こんばんは。
私の家の横には、山に重機を上げるための細い道路があった。
内陸の建設業者が違法工事をやり、それがバレて指名停止処分を食らった時のものである。
だから、もちろん行き止まり。
3.11大津波の時、逃げ場がなくて、そこへ車が逃げ込んだらしいが、モロに浸水し、助手席に乗っていた子どもが意識不明になった。
私の地元の先輩が、その親子を病院まで案内したという。
国道を行けるわけもなく、山道である。
高浜は、国道45号のできる前には、山道が生活道だった。
私の小さい頃は、その山道で遊んだものだ。
案内した先輩は、私に、ショッキングなことを教えてくれた。
私の母とおじが、津波に流されていった、と、その親が証言した、ということを。
それを聞いた時、その場の過酷な状況と母とおじの表情を、嫌でも想像してしまったのだ。
3.11大津波から6年目の日、私は、FRPの仕事をしていた。
サンダーをかけていたので、サイレンの音など聞こえもせず、全く別世界。
世の中は、いつになっても、追悼行事や追悼番組ばっかりで、嫌になる。
3.11といえば、母とおじが流されていった、あの時の想像を思い出してしまう。
首を振り払って、目をそむける。
「風化させない」とか、誰か言っているようだが、「風化する」などとよく言えるものだ。
決して忘れるものではないのに。
思い出したくないほどだから、「津波の話はやめよう」と口走るのは、いつものことである。
そんなものを悼むことより、自分が未来に対し何ができるのか、ということを考えるほうがいい。
母もおじも、きっと、そう望んでいる。
「頑張れ!」「でも、あんまり無理すんな!」
私の家の法事では、津波の話など、たった一つも出てこない。
posted by T.Sasaki at 17:07|
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津波の記憶
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