みなさん、こんばんは。
天候悪くて、今日は家でじっとしています。
疲れましたし。
読書したり、パソコンに通電させたり。
雪が積もったので、一応、雪かきもしました。
宮古にしては珍しい大雪です。
雪がほとんど降らないので、積もっただけで大騒ぎになるのに、大雪となると、さすがに国道を走る車も少ない。
国道沿いにある私の家にとって、交通量の少ないことは喜びでもあるわけです。
今日は、岩手県の人気議員について書きます。
といっても、小沢一郎さんではないですよ。
ローカルな話ですので。
高橋博之岩手県議会議員をご存知でしょうか。
若さと行動力を前面に出しているカッコイイ青年議員です。
高橋さんは、選挙区外であるにもかかわらず、私がたまに顔を出す「豊かな三陸の海を守る会」も支援してくれました。
また、私自身も、一度だけ飲みながら話をしたこともあります。
よって余計に、彼の言動には、非常に興味が湧いてきます。
高橋さん(以前は、高橋君と呼んでいましたが、彼は、選挙区の方々に絶大なる支持を受けてのトップ当選ですので、同格の“君”は失礼ですね)は、自身のサイト「
高橋博之公式サイト」で、その行動を書き記しています。
中でも、日記「
日々是好日」は、必見の巡回先です。
最近の日記を読むと、彼には、一貫とした考え(思想)というのがあるのかどうか、私にはわからなくなりました(いや、本当は、前から少し疑っていたのですが。でも、地方自治体の特別職のほとんどは、一貫した考えなど持っていませんよ)。
彼は、県立病院改革に関しては、ヒステリックだと思います。
1月20日付けの日記では、赤い字で、山形県置賜方式の失敗した原因を書いています。
そこをちょっと引きます。
住民がサテライトの診療所を信用せずに無視して病院に集中してしまったことが原因。
つまり、住民が診療所の医師を信用しなかったわけです。
これは、住民のほうがおかしい。
住民のほうが、規模を理由に医療施設を差別している!
なぜ、病院の医師は信用して、診療所の医師は信用できないのか。
ちなみに、大病院には、たいてい何人かはダメ医師がいるそうです。
これは岩手県出身の小野寺時夫さんという方が、「新 治る医療、殺される医療」という本で書いています。
大病院にいようが診療所にいようが、医師には変わりがないということを、住民に教えるべきではないですか。
しかし、彼は本当はそんなことなんてわかっているのだと思います。
1月22日付けの日記の最後には、次のような文章が書いてあります。
「自由」と「権利」の裏側にある「責任」と「義務」から逃れ、国に求めてばかりの日本人。モンスターペアレント(理不尽な要求をする親)、モンスターペイシャント(理不尽な要求をする患者)なる怪物の出現など、無責任の極みここに至れりです。今、日本にもっとも欠けていることではないでしょうか。私が政治家として訴えていきたいことのひとつは、まさにこのこと、国民の意識改革です。
素晴らしい!
この一言に尽きます。
でも、1月25日付の日記を読むと、どうもわからなくなります。
リンクの貼ってある
朝日新聞の記事を読むと、まず 「県民が平等に医療を受ける権利を奪うのか」という話ですが、診療所があれば、医療を受けることができます。
診療所で治療することが困難な患者は、紹介状を書いて、大病院へと送られます。
こういうシステムがなぜ、「県民が平等に医療を受ける権利を奪うのか」私にはわかりません。
「理不尽な要求」とまでは言わなくても、「要求の強すぎる住民」ですね。
彼も政治家ですから、自分の思想や理想とかけ離れた、基本的知識に乏しい住民と折り合いをつけなければならない。
だから、「合意形成」という言葉を頻繁に日記で使っているのだと思います。
政治家は、それくらいでないと次は当選できませんから、しかたないかな?
でも、高橋さん。
県立病院の医師不足は、今に始まったことではありませんよ。
こうなる前に、そして、県医療局が改革案を出す前に、いろいろと議会内や会派内ですることはあったと思いませんか。
1月25日付け日記には、
「もう待てない」と医療局は言いますが、なぜもう待てないのか、その理由について、納得できる説明はありません。
とありますが、県立病院の医師が次から次へと辞めているではありませんか。
アフガニスタンの中村哲医師のような立派な方も確かにいます。
しかし、医師だって所詮人間です。
嫌になれば、辞めます。
県立病院へ行けば、あのような毎日の混雑。
見舞いなどのちょっとした用事で病院に行くと、医師でなくとも、あの混雑を見るとうんざりします。
私も病院のお世話になりましたし、身内もお世話になっています。
そこで見た病院内の医師の働きぶりは、かわいそうなくらい忙しい。
若い医師たちに、病院外での青春があるのかどうか。
何度も書きますが、医師とて人間です。
感情のある人間なのです。
そこを考えてあげないと、公的医療は本当に崩壊します。
先ほどの
朝日新聞記事の最後には次のように書いてあります。
「4月に無床化に踏み切れば、(みんなで支える医療を模索する)今の動きも消えてしまうのではないか。医療局の計画案をたたき台に、時間をかけて検討するべきだ」(高橋博之県議)。
私には、この発言の意味がわかりません。
なぜ無床化に踏み切れば、みんなで医療を考える動きが消えてしまうのか?
「県民が平等に医療を受ける権利」を主張するならば、県民はその権利を行使する制度を常に考えていく必要があるはず。
これで消えてしまうのなら、住民たちのほうの意識が低い、ということです。
やっぱり政治家って、こんなものなんでしょうね。
ではでは〜。。