日本の漁業が崩壊する本当の理由 片野歩

世界中で魚類資源が増えているのに、日本だけが減っている。
この現実を、恥ずかしいと思うべきである。

日本の漁業が崩壊する本当の理由.jpg

すべての漁協組合長、理事、参事、そして、任意の漁業団体の会長以下すべての役員たちは、この本を読むべきだ。
読みたくないならば、「日本の漁師は大バカものだ」を参照すること。
これを認識できないならば、役職に就く資格はない!

2009年01月14日

自己責任 (こどもたちの教育と未来を考える 3)

さて、ボクが考える「こどもたちの教育と未来」パート3、で〜す。

大人と子どもの境界は、今のところ、年齢で決めているんでしょうか。
ボクは、これがちょっとわからないんですよね。
高校卒業の18歳なのか、それとも20歳なのか。
今のところ、日本社会一般では、「成人の日」という国民の祝日があるくらいですから、やっぱり20歳から上が大人なんでしょう。

子どもたちはやがて成長し、大人になり、自分で自分を養うことができるようになります。
自分で自分を養うことができる、ということは、親から自立して、自由に行動できるわけです。
そして、次が重要。

自由な行動には、その行動に対し、自己に責任が生じる、ということです。

自由選択した行動で、自分に災難が降りかかったら、それは全部自己責任であり、自分で償わなければなりません。
本来、「自由」とは厳しいものなのです。

子どもであるうちは、自由選択に対する判断が甘く、自分の行動に責任を取れる環境にもない。
だから、親が威張って、子どもに権力を振るうわけです(笑)。
しかし、その際、子どもがその権力に従うわけですから、責任は、権力側にあるわけで、つまり、親が子どもの行動に対し、責任を負わなければなりません。

「そんなこと、当たり前だろ!」とお叱りを受けるかもしれませんが、この簡単なことを知らない親が多いんですよ。

今、書いた、権力者とそれに従うものの責任関係は、人間社会すべてに当てはまります。
例えば、公的年金は、権力側が半ば強制的にカネを徴収し、老後に年金として支払うわけですから、これは、すべてにおいて、権力側が責任をもって年金事業を遂行しなければなりません。
「強制的」ですから、ボクたちには自由がないのです。
だから、ボクたちには、全く責任はありません。
ただ、大手を振って年金をもらうだけです。

じゃあ、ボクたちに責任があるものは何かというと、自由選択したものすべてにです。
権力側が自由を許しているものを、権力側が責任を持て、というのは、おかしな話ですよね。
だから、おのおのの自由な行動には、自己責任がつきものなのです。

簡単なことなんだけれど、しかし日常では、自分が悪くても「社会が悪い、国が悪い、あいつが悪い」な〜んて、案外言っているものなのです。

さて、先ほどは年金のことを書きましたが、今度は税金。
税金は、年金よりも強制的に徴収されますね。
だから、税金は殊更(ことさら。ボクは読めなかった)に権力側の責任は大きい。
しかし、実際には、その使い道は、ボクたちの意図する方向にはなかなか向きません。
例えば、余計な使いものにならない武器をアメリカから買ったりとか。

http://tanakanews.com/080917missile.htm

残念ながら、ボクたちの声の、より届きにくい国の予算ほど、その権力者たちの責任は無きに等しく感じます。
その辺の市町村の議員さんたちのほうが、顔が見える分、まだ責任感があるような・・・・。

世の中の多くは、「困ってるから、あれやってくれ、これやってくれ」と権力側に要求しますから、権力側は、「わかった。わかった。やってやるよ」と言いながら、「カネが足りないから、国債を発行するか、増税しなくちゃならん」と言いつつ、その増税分をちゃっかり別のことに使っていたりします(だから、税金のほとんどは目的税にすべし)。
これだったら、税金払うのがバカくさくなりますよね。

そこで、ボクみたいなのは、「どうせロクなものに予算使わないんだから、役人たちは何もしなくてもいい」と言いだします。
そうすると、権力側は、内心「これは困った。減税になって、オレたちの仕事がなくなる。これは困ったぞ」となり、「この福祉サービスはいかがですか」「やがてこういう危機が訪れますから備えませんか」というセールス(やらせ研究、やらせ報道)を行います。
そのセールスを行うときは、彼らは情報統制をしきますから、ボクたちはそれを信じ、「しかたないなあ」と税金を払います。
あ〜、バカくさい。

と、いろんなことを書きましたが、自由や自己責任、税金に関しては、すでに過去の「漁師のつぶやき保存版」で触れていることです。
自由に関しては、

http://milky.geocities.jp/umaimono_tabetai_hito/tubuyaki-jiritushugi.html

を読んでみてください。
ボクは勉強になると思うんですが。

巡回先の「高橋博之公式サイト 日々是好日」1月10付けでは、高橋さんは、「まずは今ある常識を疑ってみることが必要です。」と書いています。
ボクは、この言葉に非常に賛成です。
その「常識」が本当かどうか、というのを、大人であるボクたちがまず考え、本当だと判断したら、それを子どもたちに伝えたほうがいいと思います。
ボクたちが自分の頭で考え、それを伝えないと、子どもから「なぜ、そうなの?」と問われたとき、答えることができません。
子どもの問いに答えることのできない「常識」が、もし、間違ったものだったら、そりゃ、親の責任重大です。

子どもには、自己責任をしっかり教え、そして、自分の頭でモノを考えることを教えるべきですね。

ではでは〜。。
posted by T.Sasaki at 20:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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