みなさん、こんばんは。
今夜は、時化(しけ)予想。
挙句の果て、先ほど地震があり、さすがの私も、ちょっとあせりました。
天候の悪い時に、津波が来ては、さあ大変。
船を避難させるのに、悪天候は困りますから。
さて、今日は、震災のヒーロー紹介です。
それは、大きな支援活動をしてくださっている名古屋市です。
もちろん、名古屋市以外の自治体も、たくさんの支援をして下さっているのですが、お気に入りの河村たかしさんが登場するものですから(笑)。
河村たかしさんは、
漁師のつぶやき保存版でも活躍しています。
http://milky.geocities.jp/umaimono_tabetai_hito/tubuyaki-chihou17.htmlhttp://milky.geocities.jp/umaimono_tabetai_hito/tubuyaki-nenkin3.html陸前高田市を全面支援している名古屋市は、河村たかしさんだけがヒーローなのではなく、名古屋市民全員がヒーローなのです。
この支援に、何と!市民の94%が、支持しているからです。
以下に、新聞記事より転載します(ウェブサイトにありませんでしたので)。
河村名古屋市長インタビュー
東日本大震災の復旧・復興は、県内外の地方自治体の支援が大きな力になっている。名古屋市は震災発生から間もない昨年4月7日、陸前高田市を全面的に支援することを表明した。これまで延べ143人の職員を派遣し、行政機能の回復に向けて、幅広く、そして息の長いサポートを続けている。名古屋市の河村たかし市長に取り組みの意義や支援継続の決意を聞いた。
(聞き手は東京支社編集部・細川克也
― 陸前高田市を支援することになった経緯は。
「震災直後の昨年3月19日から現地調査の先遣隊を岩手県に派遣した。その時、岩手県や陸前高田市から保健師た足りなくて大変困っていると聞いた。これが全ての始まりだった」
「名古屋のような政令指定都市は、消防や水道、住民票の交付や都市計画の策定など、多くの都市機能を持っている。だから『ミニ市役所』のようなものをつくり、職員を長期的に派遣して、陸前高田を丸ごと支援することにした」
― 震災直後、すぐに全面支援を決断できたのはなぜか。
「(政界入りする前は)商売をしていたので、国など誰かから言われて何かをするとか、そういう考えはない。被災地に行った職員から行政機能を丸ごと長期にわたって支援することを提言され、それは喜んでもらえると思った」
― 名古屋市をはじめ多くの地方自治体が被災地支援に取り組んでいる。被災地を支援する意義をどのように考えているのか。
「困っている人を助けるのは当然だ。自分たちが何もできないほど困窮しているのであれば話は別だが、そのように助ける力があれば、人間が困っているときに手を差し伸べるのは、ごく自然の行動だ」
「名古屋市は1959年に伊勢湾台風の被害を受けた。私の自宅も壁が抜けて半壊になった。(その時に全国から助けてもらったので)困っているなら『みんあでやらにゃ』という、人として当たり前の気持ちがある」
― 支援活動を継続することで、名古屋市も得られたものがあると思う。
「陸前高田の人に喜んでもらえるということが何よりだ。(名古屋に招待した)陸前高田の中学生が帰る時に涙を流してくれた。市の職員も涙をこぼしていた。人生で本当に喜んでもらえることはそうないだろう。陸前高田の皆さんに感謝したいくらいの気持ちだ」
「災害はあってほしくないが、いつかは起きる可能性がある。大災害が発生した時、どのように行政機能を立ちあげるか、何が必要になるかということについて(今回の経験は)非常に大きな力になると思う」
― 被災地支援をすることについて、市民の反応は。
「市民の税金は本来、名古屋市の行政サービスに使われるべきもので、そのお金を陸前高田市の応援に使うとなると、市民の理解がないとだめだ。市民のアンケートでは94%の人が『支援に賛同する』と答えてくれた。今はそのおかげでやれている」
