3回目。
副島先生の書いた「日本人が知らない真実の世界史」は、西洋人の卑しい戦略をズバリ指摘した本だ。
歴史の捏造、とまではいかなくても、隠している部分というものを見抜いている。
そこから、白人優越主義の根拠というのが、見えてくる。
世界中で起きている悪の根源である。
その副島先生でさえ、他の著作をたくさん勉強している。
それを包み隠さず引用して、私たちに教えてくれる。
非常にありがたいことだと思う。
この白人優越主義が、まぐろTACの異常な日本への要求へつながっているのではないか、と私は思うようになった。
こんなことに、いちいち日本人が従う必要はない。
それでは、副島先生の引用したベネディクト・アンダーソンという人の本も交えて、まずは、民族とか人種とか、そんなものは、あいまいなものだ、という指摘から。
真実というのは、太陽が目の前で照っているのと同じように、明瞭なものなのだ。それを皆、見ようとしない。いろいろと騙されているからだ。
ベネディクト・アンダーソンは、何を言いたかったか。
それは、民族とか、国民とか、国民国家とか、人種とか言うが、どの民族も人種も、実際には長い歴史の中で混血して、混ざり合っている。大まかに、なんとなくしか民族の違いは区別がつかない。あとは言語と文化の違い程度だ。
だから、「わが民族は、古い古い歴史のある優秀な民族だ」と、強がりを言う人々のほとんどはバカだということだ。
本心は劣等感の裏返しだ。その理由は他の大きな国(帝国、覇権国)に支配され、服従させられたことへの恨みと反発から来ている。これがアンダーソンの主張だ。
だから、「イマジンド・コミュニティ」であり、すべては幻想の共同体だ、ということだ。そして、このあと、ここで大宗教の果たす役割が、重要となる。
たとえば、イスラム教徒は「クルアーン」という聖典をアラビア語で読むことで、アラブ人となる。
このとき、アラブ人The Arabsが出来上がる。国の区別はどうでもいい。そして、イスラム教徒として、世界中で団結する。ここに強い「幻想の共同体」が成立する。
これを「ウンマー・イスラミア(イスラム共同体)」と言う。「イスラム帝国」と言い換えてもいい。西は北アフリカの端のモロッコから、東はインドネシアまで、イスラム教(アラビア語)の幻想(想像)の共同体ができている、ということだ。
そして、その次に「ユダヤ人は民族でも人種でもない。ユダヤ人とは、ユダヤ人の母親から生まれた者(母系社会だ)、あるいは、イスラエル移民法で認めるユダヤ教徒であることだ」となる。
だが真実は、ユダヤ人とは、『旧約聖書』(モーセ5書)によって強く団結する民族優越思想(選民思想)を持つ者たちの、幻想の共同体なのである。
EU(ヨーロッパ連合。本当はヨーロッパ同盟。EU東京代表部はそう主張した)とは、実はキリスト教圏(クリスチャン・ゾーン)である。ヨーロッパ人とはクリスチャンである白人たちの連合体である。
この真実を、ヨーロッパ人たちは大っぴらには言いたがらない。人種・宗教差別だということがバレてしまうからだ。
(「日本人が知らない真実の世界史」p118)日本でさえ、とにかく昔話を誇張し、単一民族だの、優秀だの、言う人たちがいる。
そんなものは、国民を洗脳したり、扇動したりするための道具なのである。
同一民族とか、国民というコトバは、ベネディクト・アンダーソンによると、1820年代になって生まれた。そして、世界中で使われるようになったコトバである。それ以前にはなかったのだ、と彼が次のように説明した。
またわたしは、このとき、新興国民がいかにして、なぜ、みずからを、ずっとむかしからあるもの(アンティーク)と想像するのか、これについて明快な説明をこれまでしていいことにも気づいた。「そしてこうしてみれば」多くの学問的著作においてマキアヴェリ的ペテン、あるいはブルジョワ的空想、あるいは冷厳な歴史的事実として登場することが、実はもっと奥深く、もっと興味深いものだということもわかってきた。
