こんばんは。
親が存命で高齢になってくると、介護のことを考えざるを得ない。
これは、だれでも同じであろう。
私の父は、まだ元気で、今でも大きな声で怒鳴ったりするが、やはり、一人にさせておくと、体力がなくなり、頭もボケ加減になる。
昨年、いか釣りで旅先から帰ってきたとき、特にそう思った。
今年は、いろいろと対策を練ってから、日本海へ行こうと思っている。
年寄りは、本人に体を動かすように促し、会話をしなければ大変なことになるようだ。
昨年の春、私は、老人養護施設の相談をしに、市役所を訪ねた。
特別養護老人ホームの待機年数は、3年から5年だそうである。
それで、私のような独身者は、親が寝たきりになってしまったら、特養が空くまで、仕事を休んで、おしめ交換をしなければならない。
市役所での結論は、そうなった。
すでに覚悟はできている。
親のおしめ交換をするのなら、やはり他人の親よりも自分の親のほうがやりやすい。
他界した私の母は、他人のおしめ交換をしたのだから立派だったと思う。
そこで一案、思いついた。
世の中、すべて家母長制にすべきである。
つまり、「嫁をもらう」ではなく、「婿をもらう」のを当然のようにする。
家父長制はダメだ。
男が外で働いてきて、女が家を守っている場合、女が親の世話をすることになる。
それよりは、どう考えても、婿をもらって、奥さんが自分の親のおしめを交換したほうがいいに決まっている。
ここでまた少し考えてみるが、今や、女のほうがいい仕事に就いて、男が家事をしている家庭もあるだろう。
この場合は逆で、女が嫁に入ったほうがいい。
そうすれば、男は、自分の親のおしめを交換できる。
共稼ぎの場合は、どう考えたらいいのだろう。
デイサービス、という福祉事業があるのだから、たぶん、どちらも自宅通勤ならば、やっていけるとは思うが、そういう環境にないから、私はわからない。
特養の待機期間を限りなく短くするような施策が最重要である。
そうでないと、私のような、介護で仕事をできない人間が増えてきては、社会福祉を賄う税収を失うことになるからである。
日本人には、誰もに、親を見捨てない性質が備わっているように思う。
3.11で被災した人々の中で、孤独死が問題となっている。
孤独死というものは、被災するしないにかかわらず、どこでも起こりうることだから、私は、こういう報道を過剰だと思う。
そもそも、孤独になる原因というのは、何らかの理由で、親族がその孤独を放置してしまったことにある。
私みたいに独身でも、親族はいるし、本当に身近な親族は、私の老後をみてくれるだろう(と思う。笑)
だから、孤独死の本質は、副島隆彦先生の「世界覇権国アメリカを動かす知識人たち」という本からになるが、「ファミリーバリュー family values」の無視にあるのだ。
これを政治家が語るようにならなければ、孤独死というのは減らないのである(日本では、ケータイプランでしか、この言葉が使われない。笑)。
家族や親族が、孤独死などの老後問題を、社会に頼らないで自分たちで引き受けるならば、それは、福祉への負担を減らすことになり、結果として減税となる。
こういうことを日本の保守政治家から、一言も聞いたことがない。
左翼系の人間というのは、弱者のために予算を引っ張ることしか考えないから、「ファミリーバリュー family values」などということに言及しようとしない(と挑発しておくが、本来、保守の主張すべきことを左翼系から提案することに意味があると思う。「保守よ、しっかりしろ!」とハッパをかけるのだ)。
3.11の震災記念日を「大切な人を想う日」という運動を、岩手日報紙がやっている。
https://www.iwate-np.co.jp/content/taisetunahito-omouhi/(「
岩手日報」)
この基礎は、「ファミリーバリュー family values」にある。
「ファミリーバリュー family values」は、何も新しいものではなく、自然のものなのである。
posted by T.Sasaki at 21:22|
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