日本の漁業が崩壊する本当の理由 片野歩

世界中で魚類資源が増えているのに、日本だけが減っている。
この現実を、恥ずかしいと思うべきである。

日本の漁業が崩壊する本当の理由.jpg

すべての漁協組合長、理事、参事、そして、任意の漁業団体の会長以下すべての役員たちは、この本を読むべきだ。
読みたくないならば、「日本の漁師は大バカものだ」を参照すること。
これを認識できないならば、役職に就く資格はない!

2016年09月13日

津波の記憶 13

みなさん、こんにちは。

早朝起きたら、八戸館鼻港では風が当たっていて、鮫角も南東10mだったため、休みにしました。
最近小さい反応の“一発”ばかりなので、魚探反応の映しにくい天候では、船頭のほうが嫌になりますし、乗組員も嫌でしょう。
それでも、反応自体が大きかったり、“流れっぱ”ができるなら、出漁を考えてもいいのですが。

そんな暇な中、ニュースを拾っていたら、超久々に、「津波の記憶」です。
月の引力と大地震の発生に、何らかの関係があるらしい。

http://mainichi.jp/articles/20160913/k00/00e/040/274000c(「毎日新聞」)

ちょっと前にも、アメリカでも似たような発表があったとか。

http://news.biglobe.ne.jp/it/0726/giz_160726_1100808749.html(「BIGLOBEニュース」)

つまり、私のような津波を警戒しなければならない船の関係者は、大潮の前後には、あまり船から離れなければいいわけです。
今まで旅行した時などに、「津波が来れば、おしまいだ」と考えていましたが、少し気が楽になって、温泉に行ってこよう!(と明るくなりましたよ)

と、朗報から記述します。

ここで、津波の記憶を思い起こしました。

震災の記憶として、カメラ画像やビデオ画像を残した人が数多くいますが、私は、たった1枚の写真もありません。
なぜ、携帯電話にカメラ機能がついていながら、何も撮らなかったのか?
ある程度、落ち着いてから、面白そうな写真を撮り、それを友人に送信したのはありました(例えば、信号機の修理中の写真や道路わきにあった道路交通標識を木か何かで立てた写真など。しかし携帯電話を変えたから、何もない)。
しかし、おぞましい風景は、撮らなかった。
いや、撮る余裕がなかった、と言ったほうが正しい。
もちろん、それは、私だけではなく、ほとんどの人がそうだったと思う。
Webにあるのは、その大多数に比較すれば、ほんの少しにすぎない。

私やその他大勢の人には、たぶん、携帯電話にカメラ機能があるのを、思い出す心の余裕がなかったのではないでしょうか。
みんな、切羽詰っていた。
家族のこと、家のこと、将来のことなどが頭の中を占め、「風景をカメラで携帯電話で撮る」という考えは浮かばない。
その点、カメラで撮ったりした人たちは、非常に冷静だったと思う。
おかげで、現場がどんな状況だったのか、後世に記憶されることになりました。

東北太平洋で、次に警戒すべきは、空白域である青森県東岸沖から北海道沖にかけての津波です。
特に、宮古湾は、北東方向を向いているから、被害は大きいと思う。
実際、浦河沖地震の津波の時、養殖施設が壊滅的な被害を受けたのは、宮古湾だけだった(この時の津波に比べれば、復旧作業は楽だったと宮古浦の漁師たちは言っている。彼らは津波に鍛えられている)。
津波が来るのは、何年後なのか、何十年後なのかわかりませんが、もし、生きていたら、また、嫌なものを見せられることになります。

次回、私は、冷静にカメラのシャッターを押すことができるでしょうか。

私はできない、と思う。

(「津波の記憶」シリーズは、これ以前の公開はストップしています。復興ヒステリックが収まるまで公開しないと思います)
posted by T.Sasaki at 14:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 津波の記憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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