日本の漁業が崩壊する本当の理由 片野歩

世界中で魚類資源が増えているのに、日本だけが減っている。
この現実を、恥ずかしいと思うべきである。

日本の漁業が崩壊する本当の理由.jpg

すべての漁協組合長、理事、参事、そして、任意の漁業団体の会長以下すべての役員たちは、この本を読むべきだ。
読みたくないならば、「日本の漁師は大バカものだ」を参照すること。
これを認識できないならば、役職に就く資格はない!

2015年10月26日

「地球の破綻」 2

みなさん、こんばんは。

再び、「地球の破綻」について。

ワールドウオッチ研究所の発行している「地球白書」は、世界中で起きている自然現象や社会現象の報告をし、その対策を記述するパターンがほとんどでした(過去形ですから、今は私は読んでません)。
ほぼ全部断片的。
ところが、「地球の破綻」では、部分的な対策ばかりでは、解決が難しいと。
いや、非常に難しい。

持続可能性に対し解を得ることは、最近の科学にとっては、難問中の難問だということになっている。なぜならば、現代科学の持っている特性は、個々の現象に分割して、それぞれを制御するという考え方に立脚しているのに対し、持続可能性科学では、個々の現象がすべて繋がっているという理解に立脚している。個別の問題の数が10倍になれば、その間の関係はほぼ100倍になる。地球上に存在している問題は、かなり多数に及ぶが、その解を求めるには、数のほぼ二乗の関係をとく必要があるからである。
(「地球の破綻」p55)


この解を少しでも求めようとしているのが、この本。
で、環境問題というのは、自然環境に対して、人間行動による負荷が大きくなりすぎ、自然の復元力をそれが上回ったために問題となるわけで、負荷は次式で表されます。

人間活動の圧力 = 個人活動の圧力 × 総人口
(前掲書p49)


「こんなことは誰でも知っている」と怒られそうですが、全体の負荷を減らすには、一人一人が自然環境への負荷を減らす努力をし、人口を増やさない。
基本中の基本ですね。

「地球の破綻」は3章から成っていて、第1章が「問題の提示」、第2章が「現状分析からの予測」、そして、第3章で「解決への道筋」を論じています。
第3章で上記の解を提示しますが、その考えの土台が、デイリーの定常状態の経済学にあります。

 1. 再生可能な資源の持続可能な利用の速度は、その供給源の再生速度を超えてはならない。
 2. 再生不可能な資源の持続可能な利用の速度は、持続可能なペースで利用する再生可能な資源へ転換する速度を超えてはならない。
 3. 汚染物質の持続可能な排出速度は、環境がそうした汚染物質を循環し、吸収し、無害化できる速度を超えてはならない。
(前掲書p58)


最終的に人間の取り組みに何が必要か。
それが、「イノベーション」「ライフスタイルの変更」「社会システムの変更」であり、第3章に具体的に書かれています(中身まで書くわけにはいかないので、買って読んでください。笑)。



「地球の破綻」の副題には、「21世紀版成長の限界」と書かれてある通り、1972年ローマクラブから出された「成長の限界」を参考にしたものであり、その未来予測で、当たったもの、はずれたものを列記しています。
その未来予測に関して、次の記述が目をひきます。

未来予測は、それが本質的であればあるほど、社会がそれに対して対応するので、結果的に未来予測は当たらないという結末を迎えるということである。しかし、人間活動と結末の間に時間的なギャップがある地球レベルの問題については、必ずしも対策が行われず、悲観的な未来予測でも当たってしまうことがありうることも、結論の一つである。
(前掲書p45)

そもそも当たる予測だけが良い予測なのか。当然のことながら、当たる予測が良いのではない。予測が正しそうだと考える人が増え、そして、人類全体として対応をせざるを得ない状況になり、適切な対応を行ったために、結果的に予測が当たらなかった。これが目指すべき予測である。
(前掲書p62)


つまり、現時点での予測に対し、「イノベーション」「ライフスタイルの変更」「社会システムの変更」で、予測が外れる、というシナリオを書いているんですね。



ところで、世の中、いろいろな人がいるものです。
本を書いている人が、こんな書評を書いています。

http://cruel.hatenablog.com/entry/20140912/1410495841山形浩生の「経済のトリセツ」)

読んでみての感想ですが、「地球の破綻」の本全体で何を書こうとしているのか、ということが、この書評からはわかりません。
部分的なミスの指摘のみ。
「話に一貫性のない」と書いているようですが、いやいや、そんなことはありません。
理系の先生にしては、非常に人間的な記述だと思います。
理系の論文なんて、基本的に、味も素っ気も無い。
研究目的から方法論を記述して、はい実験やりました、結果は云々、そして最後に考察、というように、ぜんぜん面白くない。
大学の理系論文なんて、興味がないと、ホント眠くなりますし、門外漢だと中身がぜんぜんわからない(だから、捏造や不正が起こりやすい)。

山形浩生さんが書いた次の記述など、本をよく読んでいない、というか、この方の読解力を疑ってしまいます。

さっきは、いまはないイノベーションがあると想定してはいけない、ワガママだ、と言っていたその口で、イノベーション (ここではつまり食料増産の見通し) を想定しないというのは思考停止だ、ヒトが背負ってきた義務を果たしていないという。どっちなんですか?
http://cruel.hatenablog.com/entry/20140912/1410495841「一貫性の欠如。」)

書いている順番や本全体から、どっちかはわかるはず。
普通の読書人なら、わかります。

そして、これなんて、難癖もいいところ。

言われなくてもみんな、互恵的利他主義はやってるんですが。
http://cruel.hatenablog.com/entry/20140912/1410495841「結局はお題目だのみ」)

本当に“みんな”やっているのかなあ。
私は、素直に、やっていないと思う。
posted by T.Sasaki at 16:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 環境 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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