日本の漁業が崩壊する本当の理由 片野歩

世界中で魚類資源が増えているのに、日本だけが減っている。
この現実を、恥ずかしいと思うべきである。

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すべての漁協組合長、理事、参事、そして、任意の漁業団体の会長以下すべての役員たちは、この本を読むべきだ。
読みたくないならば、「日本の漁師は大バカものだ」を参照すること。
これを認識できないならば、役職に就く資格はない!

2022年01月28日

盛岡冷麺創生期の真実

ふたたび、こんばんは。

先日、盛岡のつなぎ温泉に行ってきた。
学生時代のバイト先で厨房にいた先輩が「飲もうぜ」ということで、親切に温泉を手配していた。
バイト先は、焼肉レストラン「名月館」というところで、盛岡冷麺の先駆者たちであった。
私は、大好物の一つが盛岡冷麺である。

「名月館」「盛楼閣」「三千里」とか、北朝鮮系の飲食店は、全部、仲間である。
当時のことは、この先輩が非常に詳しい。
彼は、お世話になった人には、礼を立てる人であり、引き抜きがあっても他店を移らなかった。
温泉では飲みながら当時の裏話を聞いた。
その一つを紹介する。

盛岡冷麺といえば、盛岡三大麺として有名だが、その発祥については、いろいろ語られる。
たとえば、八戸などにも支店をもつ「やまなか家」には、盛岡冷麺の歴史を記したページが存在する。

https://www.yamanakaya.jp/kodawari/himitsu.html(「やまなか家」)

ここに青木さんという方が登場する。
青木さんは、現在の盛岡冷麺を作った人だ。
彼は、食道園という店で、盛岡冷麺を開発し、サザンオールスターズのボーカルだった桑田佳祐さんが、来盛して食べに来た話は有名である。

当初「名月館」などの店で出す冷麺は、麺にそば粉を使い、黒かった。
他の地域の冷麺は、今でもそば粉を使ったところがきっとあると思う。

食道園で、ちょっとした事件が起きた。
厨房職人がやめて、他店に食道園の冷麺の作り方を教えた。
その結果、そば粉を使わない現在の盛岡冷麺が一気に広がった。
食道園側は、やめた厨房職人を呼び戻したというが、後の祭り。
食道園が儲かったかどうかはわからないが、この盛岡冷麺で、当時の「名月館」系の焼肉屋は、かなり儲かった。
今、隆盛を誇る「ぴょんぴょん舎」や「やまなか家」はずっと後発である。

冷麺の作り方の拡散は、今でいえば、技術流出であり、本当は企業秘密事項である。
しかし、見方を変えれば、これは、盛岡の発展に寄与できるものであったから、歓迎される出来事であったかもしれない。
ただ、青木さんの盛岡冷麺の開発は、称えていいものである。
だから、敬意を払って、やまなか家は、Webで紹介しているのだと思う。
盛岡冷麺を扱っているすべての店にとって、青木さんは神様なのである。

posted by T.Sasaki at 18:16| Comment(0) | うまいもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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