みんさん、こんばんは。
低気圧が抜けたあとは、ふつうの宮古なら晴天なのですが、今日は曇り時々晴れで、雪がちらつく1日でした。
寒いですね。
そして、本日は小正月。
早速、一杯やりました(笑)。
昨日までは、グロッキー寸前まで仕事をしたので、ご褒美として。
今や、漁師の家でも小正月をするのはかなりの少数派でして、笹を船に飾りに行ったら、真面目だなあ、なんて言われました。
返す言葉で、「飲むのが楽しみなのに、どこが真面目なの?」と言ったら、笑っていましたけど、その人は、しっかり、タラを抱えていました。
タラのお吸い物で、やっぱり小正月をやるんでしょうね。
さてと。
昨日は、子どものやらかした責任は親がもつ、などと、そんな類のことを書きましたが、あまりこれをやってしまうと、子どもの自由を奪い取ってしまい、むしろ逆効果が現れたりします。
子どもに対し、親が権力を振るいすぎ、例えば、「これをやっちゃダメ!あれをやったら危ない!それを見たら教育に悪い」などなど、子どもの自由を制限することに命をかけ過ぎる親がいるのも事実。
今はあるのかどうか知りませんが、PTAの親様方のあのうるさい指摘には、子ども時代の自分ですら閉口したことがあります。
でも、ある程度、子どもに自由を与え、失敗させるのも必要。
失敗して覚えるもののほうが多いと言っても過言ではないし、特に子どもの学習能力は高いですから、“失敗”という経験をすぐに記憶します。
それに、大人になってからの失敗と子ども時代の失敗では、価値が違います。
大人の失敗は責任を追及されますが、子どもの失敗は、極悪でない限り、社会が許します。
子ども時代には、たくさん失敗していほうがいいくらい。
それならば、ある程度の失敗を許容するような自由度を子どもに与えることは、教育上、必要なことですね。
それから、子ども時代に何度か挫折を繰り返しておかないと、大人になってから大変です。
もし、もしですよ。
子ども時代に挫折の経験の全くない人が、大人になって初めて挫折を経験するとどうなるのか?
想像しただけで、「こりゃ大変だろうな」と思います。
中には、生まれつきの性分が図々しい人は、それなりに生きていくと思うんですが、そうでないお人好し宮古人は、そうはいきません。
落ち込んでしまい、周囲に助けてくれる人がいないと、奈落の底まで行ってしまい、立ち直るのに時間がかかります。
一方、普段から挫折を繰り返している人は、すぐに立ち直って、次へと視点を移します。
もう一つ、重要なこと。
子どものすることに制限を加えるすぎると、今度は、子ども自身が判断する能力を失う可能性があります。
これは、子どもが成長し大人になった時、非常に困ることになります。
子どもが一人立ちし、親元を離れたとき、今まで判断してくれた親がいない。
となると、今まで自分の判断を親に任せっきりにしていた子どもは、自分で事の良し悪しを判断できない。
これだと、社会生活に不適応になってしまいます。
とにかく、いろいろな経験をさせて鍛え、環境の変化に対応できる強い子どもを育てること。
子どものいないボクがこんなことを書いているのも不思議ですが、自分の経験や周囲の人間、そして社会を観察していると、こんなことぐらい考えればわかります。
むしろ、親のくせに何にも考えない人もいる。
もちろん、ボクがその“教科書”を書けるわけでもありませんが、もし、仮に書けたとしても、子どもにも能力面や感情面に個人差がありますから、全部、“教科書通り”というわけにはいきません。
その辺は、親がちゃんと子どもを見て、どの辺まで自由度を与えたらいいか、また、年齢によって、その基準をどう変更したらよいのか、考えるわけです。
すべての子どもに、“教科書通り”で通用するならば、先生や親という生身の教育者は、最初から必要ありません。
私たちには五感の能力がありますから、その辺をフルに使って、子どもの様子を見ながら頑張らなくちゃいけませんね。
みなさん、頑張ってくださ〜い。
ではでは〜。。