の日を選ぶこと。
何でも「大安」がいいに決まっていますが、私のところでは、「赤口」がいいらしい。

「大安」とか「仏滅」なんて、人間様が決めたもので、魚には関係ありません。
よって、気休めですかね。

それにしても、被災地は、漁に恵まれません。
県内定置網もダメですから、釣り(延縄)は、もっとダメです。
今年は、とにかく津波前の設備や道具の復帰をするのみです。
自己資金がいつまで続くか。



さて、今日は、自己資金とは正反対のドロボーの話。

津波が来た後、ちょっと時間が経って、だんだんみんなが平静を装い始めた頃、いろいろな話が聞こえてきました。
それは、ドロボーの話。

津波の引いた後、被災した家、店舗は、ドロボーの山だったらしい。
あちこちに足跡を残し、箪笥の引き出しは開けっ放し。

その辺に転がった金庫を狙ったグループもいたとか。

警察署も津波をモロに受けたものだから、警察官たちも自分のことで精一杯。
もちろん、公務はちゃんとやっていましたが、それでも通常の捜査なんてものはできなんでしょう。
きっとドロボーは、それも見込んでいたわけだ。

ドロボーは、ホント賢い。
いや、ずる賢いというほうが正しいか。

聞いた話。

津波を被災した家へ行って、「大丈夫ですか〜?」と声を掛ける。
この時、「大丈夫ですよ〜」とか「「生きているよ〜」とか返事があれば、「あ〜、よかったですね」と言って退散する。
しかし、返事がない場合、「その家に人が居ない」と判断し、ドロボーに入る。

完璧なアイディア。
よく考え付くものです。

みなさん、災害の時は、「大丈夫ですか〜?」という声には、気をつけましょう〜。

ではでは〜。



晴れ
posted by T.Sasaki at 17:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 大震災・復興 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする