日本の漁業が崩壊する本当の理由 片野歩

世界中で魚類資源が増えているのに、日本だけが減っている。
この現実を、恥ずかしいと思うべきである。

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すべての漁協組合長、理事、参事、そして、任意の漁業団体の会長以下すべての役員たちは、この本を読むべきだ。
読みたくないならば、「日本の漁師は大バカものだ」を参照すること。
これを認識できないならば、役職に就く資格はない!

2020年09月03日

社会福祉を建前とする鬼たち

ふたたび、こんにちは。

毎度紹介する「世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち」を読むと、日本の安倍政権のやっていること、そして、国家官僚のやっていることが極めて低レベルであることがわかると思う。
震災でこの文庫本を流失したのを買い戻し、通読したら、再度感動した。
前回の「黒人差別について」の中身の理解も(例えばアメリカファーストなど)、「世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち」を読んでいれば、理解は簡単だ。
どんな小さな自治体の議会議員であろうと読むべき本であり、この1冊で、世界で起こっている政治ニュースをだいだい理解できると思う。
最近は、「日本はアメリカの言いなり」と誰もが言うようになったが、これは、副島先生の功績である。

アメリカの属国である日本は、アメリカに逆らえば必ず嫌がらせを受ける、ということを前提にした覚悟が必要である。
それを、日本国民に政治家が伝えることが先決なのだ。
しかし、日本政治家は、正直に、そういうことを言わない。
変なプライドがあるのだろう。
どうせ、大したことはできないくせに。

ここで、人権とは何か、という問題を少々。
政治で、人権を無視することは、許されない。
しかし、この人権は、歴史的には、最近発明されたものなのである。

「自然権」natural rights を人類史上はじめて主張したのは、イギリスの近代政治哲学者・大思想家ジョン・ロック(1631−1704)である。ジョン・ロックも「自然法」=「自然のおきて」そのものは認めている。しかし、彼はそれよりも「自然権」(ナチュラル・ライツ)を強調した。「人間はひとりひとりの個人に、生まれながらの固有の権利として、“天”Heaven あるいは、“神の摂理”Divine Providence から“ナチュラル・ライツ”を与えれているのであり、これは何人も奪うことのできない生得(natural)の諸権利(rights=正義)である」として、この「自然権」の方を「自然法」より重視した。
(「世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち」p195)


この中に、自然法という言葉が出てくるが、これを説明するのは難しい。
自然法は、アリストテレスに端を発すると言われているが、ジョン・ロックの自然権に、エドマンド・バークという人が、異議を唱えた。
そのことを以下に引く二つの文章を読んで、自然法とは何か、ということを感覚でとらえてほしい。

フランス革命を実行に移した過激派政治家たちがロックやルソーの「自然権」を鵜呑みにして、それを自分たちの行動の原理としてかつぎ上げ、「人間は生まれながらに自由かつ平等だ」と高らかに宣言したこと、それ自体をたいへん嫌った。
 なぜなら、この地上でこれまで人間が、そして社会が自由かつ平等であることなどなかったし、大昔も過去も現在も、それからおそらくは未来においてもない。政治宣言として「そうあるべきだ」と主張する以外には、そんなことはないからである。かつ、そんなことは誰にも証明できないからである。実際の人間世界では、「人間は、なるべく個人の努力により、自由かつ平等であるべきだ」としか本当は言えないのである。
 近代以降の人類が犯した戦乱や民族皆殺しや政治的大量殺人など数々の悲劇と大間違いは、この自然権思想の立場に立って、現実の世界を無視して楽天的に、「人間は自由で平等だ」などと簡単に宣言してしまったことにある、と考える根本保守の思想は、実質的にこのバークによって始まった。
(前掲書p198)


私も、その通りだと思う。
「永遠の相の下で」という言葉が、ナチュラル・ロー(自然法)では重要であり、ナチュラル・ローとは、「永遠の相の下における」「自然の秩序そのもの」である。

