日本の漁業が崩壊する本当の理由 片野歩

世界中で魚類資源が増えているのに、日本だけが減っている。
この現実を、恥ずかしいと思うべきである。

日本の漁業が崩壊する本当の理由.jpg

すべての漁協組合長、理事、参事、そして、任意の漁業団体の会長以下すべての役員たちは、この本を読むべきだ。
読みたくないならば、「日本の漁師は大バカものだ」を参照すること。
これを認識できないならば、役職に就く資格はない!

2017年04月09日

津波の記憶 15

こんばんは。

私の家の横には、山に重機を上げるための細い道路があった。
内陸の建設業者が違法工事をやり、それがバレて指名停止処分を食らった時のものである。
だから、もちろん行き止まり。

3.11大津波の時、逃げ場がなくて、そこへ車が逃げ込んだらしいが、モロに浸水し、助手席に乗っていた子どもが意識不明になった。
私の地元の先輩が、その親子を病院まで案内したという。
国道を行けるわけもなく、山道である。
高浜は、国道45号のできる前には、山道が生活道だった。
私の小さい頃は、その山道で遊んだものだ。

案内した先輩は、私に、ショッキングなことを教えてくれた。
私の母とおじが、津波に流されていった、と、その親が証言した、ということを。

それを聞いた時、その場の過酷な状況と母とおじの表情を、嫌でも想像してしまったのだ。



3.11大津波から6年目の日、私は、FRPの仕事をしていた。
サンダーをかけていたので、サイレンの音など聞こえもせず、全く別世界。
世の中は、いつになっても、追悼行事や追悼番組ばっかりで、嫌になる。

3.11といえば、母とおじが流されていった、あの時の想像を思い出してしまう。
首を振り払って、目をそむける。

「風化させない」とか、誰か言っているようだが、「風化する」などとよく言えるものだ。
決して忘れるものではないのに。
思い出したくないほどだから、「津波の話はやめよう」と口走るのは、いつものことである。
そんなものを悼むことより、自分が未来に対し何ができるのか、ということを考えるほうがいい。
母もおじも、きっと、そう望んでいる。

「頑張れ!」「でも、あんまり無理すんな!」

私の家の法事では、津波の話など、たった一つも出てこない。
posted by T.Sasaki at 17:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 津波の記憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月01日

津波の記憶 14

再び、こんばんは。

昨年は、岩手沖合で、スルメイカがまったく釣れませんでしたが、今年は一応、黒埼沖、そして、山田沖から釜石沖、大船渡沖で、少々ですが釣れています。
特に、昼いかで、山田以南にタネのあることから、震災前の海の状態に戻りつつあるのかなあ、と思っています。
あとは、資源量の問題かな。

そして、何より、以前に戻りつつあると感じるのは、潮流です。
ゆっくりの時もありますが、速い時もあります。
その順調な潮流とは、南潮です。
震災後は、どの季節も北潮が頻繁に起きて、閉口しました。
9割方、南潮が正常です。

ところで、震災直前には、異常に速い南潮がありました。
2ノット以上もあったりして、かご漁の人たちは、道具を沈めてしまったようです。
もしかして、大震災の前触れだったのかもしれません。
ここに、「津波の記憶」として、記しておきたいと思います。

もう一つ。
電離層の電子の数が震災前に増加するということから、大地震の予知が可能かもしれない、というニュースが流れました。

http://mainichi.jp/articles/20161001/k00/00e/040/226000c(「毎日新聞」)

津波の前触れがわかるだけでも、私たち漁業者は、非常に助かります。
posted by T.Sasaki at 19:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 津波の記憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月13日

津波の記憶 13

みなさん、こんにちは。

早朝起きたら、八戸館鼻港では風が当たっていて、鮫角も南東10mだったため、休みにしました。
最近小さい反応の“一発”ばかりなので、魚探反応の映しにくい天候では、船頭のほうが嫌になりますし、乗組員も嫌でしょう。
それでも、反応自体が大きかったり、“流れっぱ”ができるなら、出漁を考えてもいいのですが。

そんな暇な中、ニュースを拾っていたら、超久々に、「津波の記憶」です。
月の引力と大地震の発生に、何らかの関係があるらしい。

http://mainichi.jp/articles/20160913/k00/00e/040/274000c(「毎日新聞」)

ちょっと前にも、アメリカでも似たような発表があったとか。

http://news.biglobe.ne.jp/it/0726/giz_160726_1100808749.html(「BIGLOBEニュース」)

つまり、私のような津波を警戒しなければならない船の関係者は、大潮の前後には、あまり船から離れなければいいわけです。
今まで旅行した時などに、「津波が来れば、おしまいだ」と考えていましたが、少し気が楽になって、温泉に行ってこよう!(と明るくなりましたよ)

と、朗報から記述します。

ここで、津波の記憶を思い起こしました。

震災の記憶として、カメラ画像やビデオ画像を残した人が数多くいますが、私は、たった1枚の写真もありません。
なぜ、携帯電話にカメラ機能がついていながら、何も撮らなかったのか?
ある程度、落ち着いてから、面白そうな写真を撮り、それを友人に送信したのはありました(例えば、信号機の修理中の写真や道路わきにあった道路交通標識を木か何かで立てた写真など。しかし携帯電話を変えたから、何もない)。
しかし、おぞましい風景は、撮らなかった。
いや、撮る余裕がなかった、と言ったほうが正しい。
もちろん、それは、私だけではなく、ほとんどの人がそうだったと思う。
Webにあるのは、その大多数に比較すれば、ほんの少しにすぎない。

私やその他大勢の人には、たぶん、携帯電話にカメラ機能があるのを、思い出す心の余裕がなかったのではないでしょうか。
みんな、切羽詰っていた。
家族のこと、家のこと、将来のことなどが頭の中を占め、「風景をカメラで携帯電話で撮る」という考えは浮かばない。
その点、カメラで撮ったりした人たちは、非常に冷静だったと思う。
おかげで、現場がどんな状況だったのか、後世に記憶されることになりました。

東北太平洋で、次に警戒すべきは、空白域である青森県東岸沖から北海道沖にかけての津波です。
特に、宮古湾は、北東方向を向いているから、被害は大きいと思う。
実際、浦河沖地震の津波の時、養殖施設が壊滅的な被害を受けたのは、宮古湾だけだった(この時の津波に比べれば、復旧作業は楽だったと宮古浦の漁師たちは言っている。彼らは津波に鍛えられている)。
津波が来るのは、何年後なのか、何十年後なのかわかりませんが、もし、生きていたら、また、嫌なものを見せられることになります。

次回、私は、冷静にカメラのシャッターを押すことができるでしょうか。

私はできない、と思う。

(「津波の記憶」シリーズは、これ以前の公開はストップしています。復興ヒステリックが収まるまで公開しないと思います)
posted by T.Sasaki at 14:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 津波の記憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする