日本の漁業が崩壊する本当の理由 片野歩

世界中で魚類資源が増えているのに、日本だけが減っている。
この現実を、恥ずかしいと思うべきである。

日本の漁業が崩壊する本当の理由.jpg

すべての漁協組合長、理事、参事、そして、任意の漁業団体の会長以下すべての役員たちは、この本を読むべきだ。
読みたくないならば、「日本の漁師は大バカものだ」を参照すること。
これを認識できないならば、役職に就く資格はない!

2023年07月01日

ギリシア世界は西洋人の憧れだった

ふたたび、こんにちは。

西洋人は他を見下して支配したい」のつづきとなるが、白人優越主義の最もアンティークなものは、古代ギリシアまでさかのぼる。
しかし、ギリシアを徹底的にいじめ、苦しめ、破壊したのはローマ人である。
そのローマ人たちは、ギリシアの文化を横取りした。
結局は、ローマ人も西洋人なのだから、アンティークに基づく白人優越主義など意味はない。
アホらし。
そのことがわかる3つの文章を紹介する。

 それよりも300余年前、ギリシア・ペルシア戦争のあと、50年くらいして、ペリクレスという、ものすごくすばらしい、すぐれた指導者がアテネに出た。この人が15年ぐらい、すばらしい政治をやった。元祖デモクラシー(民主政治)”は、ペリクレスがつくったのだ。これが「アテネの全盛期」だ。そのころにソクラテスもいて賢帝ペリクレスよりも21歳下だ。
 ソクラテスはペリクレス政治を支援して共にデモクラシーのために闘った思想家(フィロソファー)だ。この頃、アテネは驚くほど豊かだった。
 だから、このあとのペロポネソス戦争(BC431年からBC404年。ギリシア人の内輪もめ)で、アテネがスパルタとの戦争で何回か負けた。といっても、豊かさからいうとアテネにかなわない。
 スパルタは軍事国家で、軍人になれる元気な男しか育てないような国だった。スパルタはあまり商業が栄えない山の中の、ペロポネソス半島の谷間にあった。アテネより先に奴隷の反乱で滅んだ(BC146年)。
賢帝”ペリクレス(BC495-BC429)の民主政治は、寛容の精神と人格者である指導者のすばらしい演説の力である。このペリクレスとソクラテスによる元祖デモクラシー”の正統の嫡子が自分たち欧米人である、と言いたいのだ。
 だから「ギリシア・ローマ文明」(4大文明の次の5番目の文明とする学説あり)を継いだのが、「ヨーロッパ・北アメリカ文明」である、と欧米人は言いたいのだ。
 ところが、ギリシアを叩き潰した(破壊した)のは、なんと後進国(新興国)のローマ人なのである。ここに世界史(学)の、大きなスキャンダルが隠されている。ローマ人こそは野蛮人である。
(「日本人が知らない真実の世界史」p225)

 クレオパトラは、自分のことをギリシア人だと思っていた。彼女はギリシア語を話していた。アレキサンドリアに住む多くの上層市民もギリシア語だ。一般住民は、アラム語(それが現地方言)だったろう。
 そして、BC48年にゼロ代”ローマ皇帝(理由は後述する)のユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)が、政敵ポンペイウスを追いかけて、ここにやって来た。そして彼女にクラクラッとなった。彼女が、あまりにきれいな女で、かつギリシア語をしゃべっていたからだ。二人は本気で愛し合ってしまった。それが権力者にとっては弱点となり、命取りになった。
 私がこの本で強く主張してきたとおり、中東世界全体で、BC333年(アレクサンドロス大王のとき)から、AD400年代まで700年間、ギリシア語が使われていた。地中海世界も中東全体も知識人、役人階級の共通語(リンバ・フランカ)は、ギリシア語だったのだ。コイネーという。
 ローマ人はギリシア(アテネが中心)を、BC168年とBC146年に破壊した。だが、犯人であるローマ帝国の軍人や官僚や貴族たちまでもが、公文書をギリシア語で書いていた。しゃべっているのは、ラテン語(本当はローマ語)だったろう。だが、文章にするときはギリシア語だ。
(前掲書p246)

