日本の漁業が崩壊する本当の理由 片野歩

世界中で魚類資源が増えているのに、日本だけが減っている。
この現実を、恥ずかしいと思うべきである。

日本の漁業が崩壊する本当の理由.jpg

すべての漁協組合長、理事、参事、そして、任意の漁業団体の会長以下すべての役員たちは、この本を読むべきだ。
読みたくないならば、「日本の漁師は大バカものだ」を参照すること。
これを認識できないならば、役職に就く資格はない!

2024年06月20日

正常な自治

こんばんは。

東京世田谷区の現区長、岸本聡子さんは、自分が「立候補するぞ」という意志をもっていなかった。
選挙前の世田谷区は、当時の区長が打ち出した政策が、ことごとく区民の思いと反対のことになっていて、そこで「住民思いの杉並区長をつくる会」が結成された。
タイミングよく、その会を知って参加していたベルギー在住だった岸本さんは、「選挙に出したい人」に選ばれ、選挙の2か月前にベルギーから引越して、当選した。
すごい快挙だ。
そこには、杉並区民のパワーがあった。
「ひとり街宣」という取り組みである。
ボランティアが、「各駅にポスターを持って立とう!」ということだ。(※1)
現在、同じ手法で、都知事選の投票率アップという目的で、同じく杉並区のボランティアが街角に立っている。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/333537?rct=tokyo_suginami(「東京新聞」)

都知事選が77%にまでなれば、それは、政党信者の選挙ではなくなり、民意が反映した選挙になるだろう。

行政職員の意識も、特に高いように感じる。
当選した岸本さんの政策は、もちろん選挙公約として掲げられていた。
それを区役所職員たちが吟味検討し、仕分け作業が行なわれ、逆に、新市長へと提案された。(※2)
これほどのことを、どこの自治体もやっているのだろうか。
岸本区長の職員への諭し方もまた感服する。
過去に間違ったことは改めればいいし、どうしても変えられないところは言葉を尽くして説明すればいい(※3)
これは、政府・自民党に教えてあげたい言葉である。
そして、これもすごい!
区予算の一部も、住民参加決定型の予算に充てる。(※4)
こんな自治体、どこにもない!
住民の意見を汲む場合も、個人の好きな分野で意見を言ってもらう場も確保しようとしている。(※5)
アイディア満載の杉並区である。

ネットを使ったパブリックコメントという国の制度があるが、彼女は、これに批判的である。
「みんなの意見を聞きましたよ」という既成事実だけを作り、その意見は反映されることはない。
ただ、やってる感の演出のみである。(※6)
実際にパブコメで意見した人は、同意見だと思う。
パブコメにも集合的な力が必要で、その一つが強力な住民投票である。
ドイツでは2019年までに、何と!4000回も住民投票が行なわれているという。
彼女は、これを民主主義の練習と言っている。(※7)

彼女のいたベルギーには、日本の自民党みたいな政党があって、そこが子どもみたいに駄々をこねて、組閣もできず混乱した。
それでも、コロナ騒動もあって大連立の臨時政府が作られた。
組閣の際、半数が女性であり、それも、年齢の若い人たちが選ばれた。
それでも、政府によって、社会は動くのである。(※8)
日本の国会をはじめ、組織のトップに立つのは、高齢者が多い。
私は、50代になってから、自分の頭が鈍くなっているのを感じるのに、彼らは、よく頭が回りますな。

地域主権という希望」で紹介されている世界各地のミュニシパリズム(地域主権主義、自治体主義)は、岸本区長により、杉並区では実践され始めている。
これらのことを知ったら、俄然、東京都知事選の見方が変わり、面白くなってきた。
あとは、結果はどうでるのか、だ。

次回は、コモンズ(共有財)の捉え方とミュニシパリズムの発展について、かな?



