日本の漁業が崩壊する本当の理由 片野歩

世界中で魚類資源が増えているのに、日本だけが減っている。
この現実を、恥ずかしいと思うべきである。

日本の漁業が崩壊する本当の理由.jpg

すべての漁協組合長、理事、参事、そして、任意の漁業団体の会長以下すべての役員たちは、この本を読むべきだ。
読みたくないならば、「日本の漁師は大バカものだ」を参照すること。
これを認識できないならば、役職に就く資格はない!

2018年03月25日

「法令遵守」が日本を滅ぼす

こんばんは。

いさだ漁業が、史上最高の勢いで、水揚げが伸びている。
キロ単価が120円で、1日の水揚げが100万円!
これを10回やれば、簡単に1000万円!
乗組員の欠員を待っていても、この状態だときっと誰も休まない。

一方私は、超ひまな状態なので、読書したり、調べものをしたり。
今日は、「法令遵守」が日本を滅ぼす、という本を読んだ。
元東京地検特捜部、長崎地検次席検事を務めた郷原信郎さんの書いたもの。

題名をみると、「おや?法令を守ることが日本を滅ぼすのかよ」と思ってしまうのだが、読んでみて納得。
法令のほうが、世の中についていってない、というもので、経済活動にその弊害が及んでいる、と。
だから、法令の根っことなっている、基本的なことに目を向けよ、ということ。

 法令の背後には必ず何らかの社会的な要請があり、その要請を実現するために法令が定められているはずです。だからこそ、本来であれば企業や個人が法令を遵守することが、社会的要請に応えることにつながるのです。
 ところが、日本の場合、法令と社会的要請との間でしばしば乖離・ズレが生じます。ズレが生じているのに、企業が法令規則の方ばかり見て、その背後にどんな社会的要請があるかということを考えないで対応すると、法令は遵守しているけれども社会的要請には反しているということが生じるわけです。
(「『法令遵守』が日本を滅ぼす」p100)

大切なことは、細かい条文がどうなっているなどということを考える前に、人間としての常識にしたがって行動することです。そうすれば、社会的要請に応えることができるはずです。
(前掲書p103)


このことは、JR福知山線の脱線事故で、被害者の家族が肉親の安否確認を問い合わせたのに、対応した医療機関側は、個人情報保護法を盾に教えなかった、という例をあげて説明したものである。
医療機関側は個人情報保護法を守った、ということなのだが、実際には但し書きがあり、それまで認識していなかった。
しかし、認識の前に、「これは教えなければ・・・」という普通の人間の考えるところを守っていれば、こんなことは起きない。
そういうことなのだ。

パロマ事件というのがあって、これで最終的に21人が亡くなっている。
法令の穴(著者は隙間と表現している)があったため、経済産業省の商務情報政策局製品安全課、経済産業省の外局のガス安全課、液化石油ガス保安課、という3つの部署があっても、事件の原因が追求できなかった。
一方、パロマ工業製と特定されているにもかかわらず、パロマ側は、不誠実だった。
引用する。

 パロマ側は、民事、刑事の責任回避のための訴訟対応を行なうという「法令遵守的対応」をとり続け、それが、メーカーとして必要不可欠な事故再発防止のための社会的責任を果たすことを妨げてしまいました。監督官庁の側でも、複数の組織や部署に所管が分散していたために、事故情報が一元的に把握されていませんでした。その結果、危険を認識することができず、事故防止のための抜本的な対策はとられませんでした。
 ガス給湯器の一酸化炭素中毒事故という極めて身近な問題に関して、日本の法令は、国民の生命を守るという最低限の機能を果たすことができなかったのです。
(前掲書p93)


この本では、過去の事件を例にして、最初の2つの引用を結論とし、各組織のコンプライアンスの提案を行っている。
一般にコンプライアンスとは、「法令遵守」と訳されているが、著者は、「組織が社会的要請に適応すること」と定義しているから、法令は、社会的要請に応える道具、とでも解釈できる。
逆に考えれば、社会的要請に応えないような法令は、ゴミである。

ここまで書くと、前回の「法律を悪質に解釈している2そう曳きトロール」は、この本を読んでから自信をもって書いたのではないか、と勘ぐられそうだが、偶然の一致である。
書いてから、たまたま読んでしまったから、あえてこの本を紹介しただけである。

この本の書き出しは、少し難しくて、あまりパッとしたものではないが、読んでいるうちに、なかなかの構成であることがわかる。
戻って読みたくなるのだ。
「あとがき」もよい。
スッキリする。



最後に、談合について少し。
リニア談合で、4社が捜査を受けた。

https://www.huffingtonpost.jp/2018/03/23/linear-shinkansen_a_23394110/(「ハフポスト」)

こういう専門的な大型工事案件をできる業者は、限られていると思う。
したがって、過去の談合が普通だった時代、すなわち、高度成長期には、違法な談合システムが公然と行われていた。
それでも、「予定価格上限拘束」という縛りから、それほど極端な建設業界の利益というのはなく、ほぼ適正な形で公共建設事業は行われてきたという。
談合システムは、建設以外の公共調達でも行われてきた。
一方、独占禁止法は、談合を取り締まり、低価格でより品質のよいものを生み出すという自由競争を促す法律である。
しかし、何の制限のない自由競争は、いつも摩擦や問題を起こすものである。

競争は常に万能で、あらゆる場合に善かというと、そうではありません。競争がその機能を発揮するのは、取引の当事者に情報が十分に与えられ、自己の責任で判断できる場合です。つまり、競争だけでは解決できないような問題、競争を機能させることが必ずしも適切ではない状況があるのです。
(前掲書p37)


たとえば、公共事業で造った橋やトンネルなどの安全性は、自由競争で担保されるわけではない。
あまりに低価格で落札して工事を請け負ったはいいが、安全性をおろそかにしたものを造ってもらっては困るのだ。
安全性は確保できても、今度は、その低価格落札の影響が、労働賃金を削る方向へ進むかもしれない。
この辺をすべて、法律で規定できるか、というと、非常に難しくなるだろう。

建物の安全性では、耐震強度偽装事件も起きた。
私がよく行く新潟の港のすぐそばには、有名な姉歯物件がまだある。
事件は、姉歯一級建築士、イーホームズ、ヒューザー、木村建設、総研などが関わった。
建築基準法があるにはあるのだが、複雑な構造計算書などのチェック機能が働かない環境であり、実際には、「会社の信用と技術者の倫理が日本の建築物の安全性を支えてきた(前掲書p80)」のである。
しかし、ここで、談合を全面的に否定する独占禁止法の運用強化が、事件の背景となってしまった。

 最近では、機能しない建築基準法に代わって建物の安全性を支えてきた施工会社の信用と技術者倫理自体にも大きな問題が生じつつあります。1990年代後半の建築不況の中、企業間での価格競争の激化によって極端な安値受注が横行し、その結果、工事の質を落として採算を確保しようとする手抜き工事、粗漏工事が横行していると言われています。設計の段階で耐震基準を充たしていても、施工工事段階で強度不足の建物が建築される危険性が高くなっているのです。
(前掲書p82)


本当のところ、リニア談合はどうなのか?
安全性を捨ててしまうような落札より、少々の談合は認めてもいいような気がする。
独占禁止法の適用範囲を柔軟にするしかない。
再掲するが、最終的に著者の言うとおりにするしかなさそうだ。

大切なことは、細かい条文がどうなっているなどということを考える前に、人間としての常識にしたがって行動することです。そうすれば、社会的要請に応えることができるはずです。
(前掲書p103)
posted by T.Sasaki at 17:56| Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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