 私はしつこく書くが、ローマ軍は、ギリシア各都市(アテネを含む)の貴族、官僚たち数千人(彼らがアカイア同盟の幹部たち)をローマに戦争奴隷として連行した。そして一部はローマの貴族の邸宅で、子供たち(子弟)の家庭教師にした。
 ローマ人はギリシア語と、ギリシア文化、文物、思想(フィロソフィー)に憧れ、敬い、劣等感を抱いていた。ローマ人にとって、ギリシア文化は、圧倒的に立派で優等で高品質なものであった。だから、ローマの貴族、高官、僧侶たちは、ギリシア語を話し、ギリシア語で書いた。
 これと全く同じことが、同時代(BC200年-AD400年代)の中東(オリエント世界)で起きていた。だから、『新約聖書』も、『旧約聖書』(モーセ5書)も、最初はギリシア語で書かれていたのだ。ヘブライ語ではない。ヘブライ語ができたのは、ずっとあとだ。
 どこの民族も国家も「私たちは古い。古い。古くからの民族だ」と言わないと、気が済まない。ずっと古くから在ったように見せかけるのだ。これをアンティークantiqueということを第1部のp120、121でベネディクト・アンダーソン著『想像(幻想)の共同体』から引用した。
(前掲書p263)


それから、ユダヤ教およびユダヤ人について。
ユダヤ教の旧約聖書とキリスト教の新約聖書では、字のとおり、先に旧約聖書が生まれたことになっているが、本当は、新約聖書のほうが先で、旧約聖書が先にできたようにユダヤ教の創作者たちが作ったらしい。
キリスト教を真似たイスラム教のように。

あの古いことを自慢するアンティーク主義が、古代ギリシア時代から続き、その後のキリスト教にまで影響する。
したがって、熱狂的な一神教の誕生は、副島先生によると、迷惑なのであり、悪なのである。
まさしく、熱狂を生む新興宗教は、すべて、5大宗教のコピーなのだから、大迷惑もいいところなのだ。
宗教に入り浸っている人は、この本を読んで、自分をアホだと自覚してほしい。
自覚できない人は、救われようもないアホだ。

 エジプト帝国とバビロニア帝国が、どちらも5000年ぐらい(BC3000年ぐらいから)の歴史を持っている。ここから世界史が始まる。これは定説である。そしてこの2つの大きな地域全体は、5000年前からつながっていた。
 この半月形のビーンズ(長い豆)の形をした大きな地帯全体の人々がすべてアラム語(Aramaic アラメイック)を話していた。互いにコトバが通じたのである。
 なぜなら、今も、エジプト人とパレスチナ人、シリア人、イラク人はお互いアラビア語で通じ合っているではないか。ということは、5000年前も通じていたのだ。
 アラム語を、中東の人間たちは、みんな話して通じ合っていた。
 何か奇妙なことを、私が今、書いている、と感じるだろう。まさか、そんな。すべての国でコトバはそれぞれ違うはずで、狐につままれたように感じる人は、このまま放っておいて、私は先に進む。
 P33の図の半月形の地域の人々は、エジプトからバビロニアまで、ずっと同じアラム語を話していたばかりか、宗教もすべて、太陽崇拝(太陽が神で、太陽を拝む)であり、かつ、豊穣神崇拝である。
 太陽神こそは、世界全体の神である。エジプトでラー Ra やセト Seto と呼ばれた。バビロニアではバアル Baar で、すべて太陽神だ。パレスチナ人(ぺリシア人)もバアル神であった。
 豊穣神とは、牛からたくさんお乳が出ますように、とか、作物(穀物と果実)が、豊かに収穫できますように、と祈りを捧げる神である。恵の神だ。エジプトではイシス女神とオリシス(その夫)への信仰である。
 だから、この肥沃な三日月地帯(ファータイル・クレセント ferrtile crescent)の中東全体が、共通にアラム語(古シリア語)を話し、宗教も共通に太陽神と豊穣神であった。そしてそこに、一神教(モノシーイズム)が出現、誕生して、入り込んできた。それ以来、人類は大きな迷惑を受けることになった。この大事実を、まず私はドカーンと指摘する。
 チマチマと国ごとに言語と宗教が分かれていたのではない。
(前掲書p35)


