みなさん、こんばんは。
嫌な嫌な花粉症の季節です。
おとといから、真っ盛りで、鼻水じゅるじゅる、目は、かゆ〜い。
マスクとティッシュと目薬は、手元から離せません。
テレビで見ると、大船渡は、杉花粉満開みたい。
気温的には、大船渡と宮古は変わらないから、たぶん、満開。
被災地は、花粉症全開です。
ちなみに、セシウム杉の花粉は、大丈夫みたいです。
http://www.yumenoko.biz/qa/post-50.html(「
子供を放射能汚染食品から守る」)
例の閉伊川水門事件は、宮古市民にとって、衝撃的でしたね。
市民の選択したものを、県と宮古市長が簡単にねじまげたんですから。
私が最も危惧していることは、小型漁船の避難岸壁がなくなるのではないか、ということです。
津波後、私たち小型船が係船できる岸壁は、閉伊川岸壁しかありませんでした。
そして、長周期のうねりが入ると、その上流側しか、安全な場所はありません。
私も、復活する前は、下流側に係船しており、寝ていたら、1度、もやいロープ(係船索)が、ぷた切れて(「ぷたぎれる」と発音するみやご弁かな。切れるの意を強調したもの)、真夜中にロープを取り直しました。
あの時は、ロープを延ばしてフリーにすると、10m近くも船が行ったり来たりしました。
たぶん、太平洋の対岸から、何度目かの津波反射波が来たのでしょう。
上流は、もうすでに船でいっぱいだったので、テトロン系の伸びるロープを上手に使い、その後の時化は、なんとか乗り切りました。
ただの時化でさえ、係船岸壁確保が難しいのに、水門を作って、閉伊川岸壁を使えなくなると、もし、再び、大津波が来た後、係船する場所がない。
「藤原埠頭岸壁があるじゃないか」
という方は、「
津波の記憶 4」を読んでください。
あそこは、小型船の繋ぐ所ではありません。
そこで、私が黙っているわけがありません。
岩手県の河川課に電話をし、宮古市閉伊川河口の水門について問い合わせました。
ここで、みなさんは、何か想像したでしょう。
しかし、残念ながら、おとなしく質問しただけです。
「水門を作って、小型船がその下を通れるのですか」
回答は、通れるように、水門の下端を高くする、とのこと。
これなら、まあ、いいや、ってことで、
「今回、津波の後、小型船の使える岸壁は、閉伊川岸壁しかなかった。これを使えなくなるような工事ならすべきでない。防潮堤や水門というのは、津波が来た時のことを考えて建設するのだから、その他のことにも、津波後の視点を取り入れないと」
と話したら、相手もこれには「なるほど」と同意し、電話を切りました。
最初に、「宮古市閉伊川水門のことで、ちょっと聞きたいんですけど」と言ったら、ちょっと間がありましたね。
たぶん、警戒したのでしょう。
この電話をしたのは、2週間ぐらい前の話で、まだ、スッタモンダの争いが、まだ冷め切らないうちでしたから。
3.11津波後、すぐに係船できた岸壁は、閉伊川から魚市場前、鍬が崎にかけての岸壁、及び、藤原埠頭岸壁。
ある程度の瓦礫撤去後、係船できた岸壁は、神林港。
他の宮古市内にある岸壁は、すべて使える状態ではありません。
もちろん、田老から重茂も含めて、です。
そして、次に、みなさんが張り切っている防潮堤について。
今回、防潮堤の役に立ったところと役に立たなかったところがわかりました。
例えば、普代村の防潮堤は、完璧に近い出来でした。
あそこは、防潮堤の効果が絶大と言っていい。
私の住む高浜も、未完成ながら、減災には役立ちました。
隣の金浜から湾奥では、ほとんど役に立たなかった。
驚きですよね、隣同士で、ぜんぜん違うのですから。
防潮堤が役に立たなかった地域では、そこに住むべきではありません。
特に、私のように身内を失った者から見れば、そんな場所に家を建てるなんて、狂っているとしか言いようがない。
家が、最初から高台にあれば、仮に、身内の者の足が不自由であっても、私など、安心して、船を沖に出すことができます。
この「仮に、身内の者の足が不自由であっても」という例の場合の数は、想像すればするほど、数え切れなくなります。
したがって、津波浸水地域に家を建てるのは、やっぱりやめたほうがいい。
そうでないと、同じことを繰り返します。
以上のように、今回の津波で、わかったことを検証し、いろいろな方策を練ればいいと思います。
と、あとは、丸投げ?
追記。
もう一つ、わかったこと。
電話網が、固定にしろ、携帯にしろ、使えない、ということ。
「
宮古on Web「宮古伝言板」後のコーケやんブログ 」でコメントしてきましたが、アマチュア無線の活用が重要になってくると思います。
今では、スキャンしても、ほとんど通話なし。
結構、楽しいと思うのですが。
ではでは〜。