日本の漁業が崩壊する本当の理由 片野歩

世界中で魚類資源が増えているのに、日本だけが減っている。
この現実を、恥ずかしいと思うべきである。

日本の漁業が崩壊する本当の理由.jpg

すべての漁協組合長、理事、参事、そして、任意の漁業団体の会長以下すべての役員たちは、この本を読むべきだ。
読みたくないならば、「日本の漁師は大バカものだ」を参照すること。
これを認識できないならば、役職に就く資格はない!

2026年01月31日

平和への鍵 2

4回目。

アンパンマン、及び、「逆転しない正義」というのは、やなせたかしの戦争体験から生まれる。
戦場で飢えて、他の苦痛よりも、一番耐え難いのは、空腹だ。
それが彼の結論であり、空腹では、心も惨めになり、尊厳すら奪う。(※1)
戦争は、たださえ空腹を伴うから、尊厳を奪う。
その戦争は、当事者どうしの「正義」を主張するあたりから始まり、負けた側の「正義」は、簡単にひっくり返る。
その後、勝った側の「正義」も、否定されることがある。

何だ?
この「正義」とやらは?
やなせたかしは、本当の「正義」は、人間に必要な食べものを与えることなのだ、と結論した。(※2)

彼は、その後、遠いアフリカの戦乱で、飢えた子どもたちの写真を見てショックを受けた。
これが、絵本『あんぱんまん」を生むことになる。(※3)
それだけではない。
彼は、絵本の「あんぱんまん」に、犠牲心と勇気を与えた。(※4)

アフガニスタンで殉職した中村哲さんも、人を救うのは、薬ではなく、食べものだ、と言った。
そして行動した。
医師であることより、食べものを生産することのほうが大事だと考えた。
彼は、重機のハンドルを握り、荒地に水をひくために、土木工事を行った。
あんぱんまんと共通しているのは、食べものである。
人間を救うのは、どうでもいい幸福論などではなく、食べものなのだ。

現代社会は、デジタル中毒で、食べものの生産に関して、若者たちの大多数は見向きもしない。
コスパは悪いし、タイパも悪い。
就農者や就漁者は激減し(すでに激減しているが)、農作物や養殖漁業などは、いずれ工業生産化されるだろう。
食糧は、大手の工場に支配されるか、食糧難になるかのどちらかだ。
工場化されたら、きっと、添加物などの薬品まみれになり、人間はますます弱くなる。
アンパンマンの見る未来は、決して明るくない。

これを逆に考えれば、農業や漁業が栄えることで、健康的な食べものが提供され、平和を呼ぶような気がする。
少々「風が吹けば桶屋が儲かる」的ではあるが、平和は美味しいものを飲み食いすることで維持される、と結論しよう。



(※1)
 上海決戦はなかなか始まらなかったが、いったん始まれば長期戦になる見込みだという。そこで、食糧をぎりぎりまで切り詰めることになった。毎日の食事は、朝と晩の二回だけ。それも、お湯の中に少しだけ飯粒が入っている薄いおかゆである。空腹でからだがに力が入らず、みんな少しずつやせていった。
 ひもじさのあまり、嵩たちはそのへんに生えている草もゆでて食べた。しばしば腹をくだしたが、何も食べないよりはましだった。
 タンポポもよく食べた。タンポポはからだに害がないが、ひどく苦くてなかなかのどを通らず、むりやり飲み込んだ。 
 最後は、上官が茶を飲んだあとの茶がらも食べた。空腹があまりにもつらく、腹にたまるものなら、もう何でもよかったのである。
 飢えることの苦しさを、このとき嵩ははじめて知った。軍隊に入ってからずいぶんと殴られたし、けがもした。馬にけられて歯も折った。行軍ではふらふらになり、マラリアにかかって高熱にうなされたときは、このまま死ぬのではないかと思った。だが、そんなこととはくらべものにならないくらい、ひもじさは耐えがたかった。
「肉体的な苦痛にはいつしか慣れる。でも、空腹には決して慣れることができない。おなかがすくということが、こんなに情けなくて苦しいなんて」
 食べものがないと、からだがつらいだけではなく、心もみじめになる。精神がけずられ、気力がなくなってしまうのだ。飢えが人間の尊厳を奪うことを、嵩は心の底から実感した。
(「やなせたかしの生涯」p94)