言葉の壁というのが、この地域にはない。
しかし、よそにいるユダヤ人がこの地域に来ると、言葉が通じないらしい。
したがって、副島先生の引用している本である「第13支族」「ユダヤ人の発明」は重要である。
ユダヤ人といっても、いろいろあるようだ。

なんと、今のパレスチナ人(ヨルダン川西岸とガザに押し込まれて住む)と、ユダヤ人は、互いにコトバが自然と通じるようだ。
 一方はアラビア語を話し、一方は現代ヘブライ語を話しているはずなのに。それなのに互いに話しコトバ(スポークン・ランゲッジ)は通じる、というのである。ということは、紀元前2000年からのアラム語=古シリア語を、今でも彼らは話している、ということだ。
 ところが、新たにヨーロッパやロシアから帰還してくるユダヤ人の方が、コトバが通じない。彼らは、現代ヘブライ語の書き言葉を習得することで苦労する。このことの奇妙さを、私たち日本人は世界史の勉強として注目するべきだ。
(「日本人が知らない真実の世界史」p100)


「日本人が知らない真実の世界史」は、副島先生が、他の人たちが歴史の再考を書いているので、自分も歴史について書きたい、ということから編み出された本である。
古い時代の歴史を動かす根拠として、先生は、3つの基本的な考えを提示している。
「食べさせてくれ理論」「ドドド史観」「熱狂史観」。
何のことかわからないだろうから、引用する。

1.食べさせてくれの法則。まず、なぜだか分からないが、50万人ぐらいの人間の群れがいる。この人々は、「私たちを食べさせてくれ。食べさせてくれ」と切望する。
 そこへ「よし。私が食べさせてやる」と、企業経営者のような、暴力団の大親分のような人間が現れる。
 そしてこの人物による厳しい統治と支配が行われる。これが国王である。
 今の大企業(中小企業も)のサラリーマンたちと、経営者の関係もこれだ。「自分と家族が生きてゆく給料さえ、きちんと払ってくれれば、あなたの言うことを聞いて働きますよ」だ。これが私のつくった「食べさせてくれ理論」だ。

2.ドドドっと遊牧民が北方の大草原から攻め下る。そして低地(平地)に住む定住民(農耕民)の国に侵入し、占領支配する。
 50万頭ぐらいの馬や羊を引き連れて、このドドドと攻め下る遊牧民(騎馬隊)が世界史(人類史)をつくったのである。
 中国の歴代の王朝(帝国)は、このようにして「北方(あるいは西方からの)異民族」である遊牧民によってつくられた。これが私がつくった「ドドド史観」である。
 そして、日本はこの2000年間、中国文明(漢字の文明。黄河、長江〈揚子江とは言わない〉文明)の一部である。日本は、中国漢字文明の一部なのである。
 私がこれを書くと、嫌われるのは分かっている。しかし大きく考えると、どうしてもこうなる。
 中央アジアも、中東(アラブ、イスラム教世界)も、そして西洋(ゲルマン諸族という遊牧民の移動もその一つ)も、こうして「ドドドの遊牧民」によってつくたれたのである。
 16世紀(1500年代)から海(船)の時代(大航海時代)が来て、それは終わった。
 西欧に近代が始まった。私たちはこれに支配された。だが圧倒的に強い西洋人のモダーン(近代)と言っても、たかが500年に過ぎない。そして現在に至る。