これらは決して目に見えず、人間という愚かな生き物の、その人智を越えて、永遠のものであり、とらえ難いものである。
 しかし、そのような「社会のおきて」は、たしかにこの人間世界に「在る」のだ。このエドマンド・バークの思想は『フランス革命の省察」の中にちりばめられている。バークは、1989年にフランスで起きた大革命を激しく非難した。それは人間の自由の解放でも何でもなく、ただの民衆暴動であり、国王や貴族たちを何千人も断頭台に送り、合計三万人ほどの人々を殺害し、挙句の果てダイトンやマラー、ロベスピエールらの革命家を気取る野心家たち自身が、お互いの血なまぐさい殺し合いによって幕を閉じていったにすぎない。フランス革命というのは、巨大な秩序破壊、文明破壊にすぎなかった、と断じた。
(前掲書p204)


しかし、世界中で大躍進を遂げたのは自然権(ナチュラル・ライツ)であり、それをもっと進めて、人権派(ヒューマン・ライツ)は、さまざまな人権を作った。
それは、各国の憲法典にある通り。
もっと極端にしたのが、アニマル・ライツ派であり、「クジラを食べるな!」「イルカを食べるな!」「サメを食べるな!」となった。
そのアニマル・ライツ派は、牛や豚を、かわいそうではないというのだ。
さっぱり意味がわからない。

自然法から人権開発までの流れの後、ベンサムの功利主義が登場し、やがて、先述、リバータリアニズムが登場するのである。
そう、過剰福祉を嫌い、税金の無駄遣いを厳しく追及する政治勢力である。

しかし、である。
忖度政治を除けば、前回書いた「安倍首相のやったこと」の財政赤字と過剰福祉の話は、どこの国も悩んでいる。

「もうこれ以上、福祉のためにかける公的なお金はないんだ。みんな自分のことは自分でやってほしい。国や社会に頼って生きようとするのはもうやめてくれ」と、いくら言いたくても、彼らは言えないのである。「政治家・官僚として政権を担当している以上、私たち国民大衆に満足に食べさせ、医療を与えるのがオマエたちの義務だ」と国民大多数派は、無言で要求するからである。保守的な考えの持ち主である中小企業の経営者やお金持ち層の人々の最大の弱点も、同時に、ここにある。「貧しい人たちのことなど考える必要はない」とは、彼らといえども絶対に言えないのだ。口にしたら、政治家として失脚する。
 だからアメリカで、民主党(リベラル派)が「福祉をばらまき、犯罪者を甘やかし過ぎている」ことのために共和党系からどんなに非難されようとも、だからといって、共和党(保守派)が民主党を決定的に追い詰めて圧勝するということもまた、ないのである。次の2000年の大統領選で共和党が勝ったら、きっと「均衡財政」「赤字財政の建て直し」「公務員の数の削減」「ばらまき福祉の見直し」等を実施するだろう。しかし、それにも限度がある。福祉を要求する国民多数派を敵に回してまで「福祉削減」を実行することはどうせできない。
(「世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち」p163)


アメリカでさえ、政治は、こんなものであり、やはり福祉政策には背けない。

そこで政治家は何をやっているか、というと、政治屋として、政治をやっているフリをしているのである。
このように説明すれば、日本の安倍首相がやっていたことに納得がいくと思う。
つまり、何の方針もなく、「ただやっている」だけ。

個人個人の生活では、普通ならば、人間も動物であるから、自分の食い扶持は自分で稼がなければならない。
が、ここからは人間になり、かわいそうな人は助けよう、という考えに落ち着くだろう。
そういう考えのない人は、「鬼」である。
この「鬼」という言葉は、ある親しい人から、しばらくぶりに聞いたことだ。
しかし、なるほど、彼の言い分もわかる気がしないでもない。
「助ける」とか「手伝う」とか、そういうことが基本的に欠けているように思ったから。

亡くなった財務省職員の赤木俊夫さんを、助けようともしなかった財務官僚たちは、「鬼」である。
鬼ばっかりいる官僚機構など、小さいほうがよい。
改ざん、隠蔽が横行して、まともな仕事をしていないなら、そんなもの、やめてしまえ!
アメリカのリバータリアンたちなら、そう叫ぶ。
このように厳しく言う、筋の通った政治勢力が、日本でも出現してほしいものである。

(本当は、小沢自由党が、これを目指したのだろうと思うが、周りについて来れる人が少なかった。世界を知らない人が政治家になると、こうなるのではないか。しかたがなく、自民党に対抗するために民主党を作ったが、失敗に終わる。あ〜、もったいない。副島先生の出現が、あと20年早かったら、この日本は変わっていたかもしれない。)
posted by T.Sasaki at 16:34| Comment(0) | 副島学問 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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