こんにちは。
せっかく高浜のお祭り、ということで、八戸へ船を置いて帰郷したが、台風19号で、お祭りの行事は中止。
今度の台風も、3年前の台風10号の時と同じように(「
倉庫の屋根が・・・」参照)、小規模土石流が近所で発生。

排水溝は土砂で埋まり、代わりに道路が排水の役割を果たす。

台風10号の時は、家の前の道路は剥がれたが、今回は大丈夫だった。
新品だもの。

しかし、この“下流”は、土砂が積もってしまい、タイヤが埋まってしまった車もあったが、住民たちが協力し合って、土砂を撤去(もちろん重機も出動)。
風邪をひいてしまった私も、マスクをしながら手伝ったりした。
下水の泥上げまでは、まだ町内でやってはいなかったが、居なくなるのに気持ちがひけて、少しやってきた。
津波で消滅した我が家の屋敷も土石流で埋まったらしい。

こうなったのも、内陸のW建設が、津波前に、山に傷をつけたことに原因がある、という人もいる。
眺めがいいため、宅地造成して、分譲しようとしたらしい。
しかし、無許可でやったために、入札指名停止になったようだ。
山は、そのまま途中で放置され、雑草に覆われただけだった。

屋敷の前にある国道45号線も塞ぎ、一時不通になったが、徹夜の復旧作業で、片側通行にしたそうだ。
話に付き合ってくれた作業員には、ご苦労様、と言ってきた。
津波が来ても来なくても、いずれ、私の家は被災し、死人の出る運命にあったのだ。
嫁さんをもらっていなくて良かった。
もし、いて、犠牲にでもなったら、私は、きっと立ち直れなかったと思う。
ご覧の通り、すでに、自分の家の立地責任というのは、自分で背負う時代になったのではないか。
防災をすべて行政の責任にするならば、防災予算はいくらあっても足りない。
テレビのニュースや新聞報道は、今回の台風被害のほんの一部しか伝えていない。
特に沿岸沿いでは、台風10号の時より、降雨量が多かったようだ。
もし、これが、閉伊川水系全域で降ったならば、宮古の市街地は、全滅だったかもしれない。
今後は、津波より、洪水被害の確率のほうが大きいように私は思う。
宮古市は、震災後の防災予算の使い方(閉伊川水門建設、震災遺構)、及び、市役所建設立地を、きっと間違った。
八戸に置いた船も心配になり、国道45号線が不通なので、盛岡経由で八戸へ戻る。
posted by T.Sasaki at 15:01|
Comment(0)
|
日記
|

|