再び、こんばんは。
松川温泉は2泊3日であったが、2泊もすれば、体は硫黄の香りで幸せ気分である。
が、これで翌日から仕事をすると、体を壊す。
「2泊くらいなら、大丈夫だろう」と思って仕事をしたら、具合が悪くなり、結局、その後何日か休んだことがある。
だから、せめて、温泉から帰った翌日は、休むようにしている(1泊なら問題ない)。
そのため、今日も読書したり、これを打ち込んだり。
峡雲荘では、2冊ほど読んだが、そのうちの1冊は、これ。
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163900100(「
文藝春秋BOOKS」)
読もうとしていたものだが、すでに書店では手に入らないので、Amazon中古で手に入れた。
作品紹介には、「ネット文化、ネット言葉に懐疑を抱く中高年待望の書」とあるが、中高年は読まなくてもいい。
若い人たちが読むべきものだ。
人間社会のコミュニケーションツールは、話しことば、書きことば、ネットことば、というように、変遷してきた。
文字が発明されるまでは、話しことば、つまり、会話がコミュニケーションの手段であったが、しかし、文字が発明されても、印刷技術が発達するまでは、それほど文字は重要ではなかったが、活版印刷という印刷技術の出現により、話しことばより書きことばが重要になったのである。
そして、現在、書きことばを駆逐し始めたのが、ネットことばであるが、これは、始まったばかり。
ネットことばとは、メールやSNS(特に流行りのLINEかな?)で行き来する、スピード感のあることばであり、映像なども含む。
情報量が膨大なこともあり、ネットことばは、軽い。
一方、書きことばのほうは、何度も訂正され、校正され、それから、紙媒体を通じて世に出るから、反省的思考がある。
ネットことばは、スピード感がある分、発せられることばを吟味できない。
引用する。
ネットことばの「プロセスが見えにくい」という原理は話しことばといっしょです。ことばを発するまでの瞬間的な脳内の作業は見えません。ことばを口にだす本人にも見えない。ことばにだしたあとになって、なぜあんなことをいったのかと悔やむのはそのためです。やはり同じようにSNSやメールソフトでことばを「打ち込む」ときも、ことばを「書く」ときと違い反省的思考が不足します。ネットことばは、まるで話しことばのようなスピードで打ち出されていくのですから当然なのですが。
つまりネットことばは、話しことばときわめて似た特質をもっているといえます。ネットことばは書きことばより、ずっと話しことば的なのです。
(「ネットで『つながる』ことの耐えられない軽さ」p65)しかし、書きことばよりも、ネットことばへの転換は、止めることはできない。
とにかく、ユーザーの印象に残り、利用されるのは、現在では、ネットことばである。
1960年代に、すでに、このことを先取りした人がいた。
それは、カナダの英文学者であるマーシャル・マクルーハン。
彼は、「メディアはメッセージ」と表現した。
メッセージそのものよりもメディアが重要だということです。
かつて米大統領選でケネディとニクソンが討論したとき、テレビを見た人はケネディが優勢に議論を展開したという印象をもったのにたいして、ラジオではニクソンが優勢だったと、まるで逆の印象を多くの人がもったという話は有名です。ラジオで聞いた場合と、テレビで見た場合とでは演者の印象ががらりと変わるという話もメディア(テレビかラジオか)によってメッセージの印象や評価が変わるということ、つまり「メディアはメッセージ」だということと重なります。
(前掲書p182)メディア自体がメッセージであるのに、さらに、著者の藤原さんは、今度は、メディアがメッセージの選ぶのだという。
太古の時代の石版は、メッセージを彫るのに、かなりの時間と労力を費やす。
したがって、簡潔で重要なメッセージしか記すことができない。
そして、現在を支配しつつある、「つながり」の媒体であるSNSが、どんなメッセージを選ぶか。
推測すると、またまたこれが非常に悩みのタネになる。
書きことばは、読解力を養うが、ネットことばは、そうではない。
書きことばが衰退するということは、読む力も衰退するということです。よって読者の力も同時に衰えていきます。現在、紙に書かれる文章も短文化が進んでいますが、短文しか読まない読み手がふえているからにほかなりません。長文を読めない人がふえているのです。
ネット上では「長々と書いて説明しなければならないのは、そもそもダメなアイデア」と見なされます。
(前掲書p208)SNSやゲーム、ギャンブルなどに、個人の嗜好というか、それぞれに、「合う」「合わない」があるだろう。
私にとって、まず、ゲームやギャンブルは、時間の無駄にしか感じられない。
ああいうものに熱中しても、何も残らない。
SNSは、どうか。
以前、少し参加してみたが、使い方が悪かったせいか、何も残らなかった。
感覚的な問題かもしれない。
「軽く、付き合いのがいいよ」と助言をいただいたりしたが、私は、その「軽く」ができない不器用な人間である。
しかし、その感覚的なものを書き表したのが、この本に記してあった。
私的には、これが、この本の結論である(もちろん、結論はちょっと違う)。
ネットが思考を拡散させるバイアスが強く働くシステムだということを、経験的に納得している人は少なくないはずです。
だから、いつまでたっても仕事を終えることができないと、苛立つことも多い。
もちろん紙とペンで仕事をしていた時代であっても、作業を中断して、辞書で調べものを始めたり、新聞を読み始めたりということがありました。しかしネットことば時代における作業の中断と再開とは本質的に意味が異なります。
ネット上において作業の中身(画面)を切りかえるとき、それがあまりに瞬間的で簡単なために、それまでかかっていた作業を中断したという意識もなくなります。別のテーマに移りつづけたとき、その前に自分が何に取り組んでいたのか思いだせないということもある。たくさんのメールをチェックしたり、フェイスブックを開いてメッセージを「読む」。しかしそのうち、いくつのことばが記憶に残るのか。ほとんどのことばは右から左へと流れて消えていくだけ、ということはないでしょうか。
その間、思考は深まりを見せることがほとんどなくて、時間だけが過ぎていくということが起こります。これはゲームをやっているときとよく似ています。
こうしてやるべきことがいっこうに進行しないということが少なくありません。
(前掲書p200)副産物として、プレゼンテーションや検事の不正事件、日本の経済発展に関わった日本の書きことばなど、面白い記述がたくさんあった。
ネットことばの隆盛により、英会話の能力の違いが、さらなる格差を生むことになり、いずれは、日本語も淘汰されるのではないか、という推測まで書いてある。
おもしろかった。
posted by T.Sasaki at 22:32|
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