日本の漁業が崩壊する本当の理由 片野歩

世界中で魚類資源が増えているのに、日本だけが減っている。
この現実を、恥ずかしいと思うべきである。

日本の漁業が崩壊する本当の理由.jpg

すべての漁協組合長、理事、参事、そして、任意の漁業団体の会長以下すべての役員たちは、この本を読むべきだ。
読みたくないならば、「日本の漁師は大バカものだ」を参照すること。
これを認識できないならば、役職に就く資格はない!

2024年04月17日

「黙って見てられない」

3回目。

 中村哲さんは、今から40年前の1984年5月、パキスタンのペシャワールに赴任している。
私がまだ大学生だった頃で、この偉人が遠い外国で活動し始めたことなど、知る由もない。
彼の人生に比べると、私は何をやってきたのか、さっぱりわからない。
魚を獲って、そして、誰よりも獲りたい、と頑張った。
ただそれだけだ。

その後、いろいろな本と出会い、中村哲さんの生き方を知り、ショックだった3.11津波を経験した。
数年前、やはり私と同じく、魚を誰よりも獲りたいと頑張った、あの頑丈な父が寝たきりになってしまった。
あんなに頑張り、私を頑張らせた結果が、これだ。
何なのだ?
これを機会に、自分は今後、どう振る舞って行ったらいいのだろう、と私は考えるようになっている。

前にも書いたかもしれないが、通常、医師になると、よほどヘマでもしない限り、飯を食うには困らない。
中村さんは、アフガニスタンの惨状を知り、薬よりも、人間が生きるには、まず、水、そして栄養(食べ物)だ、という考えから、用水路などを作る灌漑事業をやり始めた。
日本政府から何の支援もなく、自分で重機を動かし、土木事業を始めた。
世界中の医者で、こんな人を探しても、なかなかいないだろう。
ノーベル平和賞をもらっていないのが、不思議なくらいである。

中村哲医師の著書のアーカイブがペシャワール会報に載っていて、その中に、日本のホタルをペシャワールで見た話が書かれてある。
日本を懐かしがる話なのだが、「子供の家事手伝いが美徳、かつ日常だったころである」と、昔の日本を思い出している。(※)
家事手伝い、というより、忙しい人を手伝う、という習慣は、社会人になってから非常に役に立つ。
これには、「黙って見てられない」という心意気が前提になる。
中村医師のアフガニスタンに緑を作ろうという行動は、「黙って見てられない」という心意気から起こったものだろう。
もしかしたら、彼の文章に、こういう深い意味が込められていたのかもしれない。

余談になるが、「薬より水、食べ物」という考えは、ワクチン接種の前に、まずは、免疫力の要である糖質の正常な摂取を、と主張する崎谷博征先生に通じる。
人間の身体にとって、最も重要なものは何か、という考えに至らない医師は、みんなヤブだ。
先日、病院のお世話になっておきながら、医師たちをヤブ扱いするのもおかしい話だが、診察の際、先生の説明を興味深く聞くようにしている(私を診た若い医師は、たぶんヤブではない)。
質問して、ロクな回答をできないような医師は、まずヤブである。



(※)
ペシャワールのホタル   中村哲
 私の少年時代の夢は一山を所有して、虫たちと暮らすことだった。これはわがファーブル先生の影響である。その後いろんなことがあって夢は実現せず、虫の観察はどれもこれも中途半端に終わって、モノにならなかった。虫は大好きだが、いまだド素人に近い。それでも興味だけは残っていて、自然が身近にある限り退屈しない。
 ペシャワールでホタルを見たときの感激が忘れられない。ゲンジボタルの幼虫は清流に棲むから、あんな酷暑の砂漠にはいないと決めつけてした。赴任して5年後のある夏の夜、庭に出ていると、ハエのようなものが数匹、空中を漂うように舞っている。それが穏やかに点滅して光る。
 ライトのせいだと思ったが、いかにもホタルらしく見えるので、これも一興、日本の思い出でも嗅ごうかと近寄り、どんな虫か見ようとした。ところが仰天、まさしくホタルではないか。
 正確な同定はしていないが、おそらくヘイケボタルか、その近種である。日本の同種は泥水の中にもいて、幼虫は陸に棲む。おそらく庭に流れる排水溝で発生したものらしい。人間は見ようとするものだけしか見えない。その後気をつけていると、いわるわいるわ、おかげで暑い夏夜の退屈しのぎが増えた。
 日本でホタルが消えていったのは、1960年代の前半。全昆虫たちがあっという間に日本から激減した。私が少年時代、夏の夜は電灯の下にいるだけで、さまざまな昆虫たちが家に飛んできた。虫たちの夜の饗宴は消灯まで続き、カナブンなどのコガネムシ類がブーンと音立てて電灯をめぐり、カンカンとぶつかる光景はご記憶の方も多いだろう。私は眠るのが惜しかった。当時は蚊帳をつって、窓を開けっ放しにして眠っていたから、今考えると治安も各段によかった。田植え、稲刈り、菜種の収穫時は数日休校、手伝いを学校が奨励した。農家の子は長く休みが貰えたので、羨ましかった。子供の家事手伝いが美徳、かつ日常だったころである。虫たちへの郷愁は、これらのおおらかな社会事情と分かちがたい。しかし、異国のホタルで日本を懐古するのは、いくぶんつらいものがある。
(「ペシャワール会報 No.159 p22)
posted by T.Sasaki at 16:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック