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副島先生の態度」をアップロードしてから、巡回してビックリ!
http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/dcbec347918074da0fc7482002c76120(「
心に青雲」)
福祉制度の過剰ではなかった時代(大昔)なら、介護認定などなく、当事者は、みんな死んでいた。
もし、こういった局面に自分が陥ったら、与えられた運命だと思って、あきらめて死ぬしかない。
周囲に迷惑を掛け、迷惑を掛けられた人が自分よりも早く死んでしまったら、これほどの苦痛はない。
私も、難治性骨折をしたとき、100年前なら、たぶん、その辺に捨てられて死んでいた。
一度死んだと思えば、何も恐くはない。
だから、一生懸命生きる。
コメントには、記事に対する反論があるけれど、私は、この方の肩を持ちたい。
「
副島先生の態度」で、次の記述の引用を控えたが、あえて付け足す。
昔の日本人は、母屋のわきの隠居小屋で、死んでいった。あるいは、作家・深沢一郎が描いた『楢山節考』の姥捨山の慣行や、親族一同が集まって、上からぬれ雑巾をかぶせたり、「枕落とし」をやったのだ。私たちは、人命尊重思想に脅迫されて、生ける屍となって、床ズレを起こして腐りながら病床に何年も縛りつけられる必要などはない。人類がヒューマニズムや人権を履きちがえるのも、ここらあたりを潮時にすべきであろう。
(「日本の秘密」p234)
posted by T.Sasaki at 20:18|
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副島学問
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「心に青雲」の主宰者です。拙ブログにトラックバックいただき、ありがとうございました。
また、こちらのブログで肯定的に取り上げていただき、恐縮しております。
副島氏がそういうことをおっしゃっていたとは存じませんでした。ほぼ同感です。そのとおりに「人類がヒューマニズムや人権を履きちがえ」ていると思います。
しかし彼には学問はありません。国際問題の評論家としては一流だと認めますが、彼には学問とは何かがわかっていないと思います。思想レベルを彼は学問と称しているのです。
それゆえ、彼は、どうしたら介護を受けないで生をまっとうできるかを解けません。
応援しようと思ったら、副島先生を嫌いなんですね。
彼は、誤ったことを自分の口から認めない人です。
で、「オレは、こういう人間なんだ」ですって(笑)。
電話で話した時、そう言っていました。
もう、治らないんですよ。
でも、ある意味、おもしろいじゃないですか。
土人の話も、みなさんは怒るらしいけれど、私なら、「土着人で何が悪い」って開き直ります。
学問については、「ぼやき001」で、まず「学問」の出自を書いています。
その後、いろいろと書かれていますよ。
著書では、「法律学の正体」で、学問のことで悩んでいます。
私には良書でした。
>どうしたら介護を受けないで生をまっとうできるかを解けません。
私もわかりません。
私は、良い部分を大いに取り込んでいけば、それでいいと思っています。
本もかなり呼んでいますし。
でも批判はするのです。
評論家ならまあ満点、学者としては落第、そういうことです。
まあ、いいと思いますけど、余分な文章は、書かないほうがいいと思います。
余分なものは、はねて読みますので。