日本の漁業が崩壊する本当の理由 片野歩

世界中で魚類資源が増えているのに、日本だけが減っている。
この現実を、恥ずかしいと思うべきである。

日本の漁業が崩壊する本当の理由.jpg

すべての漁協組合長、理事、参事、そして、任意の漁業団体の会長以下すべての役員たちは、この本を読むべきだ。
読みたくないならば、「日本の漁師は大バカものだ」を参照すること。
これを認識できないならば、役職に就く資格はない!

2010年03月22日

政治とは? (高橋さんへの手紙 11)

みなさん、こんばんは。

今日は、三陸縦貫自動車道宮古道路が開通しました。

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20100322_6(「岩手日報 Web News」)

露骨な利益誘導道路である「山田道路」とは、事業評価の点で、雲泥の差です。
これで、私の家の前を通る国道45号は、交通量が減り、余計な排気ガスを吸わなくて、私は幸せ(笑)。



さて、と。

私はやっぱり『小さな政府』よ」で、「現実政治というのは、学問(科学)をほとんど無視したもの」と書きましたが、ちょっと断定しすぎたかなあ、と反省しています(ウソ!)。

政治戦略(あるいは国家戦略)という言葉がありますが、これは、工学です。
戦略という名のつくものは工学です、というより、工作なのかな。
この辺は、「学問って、何? 2」を参照してください。

どんな戦略にしろ、戦略を持つ政治家はまだいいのですが、戦略すら全くない政治家は、ゴミ同然です。
利益誘導主義の代議員は、すべて“政治屋”であり、私は政治家とは呼びたくない。

お〜、そうだ。
そうしよう。
これから、利益誘導主義の人は、みんな“政治屋”と書こう。

ただ今、宮古市では、宮古市議会議員の選挙運動準備真っ最中です。
政治屋と政治家のレッテル貼りでもしようかしら(笑)。

脱線した〜。

閑話休題。

え〜と。
政治のことだったかな?

政治とは、学問的に理由付けされた“ような”意見を聞き、政策反映すること、あるいは、対立する意見や問題がある場合、“上手に”その判断をすることです。
昔、「政治とは?」というページを書きましたが、でも、今は、世捨て気分で、“ような”や“上手に”を扱うのが政治だと思っています。

“上手な”政治判断の最もたるものは、やっぱり先述の利益誘導。
つまり、選挙の票!
第2が、賄賂。
第3に、力の強い人に従うこと。

これが、政治屋になる代表的な3要素。

政治屋は、決して、学問とか工学とか、そんなもので、政治判断をしていません。

本当の政治家は、投票しなかった人も含めた選挙民全体のことを考え、政治判断する人です。

私がエールを送っている高橋さん(高橋博之県議会議員)は、しっかりした政治戦略を持っている人です(http://www.hiro-t.com/index.html参照)。
努力家であり、日々考え、素直に日記で公開し、それを読む人に感銘を与える。
たぶん、いろいろな人と出会い、当選した頃とは、考え方も、かなり違ってきていると思います。
私みたいに、さっさとあきらめる性格でもなさそう。
たぶん、私が書いたものを読んではいないと思うけれど、でも、彼の日記を読む限り、過去の「漁師のつぶやき保存版」の断片が、ちらほら散見されます。
彼は、決して、選挙民に媚と売っているわけではなく、むしろ、だんだん、選挙民に厳しくなってきているような感じもします。

私に似てきたわけか(というわけでもないでしょう、笑)。

彼は、きっと、政治判断というものに、苦しい思いをしていると思います。
これは、なった人でないとわからないと思う(私も同じ。でも、こうやって想像できる分、わかる気がしている)。
大橋巨泉氏は、民主党議員になって、それから、すぐに辞めましたが、彼は、“政治”というものを理解していなかったのではないでしょうか。
自分の理想や「学問的に考えたら、こうなる」ということを主張しても、次から次へと、うようよと、国民のわがままが湧き出てきて、それに応えようとする他の議員たちとの意見が対立し(もちろん、各業界のわがままに応えようとする議員との対立もある)、かなりの譲歩が必要となる。
それが、政治の世界。
“政治屋”たちの板ばさみになりながら、耐えられる人間こそ、立派な政治家になるのでしょう。

