みなさん、こんばんは。
岩手の沖合底曳網(トロール)漁業の歴史について、少々。
聞いた話で申し訳ないが、これは、ある小型船の船主Nさんが教えてくれたことである。
Nさんのお父さん(故人)が、トロール漁船の船頭を昔やっていたそうだ。
岩手県でも、八戸のように、かけまわししかなかった時代である。
その頃のトロール漁業は、1年の半分、つまり6ヶ月操業で、6ヶ月休漁だった(現在は10ヶ月操業で2ヶ月休漁)。
戦後なのか、高度成長期なのか、よくわからないが、日本の国が、とにかく食糧増産を推し進める政策を採り、そのため、6ヶ月操業を10ヶ月操業にしたのだという。
その後、日本は、貿易などの恩恵により、食糧難ではなくなった。
前出の船頭の話では、食糧難でなくなったその時に、元の6ヶ月操業に戻せば、それほど魚も減らなかっただろう、と述懐していたそうである。
ところがだ。
それを元に戻すどころか、最悪の2そう曳きをやり始めたのである。
2そう曳きのトロールは、宮城県で行われている開口板(オッターボード)使用の1そう曳きトロールより悪い。
これでは、ますます魚類資源が減って当たり前なのだ。
岩手で最初に2そう曳きをやった会社は、現在、辞めてしまって存在しない。
だから、全船かけまわしの時代を知っているのは、引退間近の船頭ぐらい。
今、かけまわしで残っているのは、金勘漁業の25勝運丸のみとなっており、この船頭の腕前は、確かなものなのだろう。
断言する理由は、いさだ漁で、正確に網を入れないと獲れない、というのを、私たち小型船は経験しているからである。
ところが、2そう曳きは、そんな正確さなど必要ないと思う(やったことがないから、こればっかりは「思う」としか書けない)。
だから、2そう曳きの船頭の優劣というのは、漁経験と漁場の選択のみ、と言っていい。
かけまわしの船頭と違って、まず、普通の人ならば、誰でもできる、と考えてよいだろう。
以上、トロール漁業の変遷を粗く記したが、昔、半年操業であったことなど、調べてもなかなか出てこない。
関係機関で出向いて調べるしかないが、ここでは伝聞による記述で許していただきたい。
2そう曳きトロールは、開口板使用の1そう曳きトロールの馬力アップ版と考えてよい。
曳き網は、曳いた瞬間から水圧がかかり、網の目は、皿の形のように潰れ、正方形の目ならば抜けてしまうような魚も入ってしまう。
アバ桁や足桁をつけて、目を広げる方法もあるとは思うが、曳く馬力により、魚が横になって網に付いてしまえば、抜けなくなる。
これは、私たちがかごを海中から挙げるとき、よく見る現象である。
本来、抜けてもいい小さい魚が、横になってしまうと抜けていかないのである。
一時、トロール業界も、小さい魚が抜けるような取り組みをやったことがあるらしい。
これは、私の父からの伝聞であるが、その取り組みは成功しなかったようだ。
2そう曳きトロールは、底魚を獲る漁法としては、非常に効率がいい。
効率がいいということは、それだけ資源減少を促進させる、ということだ。
したがって、特に、2そう曳きトロールの操業には、たくさんの制限を設けるべきである。
歴史を振り返れば、かけまわしのみの時代でさえ半年操業であった時代もあったのだから、それを元に戻し、2そう曳きは、漁獲能力の効率の高さから、その半分でもいいだろう。
あまりに操業期間が短くなるならば、盛漁期のみ稼動して、あとは休漁する、ということもできるはずだ。
そういう複雑な操業方法が嫌ならば、2そう曳きは廃止して、全船かけまわしにしたほうが、魚類資源にはいいと思う。
2そう曳きの船頭なら「まず、普通の人ならば、誰でもできる」と私は書いたが、書かれた当事者は、「このヤロー」と思うだろう。
それくらい元気があって自信があるならば、魚類資源の増大へ向けて、ぜひ、船主に向かって、「かけまわしにしよう」と提案してみてはどうか。
そのような気概のある船頭がいることを、私は期待する。
現在、60歳以上の船頭たちには、その父親から聞いた話というのがあると思う。
伝聞には、もちろん、記憶違いというのもあるが、一致した話は、貴重なものとなる。
その昔は、ブログはおろか、個人が記録を残しておく、という考えなどなかっただろう。
今は、それができる。
私自身、それをやってみたい気持ちもある。
八戸には、高齢から、「やめようかなあ」という小型いか釣り船の船頭たちがいる。
漁協の理事もやったこともあり、まき網漁業やトロール漁業などとの会合にもほぼ出席し、発言してきた人間を私は知っている。
彼は、八戸沖の漁業紛争の生き証人である。
時間があったら、いろいろなことを聞いて、全部記録しようかなあ、と考えたりもしている。