― 震災による復興支援を機に、両市の交流も深まっている。
「これからは支援というよりも共存共栄のような形にしていきたい。(名古屋に招待した陸前高田の)中学生には就労体験の評判がよかった。陸前高田は水産業が多いと思うので、名古屋ではホテル業務の実習や、工場の作業、大病院での看護など、都市ならではの体験をしてもらった。今度は名古屋の中学生が陸前高田の水産業の体験ができればと思っている。都市の規模や性格が違うからこそ、互いに補うことが大事だ」
― 今後の支援の方向性とその決意を聞きたい。
「兄弟のようになればいい。産業交流も含めて、人間の縁というものは重要だ。向こうの方が『もういいですよ、イッツ・オール・ライト、OKです』と言うまではずっと続けようと思っている」
「2012年度は13人の職員を派遣する予定だ。こんな大規模なパッケージとして支援をトータルにやれる。喜んでもらえるのは公務員冥利に尽きる。普通、民間企業ではこんなことはできないからね」
― 震災発生から1年。復旧・復興の道のりを歩んでいる被災地の人々にメッセージを。
「名古屋市が寄贈した四輪駆動車を被災地で見た。泥まみれにあんっていた車には「応援します!!岩手・東北のみなさま 名古屋市民』と記されたステッカーが貼ってあった。名古屋市民の気持ちが岩手の街や山を駆けめぐっている」
「人間、つらいことが多いけど、きっとええ日はやって来る。『頑張れ』と言うのは好きではない。自分たちが被災者へ応援を頑張らなければならないのに、苦しい人に頑張れなんて言えない。未来を担う子どもたちには『立派になってちょうよ』と声を掛けてあげたい」
(2012年3月11日付「岩手日報」震災1年特集5面)
新聞記事によると、名古屋市の民間企業も支援に回っており、49社から支援の申し出があったとか。
すごいですね。
私も、いつか、恩返ししたいと思っています。
それから、今後の報道のあり方についてですが、このように、「どこの誰が、支援してくれているよ」という記事を、たくさん掲載してほしいと思います。
「助けてくれ」報道だけでは、支援してくれている人たちに失礼です。
無償で支援してくれている人たちの行動ほど、被災地の励みになるものはありません。
ラジコ(radiko)
みなさん、ラジコを知ってますか?
http://radiko.jp/#私は、瓦礫の中から回収した泥だらけのイサダ網を、一生懸命復活させようと、毎日、針で縫っています。
あと1週間で終わる予定。
一人でやっているので、さびしい。
そこでラジオを聴きながらやっています。
ほとんどNHKばかり聞いていたのですが、全国ラジコの終わり頃、IBC(岩手放送)ラジオのラジコを聴き、感動しました。
全国からの支援の声や行動が、ラジオ放送で紹介されていたからです。
たぶん、ラジコを通じて、不足しているものなどを、被災地の放送局が発信し、それを全国のリスナーが聴いて、支援したのだと思います。
radiko.jp復興支援プロジェクトIBCのアナウンサーは、大塚富夫さん。
http://www.ibc.co.jp/radio/town/私の中学時代の人気ラジオ番組は、「IBCトップ40」。
岩手県内のレコード店などの売り上げやリクエストの集計で、その週の上位40曲の歌を、一挙に放送しました。
その時のメインアナウンサーが、大塚富夫さんでした(女性のアナウンサーと2人でやっていたけど、名前忘れた)。
あ〜、本当に懐かしい。
私はあまり支援を受けませんでしたが、しかし、それでも、被災地の人たちが、ラジコを通じて助けられ、励まされていたのには、感動し、非常にうれしく思います。
その中でも、愛知県の方々からの声援が、多いように感じました。
飛行機の直行便が、愛知と岩手を繋いでいるからなのかもしれません。
これからも、元気の出るような、感動的な放送や報道、期待しますね。
ではでは〜。
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