さて、ボクが考える「こどもたちの教育と未来」パート3、で〜す。
大人と子どもの境界は、今のところ、年齢で決めているんでしょうか。
ボクは、これがちょっとわからないんですよね。
高校卒業の18歳なのか、それとも20歳なのか。
今のところ、日本社会一般では、「成人の日」という国民の祝日があるくらいですから、やっぱり20歳から上が大人なんでしょう。
子どもたちはやがて成長し、大人になり、自分で自分を養うことができるようになります。
自分で自分を養うことができる、ということは、親から自立して、自由に行動できるわけです。
そして、次が重要。
自由な行動には、その行動に対し、自己に責任が生じる、ということです。
自由選択した行動で、自分に災難が降りかかったら、それは全部自己責任であり、自分で償わなければなりません。
本来、「自由」とは厳しいものなのです。
子どもであるうちは、自由選択に対する判断が甘く、自分の行動に責任を取れる環境にもない。
だから、親が威張って、子どもに権力を振るうわけです(笑)。
しかし、その際、子どもがその権力に従うわけですから、責任は、権力側にあるわけで、つまり、親が子どもの行動に対し、責任を負わなければなりません。
「そんなこと、当たり前だろ!」とお叱りを受けるかもしれませんが、この簡単なことを知らない親が多いんですよ。
今、書いた、権力者とそれに従うものの責任関係は、人間社会すべてに当てはまります。
例えば、公的年金は、権力側が半ば強制的にカネを徴収し、老後に年金として支払うわけですから、これは、すべてにおいて、権力側が責任をもって年金事業を遂行しなければなりません。
「強制的」ですから、ボクたちには自由がないのです。
だから、ボクたちには、全く責任はありません。
ただ、大手を振って年金をもらうだけです。
じゃあ、ボクたちに責任があるものは何かというと、自由選択したものすべてにです。
権力側が自由を許しているものを、権力側が責任を持て、というのは、おかしな話ですよね。
だから、おのおのの自由な行動には、自己責任がつきものなのです。
簡単なことなんだけれど、しかし日常では、自分が悪くても「社会が悪い、国が悪い、あいつが悪い」な〜んて、案外言っているものなのです。
さて、先ほどは年金のことを書きましたが、今度は税金。
税金は、年金よりも強制的に徴収されますね。
だから、税金は殊更(ことさら。ボクは読めなかった)に権力側の責任は大きい。
しかし、実際には、その使い道は、ボクたちの意図する方向にはなかなか向きません。
例えば、余計な使いものにならない武器をアメリカから買ったりとか。
http://tanakanews.com/080917missile.htm残念ながら、ボクたちの声の、より届きにくい国の予算ほど、その権力者たちの責任は無きに等しく感じます。
その辺の市町村の議員さんたちのほうが、顔が見える分、まだ責任感があるような・・・・。
世の中の多くは、「困ってるから、あれやってくれ、これやってくれ」と権力側に要求しますから、権力側は、「わかった。わかった。やってやるよ」と言いながら、「カネが足りないから、国債を発行するか、増税しなくちゃならん」と言いつつ、その増税分をちゃっかり別のことに使っていたりします(だから、税金のほとんどは目的税にすべし)。
これだったら、税金払うのがバカくさくなりますよね。
そこで、ボクみたいなのは、「どうせロクなものに予算使わないんだから、役人たちは何もしなくてもいい」と言いだします。
そうすると、権力側は、内心「これは困った。減税になって、オレたちの仕事がなくなる。これは困ったぞ」となり、「この福祉サービスはいかがですか」「やがてこういう危機が訪れますから備えませんか」というセールス(やらせ研究、やらせ報道)を行います。
そのセールスを行うときは、彼らは情報統制をしきますから、ボクたちはそれを信じ、「しかたないなあ」と税金を払います。
あ〜、バカくさい。
と、いろんなことを書きましたが、自由や自己責任、税金に関しては、すでに過去の「
漁師のつぶやき保存版」で触れていることです。
自由に関しては、
http://milky.geocities.jp/umaimono_tabetai_hito/tubuyaki-jiritushugi.htmlを読んでみてください。
ボクは勉強になると思うんですが。
巡回先の「
高橋博之公式サイト 日々是好日」1月10付けでは、高橋さんは、「まずは今ある常識を疑ってみることが必要です。」と書いています。
ボクは、この言葉に非常に賛成です。
その「常識」が本当かどうか、というのを、大人であるボクたちがまず考え、本当だと判断したら、それを子どもたちに伝えたほうがいいと思います。
ボクたちが自分の頭で考え、それを伝えないと、子どもから「なぜ、そうなの?」と問われたとき、答えることができません。
子どもの問いに答えることのできない「常識」が、もし、間違ったものだったら、そりゃ、親の責任重大です。
子どもには、自己責任をしっかり教え、そして、自分の頭でモノを考えることを教えるべきですね。
ではでは〜。。