こんにちは。
先月、まだ毛がにを獲っているうちに、岩手大学の恩師に会ってきた。
彼が生きているうちに、ぜひ、旬の毛がにを食べてもらいたくて。
岩手山噴火の防災で、よくテレビに出ていた斎藤徳美先生である。
非常に元気で、歳も歳だから、ほどほどにお酒を飲み、美味しいものを食べるようにしている、とのこと。
もう、それほど生きなくてもいい、と観念したとか(笑)。
1時間以上は、話をしていたかな?
彼はSLマニアであり、三陸鉄道の応援で新聞にも載っていたくらいだから、鉄道マニアでもあるだろう。
そんな先生だから、もちろん、岩手日報に投稿した私の文章も読んでいる(「
JR山田線をBRTへ」)。
「まあ、君の言うとおりだよ」とお世辞を頂いた(笑)。
そして、その後のボツ投稿のことも話し、やはり、自治体の特別職や職員たちが率先して利用すべきなのだ、と力説していた。
先生のように鉄道を応援している人でさえ、山田線の必要性には疑問を感じているのだ。
山田線の赤字が、同じJR東日本の他の路線へ影響を与え、燃料費高騰の中、運賃は下がることはなく、上がる一方と思われる。
地域エゴが他の路線の足を引っ張っているというのを、山田線存続を願う人たちには理解できていない。
先生は、東日本大震災の復興でも、県に対する助言で大きな活躍をしたようだ。
その当時、私は自分のことで精一杯だったので、先生の活躍などぜんぜん知らなかった。
ある程度経ってから、事後にわかった。
しかし、それだけではなかった。
びっくりしたのは、震災前から、もし、津波が来た時の対応を県で練っていたことである。
しかも、偶然も甚だしい、震災半年前には、後方支援の大規模訓練が行われていた。
私たちにとっては、非常にありがたいことであり、感謝すべきことである。
(※)後方支援策があらかじめ練られていなかったら、支援活動は、もっと遅れていたのではないかと思う。
もちろん、すべてが想定通りにいくわけはないが、準備というのは重要だ。
今、私がやっているいさだ漁業は、トラブルのオンパレードだ。
それを事前に想定して、トラブルが起こったときの準備を怠りなくやっている。
これらの県の後方支援についての取り組みを、私は知らなかった。
先生からいただいた本、小冊子やコピーなどを少し読んでみたが、それなりに読む価値がある。
「
岩手・減災 近年の足跡」
「
斎藤徳美 仕事録@」
「
斎藤徳美 仕事録A」
(※)
岩手県庁では2008年岩手・宮城内陸地震の反省に基づいて、総合防災室長や危機管理監を中心に災害対応システムの見直しが行われ、災害時には全救援組織の代表が災対本部に集結し、全情報を皆で共有し、活動を一体的に指示する体制がつくられた。発災の半年前には本番さながらの大規模訓練も実施。その結果として、自衛隊、消防、警察、海上保安庁、医療関係者などと行政関係者が一体で動く機能的な体制が、発災と同時に展開された。
また、必ずや襲来する津波に備えて、被災時に沿岸各地を支援可能ないわば扇のかなめに位置する遠野市に後方支援基地を整備していた。震災の3年半前には県内87機関、8749人が参加して、内陸部で初めて沿岸部の津波災害を想定した岩手県総合防災訓練を実施。さらに翌年には東北6県所在の自衛隊全部隊から約1万8千人、自衛隊車両2300台、航空機43機が参加し、後方支援を想定した「陸上自衛隊東北方面隊震災対処訓練〜みちのくALERT2008」が実施された。その後2009年、2010年にも自衛隊の偵察訓練や岩手・秋田・青森県警の訓練が行われ、いわば「迎え撃つ体制」を準備して東日本大震災に対峙することになった。
それでも、岩手県内の犠牲者は6千人を越えた。壊滅的な沿岸部で被災者の救出や道路の開削などに自衛隊をはじめとする関係機関が連携して取り組んだ東日本大震災での実績と課題は、「震災誌」などで広く伝えられているはずである。石川県の災対本部の体制は掌握していないが、災害への危機意識が薄かったが故に、その教訓は生かされていなかったのではないかと残念に思うのである。
(「実践自治 Beacon Authority 2024年春号p12)
posted by T.Sasaki at 10:24|
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