民主党や鳩山由紀夫首相がいろいろ書かれたりするけれど、彼らは、国内政治、国際政治のど真ん中にいるわけだ。
力のある人間、そして、力のない人間のあらゆる要求に対し、判断を下さなければなりません。
力のある人間よりも、力のない人間のほうに、味方をしようとするのは、もちろん、普通の日本人なら、みな、そう考えます。
あのような出自の、お坊ちゃんである鳩山首相は、たぶん、純粋にそう思っている。
もちろん、自由の行き過ぎを制限するのが政治であるのなら(再び「政治とは?」参照)、それが、たぶん正しい。
しかし、現実の政治は、この通り。
そうはいきません。
だから、今、鳩山首相が、マスコミにいろいろ書かれようが、「そんなもの、ずっと昔からだよ」としか、私は思っていません。
事業仕分けをして、無駄をなくそう、という取組みをしているだけでも、進歩したいうべきであり、そんなに全部を一気にできるわけではないと思うんです。

そんなことを、わかったにもかかわらず、高橋博文さんは、健気にも頑張っています。
本当に頑張っていると思う。
好青年はいるけれど、政治の世界にしばらくいて、その好青年を持続しているのは、非常に稀だ。
私は、高橋さんを選挙区にもつ選挙民は、幸せだと思う。

高橋さんが、どれくらい頑張るか。
そして、その頑張りで、社会がどれだけ変われるか。

高橋さん、頑張れ!

とエールを送ります。



なぜか「『人間牧場』Vs.『反過剰福祉』」に人気があり、これは、ずっと前に書いたものですが、先月のベスト5入りしています。
私としては、こういう文章を読んでもらうのがうれしい。

この記述の中に、「CFR」、「三極委員会」、「ビルダーバーグ」というのが出てきます。
これらの背後に、秘密結社「フリーメーソン」や「イルミナティ」が存在する、とささやかれています。
そして、陰謀論。

ちょっとここで、身近にある「ロータリークラブ」について、記述しますが、私がたまに参加する「豊かな三陸の海を守る会」の会員に、ロータリークラブに参加している人がいます。
その人の話によると、ロータリークラブの参加者は、各業種の名士たちであり、参加するにあたって、思想、主義、信条、宗教は、問われず、とにかく、世の中のためになるような活動をしよう、という人の集まりなのだそうです。
「ロータリークラブ」のWebサイトを参照すれば、ロータリーの歩み(主な出来事)中に、確かに、そう記してあります。
引きます。



ポールが集めたこの4人はどんな人であったろうか。ポールは、その著『THIS ROTARIAN AGE(ロータリーの理想と友愛)』の中で、この点につき次のようなことを書いている。
 「湖畔(こはん)の一都市を舞台として、一場のドラマが始まった。このドラマがどんな意義をもつものであるか、何人も予測し得たものはいない。登場人物は、世の平凡な道を行く実業家および職業人であって、必ずしも一頭地を抜くほどの特質を備えた人ではなかった。しかし、一般的な意味で、“立派な人”と表現しても差し支えない人々であり、4人とも気が合っていて仲が良く、めいめい業種の異なる立派な事業あるいは職業を持っていた。彼らは、信仰、人種、政治的意見の相違に関係なく集まった人々なのである」
(「ロータリーの誕生」ユニティ・ビル711号室であげた産声)




創始者であるポール P.ハリスは、フリーメーソンの会員であった、いや、そうでない、という議論もあるようですし、また、ロータリークラブの中から分離したライオンズクラブの創始者メルビン・ジョーンズも、フリーメーソンの会員云々という話もあります。
でも、私は、そんなものはどうでもいい、と思います。
なぜなら、フリーメーソン自体も、最初は、「ロータリーの誕生」と同じようなものではなかったのかなあ、と思っているからです。

