さらに、再び。
「日本史『その後』の真実」について。
歴史上の人物の活躍は、教科書でも歴史本でも読めばわかるが、活躍したその後、というのは、なかなかわからない。
興味本位で、ついつい買ってしまった。
確かに、歴史上の人物が、どうなったか、という部分もおもしろいが、この本では、裏話も書いてあり、また、活躍した人物の奥さんにまで記述していあるから、もう知らなかった事実でいっぱいである。
歴史など、あまり好きではないけれど、やはり人間の生き方というのは、活躍した人たちに学ぶものが多い。
西郷隆盛などの幕末から維新にかけての記述も多く、この部分は、ほぼNHK大河ドラマの復習みたいである。
まずは、聖徳太子。
今は、聖徳太子とは言わず、厩戸王(うまやとおう)または厩戸皇子、というらしい。
つまり、聖徳太子は、実在したかどうかもわかっていない。
次に、北条政子。
彼女は、周囲の反対を押し切って、源頼朝と一緒になった。
鎌倉幕府の創始者であり、義経信仰者から見れば、嫌われ者である。
その政子は、源家の身内同士の暗殺もあり、北条家に実権を移すようにしたのだが、それは、夫の作った幕府(鎌倉幕府は、日本初の武家支配)を存続させたからではないかともされる。
それほど、頼朝を愛していた、という考察が書いてあり、「ん〜、そうか」としかいうほかない。
まあ、微笑ましいことではあるが(というより、羨ましい。笑)。
真田信繁(幸村)について、私はよくわからないが、彼は、もう少しで徳川家康を仕留めるところまでいった武将であったようだ。
彼は、結局、討ち取られるのだが、潔く「
儂の首を手柄にされよ」と告げたという。
彼の遺児たちは、伊達家家臣に引き取られ、仙台真田家となった。
伊達藩には、このように、不幸になった人たちを助けるという伝統があるのか、意外にも、面倒見がいい人たちであったようだ。
乃木希典。
日露戦争で大活躍した陸軍大将だが、彼は、「
当時を代表する英雄でありながら、質素で清廉な生活で、食事も粗食とされた麦飯を常食。私利私欲と無縁な高潔な人格は、明治天皇を追った殉死の後に神として祭られ、乃木神社の御祭神となった」という。
とても真似のできるものではない。
だから、神になるのか。
2点ほど、少し感動する部分を引用する。
一人目は、斎藤一。
あまり知られていないと思うが、新選組の一人である。
会津戦争での斎藤の奮戦は、土方の箱館戦争よりも涙を誘う。母成峠での惨敗の後、数十名しか残っていなかった新選組の面々は、仙台へ向かうか、会津で死守するかで二派に分裂してしまう。
斎藤は会津への忠義をつらぬき、会津郊外で起こった如来堂の戦いに向かうことになる。十数名と官軍約300人。兵力の差は圧倒的だったが、会津藩降伏後も戦い抜き、松平容保の使者の呼び掛けにより投降したとされる。
(「日本史『その後』の真実」p83)
その後、彼は、青森県下北の斗南藩に流され、「藤田五郎」という名前で暮らすが、後に罪が許され、新政府の警察官になる。
私がなぜ、会津の肩を持つか、というのは、すでに、このブログに記してきたとおりである。
奥羽越列藩同盟は、東北全部でみな、近代武力と非力ながら戦った。
会津は、特にいじめれた。
二人目は、関行男。
特攻隊の存在は有名だが、その第一号として昭和19年11月にアメリカ軍の空母に体当たりした、関行男大尉(戦死後中佐)遺族のその後は過酷であった。母は草餅の行商で生計を立て、残された妻の将来を案じ再婚を勧める。戦中は軍神の母ともてはやされるが、終戦で評価は一変。一人息子を死に追いやった鬼の母として、石を投げられたこともあったという。貧しい生活を送った後に小学校用務員の職を得て、関の死後9年後に「せめて行男の墓を・・・」を遺言に没した。
(前掲書p109)あまりにもかわいそうである。
もう少しで涙が出るところだった。
posted by T.Sasaki at 17:10|
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