(※1)
 ボランティアによる「ひとり街宣」はその代表です。大量の選挙ポスターを用意しても貼る場所がない。それなら一人ひとりがポスターを持って街頭に立とう、という取り組みです。選挙運動中、私がお休みで不在の日に、ボランティアの方から「じゃあ私がポスターを持って、一人で関前にたってもいい?」と提案があり、それならみんなでやろうという話になりました。「杉並区の19の駅の全部で立てば、ポスターを貼る以上に宣伝効果があるんじゃない?」と、分担してすべての駅をカバーすることにしました。仕事に行く前の時間や帰る前の時間など、それぞれが時間をみつけて連日立ち続けたのです。
(「地域主権という希望」p20)

(※2)
 前区長を支えてきた職員のあいだには、私に対する不信感や、もっと言えば反発を抱いていた人もいたでしょう。彼らがサボタージュして私に情報を伝えないこともできたかもしれませんが、いまから思うと、幹部職員のみなさんは、私の就任が決まったときから頭を切り替えて、新人区長の私を支えていこうという姿勢になってくれたと思います。
 後から聞いたところによると、私の当選から就任までに、役所の中では私の選挙公約を各部署あげて分析し、すでに実行しているもの、予算措置がなくても実現できるもの、予算措置が必要なもの、時間をかけて検討が必要なものに分類した仕分け作業がすでに行われていたそうです。
(前掲書p30)

(※3)
 職員たちも、さまざまな苦労を抱えて仕事をしています。過去のことを責めるのではなく、これからは別のやり方に変えていこう、という前向きな姿勢になれればいいのです。道路拡張にせよ児童館の問題にせよ、区の抱える悩みを正直に伝えて、区民と一緒に頭をひねっていけばいい。過去に間違ったことは改めればいいし、どうしても変えられないところは言葉を尽くして説明すればいい。そういう率直な姿勢でいいんだということが職員たちにも伝わって、全体として硬直した雰囲気が緩んだという実感があります。
(前掲書p31)

(※4)
 区の予算の一部を参加型予算として、一定額を区民が議論して使いみちを決めるというアイデアもあります。これに対しては、議会による予算の承認は議会制民主主義の根幹だとして批判的な人もいますが、やや的外れだと思います。参加型予算は、住民が払った税金の使途を自分たちで議論することで、自治の主体としての当事者意識を回復するツールなのです。全体の予算は、選挙で選ばれた議会が責任をもって決めますが、その前段階で、一部の使途を住民の討論に委ねると決めることは、議会軽視ではないと思います。
(前掲書p36)

(※5)
環境問題に関心がある人、子育ての当事者、地域の中小企業経営者など、住民の問題関心はさまざまです。各自の当事者性や、関心がある分野を入り口とすればいいのです。
 若い世代にも、地域に貢献したいとか、街を住みやすくしたいという気持ちを持った人はたくさんいます。しかし、仕事や子育てに忙しいなかで、ばくぜんとコミュニティに参加しましょうと言っても難しいでしょう。分野別、課題解決型にして、参加したくなる回路を複数つくっていくことが大事だと思います。
 こうして、多様な回路で住民の声を吸い上げ、区の意思決定に組み込んでいくことが、住民の主権者意識を育んでいくはずです。
(前掲書p36)

(※6)
 近年はパブリック・コメントとして個別の政策に住民の意見を募集することがありますが、多くの場合、行政側の方針が概ね決定した段階で行われ、それによって大きく方針が変わるということはほぼありません。大切な制度ではありますが、それだけということになると、「住民の意見もいちおう聴きました」というお墨付きのための制度となってしまいます。
 こうしたことが続いていくと、住民の中には、自分たちの意見は尊重されていない、意見を言ったとしても何も変わらないという無力感だけが残ります。行政側も住民の声をクレームのようにしかとらえず、どうすれば既定の路線を変えずに済むかばかりを考える。これでは、お互いに不信感が募るばかりの悪循環です。
 私に言わせると、パブコメのよくないところは、個人の意見にしかならないことです。行政から見れば、個人の意見にすぎないというのが逃げ道になってしまう。行政を動かせるのは、住民の声が横につながってコレクティブ(集合的)な力になるときです。
(前掲書p34)