3.熱狂が人類史をつくる。あるとき、何だか分からないが、ドカーンと激しい熱狂が生まれて、多くの人が幻想に取りつかれて、その熱狂、熱病に罹る。それは地域を越えてワーッとものすごい速さで広がる。それが大宗教である。世界5大宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教、儒教)だ。
 人々は、救済と理想社会の実現(顕現)を求めて、熱狂に取りつかれる。これで、大きな対外戦争までたくさん起きる。そしてそのあと、人間の救済はなくて、大きな幻想が襲って来る。人間は、この大幻滅の中でのたうち回って苦しむ。人間(人種)の救済はないのである。
 人類の20世紀(1900年代)に現れた、共産主義(社会主義)という貧困者救済の大思想も、この熱狂である。人類の5大宗教とまったく同じである。この共産主義(社会主義)に、恐怖、反発して反共思想も生まれた。これも熱狂の亜種である。
 これが私がつくった「熱狂史観」である。
(前掲書p4)


おまけに、戦争の本質について、恐ろしい記述を載せておく。
今の日本は人口減少社会だから、これが当てはまるとは思えないが、しかし、何をやっているのかわからないような若者を見ると、こういう人たちが、きっと狙われるんだろうな、と思った。

 本当の冷酷な人類の歴史の真実を言いと、「余剰な人口」(余っている人間)を消滅させるために戦争をするのである。戦争というものの本質は、都市に寄せ集まってブラブラしている無職の若者を、まとめて狩りたてて、騙してどこか外国に連れて行って、廃棄処分するということだ。国家による人間の余剰、過剰在庫の処分だ。私の「食べさせてくれ史観」の延長に出てくる。
 中国の古代から語られている漢詩に、「古来征戦幾人か回(かえ)る」という有名な1文がある。征戦というのは、外国にまで征伐しに行く侵略戦争だ。大きくは自国を守るためである。
 征戦して、いったい何人の人が、自分のふるさとに帰り着けたか、という詩だ。すなわち、戦争で連れて行かれた若者たちは、ほとんど死んでしまうということだ。
 この若者たちは都市で流民化した浮浪者のような連中だったろう。職がなくて、余剰、過剰になった若者だ。そういう不良たちをうまい具合にかき集めるのが軍隊である。ひどい場合は、人狩り”(マン・ハンティング)で強制徴兵する。
 そうやって、中国の清朝(大清帝国)は、1回の征戦で50万人ぐらいの若者を処分した。北方のオイラート族おtジュンガル部という、モンゴル帝国の残党の遊牧民国を攻め滅ぼした。「古来、征戦、幾人か回る」の漢詩どおりだ。
 都市は、それで何が困ったかというと、別に困らない。都市の犯罪(治安)対策、失業労働対策になって良かったぐらいのものだ。
(中略)
 同じような廃棄処分を近代(1500年代から)のヨーロッパの王様たちもやった。
 国王たちは、治安対策と社会福祉のつもりで、都市流民(食い詰め者、乞食、窃盗犯)を捕らえては、囚人としてアメリカ大陸やオーストラリアや、南アフリカとかに捨てに行ったのだ。殺したりはしない。新大陸(ニュー・コンチネント)に連れて行って「勝手に生きてゆけ」と放った。
 アメリカは「清教徒(ピルグリム・ファーザーズ)がプリマス植民地に上陸した(1620年)という建国神話(物語)をつくった。しかし本当は、ヨーロッパの強国がその100年前から、北アメリカ大陸に、囚人たちの植民をさせていた。
 だから、戦争というのはそういうものであって、兵士たちはほとんど帰ってこない、半分も帰ってくれば大したものだ、という感じで出来ている。
(前掲書p221)

posted by T.Sasaki at 17:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 副島学問 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック