ふたたび、こんばんは。
今度の選挙に限らず、テレビで、若者の希望を持たせるような話をする立候補者がいる。
いる、というより、どこにもいて、そう言っている候補者は、50歳をほとんど過ぎているだろう。
私はテレビを見ながら、いつも、「そう思うなら、出てこないで、若い人を担ぎあげればいいじゃないか」と思う。
若い人が政治家になって、仮に失敗しても、それは許される。
許されるのだ!
今、50以上の年寄り候補が出てきて、何ができる?
何もできない。
漁業の世界を見ると、中央政治の世界より、もっと悲惨だ。
今、高齢の理事や組合長たちに、何ができる?
せいぜい、現状維持だ。
彼らが、若い人たちの意見を汲むことができるだろうか?
私は、たぶん、いか釣りで旅歩きしていない人間なら、きっと、理事くらいにはなっている。
今でも、地区代表の理事で、「おまえ、やれ!」と言われても、時間的にできないものはできない。
理事会に出席できないのに、理事になれるわけがないじゃないか。
私は、宮古漁協の理事会に出て、誰がどういう意見を言うのか、それとも、誰も意見を言わないのか、参加してみたい気持ちが大いにある。
本当のところ、漁協の理事会が機能しているのかどうか。
過去の理事会決定、これは、すでに事業化され、結果はわかっている。
例えば、宮古魚市場拡張に関することは、明らかに失敗だ。
その時、だれか異論を言った人がいたのかどうか。
現在でいえば、誰か、反省の弁を言う人がいるのかどうか。
そして、これらのことを、50歳前の若い人たちが、どう思うのか。
私とすれば、大いに若い人たちが、文句を言ってほしいと思う。
ここで、50歳以上の年寄りたちも、文句を言うかもしれない。
若い人たちだって、何をやらかしたかわからない、と。
しかし、今後の未来の責任を負うのは、若い人たちなのだ。
年寄りたちは、事業の失敗を自分たちで負うこともなく、ただ若い人たちに残すだけだ。
それならば、若い人たちが失敗して、それを自分たちで償うほうがよっぽどマシではないか。
そのほうが、よほどスッキリする。
宮古を取り巻く漁業環境をから、年寄りたちのやる選挙を、私は冷めた目でしか見ることができない。
みんな同じにしか見えない。
posted by T.Sasaki at 21:01|
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