フリーメーソンは、「『人間牧場』Vs.『反過剰福祉』」に記してあるローマクラブにも関わっているし、本当のところ、彼らも、悪意をもって、活動しているものでもない、と思う。
ただ、その悪意のないものを、悪意でもって利用する輩がいる、というのは、たぶん真実なのでしょう。
特に、地球各地の歴史がつながってからは。
しかし、だからといって、フリーメーソンの全部に、つまり、メンバー全員や創世記にまで、陰謀論の類を適用するのは、ちょっと違うんじゃないかなあ、と私は思っています。

増加する一方の世界人口を憂慮したローマクラブのやり方は、ちょっと異常ですが、しかし、現実は、本当に厳しい。
それを、民主政で解決できるのかどうか。

古今東西、政治のことがいろいろ語られていても、政治学では、どんな政治体制がいいのか、結論に至っていません。
アリストテレスの「政治学」の時代から、ず〜とず〜と同じなのです。
今や、政治は、テレビの時代(まだインターネットの時代ではないと思う)であり、ショー化しているにすぎない。
政治家たちがいくら頑張ったって、その土台となる社会工学者たちがいくら頑張ったって、どんどん生まれ来る人間たちが、相当に頭が良くならないと、いずれ、資源争奪戦争(それが過激に進行するか静かに進行するかはわからない)は起きてしまうのです。

今書いたことをずばり表現した文章を、「WORLD WATCH」誌の「富裕層が迫られている選択『取り分を減らすか、犠牲者を増やすか』」から引用します。



 「新たな技術がもたらしてくれる、痛みを伴なわない富をすべての人々に行き渡らせる」という幻想への執着は、絶望よりも悲惨な運命につながる。乏しい資源をめぐる争いは、それがまるで人類の本性に組み込まれているかのように感じさせるほど、古代から何度も登場する話題である。
(中略)
 この歴史的な傾向と、戦争のコストや結果を大勢の有権者に知らせようとしない政治システムとを結びつけてみると、将来は富のための戦争も起こりそうに思える。もっと正確に言うなら、少なくともアメリカでは、教育を受けておらず、選択肢の少ない、そして大半が貧しい労働者階級の子弟をそそのかし、「志願兵」に仕立て上げ、石油や天然ガスや貴重な鉱物資源の存在する遠く離れた場所へと送り込むだろう。そして、そうした資源を経済に詰め込んで、どうでもいいものやゴミや好き勝手なものに浪費するのだ。
(「WORLD WATCH」2009年9/10月号p43)



悲惨な予測ですが、「WORLD WATCH」誌は、ちゃんと理想的なプログラムも提示しています(買って読んでください)。
しかし、それを実行できるかどうかは、政治の現状から考えると、非常にあやしい。
このことを考え始めると、堂々巡りになってしまい、嫌になってきます。

じゃあ、私たちは、何もできないか?

世界を変えることは、たぶん、できない。

お先、真っ暗。



私たち一般人は、何もそこまで深く考える必要はありません。

これが私の結論。

繰り返しますが、「世界を変えることは、たぶん、できない。」

だから、私たちは、せいぜい、自分の生活を一生懸命やっていけばいいのです。
でも、少し余裕が出たならば、社会で起こっていることを考え、やっぱり、良心にしたがって、自分の考えたことに投資していくべきだと思います。




こんな話は、もう「漁師のつぶやき保存版」のほうで、終わっていたはずなのですが、またやってしまいました。

同じことを繰り返すなんて、何て、おバカさん!

みなさん、おバカさんに付き合ったって、しようがありませんよ。

もう“政治”の話はやめます。

(といいつつ、また書くんだろうなあ。笑)

ではでは〜。
posted by T.Sasaki at 18:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会制度 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック