日本の漁業が崩壊する本当の理由 片野歩

世界中で魚類資源が増えているのに、日本だけが減っている。
この現実を、恥ずかしいと思うべきである。

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すべての漁協組合長、理事、参事、そして、任意の漁業団体の会長以下すべての役員たちは、この本を読むべきだ。
読みたくないならば、「日本の漁師は大バカものだ」を参照すること。
これを認識できないならば、役職に就く資格はない!

2009年05月11日

「農業は人類の原罪である」

みなさん、こんばんは。
宮古は、久しぶりの雨でした。
しかたがないので、エンジンルームの中に入り、いろいろな保守作業をやりました。
明日も雨が降ったら、休もうかなあ。
そうだ!
髪の毛が伸びたから、床屋へ行ってこよう!



さて、今日で、何日連続なんだろう?
何と!4月29日から、連続して更新。
かなり暇な証拠。
今日で、たぶん切れる。
はい、いきます。

人間は、Hが大好きだ!」。
そして、眠るのが好き。
もう一つ。
人間は、食べることが好きです。
もちろん、食べることが嫌いな人は、生きていけませんから、当然、みんな好きなわけです。
以上の3つの性質を持つ人間だけが、脈々と生き残ってきた。

Hと睡眠は、相手と自分さえ居ればできるものですが、食べることは、そうはいきません。
食糧は、自分のほかにも、必ず誰かが作らなければならないからです。
この“作る”ことができるようになった時が、農業の始まり。
農業の成功が、人間の定住を可能にし、人口の増加を後押しします。
そして、人口の過度の増加が、地球上の環境問題を深刻にしました。
すわなち、農業の始まりが、環境問題の始まりだったのです。
副島先生の弟子、根尾知史さんは、それを、次のように書いています。



 文明の格差は、民族の「生産性(productivity)」にもとづく。古代文明が生まれる以前の人類は、獲物を求めて移動を余儀なくされる狩猟生活を送っていた。食料の確保も偶然の要素が大きく、最低限の量の食糧しか確保できなかったため、人口も食料のまかなえる範囲までしか増加することはなかった。
 そのうち、天然の穀物類を自分たちで栽培することを試みるようになったときから、狩猟による移動生活をやめ、民族が一カ所に集まって生活できるようになった。村や集落を作って一カ所に定住して暮らすことができるようになったのは、農業の技術を身につけて、自分たちの食料を自分たちの「居住空間(eco,エコ)」の中で、自らの力で育てるという能力を獲得したからである。
 人類で最古の農耕跡は、中東のレバント(Levant)といわれる地域(レバノン、イスラエル、シリア、ヨルダンまでを囲んだ領域)にあり、紀元前9050年頃のものだといわれている。つまり、このときが人間が初めて自然環境に働きかけ、自らの知恵でその自然の状態を、自らの食料を育てるために人工的に手を加えた瞬間だったのである。だから、「環境問題」を考えるならば、ここまでさかのぼるべきである。
(「エコロジーという洗脳」p110)



しかし、コリン・タッジの「農業は人類の原罪である」によると、1万年前に農業が始まったのではなく、もっと以前の、数万年前に始まった、としています。
これについて、訳者の竹内久美子先生は、次のように書いています。



 考えてもみれば、1万年前にいきなり大規模な農業が出現するという方がよほどおかしいのである。それ以前の段階がかなり長期間にわたって続き、その一つの結実として(あるいはそうせざるをえなくなって)大規模な農業が行われるようになったのだ。
(「農業は人類の原罪である」p94)



証拠はないけれど、著者のコリン・タッジは、これをダーウィニズムで説明しています。非常に面白く、今までの通説を覆す、その語り口は、痛快!

先の根尾論文からの引用に似てはいますが、ここで、農業と人口の悪循環を表している文章を紹介します。



 狩猟・採集によって環境から手に入るのは、たまたまその環境が作り出しているものに限られる。欲しいものを取りすぎれば、それらがなくなってしまうだけである。どれだけの食物が手に入るかは環境次第で、人間の手の及ぶところではない。結局のところ人口は、環境が与えてくれる食物の量によって決まってくるのである。
 ところが農業とは、一言で言えば、環境を操作し、作り出される食物の量を増やすことである。土を肥やせば収穫量は増加する。いや、わざわざ土を肥やさなくても、目当ての植物や動物の競争相手になるものを取り除いても、生産高を増やすことができる。草を取り除くなどして作物を保護するのである。食べ物の量が増えれば、もちろん人口も増加する。
 そうなると、当然のことながら、農業を行っている者は自分たちがらせんをなす悪循環に陥っていることに気づくだろう。農業をすればするほど人口が増え、そうするとますます農業に精を出さなければならなくなる。増えた人間を食べさせていける方法は農業しかないのだから。
(前掲書p56)



コリン・タッジは、この悪循環を、農業の本質と言ってもいい、と書いています。
なるほど、農業以前の生活では、たとえ、たくさん子どもを作ったとしても、環境中に食べ物が不足すれば、極端な言い方をすれば、餓死してしまい、人口は増えません。
農業が成功し始めた途端に、人口が増え、さらに、福祉が、それを促進する。
Hは、人口を増やす方法だけれでも、農業と福祉は、人口を増やす装置だったわけだ。



 いったん始めたらやめようがないのも農業の厄介な点。その意味で我々は未来永劫にわたり、原罪から逃れることができないだろう・・・・。
(前掲書p90)



すでに、時遅し。
数万年前に、この悲劇は、確定していたのですから、私たちには、何も解決方法はありません。
同じ人口を増やす装置でも、福祉のほうは、最近発明されたものですから、まだ修正できますが、さて、できるかどうかは、みなさんと政治家次第、ということ。



「農業は人類の原罪である」は、「進化論の現在」7冊シリーズのうちの一つで、竹内久美子先生は、すべてを翻訳しています(もう絶版になっていた。だから中古しかない)。
巻末には、竹内先生の解説があり、そこでは、「農業が悪の始まりであるという考え方は何も、本書の著者、コリン・タッジだけのものではない。」とし、他の学者の主張も紹介しています。
例えば、ジャレド・ダイアモンドは、人間が農業を始めた瞬間から、その重労働のために、身長は縮み、寿命も短くなった、と。
さらには、「農業によって階級が出来、専制政治が始まった」とも。

農業って、支配者の所有物みたいなものなのか。
なるほど、だから、ロックフェラーらが、アグリビジネスを押さえているわけだ。



ところで、今よりももっとたくさんの人が農業をやり、食べ物を増産すれば、世界中の飢餓がなくなる、と思い込んでいる人がいます。
しかし、現実は厳しいんです。
水がない。
水が足りないのです。
世界中の地下水も枯れる一方で、状況は深刻です。



人間って、水までも食いつぶすのね!
日本がやっている「少子化対策」って、恥ずかしくない?
日本人は、他国の食糧を食いつぶす。
あ〜あ、困ったものだ。

あ、そうだ!
水なしで育つ植物を開発すればいいんだ。
と、アホなことを言っているほうが、まだいいような気がする。

ではでは〜。
posted by T.Sasaki at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ダーウィニズム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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