日本の漁業が崩壊する本当の理由 片野歩

世界中で魚類資源が増えているのに、日本だけが減っている。
この現実を、恥ずかしいと思うべきである。

日本の漁業が崩壊する本当の理由.jpg

すべての漁協組合長、理事、参事、そして、任意の漁業団体の会長以下すべての役員たちは、この本を読むべきだ。
読みたくないならば、「日本の漁師は大バカものだ」を参照すること。
これを認識できないならば、役職に就く資格はない!

2017年04月08日

魚類資源減少について 12

今夜は4回目の投稿となる。

いさだ漁の景気がいいのに、漁運丸は港に繋がりっぱなしで、こんな文章を書いているのは変じゃないのか?とみんな考えるかもしれないが、これには、しかたがない事情がある。
肝心の乗組員がいないからなのだ。
宮古でいさだ水揚げトップの先輩からは、乗組員を見つけてやったほうがいい、という助言を頂いたりしたが、できなかった。
この原因は、漁船経営者としての資質がない、の一言につきる。
あるいは、漁運丸がいさだを獲る能力がない、ということを、世に知らしめていることを証明しているようなものだろう。
この事実に関しては、甘んじて受け入れるしかない。

しかし、だ。
他の業界から嫌がられることを知っていながら、このような書き物をなぜやっているかという理由を考えるならば、それほど魚類資源の減少を危惧しているからにほかならない。

ここからは、あまりに子どもじみた話になるが、少し付き合っていただきたい。

例の毛がにの特別採捕に関わる件について、特別採捕の許可条件として、従来の許可条件に違反行為があった場合、特別採捕は即刻中止する、というのがある。
私は前述の通り、特別採捕なるものに反対であるから、ここで少し考えた。
私が、違反操業すれば、特別採捕は、中止になるのだ。
私自身、この通り、毛がに資源減少と将来の漁船経営とを考えて、漁を切り上げたから、故意に違反操業して、岩手県漁業取締船に電話して、捕まる手法もあった。
これにより、特別採捕が中止されれば、来年の毛がにはそれなりに漁獲は増える。
資源増殖に関する取り組みの一つである。
この行為で、トロール業界のメリットは、ほぼない。
なぜならば、毛がにを獲る漁法において、トロールはかご漁業に及ばないからである。

しかし、私が同業者の殺生権を握るほど偉くはないし、この行為が独善的であることは否定できない。
だから、考えるだけにして、やめた。
世の中なんて、そんなものだろう、と大人になった自分が勝手にそう思っている。

岩手の2そう曳きの親分は、宮古市の金沢漁業らしい。
その社長は、宮古高校の先輩でもある。
他界した私の叔父の同級生であるという。
同じ同窓生ならば、それも、宮古高校であるから、想うことはいっぱいある。
宮古高校の校歌を、もちろん同窓生ならば、忘れるはずはあるまい。
今は亡きミュージシャンが、CDに遺したほどの校歌である。
あの校歌を誇りに想う卒業生は、私だけではないだろう。
というより、ほぼ100%に近い割合で、想うところはある、と思う。
そんな同窓生だから、本当のところ、分かり合える部分はあるのではないかと、期待を持っている。

私は、金沢漁業の社長と会ったことも話をしたこともない。
もちろん、顔も知らない。
宮古漁協の理事であるからには、私の父と顔を合わせていたのだろう。
こんな文章を書いている私とは、話をしたくないかもしれないが、私は、徹底的に話をしたいと思っている。
何を話すかというと、もちろん、2そう曳きが魚類資源に与える影響と宮古市や岩手県に与える影響についてである。
もし、社長の心に余裕があるならば、私の彼の腹の底まで聞いてみたいと思っている。



岩手県沖合の漁業行政に変化が、このままないならば、きっと、いったん、みんな貧乏になって終わるだろう。
その先は見えたもので、増田前岩手県知事の人口予測より、沿岸地区の人口は減少する。
弱肉強食という学問的真実を、そのまま人間に適用するならば、社会制度など必要ない。
社会保障制度などというのは、その時点でやめたほうがいい。

しかし、そうではないだろう。
周りの人間と仲良く、たとえ一杯やったらその場で喧嘩することもあるだろうが、そういう機会があるのも、楽しいと思わないか?
社会保障制度、社会制度というのは、同じ地区、同じ国で、少々の小競り合いはあっても、仲良くやっていくためにあるのだ。

私は、公務員という職業に就いている人間を、本質的に好きでない。
しかし、若い時分の理想と現実とを比べて、なってしまった公務員たちも社会に対する葛藤はあると思う。
そういう人たちと正直に話をしていると、それを感じてしまうのだ。
むしろ正直でない、同類である漁業者のほうに、人間性、日本人性、という表現が正しいのかどうかわからないが、疑問を感じてしまうのである。
魚類資源減少について」のシリーズに関しては、以上をもって、いったん終わりにする。

私は、今でも自分のことを半分ぐらい大人で、半分ぐらいは子どもだと思っている。
子どもの疑問は、純粋だ。
その純粋な疑問こそ、みんなを仲良くする手段だと、私は考えている。
posted by T.Sasaki at 21:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 魚類資源の減少について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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