3回目。
登別港の親分に入港船が招待され、一杯やってきた。
そこで、愕然としたことがある。
船頭の高齢化である。
その中で、最も高齢だったのが、何と!私であった。
知らないうちに、年寄りになっていた(笑)。
だから、特に夜いかの場合、私は邪魔な老人だから、一番最後にパラシュートアンカーをやるようにしているし、それで獲れなくなれば帰ってくるしかない。
事実、もう帰ってきた(その後、何日も続かなかったらしい。漁が続かないのは、資源不足のためであり、今年はどこも同じ)。
集まった船頭は十数人だが、最低年齢が50歳とは驚いた。
船も新しそうで、たぶん、補助事業か何かで買ったか作ったんだろうな、と思っていたから、年齢も相応に若いと思った(補助事業は若者に厚遇だから)。
私が、いか釣りの船頭をやったのは、27歳の時である。
たまたま、今乗っている船を作るため、父とその弟は気仙沼へ行き、「お前の好きなように船を動かせ!」と、もう一隻の漁運丸を預けられた。
船を操船するのも初めてみたいなもので、岸壁につける時など、非常に緊張していた。
ぶつけたりすれば、とんでもなく怒られるのは、わかっていたから。
ただ、運よく、大漁してしまった。
あの年は、異常だった。
夜漁しかなかった時代で、あんな電気(93Kw)で釜石以北の岩手では、一番になってしまった。
当時、山田の鉄船たちは、200Kwも電気を点けていたのに。
一応、それからは、いか釣りの時だけ、船頭をさせてもらった(どの漁業も預けられたのは津波の2年前で、40代後半)。
私は特に若かったが、それでも、30代の船頭は、ざらにいたと思う。
それが、今、岩手、青森、北海道のいか釣り船で、20代、30代の船頭は、どれほどいるのだろうか。
私は、そんな若い船頭をほとんど見たことがない。
これは、日本の人口問題に匹敵する大問題である。
posted by T.Sasaki at 14:58|
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いか釣り漁業
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