ふたたび、こんばんは。
漁業法だけでは、うまく漁業秩序を保つことはできない。
そこに慣習の力が入り込む余地がある。
しかし、日本の海は、それで済む話ではなくなっている。
沿岸漁業の知事許可の中に、固定式の漁業がある。
たとえば、刺網漁業やかご漁業である。
固定式であるがゆえ、漁場を占有する漁業である。
これとて、地先海面に変わりはなく、古くからやっている各地区の漁業者によって、漁場をどう使うか、申し合わせている。
かご漁業などは、ある程度、市町村の境界を基準に地先を定め、操業しているように思う。
また、もっと沖合のたら延縄漁場も、やはり、古くからやっている漁業者たちが、ある程度の申し合わせ事項を決めて操業している。
そこに、「海はみんなもの」という言い分を用いて、特に漁模様がいい場合なのだが、「オレにもやらせろ!」という人が出てくると、どうなるか。
全く邪魔にならない漁場を操業するか、あるいは、先輩たちの了解をとって操業するならまだわかるが、そうでない場合は、先に「
漁業法の歴史」で示したのと同じで、都合が良すぎる話となる。
勝手な漁場の使い方をするようになれば、トラブルばかり起きて、漁業秩序が保てなくなる。
したがって、慣習というのは、秩序を保つ上で、大事である。
法律で規定されていない場合、慣習が、法的意味を持つ、というのは、このことなのである。(「
漁業を営む権利」参照)
漁業法は、優先順位を決める法律と端的に言い表したが、地先の海は、関係漁民が優先的に管理しながら漁業をやる、というのは、「
漁業法の理解」シリーズを読んでわかったと思う。
この考えは、上記の固定式の漁業にも、同じように適用できる。
もちろん、具体的に優先順位を決めている法律はどこにもないが、ずっとその漁場で操業してきた人たちにとって、他所からズケズケと入ってくる人たちは、迷惑そのもの。
ここで、同じ漁場で新規にやりたい人は、どうすればいいか、ということになるが、先輩たちに相談し、うまく入れてもらうしかない。
もちろん、船が多すぎて拒否される場合が多いと思うが、それはそれで、しかたがないとあきらめるしかない。
スマホ中毒社会の現代では、漁業に就業する人は、非常に少ないだろう。
やがて、その地区の関係漁民も高齢化し、後継者がいない場合、漁場が空いてくる。
沿岸漁業や沖合漁業は、すでに、企業が操業しているから問題にはならないが、今回の漁業法改正で、企業が漁業権を取得できるような制度に改正されたらしい。
しかし、その前段階、すなわち引退する漁業者がいない段階で、漁業権を持たない、つまり独立していない有望な漁師に対して、年配の漁師が漁場を譲る、という考えがあってもいいと思う。
有望な若い人には譲り、先人の教えを、後の世代へと継いでいく、というのはどうだろうか。
ここで、「有望な」という言葉の意味は、才能だけではない。
みんなとうまくやっていけるかどうか、という基準も必要である。
もう一つある。
資源を獲り尽くすような考えを持つ人は、新規参入させてはならない、ということである。
片野さんの著書には、ノルウェーの事例として、確か、資源管理に関する試験を受験し、合格いた人のみ、漁師の資格が与えられるとか、書いてあったが、まさにそのごとくにした方がいいと思う。
そうでないと、岩手のかご漁業の許可のように、周年操業がいつまでも続く。
私は、あちこち旅をしてみて、こんな周年操業を知事許可漁業として認めているのは、岩手県だけではないか、と思っている。
恥ずべきことだ。
今後、新規に漁業をやる場合、まわりの漁業者たちとうまくやれるか、そして、魚類資源の維持を考えられるか、この2点が必須である。
この2点を、全く考えない先輩漁師もたくさんいる。
海を維持していくために、そして若者を育てていくために、そういう先輩漁師の考えを変えていかなくてはならない。