日本の漁業が崩壊する本当の理由 片野歩

世界中で魚類資源が増えているのに、日本だけが減っている。
この現実を、恥ずかしいと思うべきである。

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すべての漁協組合長、理事、参事、そして、任意の漁業団体の会長以下すべての役員たちは、この本を読むべきだ。
読みたくないならば、「日本の漁師は大バカものだ」を参照すること。
これを認識できないならば、役職に就く資格はない!

2014年04月03日

「中央政府 vs. 東北辺境」 3

みなさん、こんばんは。

今朝は、チリ地震の小津波で、一応、船を沖へ避難させました。
あまりに暇なので、無線機でグズグズ。
そして、もっとあまりに暇なので、イサダの網を洗いました。
今日は、一人だったので、いつもの3倍ぐらいかけてやり、その間、他の船は、無線機で私の悪口を言っていました(笑)。
網洗いを終わり、「そろそろ、1番船をやりませんか」とけしかけ、私は3番船。
不謹慎にも、津波注意報が解除される前に帰り、8時には帰宅し、オカ仕事。
注意報解除まで沖にいた船は、たぶん、警察の船や海上保安庁の船だけでしょう。
彼らまで帰ったら、怒られるんでしょうね。
かわいそう。

「みんなの党」の渡辺喜美代表は、見苦しいですね。
東京都知事であった猪瀬直樹氏も非常に見苦しかったのですが、こっちがもっと見苦しい。
権力の座につけば、やっぱり、支配したがり、辞めたくない。
「支配したい」という欲望もほどほどにしてほしいものです。

さて、時代は、源頼朝の鎌倉。
奥州藤原氏3代目藤原秀衡は、平泉に源義経を二度目に迎えた際、鎌倉との対立を覚悟しました。
そして、鎌倉幕府の正史『吾妻鏡』には、源義経を大将軍とするよう遺言したことが記されているといいます。
その後、秀衡は病死し、息子である泰衡は義経を自害に追い込んでしまい、秀衡の夢はかなわなかった。
泰衡は秀衡を裏切ったことになりましたが、人を裏切る者は、所詮裏切られる運命にある。
身内に裏切られ、その首は頼朝に差し出されたのです。
“蝦夷たち”の目論見を憎く思った頼朝は、頼朝の先祖、源頼義が勝利した前九年の役を再現しようとしました。
泰衡の首を木に吊るし、何と、首を受け渡す役までも、前九年で討ち取った安倍貞任の死刑執行にあたった者の子孫を採用する、という懲り方。
こんなことまでして、楽しいのかしら。

中央政府の人間というものは、辺境の人間たちには非常に冷たい。
それだけではなく、略奪までやりますから手に負えません。

大阪で太閤と呼ばれている豊臣秀吉は、藤原氏の平泉中尊寺から、4000以上もの経巻を持ち出しました。
その後、秀吉は、岩手の原住民を苦しめます。
秀吉は奥州仕置軍を編成し、和賀氏、稗貫氏らの一揆を鎮圧します。
一揆というのは、不満から起きるのであって、その不満は、もちろん中央政府の「支配したがる」圧政に対するもの。

これ以前から、岩手県北では、南部氏と九戸氏が対立していました。
南部信直は、秀吉にうまく取り入り、大名と認知されましたが、出世争いで遅れをとった九戸政実は、南部氏の家臣となってしまいます。
九戸政実は反旗を翻し、一揆勢力と協力し合い、南部信直と戦います。
南部信直は、秀吉に助けを請い、奥州仕置軍を立て直し、これを制圧しました。
住民側についた九戸政実は、結局、ひどい目に遭います。



 九戸政実は九戸城に籠もったが、翌日には総勢6万の軍勢が城を取り囲んだ。籠城は長く続かず、ついに9月4日に降伏した。戦後処理を終えると、城内の者たちの助命という約束は反故にされ、無残にも撫で斬りにされたという。政実ら首謀者たちは、栗原郡三迫(宮城県栗原市)で処刑された。
(「あなたの知らない岩手の歴史」p97)



戦争というものはこういうものなのでしょう。
しかし、戦後処理を誤ると、大阪では太閤の秀吉も、岩手を蹴散らした人間と評価されてしまうのです。

ところで、奥州藤原氏の繁栄させた平泉が、なぜ、世界遺産になったのか、私には理解しかねます。
それほどの価値があるかどうか。
「平泉の文化遺産」のしおりを読んでも、イマイチ、わかりにくい。
私の目から見れば、ここに書いているように、中央政府に対し、不満を持ち、反骨精神から戦うことに価値を見出します。
このような歴史上のできごとは、日本中世界中どこにでもあるものです。

時代は進み、「中央政府 vs. 東北辺境」に戻ります。

岩手の総理大臣の中には、反骨精神を結実させた人がいました。
言わずと知れた原敬第19代内閣総理大臣です。
彼は、南部藩重臣の子として生まれましたが、分家独立したことで身分は士族から平民になっていました。
だから、平民宰相と言われているのです。
彼は、すごいですね。
それをあらわす文章を引きます。



 原は「一山」(いちざん)という号を好んで使っている。これは東北諸藩の出身者を“白河以北一山百文”(福島県白河以北の東北人は束になっても百文の値打ちしかない)と揶揄する薩長藩閥の人びとを皮肉った号であった。また彼は叙爵の打診を断り続け、貴族院議員になることを拒んだことでも知られている。それは国民から選ばれた衆議院議員という身分へのこだわりであると同時に“南部藩を賊軍と決めつけた薩長の元老が定めた爵位など欲しくない”という意思表示でもあった。
(前掲書p165)



東北人全部で百文、とは恐れ入りました。
この引用文の「一山」に関する記述は、先日会津のことで引いた「偽りの明治維新」にも見られますが、そこでは、会津出身の総理大臣がいないことを嘆いています。
調べてみると、福島県からは、まだ総理大臣が出ていないんですね。
せっかくですから、強制的に福島県から総理大臣を出してみてはどうでしょうか。
そうでなければ、福島を真剣に復興させることができないと思います。

私は、福島原発の再稼動に反対した、佐藤栄佐久福島県前知事を推薦します。
ついでに、「福島へ遷都すべし」。

ではでは〜。
posted by T.Sasaki at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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