(※7)
 住民(国民)投票は、議会制民主主義を補完する直接的な民主主義の手法として、基礎自治体レベルから国に至るまで、さまざまな国で採用されている。2021年9月には同性婚の合法化を問う国民投票がスイスで行われたのは記憶に新しい(そして可決された!)。賛否が分かれる問題を、利害や権力、政局などに影響される議会だけでに委ねるのではなく、住民(国民)に直接問うことの意義や正当性は高い。それ以上に、市民がさまざまな問題を主体的に考え、選挙を超えて意思表示する、民主主義の訓練の場として有効だと思う。そして、傲慢になりがちな為政者が、主権者の意見を丁寧に聞き続ける訓練の場としても。
 そんな民主主義の練習がドイツでは浸透しているようだ。各州で少しずつルールが違うとはいえ、すべての州で住民投票は法制化されている。ドイツ全体では2019年までのあいだに8000回を超える住民投票発議があり、4000回を超える住民投票が行われたというから驚きだ。
 現行のルールだと、ベルリン州では有権者の3%の署名を集めれば住民投票を発議できる。ただし、全有権者の10%以上が投票にいかなければ投票の結果は有効にならない。その上で、投票した人の過半巣が賛成すれば可決となる。これらの条件は、他の州と比べて比較的ハードルが低い。ベルリン州には住民投票を成功させやすい土壌があるともいえるし、直接民主主義を尊重する政治をつくってきたともいえるだろう。
(p221)

(※8)
 少し乱暴な比較になるが、日本の自民党とベルギーのN-VA(新フラームス同盟)は私にとって存在が似ている。自分と社会観の近しい人とはそのことを激しく共感し合える一方、自分のサークルを一歩出ると、気軽には批判できないところも同じ。日本での自民党と同様に、ベルギーでは積極的であれ消極的であれ、N-VAの支持者が多いからだ。特にフランダース地方では顕著だ。
 N-VAは複雑な顔を持つ政党であるが、フランダース・ナショナリズムや分離主義をアイデンティティとしており、とくに1024年以降の勢いはすごい。ベルギー連邦政府、フランダース地方政府、ベルギー選出の応酬議会銀のすべてで第一党である。経済面では自由市場主義で自由党と近く、文化面では保守的でキリスト教民主党と近く、地域ナショナリズムではより過激な極右政党「フラームスの利益党(VB)」と協調している。環境主義を装いながら原発は擁護。大企業減税を支持し、移民政策では強硬的。ベルギーに引っ越す際、候補地からフランダース地方の都市アントワープを最初に除いたのは、N-VAの牙城だからだ。
 2018年12月、国連で152か国が賛成して採択された移民保護の国際協定「安全で秩序ある正規移住のためのグローバル・コンパクト」にベルギー政府が賛成したことに反発して、N-VAは連立与党を離脱。当時の首相は責任を取って辞任した。それ以来、ベルギーでは政治的な混乱が続く。2019年5月の選挙後は、連立の交渉が実に約16か月も続き、その間、正式な組閣ができずにいた。しかし、そんななかでもコロナ危機に際しては臨時政府が樹立され、代理首相ではあるがベルギー初の女性首相となったソフィー・ウィルメスが舵取りを担い、踏ん張った。
 連立交渉が長引いた理由のひとつは、N-VAが「ベルギーがひとつの国としてまとまるのは無理」というイメージを国民に与えようとして、あの手この手の非協調的行動や威嚇するような発言を行ない、政治の混乱を強調したからだ。しかし結果的に、横暴なジャイアンであるN-VAは外されて、社会党、自由党、緑の党、キリスト教民主党など7党で連立の合意を果たしたのは痛快だった。これでやっと新しい政治の空気になった。
 ベルギーの内閣は首相も入れて大臣クラスが20人。2020年10月1日に発足した新内閣では、そのうち半分の10人が女性である。首相のアレキサンダー・デクロー(自由党)の44歳をはじめ、一番多いのは40代(12人)、次は30代(5人)、50代(2人)、60代(1人)という編成で、平均年齢44歳。右派で男性中心のN-VAが与党にいたらありえなかった編成で、これまた痛快。一番の若手は、イラク難民の父とベルギー人の母のもと、ブリュッセルで生まれ育った32歳のサミー・マハディだ。国務長官で難民・移民担当である。
(p204)



posted by T.Sasaki at 20:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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