日本の漁業が崩壊する本当の理由 片野歩

世界中で魚類資源が増えているのに、日本だけが減っている。
この現実を、恥ずかしいと思うべきである。

日本の漁業が崩壊する本当の理由.jpg

すべての漁協組合長、理事、参事、そして、任意の漁業団体の会長以下すべての役員たちは、この本を読むべきだ。
読みたくないならば、「日本の漁師は大バカものだ」を参照すること。
これを認識できないならば、役職に就く資格はない!

2023年04月21日

カシオペア連邦

こんばんは。

いか釣りの準備もほぼ終わり、何日か、遊びに行ってきた。
昨年は十和田周辺だったが、今回は、二戸。
ここでは、「カシオペア」という名前の看板が、たまに目に付く。
何だろう?と思って調べてみたら、カシオペア連邦というのがある。
同じ岩手県でありながら、知らなかった。
きっと自分の生活に、余裕がないのだと思う。

カシオペア連邦

連邦の観光地の一つが、座敷わらし温泉である金田一温泉(正式には「きんたいち」と読むそうだ)。
そこには、亀麿神社がある。

https://cassiopeia-iwate.jp/tourist/181/(「カシオペア連邦」)

財布に100円玉しかなかったから、しかたなく100円を奉納してきたが、戻る時、鳥居を裏から見たら、愛媛県松山市の方が奉納したものだったとわかった。

鳥居の裏.JPG

何かのご利益があったのだろうか。
こういうのって、すごいと思う。

二戸駅前には、「カシオペアメッセなにゃーと」という建物があり、観光センターかな?
展望台があり、パンフレットとかが置いてある。
1階には、お土産売り場があり、もちろん、名物は南部せんべい。
さすがに本場だ。
知らないメーカーが並んでいる。
昔、私は小松製菓の若旦那と、何かの会合で一緒になったことがあり、だから、せんべいは、小松製菓に決めている。
でも、「巖手屋」のせんべいが、何と多いことか!
と思っていたら、小松製菓のブランド名が「巖手屋」だったのだ。
参ってしまった。
ウェブサイトにも、ちゃんと説明してあった。
私はアホだ。

巖手屋について(「南部せんべい乃 巖手屋」)

南部せんべいの歴史は古い。
カシオペア連邦では、サムライフードと呼んでいる。

https://cassiopeia-iwate.jp/eat/171/(「カシオペア連邦」)



九戸城址も見ようと思ったが、どうやら工事中らしくて、やめた。
二戸なのに、なぜ九戸城なのか?
それは、九戸氏という人物が作ったから。
以前、「中央政府 vs. 東北辺境 3」で少し触れているが、九戸政実の物語を読んでみたいと思った。
豊臣秀吉は、クソ野郎だ。

https://cassiopeia-iwate.jp/tourist/167/(「カシオペア連邦」)



二戸歴史民族資料館にも寄る。
けっこう偉人がいる。

http://www.edu.city.ninohe.iwate.jp/~maibun/n-index.html

何を見たかったか、というと、酒の自動販売機を見たかったから。
二戸観光協会が発行した「にのへ!」というパンフレットで、次のように説明していた。

日本最古の飲料自動販売機
二戸歴史民族資料館で公開している、日本の自動販売機の原点的な日本酒の自動販売機。地酒「南部美人」が所蔵していた。5銭白銅貨を入れると、ゼンマイ仕掛けで動く仕掛け。もっきりを楽しむために使われたが、きっちり計量されるため、あふれるサービス分がなく不評を買いお蔵入りしてしまったという。未来技術遺産にもなっている。
(「にのへ!」p19)


二戸の人たちは、のんべえが多いという歴史的証明になっている(笑)。

酒の自動販売機.JPG

そして、驚きの副産物があった。
写真を拡大して見てくだされ。

鉄道地図.JPG

明治24年の鉄道地図であるが、この時、青森駅まではすでに到達している。
しかし、西日本は、神戸あたりまでしか行っていない。
てっきり、東北は遅れているものだと思っていた。



世界遺産にもなっている御所野遺跡にも寄ってきた。

https://goshono-iseki.com/index.html

館内の映画で、越冬のシーンを描いていた。
もし、高床式住居ならば、寒くて寒くて大変だ。
だから、竪穴建物は、半分くらい土の中にもぐりこんでいた構造にしたのだと思う。

竪穴建物の内部.JPG

竪穴建物の内部2.JPG

それでも寒いから、できるだけ、屋根に土を盛った。
日本以外でも、土屋根建物は北に位置している。

土屋根建物.JPG

スマホ中毒の人たちは、御所野遺跡を見学して、縄文時代の厳しさを感じてほしい。
それでも、みんな生きてきたのだ。

非常に興味のあったのは、復元した建物の紐の結びについて。
大体は、平結び、いぼ結び(男結びともいうが、正式名称は知らない)。

平結び.JPG

いぼ結び.JPG

縄文時代の復元だから、当時もこの結び方があったかどうかについて、事務のネーチャンに質問したら、学芸員の方が出てきた。
回答は、それは、わからないそうだ。
しかし、考察として、こういう手作業の関することは、連綿と続いてきたものだから、おそらくは当時からあったのではないか、と。
そうか、もしかしたら、私たち漁師の結索作業は、縄文文化なのか。

青森県の「三内丸山遺跡」も見てみたくなった。


posted by T.Sasaki at 17:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 観光・絶景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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