「むかしむかしからある」と考えることは、歴史のある時点における「新しさ」の必然的結果だったのだ。ナショナリズムという意識のあり方が、私が考えてきた、それまでとは根底的に変わってしまった。そういうあえて新しい意識のかたちを表現したものであるから、過去との断絶の自覚である。そして、自然に起きる古い意識の忘却。これがそれ自体の物語を創出するのだ。こうした角度から、1820年代以降に諸国で見られる国民主義思想に特徴的な、先祖返りの空想はその随伴現象だといえる。つまり、本当に重要なことは、1820年代以降の国民主義の「記憶」を意図的に近代的な伝記・自伝につくり変える構造調整だったのである。(ベネディクト・アンダーソン著『想像の共同体』p14〜15 一部、引用者が改訳)
アンダーソンは、ここで、「アンティーク」という言葉を使って、「自分の国は古い古い歴史のある、優等民族の国なのだ」と、どこの国も言いたいのだ、と解明している。そして、それは案外、新奇さ(ノヴェルティ)の裏返しだ、と。日本もまさしくこれだ。『日本書紀』と『古事記』を使って、今もこのハッタリ劇をやっている。
(前掲書p119)映画「インディ・ジョーンズ」でさえ、私たち東洋人を見下したものなのだ。
本当は、このシリーズを好きだったし、基本的に、冒険活劇を私は大好きだ。
しかし、一気に嫌いになった(笑)。
徹底的に、副島先生によって論破されている。
著しい成果を収めた帝国主義時代の学者として、ウイリアム・ジョーンズも挙げられる。ジョーンズは1783年9月にインドにやって来て、ベンガルの最高裁判所判事に就任した。彼はインドの驚くべき事物に目を見張り、すっかり魅了され、到着から半年もしないうちにアジア協会を設立した。この学術組織はアジア、とくにインドにおける文化、歴史、社会の研究に専心した。二年のうちにジョーンズはサンスクリットに関する研究結果を発表し、これが比較言語学という学問の先駆けとなった。(ユヴァル・ノア・ハラリ著『サピエンス全史』下巻 p119)
このウィリアム・ジョーンズ博士こそは、映画『インディ(アナ)・ジョーンズ』Indiana Jones(1981年作。ハリソン・フォード主演)のモデルになったインドのサンスクリット語の研究者だ。
シリーズ第2作の『魔宮の伝説』(1984年)では魔人の奴隷にされている、かわいそうなインドの子供たちを救い出すために、白人の美女とインド人少年に連れて正義の味方”のインディ・ジョーンズ博士が活躍する物語だ。
魔宮の魔神(ブラーフマン)に仕える大神官(グランド・マジシャン)が最後のシーンで倒されて、子供たちが救い出される。この大神官が、日本でいえば、日本の天皇(ミカド・スメラギ)である。
こうやって欧米人は自分たち植民地主義者(のちに帝国主義者になる)であることを露見させ、居直る。そして、厚かましくも、図々しく「迷信と迷妄の中で生きている蛮族・土人に文明の光をあげよう」という考えで動いている。これが今の学者・知識人であっても欧米人はみな同じだ。
自分たち自身が、ユダヤ教やキリスト教という魔術、魔法を信じて、大神官(ローマ法王や、大祭司)に仕えているのだ、という自覚を今も持たない。白人優越感情(ホワイト・シュープレマシー White supremacy)で今も生きている。
(前掲書p134)世界史には空白があって、本当はヨーロッパの国々の起源がよくわからない部分がある。
そこをうまく利用しているのが、ヨーロッパ人なのである。
あの偉そうにしているヨーロッパの白人たちの国家の始まりは、その起源は、チュルク人(トルコ系。アジアの大草原を渡ってきた遊牧民)か、そうでなければ、スカンジナビア半島発祥のノルマン人(ヴァイキング)なのである。
ドイツとフランスはフランク王国だから別だ。ところがイギリスとロシア、ポーランドもハンガリーも、西暦800年ぐらいに出来た国だ。その前は、ないのである。
古代ローマ帝国が滅んで、ローマ人たちが、ぞろぞろ引きあげていったAD400年代からあとが、はっきりしない。
このあと、400年間ぐらい、実はヨーロッパはよく分からないのだ。文献(史料)もあまりない。
(前掲書p86)白人優越主義の根底は、意外にも、脆弱な論理しかない。
われらが大谷だって、その対象だったのだ。
その力で、白人優越主義を撃破してくれ!
https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/268034(「
東スポWEB」)
posted by T.Sasaki at 19:36|
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