日本の漁業が崩壊する本当の理由 片野歩

世界中で魚類資源が増えているのに、日本だけが減っている。
この現実を、恥ずかしいと思うべきである。

日本の漁業が崩壊する本当の理由.jpg

すべての漁協組合長、理事、参事、そして、任意の漁業団体の会長以下すべての役員たちは、この本を読むべきだ。
読みたくないならば、「日本の漁師は大バカものだ」を参照すること。
これを認識できないならば、役職に就く資格はない!

2012年04月23日

原子力安全・保安院は、最初からウソつきだった

みなさん、こんばんは。

放射性物質がばら撒かれた現実」で書いたように、豊かな三陸の海を守る会のUさんが、私にある本と紹介してくれました。
佐藤栄佐久さんの書いた「福島原発の真実」。
Uさんが、「感動するよ」と言っていましたから。

佐藤栄佐久さんと言えば、佐藤栄作、ではありません。
「知事抹殺」を書いた福島県の前知事です。
謀略で抹殺された前知事は、1F再稼動に立ちはだかったため、“抹殺”されたのです。
今日は、その原因を作った東京電力の不正から紹介します。

何と!東京電力が、GE子会社に、改竄指示を行っていたんですね。
勇気ある内部告発から、それがバレちゃった。

福島第一・第二原発の点検は、アメリカのゼネラル・エレクトリック社(GE)の子会社であるゼネラル・エレクトリック・インターナショナル社(GEII)社が請け負っていたが、点検記録の改竄は東電側が指示したものであることが判明した。改竄は福島第一・第二、そして柏崎刈羽と複数の原発で行われており、組織ぐるみで改竄を主導した疑いが濃厚である。これは、東京電力だけの問題ではなく、日本の原子力政策の問題そのものだ。
(「福島原発の真実」p151)
 内部告発を行ったのは、ゼネラル・エレクトリック・インターナショナル社(GEII)に勤めていた日系アメリカ人社員スガオカ・ケイ氏だった。保安院の説明によれば、2000年7月に内部告発文書を通産省が受け取り、その後、2001年に発足した原子力安全・保安院が調査を引き継ぎ、点検記録の写しなどの資料の提供を受けていたのだという。2001年後半になってスガオカ氏がGEII社を退職し、「身分を守ってくれなくても結構だ」という同意があったため、同年11月以降、GEIIとGEに調査への協力を要請した。両社で内部調査を行ったところ、他にも虚偽記載の疑いがあるところが見つかったのだ、と経緯について釈明した。
 しかし、その考え方は根本的におかしい。内部告発者の個人情報を保護しながら調査するのは当たり前のことだからだ。
(前掲書p154)

たまりかねた福島県は、国へ要望。

9月5日、自民党福島県連は平沼経産相を訪ね、「原子力安全・保安院を経産省から分離独立させるよう」要望する要望する要望書を手渡した。平沼経産相は「当然のことだ」と応じ、前向きに検討することを約束した。
(前掲書p157)

原子力安全・保安院の、経産省から独立ということで、原子力規制庁が設けられようとしていますが、すでに、10年以上も前、福島県から要望されていたんですね。
佐藤栄佐久氏や関係した人たちは、きっと、「何を今ごろ!」と怒っているでしょう。
私たちは、当時の福島県の苦悩を知らなかった。

そして、スガオカ氏の内部告発と原子力安全・保安院の話は、唖然とさせられる結果となります。

2003年放送「筑紫哲也NEWS23」の録画が「You Tube」に掲載され、スガオカ氏のインタビューから、前掲の引用にある原子力安全・保安院の説明がウソだった・・・。

 福島第一原発1号機の点検作業を担当していたスガオカ氏が、蒸気乾燥機の誤設置によるひび割れがあるのを最初に発見したのは1989年だった。スガオカ氏は会社に問題を訴えたが、GEIIは東電の指示するまま、その事実を削除したデータシートを作成した。スガオカ氏は抵抗するが、結局1998年、彼はコスト削減の名目で解雇される。スガオカ氏が当時の通産省に内部告発したのは2000年6月、つまりGEIIを退職した後のことだった。
 ところが、2002年8月29日のデータ改竄発覚の翌日、原子力安全・保安院は、内部告発から発覚まで2年以上かかっていた理由をこう説明してたのである。
「(スガオカ氏は)告発時にはGE社員の身分だったが、2001年後半にGEを退社し、本人から『身分を守ってくれなくても結構だ』と情報源を明かしての調査に同意があったため、GEとGEIIに調査を要請した」(『毎日新聞』2002年8月31日付朝刊)。
「NEWS23」に対しスガオカ氏は、「2000年の内部告発の後、通産省からは1年ぐらいいろいろ聞いてきたが、その後はなしのつぶてとなった」と答えている。つまり、原子力安全・保安院は8月29日の発覚当時、内部告発者の退社時期も、調査の機関についても大嘘をついていた。われわれは、まんまとだまされていたのである。
「原子力の安全を監視する」と、チラシまで配って鳴り物入りで発足した原子力安全・保安院という組織は、実は最初から、すでに腐っていたのだ。
(前掲書p237)

津波によって、1Fはメルトダウンしたとされていますが、地震そのものによって、1Fはすでに全電源喪失したのだ、とする指摘する人もいます。
しかし、その大元の原因こそ、東京電力と原子力安全・保安院が、佐藤栄佐久知事時代に作っていたのです。
背後から支援したのが、政府、経産省、各新聞社。
1F事故は、起こるべくして起こったのです。

そして、今回、設置される原子力規制庁という組織も、「実は最初から、すでに腐っていたのだ」となるのでしょうか。

歴史は繰り返すのです。

ではでは〜。

曇り
posted by T.Sasaki at 23:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 原子力災害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック