初めて読まれる方にとって、過激と思われる記述があるかもしれません
そこで、勘違いされると困るので、一応、「注意書き」を書いておきたいと思います。
無数にいる地球人たちの考えることもまた、無数でありしたがって、主義や思想が対立する場合、個人の考えなど、必ず一致しません。
ここで、主義・思想という言葉を持ち出しましたが、決して難しいものではなく、単純なものです。
単純なものを複雑化させようとするセンセイたちもいますが、それは、私たち一般人に対する目くらましです。
人間は、潔い生き方をするならば、己れを時代的限界体として、何らかの特定の政治的党派思想に属すると宣言しなければ済まない。「自分には、どんな政治的な色もついていない」と三十歳を超して言う者があるとすれば、そいつはアホである。あるいは、生来、卑怯な人間である。
(「日本の秘密」p353)
これは、副島隆彦先生の「私の思想遍歴」からですが、ガツンと頭を叩かれた心境でした。
「日本の秘密」は、私と同年代の人、つまり、40歳から50歳あたりの人で、学生時代、少しでも左翼的思考に触れた方なら、驚く内容が書かれてあります。
そして、主義や思想とは、何なのか、ということを教えられます。
私たちは、主義を持つということで、生き方が決まってきます。
生き方というと、たいそう大げさに聞こえますが、生きる方向性といったほうがいいかもしれません。
自分の主義を持つことにより、思考や行動は一貫性のあるものとなり、迷うこともなくなります。
したがって、生き方も、潔いものとなります。
それでは、以下に簡単な注意書きを記します。
1. 私は、自立主義(リバータリアニズム。副島先生は、超個人主義と訳していますが、私は自立主義でいいと思います)であり、政府の庇護や干渉を嫌います。
したがって、本ブログの記述は、これに従います。
2. 私は、ダーウィン主義(ダーウィニズム)であり、自分、あるいは、人間にある欠陥は、しかたないものと考え、その欠陥を受け入れる立場です。
したがって、本ブログの記述は、これに従います。
今のところ、注意書きは、この2点だけですが、問題が発生したら、加えるかもしれません。
つまらない感情論には、付き合いきれませんので、その点、ご容赦ください。
1.についてですが、注釈を加えるならば、個人が政府からできるだけ自立した生活ができるならば、それは個人に対する税負担が軽くなることですから、その分を本当の弱者へ振り向けることができます。
つまり、間接的に社会を助けている。
2.についてもちょっと。
動物も人間も、生き残ろうと努力するのは同じであり、違うのは、学問があるかないか、だけだと私は考えています。
人間の欠陥を過剰福祉だけで乗り切ろうとするのは、人間のエゴです。
学問の結果というは、非常に冷たい。
しかし、その冷たさを受け入れることこそ、今の人間に必要なことではないでしょうか。
追加の注意書き
3. 毒と書いてあるのは、それを摂取して、体内で炎症を起こすものである。
posted by T.Sasaki at 21:14|
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