(※2)
 嵩の心を深く傷つけていたのは、信じてきた「正義」が突然ひっくり返ったことだった。
 戦争が終わり、平和がやってきたのは本当によかった。だが、そのとたん、政治家も役人も教師も、新聞やラジオなどのメディアも、日本軍は中国人をしいたげた悪魔のような存在だったと言いはじめた。正義の戦争をしていたのは日本ではなく、勝ったアメリカや中国の側だということになったのだ。
 たしかに、よその国を武力で侵略しようとした日本は間違っていた。自分たちに何の抵抗もしなかった福州や泗渓鎮の人たちも、納得して迎え入れたわけではなく、軍を怖れて迎合していたのだろう。
 では、勝った側は百バーセント正しかったのか。そうではないはずだ。それに、正義のためなら死んでもしかたないと思っていた自分は、いったい何だったのだろう。戦友や弟は、何のために死んだのだろう。そんな疑問が頭から離れない。
 考え続けた嵩は、一つの考えにたどりついた。それは「ある日を境に逆転してしまう正義は、本当の正義ではない」というものだった。
「どの国も、自分たちこそが正しいと思って戦争する。だが、戦争は結局、殺し合いなだ。それぞれがいろいろな理屈をつけて戦うが、正義の戦争などというものは、ないんだ」
 では、ひっくり返ることのない正義はあるのか。どの国の国民であるかに関係なく、「これが本当の正義だ」といえるものが、この世にあるのだろうか。
 トラックの荷台の上から、嵩は毎日、空襲で焼かれた街と、そこで生きる人たちの姿を見た。高知市は戦争末期の1945年(昭和20年)に8回にわたって空襲を受け、とくに7月4日の大空襲は、1時間のうちに400人以上が亡くなるという凄惨なものだった。市内にはまだがれきが残り、焼失をまぬかれた高知城の天守閣だけが高くそびえていた。
 あらゆるものが不足する戦後の世の中を、みな必死に生きていた。まず必要なのは食べ物である。
 嵩は復員してきたとき、故郷で汽車を降りて蜜柑を1個買ったが、昔は2銭だった蜜柑が20銭になっていて驚いた。戦後は配給もとどこおりがちで、生きるために必要な量を調達するには、農家を訪ねてきものなどを交換してもうらうか、空き地に庭に自分で畑を作るか、闇市で買うしかない。
 廃品の回収をしているとき、嵩は食べ物をめぐる争いやだまし合いを何度も見た。一方で、わずかな食料を分け合う人たちの姿もあった。
 自分は食べずに子どもに食べ物を与える親は多くいた。嵩が強い印象を受けたのは、子ども同士で食べ物を分け合う姿だった。ひとつの握り飯を分け合って食べる幼い兄と弟を見たときは、千尋のことを思い出した。
 もし、ひっくり返らない正義がこの世にあるとすれば、それは、おなかがすいている人に食べ物を分けることではないだろうか ― 嵩はそう思うようになった。
 命が大切であることは、世界中どこへ行っても、またどんな時代にあっても変わらない。戦争は人を殺すことだが、食べ物を分けることは人を生かすことだ。
「そうだ、ぼくはだれよりもそのことを知っているんじゃないか。戦時中、ひもじさに泣いたとき、ぼくはだれかに助けてほしかった。あのときの自分より、もっとおなかをすかせた人たいる。栄養失調で死んでいく子どもだっている。飢えている人を助けるのは、国も時代も関係なく、正しいことのはずだ」
 この思いは嵩の中で生き続け、長い歳月をへて、誰もが知るヒーローを生むことになる。
(前掲書p114)

(※3)
 ビアフラ戦争とは、ナイジェリア東部に暮らすイボ族が、ビアフラ共和国として分離・独立を宣言、これを認めないナイジェリア連邦共和国政府との間で起きた内戦である。結局は鎮圧され、飢餓と病気、虐殺によって150万を超えるイボ族の人々が死亡した。
 悲惨な状況を伝える報道が続く中、世界中が特に大きな衝撃を受けたのが、飢餓によって死に瀕した子どもの写真だった。やせ細った手足、浮き出たあばら骨、栄養失調の特徴であるふくらんだ腹、うつろな目 ー。
 ビアフラ戦争の真っ最中だった1969(昭和44)年に嵩が書いた「元祖アンパンマン」、つまり人間のおじさんの姿をしたアンパンマンがパンを届けた相手は「戦争が続いて、野も山もすっかりやけただれた国」の「荒れはてて砂漠のようになった土地」で、「なんにもたべるものもなく死にそうになって」いる子どもたちだった。まさにビアフラの状況と同じである。この話の挿絵に嵩は、やせて頬がこけ、目ばかりが大きい少年を描いている。
 めざましい経済成長をとげた日本だったが、このときまだ終戦から20数年しかたっておらず、大人たちのあいだには空腹の記憶が残っていた。いまも世界のどこかで飢えて死んでいく子どもがいるという事実をつきつけたのが、ビアフラ戦争の報道だった。
 元祖アンパンマンで描かれた「飢餓」が、絵本『アンパンマン』に引き継がれていることは、本文に加え、あとがきからも読み取ることができる。嵩ははじめての幼児向け絵本に、普遍的であり、かつ同時代的でもあるテーマを込めたのだ。
(前掲書p181)

(※4)
 嵩が絵本『あんぱんまん』の中でいちばん描きたかったのは、おなかをすかせた人に食べさせて顔がなくなってしまったアンパンマンが、エネルギーを失って失速するところだった。そこには「正義を行い、人を助けようとしたら、自分も傷つくことを覚悟しなければならない」という考えがあるそれは、ヒーローではないごく普通の人間にもあてはまる。
 自分の食べものをあげてしまったら、自分が飢えるかもしれない。
 権力に対して声をあげれば、自分の立場が不利になるかもしれない。
 子どもなら、いじめられている友だちをかばったら、自分がいじめの標的にされるかもしれない。
 それでも、どいうしてもだれかを助けたい、信念をつらぬきたいと思ったとき、勇気がわいてくると嵩は考えたのだ。
(前掲書p183)



posted by T.Sasaki at 17:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック