日本の漁業が崩壊する本当の理由 片野歩

世界中で魚類資源が増えているのに、日本だけが減っている。
この現実を、恥ずかしいと思うべきである。

日本の漁業が崩壊する本当の理由.jpg

すべての漁協組合長、理事、参事、そして、任意の漁業団体の会長以下すべての役員たちは、この本を読むべきだ。
読みたくないならば、「日本の漁師は大バカものだ」を参照すること。
これを認識できないならば、役職に就く資格はない!

2024年07月28日

2つの訂正

ふたたび、こんばんは。

日本丸の宮古寄港」で、日本丸に体験航海したと書いたが、これは間違い。
海王丸でした。
ボケもここまで来ると、バイデン大統領を笑えない。

もう一つの訂正は、「近年まれに見る安値」の576円。
仕切り書には、567円となっていた。
だから、市場発表は数字が違っていて、これが真実の値段だ。
「567」という語呂は、何を意味するのだろう?
バカにされているような気がする。
コピーを載せてもいいが、買い人の名前がわかるので、かわいそうでやめた。

乗組員は、その後、ショックを受けて、「コミ」という規格は作らなくなった。
みんなにあげたほうがいい、という考えを持ったのかもしれない。
1箱、567円!
きっと、今年の日本全国の安値記録だ!



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インシャッラー

こんばんは。

運よく、前沖にするめいかのタネがあり、昨年に続き、アンカーいかをやっている。
前沖で釣れるということは、お世話になっている人に、おかずを配ることができて、私としては非常にいいことだ。
ただ、なかなか大きくならず、その点、お詫びをして配っている。
赤字にならない水揚げなら、他所で大漁でもあまり気にしない。
どうせ、模様が良くて後から行っても、そこには残りものはないに決まっている。
近年、特にそうだ。

ある日、ラジオから、「アルプスの少女ハイジ」の「おしえて」という曲が流れてきた。
私の子どもの時のアニメ主題歌で、久しぶりに聞いて、うれしくなった。
思ったような漁ができずストレスがたまったら、帰港中、これを聞いて開放する。
純粋な気持ちになり、心が洗われるようだ。
世の中のゴタゴタを、回避できるような気になる。
しかし、陰で詐欺が横行する現代では、ゴタゴタに付き合っていかなければならない。
あ〜、嫌だ。

そして、「ペシャワール会」からの会報が届いて、これを読むと、また、心が洗われる。
殉職した中村医師の寄稿文には、「自分の思うとおりに、事は運ばない」ということを身をもって学んだことが書いてある。
「インシャッラー」という言葉の重みである。(※)
特に、厳しい自然の中で生きると、インシャッラーなのだ。

今後、太陽活動の活発化で、太陽系は温暖化へ一直線だ。
自然災害は多くなり、インシャッラーという考えが必要になる。
もっと、心を穏やかにしなければ、生きていけない時代になる。

特に、ここ1週間後から10日後、注意する必要があるかもしれない。
何の異変も起こらないことを願う。

https://earthreview.net/x-14-farside-solar-flare/(「地球の記録」)



(※)
中村哲医師アーカイブ
 西日本新聞連載「辺境の診療所から」第17回(1993年5月14日)
インシャッラー 人間の分を知る謙虚さ     中村哲

 現地では、未来のことを述べるときに、必ずと言えるほど「インシャッラー(神の御心ならば)」という言葉が登場する。「荷物は〇月〇日までに着くか」と尋ねると、「インシャッラー、着くでしょう」と答えられ、しばしば到着しない。「この仕事を今年中にはやり遂げよう」と決意を促せば、「インシャッラー、頑張りましょう」と気勢をそがれ、大抵は間に合わない。

 年齢も「だいたい」
 年齢もそうで、我々が病院で患者に「おいくつですか」と聞けば、一部の知識層を除けば、「だいたい・・・」で始まって、20歳・25歳・30歳と5年刻みで述べられるのが普通である。時には「見りゃ分かるだろう」とからから笑う者さえいる。誰も正確な年齢を知らない。几帳面な人間には耐えられぬ世界である。
 かくて「インシャッラー」は日本商社マンの敵となり、過密スケジュールでやってくる旅行者やボランティアを悩ませる。「またお会いしましょう」と言って「インシャッラー」と答えられ、怒る者もいた(実はこれは普通の挨拶である)。そこで、大抵の日本人はこれをいい加減さの代名詞と誤解しているが、決してそうではない。
 ペシャワールやアフガニスタンに居て、人々の生活に入ると、このインシャッラーが美しい響きを持っていることが解る。そこには、人間の分を弁える謙虚な祈りが込められているのである。距離の概念でも、山岳地帯では「普通に歩いて3日、遅い者なら4日」といった表現が正しいし、予期せぬ事態も多いからだ。現実に、「またお会いしましょう」と別れた人間が直ぐに帰らぬ人ともなる。2日予定の山越えが、天候次第では4日になる。フライトが気象の変化で1週間延びることは山地では稀ではない。何が起きても不思議はない世界である。確約はできない。年齢もよく考えれば、人により成長・老化の個人差があるのは当然で、1年や2年の違いに目くじらを立てる事はない。

 誓いを立てたら・・・
 「急ぐほど被害が多い」と現地では言う。私の経験でもそうで、あまり急いで正確さにこだわると疲れるばかり、成果はさして上がらない。それどころか大局を見失って大失敗する。さりとて彼らが約束を守らず、いい加減かと言えば、絶対にそうではない。いったん心に決め、誓いと立てれば、何年かけても我慢して待ち続ける。私は幸いにして田舎の住民から裏切られた経験を持たない。
 日本人は短期で性急である。これが長所であり、欠点でもある。ペシャワールには1988年以来、多くのボランティアがやってきたが、少なからぬ者が疲れて帰ってゆく。大河のようなおおらかさを体得するのに相当時間がかかる。成功はもちろん心地よいが、失敗もまた良し、努力の結果なら悪しからず、別のやり方で繰り返せばよい。さらに、その時は成功と思っても、長い目で見れば良いか悪いか分からない。

 日本人にないおおらかさ
 困難を乗り越えて現地にきたボランティアの方々に失礼かも知れぬが、日本人に欠けるのはこのおおらかさである。はた目で見れば、緩やかだが深く静かに流れる川面で、水しぶきを上げて騒がしく流れにあらがう様は、正直、気の毒である。観念して神の御心に委ねるべし。どれほど豊かな世界が広がるか計り知れない。現地との基本的な齟齬は、このインシャッラーの精神にある。
 逆に日本に帰ると私は窮屈である。強迫的な正確さは耐え難く、瑣事を針小棒大にあげつらうのは異様に見える。列車が1時間でも遅れようものなら、乗客は怒り狂い、マスコミは大騒ぎする。金さえ出せばトコロテン式に望みの物が手に入り、意のまま気軽に、万事が運ぶものとの錯覚が生まれる。日本列島の住民の立場に立てば、そうしなければ生きてゆけないので仕方がないが、せちがらい世の中になった。この流れに乗らねば、誰かにしわ寄せがくる。だが、なければないで済むものが余りに多いことを、少なくとも知るべきである。それが我々が「進歩している」と思うのは大間違いである。
(「ペシャワール会報」No.160 p22)



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2024年07月24日

日本丸の宮古寄港

こんにちは。

先日の朝、氷を積みに行ったら、日本丸がいた。

日本丸.JPG

まだ湾内に停泊中で、生徒たちは、勉強や訓練をやっているのだろう。
25日に接岸するようだ。

https://www.city.miyako.iwate.jp/kigyorittikowan/nipponmaru_20240725-29.html(「岩手県宮古市ホームページ

この日本丸に、私は体験航海で乗船したことがある。
若い時で、釧路まで乗った。
生徒たちとの交流もよかった。
釧路で降りたとき、船上から「ゴキゲンヨー」と別れの挨拶をされた時は、非常に感動して涙が出た。
今でも覚えている。
体験航海の思い出として、有志の方が小冊子を作ったが、私は津波で無くしたから持っていない。
いつか、再び読んでみたいと思う。

出港時にも、写真を撮った。

日本丸2.JPG


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2024年07月20日

コロナワクチンは、どこへ行った?

3回目。

最近、またコロナ病が流行り始めたらしい。
しかし、「ワクチンを!」という報道や専門家の誘導は、皆無である。
なぜ〜?

不思議だなあ。
ワクチンを打たない人への迫害は、いったい何だったのか?

やっぱり、世界的なmRNAワクチンの実験だったんだろうなあ。
騙されて、体を悪くした人たちは、怒ったほうがいい。


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かご漁業の定年制

ふたたび、こんにちは。

これは、「漁業法を越えて」のつづきとなる。

いさだ漁をやっている最中、乗組員たちと話をしたことだが、かご漁業というのは、ある意味、道具を海に漬けていればさえ、赤字にならない漁業である(が、いよいよ、みずだこも獲り尽したのか、今夏の水揚げは史上最低になりそうだ)。
それほど、経営的に楽な漁業なので、若者たちに資本蓄積させるために、定年制を設けたらどうか、という話になった。
下北から来ていた20代の乗組員の意見である。
名案だ。
仕事はあまりできないが、たまに彼は良いことを言う。
ところ違って、年も違えば、意見も新鮮だ。

私が、「60歳定年か?」と聞いたら、「それじゃ、早すぎる。国民年金は、65歳からでしょ!」と言われ、私の定年は65歳になったらしい(笑)。
でも、やる気のある若い人が出てこなければ、定年制にしても意味がない。
有望な若い漁師が出てきたら、の話である。
漁業法を越えて」の「譲る」という意識ね。


posted by T.Sasaki at 16:25| Comment(0) | TrackBack(0) | かご漁業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

近年まれに見る安値

こんにちは。

今年の夜いかは、いろんな魚があがってくる。
サバはもちろんのことだが、ふぐがあがってきたり、かすぺがあがってきたり。

カスペ.JPG

生きて怒っているのか、ヒレが丸まっている。

なぜか漁のほうも、釣れだしてからは、まるっきりの皆無というのがない。
ただ、いかは、まだ細かい。
岩手県のいか漁師は貧乏なために、50尾入れまで並べる。
その中でも、私たち宮古の貧乏漁師は、60尾入れまで並べたりするが、最近、少し形が良くなって来たため、サボるようになった。
他県のいか釣り船たちは、40尾入れから下のサイズは、並べない。
物差しどおり正規に並べれば、30尾入れが5kgあるかないかの重さだが、40尾入れや50尾入れは、30尾入れより重く、5kgぐらいはある。
並べないでバラにすれば、6kgや7kgぐらいあるだろう。
これにはもちろん船間格差があって、物差しどおりではなく、小さく並べれば、重量は軽くなるし、バラも氷の量が多いと中身は軽くなる。
近年では、するめいかの絶対量が少ないため、50尾入れでも、1箱3000円はする。

7月10日の朝売りで、近年では、史上最低値でいかを売った。
私は、コミとして、2箱水揚げした。
一つは、40尾入れに数尾足りなかったので、30尾入れサイズのいかを入れてやった。
もう一つも、50尾入れに、40尾入れサイズのいかを足りない分を入れてやった。
コミ40入れが、1500円。
コミ50入れが、576円。
両方とも、正規の40尾入れ、50尾入れで販売してもよかったのだが、乗組員は、コミとして出した。
この日の入札では、40尾入れが4700円、50尾入れの安値が3900円。
この1500円と576円の値段を付けた買い人には、どういう気持ちでこんな値札を入れたのか、聞いてみたい。
特に、576円についてだ。

こんな値段は、いくら50尾入れでも、ひどい。
1箱576円という値段は、ここ20年は聞いたことがない。
私は、宮古魚市場の現場の職員に言った。

「まるでタダでほしい、と言っているようなものじゃないか。だったら、その買い人に言ってくれ。あげるから。カネは要らないから」

http://www.jfmiyako.net/media/market/2024/07/20240710.pdf?20240710140353(「宮古市魚市場」)

50尾入れに、40尾サイズのいかを入れてやるのは、非常に良心的なのだ。
それが576円だよ。
ホント、目を疑う。
安さ日本一(笑)
こんな値段を付けて、恥ずかしくないのかね。
困った買い人だ。

濃霧の中、帰港中に月山の頂が見えた。
景色で気分を癒すしかない。

月山.JPG


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2024年07月15日

漁業法の理解 目次

こんにちは。

連休も終わりで、今夜からまた、宝くじライクの夜いか操業です。

免疫について」シリーズのように、「漁業法の理解」の目次を作っておきます。

1.漁業を営む権利
2.漁業を営む権利は、財産権である
3.漁業法の歴史
4.漁業調整について
5..共同漁業からミチゲーションへ
6.漁業法を越えて

posted by T.Sasaki at 09:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 漁業法の理解 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年07月14日

漁業法を越えて

ふたたび、こんばんは。

漁業法だけでは、うまく漁業秩序を保つことはできない。
そこに慣習の力が入り込む余地がある。
しかし、日本の海は、それで済む話ではなくなっている。

沿岸漁業の知事許可の中に、固定式の漁業がある。
たとえば、刺網漁業やかご漁業である。
固定式であるがゆえ、漁場を占有する漁業である。
これとて、地先海面に変わりはなく、古くからやっている各地区の漁業者によって、漁場をどう使うか、申し合わせている。
かご漁業などは、ある程度、市町村の境界を基準に地先を定め、操業しているように思う。
また、もっと沖合のたら延縄漁場も、やはり、古くからやっている漁業者たちが、ある程度の申し合わせ事項を決めて操業している。
そこに、「海はみんなもの」という言い分を用いて、特に漁模様がいい場合なのだが、「オレにもやらせろ!」という人が出てくると、どうなるか。
全く邪魔にならない漁場を操業するか、あるいは、先輩たちの了解をとって操業するならまだわかるが、そうでない場合は、先に「漁業法の歴史」で示したのと同じで、都合が良すぎる話となる。
勝手な漁場の使い方をするようになれば、トラブルばかり起きて、漁業秩序が保てなくなる。
したがって、慣習というのは、秩序を保つ上で、大事である。
法律で規定されていない場合、慣習が、法的意味を持つ、というのは、このことなのである。(「漁業を営む権利」参照)

漁業法は、優先順位を決める法律と端的に言い表したが、地先の海は、関係漁民が優先的に管理しながら漁業をやる、というのは、「漁業法の理解」シリーズを読んでわかったと思う。
この考えは、上記の固定式の漁業にも、同じように適用できる。
もちろん、具体的に優先順位を決めている法律はどこにもないが、ずっとその漁場で操業してきた人たちにとって、他所からズケズケと入ってくる人たちは、迷惑そのもの。
ここで、同じ漁場で新規にやりたい人は、どうすればいいか、ということになるが、先輩たちに相談し、うまく入れてもらうしかない。
もちろん、船が多すぎて拒否される場合が多いと思うが、それはそれで、しかたがないとあきらめるしかない。

スマホ中毒社会の現代では、漁業に就業する人は、非常に少ないだろう。
やがて、その地区の関係漁民も高齢化し、後継者がいない場合、漁場が空いてくる。
沿岸漁業や沖合漁業は、すでに、企業が操業しているから問題にはならないが、今回の漁業法改正で、企業が漁業権を取得できるような制度に改正されたらしい。

しかし、その前段階、すなわち引退する漁業者がいない段階で、漁業権を持たない、つまり独立していない有望な漁師に対して、年配の漁師が漁場を譲る、という考えがあってもいいと思う。
有望な若い人には譲り、先人の教えを、後の世代へと継いでいく、というのはどうだろうか。

ここで、「有望な」という言葉の意味は、才能だけではない。
みんなとうまくやっていけるかどうか、という基準も必要である。
もう一つある。
資源を獲り尽くすような考えを持つ人は、新規参入させてはならない、ということである。
片野さんの著書には、ノルウェーの事例として、確か、資源管理に関する試験を受験し、合格いた人のみ、漁師の資格が与えられるとか、書いてあったが、まさにそのごとくにした方がいいと思う。
そうでないと、岩手のかご漁業の許可のように、周年操業がいつまでも続く。
私は、あちこち旅をしてみて、こんな周年操業を知事許可漁業として認めているのは、岩手県だけではないか、と思っている。
恥ずべきことだ。

今後、新規に漁業をやる場合、まわりの漁業者たちとうまくやれるか、そして、魚類資源の維持を考えられるか、この2点が必須である。
この2点を、全く考えない先輩漁師もたくさんいる。
海を維持していくために、そして若者を育てていくために、そういう先輩漁師の考えを変えていかなくてはならない。


posted by T.Sasaki at 20:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 漁業法の理解 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

うみねこ騒動ねえ

こんばんは。

東京では、うみねこで騒動している。

https://www.yomiuri.co.jp/national/20240409-OYT1T50036/(「讀賣新聞オンライン」)

でも、こうなったのは、しかたないんだから。
八戸の蕪島周辺の住民たちは、「生まれた時から」なんですよ。
うみねこと仲良くしてね!

先日、夜いかで点灯したら、この通り、うみねこが船の周りにたくさん集まってきた。

うみねこだらけ.JPG

うみねことかもめは、どこにでもいる。
沖合いにもいる。
なつかしの鱒縄での経験だが、150マイルや200マイル沖にもいる。
水平線しか見えないから(親父は独航船だったから、他船は、稀にしか見なかった)、ある意味、生き物の鳴き声は、寂しさを紛らすものとなる。

写真を撮っていたら、運よく、いかが付き始めた。

うみねこだらけ2.JPG

40尾入れくらいかな。
大きいように見えても、物差しを当てれば、小さい。
宮古沖は50尾入れ主体で、尾数が揚がっても、箱数にならない。
最近ようやく、二桁の水揚げになってきた。
定置網に入るのは、各市場、数百キロから、数トンである。
まだ、岸寄りに、いかが張り付いているのかも。

点灯すると、かっかべ(蛾)もたくさん寄ってくる。
電球に衝突して、屋根の上には、たくさんのかっかべが転がっている。
嫌になるが、市場に来ると、カラスが飛んできて、全部食べてくれる。
最初の日は、数羽しか来なかったが、仲間に教えたのか、船の屋根の上は黒くなる。
おかげさまで、虫の死骸で汚くなった屋根は、毎日きれいになる。
嫌われる鳥ではあるが、こういう時には、役に立つ。

うみねこの都合もあるだろうし、からすの都合もある。
熊の都合もあるだろうし、鹿の都合もある。
みんな同じ地上の生き物だ。
うまく付き合っていくしかない。

posted by T.Sasaki at 18:09| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年07月06日

かぜの口開け

ふたたび。

数日前から、前沖のいか釣りが、何とかなりそうな気配になってきた。
ようやく、先月の乗組員の給料をペイできて、今月分まで払える水揚げになってほしい。
私は、ただ働きが続いているが、しかたがない。

かぜ(うに)の口開けだったので、微速で帰港。

かぜの口開け.JPG

手前の島は、閉伊埼アカブ。
ベタ凪で、小船がたくさんいる。
波を立てれば、「犯人はアイツだ」と簡単に特定される(笑)。
以前、船外機が岸壁まで追いかけてきて、怒られたことがある。
おっかない人がいるんですよ、湾内にも。

おすそわけをいただいて、美味しかった。
かぜは、海苔をちりばめて、ご飯にぶっかけて食べるのが一番!
posted by T.Sasaki at 09:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする